正月の読書

正月は長い休みをとれたので、その前のアマゾンのまとめ買いで購入した本とそれまでの積読本を読んで、読書漬けの毎日を過ごした。昨年は予定投稿を試してみたけど、あまり感想をアップするモチベーションがないのですぐに終わっている。下書きが何冊分かあったけど、なぜ投稿していないのか思い出せない。とりあえず勢いに任せて読んだ本の感想をまとめて書いた。一気に書いたし、あまり中身を確認していない。

 

・キツネを飼いならす

 

そんな短期間で家畜化されるのか、と驚いた。日本でも、キツネとふれあいができる施設があると以前TVで見た記憶がある。きちんと記録はしていないのだろうけど、比較的おとなしい個体が残って繁殖しているのだろう。この施設のキツネはぶちが出ることはある(あった)のだろうか。今ペットで飼われている動物で、多くの種類でCB個体のほうが飼いやすいといわれているのは、どの動物でも共通して持つ遺伝子の影響なのかもしれない。人と動物の関係に限らず、安定して食べ物を与える存在がいればお互い歩み寄るというか、傷つけあわない関係ができるようなしくみがあって、アリとアブラムシのような関係も、ある意味家畜化されているといえるのかも、と妄想を広げていた。将来キツネがペットになるか、というと寄生虫の問題もあり、すぐには難しいかもしれない。技術的には、いずれ、ほとんどの生き物が、遺伝子を少し改変するとペットにできるようになるだろうけど、動物倫理的な問題から、なんでもペットにできる世の中にはならないだろう。動物園が残るとしたら、そこで活用できるかもしれない。

 

・伊地知英信 外来種は悪じゃない:ミドリガメのための弁明

確かに外来種であってもある程度の期間がたって安定しているものは、今慌てて駆除しなくても良い。これまでTVYouTubeで見た映像は、ブルーギルブラックバスが増えるとほとんどがそれらになってしまう、との話だった。もう少したてば平衡状態になるのだろうか。進化を遂げた在来種が、ブルーギルブラックバスから逃れられるようになるのかもしれない。いったん埋め尽くされたとしても、エサがなければ減るだろうし、その後新たな平衡ができる。

そう思うと、在来種を守りたいのは感情的な面が強い。なんとなく外来種に侵略されるのが悔しいのかもしれない。いずれヒトがいなくなっても、地球がなくなるまでは生き残った生物で自然は残されるだろう。ただ、ものすごく大きな影響を与えることが分かった以上、現況を維持することがベストかどうかわからないものの、無造作に生き物を異動させるわけにはいかない。同じく正月に読んだドードー鳥のはなしにも少しかかわるけど、失われたものを戻すことがいいとも思わない。ヒトが介入するという意味では同じなのだろうか。

 

・辻村美月 この夏の星を見る

この時期に書いてくれたことがありがたい。もしかしたら、少し先になったらこの感覚は共有されないかもしれない。

個人的には、子供達のいろんな機会が減ってしまったことは残念だけど、当時の規制が過剰だったとは思わないし、多くの人がいろいろとこらえてくれたおかげであまり被害が大きくならずに済んだと思っている。ワクチンが普及した今となっては、あのときそこまで備える必要はなかったのでは、と振り返る大人もそれなりの数いるようだけど、将来似た様なことが起きた時、彼ら、彼女らがどう対応するのか不安だ。

それはさておき、本作では、しっかりした大人と、まじめな子供たちが登場する。大人になって思うことは、大人はぜんぜん完全ではないこと。子供のころにしっかりしているように見えた大人も、振り返ってみると穴だらけだったことも多い。逆に、いい加減なように見えた大人も、それなりに何かしようとしていたこともわかる。本作に出てくる大人は、完全ではないけど、できる限りのことをしようとしたり、子供に任せたりしている。物語中でも言われているけれど、子供にすべてを任せるのは怖いことだ。失敗も糧になると理解していても、つい手出しをしたくなるだろう。軸となるこの先生のほかに、いろんな形でサポートしようとする大人が素晴らしかった。

