ブラッド・ファーザー(ジャン=フランソワ・リシェ)

 『ロスト・フライト』が最高だったので、監督の前作はどうだったのかなと見てみたのですが、正直、気が滅入るような行き止まりの掃きだめで生きている人々が殺しあう話なので手放しに面白かった!とはならなかった。しかしながら、こういう犯罪映画は時々見てなるほどよくできてたな…という感じで鑑賞したい気分ではあります。結論としては無駄なことをしないコンパクトな佳作で悪くなかったです。

 出演陣からいえば、(主人公)最近のメル・ギブソンはこういう小品でこそ輝くような気がするのと、ベトナムを生き抜いた元小隊長でバイカーギャングの元締めという(こういう存在、実在するのかも…と思わせる)役であるマイケル・パークスが異様な存在感を放っていました。一方、娘役は、お前が中途半端に犯罪渦巻く闇の世界に足を踏み入れなければこんなに人死には出なかったのに…というイライラさせられる役(まあこういう映画ではそういうものではあるのですが…)なんだけど、「ザ・ボーイズ」のスターライト役であるところのエリン・モリアーティだったんですね。個人的な好みですがやっぱり好きじゃないんだな。

☆☆☆1/2

極めて私的な超能力(チャン・ガンミョン)

 アジアの作家で、日本のポップカルチャーに勢いがあった時代(80~90年代)に影響を受けた世代の作家の作品を読むと、良くも悪くも表層的で物足りないなと思うことが多かったのだけど、それは正に「表層的であること」にアコガレを抱いて※オマージュしているから当然の帰結なんだけど、このSF短編集もタイトルからしてその系譜かなと思ったら、全然違った。テーマの射程の長さ、振り幅の広さ、いずれを取っても素晴らしかったです。

 それとこれは個人的な好みだけど、ケン・リュウやその紹介作品の、ゴリッとSFならではの異物感を投げ込んでくるよりは「情緒に落とす」感じが苦手で、この作品集ではそうじゃない方向性、クールさに惹かれました。

 むしろ欧米のSF黄金期(「あなたは灼熱の星に」)だったり、はたまたイーガンやチャンの思考実験の匂い(「アラスカのアイヒマン」「データの時代の愛」)もあるし、びっくりしたのは結果として光瀬龍みたいな日本SFの勃興期のテイスト(「アスタチン」)もあったりして、すごく充実していました。と思ったら、話題になっていた『我らが願いは戦争』の作者だったんですね。他のSFでない作品も読んでみたい。

☆☆☆☆

※要は飽食的ライフスタイルが満喫できる水準に至ったことの表明みたいな要素もあるからだと思う。

MEN 同じ顔の男たち(アレックス・ガーランド)

 気持ち悪さが極まっていましたね。ホラー映画ということを踏まえるならばその強烈な印象が残るだけでも成功なのかもしれませんが、ありていに言えば「流行りの」フェミニズム・ホラーなんですよね。その点から評価するなら、物語の端々に現れる不快なシチュエーション、「おい、いまなんつった?」と画面に対して問いただしたくなるようなデリカシーのないセリフ、で女性が日常感じるであろう不快感を男性観客も仮想体験できる案配にはなっているのだけど、痛し痒しというべきか、気持ち悪さが勝ってしまい「繊細な不愉快さ」が薄まってしまう印象もありました。

 難点を上げるなら、よくない意味でA24らしい、アート写真のように撮られた場面が些か気取りすぎに感じた(なんか本当にA24ではよくある印象です)のと、結末の脱皮というか転生シーンはホモソーシャルの在り様の連鎖、その果てにある夫の振る舞い、というのをあまりにも図式的に絵解きしてしまっていてちょっと直球すぎでは?とおもいました。全体としてテーマが前景化しすぎているかな?

