ドナルド・キーン先生

今朝、ドナルド・キーン先生が亡くなったというニュースを見て、ショックを受けました。

私が古典文学の世界に魅了されるきっかけとなった本がいくつかありますが、その中のひとつが、図書館で借りたキーン先生の『日本文学の歴史』(中央公論社。『日本文学史』に改題して中公文庫に収録)でした。その図書館は日本文学概論の本がカウンター近くの一番目立つ棚にあり、その棚の私の目線の先に美しい装丁の『日本文学の歴史』があって、何気なく手に取ったのが始まりでした。圧倒的な知識と深い理解による目から鱗の鋭い批評、明快な論理展開と説得力、そして何よりキーン先生のチャーミングなお人柄がにじみ出た文章と日本文学に寄せる誰にも負けない愛に惹き込まれ、夢中で読みました。全18巻の大作でしたが、読み終わるのが惜しい程の面白さで、すっかり古典の世界にはまり、古典全集を手当たり次第読んで行く、きっかけとなりました。

心ときめかせて参加した講演などでお話になっていたキーン先生は、穏やかながら、時々いたずらっ子のような表情でジョークを口にする、とてもチャーミングな方でした。そして、先生は文楽も支援されていて、文楽ファンの私は、そのことも、とても嬉しかったです。

東日本大震災の後、日本に帰化されたキーン先生。日本のことを日本人より考えて下さった方でした。供養も兼ねて、改めて『日本文学史』を再読し、先生の好きだった美しい日本文学の世界に浸りたいと思います。

ブログ引っ越しました

はてなダイアリーから引っ越して来ました。はてなから来る通知をろくろく読んでおらず、久々に開いてみたら2月末迄に移行しないといけないことを知り、慌てて引っ越しました。

ついでにタイトルも、前々から変えたかったので、旧タイトルの「別無工夫」から変えてみました。移行作業時にタイトルを書き込むにあたり、一番最初に心に浮かんだのが、百人一首にとられた紫式部

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな

でしたので、それにしてみました。結構気に入っています。ブログには主に古典芸能の公演の感想を書いていますが、いつも公演のおぼろげな印象や記憶をたどりながら感想を書いているし、ブログをアップするのはいつも夜中になってしまうので、歌と何となくリンクしている気がしています。

というわけで、最近は忙しくてなかなか感想をアップしていませんでしたが、今後も時間のあるときには少しずつ、Webの片隅でよしなしごとを書いていこうと思います。

国立劇場小劇場 文楽9月公演 第一部 良弁杉由来、増補忠臣蔵

南都二月堂 良弁杉由来
志賀の里の段、桜の宮物狂いの段、東大寺の段、二月堂の段
増補忠臣蔵
本草下屋敷の段

良弁杉由来

明治百五十年記念公演の一つ目の演目。
三味線の名人、豊澤団平が作曲しただけあって、音楽的に聞き応えのある作品でした。ちょっと団平の音楽に開眼してしまったかも。


良弁を何の気無しにWikipediaでチェックしたら、相模国漆部(うらべ)氏の出身で鎌倉の生まれと書いてあり、別伝で近江国百済氏の出という説もあるとのことだった。お江戸の人間なので、つい、「志賀でなくて鎌倉の話だったら親近感が増して面白いのに」と思ったけど、さすがに鷲が子供を相模の国から大和の国の東大寺まで運ぶとかいう話になってくると、ちょっとまずいですね。これでは、どうやって運んだのかの方が気になって、話に集中できない。とはいえ、今回、鷲を新調したのか私の記憶が飛んでいるのか、下手したら人形より大きい、筋骨隆々な鷲が出てきて、驚きました。


「志賀の里の段」と「桜の宮の段」は、床は両方掛け合いです。掛け合いの場合、特に太夫の方の出来の当たり外れが激しいので、今回はどうなるのかと思っていましたが、「志賀の里の段」も「桜の宮の段」も外れ無し。特に「志賀の里の段」は、睦さん以下は小住さん、亘さん、碩太夫さんと、若手ばかりで期待するのは難しいかなと思ったけど、むしろフレッシュな好印象の語りでした。またどちらの段も三味線も良かったです。うち、「志賀の里の段」は、シンが清友さんだったのですが、どちらかというと「太夫を立てる三味線」という印象の清友さんが、光丸が鷲に掠われて以降、パワフルな三味線で印象的でした。

