地方消滅

このままだと日本、人口減っていってヤバイよ!って話を具体的に数字あげて示した本。「896の市区町村が消滅可能性あり!」っていうから、2040年までにガランとした市区町村がそれだけできてしまうのかと思ったら、「20~39歳の女性人口の減少率が5割以上」が定義。人口の計算上、出生率だけじゃなく当然っちゃ当然だけど産む女性の数の影響が大きいことがこの本でわかりました。
ヤバイよ!って示したあとこの本は、「地域から東京への流出ストップ」+「多くの人が結婚して子供もつ」にはどうしたらいいかということを主に検討。後者の議論はどうしても概してパターナリスティックというか…。個々人に対して「年金やらいろんな問題解決のために子を産んでください」というのはなんだか違うし、おそらく「社会のために」という気持ち一番で子どもを産む人もいないのでは。でも子を持ちたいと思ったときに障壁がないようにするというのは大事だとは思う。「どう社会をデザインしていくべきか」のヒントというのがこの本の位置づけということになると思う。
この本は「東京は子育て環境悪い」ってことを前提に書いているけど、そうなのか?、「子育てしやすい」ってなんだろうな、ということも読みながら考えた。東京に引っ越してきたけれど「子育てしづらくなった」とは感じない。入りたい人に対して保育所の受け入れ人数が足りていないことぐらいか(それが大きいか)。ただ、東京近郊に職場が集中している現状では、共働き家庭にとっては「子育てしやすい町」だからこそ「保育所が足りていない町」を選ばざるを得ないという関係も否定できない気がする。
一方で東京は、自分たちに関して言えば夫婦の両親とアクセスがよく、これがとても大きい。東京に集中していると言われる世代がさらに大きくなって祖父母世代になったらさらに東京近郊が「子育てしやすい」っていう人も増えるのかなあ。
魅力ある地方にしていくこと・地方がいろんなニーズにこたえられるようにすること・。自分の周りをみてても、自分自身興味があるからか、敢えて「地方」に行っている人も少なくないし、「地方を活性化させたい」と思っている人はわりといるんじゃないだろうか。
大事だと思うのは、帰ってきたい/地方へ移住すると思ったときに障壁がないようにすること。一方の配偶者の転勤先の地方銀行で働けるようになるっていう地方銀行みたいな取組が広がったらいいと思う。

慰安婦問題とはなんだったのか

読んでみたらアジア女性基金の活動記録だった。大沼先生は理事として奮闘したらしい。民間からの基金と政府とで半分ずつの拠出という中間の立ち位置だったがゆえに右派からも左派からもバッシングされたそうだ。
「カネの問題ではない、大事なのは気持ちなのだ」とメディアやNGOが声を大にすることにより、基金からのお金を受け取りにくくなってしまうというメディアとNGOの責任を指摘。慰安婦問題の被害者もいろいろだし、「心からの謝罪がほしい、でもお金も必要だ」という被害者は、被害者像の美化により、「またカネで身を売るのか」という声により、受取りを申し出られなくなってしまった。被害者がいろいろなのはたしかにそうだ。特に韓国での受取り者へのバッシングがものすごかったみたい。
大沼さんは別のところで、この事業を通じて、韓国の知識人に絶望し、韓国は反日さえ言ってればいい体質だとまで書いていた。

それ、パワハラです

それ、パワハラです 何がアウトで、何がセーフか (光文社新書)

それ、パワハラです 何がアウトで、何がセーフか (光文社新書)

パワハラ事件に労働者側で多くかかわってきた弁護士が、自分の担当した事件を交えつつ、労働者が、パワハラに遭遇したときどうすべきかを書いた本。「何がアウトで何がセーフか」というサブタイトルからは、使用者側にパワハラのボーダーラインを教授する本のようにも思えてやや誤解を招く。
やはり大事なのは、証拠集め。ICレコーダーなりメモなり、客観的証拠にしておくことが必要。それからやはり手段として基本的に使い勝手がいいのは労働審判。費用は民事調停と同じ(200万の損害賠償請求なら7500円など)。
パワハラで難しいのは、言葉の暴力の「ひどさ」をどう立証するか。この本で取り上げられていた事例は、被害者が精神科を受診して何らかの病状と認定されていたものが多く、そうなると「それはひどい」と言いやすくなるけれども、そうでない場合に、どこまでがパワハラといいうるか。
最後「パワハラが起きる職場は、被害者を替えながらパワハラが繰り返される」ということが書いてあった。著者自身もなぜかは説明できないぐらいのようだけど、感覚として納得できる。

