引っ越しのお知らせ

これまで、はてなダイアリーのアカウントを2つ使ってきましたが、1つにまとめることにしました。これにともなって、このブログを引っ越します。今月いっぱいで、こちらの方は停止しますので、再ブックマークをお願いします。
橋本健二の読書&音盤日記 NEW

原武史・重松清『団地の時代』

 都市や住宅と思想史を結びつける「空間政治学」を構想し、多くの成果を上げつつあるのが、原武史。対談の相手は、都市に生きる人々を温かい目で描き、団地を舞台とする作品も多い重松清。名コンビである。原の博識が、重松の柔軟な発想によって、絹糸のように形をとって紡ぎ出されてくる。団地の中に、日本の戦後史が立ち現れる。
 原によると、所得制限があって中産階級しか入れなかった団地は、英国の郊外住宅地のように保守政党の地盤になる可能性もあったのだが、学校や公共施設の不足を共産党が積極的に取り上げたこと、とくに教育問題が母親たちの関心をひきつけたことから、革新政党の地盤になった。団地は実は、高度成長期の政治を彩った革新自治体の重要な基盤だったのである。
 七〇年代に入ると、団地は全体的に進んだ住宅の質的向上に取り残され、人気を失っていく。しかし二人は、団地の将来について必ずしも悲観的ではない。高齢化とともに急速に荒廃が進んだニュータウンに比べると、団地には「発展しないことによる穏やかさ」がある。独特の共同性をもつ団地は、時には「滝山コミューン」のように排他的になる可能性もあるが、反面、マンションにはない温もりあるコミュニティを形成することもできるのではないか。すでに一部に兆しがあるように、若者たちを受け入れ、異なる世代、異なるライフスタイルの住民が共存共栄することもできるのではないか。
 なるほど、団地は二一世紀の下町なのかもしれない。衰退するかと思えたが、若者たちに再発見されて、新たな発展の手かがりを得る。現状では、ワーキングプアの多い若者たちが、アパートからマンションを経て一戸建てへという、一昔前に標準的とされた住宅キャリアをたどることのできる見込みは少ない。そのとき団地は、重要なインフラストラクチュアとして、若者たちに生活基盤を提供できる可能性がある。放置すれば老朽化するばかりの団地を活用する、政策立案が期待されるところである。

団地の時代 (新潮選書)

団地の時代 (新潮選書)

大橋隆『下町讃歌』

 著者とは、近所の銭湯風カフェ「さばのゆ」で会った。その場で奨められて買ったのが、この本。帯に「京都生まれが東京の下町を好きになるとは珍しく、新鮮。しかも下町の魅力は居酒屋と銭湯にありというのだから、、うれしいではないか」と、川本三郎の推薦文がある。
 著者は雑誌『東京人』で企画営業を担当していた人物。編集者ではないので、文章にはやや素人臭さが残る。浅草から始まって、上野、入谷、谷根千と、下町各所を回っていくのだが、情報量にもやや粗密がある。しかし、著者が愛して止まない浅草、若い頃から親しんだ早稲田周辺など、幅広い着眼と思い入れが相まって、類書にみない味わいがある。面白いのは、ときどき出てくる京都との比較。築地、月島、佃島を取り上げて、海と川を背景にもつ東京の地理的な広がりこそ、京都にない東京の魅力だという。
 素朴ながら分かりやすい手書きの地図が多数あって、散歩の参考に使える。一般書店では、なかなか見かけないかもしれない。

下町讃歌

下町讃歌

白波瀬佐和子『生き方の不平等』

 最近、このブログの更新が滞っていた。読書していないわけではないのだが、紹介しても読みたいと思う人がいないと思われる古い本や、必要な部分だけ読めばすむ本、あるいは紹介する気の起こらないような本ばかりだった。久しぶりに、新刊で紹介するにふさわしい本を読んだ。
 白波瀬さんは社会階層研究者で、オックスフォードで学位を取った俊英。といっても、研究スタイルは地道そのもので、世界各国のデータを丹念に分析し、知見を積み上げていくタイプ。文体も地味で、読んでいてわくわくするようなタイプとはほど遠い。本書は前著『日本の不平等を考える』の日本に関する部分を抜き出し、さらに官庁統計などによってマクロな社会的背景について補い、これを誕生から老後までというライフステージの順に配列したもの。ですます調の文体といい、一般読者にわかりやすくする工夫がされている。岩波新書編集部的文体、という点では橘木俊詔の『格差社会』と共通ということもできる。
 「お互いさまの社会に向けて」と題された終章の主張は、ロールズの名前を出さずにロールジアンの発想をこなれた形で呈示したものと思われるが、ある意味では控えめで、告発調とはほど遠い。これを訴求力に欠けるとみるか、懇切丁寧で説得力があるとみるか。しかし「格差より貧困」という最近の論調をはっきり否定したところは、わが意を得たりというところだ。
 なお前著と同様に、経済的に苦しいから子どもを産まないという傾向は認められないとした箇所(p.55)があるが、この結論は分析方法の選択ミスによるもので、私は間違いと考えている。これについては、『社会学評論』60巻3号に私が書いた書評を参照されたい。

