著作権の非親告罪化について補足してみる

昨日書いたエントリーであるところの「警察は著作権の非親告罪化についてどう考えているのか - memorandum」に思いもよらない反響がありました。ありがとうございます。しかしですが、私の認識とは違うところもあるので、ぶくまコメントに答える形で、補足してみようと思います。


警察は著作権の非親告罪化についてどう考えているのか - memorandum

率直な意見としてはそうだろうが、警察側からアプローチできるようになるというアドバンテージはかなり大きいと思う。快くは思っていないが、行動するコストを考えて黙っている層は丸ごと掘り起こされる。

2015/02/12 19:45


警察側からのアプローチが可能である点は、実は親告罪であろうが非親告罪であろうが変わらない、と言うのが今のところの私の認識でありますね。


親告罪となることを心配している人が多々いますが、皆さんおしなべて「警察が捜査するにあたり、被害者の告訴が必要というのが親告罪である」と認識しているようです。それに対して「それはちがうのではないかな」というのが私の様な人なのでしょう。


もっと言うと、「警察が告訴・告発なしで捜査する事など例がないわけではないのに」というのが私の立場です。例えば、サイバーパトロールですね。

島根県警の捜査員がサイバーパトロールで発見し、ACCSを通じて著作権者である株式会社手塚プロダクションに連絡したことが摘発の端緒となったとしている。
サイバーパトロール端緒にShareユーザー御用、アニメ無断公開の自衛官男性 -INTERNET Watch

著作権を侵害されていると言う認識がないままに警察が独自に捜査を始め、権利者に連絡を取り、事後承諾の形で告訴を行った事例ですが、告訴のないままに警察が捜査が可能であると言う事は、別件逮捕も行う事が出来るでしょうね(可能性がゼロとは言えないと言う意味で)。


非親告罪化される事により警察が何をしてくるのか分からないから、条文で手当てしろ」というのは分かります。それに対して心配するなとは言いませんし、当然の反応でしょう。しかし、「警察が何をしてくるか分からない」状況は、実は親告罪であるところの現状でも同じと思われます。「何を今さら心配しているのか」という印象は否めないのですね。


なお、萎縮効果については別に否定しません。日本の同人業界が「権利者は親告罪なので、権利者がアクションを行わない限り警察は動かない」という思い込みを持っており、思い込みによって同人業界が繁栄していたのであれば、著作権非親告罪化がマイナスの影響を与えるのは当然だと思います。


また、「訴追要件に告訴が必要なくなれば、警察にとって起訴できないと言うリスクが低くなり、捜査へのハードルが低くなるのではないか」という疑問につきましては、「知財関係の捜査には権利者の協力が欠かせない」というのであれば、ハードルは低くなることはないだろうと思いますが、根拠もないというのが正直なところですね。

警察は著作権の非親告罪化についてどう考えているのか

TPPがらみで、著作権非親告罪化と、それに伴う(主に)同人誌作者の方々のリアクションとで賑やかになっている昨今の著作権界隈である。


一方で、非親告罪化について法務省、および警察がどの様な見解を持っているのかに関しては、驚くほど語られていない。非親告罪化=警察が取り締まりやすくなると言う認識で一致しているようである。


著作権非親告罪化について警察、捜査当局の実務担当者が語っている例としては、文化庁著作権審議会法制問題小委員会(平成19年第4回)である。ここで、法務省刑事局参事官の山元氏と、警察庁生活安全局の古谷氏が、非親告罪化における捜査実務への影響を語っているので、引用することにする。

