閑話休題:デートの気配り

映画を見て食事をしてウインドーショッピングを楽しむ。
 
極々一般的なデートスタイル。
付き合いの浅いカップルの場合には非常に楽しく新鮮なもの
としてお互いの腹の探り合いが水面下で発生する非常に
楽しいイベントでもありますw
 
しかしながら、多くの場合、相手を好意的に見るために
本来なら嫌な部分というところには目を瞑りがちです。
 
例えば、食事のマナーが悪い、食べ方が汚い、店員に対して横柄
ウインドーショッピングで自分勝手なペースで見て回り気がついたら
居なくなってる、たかるw
 
 デートというのは、2人行動が原則ですから相手に合わせることや
最低限の協調性、品格維持を要求する高度な対人戦と言えます。
故に、上で挙げたようなマナーミスをすれば、当然マイナス評価を
下されるでしょうし、最悪相手が引いてしまうというのは
否めないでしょう。
 
 もっとも、これがある程度「なあなあが許される間柄」なぐらい
親しい関係があれば気にならないレベルであることも多いのですが
付き合いの浅い場合には、そういうワケには行きません。
 
 以前、マナーについて触れたことがありますが、そうした部分で
だらしない人というのは恋愛に対してもだらしないと言えるでしょう。
言葉が悪い言い方をすれば「男にだらしがない」「女にだらしがない」
であるとか、「恋愛に対して無頓着」とか。
 
 ちなみに、結婚や恋愛に強い憧れを持つ女の子は多いのですが
これが極端になると、青い鳥症候群(私の幸せはここではないとして
次々と相手や職業を変えること)に走ったりすることも少なくは
ありません。
多くの場合、自制しようとするあまり、勢いで結婚妊娠する
パターンで自爆するという人が意外と多いのです。
これは女性に多く観られる傾向で男性には少ないようです。
このパターンの女性は自分の境遇に常に不満を抱きズレた上昇志向を
持っていたりするのですが、身分不相応な傾向が強く
恋愛・結婚は長続きしないか常に爆弾を持った状態が続くという
非常に恐ろしい人種であると言えます。
一番大変なのは、相手と子供で、その次に周囲の人間関係が
巻き込まれるため、怨恨を呼んで事件化することもあり
気付いた時点で深入りしないのがいいかもしれません。
 
まあ、デートから結婚までは遠からずかもしれませんが
デートから見える結婚後ということは想像しておくのも
アリかもしれませんね。
もっともこんな人種に遭遇するのもレアケースでしょうけれどw

35.別れの方程式

 出会いがあれば、必ず別れがあります。
恋愛、結婚、どちらにも別れはつきものです。
 
 始まりに理由なんてありませんが、別れには理由があります。
所詮は他人である以上、どこかで埋められない溝が深まったり
歩み寄れない平行線がいつしか幅を広げてしまったり。
或いは、先立たれたり。
 
 恋愛にしろ、結婚にしろ、相手の最期に立ち会えるなら
まだ幸せかもしれません。必ずしも相手の最期には
立ち会える保障はありません。
 
 恋愛の別れはもっと気楽でいいかもしれません。
自分にも相手にも、次に出会える人とのチャンスがあります。
故に、別れは出会いの一歩だと前向きに考え
自分を磨きたいものです。
 
 別れは辛いものです。
お互いに深く傷つき、涙することもあるでしょう。
お互いの将来の幸せのための別れを望むぐらいの
心の余裕があれば、あの時お互いに傷つかずに
済んだのにと過去を振り返りつつ、歩むのが
大人としての成長かもしれません。
 
 昔の恋が色あせたアルバムを見るかのように
思い出として残るような、そんな心の1ページに
紡いでいくことで、その人の歴史になるのだと思います。
 

 
 
