いくちゃんとみつばちのいもうと

我が家にみつばちがやってきた。



庭先で飼っているのだけれど、ぶんぶんぶん、どころではなく飛び回っている。



「のばな、はあっちよ!いくよー、ねー、ついといで!」

すっかりお母さん(あひる?)の気分のいくこ、ハチさんたちを植え込みや畑につれていこうとする。



とうぜんついてくるわけじゃないけど、わけじゃないんだけど、花があるからまあしゃあないと、一匹ふらふらと、いくこのほうへ。



「これがねえ、赤いの!いちごジュースみたいの。白はねえ、、牛乳に、ちょっと甘くしたやつよ。」



飲んだことあるの?笑



「じゅんばんだからね、小さい子からね。だからおさきに。どうぞー。」



いつもはいちばん、小さい子。
いもうとができてよかったね。














・・・

いくちゃんとぜんしんが雨だれ



秋の雨って、やみそうな気配が少ない気がする。夏だともうすぐ通り過ぎますよ、ってサインがいつもある感じがするんだけどね。



いくちゃんはお絵描きをしている途中で雨が降ってくると、
「あ、いけない。ふってきた。あー、もう。いそがなきゃ。」

といって、じぶんの絵に雨を足す。この「いそがなきゃ」は洗濯物をとりこまなくちゃ、のぼくの口ぐせをまねている。





寒かったらストーブをつけて、暑い日にはかき氷。いろんな方法で、ぼくらは季節とはんたいの仲間を見つけて、ぐるぐるとどこか、「じぶんのなかの遠く」まで歩いていく。


ふと気づいたら遠くにいる。雨も、洗濯物も、いまこのとき、手をつないだ家族の絵に、雨を足している娘も。


さあさあと静かに降っている雨の音を聞いてたらちょっとだけさみしくなる。


「いこっか、ねーえパパ!どれくらい冷たいか、みに」

いくこが雨にさそう。

そうだねえ。いってみるか。


どれだけ季節によりそえるかな、それを楽しむのもぼくたちの大切な時間。

じぶんのなかの遠くまで歩いていく。

ひこうきぐもみたいに、しばらくはっきりと、しだいにうっすらとなる、線をひきながら。



「わわー!ぜんぶ雨がついた!からだじゅうにねえ。あーもー。あーもう、ねえ!」



ぜんしんが雨だれのひとは、きょうも目の前で線を引く。




まっすぐに、
いまはぼくも一緒に、
ぼくよりも遠く、
じぶんのなかの、遠くまで歩く。

いくちゃんと8歳の海

< あ か る さ を み う し な っ た ら 夜 >





どこかで思い出がひとつ生まれると、誰かがひとつ思い出を忘れてしまう。


季節という名前の人には出会ったことがない。


海岸線はずうっと昔から何度もなぞられていて、


海辺をたどれば家に帰れる。





育子は、ふうっと吐いた息が、風よりもあたたかくなったことを感じている。


季節がふいに、どこかにいくのではなくて、


音や空気の届き方が変わってしまう日に、人は少しずつ、「そちら側」から目を逸らしていく。


「夏の方角」から。




育子は海を見ながら、タクトをふるように人差し指を立てて、地面と空の間をゆっくりと滑らせた。


スケッチをしているのだ。海のスケッチを。


呼吸にあわせて、青白い水面をなぞる。


なぞるけれども、海はすぐに形をかえていく。




そうして彼女は、「そこにはもうない」ものの残像を、いっときだけ視線にとどめることで、自分がうつろわないことを確かめているようだった。



この場所から。あるいは、自分自身から。






少し歩く。


歩幅をできるだけ大きくする。


濡れた砂浜が靴型に沈む。




そうやって刻む距離がだんだんと広くなっていて、いつか当たり前に過ぎ去る季節みたいに、自分の立っていたところが、点々ととぎれていくんじゃないだろうか。


育子はそのことがさみしいというよりは、すごく怖いと思った。




いつか世の中から「はじめてちゃん」がなくなってしまって、心ぼそく佇んでいる、遠くの灯台みたいな方角を眺める自分が在るかもしれない。


怖いと思った。「はじめてちゃん」を、忘れることが。



絵空葉書を書くのは得意だったけれど、そんな自分には、なにを話しかけたらいいか、わからない。





< な に も い う こ と が な く な れ ば 朝 >




声を出す。


歌と音との、境目みたいな声を出す。



岸辺に打ち捨てられた窓枠がある。
抱えおこして、両手で支える。
窓の向こう側の海を、ぼんやりと眺める。



潮が満ちる。
足元まで波がよせる。



振り返ると、歩いてきた砂浜に、沢山の靴型の海が残っている。



(君たちのなかに。虎の子が眠っているよ)




小さな妄想に笑う。



忘れてもいいのかもしれない。
そしたらまた、あたらしい靴のあとを残して。
声に出して。
歌えば。








目をつぶる。



小さなスピーカーのように歌う。



窓から踏み出す。



強い突風。



はじめて歩く。



今までとは別のところへ。



目をひらいて。



どこかへ。



いつか。



灰が降るように着地をする。



灰が降るように。



もう、怖くはない。
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

いくちゃんとむしゃむしゃぱんやさん



「ねーねー。
ねーってばよー。
ねーねーさんが呼んでますよのー?」




ねーねーさんに呼ばれるとは光栄ですね。
私は妹に(いませんが)にーにーとよばれてみたかったです(兄として)。




今日は車で、栃木のむしゃむしゃパン屋さんに向かっております。
むしゃむしゃパン屋さんはありとあらゆる素敵なパンを焼きたてでお届けしてくれます。
すこーし遠いので、早朝から遠方ドライブになりました。




