[今日の絵] 3月後半

[今日の絵] 3月後半

16 Sofonisba Anguissola : 本人を描く師のベルナディノ・カンピ1559

ソフォニスバ・アングイッソラ1532-1625はイタリアの女性画家、若くしてスペイン宮廷に招かれた、この絵は、先生が自分を描いているシーンを自分が描いた面白い絵、顔や手に光が当たり浮かび上がる

 

17 Georges de la Tour : 新生児 1640年代

ラ・トゥール1593-1652はフランスの画家、蝋燭などの光が当たるとても印象的な絵を描いた、これは代表作の一つで、神秘的な雰囲気が醸し出されている、非常に高度な技術で描かれているらしい

 

18 Rembrandt : 夜警1642

人は必ず一定の背景の中にあるから、全体の光の量とそれをモノにどう配分するかがポイント、有名なこの絵は、実は昼間の光景で「夜警」ではない、絵の表面が茶色に変色したので暗く見えるだけ

 

19 Thomas Wilmer Dewing : Lady with a Lute 1886

デューイング1851-1938はアメリカの画家、上流階級の女性をたくさん描き、どれも優美でありながら落ち着いている、これも暗い背景に深緑色の服、そして顔、首、胸、手指に当る穏やかな光が絶妙

 

20 Ivan Pili : バレリーナ

イヴァン・ピリ1976~は現代イタリアの画家、具象的な写実の立場、この絵は光の当て方がうまい、それによって、しゃがんだ体の手、足、背中に美しい動性が

 

21 Jules Bastien-Lepage:小さな煙突掃除人 1883

バスティアン・ルパージュ1848-1884は緻密な技法で描くフランスの画家、人物が自由で生き生きしている、この絵は、顔の一部、椅子のへり、パン、猫などに光が当たり、暗い服を着た煙突掃除の少年の生命感が溢れる名作

 

22 Hopper : Nighthawks, 1942

光の中でこそ、人は生き生きとして見える、光も、直線方向にだけ光が進む「放射光」よりは、水中のモノを水が取り囲むような「包囲光」の方が多い、ホッパーの「夜更かしする人」も、包囲光の中で「夜更かし」している

 

23 Genevieve Dael : よろい戸

ジュヌヴィエーヴ・ダール1947~はフランスの女性画家、窓から光が少し差し込む室内の女性をたくさん描いている、そういう状況の女性が一番美しいと感じるからだろう、これは「よろい戸」、光はわずかしか差し込んでいない

 

24 Gregorio Catarino

グレゴリオ・カタリーノは現代の画家、人間は、光が当たらない影絵だけでもこれだけ見事に描ける、「今」こんな状態という瞬間の在り方が、むしろ影からよく分る

 

25 ベラスケス : 聖トマス1620

この絵は光の当て方が鋭く、ほとんど放射光のように見える、まだ電気のない時代、蝋燭を束ねると光は広がって包囲光に近くなるから、かなり工夫が必要だったはず

 

26 Wilhelm Kotarbiński : Italian woman with a dove 1880

コタルビンスキー1848-1921はポーランドの画家、神話的でロマンティックな画を描く人で、人の傍らによく鳩がいる、この絵も写実というよりは童話的だが、光が当たった色が美しい

 

27 ルノワール:アリスとエリザベス1881

ルノワールの描く少女はどれも、柔らかい光に包まれた体が浮かび上がる感じがあり、影はほとんどなく全体が優しい、この絵も、体から光そのものが発散しているかのようだ

 

28 Marcel Rieder : Lady in an Interior

マルセル・リーダー1852-1942はフランスの画家、シュバイツァーとも親交があった、室内の女性をたくさん描いているが、どれも光の当て方に特徴がある、この絵は、スタンドの光が女性の胸部を明るく照らし、周囲の壁をぼんやりと浮かび上がらせる

 

