[今日のうた] 4月

[今日のうた] 4月

行く春や鳥啼(な)き魚(うを)の目は涙 (芭蕉1689『おくの細道』、旧暦三月二七日、芭蕉は、深川から隅田川を船で千住まで行き、そこで見送った人々への別れの挨拶句、芭蕉の句には旅の挨拶句が多く、人と人との出会いと別れが重要な句興の場であった) 10

 

大酒(おおざけ)に起きてもの憂き袷(あわせ)かな (榎本其角、「袷」というのは、旧暦の四月一日に衣替えで着る服、「前の晩に酒宴で酒を飲み過ぎたよ、翌朝、せっかくの新調した袷を身に着けたけれど、ちょっともの憂いなぁ」、酒好きの其角らしく豪快に春の「もの憂さ」を詠む) 11

 

桃の木へ雀(すずめ)吐き出す鬼瓦 (上島鬼貫、「吐き出す」がいい、屋根の鬼瓦から桃の木へ向かって、どっと「吐き出される」ように雀の群れが移った。鬼瓦の鬼の面が怖くて驚いたわけではないが、雀の勢いをこんな風に表現するのが鬼貫の俳諧味) 12

 

平地(ひらち)行きてことに遠山(とほやま)ざくらかな  (蕪村、広大な空間性をもつ美を詠めるのは、なんといっても蕪村、「ことに」という小副詞を挟んで二つの大きな空間を接合する) 13

 

春風や牛に引かれて善光寺 (一茶1811、一茶が故郷の柏原に最終的に戻ったのは1812年で、これはその前年、49歳の一茶は歯をほとんど失い健康も衰え始めていた、ゆっくりと歩く牛にはとりわけ親しみを感じただろう) 14

 

受験生頭で割りぬゆで卵 (山田知明東京新聞俳壇」4月14日、小澤實選、「気分転換でやっているのか、それともちょっとヤケになっているのか。この受験生の合格を、選者として祈りたい」と選評、おまじないなのかもしれないし、自信の表れなのかもしれない) 15

 

花衣移ろふ闇に色のあり (加藤草児「朝日俳壇」4月14日、長谷川櫂選、「くらがりの衣桁(いこう)にかかる花衣。刻々と闇に沈んでいく」と選評、花衣というものは闇に沈むときも存在感を失わない) 16

 

陽は谷へ谷を埋めて花みづき (佐藤鬼房、「午後、陽光が谷の深いところにも当ると、そこは花水木で一杯だった」、花水木は街路樹として見かけることが多いが、野性にもあるのだろう、作者1919~2002は宮城県俳人) 17

 

返された合鍵で開けてみるドアきみの気持ちで開けてみたくて (風花雫「東京新聞歌壇」、4月14日、東直子選、「共同生活を終えることになったのだろう。「きみ」が使っていた合鍵を使ってその気持ちを想像した。「共に流れた時間を愛おしむように」と選評、物語のある歌」) 18

 

スーパーへ買い出しに来るママチャリの力士見かけて大阪は春 (中村玲子「朝日歌壇」4月14日、佐佐木幸綱永田和宏共選、「大阪場所が開催される春三月ならでは風景。どことなくユーモラスなのが嬉しい」と佐々木評。なるほどママチャリの方が力士は乗降しやすいのか」) 19

 

玉衣(たまきぬ)のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来て思ひかねつも (柿本人麻呂万葉集』巻4、「自分の旅出ちを見送る人達のかすかなざわめきが静まってみると、家に残した愛しい妻ともっと言葉を交わすべきだったと、悔いが残る」、「玉衣のさゐさゐ」は妻の美しさをも表現している) 20

 

春日野のわかむらさきのすり衣(ごろも)しのぶの乱れかぎりしられず (在原業平伊勢物語』、「狩衣(かりぎぬ)の裾を切って女に送った」歌、「しのぶの乱れかぎりしられず」が色っぽい) 21

 