明確な個人としては登場していないけど、陰湿な行動をする大人も描かれている。現実に、他府県ナンバーの車を追い出そうとする大人もいたし、そこまでの悪意はなくても、行動として現れる姿が醜いおとなも大勢いることは、触れずにいられない。

この作品を今読めたことは幸運だった。

 

・小池伸介 ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら

熊は消化能力が低いので大量に食べて大量に排泄するとの話をどこかで読んだ記憶がある。あの巨体を木の実で支えようと思うと、それは大量に必要だろう。臭くないのはなぜか、という点は書かれていなかったとおもう。動物を食べる個体の糞は臭そうだけど、どうなのだろう。

記録する装置の進歩が著しく、二十年ほどでかなり小型化されたり画質が上がったりしている。それでも、不便な時代に培った技術が活かされるのは面白い。こういう話はどの分野でもありそうなので、ほかの分野の話も読みたい。

 

・斜線堂有紀 回樹

初めての斜線堂有紀の作品。条件付きミステリの短編集。細かいところまでは想像していないのかな、と感じる設定が多い。例えば、死体を全く処理できないとの設定があり、死体を燃やしても物理的に圧をかけても全く変化しないとの設定がある。これは、死にかけの人を観察することで、どの段階が死なのか、死と判断されるのかをはっきりできる。寝たきりの患者に注射ができなくなる、もしくは針が抜けなくなった時点が死だ。でもきっと著者はその点については細かいことは考えていない。例えば、自爆テロのため爆弾を抱えていたとしたら、爆発した瞬間に死と判断されるのだろうか。その場合、全く外部の影響を受けない物質がそれなりの速度で散らばることにいなる。全般的にこういう特異設定ミステリを書く人なのだろうか。つまらなくはないけど、若干物足りない。次を読んでみよう、と思える作家なので、もう少し何か読んでみる。

 

・町田その子 52ヘルツのクジラたち

ほんタメであかりんが絶賛していたので購入。調べずに書いているけど、ほかのクジラと周波数が合わない声を出すクジラは、自分の声は聞こえているのだろうか。聞こえている場合、可聴域が広いのか、ほかのクジラの声が聞こえないのかどちらなのだろう。前者の場合、ほかのクジラにも可聴域が広い個体がいる可能性は高そうなので、どこかに声が届いていると期待できそう。後者の場合、ひとの聾者のように、ボリュームの加減ができなかったりするのかもしれない。何クジラなのかはわからないけど、話の流れからして集団で生活する種類ではないのだろう。となると他の個体と接していたのは母親だけで、もしかしたら誰にも声が届いていないことには気が付いていないかもしれない。それはそれで悲しいことなのだけど、気が付いていない分(そして気が付くことはおそらくない分)ましなのかもしれない。

 

汀こるもの お遍路とご霊返し 煮売家なびきの謎解き支度

これがシリーズ最終巻とのこと。どこまで本当かわからないものの、現代とは倫理観や価値観が異なる登場人物の言動が面白い。今の状態で、その時代に生まれたらと考えるのは若干無理があるかもしれないけど、全然違う人間として生まれることを想像しても意味がない。ということで、今の性格のままその時代に生きている場合を考えると、その時代に生まれていたらおそらく何の疑問も持たずにその時代の価値観で生きているのだろう。

何もない状態から、物事の仕組み自体に疑問を持てるほど切れ者ではない。つまり、そもそもの仕組みがおかしいかもしれないと考える土台がある。ただ、何も疑問を持たないで生きることで生きやすくなっていたひとも、もちろんいたことだろう。どちらかというと、教育を受けていないことに自分から疑問を持つタイプではない。例えば、研究について知ることができれば、研究をすることはできるとおもう。でも、制度として何もないところに、こういった制度がないのはおかしいとの疑問は持てないだろう。良くも悪くも小市民的であり、決められた範囲で最適解を探すことができても、何かを大きく作り変えるようなことは、きっとできない。

