2022年、印象に残った映画

ナンニ・モレッティ 『3つの鍵』
田中徳三大殺陣 雄呂血』
ハロルド・L・ミュラー 『怪人現る』
ホン・サンス 『あなたの顔の前に』
ジャック・リヴェット 『デュエル』
田中重雄 『花のいのちを』
横山博人 『卍』
堀川弘通 『学園祭の夜 甘い経験』
ジョン・ウォーターズ 『マルチプル・マニアックス』
ブレイク・エドワーズ 『ビクター/ビクトリア』
加藤文彦 『レイプハンター 通り魔』
フィリップ・ガレル 『涙の塩』

2021ベスト

去年は年初、外に出かけない時期があったので、例年より少なめの観賞本数、とはいっても250本くらいは観てるはずだけれど、ベストに挙げたい気持ちになるような作品が全然無かったので、今年は該当無し、0本です。

ってだけ書いて終わるのは、何とも寂しいので、補足を少し。

2020年のベストに挙げた『マイ・ビューティフル・デイズ』のジュリア・ハートの新作『アイム・ユア・ウーマン』をAmazon Prime Videoで観ました。最近の映画ではあまり見かけない省略の表現など、今作でも独特の個性が発揮されていて、面白かったです。
日本で未公開の『ファスト・カラー』、Disney+のみ配信のある『スターガール』とかも観てみたい。

あと、2018年に挙げた『きみへの距離、1万キロ』のキム・グエンの『ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち』 。こちらも配信でようやく観ました。前作と共通する、古典的ともいえる距離と時間へのこだわりが興味深く、今後も観続けたいと思いました。

注目している新しい監督は、今はこの二人くらいです。

特集上映では、桜坂劇場で開催された【沖縄映画大特集】。特に、謝花譲『ヤマングーヌティーダ』、吉田豊『金武湾 CTS タンク認可阻止闘争』は観られて良かったです。最高にフレッシュでした。こういうのはもうあればあるだけ観たい。

そういえば去年は、東京の特集上映で羨ましいものがいくつかありましたね。国立映画アーカイブの【没後40年 映画監督 五所平之助】、シネマヴェーラ渋谷の【日活ロマンポルノ50周年 私たちの好きなロマンポルノ】とか、いいなー…と思いながら、TLを眺めてました。とはいえ、ガラガラな映画館での、伸び伸びとした観賞にすっかり慣れてしまったので、もう東京のギッチギチ満席、整列入場とかには、もう耐えられないかもしれない。

ともあれ、やっぱり面白い映画の話題で、わーっと盛り上がりたいですね。

 

うちにきて、ふた月になる猫のこと

昨年末から、また猫と暮らしている。いつかまた、誰か(人間)と同居なり、あるいは結婚なり、をするようなことがあったら、そういう時には猫もいたらきっといいな…くらいのふわふわした希望は漠然と持っていたものの、猫を亡くして一年も経たないうちに、また別の猫と水入らずで暮らしている。ということについての説明はやっぱり必要ですよね…と、昨年末、友人が来沖した折に尋ねてみたら、「ああ あんなこの世の終わりみたいなブログを書いたんだし、まあそうだよね」と。私としても、この行き掛かりというか、巡りあわせというか、それなりの理由はあるので、説明をしようと。そう思ってから書くまでにひと月以上かかってしまったけれど。

 

うちから歩いて6、7分の距離に、私が週に2、3回通っている映画館があります。映画館の前には小高い丘になっている公園があり、その公園の映画館側の階段のなかほどに、その猫はいつもいて、いつ頃からだったかと写真フォルダを確認してみたら、いちばん古い写真は去年の8月だった。初めて遭遇した時からとてもよく懐いてきた猫で、通りかかるとすぐに身体を擦り寄せてくるし、階段に腰かけると膝の上に乗ってきたり、仰向けになってるお腹を撫でれば気持ちよさそうに為されるがままになったりしてた。たおは、お腹なんか絶対触らせない猫だったから、こんな猫もいるんだな…と思ったことを覚えている。

 