渚の方の人形は、和生さん。和生さんの老女形、特に位の高い女性は凜としていて大好きです。


「桜の宮物狂いの段」では、渚の方は物狂いとなって三十年も我が子、光丸を探している。昔の説話では、子供をさらわれた親は物狂いとなってさまよい歩くと相場が決まっている。

その「物狂い」について、私自身は「物狂い」というのは、心の葛藤の文学的表現なんだじゃないかと思う。今までは、渚の方も昔の説話の物狂いとなった親の姿を踏襲していると思っていた。けれども、人は心に葛藤があるときには探しているものは見付からず、葛藤から解き放たれた瞬間に、見付かる。この場面では、渚は「水面」に自分の姿を映すことによって、我に返る。自分を客観視することの象徴的表現とも解釈可能だと思う。渚の方が水面に映る自分の姿を観て我に返るというのが、興味深かった。

床は津齣さんと藤蔵さんがシン。前のめりな「パワーがあり余ってる感」が藤蔵さんの三味線の魅力です。

「桜の宮物狂いの段」を聴いているうちに、三味線のメロディが他の浄瑠璃とはかなり違うことに気がついた。普通は三味線のメロディには「こういったくだりやシチュエーションには、こういったメロディが付く」という節のパターンが沢山あり(節の名前は全然分からないけど)、浄瑠璃はほとんどその組み合わせで出来ている。しかし、この「良弁杉由来」の場合は、普通の浄瑠璃に出てくる節は、泣きの時の表現などごくわずかで、あったとしても基本のパターンのバリエーションになっている。それ以外は全てオリジナルなメロディだ。しかもそれが、自然に湧き出るように流れていくのだ。

近代の浄瑠璃の名作曲家といえば、『曾根崎心中』を作曲した松之輔だが、彼のメロディは、とてもキャッチーだ。私のように全然三味線が分からない者にも分かりやすい。今まで「松之輔すごいな」と思っていたけど、作曲という観点で団平を聴いてみると、松之輔も、団平から学んでいる部分が大きい気がしてきた。たとえば、独自のメロディを付けて音楽性を全面に出すことで、そのままでは単調になってしまう浄瑠璃を聴いて面白いものにする工夫などだ。そして団平のすごいところはメロディが自然で、流れるようであるところ。松之輔がモーツアルトなら、団平は(順番が逆になっちゃうけど)ベートーベンといったところでしょうか。清治師匠は、リヒャルト・シュトラウスかな?(ああ、『不破留寿之太夫』とか、杉本文楽の『女殺油地獄』の「豊嶋屋の段」とか、「三茶三味」の「三味線組曲」、『曽根崎心中』の「プロローグ」とか、「観音廻り」とか、「お初徳兵衛の道行」など、もう一度、聴きたい。もうお蔵入りなんだろうか?素浄瑠璃で良いからやってほしいです!)

今まで作曲という観点から団平を聴いたことがなかったけど、団平に開眼、とはいかなくとも、薄目が開いた気がします。


「二月堂」は、良弁が出てくる前の、お供の奴達のアクロバティックな芸を披露する。纏(まとい)を持った奴達が纏を別の奴に投げてよこすのだが、これが結構大変そう。こういうのを観ていると、「道行初音旅」の扇投げって実は大変なのかなと思う。

また、最後に渚の方を載せるための輿が出て来る。以前観たものでは、語りではたしかに「輿」なんだけど、実際に出てきたのは輿ではなく駕籠だったことがあったような。文雀師匠が、駕籠に乗って駕籠の小窓から渚の方の顔を出す、という演出をしたことがあったのを覚えています。輿だと、あまりの仰々しさに、さすがに渚ならずとも引いてしまうので、駕籠という演出も生まれたのかな?などと想像しました。


「二月堂の段」の床は千歳さん、富助さん。私は以前聴いた綱太夫時代の源太夫師匠のや女議の駒之助師匠の「二月堂」の印象が強すぎて、残念ながらどうしても違和感をぬぐえませんでした。源太夫師匠の「二月堂」は端正で高貴、駒之助師匠の渚の方は、太陽のような渚の方と良弁の心温まる物語。一方、千歳さんと富助さんの床は、お二人らしく慟哭・涙と、激情型の表現でしたが、私は「二月堂」に激情型のイメージを持っていなかったため、浄瑠璃に入り込めず、冷めた気持ちで終わってしまいました。自分の印象にとらわれず、虚心坦懐に聴くというのは、とても難しい。