言ふ事の恐(かしこ)き國ぞ紅(くれなゐ)の色にな出でそ思ひ死ぬとも (大伴坂上郎女万葉集』巻4、「世間の、人の噂はとても恐いわ、だから貴方、私を思ってくれる気持ちを顔に出しちゃだめ、思い死にするほど苦しくってもよ」) 22

 

妹が髪上げ竹葉野(たかはの)の放れ駒荒びにけらし逢はなく思うへば (よみ人しらず『万葉集』巻11、「君は、その豊かな美しい髪を荒っぽくたくし上げて、たてがみのようになびかせ、放し飼いの馬が荒れすさむように、僕から離れていってしまったようだ、もう逢ってくれないのか」) 23

 

いかにせん恋ひぞ死ぬべき逢ふまでと思ふに懸かる命ならずは (式子内親王『続後撰集』巻11、「貴方に恋してしまったので死にそうだわ、逢わなければ・・とか思ってずるずる生き延びてるけど、そうじゃなければ死んじゃいそう、あぁ、いったいどうしたらいいの」) 24

 

むばたまの妹が黒髪今宵もやわがなき床に靡(なび)き出でぬらむ (よみ人しらず『拾遺集』恋三、「君とはこのごろ疎遠になってしまったなぁ、今夜も君の傍らには、僕の代りに別の男がいるんだろうか、その美しい黒髪を君はなびかせているんだろうか」) 25

 

蝶飛んで女一人の渉る (高濱虚子1935、「渉る」は「かわわたる」と読むのか、一匹の蝶と一人の女が一緒に連れ添うように「川をわたった」、女は歩きだろうか小舟だろうか、いかにも春らしい) 26

 

薔薇垣の夜は星のみぞかがやける (山口誓子1932、「新月の頃で月明りはまったくない、でも満点の星の光だけで、そこに垣根のバラがあることがよく分る」) 27

 

発車する列車と歩み春日面(も)に (橋本多佳子1940『海燕』、友人か家族の誰かを駅のホームで見送っているのだろう。ゆっくりと列車が動き出し、自分も一緒に並んで歩く、窓の顔に「春日」が当たる中、ゆっくりと遠ざかっていく) 28

 

つばくらめ斯くまで竝ぶことのあり (中村草田男『長子』1936、草田男はツバメを詠んだ句も多い、ツバメは、鋭く翻りながら飛ぶ姿もいいが、等間隔に美しく「並んで」停まる姿もいい) 29

 

春蝉にわが身をしたふものを擁き (飯田龍太1949『百戸の谿』、「公子六歳となる」と前書、兄弟がほとんど戦死した作者、子どもはまだ長女一人だった、山梨県の山村で、長女を抱く作者を祝福するように春蝉を鳴いていたのだろう) 30

[今日の絵] 4月後半

[今日の絵] 4月後半

18 Michelangelo : Sistine Chapel (detail)

人物画で顔が重要なのは、そこに人格が表れるから、つまり人間の内面が一番表れるのが顔、角度や向き、質感、影の付き方、視線の鑑賞者との衝突の有無など、すべて関係する。ミケランジェロのこの絵は部分だが、ふっくらとした優しい感じが見事に描かれている

 

19 デユーラー(またはその弟子) : 紳士の肖像

この顔は、ほんの僅か上方を見ている目が素晴らしい、おそらく、相手の顔をじっと見ている眼差しだ、「相手にじっと見詰められると、その視線に耐えられず、落ち着かなくなる」(ヘッセ『デミアン』)、そういう視線

 

20 Vasily Tropinin : 画家の息子 1818

トロピニン1776-1857はロシアのロマン派の画家、40歳過ぎに農奴から自由になり、これはその直後、息子を画家が見守っている感じ、息子に対する深い愛情が読み取れる

 

 

21 Edward Davis : Innocence

エドワード・デイヴィス1833-1867はイギリスの画家、若死にしたが子ども等の生き生きした絵を描いた、これは、うつむき加減で上目遣いだが、内向的で人見知りしそうな少女なのだろう

