かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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掲載旅行記一覧【先頭に固定】

2005.10 北朝鮮(平壌へ板門店平壌帰国)

2006.03 韓国(ソウルへ顕忠院安重根紀念館板門店ロッテワールド帰国)

2007.08 中国(上海へ南京へ南京泰山へ泰山北京へ天安門抗日紀念館長城済南へ済南上海豫園上海外灘帰国)

2008.01 欧州(アムステルダムへアムステルダムブリュッセルパリリスボンへロカ岬リスボン郊外スキポール帰国)

2009.09 韓国&竹島(ソウルムクホ竹島鬱陵島独島博物館良洞マウル慶州白村江ソウル帰国)

2009.12 台湾(台北夜市九份淡水烏来帰国)

2010.08 イラン(中東へ ドーハとイラン入国 イスファハーンへイスファハーンシーラーズペルセポリステヘラン帰国)

2011.05 シンガポール(到着市内マレーシア)

2011.10 東欧(クラクフへアウシュビッツクラクフワルシャワスターリンワールドヴィリニュスウィーン帰国)

2012.08 トルコ(イスタンブールへイスタンブールエフェソスパムッカレパムッカレ発北キプロス南北キプロスアダナカッパドキアカッパドキア気球ボスポラス海峡イスタンブール帰国)

2013.07 ロシア(アブダビ空港 モスクワへモスクワキジ島エルミタージュノヴゴロドサンクトペテルブルク帰国)

2015.08 バリ(バリへクタタマンアユンブサキ寺院帰国)

2016.03 タイ(バンコクへバンコクアユタヤ週末市場帰国)

2016.08 済州島(済州市万丈窟潜水艦中文)

2016.11 ソウル(朴槿恵退陣デモ水原と大規模デモ慰安婦像)

2017.06 中朝国境(大連丹東から見る北朝鮮旅順帰国)

2018.03 釜山(中心部太宗台慰安婦像)

2018.04 豪州(シドニーブルーマウンテンズハンターバレー帰国)

2018.09 キューバ(ハバナへハバナゲバラビニャーレス渓谷コヒマルビーチメキシコシティ)

2019.07〜08 バハマアトランタ(バハマへビーチダウンタウンフラミンゴアトランティスアトランタへCNNMLBミッドタウン居住区地域図書館帰国)

 

当ブログ内の旅行記を探しやすいように、一覧を作りました。時系列に並んでいます。

こうしてみると、ちょっとした歴史を感じますね。これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

旅行記は随時追加しています

「辺境」から日本史を再考する/『東と西の語る日本の歴史』(網野善彦)・『隼人の古代史』(中村明蔵)・『アイヌ学入門』(瀬川拓郎)など

「日本史」にも地域差があります。京都や江戸で起きたある事象が東北から九州までに同様の影響を与えていたということはあり得ず、そもそもそうした地域の直接的な影響をさほど受けてこなかった地域もあります。そんな視点から、家や図書館にあった本を数冊読んでみました。

『東と西の語る日本の歴史』(網野善彦

古いハードカバー版を読みました。土地制度・度量衡・交通手段などに始まって「東国」と「西国」の違いは大きいどころか、(先ほど「京都や江戸」と言いましたが)「東国国家」を畿内の朝廷とは別のものとして打ち立てたいという系譜も存在し、伊勢宗瑞(いわゆる北条早雲)の一族が「北条」を名乗ったのもそれゆえとされます。

一番興味深かったのは「東国・九州」と「西国・東北」という対比構造の示唆です。最も典型的なのは南北朝時代で、一度敗れた足利尊氏が九州で力を盛り返したことや、南朝陸奥将軍府の活躍はこうした背景からも解釈する余地がありそうです。

 

『図説 中世島津氏』(新名一仁

関東と九州の関係が強まった理由の一つに、元寇の際に九州に所領のある御家人が下向を命じられた*1ことがありま須賀、島津氏もその著名な例です。戦国時代の4兄弟が活躍する前の一族相争う状況についてはよく知らず、勉強になりました。

 

『隼人の古代史』(中村明蔵)

古代、その南九州には「熊襲」「隼人」と呼ばれる人々がいたとされています。著者はそのうち「熊襲」の実在には疑問を示した上で、隼人がどのような存在で、畿内の朝廷が彼らをどう遇していったかを論じていきます。薩摩国府周辺には肥後から、大隅国府周辺には豊前・豊後から大規模な「植民」が行われたようで、その後の隼人への関心も南島(種子島屋久島)の状況や当時の国際情勢の影響を受けたとされます。

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ちなみにこちらの本は、「異民族としての隼人」をより構築主義的に捉えていました。

 

『写真で見る種子島の歴史』(鮫嶋安豊)