パンフレットの児玉竜一氏の解説によれば、団平が作曲したこの作品を後の山城少掾が得意とし、またその弟子の越路太夫も名演だったとか。千歳さんはその衣鉢を継ぐということで、今後も「二月堂」を育てて行かれるということなんでしょう。またいつか、千歳さんの「二月堂」を聴く時には、虚心坦懐に聴きたい。ところで、児玉竜一氏の解説には、「山城少掾引退後は、八代目綱太夫と四代目越路太夫らによって受け継がれました」ともあります。咲師匠の「二月堂」も聴いてみたいです。でも、咲師匠は『二月堂』というイメージじゃないか…。


良弁は玉男さん。渚の方は和生さん。

玉男さんの良弁上人は素敵です。考えてみれば、今月は数ある浄瑠璃の登場人物野中でも指折りの悪党、良弁と対極といっていい義平次を二部で演じてられています。玉男さんは二枚目を遣われることが多いので、何となく似たような役を多くされるイメージがありますが、実は引き出しの多い方なのだということが改めて証明され、感動でした。

和生さんの渚の方は、多分、虚心坦懐に観ることが出来れば、良い出来なんだと思います。そう頭では理解しているのですが、文雀師匠のファンだった私は、どうしても文雀師匠ロスの病が出てしまいます。渚の方は文雀師匠の得意としていたお役のひとつで、文雀師匠の、あの可愛らしい、生き生きした渚の方の姿と、その一つ一つの所作が脳裏に蘇り、悲しくなってしまいます。

多分、ファンだった名人が次々と亡くなってしまうというのは、古典芸能の観客版の「死の谷」ですね。私は文雀師匠ロスから、いつか立ち直ることが出来るのでしょうか…。


増補忠臣蔵

明治百五十年記念公演の二つ目の演目。

直前の演目の「良弁杉由来」で団平の曲に注意が行ったので、こちらも三味線の節に注意を向けて聴いてみましたが、すがすがしいほどお馴染みの節ばかりで構成され、曲の流れは予定調和的です。児玉氏の解説によれば「明治十年代には、『仮名手本忠臣蔵』を九段目まで通す中に、挿入される形で上演されていたようです」とのことです。つまり、団平と同じ明治時代の作品とはいっても、こちらは『仮名手本忠臣蔵』に挿入して違和感のないよう、むしろ意識して『仮名手本忠臣蔵』当時の節を忠実に踏襲したということなのでしょう。

それでも、聴いてて面白くないかというと全然そういうことはないのが興味深いところです。特に、咲師匠が復調され、とても素晴らしい語りでした。若狭之助の情けをかける若殿と本蔵の会話がとても演劇的で、こういった歌舞伎的な、大人の味わいを得意とする咲師匠にぴったりです。台詞の応酬で浄瑠璃が進行していきますが、間とリズムが素晴らしく、うっとりといつまでも聴いていたい浄瑠璃です。最後は若狭之助の妹の三千歳姫が琴を弾くのですが、こちらは燕二郎さんが琴で燕三さんとの師弟共演となりました。


人形は幸助さん改め玉助さんの若狭之助と、玉志さんの本蔵です。ライバル同士のお二人が、それぞれの雰囲気を象徴する性根の人形を遣われていて、とても面白かったです。

国立劇場小劇場 文楽9月公演 第二部 夏祭浪花鑑

夏祭浪花鑑
住吉鳥居前の段、内本町道具屋の段、道行妹背の走書、釣り船三婦内の段、長町裏の段、田島町団七内の段

夏になると、『夏祭浪花鑑』が観たくなる。登場人物達の行動や言動は、理屈が支離滅裂で、どう考えてもアブナイ人々のそれなのに、何故かつい、観たくなる。キケンで、中毒性のある演目です。今回の公演は、私が観たことのある『夏祭浪花鑑』の中では間違いなくベスト3に入る公演でした。

今回は「住吉鳥居前の段」の後の「内本町道具屋の段」と「道行妹背の走書」、それから「長屋裏の段」の後日談の「田島町団七内の段」が上演されました。やっぱり、「内本町道具屋の段」と「道行妹背の走書」で、磯之丞殿のしょうもなさが発揮されないと、クライマックスの「長町裏の段」での団七の虚しさが十分に感じられない。面白い段かと言われると微妙だけど、磯様のだめ人間ぶりは、この「長屋裏の段」が面白くなる重要な一要素です。しかし玉島家はこの磯様が跡取りで本当に大丈夫なんでしょうか。お家のためには血眼になって磯様のフォローをするより、もっと抜本的な問題解決が必要では…?