紙の記録に残らないもの、例えば話す速さや食べる速さは想像しにくい。多少言葉に残されているかもしれないけど、なかなか現実と一致するものではないとおもう。そのあたりを、現実味を持って書くことが歴史小説の難しいところかも。江戸の食堂(とは言わないかも)の様子とか、現代の姿をもとにイメージしてはいけないと思いつつも、脳内で映像化されている情景は現在のものに近い、もしくは時代劇の影響を大きく受けている。それが悪いとは思わないけど、ときどき気に留めて、考えてみる。

 

川端裕人 ドードー鳥と孤独鳥

 

この前に刊行された、「ドードーをめぐる堂々巡り」と対になる作品。事実を調査したのが「ドードーをめぐる堂々巡り」で、もしかしたら、を考えたのがこの作品。絶滅した動物について、その理由を調査したり思いをはせたりするのは良いのだけど、近縁の動物を用いて復活させることは良いことだろうか。昔からマンモスの復活プロジェクトの話は聞くし、そのほかいろんな生物の復活が試みられているのかもしれない。当然、技術を確認する意味で研究を進めることと、その技術を用いて復活させた動物を世に解き放つことは違う。動物の復活を人間に当てはめて考えるのも違うとは思うけど、ある日復活させられたものの、どこにも仲間がいない状況で、それまで育った環境もなく、どこにも行くことができないのであれば、僕は復活したくない。まあ、仲間がいないとか育った環境がないとかは言われないとわからないことだし、気が付かないまま死んでいくのだろう。

骨しか残っていない生き物について、どんなふうに動いていたとかどんな色だったのかとか、興味は尽きない。復活させる技術を手にしたら、きっと使ってしまう人がいる。ゲノム編集も、表に出ていないだけで、倫理的にいかがなものか、と問われるような研究もおそらく進んでいる。成果が出るまでに時間を要するから、まだ表には出ていないだけとおもう。それを良しとはしないけど、行き過ぎないようにどこかで規定する必要がある。

 

三浦しをん 好きになってしまいました

三浦しをんのこまごまとしたエッセイをまとめた作品。エッセイでは自分を落として書いているけど、作品を読んでいるとすごく優秀な人だと感じる。要点を引き出し、わかりやすく伝えるためことは、その物事を理解していないとできないことだ。

三浦しをんさんは、自分の好きなものをがあっても、他社の好きなものを否定しないし、どういう付き合い方をするかについても否定しない。もちろん、犯罪につながるような形は許容しないだろうけれど、他社を否定しない姿勢は好ましい。まあ、他人がそれぞれの趣味にどう向き合っているなんて気にする必要はないのだけど、お金の使いすぎだの時間の無駄だの、否定的なことを言いたがる人は大勢いる。

前にも書いたことがあるような気がするけど、基本的に趣味についてはほとんど話さないし、好きなものについても、しいて言えば好きかな、ぐらいの事柄について話すようにしている。好きなものを否定されるとやはり少しいらつくし、否定ばかりする人に好きなものを伝える必要は感じないからだ。好きなものの布教をしている人は強いな、とおもう。好きなものが廃れていくのは嫌だし、なくなってほしくはないけど、自分のささやかな影響に比べて、いやな思いをする可能性が高いため、あまり好きなものを広めたいとは思わない。

SNSは全然していないので実感としてはわかっていないけど、同好の士を見つけられたら、好きなことについて話すのも楽しいのかもしれない。書きながら気が付いたけど、やはり、あまり好きなものについて話したいという欲がないようだ。自分だけが楽しければいいというエゴかもしれない。周りも一緒に楽しみたいという気持ちは、いやなものは一緒に嫌いたい、という気持ちと背中合わせな気がしてしまうのもある。人は人、自分は自分とのスタンスを保ちたい。これは、あまり他人には興味がない性格も関与しているだろう。