一昨年、種子島に初めて行った際に入手しました。島内の名所・史跡案内風でもあり、ところどころに国内外との行き来の跡が刻まれていました。

 

アイヌ学入門』(瀬川拓郎)

視線を一気に北に転じ、アイヌの歴史や文化、そして現在について考古学や民俗学の手法を駆使して肉薄していく本です。

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こうした知見から既に言われているように、アイヌはロシア沿海州などに住んでいた「オホーツク人」系の人々と遺伝的な交流があったとされますが、アイヌ・オホーツク人・和人のそれぞれが、いつ頃どのあたりを境にして住んでいたのか、それぞれが相互にどんな影響を及ぼしあっていたのかを豊富な切り口で論じていきます。陰陽師や金を求める奥州藤原氏と関係がある人々までもがアイヌと交流・交易を重ねてきたことが示唆されており、「通史」や「決定版」と呼べるほど学問領域として成熟しているわけではなさそうで須賀、興味深い展望が示されています。

 

こうして見てみると、その地域ごとの状況や周辺との関係は想像以上に重要なものでした。『アイヌ学入門』に「縄文文化の広がりは、現在の日本の領土とほぼ重なります。もちろん、そこに近代の国民国家を投影したところで意味はありません」という一節がありました。その最たる例がアイヌであり、今回は勉強できなかった琉球であることは論を俟ちませんが、筑紫の磐井のみならず、畿内の朝廷より朝鮮半島の王権の影響下に入ろうとする動きが西国でしばしば起きていたことも『東と西の語る日本史』などで言及されていました。「日本史」という枠組みそのものの妥当性を、絶えず再考続けるべきだと感じさせられました。

*1:私の先祖もその一団の中にいた可能性があるようです

『現代日本の新聞と政治』(金子智樹)

【目次】

 

地方紙に焦点を当てた計量分析

これまで見落とされがちだった地方紙を中心に、新聞と政治(世論や政治家)との関係を計量的に論じた本です。
一口に「地方紙」と言ってもその地域でのシェアやプレゼンスはまちまちであり、そうした「メディアシステム」が各新聞社の社説の論調や政治報道に影響を与えており、またそれらは有権者の政治意識や投票行動と関係があることが示されていきます。一方で、この「関係がある」を「新聞購読が有権者の政治意識や投票行動に影響する」に言い換えてよいのかどうかは、著者の言う通り慎重な議論の積み重ねが必要なポイントではあります。

新聞社に身を置く立場で一点、留保しておきたいのは、社論や取材テーマの選定(アジェンダセッティング)において、著者が想定しているほど「社の方針」が上位下達的に貫徹されている社(あるいは状況)ばかりではないだろうということです。メディアシステムが各紙のスタンスに影響するというのは興味深い指摘で須賀、そうでない様々な要因が働いた上で、日々のコンテンツができあがるケースも少なくありません。

突然の廃刊が突きつけるもの

共同通信の参考資料をもとにした社説を頻繁に掲載していると考えられるのはどこの地方紙か」を炙り出してしまうなど、計量政治学の手法を用いた「力技」で、これまであまり詳細には論じられてこなかった地方紙の報道について全体像を示そうとする取り組みは、業界人にとってはかなり興味深いものだと思います。その上で、第2県紙「鹿児島新報」が突然廃刊した直後の2004年参院選でシェアの大きかった地域の投票率が大きく下がったという分析は、それぞれの新聞社の浮沈が一企業だけの問題ではないことを突きつけています。

『教養としてのインターネット論』(谷脇康彦)

 

インターネットが社会的なインフラとなり、データに基づいて動くようになってきた社会の展望について論じた本です。

特に興味深かったのは以下の二つの指摘でした。一つ目は、データという無形資産を基盤にする市場ルールや評価指標が必要というもの。もう一つは「集中か分散か」という論点です。当初からオープンでフラットな場とみなされてきたインターネットで須賀、

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巨大プラットフォーマーによる一強多弱的状況や、

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デジタル技術を駆使した国家による監視強化など、権威や富を集中させる方向に活用することもできます。一方、

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近年注目を集めているweb3はインターネットの世界を再び「分散」の方向に向かわせるのではと論じられていま須賀、著者はそれが責任ある形で発展していく必要があると指摘します。

その時々の多少の偏りはありながらも、「集中」と「分散」の間のどこかでバランスを取り続けられればよいのですけれども、得られる力が恐ろしく強大なだけに、

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のような世界にならないように、先を見据えていかねばならないと実感しました。

多元的な明治憲法体制の「奥の院」/『枢密院』(望月雅士)

【目次】

 