29 Frederic Childe Hassam : July Night 1898

チャイルドハッサム1859-1935はアメリカの画家、色彩の美しい絵が多い、この「7月の夜」も、後方のちょうちん?のような灯りが、幻想的な夏の夜の雰囲気を醸し出し、後方から照らす柔らかい明りが人物の輪郭として光っている

 

30 Peter Ilsted : Sunshine in the Living Room 1909

ペーター・イルステッド1861-1933はデンマークの画家、室内の女性を多く描いており、窓から差し込む光を好む、この絵も窓から室内に差し込む光が印象的で、全体の構図を決定している

 

31 Vladimir Volegov

これは室内ではないが、光の配分と当て方が実に巧みで、女性の腰、帽子、木漏れ日、水面の反射など、光の分散が構図を生み出している、ヴォレゴフは旧ソ連出身でスペインで活動する現代画家

 

[演劇] マックス・フリッシュ『アンドーラ』 文学座

[演劇] マックス・フリッシュ『アンドーラ』 文学座 3月22日

(写真↓は舞台、「自分たちは加害者ではない」という自己欺瞞に逃げ込む「アンドーラ国」の人々、そして主人公である、教師と彼の息子、父は「息子は養子のユダヤ人」と嘘をついてきたが、実は愛人に産ませた本当の子だった、父を演じる沢田冬樹、息子アンドリを演じる小石川桃子、後方の窓にいるのは白痴、すべての役者が名演だった)

こんな凄い演劇作品があるとは初めて知った。ユダヤ人差別が主題のように見えるけれど、もっと奥行きが深い。(1)自分は差別の加害者にはならないという自己欺瞞、そして(2)自己肯定感を持てないがゆえに他者を愛することができない、という二つの主題が深く絡み合っている。「アンドーラ国」とはスイス、「隣の黒い国」とはドイツを暗喩しているが、日本にも該当する普遍性がある。アンドーラ国のある教師は、愛人に産ませた子アンドリを、「隣の黒い国で差別されるユダヤ人の赤ん坊を救って養子にした」と嘘をつき大切に育ててきた。そして、「勇気ある良心的な教師」という周囲の称賛に自分の虚栄心も満足させてきた。しかしアンドリが妹のバブリーンと結婚したいと言い出したので、(腹違いではあるが)実の兄妹は結婚させられないので、父は「ユダヤだからだめだ」とまた嘘をついて結婚を許さない。そして、アンドリの実の母も偶然にやってきて、そして彼は自分が産んだ子だと言う。しかし、アンドリ自身が自分はユダヤ人だと思い込んでおり、そのアイデンティティから逃れられないので、自分がこの父の子だという事実を受け容れることができない。ずっとアンドリの味方だった神父の説得ですら彼は受け容れない。周囲の人々もすべて同じで、「隣国で差別されるユダヤ人を救った」という自己欺瞞から逃れることができない。自分たちの美談=自己欺瞞を守るためには「アンドリはユダヤ人でなければならない」のだ。結局、アンドリと、(秘密をバラしうる)生みの母の元愛人は殺され、父は自殺、バブリーンは発狂という、とても悲しい結末に終わる。(写真下は、愛し合うアンドリとバブリーン、そして神父、父と元愛人)

それにしても、登場するキャラクターがどれも奥行きが深い。写真下は↓、アンドーラ愛国者を自称しながら「黒い国」の命令に従う若い兵士、そして「ユダヤ人選別官」。「ユダヤ人選別官」というのは本当に存在したのだろうか。身体の一部を丁寧に観察してユダヤ人かどうか識別する。まったく無口で一言もしゃべらないのがとても恐ろしい。舞台では、アンドリの眼をじっと覗き込んだり、くるぶしを指で探った程度だが、男子なら割礼の跡を調べれば識別できるから、本当に「ユダヤ人選別官」はいたのかもしれない。

