アニメ映画ベストテン

http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20141031
トラックバックとか初めて送るのだが、これでいいんだろうか……
アニメ映画ベストテン企画に参加してみることに。で僕のベストテンは以下の通りです。

1.ストライクウィッチーズ劇場版(10点)

残りの9本は全て同率で5点として

機動戦士ガンダム逆襲のシャア
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
イノセンス
パプリカ
風立ちぬ
劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語
ナイトメア・ビフォア・クリスマス
ヒックとドラゴン
トイ・ストーリー

以上

あんまりアニメ映画(というかアニメ自体)観れてないんで邦画だけだとベスト10が埋まらなくて焦ったが、他の人のベストテン見て「そうか、洋画もあるじゃん」と気づいたのでなんとか埋まってよかったです。

2012年に観た映画まとめ

つーことで昨年観た映画まとめるよー。

取っておいた映画の半券を観た順に並べたところ、どうやら俺は昨年、これだけの映画を劇場で観ていた模様。

恋の罪 (園子温監督作)
ドラゴン・タトゥーの女 (デヴィッド・フィンチャー監督作)
ホーボー・ウィズ・ショットガン (グラインドハウスのフェイク予告編の一つ)
無言歌 (中国のドキュメンタリー作家として注目されるワン・ビン監督初の劇映画)
シャーロック・ホームズ シャドウゲーム
ストライクウィッチーズ劇場版
J・エドガー (イーストウッド監督、ディカプリオ主演)
ジョンカーター (古典SF『火星のプリンセス』が原作)
ポエトリー アグネスの詩 (シークレット・サンシャインイ・チャンドン監督作)
アリラン (キム・ギドク監督作)
ル・アーブルの靴磨き (フィンランドの巨匠アキ・カウリスマキ作)
コードギアス 亡国のアギト
Tiger&Bunny The Beginning
魔法少女まどか☆マギカ 前編 始まりの物語
魔法少女まどか☆マギカ 後編 永遠の物語
マルドゥック・スクランブル 排気
アシュラ (ジョージ秋山原作)
アイアン・スカイ
アウトレイジビヨンド
ヱヴァンゲリヲン:Q

以上、20作品。
どれも評判を確認した上で厳選したチョイスで劇場に足を運んだ作品なワケでハズレと思うものはないのだけど、今良かったなと思うものを上から順に紹介すると

1位 ストライクウィッチーズ劇場版
2012年では文句なくこれが1位。なんせ観た作品は20作だけど、実際、劇場に足を運んだのは25回でこの差はスト劇だけ6回観てることに由来します。来場者特典が欲しかったり、出演してる声優さんの舞台挨拶が目当てで観に行ったのもあるけど、だいたい毎回同じようなところで泣いてたりするのでこの病はかなり深刻です。
まあそんな具合なのでストライクウィッチーズに関しては語っているともはや作品評ではなく信仰の告白にしかならないので詳細は省略します、是非もなし。

以下、順位は気分次第で変動しそうなので順位不同でベスト5だけ選ぶと

アイアン・スカイ
アウトレイジビヨンド
J・エドガー
ポエトリー アグネスの詩

となります。

アイアン・スカイ』は、月からナチスが攻めてくるというアンポンタンな設定をきっちり描きつつ、それだけに留まらない、21世紀版『博士の異常な愛情』ともいうべき結末を観せる。
アウトレイジビヨンド』はもうヤクザをやりたくない大友が、それでも義理と人情の流されてヤクザをやらざるを得なくなった時の、北野武の演技が良くてもう。嫌だ嫌だと言いつつ、自分が一番上手くできるし、ムカつく奴はぶっ殺せばスカッとするし、もうヤクザ以外の他のことはできないんだなと達観したような、いろんな感情が入り混じった笑いがとにかくゾクゾクする。
『J・エドガー』はホモ映画枠。俺はとくにディカプリオを追っかけてたりはしないのだけど、この映画のディカプーは良かったです。デヴィッド・フィンチャーの『セブン』ラストシーンのブラッド・ピットみたいに身が引き裂かれるような葛藤に苛まれる感情を観る人に感じさせる役者というのはすげえと思います。
『ポエトリー アグネスの詩』の監督イ・チャンドンは前作の『シークレット・サンシャイン』で観せてくれた地獄のようなお話を今回もたっぷり2時間以上観せてくれて、劇場にいる間本当にいたたまれない気持ちにさせてもらいました。

