プッチーニ マラソン コンサート

ジャコモ・プッチーニの女性たち」昨日行ったコンサートは趣向を凝らしたよいステージだった。九段のイタリア文化会館の小ぶりの会場はイタリア好き、イタリア人好き、イタリア語好き、オペラ好きの人たちで一杯だった。トッレ・デル・ラーゴのステージをそのまま持ってきての公演だった。老いたプッチーニが彼の音楽人生を語り彼が生み出したオペラのヒロインを語る。プッチーニ役は岡村喬生。味があって好演だった。イタリアでの公演はこの役をドミンゴが務めたという。7人の男女歌手が初期から後期までの作品中の名曲を、プッチーニ役の語りを挟んで歌う。アンコールを入れてなんと20曲が歌われた。興味深かったのは女性歌手が身につけていた衣装が各作品の初演時に使用されたもののコピーだということ。蝶々さんの着物は日本に来たこともない人が考えたのだろう、不思議な雰囲気の着物だった。伴奏はピアノではなく、プッチーニ財団管弦楽アンサンブルだったから歌は勿論とても迫力あるステージだった。最後の「ネッスン ドルマ」はステージに帰ってきた全員の歌手で大いに盛り上がった。どこか内々のあたたかさを感じるコンサートでもあった。

My dear Meew
無事に8日の旅を終えました。と言ってもかの地にはたった6泊の短かいもの。相当忙しかったです。ハイライトはなんと言っても金谷武洋先生の教室を見学することでした。9月30日の晩、運河沿いにある先生の美しいお宅におよばれしました。奥様のご趣味というインテリアはモダーンで知的で居心地よく素敵なお住まいです。宵闇迫る運河に突き出したご自宅専用の船着き場に行って鴨を見たかったのですが鴨もねぐらに帰った後のようでした。先生の赤いカヤックーカ(ナ)ヤックと先生はおっしゃっていましたーが置いてありました。シャンパンと赤ワイン、それの奥様の手料理のケベック料理を頂き、私たちはもう何年ものお付き合いのように過ごしたのです。先生のキャラクターは一年少し前の広島講演のときの印象と頂くメールで知るだけでしたが想像以上に明るく多弁で人を引きつける方です。ますますファンになりました。浅いお付き合いでこんなおもてなしまで受けて、、、
翌日は大学で1年生と2年生の授業を見学しました。教室は日本の大学とさほど違いない、少々埃っぽい階段教室です。どちらのクラスも十数人の学生が出席していました。(この日は地下鉄がストップしていて遅刻の人もいました。私たちも遅刻しました。)1年生は「みんなの日本語」第5課、往来の表現を勉強していました。2年生は第35課「〜ば」の表現でしたがこの日は漢字やプリントの勉強が主でした。それと三上文法、スーパー助詞「は」について。相手はフランス語を解す学生たちですから金谷先生はフランス語を駆使して教えて行かれます。リズミカルでユーモアがあり、内容がぎっしりでした。学生を飽きさせない講義です。本当は学生たちに色々質問してみたかったのですがなにしろ時間が押していました。隣に着席していた学生は来年慶応大学に留学すると自然な日本語で話してくれました。

My dear Meew
念願の旅に出ます。快く私を出してくれる留守番の夫のため晩ご飯7日分を作り終わりました。これで安心して飛行機に乗れます。2002年「日本語に主語はいらない」から始まって「主語を抹殺した男ー評伝三上章」までたどり着き今度はモントリオールに先生をお訪ねします。先生の大学の日本語科もちょっと覗いてみたいです。もちろん秋のケベックを楽しむことも織り込み済みです。お土産話を待っていてください。

