68_グレイストーンズ屋敷殺人事件

グレイストーンズ屋敷殺人事件 (論創海外ミステリ)

グレイストーンズ屋敷殺人事件 (論創海外ミステリ)

ジョー・ジェット・ヘイヤーのミステリは、東京創元社から『紳士と月夜の晒し台』と『マシューズ家の毒』が出されており、双方ともにしっかりとした本格ミステリだ。その2作にも登場するハナサイド警視とヘミングウェイ巡査部長が本作でも活躍する。
1937年の初夏にロンドン郊外の屋敷で資産家の遺体が発見される。凶気は鈍器のようなもの。容疑者は近親者と近所に住む老夫婦と小説家、それと被害者の仕事に関わる2名の怪しげな男。なんの変哲もない人物配置なのだが、ヘイヤーという作家は人物を賑やかに動かすのが得意な作家だ。本作でもさほど多くもない人数の登場人物が必要以上に騒ぎ立てることで、賑やかさと華やかさを醸し出している。容疑者が絞り切れない原因は、殺人のあった5分間のアリバイと発見されない凶器のせいだ。探偵役2人が行う容疑者の5分間のアリバイ調査をしつこいくらいに書いていて、読者としては冗長感が増していく中、凶器の鈍器がみつからず、事件の落とし所はハッキリしているが、終決にいたる道筋がまどろっこしい。それでも、5分間のアリバイを元に丹念に排除すべき人物と残すべき人物とを選り分け、そして最後まで残った容疑者も枠の外へ追いやらなければならなくなった時に、アリバイと凶器というそれまでに丁寧に張られていた伏線が効力を発揮しだすのだ。
まさに意外な犯人を配置し、そこへ到達することのできる手がかりもしっかり提示されており、歴史ロマンス小説を確立した女流作家らしからぬ本格ミステリの手腕は、セイヤーズが認めたと言われる所以なのであろう。ヘイヤーの作品は登場人物の個性が強い。序盤で描かれるキャラクタが、章が進む毎になぜゆえに個性が強いのかという裏の面を手を抜かずに書かれるので、事件全体が軽から重へ徐々に転換していくのである。そのなかで、ハナサイドとヘミングウェイの軽快な会話が挿入されることで、ユーモアを損なわずに物語が進んでいく。序盤は警察の2人に重きがあり、それが中盤で被害者と容疑者に重が移動して、最後は警察の2人の謎解きで、犯人以外の人物が軽いキャラクタへと戻ってくる。そんな人物を軸とした場面展開と本格ミステリとしての手腕、それに歴史ロマンス作家としての実績からくる、恋愛のサブストーリーのバランスの良さが、ヘイヤーのミステリ作品の魅力なのだ。本作は『紳士と月夜の晒し台』と『マシューズ家の毒』に増して、その魅力を楽しめる一冊であるので、読み逃すのは勿体無い。

2015/04/26 asuka

紳士と月夜の晒し台 (創元推理文庫)

紳士と月夜の晒し台 (創元推理文庫)

マシューズ家の毒 (創元推理文庫)

マシューズ家の毒 (創元推理文庫)

67_そして医師も死す

そして医師も死す (創元推理文庫)

そして医師も死す (創元推理文庫)


