Grand-Guignol K.K.K

The half of this site consists of gentleness. The other half of this site consists of lie. Sorry, this is all shit in the end. Here is MATERIAL EVIDENCE: (^ ^)ノヽξ

夢のなかの夢(1849年)

A Dream Within A Dream(1849 Edgar Allan Poe

Take this kiss upon the brow!
And, in parting from you now,
Thus much let me avow―
You are not wrong, who deem
That my days have been a dream;
Yet if hope has flown away
In a night, or in a day,
In a vision, or in none,
Is it therefore the less gone?
All that we see or seem
Is but a dream within a dream.

I stand amid the roar
Of a surf-tormented shore,
And I hold within my hand
Grains of the golden sand―
How few! yet how they creep
Through my fingers to the deep,
While I weep―while I weep!
O God! can I not grasp
Them with a tighter clasp?
O God! can I not save
One from the pitiless wave?
Is all that we see or seem
But a dream within a dream?


わが接吻を額に受けよ!
そして別れの前に聞いてくれ
今日までの日々は夢であった
そう思うのも間違いではない
だが、たとえ希望が一夜か昼の
夢幻に消えたとて
それがどうして救いとなろう
我々が見るもの見えるもの
すべては夢のなかの夢

波が打ち寄す海岸の
轟くさなかにたたずんで
掌に握りしめた
黄金の砂
このわずかな砂でさえ
指のすきまからこぼれ落ち
わたくしは泣く、咽び泣く
神よ、これ以上固く
握りしめることはできぬのか
神よ、無慈悲な波から
一粒たりとも救えぬのか
我々が見るもの見えるもの
すべて夢のまた夢なのか

はぐゎ

ビジネスメールの「文」の途中でやたら改行する人がいるのだが、なんでだろう。ネタやいやがらせではなくなぜか素で、文の途中に細かく「改行コード」を入れてくるのだ。断絶すべきでないところで意味の断絶が起こり、読みにくいことこのうえない。

ここでいう文というのは、一文のことである。
「ここでいう文というのは、一文のことである。」を例にとれば、「ここで」から「である。」までが一文である。
したがって、文の途中で改行するというのは、たとえばこれを
「ここでいう文というのは、
一文のことである。」
とする行為を指す。

確かに大昔は全角35文字、半角70文字あたりで改行コードを挿入するという感じのメールマナーが存在していた。理由は諸説(サーバエラーが起こりやすいとかなんとかかんとか)あってよくわからない。だがこれはインターネットの歴史でいえば古墳時代ぐらいの話。とうの昔に死に絶えている。

そうではなく、現代においてもなおビジネスメールのマナーと称して「適当に改行する」という表現を見かけるのだが、この「改行する」のニュアンスが曲者なのである。
改行するのは別にかまわない。意味のある改行でありさえすれば、だ。
そうではなく、まるで一行の文字数制限があるかのごとく、わざわざ文の途中に改行コードを入れて物理的に文を分断する行為の意味が不明なのである。
メールを読みやすくするコツのひとつとして「一文を短くする」ということはあるが、これは物理的に文面を縦長にせよという意味ではない。

この謎の改行を行う人の気持ちをむりやり想像するに、改行する理由が「横長だと読みにくいから」だったとしよう。
仮にそいつがパソコン等のワイドディスプレイでものすごく横長のプレビューペインを使ってなおかつものすごく横長のだらだらした文を読んでいるのだとすれば、ディスプレイの端から端までの視線の横移動がなんども生じるのでそれは確かに読みにくいだろう。(ただいまの一文は読みにくかったはずだ。)
だが読みにくい原因は、その横長の文を書いたやつがへたくそなだけではなく、おまえがそのようにビューを設定しているからである。パソコンにしろスマホにしろブラウザにしろメールソフトにしろ、変なhtmlで作成されていない限り、画面上の自動折り返し機能が働く。それでも読みにくいと思うのであれば、おまえが画面の横幅を調整すればよいだけである。おまえは青空文庫で昔の作品を読むときにも横長で読みにくいなどと文句を並べるのだろうか。

