ブログの引っ越しのお知らせ

これまで「里山・景観保全強化ブログ」を個人的に更新してきました。常に更新が滞り、十分に社会への発信と貢献ができたかというと、とても十分ではなかったように感じています。

私の公私の活動資源を集中化するために、本ブログを下記の研究室のサイトとブログに引っ越しを行い、研究室の活動の一環として継続することにいたしました。

九州大学大学院 芸術工学研究院 緑地保全学研究室
Landscape Conservation & Restoration Lab.
サイトはこちら

まだ、サイトを立ち上げたばかりで、コンテンツの中身や引っ越しの状況は不十分ですが、新年度になりましたので、公開しました。

これからは、学生や卒業生と共に、情報発信に努めたいと思います。また、市民活動との連携も、より効果的に行えるよう検討を進めます。今後ともよろしくお願いいたします。

Conservation Volunteer Australia

asahiro2010-03-07

久しぶりのブログ更新です。3月は4日〜11日までオーストラリアで表題のCVAのヒアリング、12日〜23日はバングラディッシュの調査に入ります。3週間の出張で、身近な事がおろそかになる。という面がありますが、できるだけ多くの事を持ち帰り、日々の活動に、そして、連携団体に良いフィードバックをしたいと考えています。

CVAのオフィスはMelbourneにあります。CVAとの連携をされてきた小林さんの案内で、空港からホテルにより、オフィスに午前中から伺い、ボランティアのBriefingを拝見させていただきました。今日は、フランスからビジネスで来られた方が1名、日本の方が2名、Monicaさんが、これから移動するサイト、活動の概要、注意事項、連絡先などを流暢に説明されていたのがとても印象的でした。Conservation Volunteerとツーリズムのジョイント。CVAはオーストラリアの保全団体として、「いつでも、誰でも参加できる」仕組みを、急速に展開してきたことを感じる場面でした。
午後は、Volunteer &Membership ServicesのDirectorの方に、CVAのボランティアのリクルートメント等についてご紹介をいただきました。

今回のリサーチの目的は、BTCV,CVA,Conservation Corpsのリーダートレーニングの類似性を確認することです。一方で、私達の活動の展開として、BTCVとCVAの連携の状況確認、さらに、Recrutment, Training, Regional manager responsbirilites, Program design, Goverment partnership, Soponsorshipを保全活動の中で構築してきたCVAのシステムを学びたいと考えています。

現時点で確認できたこととして、CVAはNew ZealandのCVZの設立を4年かけて実施し軌道に乗せた実績を持たれ、このような連携をモデルにしたいということでした。

地域連携やボランティアリーダーの育成、ヨーロッパにおける団体支援に展開しているBTCVと、広い国土や豊かな生態系と火災などの大きな環境問題に対するCVAの展開は、Seedsは同じでも、異なる仕組みを形成しつつあるようです。現在、CVAに参加する日本人は年間400人に上ります。このような状況を認識したうえで、私達の次のステップを考える必要があると思われます。

薪のある暮らし

asahiro2010-01-13


新年、明けましておめでとうございます。
今年は、もう少し情報発信ができるように心がけたいと思っています。

さて、一昨年の森林と市民を結ぶ全国の集い(福岡)から、「暮らし」というキーワードを良く耳にしてきました。
私は、この家を建ててから冬は薪ストーブのある暮らしをはじめ、最近、「なるほどなるほど」と、付き合い方を模索してきました。少し、紹介して新年のあいさつとしたいと思います。

うちのストーブは、Vermont Castings社のResolute Acclaim Woodburning Stove Model 2490です。通称、アクレイムと呼ばれています。これを選んだ理由は、いくつかありますが、主に下記のような点を重視しました。

・出力が10,000kcalあること。小さい家ですが、全体を暖めてほしかった。
・中型サイズでありながら、出力が大きいこと。場所をそれ程取らない。
・平均燃焼時間が9時間あり、共働きにはよさそうだったこと。
・トップローディングタイプで、上から薪が入れられ、床がそれ程汚れない。
・ダンパーが付いている、水平燃焼タイプで、薪の持ちが良い。
・赤の琺瑯であること。


