季節は移り、無常の日々

前回のコメントのあと、妻の容態が急変し11月に亡くなりました。
あっという間でした。

息子とオス猫のオスだけの生活が始まりました。

4月から某団体にてキャリアコンサルタントの資格を生かした仕事を始めました。

七ヶ月ちょっとの間のあまりにも大きな変化。

人生でこんなこともあるんだと、しかも取り返しのつかないような出来事が
起きるんだと・・・・。


それでも、自分のうつ的な状態はある程度コントロールできています。
それがまたなんとも言えず、悲しみを誘います。
妻を亡くしたのに、仕事も変わったのに、なんとかやれている自分が不思議でなりません。
この何年間の苦痛は一体なんだったんだと。

生きていくとつじつまの合わないことが起きるようです。
それでも生きていかねばなりません。
しばらくお酒に逃げていましたが、それは止めることにしました。


どうなることやら

めでたく そしておかげさまで

退職してほぼ6ヶ月が過ぎました。

なんとキャリアコンサルタント技能士2級試験の合格通知が今月の頭に届きました。さらに、おとといには、リフレクソロジストの民間資格であるJHRSの認定試験合格の通知も来ました。
明後日は妻のくも膜下で倒れてから一周年ですが、その後無事に経過しており、奇跡的に波乱のない半年間でした。

お盆過ぎから例年とは打って変った涼しい残暑。というか、天候不順の日が続き、普段でしたらかなり体調を崩すであろう日々が続いていますが、ストレスが少ないおかげか、なんとかあまり体調も崩さずに過ごせています。腰の痛いのもだいぶ和らぎ、先週はやっと自転車を整備して乗ることができました。

とは言え、相変わらずアモキサン20mg、レクサプロ0.25mgのお世話にはなり続けています。アモキサンの副作用である立ちくらみや、夢見の悪さには辛い思いを続けていますが、かといって減らしてしまうと明らかに元気がなくなってしまうので、まあ、やむなしです。

これからは再就職活動です。それと気功の集中訓練と自転車などの身体訓練を中心に12月までは過ごしたい。それで年明けに就職できれば万々歳なんですが。

退職して、、、

退職すると、カンパニーロスに陥るから気を付けろ、と友人から言われていた。
自分でも、そのリスクはあると感じていた。
なので、やることをあらかじめ決めて、自分を少し追い込んでいた。
キャリアコンサルタントの国家技能検定試験の受験、
産業カウンセラーの資格取得の為のスクーリング、
リフレクソロジー受験取得の為のスクーリング

ちょっと盛りだくさんでしんどかったが
今日、キャリアコンサルタント技能試験の筆記試験が終了。
ちょっと一息。

妻の抗がん剤治療もあと1ヶ月で終わる見通し。
息子も、無事大学院に進学し、夏にはドイツに短期留学に行くと言う。

今のところ歯車は奇跡的にうまく回転しているようだ。

でも、仕事を辞めたからといって体調が凄く良くなった訳ではなく
相変わらず、身体が重い日も多い。嫌な夢もみる。
酒も飲みたくて、飲む。
まだ何か心のシコリがあるのだろうか?

あるんだろうな。


とりあえず、腰痛だけは何とかしたい。
自転車と、ジョギングをふたたび始めたい。

妻が倒れて4ヶ月

妻は一ヶ月前に退院できた。
しかし,くも膜下出血だけではなく、乳がんも見つかった。
息子は大学院の試験を受けるという。
そして僕は会社の早期退職制度の募集に応募し、会社を辞めることにした。

これだけ書くと,破綻に向かっているかのようだ。
事実そうなのかもしれない。

しかし自分では違う世界をイメージしている。

家族を大事にして、目の前のことに集中する生活に変えるというイメージ。



そんなことが可能なのかどうかよく判らない。
しかし,もうその道を歩むことが決まってしまった。
「自分はなにもできないかもしれない」と思う心の奴隷からは解放される可能性がある。しかし、「貧すりゃ鈍する」の喩えがあるように、いきなり愚かになり行き詰まるかもしれない。