生き方の不平等――お互いさまの社会に向けて (岩波新書)

生き方の不平等――お互いさまの社会に向けて (岩波新書)

海野弘『東京風景史の人々』

 著者は、近代都市文化史の第一人者といっていいだろう。原著は1988年で、長い間絶版だったが、少し前に文庫化された。税込み1100円という値段だが、その価値はある。
 大まかにいえば、前半は個々の画家についての評論で、後半は多彩なテーマを取り上げたエッセイ。長谷川利行という画家については、山谷近くのガスタンクを描いた絵で知っていたけれど、この人に「酒売場」という作品があるという。ネット検索してみると、神谷バーの内部を描いたものであることが分かった。これは、一つの収穫。関東大震災後、人々、とくに中間階級の人々の関心が浅草から銀座へと移っていったときに、川端康成がむしろ浅草へ向かっていったという指摘はおもしろい。1930年には「銀座は東京の神経であり、唇であるかもしれないが、浅草は東京の筋肉であり、胃腸である」と書いているという。今なら、新宿だろうか。
 銀座は特権的な場所だけに、階級的な憎悪の対象ともなりうる。アナーキストが起こした銀座騒擾事件についても言及されているが、これは拙著『居酒屋ほろ酔い考現学』でも触れた。東京論の必読書のひとつに入れていいだろう。

東京風景史の人々 (中公文庫)

東京風景史の人々 (中公文庫)

田中哲男編著『焦土からの出発』

 これも『TOKYO異形』と同じく、東京新聞の好企画。単に、戦争直後の記録写真を集めたというものではなく、ドラマがある。新聞社所蔵のもののほか、米空軍の元写真偵察部員が庶民を撮影し、のちに中部大学に託した写真、市民が所蔵していた写真などが多数収められ、等身大の歴史が立ち現れる。少年少女時代に被写体になった人々の何人かが名乗り出て、当時を証言しているところでは、感動的なエピソードも多い。
 新橋駅前に初めてバラックが建ち始めた頃の写真や、現在の新宿思い出横丁の北端の線路下通路あたりの写真など、ヤミ市時代についてはかなりの写真を見てきた私にとっても、新しい発見が多い。あの時代の雰囲気を、つねに手元で感じることができる、優れた写真集である。

東京の記憶 焦土からの出発

東京の記憶 焦土からの出発

森まゆみ『東京ひがし案内』

 東京の山の手と下町の境界に位置する谷中・根津・千駄木を拠点とした地域雑誌『谷根千』を手がけ、エッセイストとして活躍する森まゆみさんの新著。文庫オリジナルの企画である。「谷根千」と、その周辺の水道橋・お茶の水・湯島・本郷・上野・白山・春日などを中心に、東京の都心から隅田川沿いあたりまでを取り上げる。著者のホームグラウンドだから、長年の経験と博識を存分に発揮して、充実したエッセイになっている。
 著者は「文京区も旧小石川と旧本郷、坂の上と下では微妙に人気(じんき)が違う。私はやっぱり山の手より下町の方が気が合う」という。とはいえ、ここでいう下町とは、足立区や葛飾区など、工場郊外から発達した新下町ではなく、都心の下町。とりわけ、文京区の坂の下のこと。たとえば、瀟洒なマンションから坂を下った、印刷所の輪転機の音のする場所や、駒込の駅の裏口など。マージナル知識人の好んだ場所である。
 そんなスタンスが、幕軍びいきとも結びつく。藩閥政府の支配する都心をのがれた人々が抵抗の拠点とした巣鴨の昔に思いをはせ、靖国神社の問題点を「戊辰戦争の『官』軍側死者しか慰霊されていない」ことという。なるほど。
 ご病気と聞いているが、相変わらずの健筆である。

東京ひがし案内 (ちくま文庫)

東京ひがし案内 (ちくま文庫)