(山谷氏)親告罪ということを維持されるべきかどうかということでありますが、これについては、著作権法違反がなぜ親告罪とされているのかというような趣旨、それから、それが現実にどんな効果をもたらしているのか、あるいは、非親告罪とした場合の影響等を踏まえて、御議論いただければと思うのですが、先ほど御紹介しましたように、取締りへの影響という観点から申し上げますと、非親告罪としたことによって、捜査機関的な考え方、あるいは捜査実務の現場を考えますと、非親告罪化すれば、取締りが強化されるのかということについては、直ちにそうは言いにくいのではないかなというような感触は持っております。といいますのは、被害者からの申告や協力がなければ、実際問題、著作権の中身とか、あるいは著作権侵害の対応、あるいは影響ということが判断できませんので、実際問題、訴追するのが困難ではないかというような考え方に、検察官としてはなると思います。いずれにしても、被害者の御協力あるいはその意向というものなしに、訴追ということはちょっと考えられないだろうということであります。

(古谷氏)3つ目の「親告罪であることによる実務上の支障」という点でございますけれども、基本的には、親告罪であるということが、著作権法違反事件の捜査にとって大きな障害であるという認識は持っておりません。それでも、年に1件、2件という程度のレベルではございますけれども、告訴が得られないために捜査が中断に至る事例が、あるにはございます。近年の事例といたしましては、例えば民事で賠償金が獲得されたということで、告訴が取り消された事例。これは言ってみれば、民事紛争を有利に解決するために刑事告訴を利用したとも受け取れるような事例でございまして、残念な事例でございます。
 それから、権利者が告訴に極めて消極的であるということで、立件を断念した事例でございます。これは、捜査とか公判におきましても、その鑑定とか証言ということで協力をしていただくことになるので、その負担が重いということで、告訴をしていただけなかったのではないかというふうに思っております。個人や小規模事業者という形の権利者に限らず、業界の大手の場合であっても、そういう対応が見られる場合があるということは、少しございます。

(古谷氏)警察にとりまして告訴というのは、処罰を求める意思表示ということにとどまらず、権利者が捜査に協力をすると、そういった協力意識のあらわれでもあるというふうにとらえているところでございまして、先ほども申し上げましたけれども、権利者の協力なくしては、知財事件の捜査は成り立たないと考えますことから、そのように、ちょっと気になっておるところでございます

(古谷氏)おそらく剽窃だとか、いわゆるパクリみたいなものというのは、ネット上などを中心にしまして非常に大量にございますので、どこで線引きをするかというのは非常に迷うところかと思います。社会的に非常に反響を呼んだという事件であれば、関心を持って見るとは思いますが、関係者が全部いいよといっているような場合にまで、刑事手続にのせて、懲役10年、まあ10年にはならないでしょうけれども、仮にしたとして、それはいかがかなという感じが、個人的にはいたしております。


10年前の議論が今現在、どこまで通用するかという話にはなるであろうし、警察の意識が変わっていないという保証もない。警察全体の意思をどこまで反映しているのかという話にもなってくるであろうけど、とは言え、警察の実務担当としては、非親告罪化をそこまで重視していないと解釈できますね。


逆に言えば、著作権非親告罪化は、警察が求めているわけではない事になりましょうね。個人的に、森田委員の発言が面白かったので、最後に引用します。

【森田委員】 今日のお話をお伺いしますと、また、今の道垣内委員の御発言とも関係しますけれども、親告罪を見直すべきだと主張されている方の意図というのは、捜査の実態についての誤解があって、そういうことをおっしゃっていたということなのか、それとも、むしろそうではなくて、何かシンボリックな効果を狙って、国内の取締りを強化してますよということを示すというのが親告罪でなくする目的であって、必ずしも実際の捜査に影響があるわけではない、それとは独立に考えるべきだという、何かそういう御主張なのか。この件については、今日お配りいただいた「知的財産推進計画の2007」にも入っていますけれども、この意図というのはどう整理されているのかという点についてお聞きしたいと思うのですが。

楽園追放に文句言ってみる(ネタバレあり)

先日公開されたアニメ、楽園追放が話題になっていたので見に行ってきた。冒頭数分(サンドワームの肉の辺りまで)みのがしたのであるが、まあ、感想にとって大きな影響はないでしょう。多分。