この作品は科白が深く厳しい。神父はアンドリに「汝の隣人を愛しなさい、汝自身を愛するように」と、その後半を強調する。アンドリもバブリーンも、その父も、結局、どこまでも自己肯定感をもてないがゆえに他者を愛することもできない人たちなので、この言葉はきつい。また、誰の科白か忘れたが、「ユダヤ人は、すべての受難の究極の理由を<自分はユダヤだから>というその一点に帰着させる」という言葉もきつい。ガザ問題などで、イスラエルという国家の特異性が露わになったが、ユダヤ人の自己意識に、こういう部分が本当にあるのかもしれないと思った。ガザ問題でイスラエルに優しいドイツの知識人たちの意識は、「自分は加害者にはならない」という一点を意識の支えとする「アンドーラ国」の人々と通じるものがあるのではないか。それにしても本作は、<救い>がまったくないようにみえるが、もし僅かな<救い>があるとすれば、「人間は、自己欺瞞から解放されることはできないが、しかし少なくとも、自己欺瞞の醜さを意識し、それと向き合うことはできる」ということなのだろうか。翻訳、演出も見事、役者も見事、この作品を完全に表現した舞台だった。

 

 

[今日の絵] 3月前半

[今日の絵] 3月前半

1 de Vinci : ラ・ベル・フェロニエール1490

「フェロニエール」とは、額に着けられている金細工の飾り、ミラノのルドヴィコ・スフォルザ公の恋人であるルクレツィア・クリベリか、若々しくて生き生きとしており、とりわけ眼差しが美しい

 

2 Dürer : 若いヴェネチアの女性の肖像 1505

デューラーの二回目のイタリア旅行で描かれた、上流階級の若い女性と思われるが、上品な顔立ちといい、昨日のダ・ヴィンチの「ラ・ベル・フェロニール」と同様に眼差しの美しさなど、古典的で模範的な肖像画

 

3 Raffaello : ヴェールをかぶる女1516

モデルは、ラファエロの晩年の愛人「フォルナリーナ(パン屋の女)」といわれている、彼女には品位ある豊穣さがあり、そこが特に美しい

 

4 Tiziano  : 美しき女1537

代表作「ウルビーノのヴィーナス」と同一女性らしく、彼は何枚も彼女を描いているが誰だか分っていない、ラファエロといいティツィアーノといいモデルを選び抜いている

 

5 Rubnes : シュザンヌ・フールマンの肖像 1623

アントワープの商人ダニエル・フールマンの娘、彼女の妹がルーベンスの二度目の妻、全体が明るく、美しい帽子が似合う、後にエリザベート・ルブランはこの絵を「その大きな効果はシンプルな日中の明るさと太陽のまぶしさを与える2つの異なる光にある」と激賞

 

6 Velázquez : The Lady with a Fan 1640

ベラスケス絵画では誰なのか特定されていない珍しい絵、フランスから亡命してきたシュヴルーズ公爵夫人という説もある、胸元が開いたドレスはスペインでは稀、右下の懐中時計はフランスで流行した等、ファッションがフランス風らしい

 

7 Rembrandt : ヘンドリキエ・ストッフェルス 1654

レンブラント家の家政婦ヘンドリキエは1648年から彼と同棲するようになった、彼より20歳年下で結婚はしなかったが、晩年の画家を支え続けた優しい女性、地味系の顔だが、微かな笑みと眼差しが優しい

 

8 Murillo : Saint Rufina 1665

ムリーリョは風俗画ふうの女性が多いが、これは聖人、でもモデルは実在の女性だろう、ルフィーナは古代ローマセビリアの陶器商の娘で殉教、セビリア守護聖人の一人だった、静かな気品が美しい

 

9 Ingres : アングル夫人の肖像1815

柔らかい表情が美しく、眼差しが優しい、夫に対する彼女の愛情が感じられる、ただ手や袖などは描き方が故意に粗いのか、アングルの描く女性はこの絵と似た顔が多い、というより彼の好みのタイプを妻にしたか

 

10 K.P.Bryullov : M. A.ベックの肖像 1840

カール・パヴロヴィチ・ブリューロフ1799-1852はロシアの画家、新古典主義からロマン主義への移行の中心人物で、プーシキンゴーゴリトルストイ等が彼を激賞、この婦人の肖像も、アングルのような新古典主義的でもあり、それ以降のロマン主義的でもある

