「東京一極集中は弊害か否か」の論点整理

先月、私は「「東京一極集中」が経済成長をもたらすという証拠はない?」(2016/9/11)と題したtogetterをつくった。これは昨年、東京都が発表した都民経済計算(2015/12/21)の資料に、東京都の実質経済成長率は全国よりも低い、ということが書かれていることなどをまとめたかなりマニアックなtogetterなのだが、それでもPV数は2万を超えて、それなりの関心を集めたようである。おそらく今から2年前(2014/9/3)の第2次安倍政権が発足した時に掲げられた「地方創生」(ローカル・アベノミクス)政策とその直前に出版されて大ベストセラーとなった増田寛也著『地方消滅 東京一極集中が招く人口急減』(2014/8/22)などに端を発した一連の議論(賛否両論)がその関心の背景にあるのではないかと思われる。だが、そこでの議論は、例えば2014/4/9の読売新聞が朝刊の一面のトップに「東京はブラックホール」と題した記事を掲載したように、日本の「人口減少」問題がいつも主な論点となっているように思われる。しかし、論点はそれだけではない。

まず先に、その読売新聞の記事について簡単に説明しておくと、東京が抱えている問題とは、毎日のように報じられている「待機児童」や「保育所建設断念」などのニュースから読みとれるように、東京は子育てには不向きで、出生率が低すぎで、まじで危険水域レベルにあるということである。よって、その読売新聞の記事から引用すると、「地方から首都圏へ若者が移っても、そこで多くの子供を育めば、日本全体として人口減にはならないはずだが現実は違う」、つまり、東京は人口を再生産しないので、「東京は、なおも全国から若者を吸収して地方を滅ぼす。人材供給源を失った東京もまた衰退していく――人口ブラックホール現象だ」ということになるわけだ。これは確かに重大な問題である。

そして、日本の「人口減少」と双璧をなすように問題視されているのが日本の「高齢化」である。実は「人口減少」よりも「高齢化」のほうがはるかに深刻な問題である。なぜなら、高齢者の介護・医療には膨大なコストがかかるからである。現在、日本の地方は「人口減少」のフェーズにあって、例えば先月末にNHKスペシャル縮小ニッポンの衝撃」(2016/9/25)が放送されて視聴者の多くが阿鼻叫喚したように、これは確かに大問題なのだが、一方では、地方は「人口減少」よりもはるかに深刻な「高齢化」のフェーズは終えつつある、潜り抜けつつあることを意味している。それに対して東京はこれから深刻な「高齢化」のフェーズを迎える。地方と東京でこのような“時間差”が生じているのは戦後、日本は傾斜生産方式を選択して東京に若い人を全国からたくさん集めたからである。それによって東京は発展した(地方は衰退した)わけだが、この先、ついにその時の“若い人”たちが一斉に高齢者となるフェーズに突入する。いわゆる「2025年問題」である。その時、東京の介護・医療システムは崩壊して、大パニックに陥るとも言われているが、いずれにせよ、東京は戦後の偏った人口移動(東京一極集中)のツケをこれから払うことになるだろう。その一方、地方は、経済学者の松谷明彦氏の『東京劣化――地方以上に劇的な首都の人口問題』(2015/3/14)によれば、2020年頃に「高齢化」のフェーズを終えて経済成長率は上がると予測されている。

以上の「人口減少」と「高齢化」の2つが「東京一極集中」(及び地方創生)の賛否に関する議論の主な論点と思われる。前者の「人口減少」に関しては、東京の出生率を上昇させるための地に足のついた着実な取り組み(東京を子育てがしやすい都市環境に改造する)などが今後も必要なのだろう。後者の「高齢化」に関しては、例えば(前述の大パニックを未然に防ぐために)東京から地方への高齢者の移住を促す政策などがすでに検討されている。「人口減少」と「高齢化」の2つの重大な問題は、現在の「東京一極集中」化の流れは決してサステイナブル(持続可能)ではないことを私たちに教えている。ある時代までは経済成長の原動力となっていたかも知れないが、今後も続くだろうと楽観視するのは容易ではないし、今こそ何らかの価値転換が求められているタイミングなのではないかと私は思っている。これまでの人口移動の流れを強引にでも継続させようとしたら「移民」をたくさん受け入れる以外の選択肢はもはやないだろう。私は「移民」の受け入れには基本的には賛成なのだが(私は政治的にはリベラルなので)、現在のEUの「難民問題」による大混乱ぶりをニュースで見るたびにこれは相当、難易度が高いなと思わざるをえない。よって、都市人口を増加させることで経済成長させることはもう断念して、別の道を選択すべきだろう。そもそも経済成長の原動力はイノベーションである。イノベーションを促すための統計的に最も有意である方法は(産業を集積させることよりも)一人ひとりの質を高めること、すなわち「教育」環境を充実させることであると都市経済学者のエドワード・グレイザーはCity Journalの「Wall Street Isn’t Enough」(2012年春)の記事で論じている。よって、私はこのような「量から質へ」の価値転換がこれからの日本には必要であると考える。(先日、ノーベル医学生理学賞を受賞した大隅良典氏が記者会見(2016/10/3)で、現在の日本の研究環境の悪化を憂いていた(研究予算の削減が続いているので)のが記憶に新しいが。)

さて、ここまででずいぶん長文になってしまって大変に申し訳ないのだけど、ここまでは「東京一極集中」の賛否に関するいわゆる“一般的”な話である。というか、とりあえずそのいわゆるな話を簡潔にまとめて整理しておこうという意図から書いたので、まぁ、そういうことであるのだが、ここから先は「東京一極集中」の賛否に関するそれとは少し異なる論点を提示してみようと思う。

ところで、私がブログ記事を書くのは実に1年半ぶりで(今はツイッター廃人である)、そんな私がすごく久しぶりにブログ記事を書こうと思ったのは、一昨日のBLOGOSに転載されたSYNODOSの「都市に住むことの本当の価値とは?――「東京一極集中の弊害」論の誤り / 『東京どこに住む?』著者、速水健朗氏インタビュー」(2016/10/6)の記事を読んで少し違和感を覚えたからである。しかし、私は過去に同氏の著書『都市と消費とディズニーの夢――ショッピングモーライゼーションの時代』(2012/8/10)をブログ記事で思いっきり批判したことがあって、すると今回は2度目になってしまうので、もし私が逆の立場だったら非常に“鬱陶しい奴”にしか映らないだろうなと想像するのは難くないので、再び批判的なブログ記事を書くか、それとも無難にスルーするかで大いに悩んだのだが、私がそのブログ記事を書いたのはかなり昔のことなので、もう時効なのではないかと思われる。よって、前述のSYNODOSの記事へのやや批判的なブログ記事を今回書くことにした。この判断にそれほど自信があるわけではないが、今回のこの双方の意見の相違から「東京一極集中」の賛否に関するより良質な議論へ、更にはより広い意味での新しい「東京論」へ展開するささやかなきっかけにでもなれば幸いである。いずれにせよ、それらについては今回のこの私の記事を読まれた皆さまに委ねるとする。

さて、前述の速水健朗氏インタビューの記事を読んで私が少し違和感を覚えたのは、まず第一に「東京一極集中」への批判は「嫌経済成長」「反資本主義」であると同氏が見なしている点である。私はそこまで強くは言えないし、そもそも「東京一極集中」は経済成長をもたらしているのだろうか? 今回の私のこの記事の冒頭に「先月、私は「「東京一極集中」が経済成長をもたらすという証拠はない?」と題したtogetterをつくった」と書いたが、これはそれへの疑義である。

第二に、同氏が今の東京の「都心回帰」は「自然な流れ」であると見なしている点である。私はつくづく思うのだが、この「自然」という言葉は非常に“有能”である。日本人は古来から「自然との共生」を好んできたせいか、この「自然」という言葉を使われるとその雰囲気だけでつい納得してしまったりするので、私は用心するようにしている。と言うのも、日本の建築家たちもこの「自然」という言葉を多用するのである。あまり大きな声では言えないが、日本の建築家たちはこの“魔法の言葉”を使うことでクライアントを煙に巻いているのではないかと私は疑っている。とは言え、「自然」とは何か? を問い始めると途方もなく哲学的な話になるだろうし、かなりの高確率でしょうもない話になるだろうから(ホッブズ、ロック、ルソーでは「自然」という言葉がそれぞれ違う意味で使われているうんぬん)、これ以上は書かないでおくが、仮に東京の「都心回帰」が「自然な流れ」であったとしても、その「自然な流れ」が都市に経済成長をもたらしているかどうかは全く別の話である。「自然な流れ」に委ねるよりも都市に経済成長をもたらす合理的な都市政策があるならば、それを採用したほうが良いのではないだろうか?

また、アメリカの大都市でも確かに2000年以降に「都心回帰」が起きているが、だからと言って「郊外化」が止まったという話を私は聞いたことがない。それにも関わらず「都心回帰」は「自然な流れ」で「郊外化」はそうではないと同氏が見なしているのはちょっと理解できないし、また、都市経済学者のリチャード・フロリダは先日CityLabに掲載された「What if no one is actually bowling alone?」(2016/10/2)の記事で「都心」の暮らしと「郊外」の暮らしは実はたいして違わないと論じている。更に、リチャード・フロリダは「都心回帰」による地価(家賃)の上昇はイノベーションの妨げになるとも論じていたはずである。前述したように、経済成長の原動力はイノベーションである。「都心回帰」はそれを阻害している可能性も考えられるのではないだろうか?

そして第三に、「東京はエコである」(都市集中はエコである)と同氏が論じている点である。これも本当なのだろうか? 「東京はエコである」と主張される時に決まって用いられるのは「交通」に要するエネルギーの話である。確かに自動車よりも鉄道のほうがエネルギーを消費しないし、東京での主な交通手段は鉄道であるから「東京はエコである」と思えるのかも知れない。しかし、それはあくまで消費されるエネルギーを「交通」に限定した場合である。消費されるエネルギーの「全て」を合計した場合では東京都が消費するエネルギー(一人当たり)は都道府県別でワースト10以内にランクインしている。東京都よりも上位にランクインしているのは北海道や青森県など寒冷地にある都道府県のみで(寒冷地では暖房でエネルギーを多く消費する)、それら寒冷地にある都道府県を除くと東京都がワースト1位となる。よって、「東京はエコである」は正しくないと言わざるをえない。ところで、なぜそうなるのだろうか? その理由は実は身も蓋もないことで、消費されるエネルギーは「所得」と強い相関関係があるからである。東京都で消費されるエネルギー(一人当たり)が多いのは東京都の平均所得が高いからに他ならない。つまり、都市の経済成長とその都市がエコであるか否かはトレードオフの関係となっているのである。よって、仮に「都市集中」が経済成長をもたらしているならば「所得」も上昇してその都市で消費されるエネルギーは増大するので「都市集中はエコである」は正しくないということになる。逆もまた然り。速水健朗氏はこのインタビュー記事で都市の経済成長とその都市がエコであるか否かはあたかも両立しているかのごとく語られていたが、それは二兎を追っているようなものである。

では最後に「東京はエコである」(都市集中はエコである)に関して上記とはまた違った論点を提示しておこうと思う。自動車はCO2を大量に排出するのでエコではないと言われているが、その燃料の石油の元売り会社(ENEOS、出光興産、エクソンモービルコスモ石油昭和シェル石油など)の本社は全て東京にあって、東京に莫大な利益をもたらしている。なので、CO2の排出量は(法人税と同様に)本社の所在地でカウントすべきであるとは考えられないだろうか? そうすれば「東京はエコである」は全く正しくないことに誰しもがすぐ気づくだろう。こんな話は荒唐無稽と思われるかも知れないが、全くそんなことはない。東京に本社がある企業が工場を地方につくろうと海外につくろうと、その本社が所有してその本社に莫大な利益をもたらす工場からCO2が排出されることに変わりはないからである。現状では排出されるCO2が本社のある東京の排出量としてカウントされていないというだけである。つまり、これは人為的な“カウントの仕方”の問題にすぎないのである。NIMBYになってはいけない。東日本大震災(2011/3/11)で被災した福島第一原発は東京に電力を供給していたのだが、なぜこの原発は東京にではなく福島にあったのだろうか? この問いの答えは「東京一極集中」の真の正体を明かすもう一つの答えである。五十嵐泰正他著『常磐線中心主義』(2015/3/26)に詳しく書かれているように、地方と東京は対となる空疎な概念なんかではなくて、距離のグラデーションでしっとりつながっている。「東京一極集中」は弊害か否か、今こそより一層の議論が求められる。