 

・新天新地 ゴブリン令嬢と転生貴族が幸せになるまで

前世は容姿が見にくく異性に相手にされなかった男性が転生し、先天性の疾患により容姿がゴブリンのようになっている伯爵令嬢と恋に落ちる話。

なかなか容姿については共感しづらいというか、もともと見た目が良くなかった男性が生まれ変わった時に見た目が良くなっていたら、それを生かして生前モテなかった分を取り戻そうとしそうだけど、主人公は見た目にはこだわらず、中身を見ようとする。中身を見ようとするのは素晴らしいことだと思うけど、自分自身を振り返ってみても、見た目が良くないとやや卑屈な発想になりがちで、見た目がいい方に行くのだろう、などと考えがちで、中身も少しよどんでいることが多いのではないだろうか。とはいえ、だからこそ主人公の変わったところが浮き彫りにされて、物語は面白くなっている。

イラストがかわいらしいせいか、どうもヒロインが醜いと書かれてもピンとこないところがあった。かわいい子のコスプレのようなイメージになってしまう。主人公のほかにもヒロインのかわいさを見出す人がいてもおかしくはなさそう。

物語は中盤から意外な展開はなく、それでも面白く読めた。展開だけが物語の面白さではないし、ひどく疲れているときにはこういう作品を欲することもおおいので、これからも、展開は分かるけど面白そうな話を読んでいくだろう。3巻まで読んだけど、2巻までで十分かも。

 

・なんかの菌 水族館飼育員のキッカイな日常

全くの未経験者が雇われることもあるんだ、と驚いた。目新しい話はあまりないけれど、エッセイとして面白い。

 

走馬灯のセトリは考えておいて

初めての柴田勝家の作品。短編集。作品により面白く感じたものとそうでないものがあった。好きなのは表題作と、福男の話。他の著作も買ってみよう、とならないのは、この設定でこういうことが起きた、とあるとき、どこかで「本当にそうなるかな」と引っ掛かっているせいだと思う。同じ条件で、もしこうだったらどうなるか想像してみて、と言われたときに想像する内容と異なるからかも。

米澤穂信 黒牢城

 

 

一部史実に基づいた話、なのかどうかは正直わからない。有岡城の戦いを舞台に、城主と、城主に囚われた黒田官兵衛の物語。全般的に教養と言われる知識が足らないのだけど、その中でも歴史に疎い。本作でも詳しい人が読んだ時にみるポイントとはおそらくずれているのだろう。

歴史に疎いのもあり、国内の史実に基づいたフィクションを読むことがあまりない。宮本武蔵ぐらいかも。一方で、海外の歴史ものはあまり苦手ではない。藤本ひとみフランス革命前後を書いたものや、佐藤賢一の古代ヨーロッパを描いたものは面白く読めた。日本の歴史ものは、現在につながる部分が感じられるから読みにくいのかもしれない。

本作は、ミステリ仕立てになっているものの、建物の高さや構造がよくわからなかったり、どういう精神性で行動しているのかがわからなかったりで、推理は全くできなかった。面白かったのは、上下関係とか、何に価値を置いているのかとか。人の価値観は、その時々で異なるのはわかるのだけれど、それほど昔ではないのに共感できないことも多い。トップはひたすらいろんなことを考えている一方で、部下たちはあまり考えておらず、自分のベストを尽くせばいいや、と考えていればまだましな方。まあ、戦力と考えると思い通りに動かないほうが計画を立てづらいのかもしれない。作者が米澤穂信なので結構信頼しきって、本当にこういう社会だったのだろうと思って読んでいた。女性があまり出てこなかったのが残念と言えば残念。