 

11ブグロー:漁師の娘1872

ブグロー1825~1905はフランスの画家、マネ以降の印象派等に組せず、あくまで新古典主義を継承したアカデミー絵画の中心人物、この絵でもそうだが、「漁師の娘」ならもう少し質実、武骨でありそうなものだが、どこまでも<優美>なのがブグロー

 

12 イリヤ・レーピン : 秋の花束 ヴェラ・レピナの肖像1892

レーピン1844-1930はロシアの画家、トルストイなどの深みのある肖像画で名高いが、これは妻、それほど若くはないと思うが、どこかお嬢さんの雰囲気があって、妻への画家の愛が感じられる

 

13 Makovsky : Portrait of a young woman

マコフスキー1839-1915はロシアの画家、「若い女性の肖像」をたくさん描いており、どれも、やや斜めの角度から描かれる顔の耀きが美しい、眼差しに特有の力があって、それが人物の存在感を高めている

 

14 Hans Deiters:Magdalena Deiters

ハンス・デイタース1868-1922はドイツの画家、三美神など神話的な女性をたくさん描いた、それらは写実という感じではないが、これは妻だろうか、写実的だ、年齢は若く、よく見ると顔はまだ少女のように初々しい

 

15 Vladimir Volegov : Tea on the balcon

ヴォレゴフは旧ソ連生まれで、スペインで活動する現代画家、女性をたくさん描いているが、どれも体勢に非常な工夫がある、この絵も、この構図の中でのこの体勢がいい

 

[オペラ] プーランク≪カルメル会修道女の対話≫ 新国 研修所公演

[オペラ] プーランクカルメル会修道女の対話≫ 新国 研修所公演 3.1

(写真は舞台、下は開幕、左からラ・フォルス侯爵、娘ブランシュ、その兄)

これまで3回ほど観た舞台と、今回は大きく印象が違った。その理由は、ブランシュを前景に出して、コンスタンスがやや後景化されているからだろう。私の理解では、本来はコンスタンスが本作の実質的主人公であり、『リア王』のコーディリア、『トゥーランドット』の女奴隷リュウなどと同様の位置にある。カーテン・コールはコンスタンスが最後から4番目?なのでちょっと驚いた。おそらく演出のシュテファン・グレーグラーの明確なコンセプトでこうなったのだろう。腑に落ちなかったので、帰宅して、本作の一番最初の元テクストである、ルフォール『断頭台の最後の女』1931を読んだら(マリー修道女が残した「報告」は未入手)、やはりベルナノス『カルメル会修道女の対話』とは大きく違った。カトリック作家ルフォールは、フランス革命におけるカルメル会修道女たちの受難と戦いを讃えるために(1906年ローマ教皇ピオ10世によって彼女たちは「福者」に列せられた)、原理主義者のマリー修道女、柔軟なリドワーヌ新修道院長、そして修道院から逃亡した「困ったちゃん」ブランシュ修道女の三人を軸に描いており、コンスタンスはほとんど出てこない。基本的には、フランス革命の教会弾圧への批判が、ルフォールの主導動機なのか(そして、おそらくブランシュ修道女はルフォールの創作キャラで実在ではない)。つまり、物語においてコンスタンスが中心的役割を果たすのは、あくまでベルナノス版からだ。とはいえ、ブランシュを除く修道女は全員実在で、マリー修道女が詳細な事件の記録を残しているから、それを検討しないとコンスタンス修道女の位置づけは本当は分らない。(写真↓は、革命政府によって修道院から追放される修道士、すぐ左がコンスタンス)