そうして映画館に行く時はいつも、今日もあの猫は元気にしてるかな、と確認するようになった。映画は一日に何本か観ることも多いから、まず一本めの映画を観る前に撫で、次の映画までの空き時間に撫で、最後の映画が終わってから、さよなら明日もお元気でって撫で、と常連のようになってった。すると気づく。懐いてるのは私に対してだけではなくて、お歳を召した爺さまにも、夫婦のようなカップルにも、若い方たちにも、誰にでもすぐ寄ってって、腰をトントンと叩かれて気持ち良さそうにしていたり、膝の上で寛いだりなどしている。私は基本的に、人間でも何でも、特別扱いや分け隔てのない対応をする方々が好きなので、そういうシーンを目にする度にますます、あれは良い猫だ、という気持ちを新たにしていた。

 

冬を迎えて気温も下がってきた頃、その猫が洟水を垂らしていたので、寒いのが苦手なのかな、暖かい居場所でも作ってあげたいな、と、YouTubeなどで猫ハウスの作り方を調べ、作ってみた。しかし、作ってみたはいいけれど、そのまま公園に置いたら管理の人に撤去されてしまうので、公園の境界のやや外側、民家とのグレーゾーンなあたりに適当な場所はないかと、またいつものように映画を観た帰りにうろうろ物色していた。その日も猫はまたいつもの階段にいるから、日も短くなって真っ暗な中、階段に腰掛けて、膝の上に乗ってきたのをぼんやり撫でたりしてた。
人が通りかかって、視界の端にその人からの、この猫を気にしているような視線を感じ、「とても人懐こいですよねー この猫」と話しかけてみた。「ですよね」って、会話が始まって、「でも人懐こいから、逆に心配なんです。警戒心がまるでないから、危険を察知できなそうで」と。「でも…そうはいっても、皆に愛されてる地域の猫を勝手に連れて帰れないですしね…」と返すと、「この辺り一帯の猫の面倒を見てるボランティアの方を知ってるので、よかったら紹介しますよ」と。要約するとまあそんな感じの会話があって、その、この一帯の猫の面倒を見てる方の連絡先を教えてもらって、連絡を取り、お会いすることとなった。

 

その方は、たまたま行ったことのある飲み屋さんの店長さんだった。お店に伺って、説明を受けた。その猫(牧志の猫というところからマキオ、また、シャム系なのでシャムオ、とか呼ばれているとのこと。私は私で、公園でどっかのおじさんにシロと呼ばれているのを聞いたことがあった)は、推定6歳、オス、去勢手術・ワクチン接種済み(補助金で賄い切れなかった分はその方の拠出による)、鼻炎持ち、前歯が無い(理由不明)、穏やかに見えて武闘派な一面あり、元はどこかの飼い猫だったようではあるけれど一年くらい前からこの公園で暮らしている。猫免疫不全ウイルス(FIV)感染症の検査で陽性だった為、保護猫の団体などに預けることができず、この公園で餌をあげながら見守っていたとのこと。なのでもしお家で暮らせるなら、猫の為にも嬉しいと。それを受け、現在、私のうちには居住している猫もおらず、他の猫に感染させる心配もないし、そういった事情であればなおのこと是非にと、引き取らせてもらうこととなった。使い道の無くなった私の手作り猫ハウスはその方が貰ってくれて、代わりにキャリーバッグをいただいた。その場で譲渡契約書に署名捺印をして、正式にうちの猫となった。

 

というような経緯で、一週間くらいのトントン拍子で、その猫と同居することとなった。うちに来るにあたって、これから呼ぶことになる名前をいくつか考えたけれど、しばらく色々呼んでみて反応する名前にした。結果、「あめ」となった(今は、あめさん、あめたま、アメオ、アメ公…とか、状況に応じて適当に呼んでいる)。

 