テキヤはどこからやってくるのか

お祭りであんずあめとかの出店をやってる露店商(テキヤさん)はどこからくるのか?などテキヤさんの研究をした本。一定の期間フィールドワークした筆者の努力がでてる。テキヤさんの歴史やしきたりなど面白かった。いろんなことを研究している人がいるんだね。
露店こんなふうに場所とか決まってたんだ…とか、地元の露店商と外からの露店商とがあるんだ…とか、親分子分関係があるんだ…とか、北海道・関東、関西、沖縄の3地域に分かれるんだ…とか。
テキヤさんは身近な人たちなんだということは分かったけれどもどういうふうに子分になっていくというか、弟子入りするのかというのはちょっとイメージがつかなかった。もしかしたら、あえてぼかしているのかもしれない。「7割商人、3割ヤクザ」というのはテキヤさん自身の言葉だそうだけれども。

育休世代のジレンマを読んで

「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか? (光文社新書)

「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか? (光文社新書)

「出産後も就労継続を志向する女性」(いわゆるバリキャリ?)の悩み・葛藤・その構造、そして解決策を検討したもの。ざっくりいうと「妊娠前のようにバリバリ働きたい」⇔「でも(十分な育児もしたいから)みんなと同じように働けない」「バリバリな仕事をやらせてくれない」というような。15人の女性にインタビュー・ケースを分析するという形で書かれているのだけど、「わかる〜」って話も多くすいすい読めました。
男女ともに働きやすくなるために必要とされているのは、第一にまさにこの本が「ケア責任」と名付ける責任の分散なんだと思う。子どもを育てるとなると、授乳・おむつ替え・泣いた時の対処・寝かしつけなんかから始まって、日中一緒に遊んであげる・危なくないよう見ててあげる・病気の時の対処等々いろんな「お世話」をする責任が待ってる。大人が生活するための家事も。産むことと母乳あげることは母親にしかできないけれど、それ以外は父母平等でいいはず。というところから「みんなが」出発するようにしないと解決しないと思う。
第二にそういう制約のある時期を「誰しもあるもの」として「適度な配慮」(この本では「過剰な配慮」=やりがいを感じられない「楽すぎる」仕事への配置も退職の一因になると指摘している)をしていく職場側の変革。成人男女の客観的な統計上も結婚して子供がいる人の方が多いのだから、子育てで大変な期間は一定の配慮をすればいいと思う。
私がこれまで見た限り、今の職場はこの面ではすごく「良い」部類なんだろうと思う。自分自身、子ども生むことが特段不利益とかそういう観念自体抱かなかった。そういえば「焦ることもあるかもしれないけど長い目で見れば変わらないから。」と言ってくれた先輩女性もいた。そして確かにその人自身、言ってくれた時点で十二分に能力を発揮・評価されているように見えたので「そうだよね」ぐらいにしか思わなかった。先輩女性たちは多くが子育てを経ている人だし、全体の男女比率に比べて管理職?の男女比率が劇的に変わっていないこともあると思う。育休明けの勤務地がどこであれ、「まあ今はそういう時期だな」程度にしか思わないと思う。
この本読んでてわかった、あと二つ、大きい要因は、仕事の「質」が変わらないということと、(たまたま上司の巡り合わせか?)男女問わず、子ども関係理由に早く帰ったり遅く来たりが、仕事に支障ない限り普通に行われていたことだと思う。
もしかしたら自分も目をそらそうとしているだけで、他の人から見たらそんなことないのかもしれない。でも育休とる側がこう思えるっていうのは大事だと思う。