感想はどうだったかというと、アンジェラちゃんかわいかったに尽きますかね。虚淵さん、まどかマギカでも同じような感想だったんだけど、美少女のキャラクター造形は本当に上手ですね。私はまどかマギカではほむらがお気に入りだったんですが、アンジェラといい、めんどくさい女の子の描写に関して長けていると思います。一方で、虚淵さんが語る世界・社会にはあんまり関心を曳かれなかった。

でまあ、つらつらと文句を言ってみたいところが出てきましたので、ここで述べてみたいところです。めんどくさいSFおじさんだなあと思われるかも知れませんが、実際めんどくさいSFおじさんなので、仕方がない。スタンスとしては文句言いながらも好きな作品ですが、伝わるかどうか。


外宇宙に行け!

まずはこれですよね。これ。50年代のSFであれば、宇宙へ行っていたんじゃないかなとは。あのラストシーン、ディンゴもアンジェラも外宇宙探索を選択しなかったのは個人的に大変残念です。

つまり、私は「ラストシーンでもう一度物語が大きく膨らむ」という物語が大好きなのであり、小さくまとまってしまったかなと思いました。宇宙を選ばずに、地球に残ることを選択するのも悪くはないですが、あの世界の地球、どんづまりも良いところで、大して明るい未来はなさそうなので、あの後二人はどうなるのか。どうなるんだろうなあ。


精神と肉体との相克が描かれてない

この映画において、精神を代表しているのがアンジェラであり、肉体を代表しているのがディンゴという事になると思いますが、どうも無条件に肉体に軍配を上げているのが気になってしまいます。

つまり、ディンゴのアンジェラに対する説教シーンを問題にしているわけです。あのシーン、「メモリーの空間の広さに依存しているディーヴァ」と「食料に依存している地球人」という類似性を主張していて、「互いに相容れない存在であると思われるディーヴァと地球人に共通点がある」→「ディーヴァと地球人との相互理解」と言う展開もできたと思うのですが、どうもディンゴさんが「だがディーヴァは別だ」と、一方的に議論を終わらせているような感が。

何というか、管理社会に対する理屈抜きの批判が根底にあり、それが変な形で発現したのかなと。


アンジェラがよくわからない

つまり、前半のアンジェラと、後半のアンジェラが別なキャラクターなのでは……。

ディーヴァに対する反逆なのに、アンジェラはそれに対して葛藤してない感じですし、地球に対して思い入れをもった描写がないのに、唐突に「私はまだこの世界をよく知らないの」的な台詞を言いますし、肉体というものに対して肯定的な描写はとくになかったし。

「肉体の限界を超越したディーヴァにも関わらず、肉体に興味をもったアンジェラ」を描きたいのであれば、ディーヴァには存在しないけど、人間が特有している何かの描写が必要だったのかなと思います。その「肉体特有の何か」を知ることで、アンジェラはディーヴァの限界を感じ、肉体を持つことの意義を悟るとか(今では古くさいのかもしれませんが、めんどくさいSFおじさんなので仕方がない)

いつもの「太田組」ではない琴浦さん

みなみけみつどもえゆるゆりで知られる太田雅彦監督。
太田監督の特徴として、制作スタジオを変えながら、同じスタッフで継続してアニメを作成することが挙げられる。

太田監督は仕事を請ける前に、各々のパフォーマンスと癖を知っている

メンバーを引き続き率いて制作にあたることの了承をとっているという。

監督によれば『ゆるゆり♪』は

それまで関わりのなかった動画工房からの突然の依頼であったということなので、

やはり同じように動画工房(および製作委員会であろう)と折衝したはずだ。

『琴浦さん』太田雅彦監督の1クールアニメ構成法 - あにめマブタ


しかし、「琴浦さん」ではちょっと事情が異なるようである。

シリーズ構成:あおしまたかし
キャラクターデザイン・総作画監督:越智信次
美術監督・美術設定・美術:鈴木俊輔
編集:田中恒嗣
音響監督:蝦名恭範
音響効果:山谷尚人
音楽:三澤康広
みなみけ - アニメスタッフデータベース