「コンパクトシティ」議論のボタンのかけ違い――「コンパクトシティ」は都市問題ではなく農業問題である

 
前回の「高齢者を東京から地方へ追い出す!?」の記事の冒頭で、国土交通省が熱を上げて推進している「コンパクトシティ」に対する僕の姿勢(僕はこの政策をいつも批判している)を少しまとめて書いたのだが、現状をみると、「コンパクトシティ」の是非に関する議論は、かなり混乱しているのではないかと思える。そもそも「コンパクトシティ」の定義がはっきりしない、この言葉は使う人によって指している事柄が異なる、または「コンパクトシティ」はアレもコレも含めた包括的なパッケージになっていて、それゆえにその箱の中の政策の一つ一つを取り出して議論することがかえって困難になっているのではないかと思われる。

それにも関らず、最近は荻上チキ氏、津田大介氏、山本一郎氏といった方々も、国土交通省のこの政策をヨイショするようになってきたのではないかと思われる発言をされるようになってきたので、ちょっと待って、と僕は言いたい。(ちなみに、荻上チキ氏は過去に『ダメ情報の見分けかた』という本を出版されているらしいのだけど、「ダメ情報」を見分けられないのはどこの誰なのかと。)

また、僕はTwitterで「コンパクトシティ」と入力して検索することを日々やっているのだが、最もひどいのは政治家である(政党は特に関係ない)。政治家らは国費を使って富山市へ行き、富山市が用意した「コンパクトシティ見学コース」をぐるりと周って、そしていつもきれいに“洗脳”されて帰ってくるのである。それではただの回転寿司だ。批判的思考(クリティカル・シンキング)がまるで出来ないのだ。*1

いずれにせよ、そうやって皆が何となく「コンパクトシティ」について「分かった気になっている」のが現状で、でも、それは「分かった気になっている」だけだから、いざ言葉を使って話し合おうとすると途端に大混乱に陥ってしまうのだろう。だが、その責任が一部の文化人や政治家やTwitter民にあるという訳では決してない。混乱を引き起こしている原因は、国土交通省と都市計画の学者(大学教授)である。

コンパクトシティ」とは何か説明しよう。

コンパクトシティ - Wikipedia
コンパクトシティ(英: Compact City)とは、都市的土地利用の郊外への拡大を抑制すると同時に中心市街地の活性化が図られた、生活に必要な諸機能が近接した効率的で持続可能な都市、もしくはそれを目指した都市政策のことである。

とりあえず、ここでWikipediaかよ(ぷっ)とか笑う暇があったら上記の一文を覚えよう。これが一般的な定義である。ポイントは「郊外への拡大を抑制する」の所である。そして、もう一つのポイントは「コンパクトシティ」は舶来の都市政策であるということ。「コンパクトシティ」は1970年代以降に「郊外への拡大」が問題視されたヨーロッパやアメリカで普及した都市政策である。やがて、それが日本に伝来したのだ。

だが、言うまでもないが、日本は欧米とは歴史が全く違う。顕著な違いは、欧米では都市化と農業経営の大規模化がほぼ同時に起きたのに対して、日本では明治維新以降、急激な都市化が起きたために農業経営は小規模のままにとどまったということと、戦後のGHQによる農地改革で農地が更に細分化されたということである。(ちなみに、日本の農家一戸当たりの平均耕地面積はヨーロッパの50分の1、アメリカの100分の1と言われている。)*2

よって、だから21世紀の現代でも、日本の国土には江戸時代からそこにあったような集落(主に農業を営む)があちこちに点在しているのである。それが日本の都市(特に地方都市)の一般的な都市形態なのである。お分かり頂けただろうか。先ほど僕は「コンパクトシティ」のポイントは「郊外への拡大を抑制する」ことだと書いたが、日本の場合はその郊外の外側には今でも集落があちこちに点在しているのである。繰り返すが、日本は欧米とは歴史が全く違う。そこに欧米発の都市政策をそのまま持ってきてもダメに決まっている。

日本の都市計画の教科書には都市的土地利用の郊外化(スプロール化とも言う)によって道路・水道などのインフラの維持管理費が増えたと書かれているが、これは正しくない。日本でインフラの維持管理費が増えたのは、戦後、あちこちに点在している集落を近代化したためである。即ち、あちこちに点在している集落の一つ一つに道路・水道などをクモの巣のように繋いだからである。実際、人口一人当たりのインフラの維持管理費が高いのはこのような場所である。無秩序に拡大したといつも槍玉に挙げられている郊外では決してない。ところが、偉い人にはそれが分からんのです。(日本の場合、郊外の人口密度は高い。)*3

どういうことだろうか。では、「百聞は一見にしかず」なので、国土交通省の「国土交通白書」(2014年)を見てみよう。

下図はその第1部「これからの社会インフラの維持管理・更新に向けて」の第2章の第1節の3の「集積による効率化」にある栃木県宇都宮市(人口は約50万人)に関するグラフである。宇都宮市は「ネットワーク型」のコンパクトシティを目指している。このグラフの「趨勢型」は現在の都市形態を2035年まで維持した場合、「都心居住型」は宇都宮市の市街化調整区域の人口を全て市街化区域へ集約させた場合、「ネットワーク型」は中心市街地を核としつつ、各地域のそれぞれに拠点を設けた場合である。

左図の「市税の推計」をみると、「趨勢型」の何もしなかった場合に比べて、「都心居住型」にせよ「ネットワーク型」にせよ、コンパクトシティをやったほうが税収の減少幅が小さくなることが分かる。理由は固定資産税(土地)の税収が増えるからである。しかし、市民の側から見れば、コンパクトシティのせいで増税になるということである。

右図の「都市施設維持管理費の推計」をみると、同様に「趨勢型」の何もしなかった場合に比べて、「都心居住型」にせよ「ネットワーク型」にせよ、コンパクトシティをやったほうが都市施設の維持管理費が削減できることが分かる。「趨勢型」と「ネットワーク型」の差は年間約12億円。市民一人当たりで換算すると年間約2500円。でも、先ほどの増税分(年間約6億円)があるのでそれを含めると、「ネットワーク型」のコンパクトシティが完成すると、市民一人当たりで年間約1250円得をするという程度の話である。ちなみに、現在の市民一人当たりの市税の納付額は年間約17万円である。「大山鳴動して鼠一匹」とはこのことではないだろうか。

では、上記の推計は具体的にどのような都市形状を想定して行われたのだろうか。これは「国土交通白書」(2014年)には載っていなかったのだが、上図に書かれている宇都宮大学(現在は早稲田大学)の森本章倫教授の「都市のコンパクト化が財政及び環境に与える影響に関する研究」『都市計画論文集』第46巻(2011年)(PDF)にあった。下図がそれである。「都心居住型」にせよ「ネットワーク型」にせよ、このようにピンク〜赤色がついているところに人口を集約させるというコンパクトシティなのである。

驚くのはここから。僕は上図をGoogleマップの航空写真とかなり念入りに見比べてみた。すると、左図の「都心居住型」のコンパクトシティではピンク〜赤色のついているところはじつはほとんどが都心と郊外なのである。そして、この記事の前半で書いた「集落(主に農業を営む)があちこちに点在している場所」のほとんどには色がついていない。つまり、そこがコンパクトシティによって居住不可にされているのだ。右図の「ネットワーク型」のコンパクトシティではやや範囲が拡大されているものの、それでもほとんどの「集落があちこちに点在している場所」には色がついていない。居住不可にされているのだ。

更に、その森本教授はこの論文の冒頭に「(前略)しかし、現実の都市に着目すると、コンパクト化政策を掲げながら、遅々としてその効果が見えてこない。コンパクト化の必要性を認識しながら、郊外立地の傾向に歯止めがかからず、農地がショッピングセンターに転用されるなどのケースは後を絶たない。(中略)コンパクト化の利点が正しく判断されていない」と書かれているのである。いや、そうじゃない。集落があちこちに点在しているような場所(農地)をことごとく居住不可にしておきながらさすがにそれはないでしょう。言っていることとやっていることが完全にズレている。僕がこの記事の前半で「偉い人にはそれが分からんのです」と書いたのはじつはこのことだ。

森本教授は「郊外への拡大を抑制する」ためにコンパクトシティは必要だと主張されているが、それは欧米の話であって日本には全く当てはまらない。繰り返すが、日本は欧米とは歴史が全く違う(三度目)。欧米では無秩序に拡大した郊外が問題視されてコンパクトシティが始まったが、日本での問題は郊外の外側には江戸時代からそこにあったような集落(主に農業を営む)が21世紀の現代でもまだあちこちに点在しているということなのである。人口一人当たりのインフラ維持管理費が高いのもここだ。というか、だからこそ森本教授はこの場所をごっそり居住不可にしてしまっているのである。森本教授は農地がショッピングセンターに転用されるなどの無秩序に拡大した郊外ではなくて、郊外化の波に襲われなかった昔ながらの景色が残る場所を居住不可にしているのである。ボタンのかけ違いである。コンパクトシティは日本では都市問題ではなく農業問題なのである。コンパクトシティに関する議論がいつも混乱する原因もこれである。

そして、その結果が「大山鳴動して鼠一匹」で年間約6億円(市民一人当たりで年間約1250円)得をするという程度の話である。単純に比較はできないが、宇都宮市の農業(農林水産業)の2011年の市内総生産額は約117億円である*4コンパクトシティによってこの産業をぶち壊す必然性が本当にあるのだろうか。学者がマッド・サイエンティストと揶揄されることはあるが、森本教授は常軌を逸しているように見える。更に、そのような資料を“見本例”として白書に載せる国土交通省の官僚らも同じである。これは官僚と学者による国土の文化破壊運動(ヴァンダリズム)である。少なくとも僕にはそう見える。

では、具体的にコンパクトシティによって居住不可にされる場所をGoogleマップの航空写真で見てみよう。

これは宇都宮市の北西辺りの航空写真である。上図右の「ネットワーク型」のコンパクトシティの図で、ピンク〜赤色のついていない場所であれば、別にどこでも構わなかったのだが、念のため、上図右で色のついていない場所はどこもこんな感じである。そこにはどこも「集落があちこちに点在している場所」が満遍なく広がっている。そして、コンパクトシティによってそこは全て居住不可になる。

一応、航空写真の左右に走っている道路は日光宇都宮道路(自動車専用道路)である。また、その少し北側をほぼ並行して対角線上に走っている道路は旧日光街道である。この道路は日本橋まで繋がっている。この写真は大体、日本橋から120〜130キロの地点である。この場所の航空写真を僕が選んだのは少し土地勘がある、車で何度も通ったことがあるというそれだけの理由であるw。コンパクトシティによって日光宇都宮道路や旧日光街道は道路が廃止になるということはないだろう。だが、ここは居住不可になる。この写真に写っている家々から住民が出て行くことを促すためにこれから宇都宮市は住民と協議を始めるのだろう。写真に写っている田畑もやがて“耕作放棄地”になる。

次は、Googleマップストリートビューの写真。上図の航空写真の旧日光街道です。撮影日は2014年9月。

写真右に石造の蔵(石蔵)があるけど、これは大谷石。栃木県は大谷石の産地です。

この写真にも大谷石の石蔵が写っている。別に狙ったのではない。あちこちにあるのです。

写真右に生産直売りんご園の看板がある。ここだな。りんご狩りもできます。

写真右にラブホの看板があるけど、よく見かける景色だ。気にするな。

右側通行をしている訳ではない。後ろを振り向いてるだけ。写真左に水田が広がる。

日光街道から外れて、少し中へ入ってみると、田畑です。

同じ位置で振り返るとこんな感じ。奥に集落が見える。というか、コンパクトシティによってこんな道路を廃止にして、本当に道路の維持管理費の削減につながるのだろうか。

いずれにせよ、都市について考えるときは産業から考えなければならない。コンパクトシティは都市問題ではなく農業問題である。重要なのは、農業がきちんとした産業として成り立っているかどうかである。集落に暮らす住民が高齢化して後継ぎもいない、農地が既に耕作放棄地になっているというのであれば、市が集落に暮らす住民に移住を促すなどをすればいい。それは「限界集落」をどうするかの問題と全く同じである*5 *6。農業を経営的に合理化するという着想から「農地の集約化」を進めて農家一戸当たりの平均耕地面積を上げるなどの工夫はどんどんやるべきであるが、都市施設のインフラの維持管理費を削減するために集約化するのは本末転倒である。それはカバが逆立ちするのと同じである。

では最後に、上記の森本章倫教授の「ネットワーク型」のコンパクトシティのピンク〜赤の分布は「第5次宇都宮市総合計画」で示されている集約拠点の概要図をもとに6つの集約拠点の選定したと論文に書いてあったので、この計画書は一通り読んでみた。ちなみに、その集約拠点の概要図はたぶんこれです(下図)。

これほど「絵に描いた餅」という表現が似合う図はなかなかない。

結構、貴重かも。

というわけで、最後に画像一枚貼っておきますね(下図)。

(終わり)

高齢者を東京から地方へ追い出す!?

