いろんな意味で複雑だったなっていうこと(映画「オッペンハイマー」)

クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」観てきました。日本での公開までかなり時間がかかってましたが、映画館の音響や大きなスクリーンで観られて良かった。

 

映画の大筋はタイトルでもある、「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーの、主に戦時中から戦後にかけての時代を取り上げた内容です。

が、これがとても「複雑」でした。というものの映画の構成はシンプルで、オッペンハイマー自身の視点(画面がカラーで表現されているカット)、敵対するストローズの視点(ロバート・ダウニーJr.が演じていて、画面がモノクロで表現されているカット)が分かりやすい。んだけど、カットがめちゃくちゃ速くてたまにどっちの査問会だっけ?となってしまってそこが複雑さの1つ。

このパートは天才で共感性に多少難のあるオッペンハイマーと、凡人でありつつ他者への共感を武器に成り上がろうとするストローズの対比がすごく良い、というかストローズの方に感情移入しちゃって、ここはロバート・ダウニーJr.の嫉妬や承認欲求に塗れたドロドロした部分を感じさせつつもさらっとそれを表情や仕草に乗せていく、そういう演技がハマってて良かった。

一方、オッペンハイマーの方は「計画」を率いていた時の誇り高い科学者ではなく、身近な人たちを大切にしたりしなかったりと気まぐれな気質や矮小さが目立っていてこれもすごく説得力のある「情けなさ」を、主演のキリアン・マーフィーが演じていてこちらも負けずに良かったです。

この査問会や委員会のパートだけでも二人の間にいろいろな思惑が交差した緊張感が垣間見えてて、さらに二人の間だけじゃない国家や世界といった大局の事情も絡み合ってとんでもなく複雑なシーンの連続でした。複雑ではあるんだけどちゃんと魅せるんだよね。そこがこの監督のすごいところ。

もう一つは、マンハッタン計画に関わる科学のパート。ここはこの映画の華とも言うべきところで、物理の教科書に出てくる超有名な科学者がゾロゾロ出てきてめちゃくちゃ楽しかった!アインシュタインと一緒に歩いていたゲーデル、ボーアにフェルミ、クリスマスプレゼント(笑)のハイゼンベルグ。物理の定理や公式に名を冠する科学者がさながらメドレーのように登場しつつ、計画がさまざまな障害を乗り越えて完遂する様が活き活きと描写されていて当時の科学者たちの葛藤や心情、倫理的な危機がすごくドラマチックでした。そういや、量子力学というかSF好きにはお馴染みのシュレディンガーは出てこなかったな。。それとも出てて気づかなかったのかな。シュレディンガーが観測できなかった(笑)

そういう楽しさの一方、この計画の結末を想像しない訳もなく、彼らが一つの課題をクリアする度にあの日が近づいてくる度に、科学技術が世界を変えていくことの楽しさ、そのことの後ろめたさも感じました。これがもう一つの複雑。

この科学のパートであの日を境にオッペンハイマーが抱いていた罪の意識を観客にも抱かせつつ、査問会や委員会のパートでその罪の所在を問う映画であったと思うんですね。ちょっと言葉にするのが難しいんだけど、ストローズがオッペンハイマーに対し「あいつ一人を悲劇の主人公にはさせない」とか妻のキティにも「一人で抱え込んでそれで許されようなんて思うな」みたいなことを言われるし、彼自身の罪が、科学者のさらには人類の罪というように、個人から離れていくんですよね。彼は原爆を作り上げた罪そのものを感じていた*1と思うけど、それが自分だけのものではないということに焦燥のようなものも感じていたのではないかと思いました。

 

なんとなく観ながら「いろいろ複雑だな」と思った感じをまとめてみました。この複雑さを保ちながら三時間くらいあるからね。なかなか大変な鑑賞だけどこういう大変さは好きだな。全然読み取れていないところもあるしまたちょっと間を置いて観たい映画です。本も出てるみたいだしそっちも読むかな。。

 