ベスト5の選外とはなるけど『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』は『J・エドガー』と同じホモ映画枠、『マルドゥック・スクランブル排気』はテンポの良い演出の小気味よさと林原めぐみの大女優っぷりと良かったです。

タイバニ、魔まマ、ヱヴァQ辺りのアニメ映画は俺が褒めなくてもみんな褒めるだろう?という訳で俺の観た2012年映画総括はこんな感じでー。

俺の弟がこんなに可愛いわけがない

「男達の挽歌A BETTR TOMORROW」観た。原作は香港映画の名作、私は不勉強にしてオリジナルの方は未見なんだが、リメイクである本作はすげえ傑作だった。以下盛大にネタバレ含むし、そもそも舌足らずで観てなきゃわかんない文章なんで間に合うなら劇場に足を運んだうえで読むことを推奨。









生き別れた実の弟が大好きなお兄ちゃんヒョクが数年の曲折を経て弟チョルと再開するが、チョルからは恨まれていてもんもんとする。お兄ちゃんにはもう一人義理の弟ヨンチュンがいて、そっちも大切な弟なんだけど、ヨンチュンはそれ以上にお兄ちゃんのことを愛していてお兄ちゃんのことを思うあまり自分から身を引くことに。
お兄ちゃんはヒョクの為に足を洗おうと頑張るが、過去から逃げても過去は追いかけてくる。お兄ちゃんの昔の仲間の手でチョルの先輩は死にチョル自身も大怪我を負う。見舞いに来たお兄ちゃんにもう顔を見せるなとチョルは追い返す。仕方ないんで今度は寝てるチョルをそっと見舞いに来たお兄ちゃん、枕元に置いてた弟の警察手帳から仲睦まじかった頃の二人の写真を発見。「ラピュタは本当にあったし、弟に兄弟愛もあったんだ!」そう、チョルはツンデレのベリーハードモードだったのです。
お兄ちゃんは、弟が本当は自分を愛してくれていたことを知れただけで満足。攻略も難しいし、一人死地に赴こうとする義理の弟ルートに進みます。
自分とお兄ちゃんを切り捨てた組織にカチコミをかけるヨンチュンを間一髪のところで助けたヒョク。ヨンチュンを逃がし、単身、敵のボスを人質に取り、過去と蹴りをつけようとする。しかしチョルを人質に取られ形勢逆転、2対多数で銃撃戦が始まります。
二人のピンチに今度はヨンチュンが帰って来て加勢、激しい戦いの中ヨンチュンはチョルに言います「お前は俺なんかよりずっと兄貴に思われてる、なのにお前は…」その時ヨンチュンを貫く銃弾、お兄ちゃんへの愛を告げることなく彼は散ってしまいます。
銃撃再開、ヒョクはヨンチュンを撃った敵のボスを追い詰めるがチョルをかばい撃たれる、そこに駆けつける警官隊。警官としての職務と仇うちの狭間で苦しみ、チョルは兄の仇を討った後、兄の後をおいます。
男と男と男の、悲恋の物語でありました。

個人的にはヨンチュンがすごい好き。ああいう健気なヤツに俺は弱くて消失の時の長門ユキばりの報われなさと、切ないラストの散り際に涙して劇場を出る時は帽子を目深に被ったまま上げることができなかったです。
早くも今年のベスト映画「男たちの挽歌A BETTR TOMORROW」とベスト妹「イ・ヨンチュン」が一位で決定!妹じゃなくて弟だって?お兄ちゃんを思う気持ちに性別など問題であるものなのか?!