待望の枢密院概説書

明治憲法体制下で天皇の諮問機関として存在した枢密院とその歴史についてまとめた本です。当時の多元的な政治体制について、特に公式の制度ではない元老の果たした役割には以前から関心があり、いくつか本も読んできたので須賀、

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枢密院に関する初学者向けの本がなかなかなく、個人的にも待望の一冊でした。

政党内閣への牽制

簡単に振り返ると、枢密院は明治憲法発布が迫る時期、政府と議会が対立した際に天皇が政治的責任を負わないために、その諮問機関として伊藤博文の発案で設置されました。当初からその存在意義が問われる組織体で、主に山県有朋の影響下で徐々にルールや慣行が出来てはきたものの、日本国憲法施行前に廃止されるまで、それらが安定的に運用されてきたとは言えないでしょう。「枢密院vs政府」「枢密院vs議会」など、立ち位置や運用が流動的な組織の周りでは縄張り争いが絶えないというのは、会社組織でも同じだと思います(遠い目)。

その枢密院は、政党内閣の時代には伊東巳代治・金子堅太郎といった明治憲法起草に関わった伊藤チルドレンたちが「憲法の番人」を自認し、内閣の施策を牽制し、官僚機構内の文官任用を抑制する役割を演じていきます。牽制どころか、若槻礼次郎内閣に至っては枢密院によって倒れたことはよく知られています。

もちろん政党側はこれに反発し、民主的正統性*1のない枢密院の改革・廃止論も幾度か持ち上がりま須賀、ここが当時の政党政治の悪いところで、枢密院により批判的だった憲政会→民政党*2も、政友会内閣を倒すためなら枢密院を利用しようとします。ロンドン海軍軍縮条約で野党・政友会が「統帥権干犯」を叫んで内閣を攻撃したことといい、「多元的な政治制度の中で健全な政党政治の慣行を確立させていく」ことより、「与党で総選挙を打てば大抵勝つ以上、手段を問わずにとにかく相手を引きずり下ろして大命降下を待つ」という姿勢が政党政治自体を掘り崩していったという一例がここにも現れています。

軍部に抗し得なかった理由は

一方で、軍部の政治的影響力が増す中で自称「憲法の番人」として政府の歯止めになれたかというとそうではなく、せいぜい天皇臨席の本会議で懸念を示して政府に警告を発する(それを天皇に聞いてもらう)場、といった認識が顧問官の間でも広まっていたことが本書で示されています。今の価値観から言えば「邪魔しなくていいもの(民主的傾向)を邪魔して、いざという時に歯止め役を果たせなかった」とも見える成り行きではありま須賀、枢密院の反対で実際に内閣を倒してしまったことが枢密院側のトラウマにもなっていたらしいことが指摘されています。また、これは私の想像を含みま須賀、伊藤・山県・松方ら「維新の元勲」や伊東・金子らの「憲法起草者」といったカリスマたちが去った後の枢密院は、民主的正統性がないからこそ、時に好戦的な1930年代の世論に抗し得なかったのかもしれません。この辺りの分析がさらにあれば、もっとよい議論になったろうと思います。

「補助輪役」を誰が担うべきだったか

枢密院改革論は当時も度々持ち上がっていました。乱暴に大別すると「顧問官の人選を変えればよくなる」という人の議論と、「枢密院制度自体を変える必要がある」という制度の議論があったようです。通読した感想としては、最初の位置付けや制度設計がしっかりしていないから、その時々の人たち(典型的には山県)が自分の都合がいいような運用をしてしまったのだろうと感じます。

さらには、天皇の諮問機関たる枢密院とは別に、非公式に国策の総合調整や次期首相選定を続ける元老という人たちがいたわけです。伊藤は、この元老の機能を枢密院に移していく構想を抱いていたとされま須賀、確かにその両者は(人的にはある程度重なっていたとは言え)併存している必要はなかったと思います。そもそも最初はともかく、天皇が政治的責任を負わないという前提で内閣・議会を両輪とした政治運用が安定化してくれば(今の日本がそうであるように)両方不要なわけです。実際の枢密院が憲法に定めのある堅固な機関として、敗戦・改憲によって国家の在り方が大きく変わるまで存在し続けたことを考えると、将来的な自走を見据えた補助輪のような存在として、生物学的なリミットのある人間がその役割を担っておいた方がマシだったのかも、という見方もできるかもしれません・・・もちろんそれが最善だという趣旨ではないで須賀。

*1:顧問官人事は首相の上奏となっていたが、事実上枢密院議長=山県の意向で決まってきた

*2:若槻も民政党

「対峙する」だけではないはず/『プラットフォーマー 勝者の法則』(ブノワ・レイエなど)、『集中講義デジタル戦略』(根来龍之)

【目次】

 