*1:被爆国から見ると原爆による被害の描写が極端に少ない、という意見もあると思うけど例えば計画の成功を祝う講演で黒焦げの死体を幻視する他、そのシーンの音を聞くと祝福の歓声とも原爆による負傷の悲鳴にも聞こえるし、会場を後にする彼が通り過ぎながら寄り添う二人や会場の外で嘔吐する若者を見るのだけど、被災して支え合う人たちや熱線で負傷した人の姿をそこに幻視していたんじゃないかな。映画的な手法で地獄がそこにあった、ということは表現されていたと思います

本読んでて途中からめちゃくちゃ面白くなるとやめ時がわからないなってこと

三月も終わりですね。

週に一回くらいしか更新してないせいもあるけど、1ヶ月があっという間に過ぎていきますね。というか一週間もなんだか早くて、ぼーっとしてるとブログに書くようなこともないまま週末が来て今週はまあいいや。。。ってなっちゃうんだよな。

まあ書くことないならないで無理には書かないけど、せっかく週一ペースに戻りつつあるしもうちょっと書くこと増やしますかね。ほとんど本とゲームのことだけだもんね。

 

とりあえず今回の更新は最近読んだ本のことメインでお送りします。

 

まずはこちら読み終わりました。

デューン 砂の惑星(中)

 

今公開している映画、「デューン砂の惑星 PART2」のだいたい半分くらいまでの内容を含む小説シリーズの中巻でした。陰謀に巻き込まれて過酷な砂地に追われたポールと母ジェシカが砂の民フレメンに助けられ、彼らの生活や文化に溶け込みながらもポールは幻視する自らの宿命に戸惑い、ジェシカは砂の民の教母となる道へ踏み出していきます。親子の葛藤やポールの迷いは映画で見たばっかりだったのですごくイメージしやすかったな。一方で小説ならではの描写として、ジェシカの教母となるための儀式に現れる幻視が、そのままフレメンの歴史を概観していて興味深かった。あと映画の方でもかなり凶悪だったハルコンネンの次期当主ラウサ、小説でも冷酷だけど現当主との確執も垣間見えて、敵は敵で一枚岩じゃない、いろんな思惑が渦巻いていて面白いんですよね。でもフェリング夫妻はなんか話し方がちょっとイライラするな(笑)映画版では夫妻ではなく妻だけ?で、この役のレア・セドゥさんの妖艶さがよかったな。

さて、引き続き下巻読み中。映画のPART3に間に合うかなー。

 

次はフーコーの振り子(下)

 

 

上巻の最後の方でようやく面白いな、と思えてきて下巻に突入したものの、下巻は下巻でまた途中まで読みだれてしまったんだけど、中盤から俄然面白くなってきて下巻の後半は一気読みでした。まあ後半も200ページくらいあってだいぶ長かったけどね。

この作者の文章、何言っているのか全然わからないのに妙に読ませる魅力があって、ところどころはてな?と思いながら読んでたんだけどそれほど苦ではなかったな。なにか分からないなりにこういうことかな?、とか本作のテーマの一つが陰謀論やオカルトなので、そういう捉え方もあるなとか、なんとなく想定を立てられたのがよかったのかも。

で、本作です。あるのかないのか証明が難しいものの中に関連を見つけて「ある」と信じること、そのこと自体を問題にしているのではないと思うんですよね。主人公サイドの三人が立てた「計画」は正にその手法でやっているわけだし、そういう出来事や残されたモノを解読して一つの文脈に乗せていくのは普遍的なやり方です。

しかしながら、『計画』を暗号のように解読する話、私たち三人が再現してみせた話こそ、<歴史>だったのである。

ウンベルト・エーコ フーコーの振り子 下 p510

人間はそこに<歴史>を、歴史というよりも私は物語という言葉の方がしっくりくるけど、なにかがあればそれを自動的に紐づけてしまう生き物で、この小説はというか、同作者の「薔薇の名前」でも思ったけど勝手に物語をそこに見出してしまうんですよね。非見立て殺人ミステリーだった「薔薇の名前」、今作は非歴史ミステリーというところなのかも。この三人から距離を置いた登場人物の言葉が印象的でした。