しかし、今回のグレーグラー演出で、通常はあまり見えてこなかった側面に気付かされた。それは、ブランシュの家族愛と修道院生活との葛藤というフロイト的問題であり、ラ・フォルス侯爵という(ディドロヴォルテールなどに傾倒した)自由思想傾向のある上級貴族の父と、過剰に宗教的傾向をもつ性的に潔癖すぎる娘との間にある葛藤という問題も、たしかに『カルメル会修道女の対話』の一つの要素なのだ。ルフォールディドロの小説『修道女』を厳しく非難しているが、革命政府の教会敵視と弾圧が野蛮なものであったにせよ、革命政府の教会批判には、家族と切り離されて修道院生活を送ることの本質的な意味への問いが含まれてもいる。『カルメル会修道女の対話』は、作者の意図を越えてそうした問題を浮かび上がらさせたというのが、グレーグラー演出の視点なのだ。コンスタンスとブランシュの友情よりも、修道院弾圧の政治性が含意するものが重要なのだ。写真↓のように、修道服禁止になり平服に着替えさせられたカルメル会修道女たちの周囲に散乱する衣服は、一瞬、アウシュビッツで処刑前に脱がされた服の山を想起させた。たまたま先週観たMetライブのヴェルディナブッコ≫が、主にウクライナ人歌手とロシア人歌手に歌わせているのに驚いたが、オペラの演出は、同時代の政治に敏感に反応するものなのだ。

しかしそうはいっても、『カルメル会修道女の対話』の真の主題は、「愛を受け容れることのできなかった」ブランシュが(『リア王』のリアがまさにそれ)、愛のアレゴリーであるコンスタンス(『リア王』のコーディリアがまさにそれ)から愛を贈与され、最後の最後にようやく「愛を受け容れる」ことができて、そして二人一緒に断頭台に向かう、という崇高な<究極の愛>であるはずだ。(ちなみにルフォール版にはこの要素はまったくなく、最後に革命広場のカルメル会修道女処刑の現場まで来たブランシュは、貴族の娘を憎悪する平民暴徒の女たちによって殴り殺される。) その意味では、この作品の核心からややずれた演出ではないだろうか。

[私の百人一首] その2

[私の百人一首] その2

 

34 楽しみは妻子(めこ)睦まじくうちつどひ頭(かしら)並べてものを食ふ時 (橘曙覧(あけみ)「独楽吟」、作者1812-68は幕末の歌人国学者、平易な歌を詠んだ、この歌も家族愛がほほえましい)

 

35 君とわがたゞ身二つのかくれ里かくれはつべき里もなきかな (樋口一葉、「ああ、貴方と二人だけで駆け落ちして、誰も知らない里に、二人だけで隠れ住んで人生を終えられたら何て素敵でしょう、でも・・」、「君」は一葉の師の半井桃水か、24歳の短い生涯に唯一の恋)

 

36 燃えて燃えてかすれて消えて闇に入るその夕栄(ゆふばえ)に似たらずや君 (山川登美子1900、登美子21歳、「君」は与謝野鉄幹、師である鉄幹を密かに恋していたが、晶子に取られた、三人で温泉旅館に泊まった直後の詠、鉄幹を消える「夕日」に譬えて悲しい)

 

37 君なきか若狭の登美子しら玉のあたら君さへ砕けはつるか (与謝野鉄幹『相聞』1910、鉄幹を与謝野晶子に取られた山川登美子は帰郷して結婚したが、29歳で死去、それを悲しんだ鉄幹の歌)

 

38 罪多き男懲(こ)らせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ (与謝野晶子『みだれ髪』1901、自分のエロス的魅力への自信、このナルシシズムがすごい!)

 

39 君が手とわが手とふれしたまゆらの心のゆらぎは知らずやありけん (太田水穂『つゆ草』1902、二十歳くらいの時の歌だろうか、恥ずかしくて告白とかできず、たぶん片想いのまま終わった恋だろうか、でもひょっとして彼女もそのとき「たまゆらの心のゆらぎ」を感じたかも)

 

40 君かりにかのわだつみに思はれて言ひよられなばいかにしたまふ (若山牧水海の声』1908、二人で海辺を歩いている、「わだつみ」とは海の神、「君」とは、早大生の牧水が恋をした園田小枝子、彼女は2歳年上の美人だったが、この恋は結局実らなかった)

 

