きのうゴジキンも観てたいそう面白かったんですけど、感想は後日に。
『グレムリン』(1984)監督:ジョー・ダンテ
初見。発明狂の父ちゃんがチャイナタウンで買い求めた謎の動物「モグワイ」。大変可愛らしいのですが決して破ってはいけない「モグワイ飼育三つの掟」があるのでした。いわく「光に当てない」「水をかけない」「真夜中を過ぎたら餌をやらない」さもなければ…という掟をきちんと守る映画があるわけもなく、モグワイは増殖して凶悪なグレムリンと化しクリスマスの街で暴れまわるのでした、というお話。
1984年公開ですから、映画におけるCGはまだ黎明期ですらなく、いわゆるアナログな特撮(SFX)の全盛期。その技術が極まりかかってたころの映画なので特撮はたしかに凄い。CGとはまた違う質感と、アナログの技術を凝らした匠の技が光ります。モグワイの豊かな表情や目の演技は必見。恐るべき手間がかかってます。今じゃこういうクリーチャーは全部CGで作っちゃう時代になって久しいですが、アナログのこの実在感はCGには出せない「ならでは」の味でしょう。こういう技術っていま継承されてるんですかね。ロスト・テクノロジーにならなきゃいいけど。
劇中、やたら外国製品を目の敵にしている退役軍人がいたり、モグワイがチャイナタウンの出だったり、暴れまわるグレムリンがスラムの黒人っぽかったりと、なんとなく当時の文化摩擦を匂わせる描写があってどうしてもそういう点は深読みしてしまいますが、扱いがあまりに無邪気すぎるのであんまり深く考えずに入れたんだろうな〜、と怒る気も起きません。現在なら炎上しちゃって一大事でしょうが当時SNSなんてものはある訳もない。大ヒット映画にもかかわらずリブートの話がとんと聞かれないのはこういう文化的、人種的摩擦を投影しやすい題材だからではないでしょうか。
クリスマスの夜の騒動、という点でちょっと既視感があるな〜と思ってましたが、脚本がクリス・コロンバスで、ああこれがのちの『ホーム・アローン』に発展してくのか、と妙に納得。それとフィービー・ケイツはとてもカワイイですね。ただ娯楽映画としてはちょっとゆるい出来で、これがあの悪ふざけ極まるド怪作『グレムリン2 新・種・誕・生』の前作なの?と拍子抜けしましたが、まあいきなり2を観てしまった私がどうかしているのでしょう。
『ブルース・ブラザーズ2000』(1998)監督:ジョン・ランディス
初見。前作のドタバタから18年。出所したブルース・ブラザーズの片割れエルウッドは兄弟であるジェイクの死を知らされます。一人路傍でうなだれるエルウッドの姿が寂しく悲しい。しかしいろいろあって新しい相棒に孤児のバスターとバーテンのマックを得て、ブルース・ブラザーズ・バンドを再結成するべく散り散りになったかつての仲間を探して騒動をまきおこし…という話。
もはやカルト映画となった前作『ブルース・ブラザーズ』ですが、その魅力の大きな部分を担っていたジョン・ベルーシがもうこの世にいないだけにその穴は埋め難く、観ながらここにベルーシがおったらなあ…と無いものねだりをしてしまうのは仕方ないでしょう。とはいえ、前作の登場人物が故人以外全員再登場しているのがうれしく、みんなそれなりに歳をとってますけどまあよくぞ集まってくれた、と同窓会的なうれしさがあり、またちょっとしんみりします。
ただ映画としては全然まとまってなくて、エルウッドと孤児の心の交流とか、死んだジェイクへの追慕とか、そういうあって然るべき要素がごっそり抜け落ちてたり、ストーリーの軸にも前作での「孤児院の存続の危機」というような切迫感がなく、最後なんか黒魔術の女王が魔法でなんとかしちゃうぜみたいな適当さで、それでええんか。という気になってしまいそうなところですが…。