直感でも第六感でも、どう考えてもつじつまの合わないことを、ただまことしやかな講釈を並べ立てているだけで、話も論理的じゃないし、誠意のかけらも感じられないことぐらいは自分でもわかっていながら、それでも、神様は不可解でこの世は計り知れない神秘に満ち溢れている、と言われただけで、その支離滅裂な話そのものを神様のお告げみたいに信じてしまうのよ。

ウンベルト・エーコ フーコーの振り子 下 p381

そうなんだよな、この世につじつまの合わないことがあることが受け入れられない不寛容と、そこになんらかの意味を見出したいという欲。フィクションを読むという行為はこの二つを満たすためにあるのかも。めちゃくちゃ長いのに眠い目を擦って最後まで読んでしまったのは、なんらかのつじつまが合って、意味を見出せると思ったからだと思うんですよね。ただまあ、この作者に限っては分かりやすい結末も、簡単に見出せる意味も多分ないだろうなーってのは分かってたけどね(笑)

作中に登場する膨大な数の噂や陰謀やネタの数々を楽しみながら、意味を読み出すことってなんだろうな、ということが常に頭の隅っこにあったような、そんな読書でした。

あ、ちなみにテンプル騎士団にまつわるエピソードの中にちょっとだけ暗殺教団のことも出てきて面白かったな。アサシンクリードもある意味、歴史を読み出すことをテーマとした作品だよな。。

ゲームの予告編をみるともう一回やり直したくなるよねってこと

今回の更新はゲームの話と伊藤計劃さんのこと、の二つでお送りします。

 

えーと、ちょっと前になっちゃったけどゲーム「デス・ストランディング2」のトレーラー(予告編)が出ました。

DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH 

youtu.be

 

不気味なタールや穏やかではない人の死を感じさせる悍ましいシーンの中にも、どこか目が離せない奇妙な魅力のあるカット、そして「いつもの」思わせぶりなキャラクターたちのセリフ。いやー始まりましたね!小島監督作品はいつだって予告から既に「ゲーム」が始まってるんですよねー。

今回の予告編、気になるのはヒッグスと謎の剣士のバトルシーン。ここ、Redditのコミュニティでも話題になってるの見てて、ほんのり脳裏にサイボーグニンジャ(メタルギアソリッドに登場する外部骨格で強化したサイボーグ兵士)を想像した人が多かったみたいで、例外なくわたしも思い浮かべました(笑)

あと、ヒッグスが前作からさらに訳分からない方向にトチ狂ってて楽しい(褒)なんでギターから電流出るんだ。しかも割と高電圧。

お話の方は、前作で北米大陸を繋ぎ直したサムが次はメキシコを始めとして南米大陸方面?を繋ぐというこれまでの延長線上のものと、前作でずっと一緒だったポッドの中の胎児に関わるお話の二つのストーリーが予告から見えてきました。

これまでの「大陸を繋ぐ」というテーマの方は、これまで繋いだエリアは既に自動化がされているのでその外側へと向かい、前作で政府機関の役割を果たしていたUCAにも内と外という区分ができているみたいで、外側と内側という視点がありそうに思えました。こういう似たようなゲームの操作にも、続編では別の意味合いを持たせるあたり、MGSシリーズのメタルギアの扱いがMGS4では特別でもなんでもない普遍化した兵器として出てくるとかそういう例もあって、こういうところが小島監督作品だなと思います。すき(突然の告白)

ポッドの胎児に関わるお話の方はキャラクターの思わせぶりな台詞で意図的なミスリードもありそうだな、と思いつつやっぱりええ!?どういうことなの?ってなりますね。。というかポッドがあるからサムはBT(空中をゆらゆらしてる不可視の存在で、接触すると「あっち」に引き摺り込まれる厄介な敵)を可視化できてたんだけど、今回はもうポッドもないしどうするんだろう。。あと前作の胎児は誰だったんだ。。

