深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

フラットで行こう?/人災の国・2

フラット。
平坦な状態や等質な状態を指す言葉だそうだ。
この世では、幻想なのではないかと痛感した今年の1月1日。
今はもう、春を迎えているが、解決とは程遠い。
合掌し、凹凸の世を体感しているのだった。

▲『自転車道へ』(写真)
 小雨、ないしは曇天。
 されど、写真のように、人のいない自転車道をのんびり走っていると、気分はいい。
 次々と風景も変化していくのだった。

www.youtube.com【想い出していた唄/今日も少しだけ】
 2009(平成21)年2月。
 加藤和彦氏は、『ひっぴーえんど』という音盤を発表している。

 加藤氏が長く、あまりにも長く抱え続けていた昔のことが横溢していて、引き込まれた。
「へえっ、何だかすげえな」

 上に張り付けた唄を聴いたとき、「えっ、この唄を?」と驚いたものだ。
 距離を取っていると想っていたからである。

 実は、加藤氏は、音盤発表のわずか8か月後に自死してしまう。
「自由への長い旅を今日も一人、歩み続けて欲しかったな」と。

 それにしても、晩年と言っていいのに、何と若々しい唄声か。
 合掌

 どうか、今日も、ご無事で。
 そう、体感する日々だ。


【追記/「さてっと」】

www.youtube.com

 もう1曲、張り付けた。
 こういうポップスを、もっともっと量産して欲しかったなあ…。

 佳き日々を。

牙を剥く/この領土で・874

良好な場所。
ただ、食糧・食料が足りないなどの限界がくれば、どうか。
牙を剥くしかない。
いや、そうでもない、おとなしいもの?
ともあれ、限界が来ないように今、何をどうしていくのかといった切実な問い。

▲『枝の昼寝』(写真)
「うん?」
 寄って行った。
「なあんだ」
 枝が昼寝していた。

www.youtube.com【タチが悪いケース/今日も少しだけ】
 漁色家。
 誰にでも、その傾向はある?

「どうかな」と。
 事実、そのものといった人と出逢ったことがある。
 そのとき、想ったものだ。
「おれには、無理だ」

 ちなみに、「恋愛至上主義とは理性のそれで、自己修練云々」との言葉を読んだ。
 今、流通しているそれとは、違っているようである。

 漁色家と、理性。
 ともに、人ならではかと。

 それにしても、老いた漁色家と、認知症になった理性家。
 ともに、タチが悪いケースも見た記憶が、甦った。
 本人にしてみれば、切実なのだろうが。

 一筋縄ではいかない。
 いつものことか。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 賃労働を終え、うつらうつら。
「ひえええっ」
 布団に潜り込んだのだった。
 佳き日々を。

よく分からない/言葉・274

よく分からないことだらけである。
それはそうだろう。
天才・秀才にしろ、森羅万象に通じている人がいるわけがない。
ただし、よく分からないことに反応する人はいる。
重要だというわけで、学べるのだったが。

▲『美味しさの由縁』(写真)
 久しぶりに美味しいコーヒーを飲んだ。
 苦さが届いたのである。
 美味しさの由縁は、いくつもある。
 熱いこと等々だ。
 何より、地べたの暖かさを体感できたことか。

www.youtube.com【母がいなくなる?/今日も少しだけ】
 谷川俊太郎氏の発言は膨大だ。
 その中で、「あっ」と最近感じたことがある。

「母がいなくなる怖さ」について語っていたのだった。
 そう言えば、わたしにもあったなと。

 母は、心臓病があると、子どものときに聴かされ、「えっ?」と。
 倒れたときは、「ここに連絡を云々」と言われたのだろう。

 爾来、元気そうなときでも、ふと不安を感じることがあった。
 最終的には、80歳で胃がんのため死んだが、「心臓病はどうなったのか」と^^。

 母親の死は、自分が生きていけなくなるという恐怖に依拠していたのだろう。
 即物的にも、「今夜の食事はどうなるのか」といったことにも、つながる。

 生きていく。
 それは、親の死の恐怖を超えていくことでもあるのだろう。

 幸い、両親ともに、目の前で死んでいった。
 つまり、死の全容を示してくれて、いたずらに死を怖がることもないと、教えてくれたのだった。
「苦しむのは、嫌だなあ」とは想ったが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 今日も賃労働。
 腰に来ている。
「ま、風呂で温めるか」
 佳き日々を。