荒木飛呂彦スティール・ボール・ラン』(20)読了。
SBR(20)読了。大統領の新能力の元ネタはもしかしてエリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの」なんだろうか。帯には「ここが世界の中心だッ!!」とある。大統領に向けられた害悪は、大統領のいる「世界の中心」には届かないでその外部に排出される。本来こうむるハズだった害悪を「世界の中心」より外に押し付けることで「世界の中心」はクリーンに保たれる、という構図は「世界の中心で愛を叫んだけもの」そのままなんだけど。

妄言でしょでしょ

他人の夢の話はつまらない、確かそう書いたのは椎名誠だったか。他人の夢の話というはたいてい、見た本人にしかわからない・伝わらないので結果面白くないと。まあ、なんでこんな話をするかっつーとこれから俺が見た夢の話をする予防線なわけなんだけど。

こないだ見た夢は死んだはずの山崎と会う夢だった。たまたま道ですれ違ったかなにかで、偶然会ったんだけどそんなに驚かない俺。
「あれ?死んだんじゃなかったの?」
「あーあれは嘘。デマっていうか」
あーなるほど道理で。お前の弟からお前が死んだって聞かされたけど、いまいち実感わかなかったんだよな。嘘の方がリアリティあるわ。なにより本人が言ってんだし。
あっさり信じる俺。

夢はそんな細切れのワンシーンだったのだけど、起きてもくっきりと輪郭が残っている。俺は昨日あいつと会ったんだっけ?と思い、数秒後にそれが夢だと気付いて、ふふふと笑う。照れ隠しだかなんだかよく解らない笑い。

飛影はそんなこと言わない

クリント・イーストウッド監督・主演「グラン・トリノ」をレイトショーで観る。大変素晴らしい映画だった。その素晴らしさを僕は伝えたいのだけど、僕が感じたものを言葉にしても、それは伝わらないような気がする。その魅力は解体され、腑分けされたただのパーツにしかならない、それは混沌に穴を空けるようなものだ。
そこで僕は、否定神学的な手法を取りたい。否定神学とは「神は〜ではない」という否定表現で神を語ったものだ。

ちょうど、上映前の予告編で観た「はりまや橋」という映画がすげえ地雷臭がプンプンしてたのでこれを引き合いにしてグラン・トリノについて語っていこう。

で、「はりまや橋」なんだが、まずクリント・イーストウッドはそんなタイトルはつけない!日本3大がっかり名所の一角を飾る花のないモンをよりによってタイトルに冠したりは絶対しない!タイトルは作品の顔で、またテーマを象徴するもの。「グラン・トリノ」のタイトルになったヴィンテージ・カーは主役のイーストウッド演じる老人を、そして伝統的なアメリカのメタファーだ。「はりまや橋」が暗示できるのはせいぜいガッカリ感くらいのものである。

また「はりまや橋」のテーマは人種差別で、日本で黒人の老人が亡くなった息子の足跡をたどる話。アフリカ系アメリカ人の監督がメガホンをとった日米韓合作映画(アメリカ人が日本が舞台の映画を作ってどこに韓国が絡む要素があるのかは知らない)らしくはある。しかしクリント・イーストウッドはそんなリアリティのないことはしない。日本でリアルに差別を取り扱うなら部落・在日は避けて通れんだろうと(異人種じゃないから人種差別じゃないないもん!っつー屁理屈は聞かん、レイシストはくたばれ)。その点、イーストウッドアメリカの今をテーマにしている。「グラン・トリノ」も異人種間の軋轢をテーマにしているが、白人と東洋系移民の話でそのうえ、その白人も元はポーランド系の移民である。その白人が東洋系に反感を覚えるのだが、現在アメリカでは白人はすでに人口比で半数を割ろうとしている。もはや白人がマイノリティになりつつある。そういったリアリティやテーマのアプローチでも「はりまや橋」はまったく敵わないのだ。

そしてこれは、今の邦画全般に言える悪癖だが、「はりまや橋」の主題歌はmisonoの「終点〜君の腕の中〜」っつー作品を盛り上げるのにまったく寄与しない、適当なタイアップ・ソング!(@avex)クリント・イーストウッドは当然そんなことはしない。エンディングに流れる曲はそのものズバリ「グラン・トリノ」。しかも歌いだしはイーストウッド自ら歌ってるつー気合の入れっぷり。俺はmisonoをバラエティ番組でしか知らないんだが、この人の中にこのテーマを歌い上げるようなブルーズはないでしょう?