認可保育園

最近いろんな保育園の見学に行く。
認可保育園・認証保育園・無認可保育園・保育ママ、この違いはいったい何?と思ったので調べてみた。まず認可保育園について。

認可保育園は、児童福祉法第35条第3項に基づき区市町村が設置を届け出た、または同条第4項に基づき、民間事業者等が都道府県知事の認可を受け設置した児童福祉施設
児童福祉施設最低基準」を満たしていなければならない。整理すると、

    1. 施設

0,1歳児が入る場合には、一定の広さの乳児室(1人1.65㎡〜)又はほふく室(1人3.3㎡〜)、医務室、調理室・便所が必要。
2歳児以上が入る場合は一定の広さの保育室又は遊戯室、屋外遊戯場、調理室・便所が必要。ただし屋外遊技場は、近くの公園でも代替可。

    1. 職員

保育士(0歳3人につき1人、1〜2歳は6人につき1人、3〜4歳は20人につき1人。認定こども園での短時間利用児の例外あり)・嘱託医・調理員。ただし、調理業務全部委託なら調理員は不要。

    1. 保育時間

一日8時間が原則。

児童福祉施設最低基準 抜粋
(設備の基準)
第三十二条 保育所の設備の基準は、次のとおりとする。
一 乳児又は満二歳に満たない幼児を入所させる保育所には、乳児室又はほふく室、医務室、調理室及び便所を設けること。
二 乳児室の面積は、乳児又は前号の幼児一人につき一・六五平方メートル以上であること。
三 ほふく室の面積は、乳児又は第一号の幼児一人につき三・三平方メートル以上であること。
四 乳児室又はほふく室には、保育に必要な用具を備えること。
五 満二歳以上の幼児を入所させる保育所には、保育室又は遊戯室、屋外遊戯場(保育所の付近にある屋外遊戯場に代わるべき場所を含む。以下同じ。)、調理室及び
便所を設けること。
六 保育室又は遊戯室の面積は、前号の幼児一人につき一・九八平方メートル以上、屋外遊戯場の面積は、前号の幼児一人につき三・三平方メートル以上であること。
七 保育室又は遊戯室には、保育に必要な用具を備えること。
八 乳児室、ほふく室、保育室又は遊戯室(以下「保育室等」という。)を二階に設ける建物は、次のイ、ロ及びヘの要件に、保育室等を三階以上に設ける建物は、次のロ
からチまでの要件に該当するものであること。
建築基準法 (昭和二十五年法律第二百一号)第二条第九号の二 に規定する耐火建築物又は同条第九号の三 に規定する準耐火建築物(同号 ロに該当するものを除く。)であること。
ロ 保育室等が設けられている次の表の上欄に掲げる階に応じ、同表の中欄に掲げる区分ごとに、それぞれ同表の下欄に掲げる施設又は設備が一以上設けられているこ
と。
ハ ロに掲げる施設及び設備が避難上有効な位置に設けられ、かつ、保育室等の各部分からその一に至る歩行距離が三十メートル以下となるように設けられていること。
保育所の調理室(次に掲げる要件のいずれかに該当するものを除く。ニにおいて同じ。)以外の部分と保育所の調理室の部分が建築基準法第二条第七号 に規定する耐火構造の床若しくは壁又は建築基準法施行令第百十二条第一項 に規定する特定防火設備で区画されていること。この場合において、換気、暖房又は冷房の設備の風道が、当該床若しくは壁を貫通する部分又はこれに近接する部分に防火上有効にダンパーが設けられていること。
(1) スプリンクラー設備その他これに類するもので自動式のものが設けられていること。
(2) 調理用器具の種類に応じて有効な自動消火装置が設けられ、かつ、当該調理室の外部への延焼を防止するために必要な措置が講じられていること。
保育所の壁及び天井の室内に面する部分の仕上げを不燃材料でしていること。
ヘ 保育室等その他乳児又は幼児が出入し、又は通行する場所に、乳児又は幼児の転落事故を防止する設備が設けられていること。
ト 非常警報器具又は非常警報設備及び消防機関へ火災を通報する設備が設けられていること。
保育所のカーテン、敷物、建具等で可燃性のものについて防炎処理が施されていること。
認定こども園である保育所の設備の基準の特例)
第三十二条の二 認定こども園(就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律 (平成十八年法律第七十七号。以下「就学前保育等推進法」