猫も二度目なら、少しは上手に…くらいの感じで、まあ経験もあるし…と、新たな猫と暮らすことについてはそれほど重く考えてもいなかったけれど、猫といってもそれぞれ違うもので、暮らしてみて想定してなかったことも色々とあらわれてきた。その中のNo.1は、多くの人に愛されてきたこの猫の人懐こさを、私一人だけで受け止めなければならないことからくる問題。愛されること、構われること、それは当然のこと。と思っているのか、とにかく日々、構えよー、遊ぶんだよー、ご飯足りないよ!腰トントンしろよー と、とにかくもう要求が激しい。特に朝の4〜5時頃に必ず起こしてくるのが大変。疲れて寝た日の翌早朝に、猫手で頭をちょいちょいされるのをいなして、そのまま寝落ちていると、とんでもない大声でンニャァーーーと鳴かれる。ちょっとーそんな声 外じゃ聴いたことなかったよ猫なのに猫被ってるってさー とかごちつつ、眠さを堪えて彼の活動に付き合う。ペット可物件とはいえお隣さんたちへの配慮から、早朝大声の放置は出来ない(けど聞こえてるだろうな…)。


ふたつめは鼻炎問題。野良時代の洟水について、きっとこの冬の寒さで風邪をひいたんだ…って勝手に思っていたけれど、実際はアレルギーによるもので、これはなかなか治らないらしい。おっさん然とカーッと痰切ったり、フンッと勢いよく洟水を噴いたりするのを見ながら、君は自由でいいな…と感心しつつ、日々、ティッシュでその鼻を拭い、床を拭き、タオルケットの洗濯をしている。洟水は時間が経って固まると剥がすのが面倒なので、柔らかいうちにすぐ拭き取るのがコツ。

当人は鼻づまりで息苦しいのかもだけど、スピスピと寝息をたてている様子はそれはそれとして可愛く、愛おしいものではある。

 

等々、いろいろと先が思いやられるところもあるけれど、そういった困りも込みで、楽しい日々なのかな、って感じです。あめ、感染症のキャリアではあるけれど、適切な環境で暮らしていれば発症することなく天寿を全うできる猫も多いというし、健やかに、できるだけ長生きして欲しいな、と思う。楽しく暮らそう。

 

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その後のこと

先日の日記の後、荻窪の先生に報告と感謝の気持ちを書いた手紙を送った。しばらくしたら綺麗なお花と、カラフルなスタンプに彩られたかわいい手紙が届いた。過去のカルテを遡って、当時のたおと私のことを思い出して書いてくれて、お互い体に気をつけて頑張りましょうね!と結ばれていた。私たちは本当に良い先生に巡り会えてたんだなとあらためて思った。

 

花と手紙は遺骨の周りに飾った。花は萎れてしまったからもう無いけれど、手紙は今も、たおがいつも私のところに持ってきてくれた犬のおもちゃと、猿のおもちゃと一緒に並べてある。キャリーバッグは友人が貰ってくれた。たおが死んだ後、何人かの友人が言葉をかけてくれたこと、それぞれから見えた印象を伝えてくれたこと、とても嬉しかったです。

 

骨は、アンプの上から電子レンジの上に移動させた。ご飯と水を替える毎日の動作をいきなり止めるのが不自然な感じがして、今も出かける前には、お皿の水を替えている。電子レンジの上はそれにちょうど良いので、自然と場所はそこになった。

 

でもこの水やりもいつまでやってるかわからないし、そのうちなんとなく止めてしまうのかなとか、やりながらつい思ってしまう。なので、先日ホームセンターで、バジル、トマト、紫蘇の苗、イタリアンパセリの種を買ってきて鉢に植えた。まともに植物を育てたことがないのでちゃんと育てられる気がしないけれど、ルーティーンで水をあげることくらいは多分できるから。

 

死んで一週間くらい経った頃、たおが夢に出てきたことがあった。何故かたおは二匹いて、一匹はたおの抜け毛を集めてできた古いたお、もう一匹は古い毛を落としてさっぱりとした新しいたお。でもどちらも本物のたおで、増えてる!って思った。私は、たおAをジャンパーのお腹のところに隠して、たおBはポケットに隠して、職場の皆にバレないよう注意をしながら仕事をしてた。その後にも一度、たおが一匹だけ出てくる夢を見たけれど、内容は忘れてしまった。