 

22 Edgar Degas : Head of a Woman 1873

ドガの描く人物はたいがいは不機嫌な感じだ、この絵はわざと視線が分らないように描いている

 

23 ルノワール : 青い帽子の少女1881

ルノワールの描く少女は、目に特徴があって、知的な印象を受けるものが多い、たんに可愛いというのでもなく、大人の女性のように官能的でもない

 

24 Pierre Auguste Cot : Female Portrait

コット1837-1883はフランスのアカデミズム派の画家、どの絵も、描く女性の、内側から柔らかに膨らんでくる優美な肉体性が美しい、この絵も、顔、首、胸がとても優美で、眼差しも遠過ぎず近過ぎず、適度な距離を見ている

 

25 Franz von Stuck : Frau Feez 1900

フォン・シュトゥック1863 – 1928はドイツの画家、彫刻や建築もなした、メリハリの効いた絵を描く人で、この普通の人物画も、全体があっさりした筆致の中で、目を強調しているので、それが生き生きした表情を生み出している

 

26 アンリ・ルソー : 自画像1903

アンリ・ルソー1844-1910は49歳まで薄給の税官吏で、日曜画家だった、誰からも絵を習わず自己流の人、幻想的で不思議感のある絵がアンデパンダン展以降に認めら、やがてピカソなどに激賞された、遠近感・立体感がないが、人間や動物がどれも「面白い」顔だ

 

27 Modigliani : Young Girl with Blue Eyes 1917

モディリアーニの描く人物は、単純な線と面と色彩だけなのに、なぜこんなに美しいのだろう、顔の形と目との調和が魅力的で、光の方向は微妙だが、この女性がどういう人であるのかがよく分る

 

28 Picasso : Marie-Therese leaning 1939

マリー・テレーズはピカソの7人目の女、1927年、17歳のとき(写真)45歳のピカソの愛人になったが、妻オリガがいたので、関係は最初は秘密だった、1935年に彼女はピカソの娘マヤを生み、この絵の時点では母になっている、静かで落ち着いた母の顔

 

29 Heinrich Zernack : The Artist's Wife, Isa

ゼルナック1899 – 1945はドイツの画家、どの人物画も目が鑑賞者をじっと見詰めている、これは妻、目は小さく、どちらかというと地味系の顔かもしれないが、少女のような可憐さがある

 

30 Chagall: Self Portrait 1914

シャガールの絵はメルヒェンぽいものが多いが、さすがに自画像はそうではない。この絵の彼は27歳、視線がとても鋭く、鑑賞者を睨むかのようだ

[折々の言葉] 3、4月

[折々の言葉] 3、4月ぶん

 

趣味とは、些細なことにおいて自分を知る技術に他ならない。人生の楽しさは些細なことから織り成されるのだから、そういうことに心を向けるのは、どうでもよいことではない。(ルソー『エミール』) 3.1

 

人生の目的は、他者とのよい関係性そのものを生き、楽しむことにある。(植村恒一郎) 4

 

彼は、夫としての愛情など持ってはいないのだ。兵士が性能のよい武器を大切にするように私を大切にする。それだけのこと。(シャーロット・ブロンデ『ジェイン・エア』) 8

 

曲がった棒を直すためには、その曲がった角度と同じ角度だけ反対側に棒を曲げ返すべく2倍の力をかける必要があるとしても、驚くことはないでしょう。(デカルト省察』第5答弁) 11

 

パリの女たちには、顔の外観があるように、性格の外観というものがある。・・・彼女たちは流行を支配している、つまり、一人一人が流行を自分に有利なように適応させるすべを心得ている。(ルソー『新エロイーズ』) 15

 

ともかく、戦争とゲームとの境は見分けがたいのです。(ジャンケレヴィッチ『死とはなにか』、ウクライナやガザの戦争) 18

 

「<いや>と言うのは簡単なことだ」「いいえ、いつでも簡単とは限りませんわ」(アヌイ『アンチゴーヌ』) 22

 