『兄の殺人者』に続くディヴァインの2作目は、閉鎖コミュニティの中で繰り広げられる人と集団の対立構造。本作で探偵役を務めるのは外部から赴任してきた診療所の医師アラン・ターナー。共同経営者だった友人の医師ヘンダーソンの死は事故死ではなく、故殺だと市長のハケットから指摘を受ける。そこからターナー医師が捜査を開始するのだが、容疑者はコミュニュティの有力者とヘンダーソンの後妻のエリザベス、そしてターナー自身。捜査を進めていくと自ずと市長を始めとした有力者への嫌疑が募っていくため、反発も大きくなる。そして、コミュニティではターナー医師とエリザベスが不倫しているのではないかと噂を囁かれ、ターナー医師の信頼が低下していく。決定的な証拠がないため、ターナーは土地の有力者を追い詰められずにおり、さらには信頼低下という反撃を受け形勢はどんどん不利になっていく。主人公の一人称で物語が進められていき、敵方の容疑者を意図的に怪しく見せてはいるが、ターナー医師の脇が甘く自分自身が不利な状況に追い詰められていくなか、味方の容疑者に対しても疑いを拭い切れないもどかしさを感じさせる。そこに第三者の友人でもある警部補が中立的な立場の推理を挟み込んでくるので、読者は霧に包まれた感覚になる。
こういった軸足が定まらない不安定な状況を一方の視点から描きだし、派手さのない事件をもの凄く大きな事件に見せているのはディヴァインの上手さであろう。謎解きのポイントは動機と人物の行動であり、論理的かつ冷静に読み解けば、自ずと糸が解けていく妙。とはいえ、手練の読者でも先に書いた様に、ディヴァインの仕掛けた雰囲気に翻弄され、真実を探りだすのは困難であろう。しかし、解決段階にいたるまでには、全ての情報は開示されており、ターナー医師の目を通して見ているときっと謎は解けないが、本格ミステリから寸分も逸脱していない作品構成に感服させられる。
事件もさることながら、やはりよそ者ターナー医師と市長を始めとする土地の有力者との対立も興味深い。ターナー医師の視点で物語が書かれているために、右に左にフワフワと動いてしまう下層の住民達への不快感を読者も総じて受けてしまう。ターナー医師を味方として読み進めることによって、事件解決後に残る彼の周りの人間への不信感が、ターナー医師が最後に取る行動への理解が読者に苦もなく受け入れられるのであろう。犯人の指名と最後のターナー医師の行動が合わさってこそ、本作の真のエンディングとなる。これは他の作家には真似できないディヴァインならではの特徴なのではないだろうか。『ウォリス家の殺人』などに繋がっていくものがあるような気がするのである。
登場人物がワサワサ動いていて落ち着かない感じは、中期以降のディヴァインの作風ではなりを潜めたように思えるので、こういったところも初期作品のよみどころではないかと思う。派手なトリックなどを使わずとも、本格ミステリの面白さをディヴァインという作家を通じて味わえるのは、海外ミステリ好きの至福の一時である。

2015/03/02 asuka

兄の殺人者 (創元推理文庫)

兄の殺人者 (創元推理文庫)

ウォリス家の殺人 (創元推理文庫)

ウォリス家の殺人 (創元推理文庫)

66_白い迷路

白の迷路 (集英社文庫)

白の迷路 (集英社文庫)

 1作目の『極夜-カーモス-』と2作目の『凍氷』は紛れも無く警察小説に分類される。なかなか読み応えのあるフィンランド社会派ミステリだった。主人公のカリ・ヴァーラは「極夜-カーモス-」では、故郷の警察署長を努めており、その村で起きたソマリアからの移民でもある黒人女優が惨殺された事件を追う。容疑者はカリの元妻の不倫相手。捜査に私情を持込みたくはなくても必然的に私情を挟み込まざる得ない状況。やがて第2第3の殺人が起きるが、事件の深層は人種差別と宗教を含む暗いものが渦巻いていた。そして『凍氷』で、カリ・ヴァーラは『極夜-カーモス-』の事件を解決したものの悲劇的な結末を受け、ヘルシンキへ移る。警察上層部からフィンランドユダヤ人虐殺にからむ歴史の調査ともみ消しを依頼される。また同時に、ロシア人富豪の妻の惨殺事件を追う。しかしロシア人富豪の事件に関しては上層部からの干渉が入り、捜査が捗らない。それでもカリがたどり着いた双方の事件の深層は、フィンランドが抱える政治的有力者の腐敗にまみれた結果だった。
 と、ここまでが本作までに書かれた前2作のあらすじ。あらすじだけを追うとハードコアな印象を受けるが、主人公のカリ・ヴァーラはとても正義感の強いタフネスな警官でもあるが、優しさも全面にでてくる人物だ。合わせて、カリをとりまく人々も柔らかい感じを持ちあわせているので、事件の凄惨さとフィンランドの闇の部分が薄らいでしまっていてメッセージが伝わりにくかった。
 それが、本作『白の迷路』では一転して、非情なノワール小説へと昇華を遂げている。主人公のカリは上官に誘われるがまま警察内部の超法規的組織のリーダーとなり麻薬の取り締まりを進める。麻薬の没収もさることながら、麻薬で動いた金をも巻き上げる非情ぶり。前2作では正義に熱い男だったが、正義の向き先を変えたことでタフガイへと変貌を遂げている。本作の事件は移民擁護派の政治家の頭部が移民組織へ送られてくる。それを契機に黒人対白人の報復合戦がヘルシンキに広がっていく。結果的にカリは大きな痛手を受けながらも事件を解決するが、救いようのない闇へと墜落していく。
 本作では、暴力と麻薬と政治が大きく入り組んだメッセージ性の強い現代ノワールになった。表面上の「正義」を貫けば、深層的な「腐敗」を助けることになり、「腐敗」を除去しようとすれば、「正義」が成り立たない。政治家のコンゲームフィンランドの抱えるアンダーグラウンドを助長させ、更にはEU諸国の移民問題を中心とした有色人種と白人との対立、ユダヤイスラム、キリストの宗教的な対立の危険性をカリの目を通して強く訴えてくる。メッセージに含まれる闇はフィンランドに端を発し、EU連合という大きな枠へ広げている。ジェイムズ・エルロイが書いたLA4部作やアンダーグラウンドUSAシリーズとは違い、過去を抉るのではなく、現在の闇をフィクションを通じて暴き出そうとしているとことが、カリ・ヴァーラシリーズの特徴であり、ジェイムズ・トンプソンの思考なのである。
 著者のジェイムズ・トンプソンは残念ながら、事故で急逝してしまった。遺作でもあり次回作の『HELSINKI BLOOD』がどのような内容なのか興味深い。未完で終わってしまった『HELSINKI DEAD』で発信したかったメッセージも合わせて気になるところだ。
 余談だが、警察小説でもある『極夜-カーモス-』と『凍氷』はそれぞれ『SNOW ANGEL』と『LUCIFER'S TEARS』とどこか幻想的な響きだが、本作からは『HELSINKI 〜』となっており、本作は『HELSINKI WHITE』である。このタイトルの付け方の変更もジェイムズ・トンプソンの中で何かが大きく変わった現れなのであろう。