 

おととい、久々に一人で飲みに行った。二軒、どちらもたまたま店長さんが数ヶ月前に猫を飼い始めたばかりということもあってお互いの猫の話をよくしたので、報告をしなきゃいけないようが気がして。一軒目ではいいだしかねて結局話せずに終わったけれど、二軒目では話をした。でもどこか他人事みたいな感覚で、感情的になることもなく、淡々と、この2ヶ月はこんな感じだったって説明をしてた。予想してたことではあるけれど、やっぱりどんどん遠くなってしまうんだなと思った。

 

夢の中ででも会えるのならずっと眠っていたいって、実際寝てばかりいたのだけれど、こないだみたのは、道端で知らない白いムクムクした犬みたいな親猫と、二匹の生まれたばかりの白猫と、茶色っぽい子猫を拾って、どうしようって困ってる夢だった。

 

ここには書かないあれこれがあって、彼女と別れた。別れはしたけれど、なんとなくではなくて、ちゃんと思ってたことを伝えてくれて、本当に優しい人だなと思った。今でも思い返すと笑ってしまうような楽しい出来事が、一緒にいた間、沢山あった。

 

うちの猫、たおのこと

2/19(金) たおがご飯も食べず、水も飲まなくなって、二日ほど経った。なので病院へ行った。病院で医者に出されたちゅーるは舐めてたので、少し安心。とりあえず水分補給の為の補液と、食欲増進の薬、吐きけ止めなどを処方された。

 

2/21(日) その後も、ちゅーるは舐めるけれども、その他の、普段なら喜んで食べる様々な好物を出しても食べないし、水も飲まないという状態。また病院で補液。

 

2/23(火) 食欲が改善されない。病院で、補液に加えて、エコー検査と血液検査もしてもらったけれど、異常は見受けられず。診察の最中に、アシスタントの女性がたおの右脚が腫れていることに気づいた。細胞を採取して、内地まで検査に出すことになった。検査の結果が出るまで一週間程度かかるとのこと。

 

病院の後、お昼過ぎ、新都心公園へ、彼女とたおと三人で日向ぼっこをしに行った。私はいつものランドセルみたいな形のキャリーバッグを背負って、スクーターで。彼女は自動車で、現地で合流。たおはキャリーから一歩も外に出なかったけれど、春の日差しの暖かさを感じているようではあった。

帰る直前、どっかのおじさんがたおを見て、うわー 可愛いネコチャンだねー、ねずこみたいだね!って話しかけてきた。ちっちゃいけどもう12歳なんですよっていったら、子猫かと思った!っていってた。彼女は「ねずこ」に「?」ってなってたので、『鬼滅の刃』の主人公の妹だよって教えてあげた。実際、私はキャリーを背負って炭治郎みたいだし、間違ってはいないな…みたいなことをいったら、二宮金次郎と勘違いしてた。まあ似たようなスタイルではあるけれど。

 

メインプレイスのサンエーで、たおの好きだったささみのおやつを購入。帰宅後、お皿に出してみたら食べてくれて、大喜びした。久々、一週間ぶりくらいの、たおが自らする食事。

 

2/25(木) 補液の為に病院へ行った。この頃は、ちゅーるを目の前に出しても自分からは舐めないけれど、鼻につければ舐め取るということに気づいたので、そうやって栄養を摂らせてた。

 

2/26(金) 荻窪に住んでいた頃にお世話になっていた動物病院の先生に相談にのってもらおうと思い、電話をした。休診だったので翌日あらめてかけることに。

 

2/27(土) 荻窪の動物病院に連絡。先生、快く相談にのってくれた。こっちの先生の意図も想像しながら丁寧に説明をしてくれた。こっちの先生はあまりちゃんと説明してくれないから不安に思っていたのだけど、やってること自体は間違ってないようで、それを確認できてほっとした。私の伝えた症状から、肥満細胞種の可能性を示唆された。

 

