カジノロワイヤルの手帖

banの映画感想&小説漫画音楽路上日常雑感。

最近観た映画のメモ(2024年3月 その2)

アカデミー賞は毎年楽しみですけど、いらん騒動抜きでみたいですね

 

 

 

『内海の輪』(1971)監督:斎藤耕一

 

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初見。松山で呉服屋の女将をやっている岩下志麻。東京で考古学者をやり義父の力で将来も安泰な中尾彬。二人は互いに配偶者がいながらダブル不倫生活を満喫していました。今度岡山で発掘調査があるから出てこないか。あらじゃあ尾道あたりでしっぽりと。二人はウキウキしながらそれぞれの家庭を欺いて密会旅行を楽しみますが、出先で嫉妬深いお手伝いさんに不倫現場を激写されたあたりから関係に暗雲が垂れこめます。楽しいはずの旅行が砂を飲んだみたいな重苦しい雰囲気に変わり、男愛しさのあまり「家庭も将来も捨てて自分と一緒になって!あとついでにお腹には赤ちゃんが」とベトついてくる岩下に中尾はうざい指数がデンジャーゾーンに突入。自分の将来を守るために岩下の殺害を決意して…というお話。

 

岩下志麻中尾彬という日本映画界でも屈指の顔圧を誇る二大俳優が、ゴジラVSコングもかくやの目力対決を繰り広げるこの映画。原作が松本清張の不倫サスペンスだけあって結末はハッピーになろうはずもなく、最初は毛ほどもなかったほころびが、展開につれて次第に取り返しのつかない亀裂に広がってゆくその過程を存分に味わえる居心地の悪いメロドラマとなっています。「不倫旅行の途中で知り合いにバッタリ」「旅程の延長を妻に電話で言い訳」といった不倫ヒヤリハット事例に肝を冷やしながら、確実に近づいてくる破滅への階段。「妊娠」の一言でその階段に乗っている自分に気づいた中尾の心境の変化と、それを察する岩下の演技の斬り合いがこの映画のキモです。

 

宿でひとしきり揉めたあと、ひとりスンスン泣きながらご飯を食べる岩下のいじけた後ろ姿にコクがあり、いじらしさや愚かしさや愛の深さを背中で表現している名演技です。しかし翌朝姿を消した中尾を追って近くの山林を半狂乱で探し回り、勢い余って崖をよじ登り始めるのはどうなのか。『影の車』で見せた熱いオロオロ演技を超える取り乱し演技はさすがの迫力ですが、松林のそばを走り回るシーンからカットがピッと変わったらもう崖に張り付いているというモンタージュエイゼンシュテインも予測不能の効果です。飲んでいたお茶が霧状になります。

 

というようなどうかしてる感はありつつも、主演二人のぶつかり合いで最後まで魅せるサスペンスでした。あなたもアイラインが涙で融けて墨流しみたいになってる岩下志麻の眼光で射すくめられるとよいでしょう。この迫力にはさすがの中尾彬も食われ気味でしたよ。

 

 

 

博士の異常な愛情』(1964)監督:スタンリー・キューブリック

 

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32年ぶりくらい二回目。冷戦真っ只中の米軍ではとある将校が陰謀論に染まった結果共産主義者の抹殺を決意。指揮系統をガン無視してソ連付近を哨戒しているB-52に核攻撃を命令します。それを知った米国首脳部がいかにして事態を収拾するかを皮肉たっぷりに描いたブラックコメディです。

 

いや面白いんですよ。アメリカ大統領が困ってソ連首相に電話するんですが、今にも世界が破滅しそうなのに初めて文通相手に電話するみたいなぎこちなさだったりして、こういうセリフのおかしさが際立ってるんですが、やはり言葉のギャグだけあって、真価は英語ネイティブの人じゃないと味わい尽くせないのでは…という気もします。

 

それより、事件の原因が陰謀論大好きな目覚めちゃったお方、というあたりが2024年の今日的にアツく、こういうひとが政府や軍の中枢にいることが割とあり得る話となってきたのもあって、おかしさを通り越して薄ら寒い。かつてギャグとして描かれた狂った状況が今は現実に近いというこの恐ろしさ。冒頭の「こんなことはぜったいないのであんしんしてください 米軍」という意味のテロップがもはや虚しいという体たらく。そういう意味で今観るべき映画なのではと思います。急に放送したNHK-BS、ナイスです。以前から思ってましたが編成にやっぱりメッセージを込めてるのでしょうかね?いいぞ!