シリーズ構成:あおしまたかし
キャラクターデザイン・総作画監督大隈孝晴
美術監督:鈴木俊輔
編集:小野寺絵美
音響監督:えびなやすのり
音響効果:山谷尚人
音楽:三澤康広
みつどもえ - アニメスタッフデータベース

シリーズ構成:あおしまたかし
キャラクターデザイン・総作画監督中島千明
美術監督:鈴木俊輔
編集:小野寺絵美
音響監督:えびなやすのり
音楽:三澤康広
副監督:大隈孝晴
音響効果:山谷尚人
ゆるゆり - アニメスタッフデータベース

シリーズ構成:あおしまたかし
キャラクターデザイン・総作画監督大隈孝晴
美術監督:高橋麻穂
編集:小野寺絵美
音楽:三澤康広
音響監督:明田川仁
音響効果:山谷尚人(サウンドボックス)
琴浦さん - アニメスタッフデータベース

「太田組」から、美術監督と音響監督が変更されているのである。そして、これは恐らく小さくない変更だと思うのである。

例えば音響監督のえびなやすのり氏のコメントだが「監督からはどんなオーダーがありましたか」と言う質問に対して

監督からは特にこれと言った注文はありませんでしたが、やりたいことはなんとなく分かりました。太田監督とは何本か一緒にやっていますので、その辺は言われなくても分かる仲なんです
ゆるゆり公式ファンブック P.124

恐らく、太田監督に取っても同様だったのではないだろうか。今回はそのえびな氏が欠けてしまっているし、美術監督も同様にツーカーの仲であると思われる鈴木氏が欠けてしまっている。チーム作りを1からやり直さなくてはならないのは太田監督に取っても大変な事ではなかっただろうか。


しかし、琴浦さんの1話を見るかぎりでは、それで苦労したような印象はあまり見えなかったし、好評と言う反応が全てを物語っていると思う。琴浦さん第1話では、琴浦さんの心境の変化に従って背景がどんどん暗くなっているのだが、これは美術との緊密な連携がないと行えないことであるので、新しいチーム作りにも成功したのではないだろうか。


スタッフの交代がどのように作品に影響しているかを考えてみたい。私は音響監督の変更が作品にどの様な影響を与えているか分からないのだが、音について敏感な方であれば「そう言えば演技プランが変わってる」とか思うのかも知れないね。美術監督の変更は、これはもう一目瞭然であって、背景が明らかに緻密になってますね。琴浦さんという作品のシリアスさを、緻密な背景が支えているのではないだろうか。もしこれがみつどもえゆるゆりの背景であれば、ギャグにしかならないよね。逆に、みつどもえゆるゆりの世界であれば、琴浦さんの背景はかなり違和感が強くなるので、作品に合った美術監督を選んだと言えるのではないかと、そう思います。

ハートキャッチプリキュア!のここが気になった


ハートキャッチプリキュア!が終わりました。個人的には楽しめた作品ですし、好きな作品であるとは言えます。キャラクターに関しても、例えばえりかはお気に入りのキャラです。十二分に楽しんだ作品ですが、気になったところも多いのです。自分がハートキャッチプリキュア!の何を気に入らなかったのか、何が面白くなかったのかを確認するために、エントリーをおこす事にしました。



1.つぼみのポジショニング


ハートキャッチプリキュア!の最終話、えりかが「ちょっくら地球を守ってこよう!」とか言う台詞を吐きますよね。うん、これこそが主人公の台詞、主人公の存在感というものです。


ハートキャッチプリキュア!は、本来は主人公タイプのキャラではないつぼみを主人公に据え、主人公タイプのキャラであるえりかをサブに据えたところに特長があると思うけど、それが成功したとは思えないんですよね。主人公の資質として「強烈な個性で周りを引っ張る」というところがあると思うのだけど、それはえりかが持っていた。


