SNSでも思っていることを吐き出せる場が少なくなった。
あんな素敵な女優さんでさえ、本音を綴っただけで炎上してしまう。
全くの匿名も、本名も、表現するということは人を気にしなければならないのか。



他人から見ればそんなことで、というような私の悩み。
でも私にとっては人生をかけた戦いにも等しいほど、今はその目標に向かって走っている。その目標を課した相手は優しい悪魔のようなひと。あと二ヶ月のリミットは短いのか長いのか。ばあちゃんが死んだときに泣いた涙と同じくらい、一年間泣いて泣いて辛くて楽しくて辛かった日々。


悪魔が残した最後の望み。
私は平凡で平和な毎日を望んでいたはずなのになぁ。

この人のいいところもだめなところも私だけがわかってあげられるなんて自己満足を心に掲げ、この人になら私の全てをさらけだせると信じて疑わなかった。そんな人とお別れした余韻もそのままに、連絡はとってないけどスマホのゲームでは繋がっているので、忘れた頃に送られてくるハートで一瞬心がえぐられる。でも負けちゃいけない。あんな思いは二度としたくない。街を歩くたびについその姿を探してしまうのは、会いたいからじゃない。ただ、ひたすら怖れている。あの死ぬほどバカな自分が甦らないように、前を向いて歩いていけるように。
今年も暑い暑い夏がやって来た。

30歳を超えてからの日々は驚くような速さで過ぎてゆき、仕事もプライベートも相変わらず同じようなことで悩んだりしている。それにしてもこの年になってこんなにも人を好きになると思わなかったし、自分で選択した別れが悲しくて通勤電車の中で涙目になりながら帰宅して米津玄師の曲を聞きながら号泣する日々を過ごすことになるとも思わなかったので人生とはわからないものだ。その人と一緒に行ったコンビニも、その人が好きだったお酒も、毎週のように通った居酒屋も、今はただの涙製造機。人間って食べないと瘦せるんだなぁと毎日体重計を見ながら冷静になってみたり、今までにないくらいの胃の痛みと吐き気で処方してもらった薬の劇的な効果に感動してみたり。そんなときでも仕事に行けば仕事モードがONになり、思い出に浸ることも泣くひまもないほど忙しい。今は少しそれがありがたい。

もう誰も見てない前提で久々に書きまくる。


私の大切にしていることのひとつに、一期一会がある。どんなに辛い経験も、苦手な人も嫌いな人も、出会わなければ良かったとは思わない。それは過去を否定しないことであり、その時の選択を認めてあげること。


最近の色々。友人のことなら客観的に冷静に判断、助言できるのに自分のこととなるとどうしてこんなにバカでアホになるんだろう。相変わらず追いかける恋愛に疲れて落ち込んでたけど、落ちるとこまで落ちたらなんだか相手に感謝の気持ちがわいてきて。思ったことをズバズバ言うところも、本能に正直なところも、私には足りない要素で、憧れで、そうなりたいと思ってしまう。だから離れられない。


もうひとつは仕事のこと。やりたいこと、軽い気持ちでやってみたいこと、今までの経験を踏まえて相手から求められているだろうこと。転職を考えたとき、安定、給与、持病との両立。何を選ぶべきなのか、ここにきて迷いが出てきた。


人生の転機はいつもすぐ近くに。

ちょっとしたイライラや情緒不安定なのは全部ホルモンバランスのせいということにする。


昔の人に会ってみたら、何も変わってなくていいんだか悪いんだか。レストランのドラマで、真っ直ぐな2つの線は1回だけ近づいてまた離れてくみたいなことを言っていて、ああまさに私たちのことだと思ってみたり。



私の周りの人たちに小説みたいなドラマみたいなことがとめどなく起こっていて、嘘のような完全なるノンフィクション。
普通に生きるって難しい。

普通の日々が過ぎてゆくなかで、先のことをよく考えるようになった。
忙しさを理由に、目をそむけていたことたち。


やりたいことは何だったっけ。
何かを選ぶために何かを捨てる勇気を持つこと。


人生は自分が思うよりきっと短い。
そう実感するきっかけをくれたこと、悲しんだりしない。


全ての経験は無駄になんてならない。