 
「都会から地方への高齢者の移住」へ向けて政府・自民党が本格的に取り組み始めた。明日の2月25日にそのための有識者会議の初会合が開かれる。*1

さて、僕はブログで国土交通省が推進している「コンパクトシティ政策」をこれまでに何度も批判してきたのだが、相変わらず国土交通省の暴走は止まらないようだ。このような愚かな官僚を擁してしまった日本国民はつくづく不幸である。しかし、最近では「コンパクトシティ批判」が僕の代名詞になりつつもあるようで、僕がコンパクトシティを批判すると「またお前か」といった嬉しい反応を時々頂くようになった。

実際、Googleで「コンパクトシティ」と入力して検索すると、僕が去年書いた「「コンパクトシティ」が都市を滅ぼす――暴走する国土交通省(PART2)」のBLOGOS記事がWikipediaに次いで上から2番目に表示されるようになっている。国土交通省のウェブサイトよりも上位である。また、先月、自分のツイートなどをまとめた「コンパクトシティ富山市は自滅するか否か」のTogetterもなかなか好評で、PV数も10万を超えるに至っている。

と言うわけで、たまには「コンパクトシティ」とは別の話を書こうw。今回は冒頭に書いた「都会から地方への高齢者の移住」についてである。と言っても、大局的には同じ話ではあるが。

では、本題に入る。「都会から地方への高齢者の移住」の議論の重要性は、じつは「コンパクトシティ」の比ではない。この問題を放置していると、この国は危機的な状況に陥るだろう。それくらいに深刻な問題なのだ。よって、この問題をより多くの人に知ってもらいたい。国民的議論が求められる。

あなたの住むまちの将来人口は?」(若生幸也)のBLOGOS記事では、自治体の将来推計人口を3つのパターンに分類している。要約すると、地方では「高齢化」の時期は終わり「人口減少」の時期へ入ったのに対して、東京などの大都市部ではこれから「高齢化」の時期を迎えることが示されている。「人口減少」と「高齢化」のどちらがより深刻かと言えば、後者である。なぜなら、自治体が「高齢化」に適応するための施設を整えるには膨大な費用がかかるからである。ある意味、日本がまだ経済大国と呼ばれていた頃に「高齢化」の時期を終えた地方は幸運であったと言えるのかもしれない。だが、これからは「高齢化」の巨大な波が大都市部を直撃する*2。特に危ないのは東京だ。

東京は「待機児童」が多いことで知られているが(都道県府別ではダントツでワースト1位である)*3、東京は「待機老人」も多い。東京の「待機児童」数は約1万人だが、東京の「待機老人」数は約12万人である*4。そして今後、東京の「待機老人」数は急増すると予想されている。なぜなら、東京は地価が高いから、東京にはもはや余っている土地がないからである。そのために東京は施設(特別養護老人ホーム)を増やしたくてもなかなか増やすことはできないのだ(これは東京の「待機児童」数が多い理由と同じである)。

この問題を解決するために、大きく3つの方法が考えられる。1つ目は、たとえ膨大な費用がかかっても東京に施設を増やすべきであるという考え。そもそも東京は「地方交付金」という形で、東京都民が通勤ラッシュの抑圧に耐えながら稼いだ富が地方へ流出しているのが現状であるのだから、その蛇口を閉めて都民に還元すべきである、その分を都内の施設を増やすための財源に充てるべきである、といった考えには一理あるように見える。しかし、その前提条件である膨大な費用がかかることには変わりない。もっと賢い方法があれば、それを選択すべきである。言うまでもないが、日本の借金は既に1000兆円を超えている。財政破綻しかねない状況だ。

2つ目は、施設(特別養護老人ホーム)は諦めて「在宅介護」を促進するという考え。しかし、「在宅介護」はサービス面で特別養護老人ホームと比べると、かなり劣る。更に「在宅介護」によって仮に福祉施設不足の問題が解決できたとしても、医療施設(病院)不足の問題は解決しない。東京には大きな病院がたくさんあると思われるかもしれないが、その多くは山手線の内側に立地している。山手線の内側の人口(夜間人口)は約80万人で、その他の山手線の外側に暮らす都民(約1260万人)にはあまり関係ない。また、山手線の内側は地価が高いので富裕層しか暮らせない。更に、救急車による救急搬送の所要時間が長いのは、都道府県別では東京がダントツでワースト1位である*5。また、救急車で搬送される人の半数以上は既に65歳以上の高齢者であり、昨年(2014年)の救急車の出動件数は過去最多を記録した。*6

東京で高齢者が増加することの恐ろしさについて、亀田メディカルセンター院長の亀田信介氏は、2012年6月14日に放送されたテレビ東京の「カンブリア宮殿」という番組でこのように述べている。

亀田信介:
年齢によってどのくらい医療資源とか介護資源が増えるかと言うと、例えば15歳〜45歳の一番元気な人たちが年間に使う医療資源を1とすると、大体、65歳以上の方で6.5倍。75歳以上のいわゆる「後期高齢者」と言われる方で8倍。これは医療資源だけなんですね。介護資源まで入れると、75歳以上の方1人で医療介護資源を若い人の10人分使っちゃうんですね。その方たちが猛烈な勢いで、絶対数が増えるのが都市部なんです。とくに高度経済成長の時に同じ団塊の世代と言われるような同じ年齢層の人たちがみんな地方から東京に集まった、この方たちが一気に、高齢者になっていって医療資源を必要とするわけですね。

この急激な医療需要の高まりを「オーバーシュート」と言うんですけど、ここについては、今後、人類史上あり得ない、日本の問題でもなく、世界の問題でもなく、この大東京圏という凄く特定のところの特定の時期の問題であって、もちろん、今までにもなかったですけど、今後の30年間で起こる事は二度と起こらないだろう、と言われているぐらいじつは大変な事なのです。*7 *8

更に、亀田氏は「多くの国民が、東京が一番安全だろうと思っていると思うんです。でも、そうではなくて、それと全く正反対な事が今、起ころうとしている」と警鐘を鳴らしている。よって、「在宅介護」を促進するという考えは決して良い策とは言えない。「在宅介護」によって仮に福祉施設特別養護老人ホーム)不足の問題が解決できたとしても、上記で引用したように、東京で医療施設(病院)不足の問題を解決することはほとんど不可能だからである。また更に、話は変わるが、医師の上昌広氏はツイッター(2013年4月23日)で「在宅医療は、結局、家族への押しつけだ」とチクリと批判している。

さて、ここまでで話がずいぶん長くなってしまったが、上記の1つ目と2つ目の考えはあまり良くないことを説明した。では、最後の3つ目を書こう。というか、これが冒頭に書いた「都会から地方への高齢者の移住」である。即ち、「高齢者を東京から地方へ追い出す」という考えである。これ以外の策はこの世界には一つも存在しないのではないだろうか。おそらく私たちはこれを選ばざるを得なくなると僕は考える。まだ断定はしないけどな。

また、「都会から地方への高齢者の移住」は与党が自民党だからやれる政策であるとも言える。なぜなら、例えば民主党政権時代に厚生労働大臣政務官を務めた民主党山井和則議員はツイッター(2013年5月23日)で「都市部の特別養護老人ホームを待機する高齢者を地方の老人ホームに入居させることを厚生労働省が検討していることの問題点を厳しく批判しました。これは、現代版うば捨て山を、厚生労働省が推進する話で、非人道的です。高齢者の尊厳を汚す暴挙です」と胸を張って堂々と背筋ピーンと批判しているからである。

僕はこの発言はとても民主党らしいと思う。かつて2009年の衆院選民主党マニフェストに掲げていた「高速道路無料化」政策を彷彿とさせるからである。そして言うまでもないが、「高速道路無料化」政策はあっという間に頓挫した。それはなぜか。その政策を実現するための「財源」については民主党は適当な試算しかしていなかったからである(民主党はこの2009年の衆院選では「埋蔵金」があると言っていた)。前述の民主党山井和則議員の発言はこれと全く同じである。つまり、民主党は全く成長していない。民主党山井和則議員は大都市部の「高齢化」に対応するためにかかる費用について一体どれだけ真剣に試算したのだろうか。おそらく皆無(ゼロ)だろう。何も考えずに安易な正義感を振り回しただけではないか。それはあまりにも無責任かつ不真面目なふるまいである。民主党議員に政策を議論できる能力も素質もない。民主党はとっとと潰れたほうがいい。

(ついでに、前述の民主党山井和則議員の発言に対してネットでは「地方馬鹿にしてます?」「つまり地方=姥捨て山ですか」「地方を姥捨山ってどれだけ地方差別してるの?」などの批判が噴出した。*9

政府・自民党がこれから検討を進める「都会から地方への高齢者の移住」の政策について少し考えてみよう。前述の亀田信介氏は同番組で「高齢化」の問題は「東京の問題であってじつは日本の問題ではない」とも述べている。なぜなら、「一般病床の需給率ってのは東京圏は90数%まで行っている。ところが九州、四国というのはまだ50%」だからである。つまり、医療資源は東京では不足するが、地方は余っているのである。また、地方では「高齢化」の時期は既に終わり「人口減少」の時期へ入っているので、地方の医療資源は更に余ることになる。既存の施設を有効活用しない手はない。費用を大幅に削減できるだろう。

また、地方では高齢者の人口が減少し始めたことで、地方で高齢者の介護の仕事をしていた若者が職を失って、介護の仕事の需要がある東京などの都会へ地方から若者が移住し始めていると言われている。その中には、自分が生まれ育った地方に暮らし続けたかったが、仕事がなくなったために止むを得ず東京へ移住した若者もいるだろう。前述の民主党山井和則議員は「都会から地方への高齢者の移住」について「非人道的です。高齢者の尊厳を汚す暴挙です」と果敢に発言していたが、では地方から都会へ移住せざるを得なかった若者たちの「尊厳」は一体どこにあるのかと僕は逆に問いたい。いずれにせよ、高齢者の生活ばかりを優遇する政治はいい加減に止めるべきである。

先週の「世代間格差 若者の間に芽生える「ガラガラポン願望」」(広瀬隆雄)のBLOGOS記事によると、「自分がどんなに頑張ったところで、もう我々世代の暮らしは、好転しない」という深い諦観が、日本の若者の間に定着してしまっているそうだ。それはかつて(2007年)赤木智弘氏が書いた「「丸山眞男」をひっぱたきたい--31歳、フリーター。希望は、戦争。」と似て非なる感情かもしれないが、1930年代のドイツでナチスが発生した理由を経済学者のハイエクはこう分析している。それはナチスを支持した若者たちは「問題を民主的に解決できるという幻想はまったく抱いていなかった」「多様な人々の要求を序列化するという問題に対して、人間の理性なり、平等の公式なりが、その解答を用意できるという幻想を、およそ信じていなかった」からであると。*10

僕は人間の理性を信じたい。

というわけで、理性の欠片もない民主党はとっとと潰れろ。

(終わり)

 

女子高生が主役の地域活性化をテーマにした4コママンガ「地方は活性化するか否か」が残酷で面白い

 
女子高生が主役の4コママンガ「地方は活性化するか否か」が残酷で面白いです。これは「地方創生」や「地域活性化」をテーマとしたマンガなのですが、おそらくほとんどの日本人がその「地方創生」や「地域活性化」等の取り組みに対して漠然と抱いているような違和感が非常に判明に描かれています。

はっきり言って内容は恐ろしいほどに残酷です。地方都市の現状を鋭くえぐっています。「女子高生が主役」の設定でなければ、吐血するレベルですね。と同時に、このマンガをこれからの都市行政の教科書にしたら良いとも思います。まぁ、今日はめでたい元旦で、新年の抱負やこの国の未来の形についてあれやこれやと思案される方も多いと思いますが、その前にこのマンガを一読されることをお勧めします。

このマンガは約1年前から始まっていて、現在は《第69話》まで進んでいます。僕はもちろん全部読んだのだけど(←血を吐きながら)、その中から僕が特に面白いと感じたマンガをちょっと選んでみたので、ご参考にどうぞ。↓


《第10話》思い出補正?

5歳くらいまで住んでいた地方都市「みのり市」(架空の都市、人口は約30万人)に、父の仕事の都合で、再び高校生になって戻ってきた。すると・・・

《第15話》でしょでしょ

上記の《第10話》の続きです。「再開発」によって街が・・・

《第58話》デジャビュ 既視感

「みのり市」の現状を何とかしなければならないと奮起した女子高生たちは「みのり高校地域活性研究部」をつくってみた。早速、放課後、図書室のパソコンで調べてみると・・・

《第65話》ストロー

僕的には、このマンガが一番面白かったです(ここで血を吐く)。僕も「東京の業者さん」です。地方は「ストロー」。

《第67話》ぶっちゃけ論

上記の《第65話》の続きです。ぶっちゃけすぎ。

《第68話》ほとりさん、笑い事ではないですよ。

上記の《第67話》の続きです。ライフはゼロよ。

《第69話》誰がための…?