という。)第六条第二項 に規定する認定こども園をいう。以下同じ。)である幼保連携施設(就学前保育等推進法第三条第二項 に規定する幼保連携施設をいう。以下同
じ。)を構成する保育所であつて、次の各号に掲げる基準を満たすものは、当該保育所の満三歳以上の幼児に対する食事の提供について、当該幼保連携施設外で調理し搬入する方法により行うことができる。この場合において、当該保育所は、当該食事の提供について当該方法によることとしてもなお当該保育所において行うことが必要な調理のための加熱、保存等の調理機能を有する設備を備えるものとする。
一 幼児に対する食事の提供の責任が当該保育所にあり、その管理者が、衛生面、栄養面等業務上必要な注意を果たし得るような体制及び調理業務の受託者との契約内容が確保されていること。
二 当該幼保連携施設又は他の施設、保健所、市町村等の栄養士により、献立等について栄養の観点からの指導が受けられる体制にある等、栄養士による必要な配慮が行われること。
三 調理業務の受託者を、当該保育所における給食の趣旨を十分に認識し、衛生面、栄養面等、調理業務を適切に遂行できる能力を有する者とすること。
四 幼児の年齢及び発達の段階並びに健康状態に応じた食事の提供や、アレルギー、アトピー等への配慮、必要な栄養素量の給与等、幼児の食事の内容、回数及び時機に適切に応じることができること。
五 食を通じた乳幼児の健全育成を図る観点から、乳幼児の発育及び発達の過程に応じて食に関し配慮すべき事項を定めた食育に関する計画に基づき食事を提供するよう努めること。
(職員)
第三十三条 保育所には、保育士、嘱託医及び調理員を置かなければならない。ただし、調理業務の全部を委託する施設にあつては、調理員を置かないことができる。
2 保育士の数は、乳児おおむね三人につき一人以上、満一歳以上満三歳に満たない幼児おおむね六人につき一人以上、満三歳以上満四歳に満たない幼児おおむね二十人につき一人以上(認定こども園である保育所(以下「認定保育所」という。)にあつては、幼稚園(学校教育法第一条 に規定する幼稚園をいう。以下同じ。)と同様に一日に四時間程度利用する幼児(以下「短時間利用児」という。)おおむね三十五人につき一人以上、一日に八時間程度利用する幼児(以下「長時間利用児」という。)おおむね二十人につき一人以上)、満四歳以上の幼児おおむね三十人につき一人以上(認定保育所にあつては、短時間利用児おおむね三十五人につき一人以上、長時間利用児おおむね三十人につき一人以上)とする。ただし、保育所一につき二人を下ることはできない。
(保育時間)
第三十四条 保育所における保育時間は、一日につき八時間を原則とし、その地方における乳児又は幼児の保護者の労働時間その他家庭の状況等を考慮して、保育所の長がこれを定める。
(保育の内容)
第三十五条 保育所における保育の内容は、健康状態の観察、服装等の異常の有無についての検査、自由遊び及び昼寝のほか、第十二条第一項に規定する健康診断を含むものとする。
(保護者との連絡)
第三十六条 保育所の長は、常に入所している乳児又は幼児の保護者と密接な連絡をとり、保育の内容等につき、その保護者の理解及び協力を得るよう努めなければならない。
(公正な選考)
第三十六条の二 就学前保育等推進法第十条第一項第五号 に規定する私立認定保育所は、就学前保育等推進法第十三条第二項 の規定により読み替えられた法第二十四条第三項 の規定により当該私立認定保育所に入所する児童を選考するときは、公正な方法により行わなければならない。
(利用料)
第三十六条の三 法第五十六条第三項 の規定による徴収金及び就学前保育等推進法第十三条第四項 の保育料(以下この条において「徴収金等」という。)以外に保育所が徴収金等に係る児童について提供するサービス(当該徴収金等を支払う者の選定により提供されるものを除く。)に関し当該者から利用料の支払を受ける場合にあつては、当該利用料の額は、当該サービスの実施に要する費用を勘案し、かつ、当該者の家計に与える影響を考慮して定めなければならない。