2015/02/06 asuka

極夜 カーモス (集英社文庫)

極夜 カーモス (集英社文庫)

凍氷 (集英社文庫)

凍氷 (集英社文庫)

65_僧正殺人事件

だあれが殺したコック・ロビン? 「それは私」とスズメが言った──。四月のニューヨーク、この有名な童謡の一節を模した不気味な殺人事件が勃発した。マザー・グース見立て殺人を示唆する手紙を送りつけてくる?僧正?の正体とは? 史上類を見ない陰惨で冷酷な連続殺人に、心理学的手法で挑むファイロ・ヴァンス。(表紙より)

今更言うまでもないが、ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』とならぶ2大巨頭。3作目、4作目とちょうど小説として完成され、ミステリ的にも冴え渡っていた時期だったのかもしれない。が、本当に2大巨頭としてカウントして良いのか。
本作は連載小説ということあってか、終始物語が動き続けている印象を持つ。マザー・グースの見立てた連続殺人が始まるが、最初の殺人は効果が大きかったが、第2、第3の殺人は見立てにこだわるあまり、窮屈で発展性のなさがある。そのせいなのか、所々でも取り上げられているが殺人の動機がまったくもって理にかなっていない。ヴァンスが苦し紛れにそう結論づけたのではないかと思われるくらいに破天荒なものなのだ。動機についてノーアイデアが祟って、犯人との心理戦を装った上にヴァンスのあの行動。連載小説だったからなのか、一番の見せ場を作る必要にかられて無理やりにどんでん返しを仕掛けたのもダインの苦肉の策だったのだろう。結局、最後の最後でヴァンスが事件全体の総括をするが、それに対しての採点が小説内ではされておらず、登場人物が「ヴァンスは過去3つの事件を解決したのだから今回もヴァンスの総括が正しいのでしょう」という日和見的に纏めてしまう。所詮、ヴァンスの推理の粋をでない説明なので、正直ヴァンス自体も見立て殺人についての動機の説明付けがわからなかったのではないだろうか。イコール、作者自身が動機に対して、さほど重きをおかず、見立て殺人というプロットだけを用いて、究極の一発勝負をかけたと推測されるのである。
結果的にその一発勝負が功を奏した。本作に先駆けること5年前にイーデン・フィルポッツがハリトン・ヘキスト名義で『誰が駒鳥を殺したか』を発表している。この作品もマザー・グースの同様の見立て殺人を取り扱っているが、見立て殺人としての要素が少ない。そもそも『誰が駒鳥を殺したか』はミステリというよりも恋愛群像小説としての色が濃いと思う。そこにもってきてミステリ作家としての知名度があるダインがマザー・グースの見立て殺人を完成させた。このタイミングが本作を見立て殺人の祖とすることに成功し、ダインの2大巨頭としての評価に繋がったのだろう。
上記はすでに数多の有名評論家が語り尽くしているので、殊更書かなくても良いと思うが、再読した機に吐き出してみたまでである。