以上も「グラン・トリノ」の魅力の一部でしかないのだが、残念ながら俺はそれを語る言葉を持っていない。ぜひ、みんな劇場に足を運んでもらいたいものである。

・・・ところでもちろん、「はりまや橋」は本編を観てすらいないのだが(そもそも公開前だ)、これが万が一、いや億が一にも傑作だったらどうしよう。あー、でもすげえ地雷臭で絶対観にいく予定もないし、そんな酷そうなものに割く時間も金もない。人生は短い、みんな「グラン・トリノ」という傑作を観て有効な時を過ごそう!

好きです!仕事!嘘です!

タイトルはもちろん『少年メリケンサック』のキャッチコピーより。どうも、課長島CARLです。
3月の年度末ラッシュもぼちぼち終わりを迎えて、今日は1ヶ月ぶりだろうか、丸1日お休みだった。つってもなにもやる気が起きず、civ4も起動してはすぐ消したりでいまいち気が乗らずだらだら夕方まで過ごして『機動戦士ガンダム00』の最終回を観る。ほんで以下その感想。

ひとことで言うとなんかガッカリ感のする最終回。てか最終話がまるごとド突き合いってスクライドかよ、作画はいいんだけどなあ。

紛争の根絶とか最初に掲げた看板も結局「分かり合うことでなんとかできるんじゃないか」みたいに結局、問題を矮小化しちゃうし。確か1期が始まったときはもうちょっとリアルな政治の匂いとかさせてたと思うんだけどなー。まあそれやったせいで地味な展開になったのも否めないワケでそうなるとそもそもこのテーマが無理筋ってことだよな。

なにより納得がいかないのがソレスタル・ビーイングのメンバーが誰一人として自分のやったことについて作中で報いを受けていないこと。彼らは世界の平和のためと多くの人命を奪った。それは必要な犠牲だったと彼らは言うが、殺した人たちにも家族や友人がいて、そういう人々に対する責任を彼らは取っていない。
その辺は最後にキチッと主人公が罰された『コードギアス』に、テーマ性でもエンターテイメント性でもまったく敵わない。

もし、ソレスタル・ビーイングのメンバーが生き残るとしても、せめて主人公の刹那は、全ての十字架を背負ってキリストのように死ななければならなかったんじゃないか。

人の死が飽和する戦場、ゼータのラストのように次々と散る仲間達。ルイスもロックオンもティエリアにハレルヤも死んだ。破壊と悲しみが満ちる中で高らかに自らの勝利を誇るリボンズ・アルマーク。生き残った沙慈が見つめる中、純粋種として覚醒した刹那が人々の死を感知したとき、満身創痍のガンダムダブルオーが呼応する。ツインドライブが限界を超え光を放ち始め、開放されたGN粒子が死んだはずの仲間を蘇らせていく。その光は戦場を越え、地球をも包み、人々に人類の進むべき姿を幻視させる。しかしその光に恐怖を感じたリボンズとの決戦の末、相打ちの形で両者は地球へと落下してゆく。トレミーの艦内で刹那とリボンズ両機の反応が消滅するのを確認し涙するクルー達。刹那は人類の進むべき形を体現しつつも喪われてしまう。

だがそれは無駄だったのか?いやそうではない、人々に新たに進むべき世界を見せることができた、人の心の光を世界にみせることができたのだ。刹那の死と引き換えに世界に新たな胎動が生まれる。今はその流れをかつてティエリアと呼ばれたものの意思を閉じ込めたヴェーダが見守る。

そしてラストシーン、青い空、浜辺に打ち付ける白い波。そこにはバイザーも割れ、半ば壊れかかったヘルメットが波に洗われている。その青いヘルメットに我々は見覚えがある。そのヘルメットの持ち主と思しき青年が歩む先には彼の姿を見て涙ながらに微笑む一人の女性の姿が……

以上が僕の考えたダブルオーのラスト。ん?死んでないじゃんって?キリストだって磔にされてから蘇ったでしょ、それにこれなら劇場版にも繋がるし。てか本当はさっきみた『ウォッチメン』について書きたかったのにダブルオーが大変ぬるかったんで仕方ない。ウォッチメンについてはまた今度、ロールシャック最高!