2/28(日)  病院で補液。検査結果が出ていた。アポクリン腺腫/腺癌という診断。これは投薬では治せない、手術で切除するしかないという話。大腿部全体に広がっているので、右脚を丸ごと切除するしかないとのこと。その場ではこたえを出せず、一旦持ち帰ることに。夜、たおが久々にうんこをした。

 

3/1(月) また、荻窪の動物病院に電話。検査結果の報告をした。脚を切断して片脚になっても生きていてほしいから、手術を受けさせるつもりであることを伝えたところ、でも、もし、転移してたとしたら手術をしても負担になるだけなので、手術の前に、まず肺のレントゲンを撮ることを勧められた。

 

この晩、たおは普段滅多に行くことのない、風呂場、浴槽の中などをうろうろしてた。水道から水を出してみたら、少し飲んだ。とても嬉しくて、動画を撮って、彼女に送ったら一緒に喜んでくれた。

 

深夜になって、右の前脚も腫れていることに気づいた。なんとなく視界に入ってはいたのだけど、補液の水分がたぷんたぷんしてるだけだと思い込んでいた。触ったら、後脚と同じような腫れだった。悲しくて、声を出してわんわん泣いた。

 

3/2(火) 有給休暇を取って病院へ。受付の方に、前脚にも腫れが出てきてることを伝える時、声が詰まって、泣きそうになった。

先生に診てもらっても、前脚の腫れは後脚と同様のものだろうということだった。念のために撮ったレントゲンにも、うっすらとした影が映っていて、もう手術はできない段階になっていることが見てとれた。治せる見込みはないけれど、抗がん剤を使いますか?と聞かれ、いや、いいです、使いません、とこたえる時に、また少し泣いてしまった。補液して帰宅。

 

3/3(水) 深夜、彼女が泥酔状態でうちにやってきて、「たおちゃーん、たおちゃーん、どこー、どこー」とかって大騒ぎして、そのうち勝手に眠ってしまった。死にゆくたおとの残り僅かな時間を穏やかに過ごしたいのに、この方は一体何のつもりなのだろう…と正直思ったけれど、しばらくしたら、たおは私の横から離れて、寝てる彼女の隣に寄り添って、背中に背中をくっつけて寛ぎ始めたので、おかしくてちょっと笑った。当たり前のことだけど、猫には猫の気持ちがあり、それは私の思いとは異なるものだと気づかせてくれて、とてもよかった。寝返りをうつ際に潰されないか、少し心配はした。

 

3/4(木) 早く上がれた仕事の後、補液の為に病院に行く途中、とても天気が良かったので少し遠回りをして与儀公園に寄った。3、40分くらい、たおの入ったキャリーの蓋を開けて、公園をぐるっと散歩した。夕方の、斜めに差す光が綺麗だった。

 

この頃にはもう、ちゅーるを鼻につけても首を振って払ってしまうようになっていた。水すらまったく飲まないし、お家の最終点検も終えたのか、定位置となっているベッドの端っこで、香箱を組んで静かにしてることが多くなり、もう自分でも死期を悟って心を決めたのかな…と思ってた。

 

3/7(日) 病院で補液。補液をした後はトイレに行くタイミングもわからないのか、一度は粗相をしてしまう。それに加えてとてもダルそう。かなり悩んだけれど、結果、補液するのはこの日で最後になった。

 

3/8(月) 久々にうんこをした。とっても小さなうんこ。嬉しくなって写真を撮って、彼女にLINEで送った。

 

3/14(日) 休日。三人で緑ヶ丘公園にピクニックに行った。とても日差しの強い春の日で、日陰に入ったり、また陽にあたったりして、1時間くらいを過ごした。

 

補液をやめてしばらくしたら、たおは自分で水を飲むようになった。うまく舌を使えないのか、下顎を水に浸して、口内に水を貯めて、それを飲み込んでいる。飲んだ後は下顎の毛に水滴が沢山付いていた。

 