2014/11/10 asuka

64_五枚目のエース

五枚目のエース (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

五枚目のエース (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

警官の目前で事故を起こした車には、シャベルとともに女の死体が積まれていた。運転手の男は逮捕され、死刑判決を受ける。執行まであと9日間。そこへきて元教師の素人探偵ミス・ウィザーズ首を突っ込んできた。「冤罪かもしれないわ」。旧友パイパー警部を巻き込んで引っ掻き回しては”容疑者”を集めていくが、しかし決定打がでない。カードも出尽くしてしまったと思われるところでミス・ウィザーズはある提案をする。「みんなを集めてほしいの」。5枚目のエースはすべてをひっくり返すのか−(表紙見返しより)

代表作の『ペンギンは知っていた』が本格ミステリだったのに対して、本作はデッドライン物ということもありサスペンス性が目立っていた感じがある。限られた時間で物語を決着させる必要もあり、普通のデッドライン物では時間(物語)が進めば進むほど、真相がどんどん見えていくものだが、パーマーはミス・ウィザーズという魅力的なキャラクターを最大限活かすためか、そんな当たり前な展開は用意してはいなかった。そこに本作の楽しさと驚きがある。ページが進めば進むほど、ミス・ウィザーズは切り札を奪われていって、万策尽きるまで追い詰められるのだが、思いつきの行動で思ったような答えが出ないため、続きどうなるのかと読者はヒヤヒヤさせられる。ミス・ウィザーズのキャラクターと破天荒な行動がユーモアを誘っていて、緊張感が薄くなりがちではあるが、事がうまく運ばないことでその緊張感を保っている。デッドライン物の特徴であるサスペンス性が失われていない。このあたりは、パーマーの上手さである。
結果的には最後の最後で起死回生の罠がドンピシャでハマるのだが、そこはもう少し罠を張る前に犯人解明の論理的なヒントが欲しかった。また、事件の真相に迫るにあたり、ミス・ウィザーズとは別の線を捜査していたパイパー警部の捜査結果などを絡めてもらい、パイパー警部の存在感を高めて上げても良かったのではないかとも思った。
本作が発売される前に『被告人、ウィザーズ&マローン』が発売されている。こちらは、本作の主人公ミス・ウィザーズとクレイグ・ライスが生んだジョン・J・マローンが夢の共演を果たしている。パーマーが執筆を担当していることもあり、雰囲気はミス・ウィザーズ物に近い感じを受ける。二人のドタバタコメディーを中心としているが、ミステリとしてもしっかりしているのでこちらも是非とも読んで欲しい。
ミス・ウィザーズものは『ペンギンは知っていた』といくつかの短編が翻訳されているだけなので、本書をきっかけに多くが翻訳されて欲しい。ミス・ウィザーズのユーモアをこのまま隠しておくのはもったいないと思うのは私だけではないはずだ。
タイトルの「The Green Ace」の由来がイマイチわかり難かった。暴君とのカードゲームなどで調べて見たがヒットしなかったこともあり、最後の切り札的なニュアンスは伝わって来たが、ちょっと消化不良。
2014/08/16 asuka