上記の《第68話》の続きです。現在の更新はここまで。

とりあえず、以上です。まぁ、このマンガの舞台の架空の地方都市「みのり市」は、100%間違いなく秋田県秋田市ですね。既視感がある。ついでに、僕はその秋田市の「地域活性化」政策(コンパクトシティ構想)を批判したブログ記事を半年前に書いています。「「コンパクトシティ」が都市を滅ぼす――暴走する国土交通省(PART2)、そして何もなくなった」の記事です。よろしかったら、ぜひ。

(あとついでに、その半年前のブログ記事の後日談を少し書いておくと、コンパクトシティ構想に反するとして秋田市に拒否されているっぽい大型ショッピングセンターの開発業者の「イオンタウン」は正式に文書で2014年11月26日に秋田市に協力要請をしました。また、秋田市の中心部に建設されたハコモノ施設の「エリアなかいち」は2014年12月22日にリニューアルオープンしました。今後どうなるのでしょうか。)

あと、今回紹介した女子高生が主役の4コママンガ「地方は活性化するか否か」では「地域活性化」についてまとめて解説されています。「おしえて峰子先生!」のページを参照。また、このマンガを書籍化するプロジェクトも始まっているみたいです。ぜひ実現して欲しいですね。これからの都市行政の良い教科書になるのは間違いない。では、良いお年を(血を拭きながら)。

(終わり)

参照元
「地方は活性化するか否か」Facebookページ
女子高生が主役の地域活性化をテーマにした4コママンガ「地方は活性化するか否か」のツイッター上での反応まとめ - Togetterまとめ
女子高生が主役の地域活性化をテーマにした4コママンガ「地方は活性化するか否か」のツイッター上での反応まとめ(2) - Togetterまとめ
地方の現状を鋭くえぐる!Web4コマ「地方は活性化するか否か」のツイッター上での反応まとめ(3) - Togetterまとめ
女子高生が主役の地域活性化をテーマにした4コママンガ「地方は活性化するか否か」が面白い! - NAVERまとめ

新国立競技場について(建築家・森山高至さんへの反論、東京新聞の偏向報道について、など)

約一月前に「新国立競技場は建築設計コンペで最優秀賞に決定したザハ・ハディド案で建てなければならない――建築家の槇文彦氏を批判する」というブログ記事を僕は書いた。そして、これがBLOGOSに掲載されるや否や、思ってもいなかったような大きな関心を呼んだので、正直、かなり驚いた。更に、某出版社から取材の依頼が来るなどの謎めいた展開になって、匿名ブロガーの僕としてはちょっときついかもです(笑)。ま、いずれにせよ、その背景となっている理由などは後述するが、改めてBLOGOSの影響力を実感した次第です。(尚、その記事に関するツイッターでのやりとりは「新国立競技場はザハ・ハディド案で――建築家の槇文彦氏を批判する、へのコメント」のtogetterにまとめた。)

さて、3日前(7月20日)に「「新国立競技場は建築基準法に違反してしまう」 建築家・森山高至さんが指摘する「基本計画案」の問題点」というインタビュー記事がBLOGOSに掲載された。 建築家・森山高至さんとは今回の「新国立競技場」の騒動が始まるずっと以前からツイッターで懇意にさせて頂いているのだが(とても尊敬しています)、私心はともかく、簡潔に反論しておきます。

まず第一に「新国立競技場は建築基準法に違反してしまう」という指摘については、その記事の意見欄でk_endoさんが述べているように「エントリ主は、如何にもこのままでは違反建築物が建築されるような印象を与えておりますが、まだ計画通知も提出、審査されていない状況において、違反性を喧伝するのは言い過ぎ」であると僕も思います。また、建築家の奥野正美さん(@okunoao)はツイッターで「屋根の不燃性と建ぺい率か。その程度のことなら、大臣認定、性能検証法、都市計画の変更等で対応可能」と述べています。その通りだと思います。ま、屋根の不燃性に関してはまだちょっと未知数なところがありますが、建ぺい率(人工地盤)の問題についてはすぐ解決できるでしょう。


新国立競技場完成予想図(案)

そして第二に森山さんがその記事で「古い施設を再利用してはどうか」と提案されていることについてです。これは現在建っている「国立競技場」(1964年の東京オリンピックの競技会場として建設された)を改修して使ってはどうかという提案なのですが、はっきり言って無理です。ツイッターでは@gelsyさんが割と早い時期から「無理ゲー」であると述べています。また、建築家の片山惠仁さん(@YOSHIMASAKATAYA)もツイッターで「日経アーキに国立競技場が載っていたが。既存の躯体の中性化反応をみるとかぶり部分が全てフェノール反応しちゃう感じの写真が掲載されてて、一寸なんなのこれ」と述べています。また更に、k_wotaさんもツイッターで「日経アーキの7月10日号 『特集 迷走「新国立」の行方』が出て以来、建築関係者には「現国立を改修して使うとか、絶対に無いな」というのは、ほぼほぼコンセンサスとなった気がする。一般の人にも伝えたほうが良いと思うのだが、さて。」と述べています。


日経ア−キテクチュア(7月10日号)の表紙(左)、久米設計による改修案(右)

「国立競技場」の改修案については、2011年3月に久米設計が制作していた改修案(PDF)、先々月(5月12日)に建築家の伊東豊雄さんが発表した改修案(PDF)、先月(6月25日)に建築家の大野秀敏さんが発表した改修案(PDF)があるのですが、いずれにせよ、現在の「国立競技場」を改修して使うのはそもそも無理なのです。

ついでに、建築家の大野秀敏さんの改修案は「洋梨」のような大変にユニークな形をしているのですが、@Komabanoさんはツイッターで「Facebook陸上競技場コミュニティで伺ったのですが、やはりそもそもダメなようですね。大野秀敏は投てきや跳躍系の種目を五輪向け改修時の国立で設ける、洋梨の突起部分に置きたいようですが、陸連の規則では「1-2コーナーの外側にフィールド競技施設を置いてはいけない」そうです。……とまあ、こんな感じで、森山高至氏がご推薦の大野秀敏・国立改修案は、実現性に欠けたものという判断になりました。とにかく、陸上競技場を作るのにその基本すら抑えてないのは、根本的にダメでしょう」と述べています。


建築家の大野秀敏さんの改修案

というわけで、森山さんへの反論はここまで。

では次に、冒頭に書いた、僕が一月前に書いたブログ記事が大きな関心を呼んだ理由についてです。僕なりに考えてみたのですが、おそらく「新国立競技場」のザハ・ハディド案を支持(賛成)する意見が「あまりにも少なかった」からだと思います。その理由は大きく2つあると思います。まず第一に世界最高峰クラスの建築家である槇文彦さんが先陣を切ってザハ・ハディド案に反対されたということです。この空気感(ニュアンス)は建築関係者以外の方にはちょっと伝播しづらいかも知れませんが、槇さんと言えば、世界中の建築家や建築学生の「憧れの的」なのです。スーパースターなのです。ま、僕自身はちょっとひねくれ者なので(笑)、どちらかと言えば、レム・コールハースのような「ダーティ」な建築家を好むところがあるのですが、それでも、僕が建築学生だった頃は、槇さんが設計した建築を全国中、見て回ったりしてました。実際に訪れてみて、槇さんが設計した建築の素晴らしさに僕なりにも感動したものです。でも、それゆえに、今回の「新国立競技場」の件に関しては大きな弊害が生じてしまうのですね。

そのことを端的に表現した記述があります。先月(6月25日)に発売された宇野常寛編集『静かなる革命へのブループリント――この国の未来をつくる7つの対話』の本の4つ目の対談の『2020年・東京デュアルシティ化計画――メガシティの分断が生む新しい公共性』の中で、今回の「新国立競技場」の件について、建築学者の門脇耕三さんはこう述べています。「この問題は、建築界ではほとんど踏み絵のようになっています。あの建物を否定しないと、建築家とは呼ばせないぞという雰囲気。こうしたクリエイティブとは呼びがたい議論には、強烈な違和感を持っています」と。ま、これはあくまでも建築界の空気感(ニュアンス)のことなので、はっきりとした輪郭はないのですが、これが「新国立競技場」のザハ・ハディド案を支持(賛成)する意見が非常に少ない理由の一つであると僕は考えます。

そして第二に、これは一月前のブログ記事で書いたことと少し重なるのですが、いわゆる「左翼系」の新聞メディアの偏向報道のせいです。特に東京新聞がひどいです。@pretty_radioさんは「新国立競技場について一観客の立場から考えるBLOG」の「あまりにも偏った新国立競技場報道」(7月13日)の記事で「(前略)報道機関は異なる立場がある事柄については双方の意見を伝えて有権者に判断の材料を提供するという大切な役割があるのですが、どうも新国立競技場は一方的に叩いていいものという認識があるらしく、反対派の意見ばかりが大きく報道されています。特に東京新聞はまるで活動家の機関紙状態なのが残念でなりません。完全に読者を特定の方向に誘導しています」と述べています。

実際に東京新聞のウェブサイトを確認してみると、「新国立競技場」のザハ・ハディド案に賛成の意見がゼロ(皆無)であることが分かります。賛成の意見は一切、掲載しないのです。まさに「活動家の機関紙状態」ですね。新聞は「社会の公器」であるという意識が東京新聞には全くないのです。もっと言えば、東京新聞には「新国立競技場」のザハ・ハディド案に賛成している市民がいるという前提すらないのでしょう。なぜなら、東京新聞の記事は全てが「新国立競技場の建設を進めたい国&JSC」対「新国立競技場の建設に反対している良識ある建築家&市民」という対立軸で書かれているからです。または、ひょっとしたら東京新聞の中の人は自分たちが偏向報道をしているということに気付いてさえいないのかも知れません。つまり、意識的(戦略的)に偏向報道をしているのではなく、無意識的にやってしまっているのではないかと。もしそうだとしたら、東京新聞の中の人は「ただの馬鹿」であるということになりますけど(笑)。@k_wotaさんもツイッターで「東京新聞は新国立競技場に反対しているのかも知れないが、煽り記事はやめて欲しい」と述べています。というわけで、「新国立競技場」のザハ・ハディド案に賛成の意見を書いた僕のブログ記事を掲載してくれたBLOGOSさんにはとても感謝いたしております。以上です。


新国立競技場基本設計図(案)立面図(PDF

あと、一月前のブログ記事で書いた「新国立競技場」が建設される明治神宮外苑の「景観問題」に関する情報を更新しておく。

7月8日の毎日新聞の朝刊の「都市の美観 誰が景観を決めるのか」の記事はとても良かった。この記事の中で建築史家の五十嵐太郎さんは「運営コストなどでザハ案は無駄が多いと思うが、伝統的な景観といった議論には一切くみしません。せいぜい100年の歴史しかないし、みんなあそこをそんなに大事に思っていたのだろうか」と述べています。また、7月21日に開催された国際シンポジウム「都市と建築の美学――新国立競技場問題を契機に」で建築史家の中谷礼仁さんは「建物、広義の建築文化が共有されることについて考える。歴史的正統性を客観論として根拠化しない。外苑は100年以上前は野っぱらだし、江戸時代はまったく他の用途。都市環境としての共有化は可能だろう」と述べたそうです。両者の考えは割と僕に近いと言えるでしょう(僕の考えは一月前のブログ記事に書いた)。そして言うまでもなく、それらは「新国立競技場」のザハ・ハディド案は「神宮の森」の美観を壊すと異議を唱えた建築家の槇文彦さんの考えとは全く正反対です。いずれにせよ、「景観」とは論理で割り切れる問題ではないので、多様な意見を交えつつ、活発な議論が行われることが最も望ましい、且つ、最も民主主義的に正しいことなのではないかと僕は思います。東京新聞偏向報道は、民主主義が正常に機能することを阻害しているだけです。東京新聞は民主主義の敵です。もはや有害です。

では最後に、イギリスのエコノミスト誌が7月12日号で「新国立競技場」のザハ・ハディド案は五輪終了後には「無用の長物になるだろう」と報じた件について。この記事は「新国立競技場」のザハ・ハディド案の建設の反対の意見としては筋が通っていると思いました。なぜなら、日本橋の上の首都高速道路ホテルオークラの建て替え計画などにも言及しているからです。このイギリスのエコノミスト誌の記事に東京新聞が飛びついたのは言うまでもありませんが(「「バブル想起 五輪終われば無用」 新国立競技場 英誌も警鐘」、東京新聞、7月19日)、一応、日本経済新聞も報じています(「五輪終われば無用の長物 新国立に英メディアも批判」、日本経済新聞、7月18日)。と言うか、日本経済新聞のほうが先ですね、東京新聞日本経済新聞の記事に飛びついたのでしょう(笑)。