 

発売は来年2025年とのことなので、それまでもう一回北米大陸をつなぎに行こうかな。。あのゲーム、ほんとやめ時が分からなくてずっと配達しちゃうんだよね。

 

ちょっと話題を変えて。

伊藤計劃さんのエッセイ「侵略する死者たち」を読んでいて、冒頭がとても印象的だったので引用してみます。

我々が死者に安らかであれ、と願うのは何故だろうか。それは死者が往々にして安らかではないからだ。

伊藤計劃記録 侵略する死者たち

こちらのエッセイは映画監督スピルバーグの作品歴の転換点に「ミュンヘン」と「A.I」を仮定し、死者の側(彼岸)や死のイメージがどのように彼の作品の根底に存在しているかを見出したテキストです。ちなみにここで既に「死者の帝国」というその後の伊藤さんの作品への言及もちらりとされているのも楽しい。

で、スピルバーグ作品とはまたちょっと違うことを考えていて、それはやっぱりデス・ストランディングのこと。このゲームは安らかではない死者が世界に満ち、生きている人間が地下へと逃避を余儀なくされ分断される物語。

死者のイメージが人の記憶に寄生し生きている人間を呪縛することを描いたスピルバーグ作品に対し、小島監督作品であるデス・ストランディングは死者の侵略が現実への影響力を持って現れた世界を描いているんですよね。

この死者が満ち溢れた世界、この死者はこちら世界に臍帯(へその緒)のようなもので繋がり、それを断ち切ることであちらの世界へと戻っていきます。これはあちらの世界に生まれ直している、とも解釈できる表現で死者と生者が表裏一体でもしかしたらこちらの世界が死者の世界なのかも、という錯覚すら覚えるほど。

それにこの物語、分断された都市を「繋ぐ」ことと、この世界と死者(BT)を断ち切る(実際ゲームでもカッターで切るアクションがある)こと、この切って繋いでの二つの側面があるんですよね。断ち切られた生者の世界を繋ぎ、この世界に繋ぎ止められた死者を断ち切ってあちらへと戻すこと。

スピルバーグの作品世界とは異なるけど(当たり前)、死が人に影響を与える、という起点からこんなに明確に死が世界に大きな影響を及ぼすところまで外挿する(そしてそれは全人類が避け得ない、終盤のイベントに到達する)小島監督の創造性すごいな、と改めて思いました。

 

 

最近見た映画とか読んだ漫画とか

先週はお休みしてたので二週間ぶりの更新です。

そういや先日久しぶりに明るい時間に外に出たんだけどずいぶん日が長くなってて、よく考えたら今月はもう春分の日なんだよね。そりゃ日も長くなるわ。あと『久しぶりに明るい時間に外出た』ってなんだかめちゃくちゃ不健康な人みたいだけど、昼間はほとんど家に居るってだけで起きてるし窓というかカーテンも一応開けてます。。開けてても気づいたら日が暮れてるんだよな。

 

最近見た映画

このブログ、『このブログについて』のところに映画の感想ブログですって書いているのに全然映画の感想書いてないので、ちょっと見直ししようかな。昔は拙いながらも結構書いてたんだけどね。。

 

まあそんなことはさておき、久しぶりに映画を観てきました。

デューン 砂の惑星 PART2

PART1も当然観てて、今本も読み進めている作品なので楽しみにしてました。

いやーすごいね。PART1でも巨大な宇宙船やら香料の採集マシンがズドーンと出てきてそれだけで楽しかった(デカいものがすき)のに、PART2ではいよいよ砂漠の主であるでかい砂虫が登場だよ!PART1でもチラ見せでそのデカさの片鱗を見せていたけど、とうとう出たね!虫全般ちょっと苦手なんだけど(口とかぞぞっとするけど)、あのデカさの前には気にならなくなったね。いやでも本当にあんなの目の前に居たら白目むいて倒れるけどね。。