さて、いざ使い始めてみると、下記のような戸惑いもありました。

・2階はそれ程暖まらない。(11〜14度)
・薪の消費量は、それなりに量と種類が必要。
・ネジが落ちたり、ダンパーが動かなくなったり、ファイバーロープが取れたりと、それなりにメンテナンスが必要。
・煙突掃除は、まだ慣れないので、おおごとだった。
・屋外が強風の時は煙突の隙間から煙が時々噴き出してくる。


とはいえ、使い続けてみると、付き合い方が分かり出し、課題は概ね克服できました。
私が、ストーブの良い点ベスト3を上げるとしたら、次の3つです。

1.(外に煙は出すが)室内の空気は常に新鮮。
 私はアレルギー持ちなので、以前は、軽い気管支炎や鼻炎などを起こしていました。薪ストーブは煙突の吸気を常に行うので、隙間風は少なくないですが、空気は新鮮です。私は、冬場の上記の悩みがほぼなくなり、第一の効果でした。

2.上に入れた薪は炭化され、下のオキがちろちろ燃焼
 トップローディング→水平燃焼タイプということもあり、温度を上げて、下にオキを作ってから弱火にすると、このような状態になります。ある温度を保ちながら弱火で燃焼運転を継続できるので、寝る前に薪を入れ、朝起きると、まだオキが残っており、薪を入れて温度を上げて、また弱火にするというサイクルで24時間燃焼が、そこそこの薪の量で可能です。
したがって、家を冷やさなくて済むという点がとても良いです。先日、田舎に帰省し帰ってくると、家は完全に冷えており、暖めるのに相当な量の薪を必要としました。弱火で暖め続けられるという点は、土壁の家にとっては利にかなっているようです。
ただし、重要なのは、弱火にする場合、温度を上げておくということです。下がると煙が多く出てしまい、周囲への迷惑や、環境にも、効率の面からもマイナスです。温度を上げておくと格段に良くなります。

3.お湯が常に沸き、洗濯物が乾く
うちはオープンキッチンスタイルなので、居間とキッチンは同室です。お湯はお茶にしたり料理にしたり、今日は、車の雪を融かしたり、と寒ければ寒いほど効果を発揮します。濡れたフキンなどもフェンスにかけておけばホカホカに乾く点は、ありがたい副産物です。

さて、里地里山ライフという点からすると、下記が私の今後の課題でしょうか。
・身体を上手に動かすこと
ストーブまで、常に薪を供給するのは、おそらく最も大きな課題になります。否が応でも身体を動かすことになるので、健康面から「良い」と、思っています。刃物で怪我をしないように、身体を痛めないように、動くことは、デスクワークにはない緊張と集中力、機転が必要に感じています。
・薪の種類を確保
私は、近所の公園やご近所さんから、枝の束を焚きつけように集め、近くの農林家の方に、スギや雑木の伐採木を積んでもらっています。火をつけたり、維持するには、これらの燃料を上手に組み合わせると良いようです。しかしながら、今後も必要量を農林家の協力を得ながら確保できるかどうか、持続的な見通しはありません。
・小さな森づくり
以前、英国でSmall Woodland Associationという団体を知りました。小さな森を所有して楽しみましょうという団体です。あちらでは、雑木林の萌芽更新の講座は、とても人気がありました。いつか、群状間伐による小さな森づくりを家の近くで、個人的にやってみたいな〜と思う今日この頃です。そうすれば、森も、相当良くなるはずです。

本当は、欧米のような温水によるセントラルヒーティングシステムがあると良いのでしょうが、現在は、望むべくもないです。熱源は電気、ガスによる床暖房ということでしょうが・・・

山の麓にある家は、今後、薪のある暮らしが大きな選択肢となるように思います。優れたストーブも開発されており、みなさま、将来いかがですか?