もっとも、それだけが主人公の資質という訳ではなく「最初は弱いけど成長に伴い存在感を発揮する」というのもあるだろうし、「猪突猛進で視野が狭い脇役を、広い視野でコントロールする」と言うのもありえる。主人公らしくない主人公と言うのは「あり」だとは思うけど、最低限、強い存在感は必要だと思うのだ。そして、私見ではつぼみに主役としての存在感が与えられることは、最後までなかったと思います。


つぼみという主人公は、えりかの強烈な個性、いつきの生徒会長としてのポジション、最強と言う属性を与えられたキュアムーンライトさんと言うキャラクターのなかで、埋没してしまった感があるのですよ。敢えて言えば、主人公という役割を与えられただけの存在なのですね、私に取ってのつぼみは。



2.ハートキャッチプリキュア!のテーマってなんだっけ


これは他のプリキュア、他のアニメも一緒かも知れませんが、ハートキャッチプリキュア!は、テーマが明確でなかったように思います。「デューンを倒す事が目的」なのかも知れませんが、それは手段が目的化している感じもするんですよね。「デューンを倒す事で何を得るのか」が描かれていなかったと思うのです。


例えば、Yes!プリキュア5であれば、ナイトメアを倒す事はあくまでも手段であって、「パルミエ王国の復興」「のぞみの夢を探すこと」と言うテーマがあり、最終回でそれがかなえられるわけですが、ハートキャッチプリキュア!では何がかなったのか明確に与えられていないように思います。ハートキャッチプリキュア!プリキュアたちは、1年通して戦ってきて、何をしたかったのか、何を得たのかが私には伝わってこないのですよ。


もっとも「史上最弱のプリキュアが史上最強になるまで」を描くことがテーマなのかも知れませんが、史上最弱という設定もあまり機能してなかったと思うのです。そもそも、歴史上のプリキュアがはっきりと描写されていません。砂漠の使途の口から「史上最弱のプリキュアだな」と言う台詞はでるものの、映像で史上最弱と言う事は明確に描写されていないように思いますので、史上最弱のプリキュアと言われてもピンと来ません。


また、確かに最初こそブロッサムの戦いはおぼつかなかったのですが、いつの間にか説明無しに敵と互角に戦っていたりしています。話によって強かったり弱かったり、戦い方が安定していない印象を覚えました。ドラゴンボールに比べて「強くなる」という描写は少なかったように思います。



3.こころの花


重箱の隅を突きます。心にネガティブな感情を抱えた人が砂漠の使途に目を付けられ、デザトリアンになるわけです。つまり、「心にネガティブな感情があるとデザトリアンになるんだ。ネガティブな感情を持ってはいけない」というメッセージを発しているのでしょうか。そうではありませんよね、心にネガティブなもの、ポジティブなもの、両方をもっているのが人間という存在なのですから。


「負の感情を抱えてもいいんだ」というメッセージがあったのかも知れませんが、私にはそれはありませんでした。あ、えりかの宿題話を忘れていた。あの話ではえりかの心の中の天使は悪魔に完敗したわけですから、えりかこそ我々の代弁者だと言えましょう。


また、デザトリアンを倒した場合、デザトリアンは人間に戻りますが、しおれたこころの花はプリキュアが元に戻すわけではありません。人間が、自力で元に戻します。つまり、砂漠の使途にさえ目を付けられなければ、彼らの心は自力で回復したと言う事になります。この辺りに矛盾を感じるのです。プリキュアの戦いと、こころの花が独立しているのであれば、こころの花をしおれさせる必然性がないように思うのです。こころの花をしおれさせるのであれば、プリキュアの戦いとリンクしてほしかったように思うのです。



4.まとめ


ハートキャッチプリキュア!は演出や作画は高レベルだったものの、設定に問題を感じました。また、シリーズ通してのまとまりがなく、個々の話は高水準な話が多かった反面、全体としては印象が散漫になりました。以上が、私の感想です。

