妄想科学シリーズ(4) ~おじさんの科学~

前回予測したペースに近い時間で更新。

子供が学校の先生に聞いた話によると、人間は加齢によってだんだん欲望を抑えづらくなり、言わなくてもよい言いたいことをつい言ってしまうのだそう。その現象を「おじさん現象」→「おじ現」と言うらしい。

確かに言わなくてもよいことを言うようになったらおじさん、というのもありだなと思った。

痴呆症になると、怒りっぽくなるというがそれは、我慢や忍耐ができなくなるからでその前の軽度な現象が「おじ現」なのかもしれない。


例えば、おやじギャクというのは、くだらないダジャレのことかと思っていたが、言わなくてもよい時に、ついつい言いたくなって言ってしまうギャクのことだと思えば合点がいく。

今まで、自分の中では「若い」=「かわいい」という価値観になったらおじさんだなと思っていたけれど、認識を改めないといけないと思った。

この際、おじさんとは何かを考える「おじさんの科学」について述べてもよいかなと思ったのだが、そのためには、まず「加齢によって欲望が抑えづらくなる」ということを科学的に証明しなければならないなと思った。

と、こんな書かなくてもよいブログをついつい書いてしまう時点で、自らの行動が見事に「おじ現」を証明していることに気づいた。

妄想科学シリーズ(3) ~非科学と似非科学~

なんと2日ぶりにブログを書いている。そんなに暇なのかと思われるかもしれないが、なぜか忙しい時に限って余計なものを書きたくなるものだ。
前々回が4018日ぶり、前回が1098日ぶり、今回が2日ぶりなので次回は、数分後には書きそうな勢いである。

妄想科学シリーズ(1)で、「非科学」を「存在しているが科学的に説明できないもの=科学ではないもの」と定義した。非科学と似ている言葉として、似非(えせ)科学という言葉があるが、非科学と似非科学は全く違う。
似非科学は実際にはありえないことをいかにも科学的にあり得そうに言うことで、言わば嘘の科学である。

一方、非科学とは、科学ではないが実際に存在していて本当のことである。私の考える非科学とは、宗教とか法律とかである。つまり、思想とか決め事など、自然現象から必然的に決まるのではなく、主観的にしか決まらななさそうなことを「非科学」として定義したい。哲学とか文学なども非科学かなと思うが、「科学哲学」「人文科学」なんて言葉もあるようなので微妙なところかもしれない。
科学と非科学なんて考える人がいるのかなと思って検索してみると、なんと以下のような本があった。

科学と非科学 その正体を探る (講談社現代新書) | 中屋敷 均 |本 | 通販 | Amazon

そのうち読んでみたいと思ったけれど、まだ読んではないのでこの本のいう科学と非科学とは違うかもしれないが、持論で行こうと思う。
本の出版日が2019/2/13なので、少なくともこの本よりは私の方がわきに科学と非科学について言及していたことになる。いまのところ私の方が、元祖「科学と非科学」だ。

題名にある、妄想科学とは、非科学かもしれないが科学かもしれない。科学的に考えても本当にあるかもしれないけれどないかもしれないということを妄想したものである。少なくとも間違ってはなさそう、嘘ではないということで、似非科学とは異なる。

とはいえ世の中には似非科学が蔓延している。似非科学に似た言葉として「疑似科学」ということもあるようだが、誤った科学という意味では、ほぼ 似非科学疑似科学 といってよいだろう。Wikipediaによれば、似非科学というは、だますための科学という意味あるようだ。

妄想科学とは、嘘の科学や誤った科学を正しいかのように言うものではなく、科学ではないかもしれないけれど、科学かもしれないことを私が勝手に妄想するものである。

というわけで、ここでは科学と非科学の狭間(はざま)である妄想科学を考えていきたいと思う。





妄想科学シリーズ(2)〜(続)テレパシーとはなにか?〜

前回の記事から3年。ここまで遅筆だと誰も読んでいないと思うけれど、ふと書きたくなったので書いてみる。前回は11年ぶり、今回は3年ぶりなので、等比級数とすると次回は1年以内に書くはずだ。
とたわごとは置いておいて、前回のテレパシーについて、最近(といっても結構前から?)話題の量子テレポーテーションを考慮すると、もしかして現実的にあり得るかも!?という妄想がわいてくる。
量子テレポーテーションは、瞬間的に離れた場所の量子の状態が別の場所に転送できるという現象である。これはこの世に光速以上のものはないという、光速度不変の法則に反するように思えるが、実はそうではない。