63_TOKYO YEAR ZERO

TOKYO YEAR ZERO

TOKYO YEAR ZERO

1945年8月15日、東京、品川の軍需工場で女性の腐乱死体が発見された。そして1年後に発見される第二、第三の死体……。敗戦を機に解き放たれた殺人鬼。そいつは何者なのか? それを追う警察もまた、その内部に大いなる秘密を隠していた。実在の連続殺人鬼・小平義雄の事件をモチーフに現代イギリス文学の旗手デイヴィッド・ピースが描く日本の「占領」とその闇。戦慄の超大作<東京三部作>開幕!(AmazonのHP 内容紹介より)
小平事件は本作をスタートとする「TOKYO YEAR ZERO」シリーズの足がかりに過ぎない。壊れているのか、壊れていくのか、壊されていくのか、読者はいつのまにか三波警部補が感じている不思議な感覚の只中に置かれる。脳がしびれるような文章が止め処もなく押し寄せる。その感覚の中、物語は進み、留まりまた進む。小平事件の真相を求めているのか、三波警部補を取り巻く歪んだ環境の真相を求めているのか。形取られていた戦後の風景が歪み、崩れていく。そして物語が進むにつれ、見え隠れする事件の真相と三波警部補の真相。しかしデイヴィッド・ピースはその真相の答えを簡単には教えてくれない。重要なのは小平事件の真相ではなく、主人公の三波警部補の視線を借りて書かれる戦後の東京の真の姿であり、三波警部補の真の姿なのであるというメッセージ。「自称通りの人間は誰もいない...。」この言葉のもつ意味はとても大きくて、重い。
注意しなくてならないのは、この作品は読者を選ぶということ。プロローグと第1章で容赦なく読者を篩いにかける。篩から落とされなかった選ばれた読者だけが、驚愕のラストを味わうことになる。これがデイヴィッド・ピースの洗礼なのだ。自分はヨークシャー4部作でデイヴィッド・ピースの洗礼をモロに受けた。「TOKYO YEAR ZERO」では作品に読者として選ばれた(ような)ので、読後の到達感と2作目以降への期待を手に入れることができた。特殊性から万人には強く薦めることはできないが、少しでも気になったとしたら是非挑戦してほしい作品である。
2012/11/26 asuka

62_俳優パズル

アルコール依存症の治療を終えたピーター・ダルースは、素晴らしい脚本に巡りあい、名プロデューサーとして華々しい復活を遂げるべく奮闘していた。だが、いわくつきの劇場で興行を打つ成り行きに、リハーサル初日からぎくしゃくした空気が漂う。難点だらけの俳優陣に加え、トラブルメーカーが乱入して、ピーターの苛々は募る一方。ついには死者複数を出して官憲の介入を許す事態に陥り、素人探偵の真相究明は時間との闘いを強いられる。果たして芝居の幕は上がるのか? 『迷走パズル』に続く、パズルシリーズ第二作。(東京創元社HPより)
「迷走パズル」につづき、「俳優パズル」までもが新訳で入手しやすくなった。嘘みたいにうれしい話だ。
「迷走パズル」は、アルコール依存症で入院していたダルースが、退院をかけて必死に謎を解いていった。今回の「俳優パズル」では、プロデューサーとして復活を遂げるために、芝居の幕をあげることで頭がいっぱいのダルースは積極的に謎解きに参加しない。ダルースに感情を移入しながら読めば、もっと芝居に集中させてくれという彼の思いがひしひしと伝わってくる。邪魔しないであげて欲しいという読者の声が聞こえてきそうでもある。
事件は容赦なく立て続けに起こるが明確な探偵役が不在なのが本作の特徴だ。「迷走パズル」でも登場したレンツ博士は控えめかつダルースの悪い病気が再発しないようにとお目付け役だし、クラーク警視も表立って捜査をしない。終始ダルースのプロデューサー復活目線で物語が進行していくので、いったいこの事件は真相にたどりつけるのかハラハラしてしまう。前日には芝居小屋がボヤになり精神崩壊寸前のダルースの姿を見ていても分かるとおり、ダルースは謎解き係りとしては機能しない。そして誰も事件のパーツを回収しないまま、芝居初日へ突入。驚くことに、芝居の初演を片目にで見ながら、レンツ博士が謎解きを始める。今までの伏線の状況説明と芝居初日にいたるまでのことの成り行きを丁寧に説明することで、もつれた糸がパラパラと解けだすではないか。当のダルースよりも読者の方がしてやられた感じになっている。そして大団円。芝居が終焉をむかえると事件も終焉を迎える。この芝居を成功させなければという緊張と事件が立て続けに起こっている緊張が一気にはじけるのだ。「迷走パズル」と「俳優パズル」の中心にいるピーター・ダルースというキャラクターに、いつの間にか感情を移入させられている読者からしてみたら、夢の魔法がとけたような読後感なのだ。「迷走パズル」と「俳優パズル」は2作で1作という感覚で是非とも読んでもらいたい。これから始まるパズルシリーズの幕明けにふさわしいできであることを保証する。

2012/10/15 asuka