4月8日 

ばらばらに住んでいる娘たちを誘ってフリーライブ、てんしばへ。途中でヒョウが降ってきたりしたものの、そのあとはすっきり晴れて気持ちのよい野外ライブでした。

 

無料なのに、ラインナップも素敵。私たちが着いたころは、ちょうどサンデーカミデさんがピアノで歌っておられた。おもしろいカミデさん。その後、SPECIAL OTHERS高野寛さん、奇妙さんと好みの人々が続く。。。

SPECIAL OTHERS、これまでそんなに熱心に聴いたことはなかったのだけれど、ステージ最高に気持ちよかった!ちょうどお昼過ぎでビール片手に聴いていたら突然の雨、ヒョウ・・・ステージも中断して周りの人と持ち物共有しながら雨宿り。周囲の見ず知らずの人たちと雨除けしてたら、なんかギャラリーの連帯感、一体感も増して、いい具合にアルコールも心地よくなり、雨あがりのステージは異様に盛り上がった。最後の「Laurentech」は家族連れも、大人も子どももみんな波打つように会場が気持ちよく揺れて、虹も出てきて夢のようだった。

高野寛さんは、教授が亡くなられてから日も浅く、ユキヒロさんも亡くなられた現実もあってどんな感じか心配していたのだけど、それらの事実を醸成させている気風さえあり、落ち着いたリハーサルからはじまった。ちょうど高野さんのステージの時は青空も出てきて、ホントに素敵なシチュエーション。「風を集めて」「虹の都へ」と続いていく。いつも思うけれども、ギターのテクニックが素晴らしくて、その音が澄み渡った空気に響いて本当に心地よい。以前握手してもらったことがあるけれども、骨っぽいあの手からこんなとろけるような滑らかなギターの音を紡ぐことができるって素晴らしい。懐かしい曲もたくさんで、「ベステンダンク」なんか聴くと時代が変わっても新しい。芯のある音楽は強いな・・・と涙が出そうになる。最後に教授の思い出を語りながら「夢の中で逢えるでしょう」が始まる。。。これまで個人的に自分がしんどいときや悶々としたとき、YouTubeで土曜ソリトンの動画(高野さんと教授の演奏を緒川たまきちゃんが観ている動画)を見て救われた夜が幾度となくあったので(約30年来!)、グッときながら娘たちと一緒にコーラスに参加した。ほんとうにスペシャルで完璧な曲。夢のような時間でした。

あっという間に奇妙さんのステージ。奇妙さんはほんとに地元感漂う感じで、良い意味で肩の力が抜けた感じのステージ。思い出語りのようなBPM?という曲は、てんしばの夕暮れ時に切ない感じで、胸がキューっとなった。奇妙さんの歌のすごいのは、音の振れ幅が広いところなのかな。聴き手が奇妙さんの繊細な声をつかもうと近づくと、途端に説得力のある声でこちらの心をぐっと掴んで離さない。そのサイクルに心地よく耳が反応してしまう・・・歌い手としてやっぱりすごい人なんだな、と生歌聴くたびに思う。

帰りは名残惜しんで会場を後にする。娘たちとも別れて、一人帰路につく。。。

よい休日で、私の心はまだあの日に置いてきぼり・・・

 



3月5日 フルマラソンの日

いつかは走りたかったフルマラソン、コロナ禍で随分計画が遅れてしまったけれども、3月に夫とマラソン経験者の娘と3人でようやく出場することができた。

レースの日は快晴。マラソン日和。レースも快調で、30キロまでは1キロ5分30秒の速度を維持した。しかし、30キロ過ぎからガラリとその様相は変化し、足が全く前に出なくなり失速。途中もしかしたらサブ4できるかも!との思いも夢に終わる。結果は4時間12分、まあ初マラソンでは良しとしよう。

敗因は、会場近くに前日入りしてボタン鍋をたらふく食べすぎたこと、体重が重くなっていたこと、BGMの設定を失敗して内向的な韓国POPSが流れ続け、しんどい気分がなかなか晴れなかったこと、早く走るはずの家族が大きく失速して、何か自分なりに気の緩みが出てしまったこと…などなど。

レース後充足感はあるものの、思いの外悔しい感情が沸き起こって、なぜ30キロ過ぎから自分頑張れなかったのか…と後悔することしきり。その後は、リベンジでサブ4目指す5月の大会に申し込んだり、体重減らすためにご飯をゆっくり食べることを心掛けたり、お酒を控えめにしたり、モチベーション上げるためにウェアやシューズを新調したり…

そうしている間に、あと2週間でまたエントリーしているフルマラソンがやってくる。なんで途中からあんなに拷問のようにしんどいフルマラソンをまた走らなあかんのかとブルブルしたり。自分の感情がよくわからない。