量子テレポーテーションを行うには、「量子もつれ」という状態の粒子を離れた場所に移動させて、片方を観測するともう一方の状態が瞬間に決まるという現象である。つまり、物自体が瞬間に移動するのではなくて、状態(=情報)を瞬間的に離れた場所に再現できるということである。

これを応用して、一方の粒子の状態をよみとり、他方で再現することで、人間でも転送できるかのような話があるが、「量子もつれ」が実現できる限られた粒子の状態から物質の物質のすべての状態を再現できるわけでもなく、ましては人間規模のすべての粒子をそのまま再現することは(少なくとも今わかっている理論では)

不可能である。

量子テレポーテーションの応用として、量子テレポーテーションネットワークという、遠方と一瞬で通信できるという技術がある。こちらは、すでに実験がされて成功している。物質のテレポーテーションは無理でも、量子テレポーテーションネットワークで宇宙の遠方と一瞬で通信ができるかもしれない思うかもしれないが、そうはいかない。

量子テレポーテーションを行うためには、事前に量子もつれ状態の粒子をお互いの場所に運ぶ必要があり、粒子の速度は最大でも光の速度である。実際の実験でも、量子テレポーテーションネットワークには、光子がつかわれるが、通信する前に量子もつれ状態の通信に必要な数の粒子を通信に必要な情報(どの粒子がどの情報にたいおうするかなど)を事前に伝えておく必要がある。
少なくとも、通信したい箇所の中間地点で量子もつれ状態を作ったとしても、光の速度で粒子と通信に必要な情報を伝送しておくための時間が必要になる。
なので、量子テレポーテーションといえどどんなに遠方にでも自由に通信できるわけではない。

とはいえ、世界がすでに何らかの量子もつれの状態ですでに繋がっているかもしれない。前回も「量子力学によって人間のひらめきを研究している人がいると言うことを聞いたことがある。」と書いたが、量子テレポーテーションはまさに量子力学的な効果であって、遠方のある人や物の状態が一瞬で自分の脳の状態に影響を与えているかもしれない。
もしかしたら特殊な能力を持つ人が、そうしたすでに存在する量子もつれの状態を利用して、テレパシーのような一瞬の情報伝達をできるかもしれない。

そう考えると、「テレパシーが100%非科学的で妄想とは言えない」という妄想がわいてくるのである。

妄想科学シリーズ(1)〜テレパシーとはなにか?〜

前回の投稿が2007年05月21日なので、11年の間を経て久々にblogを書いてみる。
自分は科学が好きで、一時は科学者を目指したこともあったが、結局はIT関係の仕事をしている。
ただ、やはり科学関係の話は好きで、知人との会話で面白い話が出たので少し書いてみる。

科学が好きな自分は世の中の様々な現象を科学的な視点で理由を付けて理解しようとしている。
ただ、どうしても科学では説明が付かないこともある。ここではそういったことを「非科学」と呼ぶことにしている。

私自身は決して「非科学」を否定しているわけでは無くて、非科学も存在しているが科学的に説明できない=科学ではないものという認識である。
誤解しないで欲しいのは、理解できないものをすべて非科学に分類して逃げようとしているわけではなくて、物事を科学的な部分と非科学的な部分に分けて考えようとしているのである。

と、あまりこういうことを言うと○ちがいと思われてしまうかもしれないので、こういう匿名のブログで持論を宣ってみようかなと思う。

科学と非科学の話を勝手に「妄想科学シリーズ」と呼ぶことにした。

さて、今回のテーマは「テレパシー」。

いろいろと科学の話をしていたら、「では、君はテレパシーは信じるのか?」と聞かれた。
テレパシーというのは、wikipediaでしらべてみると、「ある人の心の内容が、言語・表情・身振りなどによらずに、直接に他の人の心に伝達されること」とある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%BC

人の心に直接伝達されるということで、空間的に離れた場所に一瞬で情報が伝達されると言うこともあるだろう。
そうした可能性を科学的に考えようとすると、例えば量子テレポーテーションによって思考が伝達される、ということがあるかもしれない。
実際に、上記のwikipediaでは、ワッカーマンらは、テレパシーが起きる仕組みについては、量子もつれではないかということを提唱している。