41 木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな (前田夕暮『収穫』1910、いかにも真面目な青年の歌らしく、ほほえましい、作者1883-1951は牧水、白秋などと交流のあった歌人)

 

42 君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ (北原白秋『桐の花』1913、おそらく近代短歌で最も美しい恋の歌、雪降る後朝の別れ、白秋25歳、「君」は隣家の人妻・松下俊子、不倫を俊子の夫から姦通罪で訴えられ、二週間入獄、1913年に二人は結婚)

 

43 頬につたふ なみだのごわず 一握(いちあく)の砂を示しし人を忘れず  (啄木、歌集『一握の砂』1910の第二首目の歌、初出は雑誌『明星』1908、歌集タイトルなのだから、よほど大切な歌なのだろう、海辺で啄木に「一握の砂を示しし人」はたぶん彼の初恋の女性)

 

44目を閉づれすなはち見ゆる淡々し光に戀ふるもさみしかるかな (斎藤茂吉『赤光』、歌は「をさな妻」と題する1910年作だが、少し前の情景か、茂吉が愛したたぶん最初の女性、田舎出の少女だろう、「すぐ目を閉じるが、またうっすらと瞼を開けるのが、とても寂しそう」)

 

45 君がため瀟湘湖南(せうしやうこなん)の少女(をとめ)らはわれと遊ばずなりにけるかな (吉井勇『酒ほがひ』1910、「湘南海岸の別荘で、素敵な女の子たちと楽しく遊んだ僕だけど、君を好きになったばかりに、他の子が遊んでくれなくなっちゃった」、作者は伯爵家のお坊ちゃま)

 

46 力など望まで弱く美しく生まれしままの男にてあれ (岡本かの子『かろきねたみ』1912、誰に向って言っているのか、夫となった岡本一平か、生まれたばかりの息子の太郎か、それはともかく、かの子は、マッチョではなく、「美しい、弱い男」が大好き)

 

47 やるせなき胸の愁をなんとせんタンゴに込めて君と踊らん (九鬼周造『巴里心景』1925、哲学者九鬼周造は、パリ留学中に多くの女性と恋をして、恋愛論『いきの構造』を執筆、どんなに熱い恋も「別れ」を可能的に胚胎している、それが「いき」な究極の男女関係)

 

48 乙女子の唇に似るほけの花春の岡へに二つ三つさく (西田幾多郎 1935、西田の近所に可愛い「乙女子」がいて、その子の「唇」がとても印象に残っていたのだろう、「ぼけ」の花を見て、その子の「唇」を想い出す)

 

49 たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき (近藤芳美1940、「君」はやがて結婚して妻となる中村年子、だが7月に結婚するとすぐ、近藤はすぐ出征することになった)

 

50 やがて吾は二十となるか二十とはいたく娘らしきアクセントかな (河野愛子1942、「ハ・タ・チ」という響きがとても気に入った作者1922-89、この頃、短歌に興味を持ち始め、戦後1947に「アララギ」に入会)

 

51  これやこの一期(いちご)のいのち炎立(ほむらだ)ちせよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹 (吉野秀雄、1944年、作者の妻は胃がんで死ぬ直前、病院のベッドで作者に「お願い、私を抱いて!」と懇願、作者はガチガチ震えながらベッドに入り、ひたすら妻を抱きしめた、愛の絶唱歌)

 

52 火消壺(ひけしつぼ)に燠(おき)を収めてけふの夜の相互批判の時刻迫りぬ (山田あき1900-96、作者は戦前・戦後とも、夫の坪野哲久とともにプロレタリア歌人として活動、この歌の「相互批判」とは共産党細胞のそれのことか、あるいは終生愛を貫いた夫との「相互批判」なのか)

 

53 一本の蠟燃やしつつ妻も吾(あ)も暗き泉を聴くごとくゐる (宮柊二『小紺珠』1948、戦後すぐだから停電だろう、一本の蝋燭に火をつけると、かすかな音を立てて燃え始める、それを挟んで、二人は「暗き泉を聴く」ように顔を向け合っている)

