休 ま せ ろ !

風邪はようやっと少しずつ良くなっている気がする。それでも本調子にはまだまだだけど、1日のうち熱でふらふらしてる時間が少なくなってきた感じではある。

それよりも問題は、「風邪まで引いたんだから少しは休ませろよ」って叫びが心の底から絶えず響いてくること。これがかなりつらい。かなりおかしな叫びだってのは自分でもわかってるんだけど、風邪でもひかなきゃ休もうとしない上、今回は風邪をひいたのにほとんど休む時間がなかった。つまり休むべき時に休めなかったわけで、そのためにずっとこの叫びに耐えなきゃならない。

しっかり休めば治まるのかもしれない。自分ではもちろん休みたいと思ってる。できることならゆっくり休みたい。しかしそうしたら授業には確実についていけなくなる。数回休んだだけで取り返しがつかなくなる授業もどうかと思うんだけど、そんな授業なのにほとんどの人が脱落しないでうまくやりきっている。

俺が要領が悪すぎるだけなのかもしれないけど、俺ばかりいつもうまくできないで取り残されるのがほんと悔しい。今まで何度も何度も取り残されてきた。そんな悔しさを二度と味わいたくないから、休みたいけど頑張って学校に来ている。しかしそれもそろそろ限界。風邪は治っても生活はちっとも良くならない。

もうやだこんな生活。疲れた時につかれたって言えないとかなんなの??
マジで少し休ませろ!休ませろ!!1

でも君は

たまには書いてもいいよね?ね?
今読み返してみるとかなり過激な文章だけど、あえて残しておこう。
この時期にこんな日記書くとか、すでに俺は病んでるの?って感じもするけど^^


バイト先の同僚(年上の先輩、女)に言われた一言。
悔しかったので短歌にしてみた。。


 「誰某は もう社会人 でも君は…」
 言い返せない 自分に腹立つ


・・・くやしいですよね。

俺だって適当に過ごしてきたくて何年も大学にいるわけじゃないのに・・・

自分なりになんとか大学生活に意味を持たせたくって、それができないでいるうちに月日ばかりが経っていたってのは事実。

でもそれは事実でしかないじゃない。

そこからあなたに俺が過ごしてきた4年間のなにがわかるっていうのさ。

4年で卒業して就職しなきゃ落ちこぼれかよ。

まる2年も留年決定してりゃ貧乏くじ引いた馬鹿の親不孝者恩知らずかよ!!

こんな人にじぶんのことをわかってほしいとは思わないけど、あなたの物差しで勝手に判断されたくない!
絶対にあんたが勝手に思い込んでる俺とは違う俺になってやるよ!!

と、強く心に誓うのであった・・・


今になってやっと、当時のことを振り返る余裕が出てきた感じ。
去年後期の成績が良かったのと、春ごろから自己分析を続けてきたおかげかもしれない。

当時の自分が感じていたこととか、どんな思いで毎日過ごしてきたのかとか、今までは気付くことができなかった部分までしっかり感じ取ってやりたいと思ってる。

そう思ってるさなかにこんなことを言われたもんだから、つい過敏に反応してしまった。


とは言ってもほとんどの人(自分の人生が順調だと思っている人ほど)が、大学は4年で卒業できて当然就職できて当然それが出来ない人はなにしたいの馬鹿じゃないのって思ってるのは事実。

そういう人は人生で挫折した人とか、何かの目標(信念)に本気で取り組んだりしようとしてる人とかの気持ちなんか考えようとしないんだなーなんて思って適当に聞き流すのが吉なんだろうけど、やっぱ自分の人生や経験をうまく合理的に説明できないのは悔しいし、自分でその経験の意味をわからないままなのはもっと悔しい。


自己分析をさらに徹底的にやりましょう。これから時間をかけてでもね。なんでこんな大学生活を送ってきているのか、自分自身で納得して説明できるように、それから他人からいくら批評されても平気で聞き流す(フリをする)くらいにはなりたいものだ。