 

 

 

『ARGYLLE/アーガイル』(2024)監督:マシュー・ヴォーン

 

 

現在公開中。エリーはスパイ小説「アーガイル」が大人気のベストセラー作家。ある日列車に乗っていたところ突然襲撃を受け、自称スパイの男エイダンに救われます。どうやら自作のスパイ小説が何の加減か現実になりつつあり、著者であるエリー自身が狙われているらしい。えっどういうこと?と思う間もなく次々と送られてくる刺客。エイダンは見た目はパッとしないおじさんですが、腕は立つのでエリーを守ります。しかし彼自身もなにかを隠しているらしい。そしてアッと驚く真相が…。

 

X-MEN:ファースト・ジェネレーション』『キングスマン』でスパイ映画への深い愛を示し「こいつは信頼できるぜ!」と一部好事家からの支持をガッチリ得ていたマシュー・ヴォーンの新作はまたまたスパイ映画。予告編を見るかぎり、なんかハーレクイン・ロマンみたいな話だな〜、女流作家とスパイってなに?『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』かな?と勝手に想像していました。

 

しかし…始まってみると、どうも話がハッキリしない。架空であるはずのスパイ小説が現実になっていくという話ですが、いったい何故そうなっているのか、一体いま映画の中で何が起こっているのか、観ていていまひとつピンとこない。そうでなくても「ヒロインとスパイとの逃避行」みたいなコテコテのラブロマンスなのでは、と思われ、これは…マシューやっちまったか?もしかしたらいま自分はものすごい地雷を踏んでいるのか…?と鑑賞しながら顔が真顔になってしまうわけです。

 

ただし、中盤までは。

 

ここから先は重大なネタバレになるので語りませんが、ちょうど映画も後半に入る辺りで話の真相が語られ、なるほど、そういうことだったか!と膝を打ってから映画は俄然持ち直しました。話としては以後が本番でエンジンもフル回転なのですが、ちょっとでも見せるとネタバレになってしまう以上予告編でも触れられないので宣伝の人は頭を抱えたんじゃないか。こっから先が見せ場たっぷりなのにねえ…。

 

キングスマン』でキレキレのアクションを見せたマシュー・ヴォーンの手腕は健在で、後半の「煙幕ダンス」「原油ス◯◯ト」とかもうさいこう!ギャハハ!と大笑いですし、エリー役のブライス・ダラス・ハワードも大変チャーミングなんですが、しかしこれやっぱり予告編には出せないよねえ…。むずかしいよねえ…。興行もあちらじゃパッとしなかったみたいですし、続編の話が立ち消えになっちゃわないか心配です。

 

というわけで、鑑賞後は大変満足したわけですが、前半の語り口の未整理さ、何が起こっているのか観客を置き去りにしがちなところが惜しかったですね。ところどころ作りが荒っぽいのも勿体ない。なお、予告編では猫があちこちに出てきて、しかも扱いが雑なのでご心配の向きもあろうかと思いますが、猫は死なないので安心して御覧ください。

 

 

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最近観た映画のメモ(2024年3月)

黄龍の村』(2021)監督:阪元裕吾

 

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初見。ネトフリで評判になってるらしく、尺のコンパクトさ(66分)もあって観てみました。キャンプに出かけたウェ〜イ度の高い男女8人( ま た か )。お決まりのウェ〜イ行為を野放図に繰り広げるため観客のイラつきメーターは早期のレッドゾーン突入を実現します。しかし山の中で車がパンクしてこれは困った、ということでお近くの村落に助けを求めたところ、そこは恐るべき因習がはびこる恐怖の村なのでした。という話。

 

…とだけ書くと、今どき激安DVDでももう少しひねった設定にするだろ、という惰性感あふれる凡作ホラーのようですが、そう見せかけて実は…という映画なので可能な限りネタバレを避けて観ていただきたい。全編にみなぎる低予算感と演出&脚本&演技の荒っぽさは如何ともし難いものがありますが、そこを勢いとアイディアでゴリ押ししてくる怪作です。

 