守る/この領土で・873

人を守る営為とは、どのようなことか。
互いの秘密を知って、相手と密会すること?
そうではない、違うはずだ。
手が、スッと自然に伸びていくことに他ならないのではと感じている。
そうであって欲しいのだが。

▲『春へ』(写真)
 春の道だ。
 春への道とも言える。
 あるいは、春からの道。
 しびれた^^。

www.youtube.com【なおざり・おざなり/今日も少しだけ】
 なおざりと、おざなり。
 言葉が違う。
 当然、意味も。

どっちがどっちだっけなあ」
 忘れたので、AIに聴いた。
 すると、こう出た。

>「なおざり」と「おざなり」はどちらも「いい加減な対応」という意味ですが、対応の内容が異なります。
「なおざり」は「深く心にとめないこと、本気でないこと、いい加減、かりそめ」という意味です。
 一方、「おざなり」は「いい加減であること、その場のがれのこと、間に合わせ」という意味です。

 つまり、なおざりは、何も対応しないのに対して、おざなりは、いい加減なものの、何らかの対応をするというわけか。
 おざなりのほうが、対応するだけマシ?
 一般論でしかないだろう。

 むしろ、対応しないほうがいいときもあるからだ。
 もちろん、為政者がそうであっては困るのだったが。

 なおざりと、おざなりの時代だ。
 呆れても、呆れても、呆れることができる時代なのだったが。

 わたし?
 それこそ、なおざりで、おざなりのときはある。
 
 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 今夜。
 図書館を2館巡った。
 想わぬ収穫物も。
 佳き日々を。

いくらでも/歩く・68

脳が衰弱していると、どこまでも歩いていくことができる。
どうしたわけか。
茫洋・亡羊として疲れを感じないから?
ストレスを体感しなければいいだけなのだが。
自分で自分を傷めつけないようにするしかない。

▲『あっ」』(写真)
 歩いていた。
「あっ」
 踏み潰すところだった。
「たまには下を向いて歩いていくか」

www.youtube.com認知症の時代/今日も少しだけ】
 認知症の人。
 困っているという自覚がないのだそうだ。

 それ故、何故、周囲の人々が、うるさく言うのが理解できないのだと。
 結果、混乱・困惑し、緊張も。
 恐怖・不安でもあるのだろう。

 そうして、介護拒否に。
 そのことによって、周囲が一段と、つまりは困っていく。

 そもそも、認知症だと、周囲が迷惑していること自体、考えないし、思いもつかないのである。
 自分のことさえ、気づけない領域があるのだから。

 いよいよ、団塊の世代が、介護を必要とする時代に。
 今や、人の道か。

 問題は、支える側にあるのだろう。
 が、介護職員が足りず、今のままでは、とんでもないことになる。

 ちなみに、わたしには、素直なジジイになりたいという野望がある。
 どこまでできるのだろうか?

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「のんびりできたな」】
 今日は、賃労働が休み。
 そこで、水中おちゃらけ歩行にチャリ徘徊、暗黒太極拳などを試した。
 
 現在、腰痛が出ている。
 医師は言った。
「いくら温水とはいえ、腰が冷えるので、プールはお勧めできない。
 それでもというのなら、よく温めることは忘れずに」
 そこで、プールから出て、シャワーでよく温めると、鏡に映った腰周辺は赤くなっていた^^。
 佳き日々を。

若いまま/令和問わず語り・133

かつて親しくした人。
わたしの中で、今も若いまま生きている。
老いて生きていたとしよう。
万が一、再会したとしても、若いままなのだろう。
話をしているうちに、若いころの相貌が現れることは分かっている。