しかし、最後の対バン対決でライバルとして登場する地元の素人バンドが全部持ってっちゃいました。エリック・クラプトン、B.B.キング、ボ・ディドリー、スティーブ・ウィンウッド、アイザック・ヘイズ、グローヴァー・ワシントン・ジュニア、ドクター・ジョン、ビリー・プレストン、そのほかブルースの重鎮たちが一同に会して繰り広げる一大ジャム!とくにB.B.キングは堂々の貫禄とシャウトでもうサイコー。あのクラプトンもキングの迫力に当てられたのか緊張の面持ちです。こういう豪華にもホドがある顔合わせを見せられたのでもう細かいところはどうでも良くなっちゃった。仮にあなたが草野球の大会に出たとして、来た相手が大谷とイチローと野茂と掛布とバースと王と長嶋だった、という場合どうか。もう試合とか結果とかそんなことはどうでもいいでしょう。そういうことです。
というような力技でねじ伏せに来る映画で、そういう意味では大満足。ジェームズ・ブラウンやアレサ・フランクリンを始め、ここに出られてるミュージシャンの皆様もだいぶ鬼籍に入られてますし、今となっては貴重な映画でした。
『大脱走』(1963)監督:ジョン・スタージェス
こんな「わー」みたいは場面はないですが
初見。いやーこれは懐かしい。小学生のころ「大脱走マーチ」を音楽の時間に縦笛で吹いた思ひ出。これってよその学校でもやってたんですかね?先生の趣味?
第二次大戦中。ドイツ軍の捕虜収容所にまた新顔が送られてきます。新顔と言っても脱走の前科だらけの曲者ばかりでした。キリがない脱走に手を焼いたドイツ軍は常習犯どもを一箇所に集めて厳重な監視下に置きます。しかしそんなことぐらいじゃへこたれない猛者どもはさっそく計画を練り、前代未聞の250人脱走を企てるのでしたが…というお話。
脱走するやつらが、スティーブ・マックイーン、ジェームズ・ガーナー、ドナルド・プレザンス、リチャード・アッテンボロー、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、デビッド・マッカラムと、んまあどいつもこいつも曲者揃いで、こんな人の言う事などいっこも聞かなさそうな連中が大人しく収容されているわけもありません。義務と権利のように脱走を企てるのでした。この不屈の姿勢がじつにいい。腐らずクヨクヨせずただ自由を求めて前を向く姿がカッコいいのです。
しかし250人規模の脱走とあっては計画もまた大きく、トンネルを掘る、逃走用の服をちくちく縫う、身分証を偽造する、などの細かいワザをみせ、それぞれ専任のエキスパートが揃っていたりと人材も充実。それをドイツ軍の監視をかいくぐってコツコツやってくあたりに面白みがあります。みていてだいぶ牧歌的というか、ドイツ軍もちょっと監視の目がゆるくない?なんて思っちゃうのはいろいろ世知辛い現代の視点だからでしょうね。
かくていろいろあったものの脱走は一部成功。76人まで脱走に成功した所で計画が発覚してしまいます。ここからは脱走した連中がいかにドイツの捜査網をかいくぐって逃げ延びるかに話が移り、鉄道、自転車、ヒッチハイク、バイク、船など各人散り散りになっての逃避行。マックイーンがバイクで平原を駆け抜ける有名なシーンもここですね。
男同士の友情の物語としても熱く、独房仲間を殺されて脱走計画への参加を決意するマックイーン、トンネル掘り師なのに実は閉所恐怖症で(えっ?)挫けそうなところを仲間に励まされるブロンソン、偽造仕事で目を酷使して失明してしまったドナルド・プレザンスが足手まといとして見捨てられそうになったところを、俺がついていくから!とかばって以後ずっと寄り添うジェームズ・ガーナーなど、細かい所で描かれる友情がたいへん熱いのです。しかしドナルド・プレザンスがお姫様ポジションの逃避行ってすごいな。余りに貴重すぎないか。
脱走に成功するのはほんの一握りで、殆どは捕らえられたり殺されたりします。しかしそこでウェットに嘆かず、ふてぶてしく次の計画を匂わせるあたりがカラッとしててとってもいいですね。あっという間の3時間弱。不屈の男たちの傑作でした。