とはいえホラーとしてザラッっした不穏さを感じさせるものもあって(以下はネタバレじゃないですよ)、村の因習とか儀式とか、まあお決まりの感じのが出てくるんですが、これがなんというか、伝統も品位も感じさせない絶望的なまでに雑で安いディティール。例えば因習にまつわる儀式がヤンキーのバーベキューみたいだったり、お供え物にマヨネーズがかけてあったり、村人も田舎のヤンキーが成長しないまま年だけ取ってしまったような佇まいで、現代社会の安っぽい部分と田舎の閉鎖性が悪魔合体したみたいな、観ていて暗澹たる気持ちになるディティールで描かれています。そのどうしようもない安さの為に人が死ぬ、というやりきれなさと不条理さ。平山夢明のイエロートラッシュ小説みたいな恐ろしさがあります。

 

この安さが指し示すものは文化からも豊かさからも取り残された共同体の、垢じみた臭いのする閉鎖性です。『脱出』や『悪魔のいけにえ』に見られるようなアメリカの田舎のあの恐ろしさを日本の山奥に翻案してみせ、しかもそれは今の日本にありふれているものでもあるんだぜ、ということを感じさせてヒヤリとさせます。

 

というような感慨も後半の超展開で吹っ飛びますが、それ自体が今の日本の行き詰まった状況へのカウンターであるところが面白かったです。

 

 

 

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『ザ・キラー』(2023)監督:デヴィッド・フィンチャー

 

 

初見。なにげにネトフリオリジナルの映画は初めてかも知れん。ミヒャエル・ファスベンダーはプロの殺し屋。ちょっと前からターゲットを狙撃すべくポイントに籠城し、俺って凄かろ?的なニュアンスを匂わせながらプロフェッショナルとしての哲学をモノローグで語り倒します。ようやくターゲットが現れたので満を持してこれを狙撃するも、うっかり失敗。何しとんの。さっきまで並べ立ててたゴタクは一体…となるなか殺し屋は一流の逃げ足を見せ無事国外に脱出。アジトに帰りますがそこには失敗を彼の死で贖おうとする組織の手がのびており、というお話。

 

最初は『メカニック』(ブロンソンの方)みたいな殺しのマエストロっぷりをフィンチャーのタッチで存分に楽しめる映画かと思ってたんですが、どうも思ってたんと違う。こっちの方は確かに手段も手際も洗練されていて、モノローグでイキり倒すだけのことは、まあ…あるのですが、肝心な場面でちょくちょくやらかすので観ていてこいつほんとに大丈夫か。という気分になってきます。

 

完璧な殺し屋など存在しないし、やらかしにもアドリブで対処できてこそプロ、ということかもしれませんが、その割にモノローグだけは常にスカしているので、もしかしたらこれってそういうギャグなのかな?というような疑惑も生まれてきます。しかしフィンチャーはふざけた感じは一切出さずクソ真面目にいつもの冷たいタッチで話を進めており、いくつか出てくる殺しの現場も十分スリリングなので、見ているこっちはいったい何を感得しながら観ればいいのか、ちょっと宙ぶらりんな気持ちになってしまうのも確か。

 

最後は組織との対決を終えた殺し屋のモノローグで締められるのですが、さすがに自らのやらかしで面倒くさい後始末をするハメになったのを反省したのか、俺も結局凡百の男だよ的な殊勝な結論に達していて、職業殺し屋の世界も実際のところは地道で面白みがなく普通の仕事と変わらないものなのだよ、みたいな皮肉が込められているのが、やっぱりこの映画はギャグだったのかな?と考えてしまう所以です。

 

ティルダ・スウィントンが同業者として出てきますが、死を覚悟したあとキープしてある自分のボトルを出させて高そうなウイスキーを惜しげもなくガブ飲みするシーンがあり、うわっ羨ましい飲み方してなさるうう、とそこはヨダレが出ました。おわり。

 

 

 

 

 

小さな巨人』(1970)監督:アーサー・ペン

 

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初見。オロCの映画じゃないよ。昭和もすっかり記憶の彼方ですね。養老院で暮らす御年121歳のダスティン・ホフマン。彼が語る波乱万丈にも程がある人生。波乱万丈過ぎてこれじじいのホラじゃねえのかという雰囲気もありますがそれがまたいい。10歳の彼は両親をネイティブ・アメリカンの襲撃で亡くしますが、途方に暮れたところをシャイアン族に拾われ育てられ、白人ながら家族同様に育てられます。成長して白人との戦いに襲撃したところを今度は白人に拾われ、そこから先は白人社会で詐欺の片棒をかついだりガンマンデビューしたり結婚したりまたシャイアン族に出戻ったり、はしばしで同胞や家族を白人の襲撃で失ったりと散々な目にあうのでした。