▲『切実な句』(写真)
 重信房子氏は獄中で、遠山美枝子氏をしのび、『三月哀歌』と題した短歌を多く詠んだそうだ。
 新聞ガミに掲載されていた句を読み、何となく写真で撮っていた。
「ああ友よなぜ留まったのか雪山に卑怯になれない君の過ち」

www.youtube.com【怖いことだ/今日も少しだけ】
スマホのショックドクトリン」という言葉と出逢った。
「なるほどな」と。

 では、そもそも、ショックドクトリンとは、何か。
 ウェブには、こう出ている。

>「ショック・ドクトリン」とは,ある社会に壊滅的な惨事が発生した直後の,人々がショック状態に陥り,茫然自失のまま抵抗力を喪っているときに,そのような衝撃的出来事を好機と捉え,巧妙に利用する政策手法のこ とである。

 では、スマホのショックドクトリンとは、何か。
 ウェブで、自分と同じ意見を読んでいるうちに、同じ意見の記事だけがヒットしてしまうというケースのようだ。

 とはいえ、歴史の改ざん記事など読みたくはない。
 そもそも、自分の意見など、情報時代に、いちいち持っていられないという落とし穴もあるのだったが。

 ともあれ、生き延びていくうえで、悪と遠く、少しでも善なる方向が知りたいだけである。
 具体的なアイデアとともに。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 はしゃぐことと、明るさは違う。
 賑やかなことと、陽気さも違うのだったが。

 テレビのお笑い番組を視ていて、痛感していた。
「日常的にも勘違いが跋扈しているよなあ…」
 佳き日々を。

目の前にある何か/情報最前線・62

相倉久人さんは言った。
「今、目の前にあるときだけが、ぼくのもの」
残された人生で読みたいもの・聴きたいもの・見たいもののすべてと接するのは無理だ。
今、目の前にあるもの。
どう接するかこそが肝心か。

▲『ヨーイ』(写真)
 文字を記して、分かった。
「ああ、用意どんか」
 用意して、どんどん走れ^^。
 古希を迎えて、今までの無知を、今日も知ったのだった。

www.youtube.com【今も羅生門/今日も少しだけ】
 下山事件を想う。
 そうして、案の定、石井こうき氏のことを想起した。

 当時、石井氏が生きていたのなら、勇猛果敢に真相解明に挑んだのではないのかと。
 事実、石井氏が殺される前に、その時点での下山事件に手を突っ込んでいたのだとも想えるのだった。

 その後も、下山事件は続いている。
 独立も、自主等々も遠い、この国なのだから。

 それにしても、戦後民主主義の虚妄はすでに、明らかになってしまった。
 新興宗教に、敗戦国の奴隷現象等々。
 まさに、「今ここの羅生門」だらけである。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 腰が痛む。
 眠い。

 今日の100円ヨーガ教室でのことだ。
 結果、死体のポーズのとき、いびきをかいてしまった。
「ああ、今、おれはいびきをかいているな」
 そう、感じつつ、眠っていたのである。
 佳き日々を。

無能な人ばかり/介護時代・6

生産性がない、いわゆる無能な人。
が、痴呆症の人を、簡単には理解できない。
介護職員のベテランでも、嫌な言葉だが、制御できないときが。
無能な人になるのだ。
無能な人ばかりで生き延びていく方途とは?

▲『自転車屋で感じ入る』(写真)
 今日、自転車屋に出向いた。
「いいなあ、この店」
 感じ入った。

www.youtube.com【大切な自転車屋自転車屋の大切さ/今日も少しだけ】
 自転車屋を開業するにあたって、法律上は特に制限がないのだとか。
 ただ、関連する資格があるようだ。

 その試験問題で難しいのが、スポークの修理らしい。
 スポークとは、車輪の中心部から車輪の枠に放射状に延びている針金状の部品のこと。

 実は折れてしまい、放置しておくと車輪がアウトになってしまうのは、素人でも分かる。
 そこで、修理を頼みに評判の個人店へ出向いた。

 驚いたのが、値段の安さだった。
 安いと人気のチェーン店に比べて遥かに安価なうえ、無料でブレーキ等々、あちこちを点検してくれたのだった。
「腕が鳴ったのかな」

 聴けば、大手自動車メーカーに勤めていたという。
 が、どうやら愛想が尽きたようだ。
「トップは、トランクの荷物になって、消えました」
 今は、資格試験の監督官でもあった父親の店を継いだとも。
「特に教えてもらったことはないのですが」