それから、他の人のアドバイスもいっぱい聞きたい。自分で考えるだけじゃ見えてこない部分がかなりたくさんあるだろうから。そういう意味では飲み会とかは貴重だね。

そんなわけで、次に同じようなセリフを誰かに言われた時には平然と反論できるように訓練していこうか。。

まだまだこれから

目的がいつまでたっても見えず、相変わらず簡単には変えられそうも無い時期が続く。
そのたびに何度も、俺はまだまだこれからなんだと自分に言い聞かせる。

これから何が起こるかわからないけど、何かが起こった時、それに対処できるように、可能性を少しでも広げていくための努力をしつづけてやろうと思う。

人はそれを無駄な努力と笑うだろう。必要な努力だけしていればいいのにと釘を刺すだろう。だが最後に笑うのは、無駄な努力を続けてきた人間なのさ。そう信じたいだけなのかもしれないけど。
目標がすでに見えていたり、そもそもこんなこと何も考えずに行動できる奴がうらやましい。


家にいるだけでは何も実行できない。3月は行動範囲を広げていこう。

変化が必要なとき

I'veの曲を久々に聴いている。
今までの生活に変化を求めようとする、そんな気持ちがあふれ出した時に、俺は音楽を聴くようになったり、聴かなくなったりするんだろう、きっと。


一時期同人音楽をよく聴いていた時期もあったけど、俺にはあまり合わないと感じて聴かなくなっていった。

また以前のように気が向いた時に気が向いた曲を、って感じになって、次第に音楽自体あまり聴かなくなっていった。
そんなせいなのか、I'veの曲は最後の再生が昨年の6月ごろまでで多くの曲が止まっている。
この時期は俺自身が学校生活に窮屈になっていて、色々な変化を求め、そのために必要な目標とか信念とかを様々な体験をもとに獲得していった時期だった。それから半年間、何度か挫折しそうになったが、このときの信念の力で今まで進んでくることができた。
しかしどんな信念でも、それだけで進んでいくには限界がある。たったひとつの信念だけでは現実とのズレに対処することが出来ないからだ。現実に即していなければ、どんな立派な信念でもただの戯言に変わってしまう。現実を見つめる姿勢や、現実に対する新たな問題が生まれてきた時、それまでの信念をさらに変えていく必要が生まれてくる。
12月頃からすでに。信念だけでこれ以上進んでいくのは無理だという身体や心からのサインがいくつも表れるようになる。つまり体が動かなくなったり、心が怒りや不安に長い時間とらわれて動かなくなっていく、そんな状態になることが増えていった。それでも、今はなんとか耐えてくれ、苦しければそれだけ強くなれるってずっと言い聞かせてなんとか持ちこたえてきた。
それが2009年になってとうとう動かなくなった。年明け後の3日間、俺は休むことに専念しようとした。それで体の疲れはとれる、そこからまた頑張っていこうと考えていた。4日、5日になっても体の疲れはとれない。体が思うように動かなかった。心は焦っていき、いつも以上にイライラしていく。ここで変わらなきゃずっとこのままだという信念からくる思いと、もうこれ以上こんな生活は続けられないっていう心身の叫びの間で押しつぶされそうになっていた。
そうは言っても、5日から授業は始まる。出なきゃいけない最低限の科目以外は1度休むことにした。1度休んでみることで、自分だって学校を休むことが出来る、「来なきゃいけない」って先入観を自分の中で取り除くためだって考えた。この方法は以前にも使って、その時はこの考え方をしたのが転機になって(他の要因もあるが)変化が生まれ、信念が作られた。今回も同じように変化することができればって願いも込めて、とりあえずしばらく様子を見ることにした。


つづく・・・

アルトネリコ

ずっと昔に買って放置してた、アルトネリコってゲームをやってた。
開始して30分くらいで雰囲気についていけずに挫折していたゲームなんだが、その雰囲気を全て無視すれば、つまりストーリー部分をほとんどスルーすれば、戦闘システムなどは結構面白いと思った。
そのストーリーを構成しているのは、ヘタレなくせに力だけは強い、例えるならジャイアンの性格と出来杉の容姿を合わせたような、人としてあまり関わりたくないタイプの主人公と、ワケありの暗い過去を持つヤンデレ。ヘタレとヤンデレのコンビが最近の流行なんだなきっと。
ヘタレはイカ男爵やアル中の兄ちゃんなど愉快な仲間達を引き連れてヤンデレを攻める。しかし最後にはヘタレ自身が直属の上司のお姉さんに手を出したことが発覚してヤンデレ激怒。しかしヘタレは開き直って2股どころか3股まで始めるという、話としてはかなり破綻している物語。