 
柊木彩弥です。
夏コミも終わりまして、いよいよ冬コミの申込を完了させたら
夏も終わりますね。
今回は、夏の暑い真っ盛りに別れネタをやってみました。
 
人間、日照時間が長いと行動的になり、必然的に恋愛衝動も
高まるそうです。しかしながらこれから迎えるのは
日照時間が短くなっていく季節。
当然ながら、恋愛衝動が収まり一夏の恋が終わるかのように
恋愛や結婚に終止符を打つ…という傾向が強まるそうです。
 
 打算的な恋や結婚生活をしている人はどこかで終止符を
打つ機会を見計らって新しい道を進む人も多いようで
こんなところにも動物的な行動が垣間見えるようです。
 
 もちろん、別れを踏み台にして自己を成長できるのが
ベストではあると思うのですが、青い鳥症候群のように
あちらこちら飛び回ってたりしていると、周囲からは
白い目で見られたり…。
当然、長続きせず「こんなはずじゃなかった、次!」
と軽はずみな恋愛や結婚を繰り返している人も。
 
 本人は良くても、振り回されるお相手はいい迷惑ですが。
故に、地雷などと言われたりしますが、この手の人は
いつか自爆を踏むことで、過去の過ちに気付くことも
あったり無かったり。
大抵、周囲の人間からの評価は「やめときなーアレは」
と言われているので、注意していれば地雷だと気付くでしょう。
 
 いやはや、自分自身が地雷にならないように
心掛けたいものですねえ…。くわばらくわばら…。

34.裕福であるのは心か財布か

 極端な例ですが、みなさんはどちらを望むでしょう。
・「貧しいが笑顔が耐えない家庭」
・「裕福だがギスギスした家庭」
 
 まあ、どっちだって一長一短あるわけです。
精神的な心の豊かさか、財布の経済力か。
貧しさか、ギスギスした精神的重圧か。
 
 なんとなく、近頃は裕福でも心の貧しい家庭が増えている
ような悲しいニュースが多すぎるような気がします。
人間ナマモノですから、感情に左右されるということは非常に
多いこともあるでしょうけれど、そんなときにこそ、心の
貧しさや裕福さというものは発揮されると思うのです。
 
 お金で愛は買えませんが維持は出来ます。
しかし、心の豊かさや優しさというものは、その個々人が
持ってその人生で成長させてきた結晶のようなもの。
揺るぎないものなのです。
 
 企業のトップに立つような方は、その社内方針にも
そうした面が出るようです。
社員をファミリーとしてとても大事にするか。
それとも、ただの使いゴマなのか。
 
 会社というのは、会社としての人格や株主への還元性から
非常に公共性や成長を求められます。が、そこで働く社員や
従業員がその会社を好きで一緒に成長しなければ、惰性でしか
ないのです。海外のある企業では、従業員数が数千人規模で
社内敷地内に病院や銀行、保養施設、レストランを完備。
いずれも会社負担で賄われいる上に、それらの施設の従業員も
また、その会社の従業員なのだそうです。
その会社の方針としては、従業員が会社を好きになって
頑張ってくれるのなら、会社は従業員のためにも還元するのが
アタリマエ。共存共栄が成り立てば、離職率も限りなくゼロで
いつまでも頑張って働いて貰える。
 
 これは、会社のトップにいるヒトの心がとても裕福だったから
こそ、会社も、従業員にも裕福になりましょうという一例。
ところが、今の日本の企業では、これを実践するトップは
おかしいんじゃないかと言われるぐらい、従業員への冷遇が
横行しています。
 
 もっとも、最近ではソフトバンク日本テレコム
庭園の中のような業務空間をフロア内に設けて、自由に業務が
行えるような本社業務が行われ、社内レストランに至っては
1フロアがまるまる全部レストラン。
各メニューごとに分離厨房が存在し、さながら巨大なセルフ
サービスレストランのようでもあります。
非常に評判もよく、好評な上、日本ではあまり無かったスタイル
なので毎週のように取材撮影が行われているようです。
 