 

それまでの西部劇においては、「インディアン=白人の敵」という固定観念で語られていた所を、いやこれ白人の横暴でしょう、という視点で見直した歴史の転換点にある重要作で、アメリカン・ニューシネマの代表作ともされている映画です。そうした歴史的意義は観ていて十分感じられますが、その一方で西部を舞台にしたホラ話としての側面がおかしく、飄々としたダスティン・ホフマンの演技も相まって、ヌケヌケとした語り口のコメディとなっています。

 

また白人によるネイティブ・アメリカン迫害もはっきり描いていて、欲と偏見と驕りに凝り固まった白人よりも、万物をあるがままに受け入れ自然と一体になって暮らすネイティブ・アメリカンのほうがよほど人間味にあふれており、白人とネイティブ・アメリカンの戦いは明らかに強者による虐殺でしかなく、さらに彼らの境界を行き来する主人公からすれば、同胞であるはずの白人からもネイティブ・アメリカンからも襲われる大不条理でしかありません。狂言回しである主人公を通じて、争いの無意味さが浮かび上がってくるのでした。

 

脇の登場人物がよく、出てくるたびに体の一部が欠損していく詐欺師マーティン・バルサム、一見敬虔なクリスチャンですが実はいつもムラムラしているフェイ・ダナウェイなど妙におかしい。シャイアン族の酋長で主人公の養父を演じたチーフ・ダン・ジョージは風格ある容貌と懐の広い人間性、物静かな表情の中に見せる深い愛情と滋味で、この映画の美点を一身で表現する名演でした。

 

最近読んだ本のメモ(2024年2月)

ちかごろ短編集ばっか読んでる気が。

 

 

火星年代記レイ・ブラッドベリ(ハヤカワ文庫)

 

火星年代記 (ハヤカワ文庫SF)

 

初読。火星への探検を始めた地球人、そしてやってきた地球人に対峙する火星人。火星に入植し定着してゆく人類と全面戦争で滅びる地球、という物語を26の短編と断章で綴った年代記。…とまとめるとハードなSFの香りがしますが、視点はその時々を生きる市井の人々とその生活にあり、筆致は詩のように静かで柔らかく、時として物悲しく、時として寂寞で、たまにドタバタ笑劇も入ってたりしてますが、読後はそこはかとないうら寂しさ、無常感に包まれます。一方で近代の科学文明やアメリカの文化風習に対する風刺や批評性があり、また一方で奔放な想像力で描かれたファンタジックな描写があり、多彩な面を持った小説でした。こんな叙情的なSFもあるんだなあ…。

 

 

 

「ブラウン神父の童心」G.K.チェスタトン創元推理文庫

 

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

 

うーん、たぶん15年ぶり3度目くらい。なんでしょう、韜晦気味の文章のせいか過去2回とも読み飛ばし気味で、今回3度目にしてやっと味読した感じ。話もトリックもかなり忘れてました。すいません。

 

短躯に丸顔、丸い鼻という一見無能そうな外見のブラウン神父ですが、秘めたる超人的な洞察力で怪事件をズバッと解決、というおなじみの短編集。黎明期のミステリにおいて数々のトリックの原型を作ったとされる名シリーズです。三読めにして気づきましたが(遅っ)、トリックは意外に無理めな物があり、「神の鉄槌」「アポロの眼」など、19世紀が舞台ということを差し引いても「そうはならんやろ」というものがチラホラあります。しかし皮肉と逆説に満ちたひねくれ文章がそれをカバーし、ねじくれたモノの見方、批評精神で小説の中の価値観を揺さぶって無理目のトリックも成り立つように見せてしまうのがこの本の凄いとこでしょう。

 