私にとって『夏祭浪花鑑』を観る上で、最も楽しいのは、「釣船三婦内の段」の簑助師匠のお辰の登場以降から「長町裏の段」の最後の「悪い人でも舅は親」で団七がきまるところ。特にお辰は簑助師匠以外に考えられない。今回も、浅葱の日傘に浅葱の簪、浅葱の半襟に黒の着付で決めた涼しげなお辰の出の場面から釘付け。少し斜めに背筋をしゃんと伸ばして座る座り方とか、少し上向きの首とか、本当に美しい。そして気がつけば、舞台上には、簑助師匠のお辰、玉也さんの三婦、勘壽さんのおつぎに、呂勢さんと清治師匠の床。密度の濃い、素晴らしい舞台です。


また、「長町裏の段」は、勘十郎さんの団七に玉男さんの義平次。こちらは打って変わって、勘十郎さんのための舞台。勘十郎さんの団七は当たり役というより、勘十郎さんのために当て書きされたかと思うくらい、はまっています。

また、私にとっては、「長町裏の段」の面白さを左右する重要な要素が義平次がどれだけあくどいか、です。実は以前観た玉男さんの義平次はそれほどあくどくなかったので、今回はあまり期待していませんでした。がしかし、今回、玉男さんの義平次は、以前とは打って変わって、とても憎々しい義平次。さらに、勘十郎さんと玉男さんにしか出せないあうんの呼吸で、緊迫した素晴らしいお芝居でした。床の団七役の織太夫さん、義平次役の三輪さん、三味線の清志觔さんも共に良かったです。


長町裏の段がとても良かったので、そのまま帰りたい気分になりましたが、今回は「田島町団七内の段」がつきました。親殺しをした団七を救うために一寸徳兵衛やお梶が奮闘するが、今の人間から観ると、 長町裏の段と比べてずいぶんと筋立てが荒いようにも思え、いっそ無くてもいいのではと思える。250年以上前の人々との感覚の違いなんだろう。ただ、最後の場面は人形がかっこいい場面になっています。


二部は皆さん、白の着付け(織太夫さんと清介さんの団七格子以外は!)。私はこの夏らしい演出が大好きです。それから睦さんの見台がいつもと違いました…。いつも、横殴りの村雨の中、簑笠を付けた人が慌てて去って行く後ろ姿の蒔絵が描かれた見台なのですが、今回の見台は丸紋の散らし。新調されたんですね。それから、睦さんの対極、いつも違う見台の呂勢さんは、床本の表紙と背表紙が団七格子でおしゃれでした。

寛治師匠

蝠聚会の最後に、清介さんから、寛治師匠のお話がありました。ちょうどその日、寛治師匠が亡くなったそうです。すごく悲しい。私が最後に聴いたのは五月公演の『本朝廿四孝』の「景勝下駄の段」でした。

「景勝下駄の段」は寛治師匠と織太夫さんでした。このときの寛治師匠は、織太夫さんをリードするためだったのか、それとも織太夫さんの勢いに合わせたのか、いつもよりメリハリの効いた、生き生きとした三味線でした。普段の津駒さんとの大人の絶妙なバランスの時の三味線とはひと味違っていて、これだけ高齢になってもこんな若々しい音や撥捌きをを繰り出せる寛治師匠に感じ入りました。

そんな三味線を聴いたばかりだったので、こんなすぐに亡くなってしまうなんて、思ってもみませんでした。

私の印象が残っている寛治師匠の三味線は、『祇園祭礼信仰記』の清治師匠の「金閣寺の段」に続く寛治師匠の「爪先鼠の段」の豪華共演、寛治師匠、清治師匠、錦糸さんが次々と三味線を弾き繋いだ『伊賀越道中双六』の「沼津の段」の冒頭、はんなりと美しい『生写朝顔話』の「明石浦別れの段」、情と躍動の『鎌倉三代記』の「三浦之助母別れの段」、大人の色気の『伊勢音頭恋寝刃』の「油屋の段」や「奥庭十人斬の段」、それから寛太郎さんとの共演も楽しかった、優しくも哀しい『近頃河原達引』の「堀川猿廻しの段」、『壇浦兜軍記』の「阿古屋琴責」、『関取千両幟』の猪川内などなど。

今後はお弟子さん達や寛太郎さんが彦六系を引き継ぎ、三味線をますます盛り立てて行っていただきたいです。

今年は始さんが亡くなり、住師匠が亡くなり、本当に寂しい。

蝠聚会(東京)