水は飲んでも栄養はまったく摂れていないから、すっかり痩せて、足取りもよろよろしてるけれど、トイレには自分で行くし、私が仕事から帰ってくると玄関まで迎えに来て、声にならないような声でニャアといったり、トイレに向かう私の後からついてきたりもした。その度に私は泣きそうになったり、泣いたりした。たおとふたりの時、感極まって、なんでだよー、死なないでよー、いかないでよーって、泣き喚いたりしてた。

 

この頃、たおはやや下痢気味になっていて、でも飯も食わないのに薬を飲ませるというのも辛そうだし…と悩んでたのだけど、アレルギー持ちだったたおのいつもの薬、アポキル錠をあげてみたところ、すっかり改善された。この薬も荻窪の先生が勧めてくれたもの。本当に長いことお世話になった。感謝しかない。

 

3/21(日) 友達のY君が遊びに来てくれた。オーガニックのちゅーるっぽい猫ご飯をお土産に持ってきてくれて、出したら、何と食べた!とても驚いた。たおの久々の食事。

 

3/22(月) たお、この頃にはもうすっかりちっちゃくなって、子猫のよう。

 

3/23(火) 深夜、眠っていたら、トイレの方からガタガタ音がしてるのに気づいた。たおがトイレに入ろうとして、でもうまく入れない様子。胴を軽く持ち上げ、入れてあげたら、小をしたけれど、その後も様子がおかしい。下半身が思うように動かないようで、前脚だけで強引に身体を引き摺っている。突然のこの事態に本人も納得できないみたいで、うるるる、うなー!うなー!と、ひと月まともに飯食ってないとは思えない大声で叫んで、憤りを示していた。宥めようと頭を撫でようとしたら、左の人差し指をゴリっと本気噛みされた。落ち着くまでにどれくらいの時間が経ったろう。2時間くらいだったような気もするし、20分くらいだったかもしれない。たおがこういう状態になる直前、寝てる時に自分が蹴ったり潰したりしてなかったか、寝てる間のことだから分からなくて、今でも気になってる。

 

3/24(水) 下半身が動かないことも受け入れて、諦めたかのように静かになっている。香箱も組めないし、自分で寝返りをうつこともできないので、寝返りをうちたそうな時は、力が入らずふにゃふにゃになってる下半身をその方向に動かした。彼女は数ヶ月前に愛犬を亡くしたばかりで、こういうこともよく教えてくれた。

 

3/25(木) 朝、仕事に出る時、身体を撫でてみたら、ものすごく身体が冷えていた。下半身は死体のように冷たくなっていて、もう今日一日ももたないだろうと察して、彼女にLINEで伝えた。この日、彼女は仕事休みで、たおを見にきてくれることになってた。12時の少し前に、亡くなったと連絡をくれた。しゃっくりみたいなのを繰り返した後、スーっと息を引き取ったとのこと。

仕事を早くあがらせてもらって帰宅した。生きてるみたいな顔してた。抱いてみると、私の呼吸で一緒に動くから、余計にそう感じた。

でも、一晩一緒にいるうちにだんだん死んだ猫の顔になっていった。何ヶ月か前、交差点に轢かれて死んでた猫がいた。コンビニでレジ袋を買って、うちまで運んで、タオルで包んで弔った猫と同じ、死んでしまった猫の顔。たおという存在が、本当にこの世から失われてしまったことを知った。

 

3/26(金) 朝、彼女が車を出してくれて、農連のお花屋さんで南国的な花を見繕ってもらって、前日に予約をした豊見城のペットの葬儀屋で11時から火葬をしてもらった。ネットで検索して、ここが一番いいような気がする…って感じで決めたのだけど、行ってみたらえらく貧相なプレハブ小屋だった。ここ、なんか来たことある気がする…って彼女が行ってたのだけど、しばらくしたら、あ!隣の葬儀屋でおじいさんの葬式してた!っていってた。

たおのお骨は合祀してもらうつもりだったのだけど、そのペット葬儀屋さんに、骨を入れるスペースが実はもうあまりなくて、今後、骨を入れ替えてゆかざるを得ない。将来もし、お参りにきてくれてもこの猫の骨は入ってない可能性もある。なんという話をされて、結局、骨は持って帰ることになった。