思い込みや常識の裏をかく「奇妙な足音」「見えない男」といった傑作が揃いますが、この本では有名な「賢い人は木の葉をどこに隠すかな?」「森でしょ」という警句を含んだ「折れた剣」が抜きん出て凄い。木の葉を隠すために森を作るという逆転の着想に、人間の悪辣さや残虐さをこれでもかと描いた陰惨な真相、さらに過去の事件を当時の文献や存命者の証言から推理する趣向、と贅沢を極めた一編です。その他、トリックの巧妙さもさることながら、川下りしながら夜空を見上げる情景がことに美しく印象を残す「サラディン公の罪」、荒れ谷にそびえる古城の不条理な謎と意外な真相を、徹底したゴシック風味で描く「イズレイル・ガウの誉れ」など、描写の味わいと内容の良さが結びついた傑作が並んでます。中村保男の訳は格調高いですが、現代の眼からみると読みづらさは否めないので、このへん新訳だとどうなってるんでしょう。読み比べてみたいですね。

 

 

「ブラウン神父の知恵」G.K.チェスタトン創元推理文庫

 

ブラウン神父の知恵 (創元推理文庫)

 

で、その続きを買って読んでみました。前作ほど有名なネタがないせいか印象は地味ですが、「イルシュ博士の決闘」といった大ネタや、「泥棒天国」「紫の鬘」といった意外な結末の佳作が並びます。

 

20世紀初頭の小説だけあって、人種的な偏見も20世紀初頭のそれなので、読んでて気まずい箇所がチラホラ。古典のこうした点を今になって修正してしまおうという動きがあるそうで、クリスティの名作などがその標的になっているという話も聞きます。しかし、これはこれで当時の社会の在りようをそのまま描いたものとして残しておくべきですし、百歩譲って改定するにしても、オリジナルはオリジナルのまま別に残しておくべきでしょう。差別はなくすべきだけど、存在した差別をなかったことにしてはいけません。過去から学ぶ手段は残して置かないと。

 

 

 

「未来世界から来た男」フレドリック・ブラウン(創元SF文庫)

 

フレドリックブラウンまっ白な嘘未来世界から来た男2冊セット創元推理文庫/創元SF文庫Fredric Brown

 

初読。短編の名手による、SFとミステリ両方のショートショートが楽しめるオトクな一冊。ごく短いものから、普通の短編と言っていいボリュームのものまでたくさん入ってますが、プロットが骨組みのまま書かれたようなショートショートよりも、語り口や描写のうまさを味わえる分、短編のほうが読み応えがありますね。

最近見た映画のメモ(2024年2月 その2)

観たい映画を全部観るには人生は短すぎやしませんか。どうですか。

 

 

 

駅馬車』(1939)監督;ジョン・フォード

 

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初見。お勉強のため鑑賞。恥ずかしながら初ジョン・フォード駅馬車とは今の乗合バスの馬車版です。アメリカの西部開拓時代、町と町とを繋いでいた駅馬車に乗り合わせた人々…飲んだくれの医者、町を追われた女、身重の中尉婦人、キザな賭博師、気弱なセールスマン、横柄な銀行家、そして保安官に御者。彼らはネイティヴ・アメリカンの襲撃を恐れながら町を出発しますが、途中から脱獄囚(ジョン・ウェイン)が乗り込んできます。様々な人間模様が交錯する小さな駅馬車は果たして無事目的地にたどり着けるのであろうか、というお話。

 

目的地にむけて危険な地を通り抜ける、というシンプルな筋立てですが、狭い駅馬車内が社会の縮図になっていて、前半はその人間模様が描かれ、簡潔ながらも適格な描写でキャラの彫り込みがなされております。対立やロマンスや出産といった出来事でそれが深められていく過程がうまい。また、道中、進むか戻るかを議論や多数決で民主的に決めているあたりが実にアメリカっぽいですね。『ポセイドン・アドベンチャー』みたいな後世の名作のひな形をみる気がします。

 

後半、アパッチの皆様がオホオホ言いながら襲ってくるわけで、ネイティヴ・アメリカンを問答無用の悪役に据えているあたりは今の目で見ると大変居心地がバッドなのですが、まあこういう歴史観が一般的だった頃の映画ですね。この襲撃シーンのアクションがすごく、疾走する駅馬車に馬を並走させながら飛び移ったり、そこから落馬して馬に踏まれながら車の下をくぐったり、御者台から馬に飛び移って背中を飛び石にしながら先頭の馬に乗ったりと、残機がいくつあっても足りないレベルの危険なアクションが連発され、昔の西部劇も一時期の香港映画みたいだったのだなあ、と感無量です。

 

ここのアクションがあまりに凄いため、このあとジョン・ウェインが町で宿敵と相まみえる下りが蛇足にすら見えてしまうのが痛し痒しですが、明快なストーリーに豪快なアクション、丁寧に描きこまれた人間模様、という充実した娯楽映画でした。名作と言われるのもうなずけます。