オルドス平原

asahiro2009-12-23


ここは、黄河万里の長城に囲まれた標高1300m程度のオルドス平原の続く地域です。来るまで私は知りませんでしたが、この街はエネルギーやレアメタルの供給都市として、とても裕福であり、速いスピードで都市開発が行われています。

田舎に目を向けると、緩やかな平原が広がっているかと思えば、傾斜を有する斜面は、あちこちに数メートルから数十メートルの侵食が見られました。聞くところによると、ある時期、羊毛の価格が上がったため、過度の放牧が行われ、被覆する植生が貧化したために生じたとのこと。今では、放牧が禁止され、痛々しい景観が広がっています。

侵食されていない土地にはヨーロッパアカマツの植林が広く実施されていました。日本の消費活動が関わった事態に、日中友好植林活動が展開されているそうです。


さて、オルドスの都市開発はこれまで尾根を削り谷を埋め、平面グリッド上の街づくりが進められてきました。区内には都市公園や多くの街路樹が植林されていますが、砂漠地帯のため夏場の潅水が行われています。このような街づくりへの見直しが必要とされているようです。

私は、この地域の自然植生、遊牧民の暮らしの中から選択的に選ばれてきた持続的な側面を探して回りました。ある、遊牧民の集落を訪ねたところ、薪や農用資材をとるために植えられたヤナギ類が萌芽更新されながら利用されており、ヤマアンズ、そしてエンジュの類も見られました。特にヤナギは羊に新芽を食べられないように台(ポラード)仕立てになされており、英国で保護されているような、立派な古木も複数見つけることができました。

おじさんやおばさん達の顔に刻まれたしわの深さと、大地に刻まれた浸食の深さの中に、都市や経済に翻弄され、失われていく自然と人の暮らしがあります。街は、時おり打ち上げられる花火のように感じられます。遠い将来、都市の人が、ここの自然と暮らしのあり方に思いを巡らし、その知恵に気付いてもらえるよう、保全を基軸としたデザインの専門家として、果たすべき役割があると感じました。

北京の天壇公園

asahiro2009-12-21


今、仕事で北京に来ています。
あちこちで建設が進む一方で、施工の質は急いで作った感があちこちに漂っています。朝、地下鉄駅は若い人でごったがえし。設計事務所では20代のデザイナー達が、次々に設計活動を展開していく。それでも間に合わない中国のスピードはパワーに溢れています。

一方、公園を訪れると、実にすばらしい中国を見ることができます。私が”すごい”と思ったのは、ゴミがほとんど落ちていないこと。基本的に禁止されたのかもしれませんが、人が行き来する広大な公園にゴミが落ちていない景色は見ごたえがあります。そして、最も感動したのは、高齢者が実によく、公園で遊んでいる風景でした。

天壇公園の回廊脇では、多くの方々がトランプに興じ、歌を歌い、社交ダンスや様々な踊りを楽しんでいます。それ以上に、散歩をする家族や友人達であふれかえり、公園は、まさに公園としての利用がなされていました。日本では見ることのできない風景です。

中国の高齢者の方々は、何ゆえにこのように楽しく、生き生きと生活をなされているのでしょうか。良く食べ、良く身体を動かし、良くしゃべり、家族や友達との一時を大切にする。

中国の歴史そのままに、公園の歴史や規模、質は壮大なスケールがあります。しかしながらそれ以上に、人々が公園で楽しみ、公園を愛している関係は、急成長する都市、北京の中で、人々の身体と心のバランスを保っているのではないでしょうか。ここに、欧米より成熟した都市文化があるのではないかと感じました。

さて、日本はいかがでしょうか。借り物の公園は市民に根付いていない。利用の仕方、楽しみ方が良くわからない。人と都市のちぐはぐな関係が、そこ、ここに見ることができるような気がします。きっと日本は、再び中国から都市文化を学ぶ時代が来るにちがいない、それ程におじちゃん達の笑顔は楽しそうでした。公園の踊りは、誰でも参加できるようです、北京に踊りに行きましょう。

養老先生とのひと時

先週は、一週間、東京、岐阜と出張し、その報告を書きたいのですが、先に、昨日のシンポジウムの話を書きます。

水土里ネットと西日本新聞社主催で、「Do Action 2009 まもり はぐくむ 水源の森シンポジウム」と題し、養老孟司先生の講演会が行われ、佐藤弘氏のコーディネイトのもと、宇根豊氏、杉岡世邦氏と私でパネルディスカッションを行いました。

私は、養老先生が大好きです。虫に着目しながらも、そこに人間味のある話題を展開していただけるからです。先生の著書である「ぼちぼち結論」では、「人は石垣、人は城。環境問題に対するには人を訓練するしかない。」とまとめられています。環境は大事、しかしながら、人はもっと大事。という、私達のとるべき行動を敢えて指摘されているように感じられます。