 夫役と同じ顔の男役の役者さんは、こういう役をあえて演じるなんて勇気があるなと思いました。

☆☆☆

最後のジェダイについて

 僕は『最後のジェダイ』は(真にエポックメイキングだった最初の三作の意義を抜きにすれば)スター・ウォーズ最高の一作だと思っていて、何周年とか新シリーズにことよせて、みたいなこととは全く関係なく、意見表明というか単純に感想として書いてみんとてするなりという文章です。

 ひとつには、「最後のジェダイ」絶対否定の保守的なファンが、僕の印象では一連の「マンダロリアン」シリーズには肯定的であるように思えて、しかし実際に見てみたら旧シリーズのディテールに淫するようなつくりだったから(もちろん面白いところもあったけれど)、やっぱり色々いっても同じことの繰り返しを良しとしているんだなと感じたからです。

 ところで、「最後のジェダイ」について、あえていかがなものかと考えている要素を最初に書いておけば、ディズニー諸作に見られるマーケティングとしての「多様性」アピール※みたいな部分と、尺を稼ぐためとしか思えないカント・バイトのくだりの冗長さですね。

 結局マーク・ハミルが自身の役柄について本当はどのように感じているのかは分かりませんが、いみじくも松尾スズキがコラムで触れていたように、役者人生にとって一種の呪いみたいになってしまった役柄に対して、あのように見事な花道を飾ってもらえたのはやはり役者冥利に尽きるのではないでしょうか。

 さて本題です。振りかえってみれば、いわゆるプリクエル3部作に対する失望があります。最終的にアナキンがダース・ベイダーに堕ちてしまうのは避けられない既定の設定であって、純朴な辺境の青年がいかにして変心するのかを説得力を持って描けるかどうかにこの3作の成否がかかっていた訳です。個人的な感想としてはまあぼちぼちというところ。しかし決定的に残念だったのは、「精錬の騎士たちであり、なんとなれば銀河共和国元老院にも物申す」というイメージだったジェダイ評議会の面々が言い訳がましい法執行機関に過ぎなかったところでした。

 加えて、最初は全く乗り気でなかったアナキンの処遇をクワイに免じて曲がりなりにもジェダイとして承認したならば、「有能で使い勝手のいいアサシン」として使うだけでなく、人の道、騎士の道を身に付けられるようにもっと愛情をもって細やかに面倒をみて、パルパティーンごときに付け入られる隙を与えるべきではなかった、と思いました。

 あと、元老院パルパティーンに乗っ取られる経緯も、あまりに図式的かつ杜撰な成り行きだから、「ぼくがかんがえた腐敗した政治と権謀術数」みたいに見えて、ああルーカスの演出の限界が哀しいくらい露呈してしまったな…せっかくならもっと見ごたえのある政治劇を展開してくれないと、これではアナキンが浮かばれないよ…と思ったものでした。(しかしながら、現実世界がありえないくらい杜撰な有様をその後見せ始めたから、的外れな怒りかもしれないけれど、プリクエルが余計嫌いになったということもありました。)

 ここで「最後のジェダイ」の話に戻ってくるんですが、ルークのところにヨーダが現れて、自分たちがしがみついていたジェダイの道は間違っていた、形式でなく己を信じよというのがその神髄だった(大意)といって、経典を燃やしてしまいますよね。プリクエルの体たらくに歯噛みしていた僕にとっては、あの場面が痛快だった。

 これに加えて、実はルークが直接指導していた弟子というのはカイロ・レンことベン・ソロだったのですが、おそらく父のおぞましい血脈を過剰に恐れて、経典に則った四角四面の教義に終始することで、伯父として愛していることや信じていることを十分に伝えられていなかったことに、人生の最後に至って今更ながら気づくんですよね。ここも涙なしでは観られない名場面でした。(というか、スター・ウォーズシリーズにおいては英雄譚の必置要素を図式的に分かりやすくなぞることが良くも悪くも定番だったけれど、ここは初めてその枠組みを突破してドラマを語ることができた瞬間だったのではないでしょうか。)

 いかがでしょうか。少なくとも僕はそういう部分がとりわけ好きでした。

※それ自体はいいことだと率直に思うけれど、全方位的に満点出そうということ自体に終始している気がして、それが観客にばれている時点でいかがなものかと感じてしまいます。