 近隣の人々が、気軽に声をかけていくのも、「いい店だなあ」と。
 その度、長髪を後頭部で束ね、白いヒゲの店主は、自然な明るさで応じていくのだった。

 怖くない歯医者、分かりやすく、かつ素早く応えてくれるパソコン解決屋、真実はいいから事実をいつまでも追いかける新聞社同様、腕のいい自転車屋も大切だなと。
 そう体感しながら、快適になった自転車で、「まるで初夏だね」と走ったのである。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「ウロウロしたな」】
 今日は、賃労働が休みだった。
 そこで、郵便局に始まり、整形外科、手巻きのタバコ屋、100円ショップ、床屋、文房具屋等々へ。
 プールは生憎の閉場だったが、公園では新芽とも出逢えた。
 佳き日々を。

何かをするわけではない/暮らす愉しみ・28

最近の愉しみ。
賃労働の帰路に公園へ出向き、熱いお茶を飲むこと。
要はひと休みし、身心を和ませるのだ。
特に何かをするわけではない静寂。
夜空を眺め月を探したり、雨の日は音を聴いたりしているのだった。

▲『会話』(写真)
 仮に屈託があったとする。
 それでもなお、若い人は、「いいなあ」と、勝手に感じていた。
 その足取りの何と、軽やかなことか。

www.youtube.com【単なる都合のよい人/今日も少しだけ】
 ビジネス関係の記事を珍しく読んだ。
 田原総一朗氏の手が関わったものという記憶もある。
 松下幸之助氏の話だ。

 松下氏はどうやら、言ったそうである。
 社員は、病気でいい。
 頭が悪くてもと。

 では、何を求めたか。
 明るさこそ必要だと言ったそうだ。

「なるほどね」と。
 実際、明るい人は、困難を乗り越えさせてくれるところがある。

 が、どうなのか。
 病気では、周囲が困るだろう。
 頭が悪くても。
 生産性を求められているのだから。
 そうでないのなら、いいのだったが。

 心の病といった窪み、受験勉強以外の人間力といった領域。
 そうしたものに対応できる人は、現実的には稀なのだろうか。
 明るさもときに、やる気を喪失させるときがある。

 要は、「決め付けないことだよな」と。
 人は、関係によって変化するときもある。
 場面によっても。
 ライブなのだ。

 わたし自身、病気でも、頭が悪くても、暗くても生きていける方途を求めている。
 人に自慢できることなど、ない。
 それで構わないが、健康や頭脳明晰、明るさは求めている。

 それにしても、「社員としては、都合がいいだろうな」と。
 組織運営等々、しやすいのだろう。
 そう想ったら、「つまんねえの」と。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「あらま」】
 眠い。
 床につくか。
 佳き日々を。

歩き出す/令和四季派・37

明るくて風もない暖かい日。
右手には舗装道路、左手には遊歩道が。
「どちらに向かうかもう、分かっている」
自動車に興味はなかったし、何より花を、春を、浴びたかった。
自転車から降りて、歩き出していく。

▲『いろいろな機能?』(写真)
 テーブルとなる。
 椅子になってくれるときも。
 ときに、落ち着けない枕になるときも^^。

www.youtube.com【老人は荒野をめざさない/今日も少しだけ】
『老人は荒野をめざす』という書籍があるようだ。
 執筆者の作品は、その昔、雑誌で追いかけて読んでいた記憶がある。
 重いテーマを軽く描き、出方も新しかったのだった。

 が、今回のタイトルと出逢い、「ううん」と。
 要は、「なんじゃらほい」と。

 何故か。
 そもそも、老人自体が、荒野だからである。
 内容は読んでいないので知らないが、「あえて外部の荒野をめざすことはないのではないか」と。

 読むもの、聴くもの、見るものは多い。
 となれば、タイトルには要注意ではないのか。

 それにしても、想う。
 焼け野原のような自身の老いを。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 今日は、温水プールで、おちゃらけ歩行をした。
 散り行く桜がうかがえ、「ほう」と。
 公園では、暗黒太極拳をした。
 凹凸のある土の上では、「足もとが覚束なくなってきているな」と。
 佳き日々を。