思いつき短歌(うた)になるまで落とし込み
ふと気づいたら言葉が消えた
お釜壊れてご飯を焚けぬ
昼食を待つ我に謝罪する人
同じ趣旨違う言葉で歌う我
それはいつもの事ではないの?
二十歳の前後は、けっこう記憶があやふやで。確か十七あたりから、ライターとか編集をさせてくれた個人事務所の仕事をもらっていた。まだ実家住まいで、仕事が始まると泊まり込みになるので、いろいろと準備して向かったものである。
その中で特に気をつけたのは、好きな曲をダビングして作ったカセットテープだった。AIWAのウォークマンとカセットテープをお気に入りのランチボックスに納め、ガシャガシャ鳴らしながらバッグに詰め込んで出発するのが常だった。
徹夜仕事は寡黙になり勝ちなので、イアホンで好きな曲を耳にしながら、書き進める。深夜の編集部で仕事を進めていると、時折自分は好運だったのかな、などど考えては笑いが込み上げることがあった。
少なくとも好運だったのだ、ある意味では。好きな子に付き合ってくれという自由。仕事で失敗してもリカバリできる自由。友人と過ごす自由。いろいろな人に人に引き立ててもらえる、そしてそれを謝絶する自由。
自分の選んだ自由が、本当に正しかった自由なのかはわからない。
だが、確実なのはそれが選ばれたものだということ。私の選んだ私の自由だということだ。それから四十年が経とうとしている。
私は自分の選んだ自由が、間違いだったと知った。もうリカバリはできない。
指先にまとわりついた香煙の
我が呟きはタバコの煙
明日のためパン1斤を購えば
彼方に消える鈍色燕
誰も皆特別になどなれないと
歌のフレーズ耳鳴りの音