本気で泣いた。だから、あなたも本気で困ればいい。
酷い捨て台詞を思いついたもんだ。そう呆れる僕に「本気で泣くわけなんかないのにね」と君が笑う。僕は意地の悪い表情で、強がり方も酷いな、なんて返し、眉を歪めた君は「性格が悪い」と不貞腐れる。僕は、面倒くさいことに巻き込まれたのだけれど、と昨夜に受けた電話のことを教える。うざったいくらい、彼は参っていたよ。
君は瞬きを繰り返した後で「それは先に私が知るべきことだ」と笑い、自分が知るべきことではなかったのは確かだ、と僕は困ったふりをしてみせた。


見上げた月があまりにも綺麗な弧を描いていたので、あれは優月の“月”なんだよ、と娘に教えたことがある。以来、彼女は陽が沈むと思い出したかのように「ゆづきの おつきさまはぁ?」と外に連れ出そうとし、僕も晴れた夜ならば「うさぎさん、お餅をついているかな」なんて言いながら手を引かれ、曇り空の時も「隠れんぼしているかもね」と結局応じることになった。まだ月の兎が絶滅していない彼女の世界も微笑ましいかった。
そのうち彼女の興味も月から星へと変わり、点を線で結んだ自分の十二星座の大きさに驚くのだろう。そして、あれは全天で二番目に大きい星座なんだよ、と知識をひけらかした僕は、思っていた以上の感動が返ってこなかったな、と気落ちするのだと思う。
星座の数には限りがある。いつか八十九個目の星座を彼女が象って、僕らに教えてくれることを愉しみにしている。


何かを失う時くらい、君は構えるべきだった。
そんな相槌を返す僕に「ただの説教なら訊かない」と君が笑うから、ただの見解だよと誤摩化した。君はひと呼吸を置いたまま物思いに耽り、やがてお気に入りの台詞を口にするように「彼に忘れられてゆく私は何を忘れられるのか」と尋ねてくる。僕は前置きに、今直ぐでなくても構わないのなら、なんて言葉を選んだ後、きっと思っているよりかは多くを忘れられるよ、と答えた。ひとりだけではその鮮やかさも輪郭も映し出せなくなるんだ。
君は「やっぱりただの説教じゃない」と背中を叩く。今度の吐息は、溜め息だった。


「有り難う」でもなく「ごめんね」でもなく、私たちは「さよなら」で別れましょう。そう思ったのだと話す君を誇らしいとさえ感じた。
男前だな、と笑う僕に、君は少しだけ口元を上げながら「褒められてるんだよね」と笑い返す。それから、何年続いたのかだとか、親公認のデメリットはこんな時ねだとか。態とらしく戯けて「そういえば三十路手前だったんだ!」という君の台詞にも自虐的だ!なんて笑い合っていたけれど、結局、最後まで彼のことを悪く言わなかったのは君らしいと思った。


悲しいのは、誰かがいなくなっても不変的な毎日を過ごしてしまう事。
夏が始まる前に、君から聞かされた理由のひとつだ。
上手く笑う必要なんてないよ。君はただ声を上げていれば良い。


「夏は終った」と君がいうから、何を根拠にそう思ったのか分からないけれど便乗することにした。急いで風鈴を外し、風情がないと嫌悪していた冷風機を片付ける。点し忘れた花火をバケツの水に浸しながら、暮れる陽の高さと速さを確かめて、薄らと滲んだ額の汗を拭った。
何だか次の季節が訪れているとは思えないな。僕がそう話すと「本当だね」と素っ気ない君の返事。やっぱり根拠がないんだな、そう苦笑ったあとで僕らはキスをした。すると、どこかの家政婦のように隠れて監視していた娘が「わたしもー」と駆け寄ってきたので、いつか僕らが嘘をつかなくてすむように頬で納得してもらう。彼女はどこで覚えてきた台詞なのか「あばんちゅーる、ね」と言って、僕らを笑わせた。


君の前では零せない涙だってある。
面倒な女の台詞でしょう。そう訊ねる君に、僕なら言われたくないな、と笑った後で「だけれど、意味がないよ」と返した。小さく頷いた君は「意味を考える前に、」と悪戯な表情を浮かばせて「理由を知ることが先だと思わない?」と続ける。君は気づいてほしいだけだった。彼が思うほど強くはないことを、だからこそ強がっていることを。
面倒な女の台詞でしょう。最前と同じ表情で君が訊ねてくるから「理由ならたくさん在りそうだし、代わりに僕が聴かされそうだな」と笑った。


それぞれの都合を優先させて、初めて君の命日を一人で過ごした。
昔のように生きられなくなってしまったことを「必然」で片付けたくはないけれど、たぶんそういうことなのだと思う。被害妄想だらけの年齢が過ぎてしまえば、いつまでも好戦的な態度で悲しんではいられない。あの頃の僕らは君を思い出して、君の好きだった唄を口ずさんで、自分自身の為にクソッたれと笑った。そうやって時間の経過を待っていた。待つことは楽なのだ。すべてを相手のせいに出来るから。
それでも僕は、正論で生きるより感情論で喚いていたい。今日の声がカラカラになるまで、いつまでも騒いでいたかった。