[私の百人一首] その3

[私の百人一首] その3

 

65  眉根よせて眠れる妻を見おろせり夢にてはせめて楽しくあれよ (上田三四二1964『雉』、妻が「眉を寄せて」眠っている、辛い夢を見ているのだろうか、「せめて夢くらいは楽しくあってほしい」と妻をいたわる)

 

66 あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ (小野茂樹『羊雲離散』1968、作者1936~70のごく初期の歌と思われる、詠まれている相手は、東京教育大学付属中学~高校と一貫して作者の恋人で、後の妻の青山雅子、海辺でデートをしたのだろう、ただただ美しい歌)

 

67  はかなかりしわれに破れし恋ありてただおびえゐき美貌のまへに (香川進『湾』1957、作者1910-98の若い時の恋を回想したのだろう、彼女はすばらしい美女だったが、長くは続かなかった恋、作者が弱気すぎたのか)

 

68  いづこより来たりいづこに去る我と知るにぞ愛のいよよ深まる (窪田空穂『老槻の下』1960、老年の夫婦愛だろうか、作者1877〜1967は83歳、そろそろ自分の死期も予感する中、妻への愛はますます深まる)

 

69 もろともに許されてかく過ごす夜やためらひもなき夜といふべし (田中子之吉『現身』1962、今ならあまりピンとこない歌かもしれない、長い恋の途上で、彼女が初めてOKしたのだろう、実感がこもる「ためらひもなき夜」、初夜の感動)

 

70  あやまてる愛などありや冬の夜に白く濁れるオリーブの油 (黒田淑子『丘の外燈』1963、作者1929の若い時の歌、いろいろ考えられるが、妻子ある男性を好きになったのか、「白く濁れるオリーブの油」が絶妙、低温だと、透明なオリーブ油も白く濁る)

 

71  月面に脚(あし)が降り立つそのときもわれらは愛し愛されたきを (村木道彦『天唇』1974、1969年7月20日アポロ11号の月面着陸のシーンをTV中継で恋人と一緒に見ているのだろう、コスモロジーの感覚がいい、すなわち、愛の交歓もこの大宇宙の中の一つの事象)

 

72 邂逅(かいこう)を遂げたる夢の腕のなかに光となりてわれはひろがる (山本かね子『風響り』1972、「夢の腕のなか」だから、この時点では、実際に「邂逅を遂げた」わけではないのだろう、実際の「邂逅」はどうだったのだろうか)

 

73 たとへば君 ガサツと落葉すくふやうに私をさらつていつてはくれぬか (河野裕子1972、作者1946-2010は京都女子大の学生、「君」は将来の夫の永田和宏1947~、この時は京大生で21歳くらいか、冒頭の「たとへば君」がすごくいい、永田の歌は明日)

 

74 ひとひらのレモンをきみは とおい昼の花火のようにまわしていたが (永田和宏メビウスの地平』1975、昨日の河野裕子と一緒にデートで喫茶店にいるのか、たぶん二人とも学生で、若々しい感じがすごくいい)

 

75 簡潔に愛の言葉は告ぐるべし朱の帯固く締めて出てゆく (山埜井喜美枝『やぶれがさ』1974、作者1930-2019は「未来短歌会」で活躍した人、相手と結婚を決めようというその日の歌、軽やかな勢いがあって、それがとてもいい)

 

76 観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ) (栗木京子「二十歳の譜」1974、作者は京大理学部生物学科学生で20歳、「君」は同学年の数学科学生、すでに片想いではないだろうが、愛の深さにまだ非対称性がある切なさ)

 

77 きっかけがつかめなかったたそがれのあなたのセーターの色が夕焼け (吉沢あけみ『うさぎにしかなれない』1974、作者1947~は当時、群馬大学教育学部学生、寂しい恋の歌が多い、卒業後小学教員となり、子どもたちを優しく詠んだ歌もいい)

 

78 君のこと想いて過ぎし独房のひと日をわれの青春とする (道浦母都子『無援の抒情』、作者1947~は早稲田大学学生で、全共闘運動を戦う熱い心情と恋を詠む、これは1968年新宿騒乱事件で逮捕された時の歌、彼女は黙秘を貫いて起訴猶予を勝ち取った)