私は大学時代物理学を専攻していたのだが、物理学者の中には量子力学によって人間のひらめきを研究している人がいると言うことを聞いたことがある。
ただ、私としてはあまりこういう分野に踏み込むとエセ科学になると思っているので止めることにしている。(エセ科学についてはまたそのうちに書こうかなと思っている)
なので、「テレパシーを信じるか?」と聞かれたら、「テレパシーを科学的に説明できる可能性はあるかもしれないが今のところ科学的では無くて非科学だと思っている」と答えた。

そうしたら、「君にとっては非科学かもしれないが、私は実際にテレパシーを感じたことがある。」という意見や「自分が考えたことを子供が話したりすることがあるよね」という話になった。

確かに自分しか知り得ないこと、自分が考えたことを他人が話したりすることがある。自分の経験の中でもそうした経験があることは否定できない。

テレパシーについて、科学的に考えてみたら、以前読んだ「脳の科学」という本に書いてあることを思いだした。
それは、人間の脳というのは起きた出来事に対してつじつまの合う過去の記憶を勝手に作り出すことがあるというものである。
私が小さい頃、家で猫を飼っていたのだが、ある日寝ているときに顔の付近に猫が下りてきてびっくりして目覚めたことがある。
そのとき夢を見ていたのだが、夢の中では何時間も前から何かに追いかけられていて、崖に追い詰められてどうしようもなくなって落ちたときに、地面に頭がぶつかりそうになってはっと目覚めたのである。そして、そのときが猫が顔に下りてきて目覚めた瞬間だった。

そのときは、子供心に「なぜ猫が下りることが分かっているような夢を見ていたのだろう?もしかしてこれは予知夢なんじゃないか?」と思っていた。
あとで、脳科学の本で、「人間の脳が過去の記憶を作り出してつじつまを合わせる」ということを知って、あぁ、自分の感じた予知夢というのは、猫が下りてきて起きたことにつじつまを合わせるようにあとから作り出した記憶なんだなぁと理解した。

その話をテレパシーに当てはめると、子供の言ったことに共感を覚えたり、自分の過去の経験と似ていることがあると、それとつじつまを合わせるように、自分が過去に考えていたことや過去の記憶と一致したことを子供が言ったという記憶や経験を脳が作り出すのではと思った。

つまり、テレパシーと感じたことも脳がつじつまを合わせるために勝手に作り出した記憶や経験ということなのだ。
そしてその記憶や経験が本当だったのか嘘だったのかを記憶の中では区別するすべを持たない。特に思想や考えは正しいかどうかなんてその人自身の判断しかわからないので、その人が本当だと思ったら本当でしか無いのだ。だから、テレパシーというのを否定することは出来ない。

そのことを話したら、「なるほど、確かにそうかもしれない。でもそれは夢の無い考え方だなぁ」と言われてしまった。
これは、うまい切り返し、私の考え方は「夢の中で作り出した記憶は妄想→夢が無い」ということか、一本とられた。

OpenOffice2.2日本語版

ひっそりと以下のところからダウンロード可能になっています。
http://www.t.ring.gr.jp/archives/misc/openoffice/localized/ja/2.2.0/

まだ日本ユーザー会のサイトには反映されてませんね。
http://ja.openoffice.org/

最近、下火なのかなぁ。

1GB超メモリでのHibernationの不具合改善

以前紹介した、1GB超のメモリでのHivernation不具合

システムリソースが不足するためAPIを終了できません
http://d.hatena.ne.jp/bellin/20050706

が、やっと改善されたようです。

早速入れておきました。

W-ZERO3バージョンアップ&クレードル

W-ZERO3のファームウエアがバージョンアップされました。1.03a
サポート|Y!mobile - 格安SIM・スマホはワイモバイルで

  • ライトメールの受信が遅れる場合がありましたが、これを改善しました。
  • 自動ガイダンスが流れるフリーダイヤルへ電話をかけた時、発信中にダイヤルキー操作ができるようになります。
  • 「FC」や「PT」アイコンが表示され、動作が不安定になる場合がありましたがこれを改善しました。
  • 電源オフやオートパワーオフ中にminiSDカードを取り外し/装着した時、ファイル情報が更新されるようになります。
  • Javaプラットフォームがバージョンアップされます。
  • その他、動作の安定性が向上します。

とのこと。

あと、サンコーがW-ZERO3用のクレードルを発売。

http://akiba.ascii24.com/akiba/news/2006/02/22/660717-000.html

単に、USB,電源コネクタが付いている台なのね...
#にしてはちょっと高い!?

あと、向きが逆になるのがなぁ。
画面の向きは、設定→画面→横(左きき)にすれば変わるらしいが、やっぱり縦におけるほうがいいかな。