主人公の声は面白すぎて気が抜けない。突然「ダレニボジャバサゼナイ」とか「マケルワケニバイカダインバ」とか舌を噛みそうになる音を発するので、コーヒーとか飲みながらプレイするのはあまりお勧めしない。まあ音を消せば済む話だが、それだとこのゲームの面白さは半減してしまうので、あえてフルボイスで進めてみよう。

酷暑と睡魔

今日は久々に、ほんと久々に涼しい一日だ。
ここ半月ほどの暑さのため、汗をかくこと滝の如し、夜眠れぬこと吸血鬼の如し、という状態が続いていたが、今日は久々に快眠だった。
しかしどんな状態であれ、起きている間も断続的に眠気に襲われる状況は続いている。平均4時間ほどずつしか寝ていないのだからそれも仕方が無いことだが、この状況を克服していかねばさらに強くなることはできない。
筋トレの成果もあって日々どこか筋肉痛の状態。時々なんでこんなに苦しんでいるのかと虚しくなってくる。そんな時こそ、苦しみを乗り越えてこそ強く生きられるのだと自分に言い聞かせて、毎日を懸命に生きている。
苦しみの結果を求めることはしない。今のうちから結果をどうこう考えたってしょうがないし、そんな風に未来のことばかり考えてはかえって現在を見過ごすことになりかねない。どんな未来が襲ってきても、その場その場で対処していかなくてはならないし、そのための力をつけるために日々鍛錬しているのだから、現在という一点に全力を注ぐ意志を見失わないことが必要だ。
最近のうだるような暑さだろうが、常に襲い掛かってくる睡魔だろうが、俺のそのような姿勢から目を背けさせることはできないぞ。そんな信念を持ち続けるための時期なのだ。今日はまあ一休みというところだろうか。
戦いはまだ続いている。全力で生きてやる!

あがき苦しむこと

テスト終了。
途中で脱力状態に陥ったためあまり勉強できなかった。授業には出ていたので内容を思い出しながら書くことになった。やはり授業を休まなくてよかったというわけだ。学生なんだから授業に参加するのは当然だな。後半のプレゼンとかすっぽかしてた俺が言えたことじゃないが^^;
よくわからない問題もあったが、自分なりに考えたことを書きつくしたので後悔はない。最後まであがき続けることができたので、そこは自分で評価していこう。
最近になって、あがき苦しむことが、俺を形成する上で重要なものとなっているという実感がわいてきた。
どこかのノートの切れ端に書き込んであった言葉
「苦しみに値するものであれば、それだけ人生は生きるに値するものとなる。」
たしかドストエフスキーも同じようなことを言っていたが、それは彼が彼なりに苦しみに立ち向かい、苦しみを考え抜いたからに他ならない。それだけにいっそうこの言葉は重い響きを与える。
偉人に限らず、強く生きようとする人間の苦しみは大きなものだ。だからそれに屈しない信念を持ち続けることが何としても必要となってくる。その意思がなければ、生きることすらできなくなって、また元の状態に逆戻りめでたしめでたしとなるわけである。
ここには書いてないかもしれないけど、俺は「劣等感」というものと「反動」というもので動いている、と自分では思っている(この2要素については機会があったら書いてみようかな)。この2つの要素は、俺という人格の根本にあって自分の行動を規定しているものだが、実際に行動をしている時の俺を構成しているものが苦しみなのだ。
つまり、苦しいと感じる機会が多ければ多いほど、俺が自分自身の人生や過酷な運命に立ち向かっていると自覚する機会が増えるというわけで、その点において苦しみは避けるべきもの、軽減すべきものとはならず、むしろ積極的に受け入れていくべきものであり、それを自覚する姿勢が求められているというわけだ。
そんなことに気づいた以上、以前に書いた「苦しめるもの」に対する見方も変わってくる。こいつらは俺を動かす原動力なのだから、取り除くわけにはいかない。むしろ積極的にこれらに立ち向かっていくだけの信念を持てるようになれれば、それは掛け替えのない強さとなって、さらに俺を勇気付けてくれるものとなるのだ。
利用できる苦しみは最大限に利用する。
これは俺にとっての大きな目標となった。学校は休みに入るが、この目標への意志を求める姿勢だけは休ませてなるものか。