 

79 戀よりもかくがれふかくありにしと告ぐべき 吟(さまよ)へる風の一族 (斎藤史『ひたくれなゐ』1976、作者1909-2002は陸軍少将斎藤劉の娘、1936年の二・二六事件で父は逮捕、作者が親しく付き合った青年将校たちは刑死、「風の一族」とはたぶん作者の家族たち)

 

80 深夜シャワーにまづしき虹の立ちけるをきぬぎぬのその空蝉(うつせみ)のきぬ (塚本邦雄『閉雅空間』1977、作者1920-2005は「前衛短歌の三雄」の一人、ごく普通の恋愛なのだろうが、「きぬぎぬのその空蝉(うつせみ)のきぬ」で平安時代にタームワープする)

 

81 うつむきてひとつの愛を告ぐるときそのレモンほどうすい気管支 (永井陽子『なよたけ拾遺』1978、48歳で死去した作者1951-2000は、繊細な感覚の歌を詠んだ人、か細い消え入るような声でしか告白できなかった、ずっと独身だったからこの歌は初恋だろうか)

 

82 唇をよせて言葉を放てどもわたしとあなたはわたしとあなた (阿木津英『紫木蓮まで・風舌』1980、結婚する頃の歌か、「わたし」は「あなた」のものにはならない、あくまで自立した男女関係でありたい、「フェミニズム短歌」としてまず挙げられる歌)

 

83 さまざまの七十年すごし今は見る最も美しき汝(なれ)を柩(ひつぎ)に (土屋文明『西南後集』、1982年、作者1890-1990が92歳のとき、2歳年上の妻テル子が亡くなった、「さまざまの七十年を一緒に過ごしてきた」94歳の妻、「汝は今が最も美しい」)

 

84 肩抱けば崩るるやうに散るやうに罠を仕掛けるやうに黙りをる
 (坂井修一1981「楽しく話しながら歩いていたデートの晩、ふっと彼女の肩を抱いたら、急に彼女の態度が変わり、黙ってしまった、崩れたのか、散ったのか、罠を仕掛けたのか」、作者は東大生、彼女は後の妻の米川千嘉子)

 

85 語尾あはく甘えて呼びしことなきを君は嘆きぬふと父のやうに
(米川千嘉子1988「恋人時代からそうだけど、君は僕のことを“甘えるような感じ”で呼んだことが一度もないんだよねと、まるで父親が寂しがるみたいに、夫は私に言った」、夫は昨日の歌の坂井修一、米川は醒めた感じの恋の歌が最高)

 

86 生くるとは愛にこころを砕くこと嘴(はし)合はす鳩は日向をあゆむ (上田三四二『雉』1967、普通はやや煩わしく感じられる鳩の睦みも、ほほえましい光景に、作者は医者だが、自身も結核、癌など病気に苦しんだ人、だから人一倍「生きること」は「愛にこころを砕くこと」である)

 

87 ためらひを重ねてわれらがめぐりには一万尺の海の沈黙 (今野寿美『花絆』1981、作者1952~は長い静かな時間をかけて愛を育んだ人、何という美しい恋の歌だろう、二十年後に彼女の夫が彼女を詠んだ歌を明日)

 

88 黒い日傘はらりと開きふたむかし経ても変わらぬかたわらの人 (三枝昂之『農鳥』2002、「かたわらの人」は昨日の歌の今野寿美、「ふたむかし経ても変わらない」彼女の美しさ、20年前もたぶん「黒い日傘をはらりと開いた」のだろう、素晴らしい夫婦)

 

89  目をとぢて汝を抱きしと抱かれしと書きつづり交わし他は用もなし (池田まり子『ヒースの丘』1978、恋人とそれぞれの記憶を「つづり交わし」ている作者、「他は用もなし」が、醒めていていい)

 

90 夜の更けの電話に君が呼吸音間近く聞こえわつと愛(かな)しき (小島ゆかり『水陽炎』1987、作者1956~が早大を卒業し就職した頃か、初期には東京の街の淋しさを詠んだ歌が多い)