この点を指摘する政治家、企業人、研究者は何人いるでしょうか。私は皆無に等しいのではないかと思います。

先生からは、最後に「福岡の人は信じられる。」とお言葉をいただきました。等身大の取り組みを行い、特にプライドもなく、言いたい事を言い合える顔の見える仲間があることは、何よりも大切な財産だと感じます。

  • 身体を動かすことが最も大事。
  • 同質が広がる都市では感性が鈍る。
  • だから、若者は強制的に田舎にやれ。
  • そうすれば、なるようにならない自然と身体がわかる。
  • 暮らしを真剣に考え、生活を変えれば世の中が変わる。
  • 自然の中で、違いをつかまえる能力を磨こう。

もう議論をしている場合ではない、行動をすべき時ですよ。著書の中でも、講演の中からも、その意図がうかがえました。
環境価値を超え、行動価値が必要とされている時代なのかもしれません。だとすれば、都市の時代において越えなければならない壁はあまりにも高く、養老先生のご活動は、私達が継承すべきことではないでしょうか。

新生・森林と市民を結ぶ全国の集い

asahiro2009-12-06


12月5日、6日に「森林と市民を結ぶ全国の集い2009 in Tokyo」が行われました。今回の「森林と市民」には「新生」という意が込められていました。何が新生なのか?

昨年度は福岡で行われましたが、巻頭に「第13回」が付いていました、今年はありません。実は、次のような意図がありました。

これまでの森林と市民は、市民参加の森林づくりの牽引役として活動のステップアップやネットワークづくりに寄与してきました。ご存じのように、森林ボランティア団体数は全国で2千数百を超えるようになり、一定の役割を果たしてきました。
この東京大会からの新生「全国の集い」は、これまでの役割を継承しつつ、森林ボランティア活動がより一層社会的に意義のある役割を発揮するための学びと交流の場となることを目指しています。これに伴い、2年に一回東京で行い、その間の年は各地域で開催を行う。

というものです。

森林ボランティア活動は一定の広がりをみました。これからの国民参加の森林づくりはどこに向かうのでしょうか。私は、東京で行う意義、それは、森林と共に、教育、健康、福祉、デザイン、まちづくりなど、森を通じた様々な社会的な活動に活躍されている方々による、テーマ型の分科会活動、情報の共有、パートナーシップ型の企画・立案、政策・提言活動だと思います。森林へのニーズが多様化し、森林環境税地方自治体ではじまり、異分野の森への関わりが始まりつつある昨今、東京会場にはそのような役割を期待したいです。従来の森林ボランティアの集いは、地方で良いではないですか。そう思います。

さて、今回の集い、実行委員長の内山節先生は「今、あらためて“森林”の価値を問う」と提起されました。林業のさらに厳しい状況が報告される一方で、森林ボランティア活動が副業的な森での稼ぎ・暮らし方を提起する。さらなる林業の大規模化が推し進められる状況の中で、業に勝者はなく、世論形成や新たな森と共にある暮らしを見出そうとする森林ボランティアとの相互理解は、乖離しつつあるような感さえ受けました。
内山先生は、最後にこのような内容の総括をされました。

  • 日本の社会はグローバル化の中で、急速に転換しつつある。
  • 上位を譲らない経済に、強く述べられる多面的機能に、あまり振り回されるのはやめよう。
  • 私達は、無事に生きていければ良い、家族も、地域も、自然も、すべてが無事な社会。
  • 皆が無事でなければ、自分が無事でいられないことに、私達は気が付いてきた。
  • 自然と森を含めて無事に生活できる社会はどうすればよいのか、その中での私達の活動を考えてゆきたい。

帰りがけ、立教大学の近くのカレー屋さんに一人で入った。食事中、ネパール人の店主は、朗らかに私と話をつづけてくれました。その中で、
「ある国の人に、“やあ、元気?”と声をかけたら、“こんなに経済が悪いのに、元気なわけないじゃない!”と答えるんだよ(笑)。あいさつのつもりで声をかけたのに。かの国の人には、哲学がないね〜」と。

林業は、私達の暮らしは、文化を、哲学を、自然と共にある思想を持ち続けていられるでしょうか。生産現場からだけではなく、こんな巷から、そのような声が出てきています。