それと香料を採取するマシンのデカさもいい。PART1にも出ていたけど今回のはちょっと風船ぽい部分とムカデっぽい脚の部分が特徴的なやつ。あれか、ムカデっぽい脚は砂に含まれる香料を巻き上げているのかな?北海道の方では路面電車の除雪用に、似たような機構のささら電車ってのがあるんだけどなんかそれを思い出したよ。

なんかデカい話ばっかりだけど、見た目のデカさもあるしこの映画、結構音響やスコアにも重低音が印象的に使われていて、大きなスクリーンと家では味わえないサウンドの両方が楽しめて良かったです。

あと、やっぱり砂漠の民フレメンの文化や信仰が興味深かったな。水がほとんど存在しない惑星ならではの生死観は独特だけど理解できるところが面白いし、砂の主が神格化してたり外の世界から救世主がやってくる、というあたりは文化研究の分野でなんか聞いたことあるな、とか刺激されるんですよね。そしてそういう鑑賞に耐えうる強度を持つ物語世界でもあるってことなんだと思います。

文化的な一面でありつつ今作最も見応えがあったのは、フレメンたちが闘うシーン。砂地を有利に使い潜み、機を逃さず敵陣へと一斉に駆けて次々と倒していく勇壮なシーンは本当にぞくぞくしたわ。ちなみにフレメンも敵陣も銃を使っている描写はないんだけど、香料が可燃性高いのかな?(採取地以外では銃も使われているように見えた)その辺は小説とかに書かれているのかも。

キャストについても少し。

主人公ポール役のティモシー・シャラメ、前作では細っこくて頼りない感じだったけど今作では砂の民たちを率いる指導者としての威厳や風格を身につけつつ、たまに繊細な表情を見せるあたりが絶妙ですごく良かった。

あと、ラッバーン(敵方ハルコンネンの甥)がどうしても「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のドラックスにしか見えなくてめちゃくちゃ混乱したわ(笑)

劇中に名前を呼ばれることがなくて分からなかったけど、プリンセス・イルーラン役がMCUのブラック・ウィドウの妹役の人だったんだね。ドラマの「ホークアイ」で印象的だったけど気づかなかった。というかプリンセス・イルーランは小説の方で章の始まりに彼女の書いた本が引用されてるから後で本を書くんだろうな。映画でもその資料的な感じで現状の所感を記録装置に残すシーンがあったしね。

さて、次を楽しみに待ちつつ小説の方も読み進めて行こうかな。

 

 

 

最近読んだ漫画

ゴールデンカムイを読み続けていてようやく十巻まできました。大雪山系ビバークするところまで。

 

 

 

 

そういやアニメもあるんですよね、ゴールデンカムイ。何シーズンかやってるみたいなので漫画読み終わったところは観てみようかなと思ったんだけど、アニメ、どこまでの区切りなのか分からない!ので漫画全部読み終わってから観ようと思います。ちらっと調べたら声優陣が豪華なので楽しみ。

 

この漫画、大筋のストーリーはあるし杉元とアシリパさんの二人が主役という軸はあるけど、群像劇の一面を持っていてそこがけっこう面白いなと思うんですよね。というのも、この漫画の多分最後の方の連載中にたまたま旧ツイッターを見てたら、あるキャラクターが死ぬ展開があったらしくファンの方のツイートを見てみたら、ただお気に入りのキャラがいなくなって悲しいというのではなくそのキャラの生い立ちや過去、作中の行動を細かく読み取った上でこの死はこのキャラにとってどんな意味があるのか、という批評(良い点も悪い点も見出しそれらに意味を付与すること)に近い感想を見かけたんですよね。で、実際読んでみてこの漫画にはそういう、キャラクターそれぞれに語り得る強い個性があるな、と。