最近は終業後にも5~10キロランしたり、レース1か月前の30キロランも一人で黙々とこなしてきた。サブ4できてもできなくても、まあいいかという気持ち。

 

何も変わらない日々を送っている。とりわけ欲しいものもないし、困っていることもないけど、何かにときめくこともない。少々仕事で大変なことはあっても、まあ、お給料もらっているのだから仕方ない。流れるように日々は過ぎていく。時々好きな映画を観に行って、ジョギングをした後は、美味しいものを食べて、好きなお酒を飲む。

私は20代後半に乳飲み子を抱えて夫の転勤でこの地に越してきたのだが、それから20年来とても親切にしてくれた老夫婦がいた。以前は、その夫婦のこともこの日記に書いたことがあるように記憶しているけれど、いよいよ自力で暮らせなくなり去年から施設に入ることになった。いつも通りかかれば電灯がついているその家が、去年から空き家のままで、ひっそり真っ暗。真っ暗な家の前を通るたびに、自分の子育てが終わったことも相まって、あの怒涛の日々はもう返ってこないなあ、なんてさみしい気持ちになっていた。あの頃は、ずっと子育ては続いていくと思っていたのにね。

先日その家に電灯がついていて、人の気配があったので、ジョギングついでに寄ってみると、まったく別人が住んでいて愕然とした。ほんとうにあの日々は終わってしまったんだ、という決定打を喰らって、しばらくぼんやりして、涙が止まらなかった。

ジョギングの際は、イヤホンで適当にサブスクの音楽を流しているのだけれど、家族の好んで聴いている傾向の音楽が流れるだけで、だれの曲かわからないことがある。ちょうど老夫婦の家から帰るときに流れた曲が、その時の私の心情を表している曲で、とてもとても20代後半からこの街に越してきて過ごした愛おしい日々への思いと相まって、嗚咽するほど激しく泣いてしまった。あとで曲名を見直すと、奇妙礼太郎さんの「思い出の店」という曲。あー、娘がボロフェスタにいって、とにかく生歌がすごかった、ライブで泣いたの初めてやった、って言って、その後リピートして聴いてたんだろうなあ。なんて思い出す。

昨日、我が家から歩いて10分のところで奇妙さんのライブがあったので、出かける。その曲を生で聴いて、やっぱり泣いてしまう。もう、あの老夫婦、私たちのことなんて憶えていないだろうな・・・なんて思いながら。でも、確かにあのあったかい時間の恩恵を受けれたことに感謝している。

思い出のメニュー眺めれば 懐かしい人と生きられたあの頃に

帰りたくなってしまって 後戻るわけじゃない

記憶の中までたどるから

時が経っても 時が経っても

www.youtube.com

 

最近の週末ジョギングは、もっぱら早朝に行っている。昼間は暑いけれど、5時過ぎの世の中は、山や湖面からの冷たい風がミックスされてさすがに爽やか。まあ、走っているうちに汗だくにはなるのだけれど。アップダウンの激しい道を15キロほど。私はどこに向かっているのか・・・。

娘たちが「さとうもか」ちゃんの曲をかれこれ5年ほど聴いていて、ボロフェスタに行っただの、インスタライブだの一緒に見ているうちに、私ももかちゃんフリークになってしまった。そこでもかちゃんとコラボしている曲を聴いてかわゆい声だーと思ったのが、DENIMSの釜中さんの声。

youtu.be

冬ぐらいからジョギングの時に聴くことが多い。クライベイビーの歌詞は秀逸だと思う。ギターもなかなかよくて、ジョギングのテンションが上がる。

悲観的観測はかなぐり捨て
吐き出すよ
枯れてはまた咲く
勝手に決められた筋書きなら書き換えよう

DENIMS - “Crybaby" (Official Music Video) - YouTube

最近見た映画について記録しておく。

・マイスモールランド

嵐莉菜さんの笑っているのに悲しそうな目が印象的。奥平大兼さんの瑞々しい演技に気持ちが救われる。移民の人々の現状はこの映画よりもっともっと厳しいものなのだろう。

・メタモルフォーゼの縁側

芦田愛菜ちゃんってホントにすごい。彼女には感情の引き出しが普通の人より沢山あって、心の機微を絶妙に再現するときには様々な種類の引き出しを頻繁に的確に開けて、感情を取り出しているみたい。感性でやっているのではなく、磨き抜かれたテクニックのようにも見えるので、これからどんな演技でもできるようになるのだろう。また、この映画を見て、自分の不貞腐れていた高校時代を思い出された。はじけることもできず、なんにもなれず、そんな自分にイライラしていた。今思うと、何に対しても心から楽しめていない卑屈な女子だったな。そんな自分の高校時代の苦い思い出が救われるような、すごくよい映画だった。彼女が、コミケに出店する勇気がなかった自分を憂いて号泣するシーン等は、自分のことのようで、見ていて胸が張り裂けそうだった。