火葬の間、近くのラーメン屋で食事をした。通りかかって私がなんとなく決めたのだけど、彼女はおじいさんの時もここで食べたという。私は味噌ラーメン小とご飯と餃子のセット。彼女は中華そば小と餃子。火葬には1時間程度かかるという話だったけれども、だいぶ早い時間で連絡が来た。もともと2.7kgしかない小柄な猫だったけれど、このひと月で半分くらいになってたろうか。持ち上げる度に、どんどんふわふわと軽くなってるものだから、なんだか天使みたいだね、たおは天使猫だねー なんて、独り言みたいなことをいったりしてたことを思い出した。

 

骨を拾って壺に詰めて、部屋に戻って、今後のことなどを話した。

 

 

3/27(土) 休みの日。久しぶりに映画館で映画を観た。『トキワ荘の青春』。

このひと月の間『バルタザールどこへ行く』も『クラッシュ』も『れいこいるか』も『Dauナターシャ』も『二重のまち』も観逃したけれど、どうでもよかった。と思いながらも、その時々にかかってる映画を、よせばいいのに、検索して確認することはあった。

 

たおの余命が僅かであることがわかってから実際に死んでしまうまでの間、仕事以外の時間は、スーパーでの買い物などを除けば、ずっと家で過ごしてた。家にいるとアルコールを摂取せずにはいられなくて、昼間からずっとだらだらと飲んでいたから、この頃にはだいぶ体調が悪くなってた。酔っ払った頭で、延々これまでのことやこれからのことを、あれこれ考えたり思い出したりしてた。

 

そもそも、一回も来たことない沖縄に引っ越すことにしたのも、たおには東京の気候は寒すぎて合わないから、暖かい土地へ連れて行きたいというのが一番の理由(二番目は私も寒いのは嫌だという理由)だった。きっと20歳くらいまで生きるだろうって思ってたから、その頃には私もほとんど老人になっていて、そしたらたおが死んだ後もきっとそのまま、死ぬまで沖縄にいるんだろうなって想定をしてた。なのにもうたおが死んでしまう。私はまだ老人にはなってなくて、それでもこれからもここにいるのか。そういうことも考えてた。

 

たおが死んだら、猫トイレとか猫ご飯スペースも必要なくなって、そういうのを片付けたらきっと部屋が広くなって、寂しさを感じたりするんだろうなとか、たおがいなかった頃の毎日退屈ばかりしてた生活にまた戻るのかな…とかも想像してたけれど、実際いなくなった家に帰ってきてみたら逆に、たおと私が一緒に暮らしてたというのはぜんぶ夢の中の出来事だった、みたいになってた。

 

うちには猫用の家は置いてなくて、寒い時なら一日中点けっぱなしのAVアンプの上だったり、私のベッドの端っこが定位置だったりしたし、キャットタワーもなくて、棚とか冷蔵庫とか電子レンジを足場になるように配置して、ロフトとか高い場所まで登れるようにしてただけので、猫がいなくなったらそういった工夫から意味が失われて、何の変哲も無いひとり暮らしの部屋に見えた。

 

仕事を終えて、家に着いて、玄関を開けて暗い室内に入る。足元に絡みついてくるのを踏んづけそうになってないか注意してる。枕の向きを東側から西側に変える時、ベッドの端の柔らかいやつを蹴っ飛ばさないか、なんとなく意識してる。そんな時に、ああ、もういないんだった…って今はまだなってるけど、そのうちに、この感覚もすっかり忘れてしまう。だから書いておかないとと思って、かけた電話の履歴とか、撮った写真の日付とかを確認しながら、その時の出来事をまとめておくことにしたんだった。気にかけてくれた人たちに、たおが亡くなったことを伝えたかったのもあったし。

 

 

