旅行

すみません、田んぼの写真を撮ってもいいですか?
いいよ。

あらかた消えっちゃったがらおもしゃぐねえな、今もやしてやっから

もう米は終わって配った。
マルトだなんかの新米は混ざってっからうまぐもねえな。
米は直接買うのがいぢばん、うめえ。

コシヒカリは「日本晴れ」と「のうりん21号」かげあわせで、できたんだ。
農業ののう、林のりん。農林21号。
農林21号は、背ばっかたがくなっちゃってうまぐねがったんだな。
そんで日本晴れとあわして、コシヒカリができた。

もうは、帰って晩酌だ。
かあちゃんのぶん買ってぐと、よげいなの買ってきてっておごられっから、俺のぶんだーけ。

映画日記

来月こそ渋谷で映画の打ち合わせをしよう…と今朝方思ったけど、すでに来月は今月だった。
組み立てを考えながら、越川さんとすり合わせするためのいろいろを書き取る。

先日メールのやり取りで、お互いにいろいろ報告会、いやはや6月はなんだったのか、と言い合って慰め合うおれたち。

6号国道と、三浦くんと考え事メモ

6号国道を走って仙台。



七尾旅人の「兵士A」へ寄せたレビューがとてもよかったし、去年松島に行って以来会っていなかった三浦くんに会いに。

久しぶりに会った三浦くんは相変わらずひょろひょろしていたけど、なんだろうか以前会ったときにふと思った感触がなくなっていて、時間の経過がうまく進んでいるんだろうと安心した。
越川さんに三浦くんの写真を送って自慢。
駅前で立ち食いそばをすすって、お茶をしていろんな話をして少しの時間だったけど会えてよかった。

朝にふと思いついた仙台だった。
パソコンは壊れるわ、いきなり体調崩すわ、同時に感情のアップダウンも激しくなって友達に迷惑をかけた。
これはあまり流れが良くないと思いついた先の仙台で、三浦くんだった。

映画の進捗の報告と、制作したい本について軽めに話す。
快く受けてくれてよかった。本は落ち着いたら制作に入る。

現在の本職について思うところが多くなり、疑問は膨れ上がるばかり。やることはきっちり終わらせる。
名村さんに言われたことを反芻。あとは自分の心がどう言うか。どう向き合うか。

小倉のえみこさんとの連載について少し考えて、原稿を書いてみた。
写真はたくさん、カウントしてみたら1万6928枚あった。しかも同じような写真、バカだろうかと一瞬思ったが、よく見たら少しづつ現場が変わっていく様子を撮っていた。これはこれで。

はやくフランスに行きたいし、小名浜の映画館のこともある。
やることは山盛りで、昨日おおいにべそをかきながら運転してだいぶ整理がついた。

6号国道は双葉町と大熊の間で1.28マイクロシーベルトの電光掲示板。
富岡のパチンコ屋「グランドホール」は崩れたまま、しまむらのなかにある服をみて、意外と朽ちないもんだなあとぼんやり感心してしまった。

Windowsのオフィス問題がまったく解決しないので、これはもう買うしかないんじゃないかというところまで考えている。愛着があるだけになんとかしたい。
広野の花火大会のときに手に入れたパソコンだった。
あのときおとうさんが「みんなしんちまえ!とコメントに入れてくれ」と笑いながら、それに下河原さん、舘さんや、ネットで呼びかけたいろんなひとが花火を買ってくれて、とても嬉しかった。
ひとりで中継すると断言した花火大会は結局力不足すぎて、FMいわきのユーストを借りたんだった。


連載のことがずっとあたまにあってたのしみだ。
えみこさんとなにをして遊ぼうか。

いったんガタガタになってからの私は強いと言い聞かせている。
実際いままでもそうだったから大丈夫だろうと最後は呑気しか残らない。

20160611

ずっとしてなかった野営をしようと思い立ち、というか単純にたき火がしたくなり今度の休みにキャンプに行くことにした。

越川さんからまわってきて、なんとなく山下澄人さんの劇団ブログを読んでいる。

「解散とか何だとかそういうのは邪魔くさいのでいいません。なるようになるのでしょう。ならないのでしょう。

しかしまだわたしたちは生きています。二酸化炭素を吐き続けています。なのでまあお互い生きてましょ。

みたいな。

暑いし。けど寒いと困るし。夏だし。

ちなみに透析者として一部では有名な荻田はまだ生きてます。

あ、ぼく、芥川賞の候補だったんですよ。笑うでしょ。世の中はチョロいのです。」


胸をざわざわと掻き立てられるような、いじられるような文章だと思った。


野営をしたいと思ったのは、蛍光灯の灯りに嫌気がさしたからだ。
最近どこもかしこも明るくないですか。夜もこうこうと照っているし、なんだか世の中が眩しい。
そういえば越川さんの事務所の段ボールに「すべては夜に産まれる」と殴り書きがしてあって、夜の深さとかしんとした感じとか、ちゃんと暗い感じとか、そこから生まれるもの、言葉とか。
夜がちゃんと暗くて、そういうことを味わいたいんだろうと思う。