面白かったのは面白かったのだけど、先にも書いたように想像できる範囲が狭かったので、ミステリとしてはあまり楽しめなかった。作家としては、いろんなスタイルに挑戦したいものなのかな?歴史小説ばかり書いている人もいるけど、米澤穂信はファンタジーを書くこともあるので、いろんな形式でミステリを書きたい人なのかもしれない。まあ、そのファンタジーの作品も今一つ周りの評判ほどは楽しめなかった。楽しむにもそれなりの資質というか、理解する能力はいる。米澤穂信は、読了後に他の人の感想を読むことがあるのだけれど、あまり理解しきれていなかったのだろうか、と思う作品もちょくちょくある。よく読みこんでいる人がいるものだ。氷菓は、他者の感想と同じく楽しめた。ほとんどの作品は、個人的にはどれも楽しめているのだけど、もっと楽しいのかもしれないと思うとちょっと悔しい。でもまあ、とても楽しめる作品を書いてくれる人なので、これからも楽しみに待つ。ちなみに、単行本になった作品は全部読んでいるはず。

 アンディ・ウィアー プロジェクト・ヘイル・メアリー

 

 

よほど評価が高いのか、ずっとお勧めに上がっていた作品。感想を少し見てみたら、ネタバレになるので書けないがとにかく面白い、との意見があった。確かに、読んでみるとその通りで、とても面白かったけど内容について触れるのは避けたい作品だ。

ということで、本編には関係があるようなないようなことを少し書こうかな、とも思ったけど、それはそれであまり面白くないので、今回は内容については何も書かないことにした。本作を読んだのは土日だったのだけど、冒頭は金曜日に帰宅してから読み始めた。これは、土日にじっくりと読みたい作品だと冒頭の数パーセント(キンドルなので)を読んだ時点で思ったので、土日にじっくりと読んだ。普段はテレビやラジオを付けたまま本を読むことが多くて、その方が集中できる場合もあるのだけど、今回はほぼ無音状態で読んだ。途中からパーセント表示をやめて、いつ終わるかわからないことも楽しみながら読んだ。とてもいい読書体験だった。

今は、初代キンドルオアシスを使っているのだけど、一回の充電でだいたい本が2冊(読む側のスピードに依存するだろうから誰にでも当てはまるものではない)読めるくらいだ(実際は並行して読むことが多い)。eInkの切り替わり方にも慣れ、バイス由来のストレスはないと言ってもいい。目が疲れないかどうかはわからない。だいぶタブレットでの読書になれてから、キンドルを使うようになったので、タブレットでもそんなに目は疲れない。結構思い切って買ったのだけど、その価値は十分ある。裸眼で本を読んでいるのだけど、文字の大きさを好みの大きさにできるのは良い。時々ものすごく字が小さい本があって、そういう本はなかなか読み進められずにいる。中国の市場からキンドルは撤退したようで、日本でもいつ読めなくなるかはわからないという。いきなり読めなくなることはないと思うので、通達があればダウンロードしておこうとは思うけど、その時は未読の本だけでも良いかもしれない。お金に余裕があれば、バックアップ専用の端末を買うのもひとつだろう。大人になってからは、一度読んだ本を読み返すことはほとんどないので、読めなくなることの弊害はあまり感じないかも(未読の本は読めるようにしておきたい)。

小川一水 ツインスター・サイクロン・ランナウェイ

 

 

一冊でまとまっていると言えばそうだし、続きが期待できるともいえる作品。続編は出ているので、続けて読むつもり。イメージを具現化して宇宙に挑めるのは楽しそう。SFではエネルギー問題というか、どうやってそのエネルギーを得ているかが気になる。理解しきれないことも多いのだけど、舞台上である技術があったとして、それを現在の科学ではできないのは、設備を作ることができないのか、そもそも技術がオーバーテクノロジーなのか。