しかし、本当に「新国立競技場」のザハ・ハディド案は五輪終了後には「無用の長物」になるのでしょうか。「新国立競技場」は多くの人々がアクセスしやすい東京の都心の一等地に建設されるので、五輪終了後は多種多様なイベントに活用されると僕は思います。例えば、埼玉県さいたま市に建つ「さいたまスーパーアリーナ」(2000年開業)は好調な営業を維持しています。その理由の一つとして「さいたまスーパーアリーナ」が最寄り駅から徒歩1〜2分ほどのところに建っているということが挙げられています。つまり、アクセスが良いのです。詳しいことは「さいたまスーパーアリーナ絶好調 稼働率過去最高76.4%」(東京新聞、2013年12月19日)の記事を参照。また更に、今日では「競技場」を活用した「街づくり」も世界中で行われています。詳しいことは「「サッカースタジアム」を活用した「街づくり」の可能性」のtogetterを参照(僕がまとめた)。ついでに「オリンピックのメインスタジアムのビフォーアフター」のtogetterも参照(これも僕が)。よって、「新国立競技場」が五輪終了後には「無用の長物」になると断定するのは、ちょっと早計すぎると僕は思います。

7月7日に開催されたJSC(日本スポーツ振興センター)による「新国立競技場」に関する非公開の説明会で、建築関連5団体はJSCに質問書を提出しました。その質問書で建築関連5団体は「8万人集客イベントの費用対効果を検討した、需要予測についての資料」の提出をJSCに求めています。現在はJSCからの回答待ちという状況です。もちろん、この需要予測についてJSCはきちんと答えなければなりません。僕は「新国立競技場」のザハ・ハディド案が五輪終了後に「無用の長物」には決してならないと思っていますが、これはその筋の専門家が精査しなければ分かりません。さて、どうでしょうか。(終わり)

形態はアイコンに従う(Form follows icon)――情報化時代に適合する新しい建築をめざして(全文)

これは僕が1年前に書いた拙稿「形態はアイコンに従う(Form follows icon)――情報化時代に適合する新しい建築をめざして」の全文です。その経緯は本ブログの「【お知らせ】同人雑誌「ニコちく―「ニコニコ建築」の幻像学」に寄稿しました」の記事を参照して頂くとして、今日、ツイッターで「僕が1年前に書いた「形態はアイコンに従う(Form follows icon)――情報化時代に適合する新しい建築をめざして」の冒頭の一部をブログに載せているのだが、そろそろ全文を載せていいですか?>関係者さま」と問いかけたところ、メールにてOKを頂きました。ありがとうございます。

というわけで、ここに全文を載せます。というか、本当の全文です。同人雑誌『ニコちく―「ニコニコ建築」の幻像学』へ寄稿したとき、字数制限の都合で大幅に削除したのですが、その削除前の原稿です。下記の文字の着色に関しては、赤い文字のところは引用文で、同人誌では反転文字になっています。青い文字のところは文字の強調で、同人誌では傍点です。

ま、久しぶりに読み返してみたのですが、はっきり言って、読みにくいですね(笑)。というか、不親切。引用文と引用文の関係の、その隙間を全く埋めていない。これはまずいと思って、少し書き足そうかと思ったのですが、ま、今回はとりあえず、そのままで載せておきますw。今ならもっと分かりやすく書けると思うけど、拙稿の内容(中身)に関しては、1年前の当時と今の僕のスタンスは何も変わっていません。では、載せます。

(追記:やはり、若干、書き足した。さすがにこれでは誰も読めない。。書き足した部分は緑色の文字で表します。)

形態はアイコンに従う(Form follows icon)――情報化時代に適合する新しい建築をめざして (ノエル)

■ プロローグ

 僕の学生時代の話からはじめよう。僕が建築学科に入って二年目の設計製図の演習の課題で、ある女学生(乙女チック)が「集合住宅」の図面一式とスチレンボードで作った建築の模型を置いて講評会で発表した。講評したのは大学教授(髭もじゃ)、准教授(メガネ)、講師(腕まくり)、建築家(白髪)等々の有識者一式であったのだが、その女学生が作った案を見るや否や、会場(製図室)の空気は一変した。そして落雷した。理由はその女学生が作った案が「少女マンガ」風だったからである。その案は、その女学生が日々放っているファンシーな雰囲気に勝るとも劣らず、乙女チックであったのだ。大学教授らは一斉にその女学生に向かって罵声を浴びせた。その女学生は自分の個性の羽を広げた途端に、奈落の底に突き落とされてしまったのだ。大学教授らが「大学はディズニーランドではない、馬鹿にするな!」と言い放ったかどうかまでははっきりと覚えていないけど、大学教授らによる罵声は大体そのような内容であったと記憶している。ちなみに、その女学生は幼少の頃から「少女マンガ」が大好きで、自分でもよく描いていた。雰囲気はファンシーでも、芯がしっかりしていた。そしてその芯を大学教授らがポキッと折ってしまったわけだが、その目的は甚だ不明である。

 では次は最近の話。最近といっても、昨年(二〇一二年)の話だが、二〇一五年に開業する北海道新幹線の『新函館駅』の駅舎デザインが決定した(図-1)。この駅舎の設計コンセプトは、「自然と共に呼吸(いき)する、モダンで温かみのある駅」とのこと。また、駅舎の前面はガラス張りで、「トラピスト修道院のポプラ並木をイメージしたデザイン」であるそうだ。これを僕が初見した時の感想は、「わけがわからないよ」「なに言ってんだこいつ」等々である。特にこの駅舎がモダン様式(モダニズム)を選択している目的が甚だ不明である。何の感慨もないデザインだ。その一方、これも昨年の話だが、『東京駅』の赤煉瓦造りの駅舎が、建築家の辰野金吾らが設計した約百年前のオリジナルの姿(一九一四年)の、英国風クラシック様式に復元されて再開業した。この復元された『東京駅』は、実に多くの人々に愛されている。昨年の一二月に予定されていた『東京駅』を舞台にしたプロジェクションマッピングのイベントが、激しい混雑のために中止に追い込まれたほどの人気ぶりである。さて、では前述の『新函館駅』も百年後には、今日の『東京駅』と同じように人々に愛されている駅舎になっている、とあなたはどれだけ想像できるだろうか。僕には無理だ。更に僕は二〇世紀のモダン様式(モダニズム)の建築よりも、それ以前の世紀のクラシック様式の建築のほうが、より多くの人々に愛されやすい傾向にあるのではないかと考えていて、もしそれが事実であるならば、これは建築史上の皮肉であるとしか言いようがない。二〇世紀のモダニストたちは建築様式を改悪したということになる。


図-1 『新函館駅

 以上、二つのプロローグを書いた。この二つの話(問題の提起)からこの先の本論は書かれている。さて、私たちはこれからどこを目指したら良いのだろうか、建築に対する人々の感情や感性は『新函館駅』と『東京駅』のどちらが望ましいと考えられ得るのだろうか。僕は確かに『新函館駅』よりも『東京駅』のクラシック様式のほうが建築のあり方としては望ましいと考えている。でも、この二者択一は極論であるし、この先の本論で「復古主義」を掲げて、前近代の様式をリヴァイヴァル(再生)すべきである、と書く気は全然ない。それよりも、モダニズムを「ハッキング」しようと思う。

 モダニズムの建築家のミース・ファン・デル・ローエは、「建築は空間に表現される時代の意志である。この単純な真理を明確に認識しない限り、新しい建築は気まぐれで不安定となり、当て所のない混沌から脱し得ない。建築の本質は決定的に重要な問題で、建築は全てそれが出現した時期と密接な関係があり、その時代環境の生活業務の中でのみ解明できることを理解しなければならず、例外の時代はなかった」と述べている。これはモダニズムを特徴づける大変有名な言葉である。よって、これを定言命法にすることで、言い換えると、モダニズムの信条を文字通りに読むことで、「復古主義」の沼を跳び越えて、やや無謀かも知れないが、現在という時代に適合する新しい建築論の構築を試みる。ただ字数に限りがあるために、どうしても駆け足になってしまうが、それはご容赦願いたい。さて、現在の「時代の意志」は何だろうか。おそらく、最も顕著であるのは「情報化時代」と呼ばれる、情報テクノロジーが生成した新しい環境世界である。『ニコニコ動画』はその代表例である。では早速、この「情報化時代」に適合する新しい建築をめざして、本論に入る。

■ アイコン

 二〇世紀を代表する小説家のジェイムズ・ジョイスの『若き芸術家の肖像』(一九一六年)には、主人公の青年(スティーヴン・ディーダラス)に「芸術論」を語らせるシーンがある。その箇所を引用すると、主人公の青年は友人に、「この詩は一人称ではじまって三人称で終わってるんだよ。劇的形式に到達するのは、それぞれの人物のまわりを流れ渦巻いていた生命力が、あらゆる人物に活気を与え、その結果、彼ないし彼女が固有の、そして触知しがたい、審美的生命を身につけるようになったときの話しだ。芸術家の個性というのは、最初は叫びとか韻律とか気分なんで、それがやがて流動的で優しく輝く叙述になり、ついには洗練の極、存在しなくなり、いわば没個性的なものになる」と語っている。その最後の「没個性的なもの」とは、前述のプロローグで書いた『新函館駅』のような建築のことではあるが、僕が改めて問いたいのは、最初の「叫びとか韻律とか気分」のほうである。なぜなら、この「叫びとか韻律とか気分」が私たちの出発点となるからである。

 では次は思想史、表象文化論を専門にする研究者の田中純の『建築のエロティシズム――世紀転換期ヴィーンにおける装飾の運命』(二〇一一年)から引用すると、筆者は、「現代は凡庸な計画論が建築を深く浸食している時代である。建築家が社会学者がよろしく家族の未来像を語り、それを愚直に住居空間に翻訳してくれる。家族の空洞化にしろ何にしろ、社会学者が唱えるイデオロギー的なラジカリズムに追随するそんな計画論に、建築固有の論理もエロティシズムもない」と述べている。筆者は現代の建築には「エロティシズム」がないと嘆いているのだが、この本での「エロティシズム」に関する記述は、主にモダン様式(モダニズム)の始祖の一人とされている建築家のアドルフ・ロースについてである。建築に「エロティシズム」が必要であるのかどうかの問いはともかくとして、モダン様式(モダニズム)の始祖の一人とされている建築家に「エロティシズム」があった、という筆者の指摘は大変重要である。なぜなら、新しい様式の始まり(出発点)には建築家のどのような情念や情動があったのかを、改めて教えてくれているからである。ちなみに、アドルフ・ロースが代表作の『ロースハウス』を建てたのは一九一一年である。それから約百年が経った今では洗練の極に達し、没個性的なものとなり、モダン様式(モダニズム)から「エロティシズム」はすっかり消尽してしまった。

 ところで、建築家のアドルフ・ロースは、若い頃にアメリカで開催された『シカゴ万国博覧会』(一八九三年)に訪れている。その時アドルフ・ロースモダニズムの建築家のルイス・サリヴァンに出会って深い感銘を受けている。前述のモダニズムの建築家のミース・ファン・デル・ローエの「時代の意志」の他に、モダニズムの建築家のルイス・サリヴァンの「形態は機能に従う」(Form follows function)も大変有名な言葉である。この言葉はモダン様式(モダニズム)の信条にもなっている。この言葉の初出は、ルイス・サリヴァンが書いた論文の『The Tall Office Building Artistically Considered』(一八九六年)である。この論文を読むと、この言葉は一九世紀後半に誕生した新しい建築物である「高層建築」の「芸術論」であることが分かる。一九世紀前半までは「高層建築」はまだ存在していなかったのだが、産業革命によって発展したテクノロジーによって、やがて「高層建築」が建てられるようになった。ところが「高層建築」は人類史上、前例のない巨大な建築物なので、その「芸術論」がどこにも存在していなかったのである。そうした状況と対峙したサリヴァンには二つの選択肢があったに違いない。一つは「高層建築」を否定することである。常軌を逸したスケールをもつ「高層建築」は人類が数千年かけて築いてきた建築の「芸術論」の枠に収まらないのであるから醜悪なのである、と切り捨てる論を構築することはできるだろう。それは例えば、今日の建築家の一握りが、日本の郊外に建つ大型ショッピングセンターを醜悪であるとみなす感情とかなり重なり合うのではないかと思われる。もう一つは――サリヴァンが選択した答えであるが――新しく出現した「高層建築」を受け入れて「芸術論」を作り変えるという全く正反対のやり方である。コペルニクス的転回である。大雑把に言えば、サリヴァンの「形態は機能に従う」(Form follows function)とは「高層建築を受け入れる」という意味と同義である。大体、モダン様式(モダニズム)とはこのようにして始まったのである。