逆にスマホなどの縦長(横幅が制限されている)画面では、自動折り返しと無意味な改行コードが混在することによって、さらに断絶が起こりまくる結果になる。仮にその断絶だらけのメール文面を、一行の文字数と行数が固定されている400字詰めの原稿用紙(20字×20行)に移し替えてみるがよい。ポエムでもないのに文がコマ切れになり、その気持ち悪さはポエムに比肩、あるいはそれをはるかに凌駕するレベルになる。別に出版するわけじゃないしとか、文字数上限が指定されているわけでもないのだからいいじゃないか、とか言わないでくださいめんどくさい。原稿用紙というのはあくまできもちわるさを想像してもらうために例示しただけです。

ここまで言ってもわからない人のために、最後にこうしたほうがいいと思うルールをまとめておこう。
文の途中で無意味な「改行コード」を挿入してはいけない。読む側のストレスになるだけ。メールソフトの「一定の文字数に達したら改行コードを自動挿入する機能」を使うなどあほすぎて論外。
「改行コード」を挿入するタイミングは、「文(センテンス)」の末尾(すなわち句点の後)と「段落(パラグラフ)」の末尾(すなわち文の集合体であるところの段落における最後の文の句点の後)が原則。
例外的に、一文が長くならざるを得ないときは読点で改行することもやむを得ないが、そもそも一文を長くしなければいい話。
さらに言えば、段落とは「意味のまとまり」を指すものであり、段落が複数あれば論理の展開があることを示すはず。したがって、段落冒頭の字下げが一般的ではないメールにおいては、段落であることがわかるよう、段落間に空白の一行を置いて区別するべきであろう。
文中にわけのわからない改行コードを挿入するひまがあるのであれば、上記に意識を使った方がよほど有意義ではないだろうか。この記事がそうなっていないではないか、とかめんどくさいことは言わないでください。

ビジネスメールに関していえば、
・htmlモードをデフォルトにしている人からの返信メールにおける行間の空きすぎる現象(自動的に行間に改行コードが挿入されていることも)→読みづらいんじゃ。
・引用符(>やタブ)の使用をデフォルトにしている人との往復メールにおいて引用符が量産されていく現象(>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>)→読みづらいんじゃ。
も、文の途中の改行とおなじぐらいうっとうしいのだが、それはまた別の話。

人生に戻る

わたくしが悩み打ちひしがれたときおまえはどこにいたのだ
日々はわたくしの眺める窓からすり抜けたというのに
わたくしが傷つき寄る辺なきときおまえはどこにいたのだ
おまえの言うことなすことはわたくしをしばりつけたから
おまえが他人の言葉にすがりつき
聞いたことを信じこんでいる間にも
わたくしは輝く太陽をまっすぐ見ていた

思考に時間を費やす間にも
生命や変化の種がまかれている
外は暗く静かに雨が降っている
《過去》というやっかいで抗いがたいものに思考をめぐらす間にも
おおぜいの沈黙のなかわたくしは飛び立った
その時が来たのだ
過去を清算し人生に戻るときに

みなの沈黙のなかわたくしは飛び立った
秒読みが始まったのだ
まっすぐに飛んだ、輝く太陽に向かって

"Coming Back To Life" by Pink Floyd
・・・とりあえず訳したが意味がよくわからない。

今日のニュース

抜け毛アイス 1/28(月) 20:34配信

このアイスクリームは、フレンチの達人と謳われるジョエル・ロブション氏が監修したもので、ロブション氏自ら、ひとつひとつまごころをこめて、手作りしたものです。
「アイスづくりに命をかけていると言ったら大袈裟かな。でも、おいしいアイスを作ろうと全身全霊を傾けているのは間違いないからね。わたくしの汗と涙がこのアイスのなかに入っている。あと抜け毛も(笑)」(ロブション氏談)
「金をかえせ」という消費者からのクレームに対し、同氏は「髪をかえせ」と応答し、事態は泥沼の様相を呈しているということです。