本当は、たおと一緒にいることが私のしたかったことなのだから、そのことだけをちゃんとすべきだったのに、実際はやらなくてもいい余計なことばかりをしてた。時間を浪費してしまった。その浪費のおかげで、最期に美味しいご飯を持ってくれる友人もできたし、みんなでピクニックもできたし、死に際を看取ってももらえたのだけどそれでも、もっともっといっぱいやれることがあったのにって、毎日ずっと後悔ばかりしてる。でもきっと、写真や動画に撮ったことや、書いておいたこと以外の出来事や感情は、今までもそうだったように、ほとんどすべて忘れてしまう。今、もう既に薄れつつあって、やりきれない気持ちになってる。虚しすぎる。多分今日も酔っ払って眠ってしまう。

 

ひとまず荻窪の動物病院の先生に、お礼と報告の手紙を書いて、贈り物を買いに行かないといけない。それから、たおの話をした、猫好きの飲み屋さんの人とかにも伝えないとだけど、まだ気が進まない。

 

うちはAmazonの定期おトク便で猫ご飯とか猫砂を買ってたんだけど、便を停止するにあたってその理由を入力する欄があり、選択肢に「必要がなくなった」って項目があって、そうだね、必要なくなったんだよ、だから何だよ、って気持ちになった。

 

購入済みの在庫猫ご飯は、近所の猫にあげてる。今朝、洗濯物を干す時にベランダから見下ろしたら、向かいのホテルの駐車場で、その猫が日向ぼっこしてた。

 

猫トイレとキャリーバッグはおととい洗って消毒した。とりあえずロフトに投げてある。

 

 

2020ベスト

・クレイグ・ボロティン『恋に焦がれて』(1992) Amazon Prime Video

・ジェローム・ゲイリー『ショーダンサー/Stripper』(1985) Amazon Prime Video

・ニック・ハム『ジョン・デロリアン』(2018) 桜坂劇場

・ジュリア・ハート『マイ・ビューティフル・デイズ』(2016) 桜坂劇場

 

 

今年はコロナ禍があり、今もその渦中で、一年を通じてそれに伴う色々があったけれどそれはそれとして、自分としてはもっとゆったり穏やかに暮らしたいってしみじみ思った年だったな。何かっていうとバタバタわさわさ追い立てられるような時間を過ごすことが多くて、息をフーって吐いて、とりあえずその場に合わせてやり過ごすみたいな。

 

今は12月30日の5時過ぎ、昨日早い時間に眠ってしまったから目が覚めて、お茶とか淹れてぼんやり過ごしてた。外は雨が降ってるけど気温は低くなく、適度な湿り気があって心地よい。急いでやらなきゃいけないこともなくて、猫も元気だし、足りないものは何もないって感じ。こういう穏やかさを、何かを捨てたり諦めたりすることになっても、もっと本気で求めていかないといけないような気がしてきてる。とはいっても実際うまくやるアイデアは今のところ無いのだけど。

最近友人が、映画についての文章を書いたよって連絡をくれたのが、一番心の温まった出来事でした。嬉しかったな。

 


2019
年のベスト
https://autoproc.hatenablog.com/entry/2020/01/04/153245

2019ベスト

クレール・ドゥニ『ハイ・ライフ』
・パベウ・パブリコフスキ『COLD WAR あの歌、2つの心』
アリーチェ・ロルヴァケル『幸福なラザロ』

 

沖縄に引っ越して一年経って、何かいろいろ書きたいようなこともあるのだけど、まいっかという感じでなんとなくそのままにしてる。日記も書かなくなったし、ツイッターも同様で、でも後から思い出せなくなりそうだから何かしら記録はしといた方がよさそう。

東京と違って名画座も国立の映画施設も映画祭もシネクラブ的なものも無いので、ベストといってもコンセプトが全然違うものになる。過去と現在を重ねてそこに何かを見出そうとしてたかつてのベストと比べると、ここでかかってる今の映画の中から選んで並べてみただけなので特に面白みが無い…。コンセプトが無い。といっても、東京に住んでた2018年のベストを見ても似たような感じだから、まあどっちにいてもほとんど変わらなかったのかもしれない。観た本数は多分250本くらい。そんなに減ってない。何か工夫が必要なのだろうな。


2018年のベスト
https://autoproc.hatenablog.com/entry/20181229/1546094393