王様の掟だってしょせん人間の掟です。だから人間ならそれを破れます。(ブレヒトソフォクレスアンティゴネ』) 25

 

恋愛というのは、誰もが一生に何度か経験するのだろうが、自分が本当に恋愛しているのかどうか、疑ったことがあるだろうか。自分がいま経験しているこれが恋愛であるということを、誰がどうして知るのだろうか。(秋山駿『恋愛の発見』) 29

 

敗北をこうむったのは、戦いを求めたからだ。(カフカ『審判』) 4.1

 

ソフィーは美人ではない。けれども、彼女のそばにいると、男性は美しい女性たちのことを忘れてしまうし、美しい女性たちも自分に不満になってくる。(ルソー『エミール』) 5

 

耳が満足すれば、目も満足したくなる。・・アリストファネスを読まない人は、人間がどこまで快活になれるかが、分からないかもしれない。(ヘーゲル『美学講義』) 8

 

どうして詩がすばらしいかっていうと、詩を読むと、この世にないものまでわかるからよ。しかも、この世にないもののほうが、この世にあるものより素敵でずっと真実に近いんですもの。愛さずにはいられない、愛さずにはいられない!(ツルゲーネフ『初恋』) 12

 

迸(ほとばし)り出る自分の思いそのままに生きようとしただけなのに、なんでそれがこうも難しかったんだろう。・・どんな人間の一生も、つまりは己へと向かう道だ。試行錯誤の道、かろうじて見える小道。だけど自分自身になれた者なんていまだかつていたためしがない。(ヘッセ『デーミアン』) 15

 

そのとき私の胸には、イヴの不埒に対する義憤が湧きあがった。天地が造物主に服していた当時、イヴは、創られて間もないただ一人の女でありながら、無知の帳の下にとどまる辛抱ができなかった。だが、もし仮に、イヴが従順にその帳の下にとどまってくれていたならば・・・。 (ダンテ『神曲・煉獄篇』) 19

 

そんな話、信じるでしょうか? / 聖書を信じるくらいですもの、私の話だって信じるはずだわ。(ガルシア=マルケス百年の孤独』) 22

              

人間になることが一つの芸術である。/ 自由は一つの物質である、その個々の現象は個人である。(ノヴァーリス『断片』) 26

 

人間が人間として存在するかぎり、・・愛は愛としか交換できないし、信頼は信頼としか交換できない。・・あなたが愛したとしても相手が愛さず、あなたの愛が相手の愛を作り出さず、愛する人としてのあなたの生命の発現が、あなたを愛される人にしないのなら、あなたの愛は無力であり、不幸なのである。(マルクス『経済学・哲学手稿』) 29

[折々の写真 ] 3、4月

[折々の写真 3、4月]

3.6 『高慢と偏見』 1995、 BBC制作の6時間もの、ジェニファー・エイル[リジー]、 コリン・ファース[ダーシー]、クリスティン・ボナム=カーター[ビングレイ]、スザンナ・ハーカー[ジェイン]、いずれも人物とキャストがぴったり、『高慢と偏見』映画版は本作が断トツ

 

13 『ジェーン・エアBBC版、1983、ブロンテ原作の映画版は本作が断トツ、ジェーン役のZelah Clarke 1954~は有名女優ではないが、これこそ「ジェーン・エア」その人という感じ、彼女は、ゲーテ的な「教養小説」の主人公であると同時に神話的な愛のアレゴリーでもある

 

 

20 グレタ・ガルボ(1905-90)、「クール・ビューティ」という美女カテゴリーはおそらく彼女からではないか、『肉体と悪魔』1926が一番いいが、『グランドホテル』1932も『アンナ・カレニナ』1935もいい。『肉体と悪魔』『アンナ・カレニナ』動画が

Flesh and the Devil (1926) film of memories / 肉体と悪魔・思い出のフィルム (youtube.com) Anna Karenina. Vivien Leigh vs Greta Garbo (youtube.com)