 

91 性愛もさびしき風かエンタシスの柱のあわいぬけてゆくかぜ (沖ななも『衣装哲学』1982、作者にとって性愛は「さびしき風」なのか、風が「エンタシス」(=ギリシア神殿の丸みある柱)の「あわい」を抜けていくなら、そこにいるのはヴィーナスなのか)

 

92 電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ (東直子『青卵』2019、作者のいつの歌かは分からないが、「おっ」というのが口癖の元恋人と電話で話している、元恋人とこんな爽やかにしゃべれるのは素敵だ)

 

93 われを枕(ま)く腕あればその手首より時計はづしぬ小さな無機物を (森山晴美『畑中の胡桃の木』1985、彼氏が自分で「時計をはづす」のではなく作者が「はづす」、たまたまなのか、それともいつもそうなのか)

 

94 万智ちゃんがほしいと言われ心だけついていきたい花いちもんめ (俵万智『サラダ記念日』1987、「心だけついていきたい」清純な乙女、「花いちもんめ」と受けたのが可愛い)

 

95 菜の花の黄(きい)溢れたりゆふぐれの素焼の壺に処女のからだに (水原紫苑『びかんか』1989、作者はエロスをこのうえなく典雅に詠む人、菜の花の「黄」に囲まれた「素焼きの壺」のような、女性の美しい身体)

 

96 終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて (穂村弘『シンジケート』1990、泊まるのではなく「終バス」でデートから還る若い恋人たち、その静かな「寝顔」に幸せ感が溢れている)

 

97 恋人たちが見つめあわずにすむように花火は天の高みに開く (井辻朱美『吟遊詩人』1991、恋人というものは、思わず上空の高い花火に視線を向けることがないと、いつも互いに「見つめあっている」)

 

98 色白し足が長しと言ひながらわれの羞恥をやすやす奪ふ (ぬきわれいこ『翳』2007、彼氏の愛撫は繊細で優しい、もう嬉しくて、心も体も舞い上がってしまう)

 

99 霧(スモーク)をまとふ裸の踊り子の奥歯に銀のかんむりを見き (睦月都『Dance with the invisibles』2023、ストリップ劇場で「裸の踊り子」を見ているのだろうか、たまたまちょっと開いた口の「奥歯に銀のかんむりが見えた」、「霧」と「銀」が呼応するシャープな美)

 

100 春の陽のなかを園バス帰り来ぬ顔という顔窓にあつめて (植村恒一郎「朝日歌壇」1993.4.18、佐佐木幸綱選、当時私は団地に住んでおり、保育園から娘が帰ってきたマイクロバスを迎えに通りに出たところ)

[今日の絵] 3月後半

[今日の絵] 3月後半

16 Sofonisba Anguissola : 本人を描く師のベルナディノ・カンピ1559

ソフォニスバ・アングイッソラ1532-1625はイタリアの女性画家、若くしてスペイン宮廷に招かれた、この絵は、先生が自分を描いているシーンを自分が描いた面白い絵、顔や手に光が当たり浮かび上がる

 

17 Georges de la Tour : 新生児 1640年代

ラ・トゥール1593-1652はフランスの画家、蝋燭などの光が当たるとても印象的な絵を描いた、これは代表作の一つで、神秘的な雰囲気が醸し出されている、非常に高度な技術で描かれているらしい

 

18 Rembrandt : 夜警1642

人は必ず一定の背景の中にあるから、全体の光の量とそれをモノにどう配分するかがポイント、有名なこの絵は、実は昼間の光景で「夜警」ではない、絵の表面が茶色に変色したので暗く見えるだけ

 

19 Thomas Wilmer Dewing : Lady with a Lute 1886

デューイング1851-1938はアメリカの画家、上流階級の女性をたくさん描き、どれも優美でありながら落ち着いている、これも暗い背景に深緑色の服、そして顔、首、胸、手指に当る穏やかな光が絶妙

 