 では、そのモダン様式(モダニズム)の始まり(出発点)を、パラレルに現在という時代に置き換えてみよう。現在は情報テクノロジーが発展した「情報化時代」である。約百年前のモダニスト産業革命によって発展したテクノロジーである「高層建築」を受け入れたように、現在の私たちは、まず「情報化時代」を受け入れる。そして建築家のサリヴァンが「高層建築」の「芸術論」を書いたように、私たちは「情報化時代」における建築の新しい「芸術論」を書かなければならないのである。その取っ掛かりとして、サリヴァンの言葉の「形態は機能に従う」(Form follows function)をハッキングして「形態はアイコンに従う」(Form follows icon)という言葉を今ここに掲げる。一応、韻を踏んでいる。「アイコン」とは、「内容を図や絵に記号化して表現したもの」のことである。ちなみに、ワイアード誌の編集長のクリス・アンダーソンは『フリー――〈無料〉からお金を生みだす新戦略』(二〇〇九年)で「アイコン」等の機能に関して、「一九七〇年代にゼロックス社のパロアルト研究所で働いていたアラン・ケイというエンジニアが(中略)ディスプレー上が魅力的になるように(中略)アイコンを描いたり、マウスでポインタを動かしたり、さらには、ただかっこよく見えるという理由で、機能のないアニメーションを加えたりした」「浪費をして、見て楽しいものをつくる目的はなんだろう。それは子どもを含む一般の人にコンピューターを使いやすくすることだ。ケイのGUI(操作の対象が絵で表現されるグラフィカル・ユーザー・インターフェース)の仕事は、ゼロックス社のアルトやのちのアップル社のマッキントッシュにインスピレーションを与え、一般の人にコンピュータを開放することで世界を変えたのである。技術者の仕事はどんなテクノロジーがためになるかを決めることではない、とケイにはわかっていた」と述べている。これは「アイコン」等が私たち社会にとっていかに有用であるかを示している。ともあれ、詳しいことは後述するが、先に「情報化時代」に関する建築家の磯崎新の論文を引用する。

 磯崎新は『新建築』(二〇〇九年三月号)誌に掲載された『〈建築〉/建築(物)/アーキテクチャー』の論文で、「アイコン」は「最初は画面上の印だった。それが今ではメディア内で流れる情報を仕分けし、差異化するイメージを代理し始めている」と述べている。更に、「バーチャルなメディアの世界では、伝達に独特の型が要請される。時には言葉であり、時には兆候(サイン)となる」「IT革命のあげく、ウェブ・インフラがグローバルに整備され、その中では唯一実在すると考えられた身体が投入されている世界とは異なる法則が働き始めた。疑われなかった空間・時間でさえ圧縮されて、順序と距離に置換されている」「このバーチャルな場は、ひとつの発明品であり、操作可能に設計され、あげくに勝手に増殖している」等々と述べている。これらは『ニコニコ動画』について書いていると言っても過言ではない。この論文は「情報化時代」における空間観が、前世紀のモダニズムのそれとは全く異なるということを極めて的確に表現している。

■ 建築

「形態はアイコンに従う」(Form follows icon)と前節で書いた。これは本論のタイトルでもある。では、もう少し詳しく書く。ゲームクリエイターのZUNは『PLANETS vol.7』(二〇一〇年)の対談で、「こういうキャラクターだからこういうシステム(中略)という方が俄然面白い」「遊ぶ側だけではなくて、キャラクターを付けることは作る側にも優しいんですよ。何もないところから新しいシステムを考えようと思っても、機械的なシステムしか出てこない。でもキャラクターがあると『このキャラクターだったらこうするんじゃない?』となって、アイデアが出しやすくなる」等々と語っている。興味深い。特に「キャラクターを付けることは作る側にも優しいんですよ」と語っているところが興味深い。「キャラクター」と「アイコン」はほぼ同義であるので書き換えると、「アイコン」から建築形態を考えるプロセスは、「作る側」である建築家や建築学生にとっても「優しいんですよ」ということになる。もっと言えば、僕が掲げた「形態はアイコンに従う」(Form follows icon)の言葉の最大の効力はこの「優しいんですよ」にあると言っても過言ではない。また前節ではジェイムズ・ジョイスの『若き芸術家の肖像』から引用して、「叫びとか韻律とか気分」こそが私たちの出発点であると書いたが、「叫び」や「気分」などからそのまま建築を起こすのは正直きつい。というか、それはほとんど不可能である。しかし、「アイコン」から建築形態を考えるプロセスを用いることで一気に優しくなる。今日の建築では相変わらず「きつさ」が奨励されているが、それはもはや時代遅れの観念である。これからの建築に必要なのは「優しさ」なのである。

 また、都市経済学者のリチャード・フロリダは『クリエイティブ資本論――新たな経済階級の台頭』(二〇〇八年)で、「私たち人間は、神ではない。私たちは無から何かをつくり出すことはできない。私たちにとってのクリエイティビティとは、合成の営みであり、創造したり合成したりするためには刺激が必要なのである。その刺激によって、既存の枠組みを解体し、乗り越えながら、一つひとつばらばらなものをいままでにない新しいやり方へとまとめ上げるのだ。アインシュタインも『組み合わせ遊び』と呼んだように、選択の幅を最大化したい、新しいものを常に探し求めていたいという欲求は、奇妙な組み合わせを思いつく可能性を高めるがゆえに、クリエイティブな考え方に本来的に備わっているものだと私は感じている」と述べている。これも興味深い。特に「クリエイティビティとは、合成の営み」と述べているところが興味深い。でも、「組み合わせ遊び」は、例えば『ニコニコ動画』では既に毎日のように繰り広げられている。ある一つの作品から「2次創作」が生まれて、更には「n次創作」へ至るなどのプロセスが繰り返されている。「組み合わせ遊び」はクリエイターにとっては本質的に楽しい行為なのだろう。また、「形態はアイコンに従う」(Form follows icon)と前節で書いたが、この「組み合わせ遊び」を行うために建築に使用する「アイコン」は一つではなくて、複数であるほうが良いということを示している。また、この「組み合わせ遊び」は、文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースの『野生の思考』(一九六二年)の「ブリコラージュ」(器用仕事)を連想させる。ウィキペディアの「ブリコラージュ」の項から簡単に引用すると、レヴィ=ストロースは、「著書 『野生の思考』(一九六二年)などで、世界各地に見られる、端切れや余り物を使って、その本来の用途とは関係なく、当面の必要性に役立つ道具を作ることを紹介し、『ブリコラージュ』と呼んだ。彼は人類が古くから持っていた知のあり方、『野生の思考』をブリコラージュによるものづくりに例え、これを近代以降のエンジニアリングの思考、『栽培された思考』と対比させ、ブリコラージュを近代社会にも適用されている普遍的な知のあり方と考えた」とのことである。今日のポストモダン社会で求められるのは、近代の「栽培された思考」ではなく「野生の思考」のほうである。更に、最近の記号論の知見によると、人間は記号(アイコンを含む)を操る生き物であり、人間が扱う記号システムは人間の認知や他の能力などに支えられてボトムアップ創発したシステムと見なすことが出来る、とされている。

 それから、評論家の大塚英志は『キャラクター小説の作り方』(二〇〇三年)で、キャラクター小説に関して、「仮構しか描けない、と自覚することをもって、初めて描き得る『現実』がある」と述べている。このことは建築デザインにおいても「アイコン」を用いることでしか感性的に表現できない「現実」がある可能性を示している。建築に「アイコン」を用いることで、建築の可能性が一気に広がるのである。いずれにせよ、サブカルチャーと呼ばれている分野での見解の多くは、「アイコン」に従って建築形態を考えることを提案している本論とかなり相性が良い。本論によってサブカルチャーと建築の距離が縮まる可能性も考えられる。また、評論家の宇野常寛は『リトル・ピープルの時代』(二〇〇一年)で、「現代におけるコミュニケーションそれ自体が、(自己の)キャラクター化を通じた現実の多重化=<拡張現実>を孕んだものに他ならない」「キャラクターへの愛=虚構への欲望と、キャラクターへの愛を共有することで成立する現実のコミュニケーションへの欲望は密接に結びつき、ほとんど不可分になっている」等々と述べている。繰り返しになるけど、これらの「キャラクター」を建築の「アイコン」に置き換えても何ら差支えない。このことは、哲学者のジャック・デリダの「脱構築」という思想(エクリチュールの先行性)を連想させる。また、詩人、作家、劇作家のオスカー・ワイルドは「現実が人生を模倣するよりもはるかに多く人生は芸術を模倣する」と述べている。いずれにせよ、サブカルチャーと呼ばれている分野では、既に情報テクノロジーが生成した新しい環境世界と不可分の関係になっている。情報化時代に適合する新しい建築の可能性のヒントがここにあるのだ。

■ 都市

 視点をズームアウトしてみよう。都市計画家のケヴィン・リンチは「分かりやすさ」(Legibility)という概念を提唱している。ケヴィン・リンチは『都市のイメージ』(一九六〇年)で、「鮮明なイメージは、人間の行動をなめらかにし、すみやかにするにちがいない」と述べている。それに対して同書で「分かりにくい都市」として挙げられているのが、ニュージャージー州東部に位置するジャージー・シティである。日本で言えば「ファスト風土」みたいな都市だろうか。同書から少し引用すると、ジャージー・シティでは「それ自身の中心的活動はほとんど見当たらない」「人間が住むための場所というよりはむしろ通過するための場所であるかのような印象を与える」「個々のスケッチや面接調査を検討したところ、この都市について包括的な概念といったようなものを持ち合わせている者は、長年ここに住む被面接者の中にもひとりもいないことがわかった。彼らが描く地図は断片的で、空白の部分が大きく、自分の家のまわりのせまい部分に集中しているのが多かった」「かれらが抱いているイメージが、知覚によって得られた具体的なものではなく、概念的なものだったことである。とくに印象的だったのは、視覚的なイメージによらずに、通りの名まえや用途の種類によって説明する傾向が強かったことである」等々と述べている。要するに、都市に「視覚的なイメージ」がないと、行動範囲が「自分の家のまわりのせまい部分に集中」するなど極めて断片的なものになってしまうということである。よって、都市に「アイコン」となるような建築があると、「人間の行動をなめらかに」するだろう。そのヒントは前述のアラン・ケイGUI(ディスプレー上に操作対象が「アイコン」等の絵で表現される)の話にある。ちなみに、都市計画家、建築家の曽根幸一は『都市デザインノオト』(二〇〇五年)で、ケヴィン・リンチの「都市観のもっとも卓抜した点は、(中略)それまで都市や環境が、機能とか構造といった抽象的な言葉でしかとらえられていなかったのを、眼にみえるものの操作という即物的でかつ感覚的な次元に引き戻した」ことであると述べている。この「感覚的な次元」について、別の研究から少し引用しておこう。

 認知科学実験心理学を専門にする研究者のコリン・エラードは『イマココ――渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学』(二〇一〇年)で、「人間は空間を飛躍して、自分のニーズに合わせて頭の中で空間をつくり直してしまう」「私たちは頭の中で、距離と方向はあきれるほど無視する一方、位相的な関係についてははっきり示そうとする。(中略)伸びるゴムのシートの上に描かれた位相地図は、ゆがんではいても、空間の関係についてはいくつもの情報を伝えている」「私たちの頭の中にある地図は、物理や数学で説明できるものとはまったくことなっているが、ある意味、生きのびるために空間を支配したいという私たちの欲求と、記憶の限界をすり合わせたものだ」「頭の中で空間を思い描き、様式化し、変容させることができる能力を持つ人間は、他の動物にはできない方法で自らを解き放ったのだ」と述べている。ここからまず分かることは、二〇世紀のモダニズムの空間観は、私たちの頭の中にある地図や空間認知の方法とは全く異なるということである。物理的な空間と人間(脳)が再構成する空間は異なるのである。その再構成された空間は、むしろ前節で書いた「情報化時代」の空間観に近いのではないだろうか。都市に「アイコン」となるような建築があると、空間の記憶は容易になるだろう。更に、そのような建築はリアルな都市の位相地図を変容させる力を持つことになるだろう。また、本論からやや外れるがブレーズ・パスカルは「心情は、理性の知らない、それ自身の理性を持っている」と述べている。解明されるべきは、私たちの感覚や心情が持つ仕組みである。やがてリアルな都市とバーチャルな場という対立は崩れて行くに違いない。