どうなるか判らない世界に進む。


結局僕は資産を捨ててしまう。
でも妻と息子は捨てないで住む道を選べた。

それで良かったと思ってる。


さて僕の未来は,妻と家族の未来はいかん。。。




今年は約82000カウントから始まりました。
1年で約1万カウント。

ありがとうございます。

妻のくも膜下出血

8月から早めの秋の始めにかけて、あまり調子の良くない日々が続いていた。仕事は重いものがなかったので、ひどく辛いわけではないが、朝の気功はおざなりにしかできない日々が多かった。息子は大学4年なので、本来なら10月で内定式だけど、いまだに内定はなく、大学院に進むという。

僕はいつまで働けば良いんだ・・・・

そう思っていた矢先の今週の月曜日、妻がくも膜下出血で倒れた。一時は生死の境をさまよったが、取り敢えず今は意識障害が残るものの一命はとりとめ、身体の麻痺症状も重篤なものはなさそうだ。

入院して6日目、未だ集中治療室にいて面会は一日2時間に制限されている。10月の連休が終わるまでは、脳梗塞になるリスクが高く予断は許さない。今日は熱が高く、苦しそうで、会話もままならなかった。秋田から妹が出て来てくれたが、理解したようだが、どうにも不安だ。

彼女が回復するまでは、会社の健康保険組合に加入していた方が治療費に関して圧倒的に有利なので、当面会社を辞めることはますますできなくなった。

僕はいつまで働けば良いんだ・・・・
そう言う利己的な思いと、妻の苦しそうな表情を見るに、自分のうつ病のせいで、妻の生活に10年近い苦痛を与えて来たことが、くも膜下出血の原因になったのではないかという自責の念とが交錯し、気持ちは千々乱れる。

最善を尽くしたか。僕の心は人並みの優しさがあるのか。人非人ではないのか。これからの最善の行動とは何か。面会できずに家にいる時に、家事をこなす意外に何をするべきなのか。

頭に一本、鼻に一本、腕に一本、お腹に一本管につながれた妻。脈拍・血圧・酸素濃度・呼吸回数・体温 緑や白や赤の数字が刻々とモニターに映し出される。彼女の生命は数字に支配されている。彼女の脳は開頭された。痛いだろう、苦しいだろう、認識不全に陥るだろう。

俺は持つのか。彼女は回復できるだろうか。肉体的な回復と精神的な回復。

秋が来て・・・

今年の夏は、僕としては不順だった。
横浜の8月は雨も少なくかなり暑かったが、下旬から秋が来て、ここ何日か涼しい日が続く。

僕の体調は、なんだかよく判らない。

相変わらず飲酒は減らない。週末はほとんど調子が悪い。気分が晴れない。何かをする気がしない。なんとか会社に入って仕事はできる。逆に言うと仕事しかできない。

8月の暑い日が続くおり、体調が悪化したので、アモキサンを一日最大45mgまで増やしたが、そのせいか夜の睡眠の質が悪化して断眠多夢が続く。これがアモキサンの増量のせいだと思い、徐々に減らして、なおかつ服用をよるから朝に変えて、今はレクサプロ0.25mgとアモキサン20mgを朝服用している。

でも、今朝は、出社するとき顔をしかめてしか歩けない。ほとんど片目をつぶり、思いっきり顔を歪めて、苦しそうに歩く。苦しいのか苦しそうなのか自分でも判らなくなる。ロンプクのレキソタンを2mg服用する。そこにレッドブルを飲む。自分で何をしているのか判らない。


この二週間以上、朝の気功がきちんとできない。
なんだかなぁ。そんな毎日。

冷夏 七夕 アモキサン

今年は春から仕事が忙しく、おまけに5月くらいから冷夏の予感で
僕的には天候が不順で
ずっと調子が悪かった。

肩が凝る、腰が痛い(5月は歩けないほどのときもあった)、頭が重い、祈死念慮、目が疲れる、咳が止まらない・・・などなど

天気のせいだとばかりずっと思っていたのだけど
土曜日から、ふと思い立ち
アモキサンを1日20mgから30mgに増やしてみたら、今日あたりから効果が出て来たようで
身体も動くし、仕事の頭も動く。

赤いカプセル1カプセル 僕の身体と心は良くなっちまう。

ありがたいのか、なさけないのか。

なんだかよく判らない。


というわけで今日は七夕。横浜は曇りです。