 

 

 

雨に唄えば』(1952)監督:ジーン・ケリースタンリー・ドーネン

 

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初見。タイトル曲と雨のなかのダンスシーンがあまりに有名なミュージカル映画ですが、意外とそれ以外の点は知らなくて、これもお勉強として履修。まったく勉強不足にもホドってものが…。タイトル曲も含めて、既存の曲をありあわせて作ったミュージカルだけあって、内容的には気楽に観られるライトなコメディで、サイレントからトーキーへの過渡期の、ハリウッドの内幕を描いた一種のバックステージものです。トーキー黎明期の録音の試行錯誤とか(このへんは『ようこそ映画音響の世界へ』でも取り上げられてましたね)、発声に苦労する映画俳優(それまでは喋る必要がなかったですからね)とか、映画音響史的に興味深いシーンがいくつか。

 

しかしそういった部分を圧倒するミュージカル部分の凄さ!顔が油粘土に入れ歯を挿したみたいな質感ジーン・ケリーですが、身体のキレは凄まじく、タップダンスを多用した激しい振り付けを完璧にこなし、相方のドナルド・オコナーも壁の駆けのぼりなどの曲芸に時折みせる顔芸でこれまた完璧。二人が並んでズダダダダダと見事にシンクロしながらみせるタップなどはまさに圧巻。これはすごい。昔のハリウッドのミュージカルを舐めてました。全然現代にも通用するじゃないですか。すみませんでした。

 

思いつきを次々投入したような構成と、脚本家が現場で書いたみたいなザッカケな話ではあるんですが、一つ一つのパフォーマンスが異常に高レベルで次から次へと出てきますから、そんなことは観ててもうどうでも良くなりましたね。例の雨のシーンも、ウキウキする曲と完璧な振り付けと計算されたカメラワークで恋の高揚感が見事に表現されています。みていて思わず笑顔になる幸福感に満ちた一本です。必見。

 

 

 

 

『哀れなるものたち』(2023)監督:ヨルゴス・ランティモス

 

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現在公開中。マッドサイエンティストが身投げした妊婦の死体を拾い、胎児の脳を母親に移植。大人の身体を獲得した赤ん坊は成長して冒険の旅にでるのでした。というブラックかつ狂った幻想譚。凄いのは「冒険」のなかに性行為をバッチリ含んでいる点でして、そのものズバリな性描写があちこちに炸裂しまくっておりますが、扱いがあっけらかんとしているため猥褻な感じはまるでなくむしろ滑稽ですらあり、さらに美しい撮影と美術で描かれているため観ていてこれはいったいどういう気持で見てればいいのか混乱さえ覚えます。無粋な修正が入ってないのは大変よろしいですね。

 

身体は大人、頭は子供という逆コナン君状態の主人公は人間が根源的に持つ冒険心、好奇心を燃料に冒険の旅を続けていきます。初めは言い寄ってくる大人におもちゃにされたり騙されたりするので大変な苦難の道のように思えますが、急速に発達する知性によって彼女はあらゆる体験を冷静に分析する客観性と窮地を切り抜けるための合理性を獲得し、一人の人間としてめざましく成長。自分の自由を奪おうとするあらゆるものにNoを突きつけるのでした。それゆえ描写や行為やセリフのきわどさ、不道徳さにもかからわずこの映画は清々しい後味すらあります。

 

女性であるがためにある種の人間の支配下に押し込められ自由を奪われることについてこの映画は明確にNoを宣言しており、そういった意味では女性解放映画であるとも言えますが、もっと根源的な、性別を問わない魂の自由についてこの映画は触れていると思います。エマ・ストーンが、おしっこをもらす赤子状態から自我と性に目覚めた少女状態、さらに知性を獲得して有害な男性性に対峙する強い意志の者状態へと成長してゆくその様子を、見た目は全く変化しないまま大変リニアかつ自然に演じ切ってておりすげえなと思いました。映画ともども、オスカーに非常に近いところにいるのではないでしょうか。

 

あと、顔面が縫い目だらけのマッドサイエンティストを演じたウィレム・デフォーが醜怪な容貌のなかに複雑な人生観と愛情とを垣間見せる渋い演技です。アカデミー賞にノミネートするなら、主人公をかどわかした結果破滅するヤリチン弁護士を演じたマーク・ラファロよりこちらだったのではという気もします。