 つまり、経済的な裕福さというものは所詮は
現金でどうにかなってしまえるもので、心の裕福さというのは
決して現金では買えないものなのだということです。
 
 巷で流行りのセレブに憧れるのは、誰にでもあることですが
それは自分に無いものだから憧れるのであって、そこに価値を
見出さない者には、憧れでもなんでもなくただの虚像でしか
ありはしないのです。
 もちろん、セレブに価値を見出せるのであれば、そこに
尽力することで、セレブの一片でも取り込みたいと思うでしょう。
それはその人にある価値観であって、誰もがというものでも
ないのです。
 
 セレブなものに価値観を見出すか。
 愛しい人や家族の笑顔に価値観を見出すか。
それは、その人それぞれの価値観であり、心の裕福さを映す鏡でも
あるのです。
 
 
 
 柊木彩弥です。
7月ですねえ。梅雨ですねえ。雨ですねえ…(;x;)
心の裕福さと財布の裕福さ。
お財布の裕福さって有限なんです。食い潰したら終わり。
でも心の裕福さって、無尽蔵でしかもレア。
どちらも持ち合わせている人なんて、それこそ日本に何人いるだろう
ってぐらい少ないかもしれませんが、まあ、そこそこいるかもしれません。
それでも、目先の経済力よりかは、心の裕福さのほうが
私には価値があると思うのです。
もちろん、それでメシが食えるということではないのですが。
 
1年ほど前には、なんだか色々と思い悩んだような時期も
あったような気がするんですが、価値観が違えば対立した
ところで平行線のままだし、そもそもが無駄な議論で
お互いが自己の正論を振りかざす以上はどうにもならない
というのが結論なのだとよーくわかったので、結局は
妥協や歩み寄れる心の裕福さや心の広さ、許容性という
ものを持ち合わせていないと、人付き合いが難しい人物
という存在に気付いただけでも心を痛めた価値がある
ってもんだと学習いたしました。
 
 人間、面白いものでイヤなことは忘れるように出来ている
ようで、もはやそれら人物の顔や声すら思い出せませんw
(まあ、見れば解るんでしょうが)
どんな顔だったかな、どんな声だったかな?と思い返して
見ても、ぼんやりと思い出せないのです。
せっかく貴重な学習を得るきっかけの人物なので記念に
思い出せても良さそうなモンですが、記憶の片隅から
発掘できないので、そのまま埋め立てておくのがいいの
かもしれませんね。
 
 というわけで、2連続とか久々に更新してみました。
次の更新はいつかしら…(トオイメ

33.過去のヒト、未来のヒト

 昔好きだったあのヒト。昔付き合ってたあのヒト。
思い出すと、甘酸っぱいような切ないような、そんな思い出が誰にでも
あるかもしれません。
 
 あの時、あんなに一生懸命だったキモチや行動力。
そして、夢中になっていたあの輝かしい日々。
 
 ふと。
 
 そんなヒトに、再会する機会というのは神様の悪戯心なのか
あったりなかったりします。思い出される思い出の数々…。
痛々しい思い出の数々。色々あるかと思います。
 
 明らかに違うと言えるのは、あの時よりもお互いに
成長し、大人になっているという変えようの無い事実。
 
 極稀に、再び縁が巡ることもあるかもしれません。
けれど、お互いに別な相手がいるかもしれないし
関係を取り戻せるような環境にいないかもしれない。
それよりも、「人生の通過点」という存在だったかもしれない
存在の相手に、逆行するかもしれない。
という考えは拭えないでしょう。
もちろん、それを払拭できる理由があれば逆にアリかも。
 
 もちろん、未だ知り得ぬ未来で待つヒトという存在も
あるでしょう。そしてそれを選択するのは自分自身であるし
他の誰でも有りません。
 
 もっとも…、過去・未来のほかにも
「私をとりまく人間関係」という概念を理解する必要がありますが。

32.気になる存在、気にならない存在

 気になる人に対する態度というのは、何かしら言動に出るもので
どんなに隠そうとしても、必ず本人を含め誰かしらが気付きます。
 
 例えば、気になる人を見る視線。
気になる人はどうしても見てしまうもの。そうすると必然的にその人を見る
機会が増え、何度も何度も見てしまい、一挙手一投足まで見てしまう。
というのを周囲が見ていて気付くというパターン。
 