最近読んだ本など
小河原正已「ヒロシマはどう記録されたか」上下
宮本常一「山に生きる人びと」
茨木のり子「おんなのことば」(再読)
泉在住、木田修作夫妻による「とまり木」(天野さんより紹介)
地図帳

ヒロシマはどう記録されたか、は、これでもかってくらいの圧で読み進めるのがキツかった。

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最後にいわきで会った時、かおちゃんはフランスに根をおろすだろう、簡単に帰ってくることはないだろうと直感した。

フランスに行って見違えるほどたくましく、広くなった。
そのことを、かおちゃんのパリの友達にメールしたら「カオリはたくましくなりましたか?僕は放ったらかしです。たくましくなったのだとしたら、おそらくパリの空気を吸って、カオリなりに何か吸収したのだろうと思います」と。

テロがあった時、心配したけど、でもかおちゃんなら大丈夫なんだろうと思った。
かおちゃんはほとんど動物だから(ごめん)、最後に身を守る術を本能できちっとわかっているし、足元が危ういくせに手で掴みとるようなところがあるのを知っている。

パリといわきでいつもやり取りをしていて、いつの間にかかおちゃん自身の飼い慣らせない心の渦を少しづつ流して、料理をするようになって、変わらず根性なしの私に「はるえはどこまでも行きなさい、いつもどうなっても最後は大丈夫」と送り出してくれるようになった。

私たちはいつも大丈夫なんだ。
どこにいてもなにをしていても、なにがあっても。いつもそう思う。

どんなにぐちゃぐちゃになっても、泣きながらペヤング食べたり、ラーメンズがん観したり、山に登ったり、写真を撮って現像したりして、情けないくらいたくましい。

秋に会える。

簡単に帰ってこないだろうと直感したかおちゃんは、直感通り簡単には帰ってこないけど、鳥が育った巣の場所にまた巣をつくるように、また羽ばたけるように、時間をかけてひとまわりして帰ってくる。

かおちゃんは右に、私は左に行って、また会う日がある。
そのことがすごく楽しみで、さあがんばろうぜ、と思う。

あまのさんとわたし

朝起きて、すこし前に解凍していた豚肉のかたまりを忘れていたことに気がついて、お弁当のおかずにしようと煮ていたら、胃けいれんを起こしてしまった。
胃けいれんはこないだもやっちまったし困ったなどうすべえ、と悩んで、というか実のところ悩んだというよりも、5秒くらい考えて、会社に休みを取ると電話した。ギブアップ。

人が足りないし困った時はお互いさまだと思うから、どこにでも行くしなんでもやるうちに、いつの間にか会社の都合が私に向いているのを自覚していて良くないな、と思っていたらこのざまだ。ちゃんと断れる人になろうと思うし、うちの会社、まず計画というかあらかじめが特に必要だと思う…。フレキシブルすぎる…そして疲れている……!


昨夜、仕事が終わって灯りをつけて踊るブルドーザーを眺めて、あまのさんからきた「毛沢東はゲイ」というメッセージを、どう返信するんだこれは、と悩みつつ、グーグル検索をしてみたらヒトラーもゲイだったなんて話を読んで、ふとチョコレートには幼児的暴力性を脳から引き出すんだよ、ヒトラーはチョコレートをよく食べていたんだって、と聞いた話を思い出しそのままあまのさんに送った。
あまのさんとは2012年、参議院選挙の時に取材依頼のメールを受け取って以来、何度かメールのやり取りをして、しばらく経ってから1度お会いした。
いわきにいます、お茶でもいかがですか、駅のドトールで待っています、と言われて、構いませんよと返信し、向かって、ドトールの中を見渡して、肩幅が広く痩せて疲れたオーラ全開の男の人を見つけて、間違いないなとまっすぐその人に向かったのを憶えている。果たしてあまのさんは、その人だった。

何を話したのかあまり憶えていない。あまのさんはグラスに残った氷を眺めていて、瞳が大きくて黒かった。

その後もいまも、たまにメールをくれる。ある作家と仕事をしていたときの話とか、ただひとことだったり、ふと息を吐くようにメールを送ってくれる。あまのさんの書く言葉はいつも乾いていて、わたしはそれが好きだ。
東京のどこかであまのさんは生きていて、エネルギーや光や欲や希望や目標やカタカナ、いろんなものに溢れる東京で、それに目もくれず飄と立つあまのさんを想像する。
想像して、ごはんちゃんと食べてるのだろうか…とか心配をしてしまう。冷え切った味噌汁とか飲んでそうなんだもん…。


いまは午後4時28分で、こんこんと眠ってしまって、休んでごめん、もう大丈夫と電話を会社にした。本を読むか、白湯を飲むか、また眠るか。