20 Ivan Pili : バレリーナ

イヴァン・ピリ1976~は現代イタリアの画家、具象的な写実の立場、この絵は光の当て方がうまい、それによって、しゃがんだ体の手、足、背中に美しい動性が

 

21 Jules Bastien-Lepage:小さな煙突掃除人 1883

バスティアン・ルパージュ1848-1884は緻密な技法で描くフランスの画家、人物が自由で生き生きしている、この絵は、顔の一部、椅子のへり、パン、猫などに光が当たり、暗い服を着た煙突掃除の少年の生命感が溢れる名作

 

22 Hopper : Nighthawks, 1942

光の中でこそ、人は生き生きとして見える、光も、直線方向にだけ光が進む「放射光」よりは、水中のモノを水が取り囲むような「包囲光」の方が多い、ホッパーの「夜更かしする人」も、包囲光の中で「夜更かし」している

 

23 Genevieve Dael : よろい戸

ジュヌヴィエーヴ・ダール1947~はフランスの女性画家、窓から光が少し差し込む室内の女性をたくさん描いている、そういう状況の女性が一番美しいと感じるからだろう、これは「よろい戸」、光はわずかしか差し込んでいない

 

24 Gregorio Catarino

グレゴリオ・カタリーノは現代の画家、人間は、光が当たらない影絵だけでもこれだけ見事に描ける、「今」こんな状態という瞬間の在り方が、むしろ影からよく分る

 

25 ベラスケス : 聖トマス1620

この絵は光の当て方が鋭く、ほとんど放射光のように見える、まだ電気のない時代、蝋燭を束ねると光は広がって包囲光に近くなるから、かなり工夫が必要だったはず

 

26 Wilhelm Kotarbiński : Italian woman with a dove 1880

コタルビンスキー1848-1921はポーランドの画家、神話的でロマンティックな画を描く人で、人の傍らによく鳩がいる、この絵も写実というよりは童話的だが、光が当たった色が美しい

 

27 ルノワール:アリスとエリザベス1881

ルノワールの描く少女はどれも、柔らかい光に包まれた体が浮かび上がる感じがあり、影はほとんどなく全体が優しい、この絵も、体から光そのものが発散しているかのようだ

 

28 Marcel Rieder : Lady in an Interior

マルセル・リーダー1852-1942はフランスの画家、シュバイツァーとも親交があった、室内の女性をたくさん描いているが、どれも光の当て方に特徴がある、この絵は、スタンドの光が女性の胸部を明るく照らし、周囲の壁をぼんやりと浮かび上がらせる

 

29 Frederic Childe Hassam : July Night 1898

チャイルドハッサム1859-1935はアメリカの画家、色彩の美しい絵が多い、この「7月の夜」も、後方のちょうちん?のような灯りが、幻想的な夏の夜の雰囲気を醸し出し、後方から照らす柔らかい明りが人物の輪郭として光っている

 

30 Peter Ilsted : Sunshine in the Living Room 1909

ペーター・イルステッド1861-1933はデンマークの画家、室内の女性を多く描いており、窓から差し込む光を好む、この絵も窓から室内に差し込む光が印象的で、全体の構図を決定している

 

31 Vladimir Volegov

これは室内ではないが、光の配分と当て方が実に巧みで、女性の腰、帽子、木漏れ日、水面の反射など、光の分散が構図を生み出している、ヴォレゴフは旧ソ連出身でスペインで活動する現代画家

 

[演劇] マックス・フリッシュ『アンドーラ』 文学座

[演劇] マックス・フリッシュ『アンドーラ』 文学座 3月22日

(写真↓は舞台、「自分たちは加害者ではない」という自己欺瞞に逃げ込む「アンドーラ国」の人々、そして主人公である、教師と彼の息子、父は「息子は養子のユダヤ人」と嘘をついてきたが、実は愛人に産ませた本当の子だった、父を演じる沢田冬樹、息子アンドリを演じる小石川桃子、後方の窓にいるのは白痴、すべての役者が名演だった)