プラットフォーマーに対峙する

「2つ以上の顧客グループを誘致・仲介し結びつけ、お互いに取引できるようにすることで大きな価値を生み出す」プラットフォーム企業について、その特徴、成長のためにフェーズごとに取り組むべき施策、内外から見た課題などについて論じた本です。

やはり新聞社の目線に立つと、プラットフォーム企業とどのような関係性を築くべきかがポイントであり、ホットなところでもあろうかと思います。著者は「毛嫌いするだけでなく、現実を認めてうまく提携しつつ、自らを強化すべき」と説いていま須賀、今はまさに「うまく」提携していると言い得る関係を(再)構築できるのかが問われており、プラットフォーマー側がどの程度真摯に共存共栄を目指しているのかはやや気になるところです。

一方で、「高い品質と一貫性を保つためにバリューチェーンを厳しく制御するのはプラットフォームの不得意分野なので、こちらに投資するのも手」とも述べられています。プロのジャーナリストの取材・編集ノウハウを生かした正確で独自性のあるコンテンツ制作は、まさにこれに該当するはずですので、苦しくてもここにはちゃんとリソースを割いていくことが生き残りの条件になってくると感じます。

プラットフォーマーになる

ここまでプラットフォームに対峙する話ばかりしてきましたが、新聞社自身がプラットフォーム型のビジネスモデルを取り込んでいくことも重要な検討課題であるはずです。プラットフォーマーの世界的な代表例とみなされがちなamazonも、プラットフォーム型とそれ以外のビジネスモデルを組み合わせていることを本書は度々指摘しています。GAFAのような「巨人」を目指せという趣旨ではありませんが、広告だけでもサブスクだけでもない多様な収益源を確保していかざるを得ない状況において、新聞社に幾許かの存在感や社会的信頼が残っているうちに行動しなければならないのは間違いないように思えます。

「デジタル戦略」をバランスよく

こちらは、1冊目の訳者のビジネススクールでの講義をまとめた一冊です。やや古いで須賀、「破壊的イノベーション」「ジョブ理論」「ブルーオーシャン」「両利きの経営」といった世界的に著名なビジネス上の理論を咀嚼し、よくまとまっている本だと思いました。

この方も新聞協会での講演が非常に興味深かった覚えがあり、一度読んでみたいと思っていた本でした。

『運動脳』(アンデシュ・ハンセン)

 

『スマホ脳』(アンデシュ・ハンセン) - かぶとむしアル中で知られる著者が、同様のロジックから運動の効用を説いた本です。

論旨は明快で、「人間の生活様式は近年大きく変わったが、その脳や肉体は狩猟採集時代から変化していない。運動をすれば脳からさまざまな『報酬』がもらえるのも変わっておらず、そのことを利用すれば心身の健康のみならず、脳の機能も活性化することができる」というものです。

4年前にサイクリングを始めたので須賀、一人で走っている最中は仕事のことを考えていることが多いです。「チームメンバーの作業時間を確保するために、自分はこの順番でタスクをこなしていこう」「明日の会議でこの辺を指摘されそうだから先手を打っておこう」「あ、これやるの忘れてた」など、ペダルを漕いでいる最中はより色んなことに頭が回る気がしていました。

それが単なる印象ではなかったと気づかせてくれた一冊。寒い時期に風を切って走るのが億劫になることもなくはないで須賀、楽しく自分の脳の性質を活用していきたいと思っています。

戦略的なコンテンツ制作を/『データ思考入門』(荻原和樹)

【目次】

キャプチャが拡散される前提で

東洋経済オンラインでコロナ感染者ダッシュボードを手掛けるなど、報道におけるデータの可視化に取り組んでいる著者がその手法や考え方を紹介する本です。

「何を伝えたいのか」を常に意識して使うデータや表現方法を選びましょう、とは当たり前のようで須賀、常に軸として保ちながら作業するのは案外難しいと感じることがあります。また、キャプチャなどさまざまな形で拡散されることを想定して制作しましょう、というのもまさに今のウェブらしい指摘で、これも忘れてはいけないポイントでしょう。

どう収益に繋げるか

新聞社でデジタルに関わる身として一番印象的だったのは、「報道機関がデータ可視化を行う意義は、デジタル時代に必要な表現力をつけるため。テレビや紙の新聞に慣れ親しんでこなかった人々にも報道を届けることができるようになる」との言明でした。ただ「なんかカッコいいから」とか「各社やってるから」ではなく、確実にデータ可視化コンテンツによってリーチが広がっているかはしっかり検証しながらやっていく必要があると感じますし、そうしたコンテンツをどのようにマネタイズに繋げていくか*1も視野に入れて取り組む必要があるのだと思いました。

*1:そもそもマネタイズの手法は媒体によってそれぞれではありま須賀