 

最近観た映画のメモ(2024年2月)

時間を作ってちまちま観ています。

 

 

レイジング・ブル』(1980)監督:マーティン・スコセッシ

 

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初見。「怒れる雄牛」の異名を持つ実在のボクサー、ジェイク・ラモッタの栄光とその内幕を、当時のイタリア系アメリカ人社会の裏表を絡めつつ描く伝記映画。主演のジェイクがロバート・デ・ニーロ、その弟がジョー・ペシで、マフィアも濃厚に絡んでくるため後の『グッドフェローズ』とか『カジノ』の原型を見る思いです。とはいえこの映画はマフィアではなく、ジェイク・ラモッタという良く言えば複雑な、悪く言えば人格破綻した人間にフォーカスしています。

 

このジェイクさん、打たれても打たれてもダウンしない強靭な肉体が武器ですが、一方で繊細というか細かいというか疑り深く、常に周囲の者を疑ったり勘ぐったりして揉め事を起こしまくるという一人いるだけで周囲がボロボロに疲弊してゆくタイプの困った御仁。弟のジョー・ペシや妻のキャシー・モリアーティは家族なので嫌々付き合ってますが積年の面倒事に疲れ果てていき気の毒度がマキシマムです。

 

一方本人のジェイクはそんな鬼めんどくさい性格ながら一本気で純情な面も持ち合わせており、マフィアに八百長をやらされ負けるとロッカールームで子供のように号泣したり、妻に暴力を振るったあとシュンと反省して仲直りをもちかけたりします。このように人間はそもそも多面的で筋の通らないのが本然で、良くも悪くもそこに人情、人間味があるのだとこの映画は語ります。友達の家で遊んでたらそこの父ちゃん母ちゃんが壮絶な夫婦喧嘩を始めたようないたたまれなさに全編満ちていて鑑賞にはカロリーを要しますが、そういう話でしか描けない人生の断面や滋味もあるのです。きっと。

 

デ・ニーロ・アプローチという言葉を生んだ役作りの徹底っぷり(体型の変遷をみよ!)も凄いし、引き締まったモノクロ映像で冷徹に悲喜劇を綴るスコセッシの語り口もよろしい。最後、コメディアンとして第二の人生を送るジェイクさんが、楽屋の鏡の前で独り言をつぶやき自分を鼓舞して本番に向かうくだりは後年の『ブギーナイツ』とか『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』といった映画に影響を与えているとみた。たいへん面白かったです。

 

 

 

 

 

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オリエント急行殺人事件』(2017)監督:ケネス・ブラナー

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初見。なお原作と1975年の映画版は各3度ずつ履修済み。クリスティのあまりに有名な原作(とその結末)をいま映画化する意味ってなんだろうー、と公開時には思ってました。1975年版は完璧とまではいかずとも非常に満足度の高い映画化ですし。というわけでネトフリに来たのを観てみました。

 

 

現代的な撮影、美しい風景、今現在のオールスターキャスト競演という新味はありますが、内容的にはそれほど新しい要素はなく、人種問題に意識的に触れてもいますが特に本筋に絡むところではありませんね。古典化したクリスティの世界への現代的な入り口として、豪華キャストとオリエント急行の贅沢な競演を楽しみつつ、フーダニットの醍醐味を味わっていただきたい…ところですが、2時間を割るというコンパクトな尺が災いしたのか、その辺の書き込みが駆け足なので最後の種明かしが唐突になった感じは否めません。惜しいな。絵的には凝っていて、12人の容疑者が「最後の晩餐」よろしく長テーブルに並んで座っているなどの印象的なシーンはよかった。

 

 

キャスト面ですが、ジョニデなど豪華キャストの陰に隠れがちな感じでオリヴィア・コールマンが出てて、同じ年にオスカー獲ったのですがこのころはまだ扱いがすごく小さく気の毒。またデイジー・リドリーが出てて、ススススター・ウォーズのレイ!レイやないか!元気か!と親戚の娘さんに久しぶりに会ったような気持ちになれます。ケネス・ブラナーのポワロは、朝食へのこだわりとか変なヒゲでキャラを立てようとしてますが、それでもイケオジ感が隠しきれません。もちょっと三枚目でも良かったかもね。