みつどもえ 211卵性 親切な海江田さん


あらすじ

矢部っちから「キミらってなんだかんだで仲いいよね」と突っ込まれるほどに仲の良いみつばとチーム杉崎。否定するみっちゃんに被せるように「女同士に友情なんてないのよ」と発言するのは海江田先生。仲の良かった同級生が結婚して、独身の海江田先生は取り残され感が募っています。そして、その焦りが海江田先生に恋の芽を摘み取らせる行動を取らせるのです。矢部先生のかわりにみつばの荷物を持っていったり、おとしものを拾ったり、本を図書室に返しておいたり。しかし、海江田先生の行動が裏目に出てしまい、ふたばとしんちゃんの仲が良くなってしまいます。裏目に出た絶望感にうちひしがれる海江田先生ですが、PTA会長の吉岡ママや校長には高く評価され、その姿を見て微笑むみつばたち。一件落着と思いきや、千葉氏の頼みを聞いてしまい、ズボンを下ろされる羽目になってしまうのでした


1.海江田先生とみつばたち

「海江田先生がかわいい」というのは、みつどもえファンの多くの方が思ってらっしゃる様ですが確かにかわいいです。海江田先生のかわいさというのは、外見と行動とのギャップに依るところが大きいと思います。6−3の多くの女子と共通する点ですが「黙っていればマシ」だと言うのは確かに海江田先生にも共通していて、これだけのルックスがあれば普通にしていればとうに結婚できているはずなのに、結婚できずに「大変必死」となっているあたりがかわいいなと思うわけです。


海江田先生のかわいさには、ルックスだけではなく、性格も大きく貢献しています。なんといっても、二十歳近く年が離れているみつばたちと対等に話しているんですよね。この辺りは矢部っちとも共通するところですが、先生らしい先生ではないんですよね。上から目線ではなく、生徒と同じ目線で教育している。生徒の前でも弱いところを見せている辺りが、なかなかだと思いました。良いか悪いかは別でしょうが、こう言う先生に教育されてみたかったです。


こうした海江田先生に生徒もついてきているようで、例えば、海江田先生の教え子である1組の生徒は「海江田先生は今までで一番いい先生だよ!! 厳しいけど時々優しいところもあるし」と言っています。杉崎には「用事何でもしてくれるからね」と突っ込まれていますが、生徒と海江田先生の様子を見るに、これは恐らく本音なのでしょう。


そして、みつば達もなんのかんの良いながら、PTA会長や校長先生に評価される海江田先生を見て「教師としての株はあがったわね」とか「理解者もできそうだし」と自分の事のように喜んでいます。以前から思っていたことですが、海江田先生とみつば達って波長が合うように思うんですよね。何というか、海江田先生とみつばは、会話が妙に噛み合いますね。ボケと突っ込みと言うんでしょうか。おそらく、みつばと海江田先生は同じ人種なんでしょう。みっちゃんが成長すると、きっと海江田先生みたいな、かわいらしい大人になるんでしょうね。



2.校長先生と吉岡ママ

さて、そんな必死な海江田先生を評価する校長先生と吉岡ママですが、校長先生の事を先に書きます。この校長先生は、教員の方々の事をよく見ているんですよね。今回の海江田先生の姿も見ているわけですし、そして、矢部っちの事も「何かの間違いだろう。彼は誰よりも生徒想いで真面目な男だ」と評価していました。お話の中ではあまり表に出てこない校長先生ですが、校長先生は引いた視点から学校を眺め、先生方に任せているんでしょうね。管理職としての職務を全うされておられるのでしょう。


吉岡ママですが、正装がよく似合っています。その上で官能小説が好きなわけですから、何というか、柔らかい色気が発散されているというか。直接的に言えばエロスを感じます。それはともかく、吉岡ママは「風紀が乱れないよう身を挺すとは… 教師の鑑」と海江田先生を評価しているわけですが、見ただけで海江田先生の行動意図を理解していた訳ですから、なかなかの洞察力の持ち主だと言えましょう。