■ 価値

 次に建築の芸術としての「価値」について考えてみる。政治哲学者のマイケル・サンデルはテレビ番組の『ハーバード白熱教室』(二〇一〇年)で、シェイクスピアの『ハムレット』とアニメの『シンプソンズ』のどちらに価値があるかの問題を提起している。ほとんどの人はシェイクスピアに価値があってアニメにはないと答えるだろうが、それならばシェイクスピアの価値は一体どこにあると考えられるのだろうか。哲学者のイマヌエル・カントは『判断力批判』(一七九〇年)で、「美学的判断というのは、判断の規定根拠が主観的でしかあり得ない」と述べる一方で、「美は、概念にかかわりなく、普遍的に快いものである」と述べている。つまり、美学的判断は主観的でしかあり得ないが、それは普遍的であると述べている。これは矛盾しているようにも見えるが、ここでは作品の判定と主観の間に「一切の利害関心がない」ことが前提になっている。利害関係がなければ作品の判定は純粋に「満足あるいは不満足」で判定されるというわけである。そう考えると、シェイクスピアに価値があるとされるのは、約四百年も昔からずっと上演され続けているからだろう。四百年という時の経過は人々の利害関係を既に消尽させているに違いない。よって、建築の芸術としての「価値」は歴史に委ねられることになる。しかし、今を生きる私たちにとって、そのような歴史的視点がどれだけの意味を持つのだろうか。冒頭のプロローグで書いた「復古主義」を肯定することにもなりかねない。私たちが正面から向き合わなければならない問題は「美学的判断は主観的でしかあり得ない」ということである。評論家の宇野常寛は『リトル・ピープルの時代』(二〇一一年)で、もはや「大きな物語」はない、ビッグ・ブラザーはいない、個人は「小さな父」(リトル・ピープル)になるしかないと論じている。この論は現在のリアルを極めて的確に捉えている。「情報化時代」における建築の新しい「芸術論」は、「美学的判断は主観的でしかあり得ない」ことを前提に構築しなければならないのである。だが、主観を出発点にするのは正直きつい。個人への負荷が重すぎる。しかし、ここでも「アイコン」が有用となる。前節でゲームクリエイターのZUNの話からヒントを得たように、建築に「アイコン」を用いることで一気に優しくなるからである。繰り返すが、これからの建築に必要なのは「優しさ」なのである。ある意味、芸術論のコペルニクス的転回である。

■ アイコン建築

「情報化時代」は「時代の意志」である。「情報化時代」では誰もが「小さな父」(リトル・ピープル)で、誰もが「美学的判断は主観的でしかあり得ない」のだが、その一方で、「情報化時代」では多様なコミュニケーションの形態が生成している。その生成の媒体(運び屋)となっているのが、アイコン、キャラクター、2次創作、等々である。『ニコニコ動画』はその代表例である。さて、「現在という時代に適合する新しい建築論の構築を試みる」と冒頭のプロローグに書いたのだが、その大半は既に説明し終えたので、最後に簡単にまとめておこう。まず【第一】に「美学的判断は主観的でしかあり得ない」ことを受け入れる。しかし、それだけでは個人への負荷が重すぎるので、【第二】にこれを「優しく」する方法を考えることになる。その方法については前節で「キャラクターを付けることは作る側にも優しいんですよ」「僕が掲げた『形態はアイコンに従う』(Form follows icon)の言葉の最大の効力はこの『優しいんですよ』にあると言っても過言ではない」と書いている。また、都市に「アイコン」となるような建築があると、「人間の行動をなめらかに」すること等々についても言及した。そして【第三】以降は方法の体系が組み立てられていくことになる。例えば僕は前節で「『組み合わせ遊び』を行うために建築に使用する『アイコン』は一つではなくて、複数であるほうが良い」と書いている。では、【第四】について書く。

 経済学者、数学エッセイストの小島寛之は『数学的思考の技術―不確実な世界を見通すヒント』(二〇一一年)で、村上春樹の小説は、「論理文の厳密性を巧みに利用して、読者に特殊な感覚を想起させる」「村上の論理文の多用は、『確信犯』だといっていい」「村上春樹の小説は、外国でも非常によく読まれている」「村上の小説では、論理文によって作家の推理、思考のプロセスが記述されているから、その世界観がどの国の人にでもそれなりに正確に伝わるのだろう」「哲学者ヴィトゲンシュタインが、『記号論理こそ人間の認識にとって最も普遍的なもの、いわば人間の生そのもの』と見なしたのは、まさにそういうことだったんだと思う」「村上春樹の小説は、論理文を利用して、一方では、文体に特殊なフレーバーを加えた」「作家が世界をどう見つめ、どう認識し、どう理解しているか、まさにそのことを、国境を越えて読者に、普遍的に、的確に、伝え得ている」と述べている。論理文、記号論理が文学作品にも有効であることが論じられている。

 更に、モダニズムの建築家のミース・ファン・デル・ローエは、「二個の煉瓦を注意深く置くときに、建築が始まる。建築とは、厳密な文法をもつ言語であり、言語は、日常目的に散文として使える。また言語に堪能な人は、詩人になれる」と述べている。一応、この文にある「煉瓦」を「アイコン」に置き換えれば、モダニズムを「ハッキング」することができる。モダニズムを「ハッキング」するのは、論理文がモダニズムと同じであるということである。また、ミースが「言語に堪能な人は、詩人になれる」と述べているところが興味深い。本論で書いた「情報化時代」における建築の新しい「芸術論」においても、アイコンの扱いに堪能な人は、詩的な建築を目指すことになるだろう。更に、「建築とは、厳密な文法をもつ言語」と述べているところも興味深い。

 この「文法」については「百聞は一見にしかず」なので、見本例を使って説明する。僕が描いた建築ドローイングの「バレンタインの家」です(図-2)。この案では「小屋型」と「ハート型」の二つのアイコンを組み合わせています。「文法」は矢印で図示しています。この案が詩的であるかどうかは分からないけど、僕の主観ではとても気に入っています。あと、僕のブログ「未発育都市」には、その他に「木の家」「飛行機の家」「スケッチブックの家」「星の家」「日傘の家」「絵本の家」「流れ星の家」「土星の家」「木々の家」「リボンの家」「リボンの集合住宅」等々を描いて載せているので、興味がある方は是非。ところで、この「バレンタインの家」を大学の建築学科の設計製図の演習課題で提出したら、一体どうなるのだろうか。あの女学生(乙女チック)のような目に遭うのだろうか? (終わり)


図-2 『バレンタインの家』

2013年3月19日

以上です。

ご意見・ご感想等がありましたら、僕のツイッター@mihatsuikutoshi)等に知らせて下さい。




同人雑誌『ニコちく―「ニコニコ建築」の幻像学』の表紙・背表紙、P48-49、P50-51

新国立競技場は建築設計コンペで最優秀賞に決定したザハ・ハディド案で建てなければならない――建築家の槇文彦氏を批判する

2020年に東京で開催されるオリンピックとパラリンピックのメインスタジアムとなる「新国立競技場」のデザインが物議を醸している。その発端は、建築家の槇文彦氏が日本建築家協会の機関誌「JIA MAGAZINE」の2013年8月号に寄稿した「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」の論考である。槇文彦氏はこの論考で「新国立競技場」は「巨大すぎる」と批判している。その翌々月の2013年10月にこの論考を新聞メディアが相次いで報道し、この問題が多くの人々に知られることとなった。

さて、「新国立競技場」のデザインは上記の論考のちょうど1年前の2012年に行われた建築設計コンペの「新国立競技場 国際デザイン・コンクール」で決定した。2012年10月30日に二次審査対象作品11点が公表され、翌月の2012年11月16日にその中から最優秀賞が決定した。最優秀賞を射止めたのは、ロンドンを拠点に活躍する建築家のザハ・ハディドである。この時のネットでの反応を僕はログってあるのだが、ま、この時から「宇宙船」だの「カブトガニ」だのと揶揄られていたのではあるが、概ね好評であった。二次審査対象作品11点が公表された時点で最も人気が高かったのもザハ・ハディド案であった。ザハ・ハディドは勝つべくして勝った、というのが当時の僕の印象である。

しかし、一つだけ例外があった。この審査結果に対して、日本の建築家たちは頭を抱え込んでしまったのだ。これは「最悪の結果である」と。日本の建築家たちのこのような反応に当時の僕は、一般人の反応と建築家たちの反応がこれほどまでに食い違うケースは珍しいと傍観していたのだが、振り返ってみれば、この時点で日本の建築家たちはザハ・ハディド案が「巨大すぎる」とは誰も批判していなかった。これは明記しておかなかければならない。日本の建築家たちはあくまでもザハ・ハディド案のデザインが気に入らなかったのである。些細なことに思われるかも知れないが、実はこれこそが「新国立競技場」問題の本質なのである。

だが、その本質が直接、語られることはない。建築家の槇文彦氏をはじめ「新国立競技場」のザハ・ハディド案に反対する日本の建築家たちが主に問題視しているのは(1)建物が「巨大すぎる」こと、(2)予算をオーバーしていること、(3)技術的な問題などの回りくどい理由である。もちろん、これらはとても大事なことではあるのだが、一方では、日本の建築家たちは建築の本質をストレートに語り得る言葉をもはや持っていないということを露呈させてしまっている。

「新国立競技場」の建築設計コンペの審査員の一人であった建築家の内藤廣氏は2013年12月9日付の「建築家諸氏へ」(PDF)と題した文章で、「ザハの案が、建築的な議論として深まっていかないことも不満です。あれほど個性的な案が選ばれたのですから、本来なら、建築とは何か、建築表現とは何か、建築には何が可能なのか、というより根源的な議論が巻き起こってしかるべきなのに、語られているのは「分かりやすい正義」ばかりです」と現状を嘆いている。日本の建築家たちが「分かりやすい正義」によって「新国立競技場」のザハ・ハディド案を引きずり下ろそうとしていては、日本の建築家たちはやがて自滅するだろう。

(もちろん、建築家たちが感知しているような本質、または建築家たちにしか感知できないような本質は幻想である、建築にそのようなものは存在しない、建築は芸術なんかではないと主張することもできるだろう。美術雑誌の『ユリイカ』に連載中の建築評論家の飯島洋一氏の「「らしい」建築批判」ではそのように論じられていて、「新国立競技場」のザハ・ハディド案をはじめ、建築家の伊東豊雄氏が設計した「せんだいメディアテーク」や建築家ユニットのSANAAが設計した一連の建築作品などを酷評している。)

さて、上記の(1)〜(3)について一通り言及しておこう。(1)建物が「巨大すぎる」ことについては、まず「新国立競技場」の建築設計コンペ時のザハ・ハディド案は、敷地をはみ出して鉄道や高速道路をまたいでいることが批判されたが、これは後の縮小案で既に解決済である。ちなみに、建築家が建築設計コンペで敷地をはみ出した案を提出するというのは割と日常茶飯事である。そのような提案は建築界の慣習として認められている。例えば、1986年に行われた「東京都庁舎」の建築設計コンペ(最優秀賞に選ばれたのは建築家の丹下健三氏で、現在のツインタワーのあれのこと)での建築家の磯崎新氏の案は、中央の道路をぶっ潰している(平松剛著『磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペ』を参照)。よって、ザハ・ハディド案は敷地をはみ出しているからけしからん! と批判する人は建築界の慣習を知らないだけなのだ。

また、(1)建物が「巨大すぎる」ことについては、建物の高さも問題視された。「神宮の森」の景観が破壊されるという批判である。だが、これも2014年5月28日に承認された基本設計案で既に解決済である。この基本設計案では建物の高さは75メートルから70メートルに変更された。下図は「新国立競技場」の公式サイトの第5回の資料1の3をまとめたものだが、これの「現状」と「計画案」を見比べると、「神宮の森」からの景観はもはや全く問題がなくなったことがはっきりと分かる。

というわけで、「神宮の森」の景観は守られた、これにて一件落着だと言いたいところなのだが、建築家の槇文彦氏はこれでは引き下がらなかった。2014年6月15日に都内で開かれたシンポジウム「神宮の森から新国立競技場を考える」で槇文彦氏は今度は建物を地上から見ると「巨大な壁」になると批判した。だが、この問題もいずれ解決されるだろう。だが、解決されるや否や、槇文彦氏はまた別の理由をつくると僕は予想する。おそらく、終わりなき「イタチごっこ」になるだろう。また、槇文彦氏は同シンポジウムで「新国立競技場」はまるで巨大な「土木構築物」だと批判したが、この発言はさすがに土木関係者に失礼であると言わざるを得ない。

ところで、「イタチごっこ」になると書いたが、補足しておくと、なぜそうなるのかと言えば、上記に書いたように「新国立競技場」問題の本質は日本の建築家たちがザハ・ハディド案のデザインを気に入っていないということだからである。そして、そのことを日本の建築家たちは直接は語らずに、理由をその都度、後付けするからである。そして、後付けされるのは「分かりやすい正義」の言葉である。ここに奇妙なねじれが生じている。なぜなら、日本の建築家たちが発した「分かりやすい正義」の言葉が一般人を扇動するからである。繰り返すが、「新国立競技場」が物議を醸していることの発端は、冒頭に書いた槇文彦氏が日本建築家協会の機関誌に寄稿した論考である。そして、日本の建築家たちに扇動させられているのは主に左翼(リベラル)系の人々である。余談ではあるが、ツイッターを観察していると、大体、「新国立競技場」のザハ・ハディド案に反対している人々は同時に「反原発」「反自民」「反安倍」である。