集団的自衛権と安全保障

集団的自衛権と安全保障 (岩波新書)

集団的自衛権と安全保障 (岩波新書)

豊下氏と古関氏がきれいに半分ずつ書いている。
豊下氏は、主に安倍首相の集団的自衛権についての論理を痛烈に批判。明確なのは「海外派兵はいたしません」「日本が戦争に巻き込まれることは決してありません」のおかしさ。「集団的自衛権を行使すると日本が立場を鮮明にすることは抑止力を高める」と言われているけれど、対中国の抑止力を考えると、たとえば、ベトナムに中国が侵攻し、ベトナムが日本に軍事支援を要請してきた場合。これを断れば抑止力は失われる。これを受け入れれば日本と中国は戦争状態に入るしかない。機雷除去に関してもそれが武力行使である以上、された側は反撃するだろうし、そうなったらどうやって戦争状態を避けるというのか。とのこと。
安倍首相が会見でだした事例・石破幹事長などの「日米同盟破棄」をちらつかせ国民の情感に訴える事例は、いずれも政治的・外交的背景を捨象した「軍事オタク」の例だと説得的に解説する。
この本での批判をぶつけられて安倍首相は正面から反論できるのだろうか。できないのではないか、と思わされる。
そのほか、安保法制懇の報告書には、米中関係の分析とイラク戦争の総括が欠落していてこの2つなしに安全保障を検討したといえないとか、「安全保障環境の悪化」とかいうけど歴史問題にかかわる種々の言動や靖国参拝で拍車をかけているのは安倍首相あなたですよとか、北朝鮮のミサイルが防衛の必要あるぐらい危険なものならPAC3の配備さえせずに日本海側の原発なんて再稼働させるなとか。
従来の国会答弁と憲法解釈の乖離については、この本の前に「政府の憲法解釈」を読み原資料にあたることができていたので、自信を持って、この批判に対して反論の余地はないなと思えた。



対して、古関氏のほうは主に、自民党憲法改正草案がおかしい、おかしいという話。この改正草案は私自身もしばらく前に印刷されたものを読んだけれど、たしかに、驚きを禁じ得ない改正草案ではある。ただ、古関氏の批判はやや感情的な印象を受けてしまった。言いすぎだからだと思う。「そうとしか思えない。」というけれどそこまではいえないんじゃないかというような。改正草案中に「開戦規定」がないことから、満州事変的な戦争を行うことを想定しているとまではいえないだろう。「不安」な気持ちはわかるけれども。
この本を手に取った動機は、古関氏の「日本国憲法の誕生」がとても面白くて、そんな古関氏が現代の問題にどのように語るのだろうというものだったのだけれども。
安全保障については「概念」から出発して批判を加えているように見えたけれども、紙幅が限られていたせいか「概念」とのつながりが難しかった。「安全保障とは何か」という同氏の別の著書を読むと理解しやすいのかもしれない。


おりしも、今朝の読売新聞社説欄。「『戦争する国』は曲解だ」との小見出しの下、

…1960年の安保条約の改定時には、「戦争に巻き込まれる」といった情緒的な反対論が噴出し、国論を二分する騒動となった。
だが、ソ連の軍事的脅威が存在した東西冷戦中も、冷戦終結後の流動的な東アジア情勢下でも、日米同盟が有効に機能してきたことは、歴史が証明している。

日米同盟が有効に機能してきたから、戦争に巻き込まれるという情緒的な反対論は誤りだったと言いたいのだろうか。
言うまでもなく、1960年の安保改定の議論と今回の集団的自衛権の議論は、異なる。戦争に巻き込まれるのを防いできたのは、まさに9条と「集団的自衛権違憲」とのその解釈だったのではないだろうか。