かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

「川越スカラ座」で、無声映画2本見る(『戦艦ポチョムキン』『チャップリンの放浪者』)。

4月13日㈯。晴れ。
川越駅で妻と合流。中村屋でカレーの昼飯を食べる。


ロシアの無声映画戦艦ポチョムキン』(1925年=大正14年公開)を、ネットで予約してあったので、整理券をもらいに「川越スカラ座」へいく。


整理券を予約できても、座席は自由席なので、時間前に整理券順に並んで、映画館へはいる手順になっている。妻とわたしは、「72」と「73」だった。早くに予約してあったが、思ったより番号がうしろだった。



「15時20分から整理券順に入場開始〜15時45分から上映スタート」なので、1時間半ほど時間がある。


市役所の有料駐車場へクルマを停めて、近くのコーヒー・ショップで、時間を待つ。

妻はKindle版で、有吉佐和子の『非色』を読んでいる。先日谷中(やなか)で会った幼馴染からすすめられた、らしい。


わたしは、紙の本で栗原康著『村に火をつけ、白痴になれ』という過激なタイトルの伊藤野枝伝を読み始める。


電子書籍になかったので、しかたなく紙の本をamazonから取り寄せた。文庫本なので文字がわたしには小さい。老眼鏡をかけて、明るいところでしか読めない。内容はおもしろいし、2023年に「5刷」になっているので、電子書籍化してもいいのでは、とおもうんだけどな…とうらめしく思いながら、小さな文字を目でひろう。



15時45分から映画スタート(実際には、『チャップリンの放浪者』『戦艦ポチョムキン』の順)

弁士:ハルキさん。
ピアノ演奏:新垣隆さん。

左、新垣隆さん。右、ハルキさん。

戦艦ポチョムキン』は、1925年(私註:大正14年)に制作・公開されたソビエト連邦サイレント映画セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の長編第2作で、「第1次ロシア革命20周年記念」として製作された。


1905年に起きた戦艦ポチョムキンの反乱を描いたもので、「オデッサの階段」と呼ばれるオデッサの市民を虐殺する場面は映画史上有名なシーンの一つであり、様々なオマージュやパロディを生んでいる。しかし、「オデッサの階段」の場面や終盤の黒海艦隊の多くの艦が反乱に同調する(実際は数隻のみ)場面など史実とは大きく異なる部分も多い。


(「ウィキペディア」より)


この映画を見るのは2度目。以前見たのは思い出せないくらい前だが、「オデッサの階段」といわれる市民虐殺のシーンは、ずっと記憶に焼きついている。


隊列を組んだ政府軍が、「オデッサの階段」に集まった市民を、反乱鎮圧のために、次々発砲していく。


子供が重傷を負う。泣き叫びながら政府軍に向かって助命を哀願する母親。子供とともに、その母も撃ち殺される。


ザッザッと隊列を組んだまま階段を降りてくる政府軍。感情のない機械のように、市民に銃の狙いをつける。叫びながら、我先に階段を駆け下りる市民…。


撃たれた母親の手から離れた乳母車が、赤ん坊を乗せたまま長い階段を落ちていく…これも有名なシーン。


このスペクタクル・シーンを、弁士ひとり、ピアノ演奏ひとりで、盛り上げていくのだから大変なものだ。弁士の声は、ほとんど悲鳴のようになって、ピアノの激しい演奏とともに、市民の阿鼻叫喚を表現する。




オデッサの階段」6分間のシーン。怖いけど、見る価値あります。
www.youtube.com



映画のワンシーン。








併映は、『チャップリンの放浪者』(1916年=大正5年)。



誘拐されて、奴隷のようにこき使われている娘を、放浪者のチャップリンが救い出す。


家もない貧しい暮らしだが、娘も日々心を癒やされていく。


通りかかった二枚目でお金もちの青年に、娘は見初められる。娘は放浪暮らしに別れを告げ、青年と去っていく…。


またひとりぼっちになったチャップリン


しかし、突然娘は、気づく。そして青年のもとを離れ、チャップリンとの暮らしにもどっていく…。


貧乏とお別れできる。素晴らしい幸運なのに、娘は、誰が自分にとっていちばん大切な人なのかを気づく…。30分くらいの短編映画。


その後のチャップリン映画の代表作のひとつ『街の灯』(1931年=昭和6年)の原型のような作品。



「京都国際映画祭」での「チャップリン特集」の総集編。10分46秒。
https://www.youtube.com/watch?v=_ZiqfbasYZk