せっせと作る冷凍食品

今回の7泊の旅に方針を決めていた。行く直前まで忙しいからわたしの居ない間の食事は夫に好きなようにしてもらい事前の準備はしないと。一昨日の夜K子に仏語電子辞書を借りようと電話すると、「ママ!パパの食事何も用意しないの?!」と言う。続いて「わたしは去年のパリ研修のとき2週間の夕食用冷凍食品を全部作って行ったわ」と言う。どこに出かけるときも夫が在宅なら必ず食事の準備をしているわたしだが7泊ではお手上げ、と思っていたのにK子のこの一言で俄然闘争心が芽生えた。一昨日から作る作る、、、きんぴら,ひじきの煮物、焼き魚、豚肉のトマト煮、サツマイモのバター煮などなど。ほかにロールキャベツと朝食用ピクルスを作る予定。とにかく夕食の副菜を全部冷凍食品にしようと頑張り始めた。もともと出来合いの冷凍食品はほとんど使ったことがない。このご時勢では更に気軽に買う気が起きない。出来上がった料理を小分けにしてフリーザパックに詰め、説明を書いた。好きなように組み合わせて召し上がれ!ということだ。夫は食事を含めて家事は何も出来ない。本当に自立していないと思う。しかし年齢と一人息子として乳母日傘で育った環境を考慮すれば仕方ないこと。友人に言わせればわたしがやるから、だそうだ。

修理出来たトランク

3年前の東欧旅行の時購入した鞄は最初から開けにくく鍵の具合が悪かった。急いで購入したので鍵のチェックが甘かったと悔いていた。久々に海外へ出るのにまた買うのは馬鹿馬鹿しいとK子に借りようかと思った。しかし夫は一回しか使用していない上最初から問題があったのだから購入した店に修理を頼めばいいと主張。わたしは「面倒だわ。K子にかりるから、、、」と最初から諦めていた。何しろ3年前の購入でレシートがあるわけでもない。とにかく夫に促されて品物を持って店に出向いた。対応した女性従業員は3年前にはじめから調子が悪かったと言っても証拠がないし,修理にいくらかかるか品物を工場へ持ち込む費用も、修理そのものの費用も客持ちだと言って取り合わない。ここでわたしは諦めた。しかし夫は従業員と何度かのやり取りをしたのち、『分かりました。では持って帰ります。しかし本当の大阪商人はもっとお客を大切にするものです。』と一言。どうしてあんなことを言ったの,と聞くと店の女性の言っていることとやっていることに矛盾があってこれはおかしいと思ったからという返事。夫の直感の正しさを証明するようなことが翌日起きた。上司という人から電話。無料で直しますというのだ。そして今日鍵を交換してまた使用出来るようになったわたしの鞄が帰って来た。女性従業員は保身に走って危うく店の名を汚すところだった。それにひきかえ上司は店の名を救ったと言えるわねえと諦めの早いたちも忘れてわたしは夫に言った。

きつねうどんを食べに

成人するまで故郷の大阪で過ごした夫も東京を中心に関東地方で生活した年月の方がずっと長くなった。50年を優に越えている。その中で彼の大阪弁のアクセントやイントネーションはどんどん薄まってしまった。今日はまず表参道で用事をすませてから渋谷まで行くという。渋谷?なんのために?黙って付いて行くと行った先はデパートの「浪速うまいものフェア」といった大阪の物産展だった。会場はもの凄い人ひと人。その人ごみを縫ってたどり着いたところはきつねうどんを食べさせるコーナーだった。いくら故郷を離れても子供の頃から慣れ親しんだ味は鮮明に覚えているだろうし懐かしいものなのだろう。そのきつねうどんのために渋谷まで行ったということ。だいぶ長い列ができていたから暫く待った。やっと食券を買う番になると夫は「きつねうどん2つ」と正調大阪弁で頼んだのであった。うどんのお味は、、、薄口醤油で味を整え、上に甘みを利かせて煮た油揚げがのった、おいしく見た目も美しいきつねうどんだった。

ブルーな気持ち

いつも海外旅行の前にブルーになるわたし。そばに家族が居て何も心配がなくてもいつだってそうだった。今度はその家族が居ない、旅行慣れしている友人と一緒とはいえ。昨夜は夢を見て焦ってしまった。成田へのリムジンに乗っているのにバッグ以外持っていない自分に気がつき家へ取って返さなければとあわてている夢。出かけるまであと10日、仕事を三つこなしてから。モントリオールケベックシティの秋色はいかばかりか。若い人たちの旅行と違うからどん欲に観光して回りショッピングすることもない。土地の人たちがどんな様子で秋を楽しんでいるのかいつもと違う空間に自分をそっと置いてみるだけ。それに一番のハイライトはモントリオール大学に金谷先生をお訪ねすること、セントローレンス川に注ぐ運河のカモミール(鴨見る)こと。これで十分だ。