 

54 この向きに初(うひ)におかれしみどり児の日もかくのごと子はもの言はざりし (五島美代子、作者1898-1978は長年「朝日歌壇」の選者を務めた人、溺愛していた長女ひとみ1926-50は、戦後初の女子東大生だったが、在学中に自殺、そのとき詠んだ慟哭の歌)

 

55 をさなさを武器のごとくに黙しゐついまだ春なる夕映のいろ (石川不二子1954、作者は東京農工大の学生で20歳、ほぼ男子学生ばかりの大学、女の子らしく振る舞えばきっとモテた、しかしそれができなかった真面目な青春、でも恋をしたかったのか、最後の句)

 

56 ましろなる封筒に向ひ君が名を書かむとしスタンドの位置かへて書く (馬場あき子『早笛』1955、恋が始まったばかりの頃だろう、「君」は将来の夫の岩田正)

 

57 ほのぼのと愛もつ時に驚きて別れきつ何も絆(きづな)となるな (富小路禎子『未明のしらべ』1956、作者1926~2002は旧華族の出身だが、男子が多く出征した世代なので独身を通した、でも一度だけ淡い恋愛の経験があるのだろう、その時の嫌な思いの回想、「何も絆となるな」が悲しい)

 

58 抱(いだ)くとき髪に湿りののこりいて美しかりし野の雨を言う (岡井隆『斉唱』1956、デートの後で彼女を抱いたのだろう、彼女は「私たちが一緒に歩いて雨に濡れた、あの野原、美しかったわね」と静かに言った)

 

59 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり (寺山修司『空には本』1958、作者はたぶん高校生、その少女は中学生くらいか、ちょっと恥ずかしくてもちろん口説いたりはできない、ちょっと気を引くために、「両手をひろげて彼女の前に立ってみる」、瑞々しい少年のうた)

 

60 相触れて帰りきたりし日のまひる天の怒りの春雷ふるふ (川田順 1948、作者1882~1966は、東大法学部卒、住友本社常務理事を務めた財界人で、歌人でもあった、人妻の中川俊子と恋愛関係になり、この歌は66歳の時、俊子はすぐ後に夫と離婚、川田は家出して自殺未遂)

 

61 一つのものになりたき愛を理解して雪山のバスゆくところまでゆく (北沢郁子『感傷旅行』1959、歌集の作者は36歳、好きな人ができたのだろう、最初は逡巡したが、「一つのものになりたいと、愛を理解した」、だからもう迷わず「雪山のバスの終点」まで追ってゆく)

 

62 夢のなかといへども髪をふりみだし人を追ひゐきながく忘れず (大西民子『不文の掟』1960、愛が深ければ深いほど、裏切られた憎しみも深い、この歌の「追ひゐき」は、作者を離れていった夫)

 

63 サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず (佐佐木幸綱『緑晶』1960、作者1937~の20歳頃の歌か、塚本邦雄はこの歌を、ジュニア短歌ふうの下手な歌と評したが、私はそうは思わない、この瑞々しさこそ相聞歌の王道)

 

64 美しき誤算の一つわれのみが昂りて逢い重ねしことも (岸上大作「意思表示」1961、作者1939~60は60年安保闘争を戦ったが、失恋もあり21歳で自殺、ここで詠まれているのは彼の恋人だった沢口芙美1941~、彼女は岸上の自殺で作歌を十数年間中断

 

65 眉根よせて眠れる妻を見おろせり夢にてはせめて楽しくあれよ (上田三四二1964『雉』、妻が「眉を寄せて」眠っている、辛い夢を見ているのだろうか、「せめて夢くらいは楽しくあってほしい」と妻をいたわる)

 

66 あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ (小野茂樹『羊雲離散』1968、作者1936~70のごく初期の歌と思われる、詠まれている相手は、東京教育大学付属中学~高校と一貫して作者の恋人で、後の妻の青山雅子、海辺でデートをしたのだろう、ただただ美しい歌)