また一方で、左翼系の人々は「反国家」「反体制」などのスローガンを骨の髄まで愛している。そして、言うまでもなく「新国立競技場」は「国立」だ。つまり、左翼系の人々が最も好んで敵対した相手なのである。実際、今月の6月11日に開業した巨大建築物である「虎ノ門ヒルズ」に対して左翼系の人々が完全にスルー(黙殺)しているのは、これが「国立」ではないからだ。更に、由緒ある建築物である「ホテルオークラ東京」や「九段会館」の取り壊しが既に決まっているのだが、これらも完全にスルーされている。現代の左翼はもはや「資本主義」とは戦わない(五十嵐敬喜氏を除いて)。以上をまとめると、日本の建築家たちは「新国立競技場」問題の本質を語っていないし、日本の建築家たちに扇動された左翼系の人々は「新国立競技場」問題の本質を知らない。また一方で、左翼系の人々は「反国家」「反体制」というお気に入りの対立図式にすっぽーんと入り込み、そこに日本の建築家たちが次々と「分かりやすい正義」という燃料を供給しているのである。両者の関係はこのようにねじれているのである。(もちろん、「新国立競技場」のザハ・ハディド案に反対している人の全てが、このねじれの中にいるということでは決してない。また反対に、国立の競技場を何で外国人が設計するんだ? といった愛国ネトウヨなツイートも散見する。)

やや話が変な方向に脱線したが、そのついでに今回のような景観問題について少し補足しておくと、そもそも景観というのは人それぞれの「感じ方」の問題であるから、正しい答えがあるわけではない。僕は「新国立競技場」のザハ・ハディド案を支持しているが、もし立地が明治神宮の「外苑」ではなく「内苑」だったら僕は大反対していただろう。景観は論理で割り切れる問題ではないのである。先月の5月30日にJSC(日本スポーツ振興センター)が公表した「新国立競技場 国際デザイン・コンクール報告書」には建築設計コンペの審査過程での激論が明らかにされているのだが、そこには「明治神宮の歴史を見ると、内苑は伝統様式でつくる。一方、外苑はヨーロッパ的な、外から来たものを積極的に取り入れている。ある種の異物、近未来的なものがあってもおかしくないという観点で評価した」と記されている。これは極めて妥当な判断であると言えるだろう。実際、明治神宮の外苑に建つ「聖徳記念絵画館」は洋風の建築である。

また、都市部における公園(緑地)のあり方の答えは一つではない。例えば、東京ミッドタウンに隣接する「檜町公園」(下図)は今日でも人気スポットとして人々に大変に親しまれている。巨大建築物と公園(緑地)は共存可能なのである。更に、マンハッタンの「セントラル・パーク」は四方を高層ビル群に囲まれているのだが、その強烈なコントラストがこの場所の魅力の一つになっている。公園(緑地)の景観を現状維持することだけが唯一解ではない。時代と共に変えるところは変えて行くべきである。明治神宮の外苑のイチョウ並木は大変に美しいと思うけど、「聖徳記念絵画館」の周りは駐車場(アスファルト)で固められている。こんなので本当に景観を大事にしていると言えるのかと疑いたくなるような惨状で、はっきり言って、ボロい。これを現状維持するのは馬鹿げている。

それともう一つ。これは本当はこの記事の最後に書く予定だったのだが、今書いておこう。建築家の槇文彦氏の発言は極めて重い、ということである。これは決定的に重要なことである。槇文彦氏は世界最高峰の建築家の一人なのである。1993年には「建築界のノーベル賞」とも言われるプリツカー賞を受賞されている。そのような世界最高峰の建築家が景観について語った場合、そこには凡人には想像し得ないような格段な何かがあると考えるのが最も正しい姿勢である。だが、そのことが別の問題を引き起こしてしまうとしたら、どうだろうか。ま、これは予定通りにこの記事の最後に書こう。

では、次に(2)予算をオーバーしていることについてだが、日本の建築家たちがこれを理由に批判するのはあまりにも唐突である。なぜなら、建築家が予算をオーバーするのは割と日常茶飯事だからである。例えば、2002年に竣工した「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」は予算を大幅にオーバーして訴訟にまで発展したのだが、それを理由に日本の建築家たちがこの建物を批判したことは僕の知る限りでは一度もない。それどころか、この建物は日本の建築家たちの間では極めて評価が高い。同様に、建築家の丹下健三が設計した「国立代々木競技場」(1964年の東京オリンピックの時に建設された)も日本の建築家たちの間では極めて評価の高いのだが、これも予算オーバーだった。丹下健三氏は当時大蔵大臣だった田中角栄のところに直談判に行き、追加の予算をもらってきたそうだ。

もちろん、日本の建築家たちのこうしたお金に対して無頓着な姿勢が建築家の信用を著しく損ねているのは事実である。また、僕個人的には(お金にうるさいので)平気で予算をオーバーする建築家たちは許せないという思いが強い。でも一方で、現代美術家村上隆氏は2014年6月12日付のフェイスブックに「超高額な建築費、上等じゃんか!やったる!ってならない風潮が、俺は嫌だね!本質的な国際的な、勝負を放棄して何を売り込むって言うんだよ!」「安くしたらそれがいいのかよ?」「やれ節約だ、金抑えれるだとか、ものづくりの本質論とは別次元でチヤホヤ担ぐリベラル風情のいい気な感じ、超アホだな!」「未来を創る芸術には才能と狂気と金が必要なんだ!」等々とアツく語っている・・・こういう考え方もあるのかも知れない。

ついでに、脳科学者の茂木健一郎氏は「国立競技場は、どうあるべきか」から始まる2014年5月30日付のフェイスブックに前述の村上隆氏とはちょうど正反対のことを書いている。少し引用すると、「近代における建築とは、建築家の作家性、いわば「エゴ」の表現でもあった。いかに独創的で、斬新な意匠を生み出すか。建築家は芸術家であり、革新者でもある。しかし、日本の建築が評価されているのは、そのような文脈においてではない。そこが、日本の建築は新しいのだ」とのことである。エゴを消せ、自己を消せ、独創性を出すな、目立つな、多様性をなくせ、社会の空気と同化せよ、というのはいかにも日本人らしい発想であるし、現代の日本の若い世代もこの傾向により一層、向かっていると言われている。だが、僕個人的にはそれはとても窮屈な社会ではないかと思うし、幸いにして建築家のエゴと都市は共存可能なのである。

一例を挙げよう。2010年にシンガポールに「マリーナベイ・サンズ」というホテルが開業した。下の写真がそれなのだが、見て瞬時に分かるように、高層ビルの屋上に巨大な船が乗っているという極めて独創的なデザインの建築である。知っている方も多いだろう。日本人観光客もここにわんさか訪れている。今や「マリーナベイ・サンズ」はシンガポールの新しいアイコン(ランドマーク)となっている。だが、この建築を設計した建築家を一体どれだけの人が知っているのだろうか。建築家は確かに独創的なデザインの建築を設計することで自らのエゴを満たしたと言えるが、同時に、これはシンガポールの建築なのである。つまり、建築家のエゴと都市が共存しているのである。このような独創的なデザインの建築を東京にもたくさん建てるべきである。「新国立競技場」のザハ・ハディド案はその先駆けとなるだろう。

では、最後の(3)技術的な問題について。確かに「新国立競技場」のザハ・ハディド案は技術的な問題が山積している。現在の段階でも解決されてない問題は無数にあるだろう。だが、そのこととザハ・ハディド案を廃案にせよと主張することは直結しない。例えば、1973年に完成したシドニーの「オペラハウス」は建築設計コンペで建築家のヨーン・ウツソン案に決定したのだが、ヨーン・ウツソンがコンペ時に提出したのは図面ではなくアイデアを書き留めたドローイング程度のものだった。その後、大幅な変更をして現在のデザインに至ったという経緯がある。そして、今日では「オペラハウス」はシドニーを代表するアイコン(ランドマーク)となっている(下図)。もちろん、これはやや極端な例ではあるのだが、それでも僕は建築設計コンペとは基本的にはそういうプロセスを経るものだと考える。

その理由は大きく2つある。1つは前述のシドニーの「オペラハウス」のような大胆な案を募るためである。もう1つは建築設計コンペで技術的な問題の隅々までクリアしたような極めて完成度の高い案を求めるようになってしまうと、建築設計コンペに参加するコストが一気に増大してしまうからである。そうなると、どうなるだろうか。建築設計コンペに参加できるのは、豊富な資金を有する大手ゼネコンか大手設計事務所かスター建築家(Starchitect)だけになってしまうのである。要するに、「富める者はますます富み、貧者はますます貧しくなる」と新約聖書のマタイ福音書に書かれている格差社会化云々のあれと同じである。建築設計コンペで勝つのは、私腹を肥やした老害建築家ばかりになって、資金をほとんど持っていないような若い世代の建築家たちが建築設計コンペに勝って設計する仕事を獲るチャンスから遠ざけられてしまうのである。この状況を僕は全く望ましいとは思わない。よって、建築設計コンペでは技術的な完成度を求めすぎてはならないのである。

以上、(1)〜(3)について一通り言及した。(2)について僕は明確な態度を示していなかったが、現代美術家村上隆氏の考え方で良いと思う。ま、細かい話を抜きにすれば、これから東京はどこへ向かうのかということである。未来志向か、それとも現状維持志向か。僕はもちろん前者を支持している。そして、未来志向であるということは失敗に対して寛容になるということと同義である。なぜなら、私たちは未来を正確の予見できるほど万能ではないからである。未来はトライアル・アンド・エラー(試行錯誤)によってのみ造られる。実際に建ててみて失敗だった例では、パリの「モンパルナス・タワー」やセントルイスの「プルーイット・アイゴー」が挙げられる。また、建築設計コンペ時は賛否両論だったが、現代では成功だったと言われている例では、パリの「エッフェル塔」(下図)や「ポンピドゥー・センター」が挙げられる。

現在、「新国立競技場」のデザインが物議を醸しているわけだが、仮にこの世の中に完璧なものなど存在しないとしたら、賛成するよりも反対するほうが楽である。賛成しようと思ったら、そこに必然的に存在する欠点に対して寛容になる姿勢が求められるのに対して、反対するほうはひたすら不寛容な姿勢を貫けばいいからである。もちろん、そのどちらが人として道徳的に優れているかは言うまでもないけどな。未来は分からない、でも、僕らは新しい可能性に賭けるべきである。

では、最後のもう一つだけ。今回の記事のタイトルに入れた、「新国立競技場」は建築設計コンペで最優秀賞に決定したザハ・ハディド案で建てなければならない理由についてである。

先ほど、僕は景観問題について「そもそも景観というのは人それぞれの「感じ方」の問題であるから、正しい答えがあるわけではない」「景観は論理で割り切れる問題ではないのである」と書いたのだが、それと相似して、建築設計コンペでどの案をどのようにして決定したら良いのかも論理で割り切れる問題ではない。だからこそ、案の審査プロセスを精査することが重要になる。求められるのは、正当な審査プロセスである。とは言え、完璧なものは存在しないだろう。でも、それは民主主義でも同じことである。イギリスのチャーチル元首相は「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けばだが」と述べている。

また一方で、建築設計コンペという方法には長い歴史がある。建築設計コンペでの審査プロセスにおけるノウハウは既にかなり蓄積されているので、完璧ではないにせよ、僕はそれほど悪くない方法だと考えている。建築設計コンペでの審査プロセスは時代を重ねることで少しずつ改良していくしかない性質のものなのだ。そして、「新国立競技場」のザハ・ハディド案は、完璧ではないにせよ、そのような正当な審査プロセスを経て選ばれたのであるということはきちんと留意しなければならない。建築設計コンペにおける正当な審査プロセスを決して軽んじてはならない。今回の「新国立競技場」の建築設計コンペでザハ・ハディド案が選ばれたことに異議を申し立てるならば、審査プロセスのどこに問題があったのかを明らかにし、次へとつなげて行くことを目指すべきである。今回の建築設計コンペの審査プロセスよりも次回のほうが良くなっているだろうという幻想を捨ててはならない。

結局、現在、「新国立競技場」のザハ・ハディド案に反対している人々がやっていることは、声を大にして大騒ぎすれば、正当な審査プロセスを経て選ばれた案でさえもぶっ潰せる!ということを実証しようとしているだけである。それは前述の「今回の建築設計コンペの審査プロセスよりも次回のほうが良くなっているだろうという幻想」を粉々に破壊するヴァンダリズムである。もちろん、「新国立競技場」のザハ・ハディド案が気に入らなければ、どんどん批判すればいい。批判はどんな場合であれ有用だ。だが、だからと言って、建築設計コンペの無効化まで要求するのは間違っている。誰が何の権力でそれを要求することができるのかをよく考えるべきである。

繰り返すが、「新国立競技場」のザハ・ハディド案は正当な審査プロセスを経て選ばれたのである。この正当な審査プロセスを最重要視しなければならない。日本の重鎮の建築家が反対したら建築設計コンペを無効にできるなんて前例をつくっては駄目である。そんなことをしたら、やがてろくでもない権威主義が横行するようになる。建築家の槇文彦氏はいいかげんに自重すべきである。なぜなら、上記で書いたように、世界最高峰の建築家の槇文彦氏の発言は極めて重いからである。悪しき前例をつくってはならない。未来に大きな禍根を残すことになるだろう。(終わり)