イコライザー THE FINAL(アントワーン・フークア)

 ジェイソンみたいな神出鬼没のモンスターが本当のヒーローだったら面白いんじゃない?という発想の転換がこのシリーズの企画の発端だったと思うのだけど※、いよいよ全面的にその要素を押し出してきたなという印象でした。ためて、ためてからの爆発だったからカタルシスがあって最高でした。あとイタリアが舞台だからなのか、ジャーロみたいな場面もあって面白かったですね。

☆☆☆1/2

※シリーズ通して監督は同じですが、1作目は引退した殺し屋がたまたま出会った悪行を見るに見かねて、2作目は恩人をむざむざ殺されてしまっての弔い合戦、というテイストの違いを付けていて、そこもよかったと思います。

ゴジラ(本多猪四郎)

 芹沢博士の中では、最初からオキシジェン・デストロイヤーの使用を決定するというのは自らの死とセットだった、と考えると不憫すぎて泣けました。同時に、現実の原爆もそのようにせめて1回限りの再現性のないものだったらよかったのにという作り手の切実さを感じて辛かったですね。その点からいっても、ハリウッドのゴジラって総じて原爆の扱いがアイテムどまりでどうしても受け入れがたいのだけど、芹沢博士の持つ意味を考えたら、ああいう感じで安易に名前を使うのはやめてほしいし、さらに汚すような息子の在り様なんて言語道断だと思います。

 ところで初代ゴジラの怖さはよく言われるところですが、ゴジラの容赦なさがというよりは作品全体のトーンが怖いですよね。最後にゴジラを葬っても勇ましい音楽が流れることなく、むしろ鎮魂の祈りをこめた「終」が粛々と掲げられる。

 映画としてのリッチさが随所にあって、こういう感じで作るのは時代性もあって二度とできないだろうなと改めて感じました。

☆☆☆☆

※わざわざ書くのも無粋だけど、尾形との様子を見て、芹沢博士が恵美子は最初から手の届かない存在だったんだと(もともと分かってはいたのだけど)理解した時、また絶対秘密にしてくれと頼んだ秘密の発明を最初に尾形に話したのか…と知った時の絶望がもう泣けて仕方がないんですよね。その上で最後の最後に「幸せになってください」と伝えるところも書いているだけで泣けてくる。

ゴジラ-1.0(山崎貴)

 正直、ドラマパートの演出がむずがゆくなるほど厳しかったです。どうしてああいう感じになるのかな。安藤サクラを比較すると分かりやすいけど、是枝監督などのように「そのような人が話している」という自然な演出は役者のポテンシャル的にも可能なんですよね。つまるところ、山崎監督としては、ああいった大仰な喋り方がベストというビジョンがあるということなんでしょう。しかしそれは人物というよりキャラではないか?そこまでしないと伝わらないと思っているなら観客なめんなよと思うけど。本気で次のゴジラは低予算でいいから是枝監督か濱口監督が撮ってくれないかな。

 一方、オスカーを受賞した視覚効果は本当に頑張っていた。海のシーンにおける波のリアクション(船やゴジラに対する)の自然さに顕著だし、まさに海のシーンに授与したんじゃないかなと思いました。

 物語的には、主人公の敷島が大戸島でゴジラの幼生を仕留めそこなったことが発端であることになっているのだけど、あの場面で仮に飛行機の機銃を当てられたところで殺せなかったと思うし、なんなら敷島がまさに言うように整備士たちが撃ってもよかった場面ですよね。あれって、特攻から逃げてきたならせめて怪獣を命がけでやっつけろよという意識が(橘に)あったとしか思えない。皆で協力して何とか撃退しようという工夫があった上でならばと思うけど、敷島が自責しなければならない理由はないと思いました。ただ、そのようななりゆきはあり得ると思うので、ストーリーの瑕疵とは思わないのですが。

 一方、あの場面のゴジラは、深海に棲んでいる得体のしれない生き物の不気味さが出ていて、中途半端な大きさであることの怖さを含めて、素直にいいなと思いました。

☆☆☆1/2