 

27 『去年マリエンバートで』1961は、脚本ロブ=グリエ、監督レネ。その様式美は、デルフィーヌ・セイリグ1932-90という一人の女性の美を基軸に、空間をゆっくり回転している、こういう映像はもう創られないだろう。3分の動画

『去年マリエンバートで』 L'Annee Derniere a Marienbad (youtube.com)

 

 

 

4.3 アンヌ・ヴィアゼムスキー1947-2017は、ゴダールの二番目の妻だが、ロベール・ブレッソンバルタザールどこへ行く』1966でデビュー、少女のかわいらしさ、美しさ、生命が輝く。少女がかくも美しい映画がかつてあっただろうか。短い動画↓

『バルタザールどこへ行く』『少女ムシェット』 (youtube.com)

 

4.10 シャルロット・ゲンズブール1971~は、セルジュ・ゲンズブールジェーン・バーキンの子、映画『ジェイン・エア』1996では、原作のジェインとは違うイメージなのに、不思議な魅力があった、普通の少女にはない硬質なエロスの耀きがあるからだろう

https://www.youtube.com/watch?v=ukzkwHy9ovA

 

4.17 ハンナ・シグラ1943~、ファスビンダーの『マリア・ブラウンの結婚』1979、『リリー・マルレーン』1981、後者は特に良かった、ナチスの暴力性のど真中にいる美しい女、短い動画が、 Peer Raben 映画「リリー・マルレーン」 THEMA WILLIE part 1 & Smoke Gets In Your Eyes from LILI MARLEEN (youtube.com)

 

 

4.24ゴダール『中国女』1967は、「五月革命」前なのに予見したかのごとく学園闘争が描かれている、ゴダールの「遊び」感覚が全編に溢れる美しい映像、アンヌ・ヴィアゼムスキーは、可愛い紅衛兵にぴったりだった。動画

映画「中国女」予告編 - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)

 

[オペラ] ヴェルディ《運命の力》 Metライブ

[オペラ] ヴェルディ運命の力》 Metライブ Movixさいたま 4.22

(写真は舞台↓、男女の恋愛と戦争との関係が、本作の通奏低音のような主題となっている、それがとてもよく分る演出だった)

運命の力》はオペラとしては非常に深みのある作品だが、やや「問題作」でもあると思う。その理由は、本作が真の悲劇であるためには、復讐の鬼と化すドン・カルロにも何がしかの正義があり、ドン・カルロにも共感できなければならないのに、まったくできないからである。アルヴァーロの銃が暴発してカラトラーヴァ侯爵が死んだのは完全な偶然であり、アルヴァ―ロの責任はまったくない。恋人アルヴァ―ロと駆け落ちしようとした侯爵の娘レオノーラにも責任はまったくない。だから、アルヴァーロに復讐し、レオノーラを罰するために、二人を殺そうとするドン・カルロ(=レオノーラの兄)の行動には、正義はないはずだ。この点を作曲者であるヴェルディはどう考えていたのだろうか。そこが分らない。

 演出のトレリンスキ(ポーランド人)がインタヴューで言ったように、この上演にはウクライナ戦争が大きな影を落としている。ヴェルディには「アイーダ行進曲」のように、戦争を美しいものとして描くところもあり、本作では、ジプシーの娘プレツィオジッラが「戦争は美しい! 戦争は楽しい!」と繰り返し歌う場面があり(写真下↓)、兎の面を着けたバニーガールなど、戦争と性愛の密接なつながりが強調されている。それがよく分る舞台になっている。

レオノーレもアルヴァ―ロも非常に難しい役だが、リーゼ・ダーヴィドもセンブライアン・ジェイドも実に見事に歌い切った(写真下↓)。そして、インタヴューで紹介されたように、合唱の比類のない美しさ、崇高な美しさにも驚かされる。合唱の練習光景を見て、Metのオペラはここまで徹底した表現を追究していることに、あらためて感銘を受けた。