とまあ、読み始めはそういうところにも気が向くのだけど、読み進めてしまえばあとはその技術がどのように生かされるかの方に興味は移って、物語を楽しむようになる。小川一水さんはそのあたりの塩梅がうまくて、気が付いたら物語に夢中になっていることが多い。まあ、天冥の標しか読んでいないのだけど。

世の中の多くは好きになったり好きになられたりする相手がいるので、きっと特別な能力が無くてもひかれあうものはあるのだろうな、とおもう。自分から誰かを好きになるときは、声が好みとか些細なことで好きになるのに、特別な何かがないから自分が好かれることはない、と考えてしまうのは不思議だ。誰かに好かれることがほとんどないからかもしれない。

舞台は一旦平等になった後、また男尊女卑の社会になったのか、ずっと男尊女卑の社会だったのかはわからない。昔ながらの男女観が残っていて、女性は生きづらそう。ある程度型にはまった生活のほうが行きやすい人も当然いるだろう。そういう社会が残ったということは、むしろ、古い考えのほうが行きやすい人の方が多かったのかもしれない。なんて書いてしまったけど、男に有利な社会では、女性の何割かがその社会を受け入れてしまうと成立してしまうだろうから、何割かの女性が行きづらい世界なのかも。

2巻も読んだ。もう数冊あるかもしれないけど、それほどは続かないような印象。クローンとか、同性でも子供ができるようなるとか、養子をもらうとか、次世代に続く場面が出て終わりそう。

デイヴ・グールソン、 藤原 多伽夫 サイレント・アース 昆虫たちの「沈黙の春」

 

キンドルで買ったので、分量を意識しないまま読んだ。結構読んだかな、と思った時点でまだ50%いかないくらいだったので、結構多かったのだと思う。宍道湖の調査の本を読んだので、ネオニコチノイド系の農薬の危険性については多少知ってはいたものの、具体的な論文をいくつも並べられると、かなり危機感を感じる。

確かに、昔に比べて虫が少なくなったように感じる。夏でも灯りによって来る虫が少なくなっている。シーリングライトが改良されて、虫の好む波長をよけるようになってきた、と何かで読んだことがあって、深く考えずにそれをうのみにしていたのだけど、実際は虫の数が減ってきただけなのかもしれない。本の中でも、運転中に車にあたって死ぬ虫の数が減っているとあったけど、実感としても確かにそうだ。子供のころ、親が運転する車に乗っていると蛾が大量にぶつかってきたり、小さな虫がライトやガラスにびっしりとくっついていたりして、掃除を手伝った記憶がある。今は田舎に住んでいるのでもっとたくさん虫がいてもおかしくないのに、大して車が汚れないのは、虫自体が少なくなっているからなのか。

鉄腕ダッシュでは、必ずしも番組の項目すべてが良いこととは思わないけど、外来種の駆除やミツバチの巣作りをコンテンツとしていて、自然を守ろうとする活動は高く評価している(お前が高く評価したからどうなのだ、というのはさておき)。彼らがネオニコチノイドの危険性を伝えるようになれば、若者に届くかもしれない。

他人任せではなく、自分にできることはないか考えてみた。世の中を動かすようなことはできないけど、作中で小さな一歩を紹介してくれていたので、それを実践したい。

養老孟司 骸骨考

 

国ごとの死生観というか、肉体や死体に対する考え方について、養老さんが納骨堂などをめぐりながら考えたもの。やはり相当頭のよい方で、これだけの知識が詰まっているからこそ考えられるものがあるのだろう。今、若者はあまり物事を覚えようとしていないのだろうか。特に若者と接する機会がないのだけど、壮年ぐらいまでのひとで、この人の知識はどれだけあるのだろう、と感嘆するような人を知らない。荒俣宏さんなどはかなりすごいらしいけど、数字でも歴史でも、博覧強記で、すぐに思い出せたり思いがけないところのつながりを考察したりしているひとは、高齢の方に多いような気がする。若いころの栄養状態はそれほど良かったわけでもないだろうに、と感嘆する。