こんな凄い演劇作品があるとは初めて知った。ユダヤ人差別が主題のように見えるけれど、もっと奥行きが深い。(1)自分は差別の加害者にはならないという自己欺瞞、そして(2)自己肯定感を持てないがゆえに他者を愛することができない、という二つの主題が深く絡み合っている。「アンドーラ国」とはスイス、「隣の黒い国」とはドイツを暗喩しているが、日本にも該当する普遍性がある。アンドーラ国のある教師は、愛人に産ませた子アンドリを、「隣の黒い国で差別されるユダヤ人の赤ん坊を救って養子にした」と嘘をつき大切に育ててきた。そして、「勇気ある良心的な教師」という周囲の称賛に自分の虚栄心も満足させてきた。しかしアンドリが妹のバブリーンと結婚したいと言い出したので、(腹違いではあるが)実の兄妹は結婚させられないので、父は「ユダヤだからだめだ」とまた嘘をついて結婚を許さない。そして、アンドリの実の母も偶然にやってきて、そして彼は自分が産んだ子だと言う。しかし、アンドリ自身が自分はユダヤ人だと思い込んでおり、そのアイデンティティから逃れられないので、自分がこの父の子だという事実を受け容れることができない。ずっとアンドリの味方だった神父の説得ですら彼は受け容れない。周囲の人々もすべて同じで、「隣国で差別されるユダヤ人を救った」という自己欺瞞から逃れることができない。自分たちの美談=自己欺瞞を守るためには「アンドリはユダヤ人でなければならない」のだ。結局、アンドリと、(秘密をバラしうる)生みの母の元愛人は殺され、父は自殺、バブリーンは発狂という、とても悲しい結末に終わる。(写真下は、愛し合うアンドリとバブリーン、そして神父、父と元愛人)

それにしても、登場するキャラクターがどれも奥行きが深い。写真下は↓、アンドーラ愛国者を自称しながら「黒い国」の命令に従う若い兵士、そして「ユダヤ人選別官」。「ユダヤ人選別官」というのは本当に存在したのだろうか。身体の一部を丁寧に観察してユダヤ人かどうか識別する。まったく無口で一言もしゃべらないのがとても恐ろしい。舞台では、アンドリの眼をじっと覗き込んだり、くるぶしを指で探った程度だが、男子なら割礼の跡を調べれば識別できるから、本当に「ユダヤ人選別官」はいたのかもしれない。

この作品は科白が深く厳しい。神父はアンドリに「汝の隣人を愛しなさい、汝自身を愛するように」と、その後半を強調する。アンドリもバブリーンも、その父も、結局、どこまでも自己肯定感をもてないがゆえに他者を愛することもできない人たちなので、この言葉はきつい。また、誰の科白か忘れたが、「ユダヤ人は、すべての受難の究極の理由を<自分はユダヤだから>というその一点に帰着させる」という言葉もきつい。ガザ問題などで、イスラエルという国家の特異性が露わになったが、ユダヤ人の自己意識に、こういう部分が本当にあるのかもしれないと思った。ガザ問題でイスラエルに優しいドイツの知識人たちの意識は、「自分は加害者にはならない」という一点を意識の支えとする「アンドーラ国」の人々と通じるものがあるのではないか。それにしても本作は、<救い>がまったくないようにみえるが、もし僅かな<救い>があるとすれば、「人間は、自己欺瞞から解放されることはできないが、しかし少なくとも、自己欺瞞の醜さを意識し、それと向き合うことはできる」ということなのだろうか。翻訳、演出も見事、役者も見事、この作品を完全に表現した舞台だった。

 

 

[今日の絵] 3月前半

[今日の絵] 3月前半

1 de Vinci : ラ・ベル・フェロニエール1490

「フェロニエール」とは、額に着けられている金細工の飾り、ミラノのルドヴィコ・スフォルザ公の恋人であるルクレツィア・クリベリか、若々しくて生き生きとしており、とりわけ眼差しが美しい

 

2 Dürer : 若いヴェネチアの女性の肖像 1505

デューラーの二回目のイタリア旅行で描かれた、上流階級の若い女性と思われるが、上品な顔立ちといい、昨日のダ・ヴィンチの「ラ・ベル・フェロニール」と同様に眼差しの美しさなど、古典的で模範的な肖像画

 