みつどもえ 210卵性 汗が降り注ぐ丘


今回は何より扉の「単行本1〜10巻が全巻大重版中よ!!」と言う言葉に心温まりました。そんなに売れているのか。アニメ効果も大きいのかな。


あらすじ

6-3はマラソン大会です。運動が苦手な三女さんと吉岡さんはあえぎながらコースを走っています。とそこに恵みの雨。マラソンが中止になったと喜んだのもつかの間、それはみっちゃんの汗だったのです。矢部先生に叱られてしまいます。「みっちゃんの汗を浴びずに済むか会議」を開きます。「速い人をみっちゃんの盾にする」という作戦がまとまり、さて実行。しかし、ふたばには付いていけず、しんちゃんにはおがちんがとりつき、なかなか盾にできる人がいません。ゴールが近づくにつれて、ゆきちゃんとひとははビリになるのを免れようと、抜け駆けを行おうとします。ひとはが盾となるや、ゆきちゃんがひとはの前に行き、ゆきちゃんが盾になるや今度はひとはが前に行きます。結果同着。タイムも速くなる。しかし、今度は彼女たちに「みっちゃんの汗を浴びたい変態」疑惑が生じてしまったのでした。


1.ひとはとゆきちゃん

ひとはとゆきちゃんという、今まであまり見られなかった組み合わせにスポットが当たっています。最近のひとはは人当たりが柔らかくなりましたし、ゆきちゃんは気配りではみつどもえキャラの中でも随一です。この二人が組み合わさるとどのようになるかと思いましたが、ゆきちゃんが主導権を握るんですね。なかなか面白い関係です。


ひとはがまとめたことに対して「やっぱり幹事だもんねっ」と褒め称え、ひとはが「幹事じゃなくてリーダーだよ」と返すと、「自分で言ったね…」と切り返してきます。ゆきちゃんにいいようにもてあそばれているあたり、ひとはは宮さんよりもゆきちゃんを苦手にしているのではないかと思いました。


ゆきちゃんは合コン好きという話がありましたが、今回も合コンを仕切っていました。ひとはを幹事役と言っていましたが、なんのなんの、ゆきちゃんが影の支配者でしょう。最初の話が重いシーンで「えっと…まずは自己紹介ー!!」とか、もにょもにょ発言している人に対して「あっ なんかしゃべってる!! みんな聞こっ」とか、会話が止まったときに「席替えターイム!!」とか、場を明るく楽しく整えようとしていました。さすがです。ただ、気が弱い人には逆効果かも。でも、生き生きしていたゆきちゃんの表情が見られたので良かったです。




2.したたるみっちゃんの甘い汗

みっちゃんが尋常でない量の汗をかき、加えてその汗が甘いというのはみつどもえ次元の根幹をなす事実ですが、今回はその汗が遺憾なく発揮された回でした。なにせ、最後の一コマ以外、みっちゃんには台詞が無い。ただひたすら汗を流しているだけなのですが、今回の話はみっちゃんの汗がなければ成立しない話でありました。


一言も台詞がなかったみっちゃんがラストで輝きます。「ずっと聞いてたわよ!! こいつら私の汗を浴びようと速くなったのよ!! 変態じゃないの!?」というのは、汗対策を行おうとした二人に対してあまりにひどい台詞ですが、みっちゃんの立場から言えば、確かにひとはもゆきちゃんも「汗を浴びるよ、浴びたいんだよ」と終始言っていたわけで、変態と思うのはやむを得ないでしょうね。うん、今回はみっちゃん悪くない。みっちゃんの汗が悪いんだ。


しかし、みっちゃんの汗ってそんなに甘いものなのでしょうか。一度舐めてみたいものです。



3.その他小ネタ

宮下さんは一コマ、一台詞しかなかったのですが「なんで お前ら遅いのに汗だくなんだよ」というのは光ってました。寸鉄人を差すという表現がぴたりとはまります。宮下さんの存在感はさすが大きなものがありますね。


男二人に関しては、まあ、いいや。