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見上げた月があまりにも綺麗な弧を描いていたので、あれは優月の“月”なんだよ、と娘に教えたことがある。以来、彼女は陽が沈むと思い出したかのように「ゆづきの おつきさまはぁ?」と外に連れ出そうとし、僕も晴れた夜ならば「うさぎさん、お餅をついているかな」なんて言いながら手を引かれ、曇り空の時も「隠れんぼしているかもね」と結局応じることになった。まだ月の兎が絶滅していない彼女の世界も微笑ましいかった。
そのうち彼女の興味も月から星へと変わり、点を線で結んだ自分の十二星座の大きさに驚くのだろう。そして、あれは全天で二番目に大きい星座なんだよ、と知識をひけらかした僕は、思っていた以上の感動が返ってこなかったな、と気落ちするのだと思う。
星座の数には限りがある。いつか八十九個目の星座を彼女が象って、僕らに教えてくれることを愉しみにしている。
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「有り難う」でもなく「ごめんね」でもなく、私たちは「さよなら」で別れましょう。そう思ったのだと話す君を誇らしいとさえ感じた。
男前だな、と笑う僕に、君は少しだけ口元を上げながら「褒められてるんだよね」と笑い返す。それから、何年続いたのかだとか、親公認のデメリットはこんな時ねだとか。態とらしく戯けて「そういえば三十路手前だったんだ!」という君の台詞にも自虐的だ!なんて笑い合っていたけれど、結局、最後まで彼のことを悪く言わなかったのは君らしいと思った。
悲しいのは、誰かがいなくなっても不変的な毎日を過ごしてしまう事。
夏が始まる前に、君から聞かされた理由のひとつだ。
上手く笑う必要なんてないよ。君はただ声を上げていれば良い。
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「夏は終った」と君がいうから、何を根拠にそう思ったのか分からないけれど便乗することにした。急いで風鈴を外し、風情がないと嫌悪していた冷風機を片付ける。点し忘れた花火をバケツの水に浸しながら、暮れる陽の高さと速さを確かめて、薄らと滲んだ額の汗を拭った。
何だか次の季節が訪れているとは思えないな。僕がそう話すと「本当だね」と素っ気ない君の返事。やっぱり根拠がないんだな、そう苦笑ったあとで僕らはキスをした。すると、どこかの家政婦のように隠れて監視していた娘が「わたしもー」と駆け寄ってきたので、いつか僕らが嘘をつかなくてすむように頬で納得してもらう。彼女はどこで覚えてきた台詞なのか「あばんちゅーる、ね」と言って、僕らを笑わせた。