本作は、これまでの著作を踏まえていないと理解できないのかな、と思われる部分がいくつもあった。同じことを書くのも仕方がない、と思うのか、同じことで時数を稼いでいると思われたくないのか、これはもう書いた、と述べていることが散見される。同じことを違った角度から話すことが多いだろうし、本当に同じ話をしていることも多いのだろう。まあ、だいぶ抽象化されているので、各自が受け止めればいいのではないだろうか。そういう意味で、購入の参考になるような感想が書きづらい本だとおもう。

90歳を超える患者が、入院中のベッドで死にたくないと連呼しているとの話があった。その状況で生き続けて何ができるのか、ということではなく、ただ死ぬのが怖いのではないだろうか。全力で生きてきたら、いざ死ぬとなった時に後悔がないかというとそんなことはなくて、どのような生き方をしていたとしても、死にそうになればそれなりに恐ろしくなるのだろう。今予想する範囲では、苦痛がなければ死ぬといっても眠った後に目が覚めないだけと想像しており、さほど死ぬこと自体に対する恐怖はない。ただ、死に直面すれば、肉体的なもの、感覚や思考が失われることが怖くなると予想もできる。いま、90歳の自分が死に至る状況を想像しても、実際とは大きく異なるだろう。異ならないとしたら、その自分を目指して日々を過ごしたからだ(たぶん)。

独り身が長く、おそらく一人で死ぬだろうと本人もまわりも思っているので、ときどき、一人で死んでもいいの?と聞かれるけれど、大切な人(がいたら)を残して死ぬのもつらいだろうし、先立たれたら結局一人で死ぬのではないだろうか。

 

西式豊  そして、よみがえる世界。

 

 

アガサ・クリスティ賞を受賞した作品。講評が比較的どの作品に対しても優しい。本作は、受賞したときの感想で、そのあと修正したかどうかはわからないけど、指摘されている点は確かにもっともだと感じた。応募作をたくさん読んでいてもきちんと読めるのはさすが本職。

舞台は今から少し先の未来で、VRが急速に発達した世界。細かいことを書くと内容に触れてしまうので、VRがどれくらい進歩するのかについて、考えていることを書いてみる。ソードアートオンラインでは、頭の外側に装置をつけることでVRの世界に没入することができる。途中までしか読んでいないので現時点でどの程度表記されているのかはわからないけど、視線を読んだり、行動の一歩先を読めたりできていたと思う。実際にそれができるには、いわゆる脳波を読むだけでは不可能だろう。装置の解析能力の問題ではなく、いろんな興奮をまとめた複合的な脳波を見るだけでそんなに細かい状態が再現できるとは思わない。では、将来のVR技術はどのようなものになるだろうか。残念ながら、架空の世界の中で本当に生きているような感覚を再現できる装置は現れないと予想する。侵襲が少ないデバイスで、感覚を再現することは不可能だろう。視覚は比較的ごまかしやすい感覚なので、見るだけでいいのならある程度架空の世界に近づける。でも、実際に体が動いていないのに動いているような感覚を持つためには運動神経を遮断したうえで体を動かしている間隔をフィードバックする必要がある。これは10年や20年で何とかなるとも思えない

人間をデジタル化して、VRの世界で生活することは多くの本で描かれているけど、実際には不可能と考えているので、自分にとっては不可能な技術をあるように見せられるよりも、異世界転生のほうが、受け入れやすい面もある。できそうなこととできなさそうなことがわかってしまうので、近未来を描く方が難しいと思う。現在でも、実際に最新の機器を使っている人でその仕組みを完全に理解できている人は少ない。きっと未来でもそうだし、よくわからないけど結果としてこういうことができる(カニズムを書かない)、というガジェットであれば受け入れやすいかも。例えば、ある作品では太陽光で動く蝶がいて、情報を集めたり壊れた機械を分解したりしていたけど、そんなに違和感はなかった。