五時四十分起床。うっすらと寒いのだが暖房を入れるのは躊躇われる程度で、春分を過ぎたのだからこの程度なのだろうなあ、とは感じるものの、まだ桜の開花は遠いようにも思える。
仕事。朝から事務処理のために法務局、郵便局、銀行を回る。月末で年度末でもあるので妙に慌ただしい。
午後からは某ウェビナーに参加。終了後は某葬儀会社の案件にじっくり取り組んだ。
井戸川射子「無形(10)」(「群像」2024年4月号掲載)。餅つき大会。きな粉餅とビールの取り合わせは気持ち悪そうだ。
四時、寒くて目が覚めてしまう。毛布を一枚余計にかけるとすぐ落ち着いた。まだまだ冬の名残はつづく、ということか。今年は早めに咲くなどと言われていた桜も、開花にはまだ遠そうだ。
五時四十分起床。今度は寒くない。
仕事。某Web案件の企画。先日の打ち合わせで問題があるとわかった部分を一つずつ丁寧につぶしていく。対応していくと、そのぶんだけ内容がよくなっていくのが楽しい。
午後、キヤノンのサービスマンの方が来訪。厚紙だけプリントの色調がおかしいので直していただいた。今度の機種は、普通紙と厚紙で色調を別々に設定する必要があるのだそうだ。厚紙のほうの設定だけ問題があったらしい。
夕方、妻とクイーンズ伊勢丹へ。食品あれこれ。
戻ってからは、資料の確認をしていたらあっという間に二十時になってしまったので店じまい。暇な気がしていたのだが、意外に慌ただしい。
堀江敏幸「二月のつぎに七月が(最終回)」(「群像」2024年4月号掲載)。心配さや堂々巡りするような感覚が渦巻く中で触れる人のやさしさ。物語性はほとんどないといってもいい作品と思っていたが、すべてはこのラストのための伏線だったと言えなくもない……のかな。
五時四十分起床。朝の冷え込みはほとんど感じないが、その引き換え、という言葉は妥当ではなさそうだが、春の雨でわずかに気温と湿度が上がっている感じがする。そろそろ桜が咲く時期でもあるが、この雨がどう影響するのだろう。
仕事。朝イチで経理関連をこなし、銀行を回る。
午後は浜松町へ。某案件の会議に参加。和やかでしばしば冗談も出てくる。駅ナカで沖縄物産展をやっていたので、サーターアンダギーを買って帰った。
夕方は事務処理に終始。雨はやんでいるが、夜中からまた降りはじめ、気温はかなり下がるらしい。
堀江敏幸「二月のつぎに七月が(最終回)」(「群像」2024年4月号掲載)。まだ冒頭だけなのだが…和やかな会話の中に、ちらほらと悲しみや切なさが見え隠れするのだが、それが昇華されそうな予感。
今朝も五時四十分起床。熟睡できていなかったのか、しつこい眠気をいつまでも引きずる、そんな感覚があった。
今日も仕事は休みだが、スケジュールの確認など最低限のことだけを朝のうちにこなし、その後は掃除。終了後は読書、と本を開いたものの、二行読むごとに意識を失う、というおかしな状況に。眠気がますます強くなったので、一時間ほど横になった。昼食後もまだまだ眠いので、さらに一時間少々横になって、ようやく多少すっきりした。
その後、妻と長めのウォーキング兼買い出し。葉物中心で野菜などを購入。戻ってからは本を読んだが、今度は意識を失うことなく、きちんと読めた。
夕方からはタイムフリーで「爆笑問題カーボーイ」を聴きながら、ストレッチを念入りに。太田さんが、坂本龍一の「地雷ZERO」の話をしていた。あのドキュメンタリーを見たのは初めてだったみたい。
読書は工藤庸子「文学ノート・大江健三郎(8) Ⅲ 神話・歴史・伝承 『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』」(「群像」2024年4月号掲載)。蓮實重彦の『大江健三郎論』にも触れられていた。難解なのか表層的すぎるのか、よくわからん。
五時四十分起床。小雨。春は何かと天気が崩れやすい。近頃は袴姿の、大学の卒業式らしい女の子をちらほら見かけるが、自分の卒業式は前日に大雪が降って足元が悪かったことを思い出した。
十一時半、妻と外出。西荻窪駅で妻の友人Mさんと合流し、祖師ヶ谷大蔵へ。お気に入りの「ルフージュカフェ」で昼食。その後、妻も何度か利用したことがある「ギャラリー・パウパッド」で開催されているさくら猫(地域猫)展へ。作家さん、オーナーさんにご挨拶。今年も愛情あふれる写真がいっぱいだった。
荻窪で買い物をしてから帰宅。夜はなぜか異様に眠くなってしまい、早めに寝るつもりだったのだが、テレビがおもしろくて見入ってしまった。
高橋源一郎「オオカミの(3)」(「群像」2024年4月号掲載)。過去を懐かしむ感じが強い。あらゆるモノゴトが崩壊しつつある現代への警鐘のように読めてしまう。