 例えば、気になる人と話す態度。
いつも以上に楽しく話す、いつも以上に辛く当たる、いつも以上に・・・。
普段を知っている周囲であれば、「あ、いつもと言動が違う」
と気付くパターン。
 
 これらは、大抵その人に対する好き嫌いの意思表示が自然と出るもので
多少の相手の日常や普段の言動を知っていれば知っているほど解りやすい
ものなのです。
 
 話しかけても話の途中で、関心の対象がこちら以外、返事が曖昧
というような言動が何度か見られたら、こちらに関心は薄いと見るのが
妥当でしょう。
 
 逆に、こちらに関心のある場合には、途中で関心が薄くなっても
こちらを見て話をしている、相手からも積極的に話しを振ってくる。
という双方向のコミュニケーションが取れるはず。
 
 いつもこちらから話し掛けている(電話している)
 メールを打っても返事が来ない(遅い)
 デートをしていても、つまらなさそうだったり、買いもしないのに
ウィンドーショッピングに専念している、途中で行方不明になる
 ・・・など、相手が余程コミュニケーション能力が低い人でもなければ
こちらには関心が無いと思っていいでしょう。
 
 さて、ここからは逆手に取ったやり方。
こちらに関心が無いのを、関心あるように仕向けるという方法は
少々難易度高めですが、有効ではあります。
相手と同じ共通項を見つけて親近感を抱かせる、相手の趣味に自らを
投じて話題を共有するというのは非常に有効と思われます。
但し、これでやってはいけないのは
「私が貴方に合わせているのだから、貴方も私に合わせろ」
という言動です。
自発的にあわせてくれるならともかく、要求した時点で貴方の負け。
この作戦は失敗に終わります。
 
 一番ありがちな方法としては、押し付け。
するりと交わせるならともかく、まともに受け答えをすれば関係は一気に
冷めますし、経済格差や身体、信条、思想など根幹に触れるような
キーワードを持ち出したら、逆手に取るどころか関係にトドメを
刺すようなものです。おそらく一生涯忌避な存在とされるでしょう。
 
 
 新年度が始まってようやく2ヶ月。
そろそろ、気になる存在が現れてくる時期ですね。
読者様の作戦の成功を祈ります。

31.食事で見抜く相手の心理


 食べない日は無いぐらい人間の本能的行為、食事。
人間観察では、飲食でその人の人間性を見ることが出来ます。
 
 例えば、好きな人と、嫌いな人。1人づつ思い浮かべてください。
その人と一緒に食事をしたいですか?
 
 一般的な回答は、好きな人とは食事をしたいが、嫌いな人とは食事したくない。
当然、好意的な人、苦手な人もそれぞれに含まれます。
すると、相手を食事に誘ったときに自分に対する心理を読むことが出来ます。
 
 やんわり断るようであれば、あまり好意的に思われていないかもしれません。
逆に好意的に思われていれば、都合が悪くて断った場合でも違う提案をされるでしょう。
別な日時など具体的であれば好意的と見ていいでしょう。
逆に「また今度〜」ですとか、曖昧な場合には好意度は低いでしょう。
 
 もちろん、相手が一枚上手でさらにこちらを伺って、一度断るということで
こちらの様子伺いをすることもありますが、これは相手がそういう探りをする
方かを見定めたほうがいいでしょう。
 
 
 実際に一緒に食事をしている時の素振り。
席について、箸やナイフ・フォークなどを取って渡してくれる。
ペーパーナプキン、調味料を取ってくれる。
といった自分に対して、なにかをしてくれる行動は好意的と見ていいでしょう。
 
 逆に、食事に専念している。
会話に積極的に参加しない。
こちらに合わせない(先に食べ終わって他に関心が行っている)
などは、義務的に食事を一緒に取ったというスタイルとみていいでしょう。
 