3 Raffaello : ヴェールをかぶる女1516

モデルは、ラファエロの晩年の愛人「フォルナリーナ(パン屋の女)」といわれている、彼女には品位ある豊穣さがあり、そこが特に美しい

 

4 Tiziano  : 美しき女1537

代表作「ウルビーノのヴィーナス」と同一女性らしく、彼は何枚も彼女を描いているが誰だか分っていない、ラファエロといいティツィアーノといいモデルを選び抜いている

 

5 Rubnes : シュザンヌ・フールマンの肖像 1623

アントワープの商人ダニエル・フールマンの娘、彼女の妹がルーベンスの二度目の妻、全体が明るく、美しい帽子が似合う、後にエリザベート・ルブランはこの絵を「その大きな効果はシンプルな日中の明るさと太陽のまぶしさを与える2つの異なる光にある」と激賞

 

6 Velázquez : The Lady with a Fan 1640

ベラスケス絵画では誰なのか特定されていない珍しい絵、フランスから亡命してきたシュヴルーズ公爵夫人という説もある、胸元が開いたドレスはスペインでは稀、右下の懐中時計はフランスで流行した等、ファッションがフランス風らしい

 

7 Rembrandt : ヘンドリキエ・ストッフェルス 1654

レンブラント家の家政婦ヘンドリキエは1648年から彼と同棲するようになった、彼より20歳年下で結婚はしなかったが、晩年の画家を支え続けた優しい女性、地味系の顔だが、微かな笑みと眼差しが優しい

 

8 Murillo : Saint Rufina 1665

ムリーリョは風俗画ふうの女性が多いが、これは聖人、でもモデルは実在の女性だろう、ルフィーナは古代ローマセビリアの陶器商の娘で殉教、セビリア守護聖人の一人だった、静かな気品が美しい

 

9 Ingres : アングル夫人の肖像1815

柔らかい表情が美しく、眼差しが優しい、夫に対する彼女の愛情が感じられる、ただ手や袖などは描き方が故意に粗いのか、アングルの描く女性はこの絵と似た顔が多い、というより彼の好みのタイプを妻にしたか

 

10 K.P.Bryullov : M. A.ベックの肖像 1840

カール・パヴロヴィチ・ブリューロフ1799-1852はロシアの画家、新古典主義からロマン主義への移行の中心人物で、プーシキンゴーゴリトルストイ等が彼を激賞、この婦人の肖像も、アングルのような新古典主義的でもあり、それ以降のロマン主義的でもある

 

11ブグロー:漁師の娘1872

ブグロー1825~1905はフランスの画家、マネ以降の印象派等に組せず、あくまで新古典主義を継承したアカデミー絵画の中心人物、この絵でもそうだが、「漁師の娘」ならもう少し質実、武骨でありそうなものだが、どこまでも<優美>なのがブグロー

 

12 イリヤ・レーピン : 秋の花束 ヴェラ・レピナの肖像1892

レーピン1844-1930はロシアの画家、トルストイなどの深みのある肖像画で名高いが、これは妻、それほど若くはないと思うが、どこかお嬢さんの雰囲気があって、妻への画家の愛が感じられる

 

13 Makovsky : Portrait of a young woman

マコフスキー1839-1915はロシアの画家、「若い女性の肖像」をたくさん描いており、どれも、やや斜めの角度から描かれる顔の耀きが美しい、眼差しに特有の力があって、それが人物の存在感を高めている

 

14 Hans Deiters:Magdalena Deiters

ハンス・デイタース1868-1922はドイツの画家、三美神など神話的な女性をたくさん描いた、それらは写実という感じではないが、これは妻だろうか、写実的だ、年齢は若く、よく見ると顔はまだ少女のように初々しい

 

15 Vladimir Volegov : Tea on the balcon

ヴォレゴフは旧ソ連生まれで、スペインで活動する現代画家、女性をたくさん描いているが、どれも体勢に非常な工夫がある、この絵も、この構図の中でのこの体勢がいい

 

