060904  タクシーの道順は誰が決める

いつの頃からか、タクシーに乗り行き先を告げたら、どこの道から行きましょうかとか、どこそこの経路でいいですかとか、そんなやりとりが出るようになってきた。最近ではそのことを規則にしたり、守れないと料金を返すとか、そういう会社まであるらしい。どういう経緯でそうなったのかはわからないが、道順を確認しなかったことによるトラブルがあるなどして、それが顧客満足度を左右すると考えたのだろう。

普段乗るタクシーは、私が言う「定番の」道順の通りに車を走らせて、何の問題もないように思っていた。この時点では、全く問題だと思わないくらい私の満足度は高い。しかし先日は違った。酔って「どこからがいいですかね」などと適当なことを言っていたら、「一番早く、安く行くならここですね」と車を走らせ、言葉の通り早く、安く、目的地に着くことができた。

実際に走ってみると、そんなに奇をてらった裏道ではなく、一般人ならともかくプロのドライバーなら誰もが知っていると思われる道だった。つまり普段の方が、そうした道の良さを知っていながら、お客様の要望通りに違う道を走っていたのだ。顧客の求めるものが「自分の言う通りの道を走ること」であるならばこれは成功だが、それより「早く」「安く」の方が顧客が求め、喜び、満足することなのではないかと考える。

この話は、いつも病院で私が考えていることと非常に似ている。患者さんへ治療方針の選択肢をいくつか示し、いい点と悪い点を十分説明し「どうしますか」と聞いて、相談しながら決めていくのが理想の型だと言われている。現実はちょっと違って、例えばちょっと頭をぶつけた時に、頭のCT検査をするかどうかを患者や家族に聞いてみて、その通りに行動することもままあることだ。希望があったので撮りました、なかったので撮りませんでした、という具合に。

しかしプロとしては、それでは不十分だと思うのだ。タクシーで言う「早く」「安く」が、医療においては「早く治す」「安く」「見逃しなく」などだとすると、必要がない検査はしない方がいいし、危険性があれば検査をお勧めするべきだろう。単に「どうしますか」と聞く前に、専門家としての意見があって、それを専門家でない相手に伝えなければ、素人が「適切な」判断というのはできないはずだ。

「どうしてあの時CTを撮ってくれなかったんだ」と後から言われる状況は、訴訟において非常に良くない状況である。しかしそれを恐れるがために、撮るか撮らないかを患者にゆだねてしまっては、一見患者の言うことを取り入れているようでいて、実は患者の利益になっていない。いいタクシードライバーは、道順を聞いてくれるかどうかではなく、いい道を教えてくれる人だと感じて、果たしていい医者とは何だろうかと考えずにはいられなかった。

打つとは思っていなかった

打っても法には触れないが、まさか自分が打つとは思っていなかった、ということなのか。病気の認識として、5分治療が遅れると死ぬ可能性がある、というイメージが、一番不足しているのだろうなぁ。自己注射の製品が作られるくらいの、重篤な疾患なんだが、それを教えるのはやはり医師の仕事か。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100227-OYT1T00604.htm

ネットで医師暴走、医療被害者

「産科医療を崩壊させた」という中傷
産科医療を崩壊させたのだ、と言うことは、確かに中傷(根拠のないことで名誉を傷つける)なのかもしれない。確かなことは、裁判が起こされたこと、それが報道されたこと、報道された後で該当地域で産科をやる病院が減少していわば崩壊したということである。ここについて因果関係を証明しろと言われれば、産科をやめる先生に「裁判は影響ありましたか?」とでも聞くしかないだろう。
ただ一方で、ミスがあったという証明もないままに裁判を起こされ、それが報道されたことで、担当した医師が「中傷され、深く傷ついた」と言ったとしたら、それは裁判被害者もしくは報道被害者として扱ってもらえるのだろうか。そもそも「医療被害」って、どういう被害なのだろうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100306-00000532-yom-soci

地域枠に空席

自分の同期あたりでも、成績上優秀だけども大学受験で医学部を避けた奴はいた。まして医学部志望であれば浪人する人も多い中で、高校卒業時点の決断で勤務地の縛りが出るならなおさらだ。結果的に、成績があまり良くない人が受験するという構図になれば、合格者を出せないという結果になるのかもしれない。6年間大学で教育しても、国家試験に受からないのならどうにもならないし。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100227-00000275-mailo-l45

人が死ぬことと落ち度

心筋梗塞になるといびきをかくかどうか、とかそういうことではなくて、「適正」な取り調べをしても人は死ぬことがあると主張している人が、人が死んでいるのだから「適正」ではなかったんだろう、という論点を争うという構図になるとすれば、自分の論拠が苦しくならないのだろうか。
http://lohasmedical.jp/blog/2010/02/post_2273.php#more

助かったのではないか

このように後から家族に詰め寄られることは、実はよくある。このニュースにある病名を使うと、最後に脳出血だとわかり、脳出血だとわかるためにはCT検査が必要で、CT検査をもっと早くにしていたら、と言われたら、診断技術が及ばずに申し訳ないとしか言いようがない。しかし、他の誰がやっても「申し訳ない」としか言いようがない状況というのは医療にはしばしば存在して、それって果たして申し訳ないのだろうかと思ったりする。裁判になれば、早くCTを撮っても結果を変えることができないと判断されれば、損害がなくなるわけなので、損害賠償にならなくなってしまうのだろうが、そういうことが問題なのだろうか。また、断った19の病院には責任はないのだろうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100226-00000639-san-soci