 以上のことを踏まえると、
食事に誘ったときに、曖昧な返事をされた→こちらには興味が無い
食事に同席しても、なにか事務的だ→こちらに興味が無い
ファミレスで自分の飲み物を持ってきてくれた→好意アリ
飲食店のセルフサービスで箸や水を持ってきてくれた→好意アリ
 
 という可能性が高くなります。
注意すべき点は、気配り屋さんと無口・感情表現に乏しい・苦手な人です。
気配り屋さんは、好意的と受け止められる行動を素でやってしまうので
基本的には誰からも好かれ、八方美人であることもあります。
こういう人は、本心を読みにくいかもしれません。
無口・感情表現に乏しい・苦手な人は、常時「非積極的」という側面から
言動の全てが「好意ナシ、興味なし」に判定されやすいことです。
どちらも、本心を読みにくいので注意が必要です。
但し、どちらもある程度の親しさが上がると、心を開いて素を見せたり
いつもと違ったリアクションで本心を読み取れる機会があるでしょう。
 
 それよりも何よりも。
逆に食事に誘われたら。
これはもう、「あなたに強い興味がありますよ」と読んでいいでしょう。
同様に「(食事・お茶に)ご一緒していいですか?」と言う場合も
同じように見ていいでしょう。
 
 例えば、親しくなりたい人をお茶や食事に誘う。
まあ、人によっては奢りに期待とか、なんらかの下心に対しての同意もある…
かもしれませんが、大抵それでもどう思われているかという点においては
見抜くことが出来ると思います。
文中に事例は出しませんでしたが、楽しそうに食事をしているか。
表情からもその人の本音を見抜きやすいものです。
 
 それ以外では会話。
別コミュニケーション能力が低い人を除けば、会話の内容や口調からもおおよそ
判断することが出来るでしょう。
最もコミュニケーションの部分に関して言うのであれば、日常的なコミュニケーション
においても解りやすい材料といえます。
メールを打ってもなかなか返事が無い。
メッセンジャーで話し掛けても反応が無い・すぐ会話が終わる
電話をかけても出ないことが多い
という負の要素が多い場合には、こちらに関心は薄いかもしれません。
(但し、電話不精、メール不精の可能性もあります)
もっとも不精は不精で、そうした覚悟を要求される上での付き合いが必要かも
しれませんので、不精だけどこちらに関心があるような人の場合には、気の短い方は
癇癪を起こしたり、友達づきあいを切るということもあるかもしれません。
 
 ところで、お茶や食事に誘われた相手が自分にとって大事な人物である場合。
多くの場合は、好意的に返事をしていはずですが、逆にこちらから誘うという
方法で、もっと親しくなれます。
こうすることで、誘いの双方向性を強化しお互いに相手に対して意思表示を
繰り返すことで、親しさを強くするということが出来るのです。
 
もっとも逆に使えば、どちらかの一方通行でしかなければ自然とその人間関係は
薄れていくものなのです。これは人間関係でも、恋愛関係でも同じと言えます。
 
 最近では、ソーシャルネーットワークサイトのmixiなどといった
閉鎖招待性サイトの登場で、人間関係が視覚化され自分と親しい人物が視覚的に
見えるという新しいコミュニケーションのあり方を要求されるシーンもあります。
特に、mixiなどの場合は日記や足跡、最終アクセス時間などから行動を
見ることが出来るだけでなく、自分に対する日記へのレスの内容、頻度から
自分に対する側面も見えるという楽しさを持ち合わせています。
(もっとも自動巡回プログラムなどもあるので最終アクセスはアテになりませんが)
こうしたサイトを対人コミュニケーションツールとして役立てることで
コミュニケーションスキルを上げるということも今日では重要のようです。
 
 
 