今日のニュース

ゴキブリの変種現る 1/27(日) 20:34配信

人気アニメのキャラクターにそっくりなゴキブリが発見され、騒動となっています。
このゴキブリは、人気アニメ「プリキュア」のキャラクターにそっくりの形をしていますが、動きはゴキブリそのもので、人体をかさこそ這いまわる、上半身と下半身が分かれて動くなど、気持ちの悪い生態が報告されています。
「何らかの突然変異により、フィギュアに擬態しているのだろう。生物界を震撼させる驚愕の発見だ」(矢追純一氏(83)談)
この新種のゴキブリは「ゴキュプリ」などと呼ばれ、人々に嫌がられているということです。

今日のぽえむ

鳩に、豆が 1ねん1くみ とよたまゆこ

かはひらしい
ちいさなお尻をわななかせ
逃げゆく土鳩
誘われるように
わたくしは
後を追う
鳩よ
そなたは美しい
赤と黒
二重丸の瞳
わたくしの心を惑わせ
異界へ導きたもう
鳩よ
子供らの
美しからざる指(および)にて
縊りおかれし瓦鳩
傷ついた翼を休め
まぶたを下から上に閉じ
眠るがよい
わたくしは
そなたの心に
そつと寄り添う
糞でありたい

金太郎うろ覚え書き

日本昔話における三大太郎といえば、桃太郎、浦島太郎、あと一人は?
金太郎です。
断じて三年寝太郎、ましてや垢太郎(不衛生)などではありません。
金太郎といえば、おかっぱのてっぺんハゲで、金という文字が入ったひし形の腹掛けをして、尻まるだしでまさかりかついでクマに乗ってるクソガキ。
と、ビジュアルイメージはそこそこ具体的なのに、どういう話だったのか、いまいちはっきりしないので有名です。
桃太郎は勧善懲悪劇のプロトタイプ、浦島太郎は不条理劇の骨頂と言えますが、それにひきかえ金太郎はいったいどういうお話だったのでしょうか。
答え↓
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=59
つまり、そもそも金太郎は坂田金時という人物の幼名であったということですが、坂田金時という人物は昔の書物にその名が書き遺されているだけで、写真も残っていませんので、坂田さんが本当にいたのかどうかはあやしいです。
その証拠に、金太郎のおともだちは山の動物たち(笑)、大木を押し倒し(マサカリ使えよ)、危険きわまりない一本橋をかけ、クマを相撲で負かして家来にしたりと、あからさまに嘘くさい話のオンパレードです。
仮に坂田金時が実在の人物だったとすると、上記の逸話は、坂田が子供のころから強かったと言いたいがために、後世の人がでっちあげた作り話であろうと思われます。
そして話にオチがありません。桃太郎のような水戸黄門イズム、浦島太郎のような強烈なSF的展開もなく、最後は立派な人になりました、というだけ。
うーん。印象が薄いのはこのためですね。
金太郎飴として商品利用されたり、CMで笑われ役に起用されたり、イメージだけのキャラクターに成り下がってしまうのも道理です。
それにしても、坂田さんもまさか、幼少の頃とはいえ自分が尻まるだしの恥ずかしい恰好をしていたなどと後世に語り継がれるとは夢にも思わなかったでしょうね。
関係ありませんが、アホの坂田と称する吉本芸人さんも金太郎のまぬけなイメージに貢献していると思われます。
アホの坂田 金太郎 で検索


桃太郎や浦島太郎の童謡と同様、金太郎にもテーマ曲があります。
うろおぼえですが、こんな感じです。

♪まさかりかついだ(で)金太郎
xxxxxx(不明)おうまのけいこ
はいしどーどーはいどーどー(繰り返し)♪

童謡「村まつり」をパクったようなこのメロディーに聞き覚えのある方も多いでしょう。
曲名はずばり「きんたろう」。↓いま調べました。
http://j-lyric.net/artist/a00126c/l013275.html
一節目はまさかりかつい「で」が正解のようです。
そしてやはり話にオチがありませんでした。印象が薄いわけです。
それにしても二番の歌詞がすごいですね。
♪けだものあつめてすもうのけいこ
山のおともだちをけだもの呼ばわり(笑)。
けだものたちがその後どうなったのかは定かではありません。