・ベイビー・ブローカー

映画自体は、思っていたより単調だった。それでも、クライマックスの観覧車のシーンでは涙がこぼれそうになる。ここぞという場面の撮り方のテクニックはさすがだな、と思う。鑑賞後に是枝監督のティーチインが50分ほどあった。監督が、赤ちゃんをを見守る箱がお母さんのお腹の中からゆりかご、ワゴン車、ホテルの部屋、社会とどんどん大きくなる、そして赤ちゃん=子どもに関わる人が徐々に増えていく様を映したかったと仰られていて印象的だった。自分の子育てについても、本当にそうだったなあと実感することがあったので。今のコロナ禍にあっては、本当にお母さんたち、子育て大変だろうなと思う。最後の質問者が、「最近の事件、世の中の事情を憂いて、この先の社会に対して絶望的になったりしませんか?」と尋ねていた。自分もまさにそのようなことを考えることが多いこの頃だったので、回答を興味深く聞いたけれど、「私たちは生きている以上、社会に対して諦めてはいけない責任がある。絶望的になってはいけない責任があるのです。」と仰られた。映画監督、一般のしがない勤め人の私、その他それぞれ、、、各々の立場で社会に絶望せずに、何かしら良くしていけることはないかと考えていくことが大事なことだとはわかっている。でもそれはそれで、とても難しいことだ。いろんなことを考え出すと思考が止まらなくなる。

50歳になった。若いときには、自分が50代になるなんて想像もつかなかったけれど、なってしまえば何のことはない、中身は昔となにも変わらない私。

ここ数年、コロナで世の中は大変な時期を経たけれど、自分の日常はたいして変わらなかった。毎日仕事にいって(休日返上の日もあってだいぶ忙しかったけれど、仕事がなくなることを考えれば、ずっと恵まれている・・・)、ジョギングに行って、ビールを美味しく呑む。変わったことといえば、子どもたちが二人とも一人暮らしを始め、夫婦二人の生活に戻ったこと。少し楽になって、少し体重が増えたこと。閉経したこと。降圧薬を飲み始めたこと。

それでも時々娘たちが帰ってきたり、近くにいる大学生の甥っ子がご飯を食べに来たり、時には娘たちが彼氏を連れて遊びに来て、一緒にお酒を飲んだり・・・こうやって、ぐるぐる世代が引き継がれていくのだろう。

私は4月から仕事の配属、職位が変わり、これまでのがむしゃら体力勝負の仕事内容が一変した。エネルギーの使い方が以前と異なり、変な疲れがあって毎日夕食の皿洗いする前にソファーでうたたねばかり。読書、音楽鑑賞、映画鑑賞、ドラマ鑑賞・・・何もできないまま、毎晩ソファーで寝入ってしまう。体が熱くて眠れなくなるほど夢中になるものが見つからない自分。これが歳をとるということなのか、ただ疲れているだけなのか。

だから、これからはできる時に、少しずつでも、日々の日記を復活していこうと思う。

あっという間に今年も師走がやってきた。毎年8月位まではゆっくり季節が進んでいく感覚なのだけど、そこから年の瀬まではあっという間。特にコロナに左右される最近の世の中になってからは、それがひどいみたい。
それにコロナ前と後では、世の中がすっかりかわってしまった。社会の闇みたいなのがあぶり出されて、問題が顕在化し、目をおおいたくなるような質の仕事が本当に増えた。この国はどんな国になっていくのかな、これから。
荒んだ心を癒しに久々に九州の実家へ帰省。今年も年末年始は動かない方が良いのかなと考えて、早めの墓参り。今回の帰省はほとんど取れていない今年の有休を消化してゆっくりする予定だったのだけど、緊急の理不尽な仕事が立て続けに入ってしまいままならず。結局カレンダー通りの休みしかとれなかった。いつもなんでこうなってしまうのか…。土曜日の始発、日曜日の最終電車での帰省になってしまったけど、それでもよい帰省だった。
私も50になり、両親も元気ではあるけどだいぶ年老いた。久しぶりの実家では、どこに行くわけでもなく、畑に行くくらい。ゆっくり話すだけでも、満足そうな両親の顔をみて安心する。いつまでも二人で元気でいて欲しい。
明日から、また日常が始まる。今はkirinjiの新譜を聴きながら帰路についている。真っ暗な車窓を眺めながら、心に染みる音楽。50になった私にも届く色褪せない感性。聴き続けていてよかった。あなたの音楽は変わらずに私の暮らしを彩ってくれている。ありがとう。素敵な50代、万歳!