 柊木彩弥デス・・・
 前回の更新から丸一ヶ月以上空いてしまいました…ゴメンナサイ(土下座
春になって、周囲の人間関係に入れ替わりが発生すると、興味対象の人物が
出てきたりする刺激的な日常の方も多いことでしょう。
食事とは人間の本能的な行為の一つなので、心許せる(心を開ける)ような人と
しか一緒に出来ないものと思います。
そうした行為において、同席を許されるかというのが今回のテーマでした。
 
執筆作業などをしていると通常ベースでは問題ないのですが、いざプリント
するという段階になると、レーザープリンタは壊れている、PCも1台故障中。
その上、モニタも最近壊れかけてて画面が時折滲んで文字が読めない。
とまあ、あちこちガタが来ているようです。
高給取りであれば、すぐにでも買い換えて作業環境を効率のいいものにするのですが
いかんせん薄給で作業環境の改善に投資できないのが現状です。
デルあたりのXPS MobileとかM1710とか、エプソンのオフィリオとか
リコーのR4デジカメとか超欲しいんですが、無理っぽいです。
(誰か、貢いで下s(ry
 
 とまあ、そんな冗談は置いといて、今年は気になる映画がいくつかありますね。
LIMIT OF LOVE 海猿ハチミツとクローバー
どちらも私が大好きな作品です。
これで、一緒に観に行ける相手がいたら言うこと無いのにw

30.桜のお花見デートに見る相手の行動分析

 3月21日は東京の桜が開花宣言したとか、しないとか。
桜が綺麗なこの季節、華やかな桜が日本人でいることを再認識させてくれ心穏やかに
してくれる季節でもあります。
 
 せっかくだからと桜のお花見に行こうとデートを画策する人も多いハズ。
二人でも集団でもいいので、気になる人に接近したり、パートナーを観察するには
実は絶好のチャンスだったりします。
 
 お花見というイベントは実に色々なことが発生します。
さらにお酒が入りやすいこともあって、普段見えない面が見れるチャンスでもあります。
つまりお花見という場は人間観察に絶好の機会なのです。
 
 もちろん、楽しむためのお花見なので楽しんだほうがいいのですが
楽しみつつも人間観察をするのがベスト。
大抵の場合は、素が出ますから性格や行動、クセ、酔った時のパターンなどが解ります。
 
 もっとも素を見て幻滅することもたまにありますが、観察することで損をする
ようなことは無いと断言できます。
 
 さあ、お花見シーズン。桜を観るか人を観るか。
 
 
 
 柊木彩弥です。
 実は私は、騒がしい花見会場がとーっても嫌いですw
しかも、私自身お酒も飲まないので余計に周囲の酔っ払いが鬱陶しく思ってみたり。
 
 去年は付き合いで行きましたが、正直気分のいいものではありませんでした。
今年は、どこかでまったりと夜桜を楽しみたいな…とか思ってみたり。
桜を観ながら抹茶と和菓子でまったり…なんてシチュに憧れたりします。
 
 そうそう。桜と言えば桜餅。なんでも東と西では違うそうで。
北海道生まれの私は、なぜか桜餅と言えば道明寺粉を使った方の桜餅しか知りません。
北海道から東京に来て、初めて道明寺粉以外の桜餅を見てびっくりした覚えがあるぐらい。
地域特性のあるものなんですね。
お赤飯に小豆じゃなくて甘納豆と同じくらい?w
 
 桜といえば先日、桜柄の綺麗な抹茶碗を見つけて1時間も大真面目に買うかどうか
悩んでしまいました。買う以上はせっかくだから抹茶立てる一式揃えたい!とか思うけど
使用頻度が低すぎて躊躇われるし(うちは紅茶がメイン)かと言って抹茶椀だけでは
なんだか物足りない?
うーんうーんと悩んだ挙句その日は買わずに見なかったことにしたのでした。
後日、某社の原稿料が入ったら真っ先に買いに走っちゃうかも。
 
 そんなわけで桜の咲くこの季節。この季節が来る度に日本で日本人に生まれて
よかったーーーーー!!!と毎年思いながら。今年は誰と桜を見ますか?