ロングドライブ退屈ねー。、と、助手席でちょっと斜めになっているのは、ミニチュアOL・育子の休日モード(食べものみたいだ)。
さっきからねえねえと、ブドウ畑や古い立看板を見つけては、
フーコーメービね(覚えたて)!」と叫んだり、
「はじまりは、いつも、雨、よね・・(これも覚えたてのおしばい)」と感慨に耽ったり。




もう少しでオーダーメード(vsフーコーメービ)のパンが食べられるのでキラキラするはず。
(エアー)タイトスカートを脱ぎ捨て、OLから砂浜を走る少女に戻るまで、しばし辛抱願います。

いくちゃんと違くなるにあ?


春先だと言うのに、風はちょっと冷たすぎるんじゃないだろうか。
誰にと言うわけでもなく、壁に、人に、家路に、街に。




「ぴゅうぴゅうとびゅうびゅうはなんで?違くなるにあ?(娘の流行りことば。)
音ってさー、おんなじちゃんの冷たさでも違うよねー。
りんごほっぺといちごほっぺも違うよのね!
どっちも味は、しないよのねー」





春に落ちてる枯れ葉を散らかすのも好きだ。
春の落ち葉は、夏の日ざしにふかふかにしてもらえる。
びゅうびゅうでも、ぴゅうぴゅうでもよいので、九十九夜に降りた霜を運んでほしい。





「あー、ね。音ってさ、寝坊助ちゃんなときあるよね。ぴぴぴっとおきてるときがね、びゅうびゅうかもね。
パパも寝坊助ちゃんでさ、のどが変な音のときあるよのねー。ぎょろぎょろなときね!」





春過ぎて、ことしも育子が生まれなおして、もうすぐに、夏。
繰り返しも変化も、新しいできごとも、生え変わる娘のおかげでやさしい。

いくちゃんとことばのまほう

ひらがな魔導士イクコ、ここ最近のひらがな練習。



いおす・きす・でじたる


おおさか・なつのじん


とうかい・どうちゅう・ひざくりげ



「いおーす、きーす、えっと、でじたる!でじたる〜る〜♪」

はなうたで詠唱。「る〜」に乗せてくるくると鉛筆をすべらせて、気がすむとノートの端っこに着地(この場合、マス目は無視)


「おおさかなつのじん」は、ソファからの飛びげりと一緒に。不意打ちは痛い。


「とうかいどうちゅうひざくりげ」はお風呂場で。ざぷんととびこんで、お湯が溢れてしまうとき。

「わおー!ひざくりげー!ひざくりげー!」

今もあふれ出すお湯の子たちに引っ張られながら、波間でちゃぷちゃぷ唱えてる。




「おおさか・なつのじん」が飛びげりではないことも、
「ひざくりげ」がお風呂の満水ではないことも、
たぶんいつか分かるのだろう。

だけど、意味よりも声に。声を楽しんでくれたらいい、音を忘れないで。

ことばは唱えるものだから。



この魔法使いが大人になって、物事を知って、意味と向き合うとき。

それでも魔法を、信じつづけるだろうか?




お風呂の「ひざくりげ」も終わって、今は静かな、小さな湯船。


 
 
 
 
 
 
 


 



いくちゃんと木綿子ちゃんの誕生会

さて今日は育子の大っきなお友達、木綿子(ゆうこ)ちゃんの誕生会。少し遅れました。


木綿子ちゃんは華の女子大生ですが、よく育子と遊んでくれます。

(育子と木綿子ちゃんが一行ずつ声に出しながら作った「あまつぶのひるね」というお話(詩?)は、とてもよかった。
「あまいのにとうめい」「さとうみず?じゃないよ、うたたねしてる、あめ。」という風に)



育子の(はげしい)提案で、全員がインチキおじさんの鼻メガネと三角帽、紙テープのでるクラッカーを持って参加。

♪すったかたったったー すったかたったったー

とよく分からないBGMと共に、パーティ会場(わが家の居間)に入場する参加者。


うら若き20代の女性も、ぼくのような中年も、思春期の息子・汐も、はちゃめちゃな育子も、みーんな、鼻メガネ

ばかだねえ、きみもねえ、とお互いを笑い合いながら、テーブルをくるくる。

木綿子ちゃんも、涙を流しながら笑って、喜んでくれてよかった。


「ねーみて!
みーんなおじさんになったの!
ゆうこちゃんみて!
いくちゃんもパパと同じよ!お仕事しなくちゃ、ねー!」


夜が更ける。

静かになった部屋には、ケーキのお皿。遊んだおもちゃ。
もうごちゃごちゃのリビングは、祭りのあと。


でも、お祝いの後かたづけはいいよね。
余ったしあわせな空気が、少しずつ蒸発していくみたいで。


クラッカーから飛び出した紙テープのカツラを冠ったまま、ソファで娘はスーピーと寝息。