[オペラ] プーランク≪カルメル会修道女の対話≫ 新国 研修所公演

[オペラ] プーランクカルメル会修道女の対話≫ 新国 研修所公演 3.1

(写真は舞台、下は開幕、左からラ・フォルス侯爵、娘ブランシュ、その兄)

これまで3回ほど観た舞台と、今回は大きく印象が違った。その理由は、ブランシュを前景に出して、コンスタンスがやや後景化されているからだろう。私の理解では、本来はコンスタンスが本作の実質的主人公であり、『リア王』のコーディリア、『トゥーランドット』の女奴隷リュウなどと同様の位置にある。カーテン・コールはコンスタンスが最後から4番目?なのでちょっと驚いた。おそらく演出のシュテファン・グレーグラーの明確なコンセプトでこうなったのだろう。腑に落ちなかったので、帰宅して、本作の一番最初の元テクストである、ルフォール『断頭台の最後の女』1931を読んだら(マリー修道女が残した「報告」は未入手)、やはりベルナノス『カルメル会修道女の対話』とは大きく違った。カトリック作家ルフォールは、フランス革命におけるカルメル会修道女たちの受難と戦いを讃えるために(1906年ローマ教皇ピオ10世によって彼女たちは「福者」に列せられた)、原理主義者のマリー修道女、柔軟なリドワーヌ新修道院長、そして修道院から逃亡した「困ったちゃん」ブランシュ修道女の三人を軸に描いており、コンスタンスはほとんど出てこない。基本的には、フランス革命の教会弾圧への批判が、ルフォールの主導動機なのか(そして、おそらくブランシュ修道女はルフォールの創作キャラで実在ではない)。つまり、物語においてコンスタンスが中心的役割を果たすのは、あくまでベルナノス版からだ。とはいえ、ブランシュを除く修道女は全員実在で、マリー修道女が詳細な事件の記録を残しているから、それを検討しないとコンスタンス修道女の位置づけは本当は分らない。(写真↓は、革命政府によって修道院から追放される修道士、すぐ左がコンスタンス)

しかし、今回のグレーグラー演出で、通常はあまり見えてこなかった側面に気付かされた。それは、ブランシュの家族愛と修道院生活との葛藤というフロイト的問題であり、ラ・フォルス侯爵という(ディドロヴォルテールなどに傾倒した)自由思想傾向のある上級貴族の父と、過剰に宗教的傾向をもつ性的に潔癖すぎる娘との間にある葛藤という問題も、たしかに『カルメル会修道女の対話』の一つの要素なのだ。ルフォールディドロの小説『修道女』を厳しく非難しているが、革命政府の教会敵視と弾圧が野蛮なものであったにせよ、革命政府の教会批判には、家族と切り離されて修道院生活を送ることの本質的な意味への問いが含まれてもいる。『カルメル会修道女の対話』は、作者の意図を越えてそうした問題を浮かび上がらさせたというのが、グレーグラー演出の視点なのだ。コンスタンスとブランシュの友情よりも、修道院弾圧の政治性が含意するものが重要なのだ。写真↓のように、修道服禁止になり平服に着替えさせられたカルメル会修道女たちの周囲に散乱する衣服は、一瞬、アウシュビッツで処刑前に脱がされた服の山を想起させた。たまたま先週観たMetライブのヴェルディナブッコ≫が、主にウクライナ人歌手とロシア人歌手に歌わせているのに驚いたが、オペラの演出は、同時代の政治に敏感に反応するものなのだ。

しかしそうはいっても、『カルメル会修道女の対話』の真の主題は、「愛を受け容れることのできなかった」ブランシュが(『リア王』のリアがまさにそれ)、愛のアレゴリーであるコンスタンス(『リア王』のコーディリアがまさにそれ)から愛を贈与され、最後の最後にようやく「愛を受け容れる」ことができて、そして二人一緒に断頭台に向かう、という崇高な<究極の愛>であるはずだ。(ちなみにルフォール版にはこの要素はまったくなく、最後に革命広場のカルメル会修道女処刑の現場まで来たブランシュは、貴族の娘を憎悪する平民暴徒の女たちによって殴り殺される。) その意味では、この作品の核心からややずれた演出ではないだろうか。