三味線の方々が浄瑠璃を語る蝠聚会。今回は二十周年記念で東京でも開催されたので、行ってみました。

太夫ではない方が語る浄瑠璃といえば、東京で聞いたことがあるのは天地会。大体、はちゃめちゃな語りです。とはいえ、今までにトーク付きイベント等で燕三さんの太夫顔負けの迫力ある語りは何度も聴いたことがありますし、赤坂文楽だったかで藤蔵さんの女形の語りもほんの少しだけ聴いたことがありました。というわけで、聴く前の予想としては、清介さん、燕三さん、藤蔵さんあたりは本格的で、それ以外の方は、それなりって感じなのではと思っていました。

ところが、ところが!最初の『絵本太功記』「夕顔棚の段」の清志觔さんから無茶苦茶本格的です。全然、同世代の太夫陣の語りに負けていません。びっくりしました。客席も語りが終わった後はどよめいていました。

その後に続く、宗助さん、清介さん、燕三さんも、予想通りの本格派です。いやはやすごい。太夫陣も形無しです。考えてみたら、いつも太夫の隣で聴いている訳だから、本職の太夫を除いて、最も贅沢なお稽古をしている人達ですよね。それから、燕三さんを弾いたのが燕二郎さんがものすごく手が回っていてびっくりしました。あんなに上手かったなんて、驚きです。燕三さんとの息もぴったりで、さすがの師弟関係でした。


第二部は、私にとってのお待ちかね、『一谷嫩軍記』の「脇ヶ浜宝引の段」。2016年の9月公演にて咲師匠・燕三さんで初めて聴きましたが、シリアスな一谷嫩軍記にこんな笑える段があるなんて、驚きでした。

今回は掛け合いで語ります。まず弥陀六は、勝平さん。貫禄です。そして、とぼけた村人達は、清丈`さん、友之助さん、清馗さん、清公さんの面々。清丈`さんと友之助さんは共に、期待を裏切らない面白さでした。また、清公さんは普段の三味線の音も繊細ですし謙虚な方のイメージなのですが、開口一番、鶏の鳴き声。ひょうひょうと笑いを取っていました。しかし、一番ツボってしまったのは、清馗さん。担当した役は、熊谷が敦盛を討つ場面を超ユニークな視点から説明する与次郎。2016年の『一谷嫩軍記』通しで聴いた咲師匠を彷彿とさせる、おとぼけ度です。清馗さんは兄・織太夫さんと、イケメン・ブラザーズ路線を行っているのかと勝手に思っていたのですが、全く違う次元の才能を見せつけられました…?そして、配役には名前があれど姿は見えず、謎だった藤蔵さんは、清公さんと入れ替わりで、運平と庄屋さん役。一番美味しい役どころでした。

いつもと違う三味線さんの姿を観て、会場も興奮気味でした。次の東京開催は10年後とか。せめてオリンピック並のペースでの開催を希望します!

めぐろパーシモン 小ホール 人形浄瑠璃文楽 レクチャーと公演

春めいたうららかな陽気の日に、三番叟と道行初音旅という私の大好きな景事を観ることが出来て、楽しい公演でした。


二人三番叟

三番叟は一輔さんと紋臣さん。一輔さんの方が三枚目の三番叟の方。きびきびした動きで、観る人を魅了します。楽しい三番叟でした。

床はシンが希さんと團吾さん。團吾さんが単発の公演に出ているのはすごく珍しい気がします。

義経千本桜 道行初音旅

寒さが緩んで、春の足音が近づいてくると聴きたくなる曲の筆頭は、道行初音旅。できれば静御前は呂勢さんで、三味線は清治師匠か藤蔵さんで聴きたい。今回は呂勢さんと藤蔵さん。呂勢さんの良く通る声と味わい深い、美しい旋律、藤蔵さんの華やかでパワフルな三味線。舞台の背景には溢れんばかりの桜の花に青い空。完璧です。

人形は、事前に公開されていたてっきり勘十郎さんが源九郎狐と思いきや、静御前が勘十郎さん。では源九郎狐は誰かというと、幸助さん。本当は忠信の方が狐の化身なのだけど、勘十郎さんの志津香御前の方が、よっぽどただ者ならぬ雰囲気が漂っていて。ちょっと笑ってしまいました。勘十郎さんの十八番の役を他の人がされると、いかに勘十郎さんがその役に工夫をこらしているかが良く分かります。だけどその勘十郎さんも簑助師匠の静御前にはかなわない。こうやって、長い年月をかけて、先を行く人を追いかけていくのでしょうね。

最後の静御前の扇投げは、高く上がって大きな孤を描き、狐忠信は何とかキャッチ!

幸先の良い春となりそうな、素敵な公演でした。