さて、ここまで読んできていろいろな個性のキャラクターが出てきたんですが、今時点では東北の元マタギである谷垣と、日露戦争から戻った鶴見が興味深いですね。

谷垣は個人的な復讐心を持って戦場に赴き、偶然にもその復讐心の拠り所を失ってしまう。熊を殺す職業を捨て人を殺す戦場で意味を失った彼は、命を救ってくれた他人のために、自分自身へは喪った近しい人への追悼の意味を込めて行動を起こします。この漫画、他人のためか、自分のためかどちらかに寄った動機で行動するキャラが多いように思うんですが、谷垣は他人への理由も自分への理由もどちらも持っているキャラなのかなと思うんですよね。あと、彼の生まれ故郷の方言が私の地元とかなり近いので親近感があるんだよね。

鶴見は日露戦争において無謀な上官の命令に従わざるを得ず、理不尽な戦闘で多くの部下と自身の前頭葉を失い、戦後はもう二度とそんな理不尽さを繰り返さないために自らを頂点とした組織を目論みます。

この漫画、アイヌの日々の暮らしのように自然に接した過酷ながらも美しい「生」の一面と、日露戦争やヤクザの抗争などの理不尽で人の欲望に塗れている「死」の一面があると思うんですよね。その死の一面は悲惨で酷くもあるんだけど、どこか狂乱の宴的な派手さも備えていて、死の一面を体現するような彼の凶行や狂言には背徳的な華やかさがある。映画で言うと「マッドマックス 怒りのデスロード」みたいな感じ。善悪の彼岸を渡り切ってさらにその向こうまで突っ走っていく人間の、楽しげで狂っていてそして少し寂しげな姿がそこにあるような気がするんですよね。他に彼の境地まで到達する人間はあまりいないからなんでしょうかね。

この二人を取り上げてみても、恐ろしくキャラクター造形の範囲が広くてすごい漫画だわ。。

 

三月が始まった(最近やったゲームとか読んだ本とか)

三月ですね。

なんだか三月なのに気温が低い気がするし気温が低いのに花粉ががんがん飛んでる気がして、ちょっと前まで継続してたウォーキングもお休み中です。寒いのが辛いのよね。ウォーキングと一緒に食生活(主に食事時間ね)を見直してて適正体重に近づけたのはキープできてるけど、そろそろウォーキングも再開したいところ。

 

さて、運動はサボりがちだけど趣味はきっちり楽しんでるのでここ一週間の感想を。そういやここんとこ週一のブログ更新に戻ってきたな。

 

最近やったゲームとか

数年前に気が狂ったように遊んだゲーム「エルデンリング」の追加DLCが六月にリリースされるとアナウンスがありました。やったー!(ぐるぐるした目で)

追加DLCに進むには本編でいくつか条件を満たしていないといけないらしくて、この週末は久しぶりのボス戦に挑んでいました。いやーちょっと前までゼルダやってたからキー入力めちゃくちゃ間違えちゃって、攻撃しようとして回復アイテム使っちゃうわ、馬の乗り方忘れるわでその辺の雑魚キャラにもボコボコにされる始末。。まあ基本ボコボコにされがちなゲームだからいいんだけど(血走った目で)

ちょっとずつ操作を覚え直してなんとか条件であるボス二人を倒しました。まあここまでバカみたいにレベル上げてたから体力とか攻撃力とか基礎的な能力はクリアするのに十分なんだけど(実際前の周回で倒せてるし)、ボス戦にありがちな特殊攻撃に対処できなくてけっこうかかっちゃった。意外と「こうやったらどうかな?」という選択よりも「これはないわ」って切り捨てた選択を試してみると行けたりするんで、ホント奥が深いゲームだなと。まあ戦術選択のセンスが絶望的にないだけなんだけど(色褪せた目で)

まあこれで追加DLCにすぐに取り掛かれそうなのでまたしばらくほっとく。。と操作忘れるので適度に慣らしつつ六月を待とうかな。

 

 

 

最近読んだ本とか

だいぶ前から読みかけて中断したままになっていたので、最初から読み直して読了しました。

タイタンの妖女

 

 

わりと良い評判をよく見かけるんだけど、正直に言うとなんというかあまり合わなかったな。。

ここではできるだけ良いことだけを書こうと思ってるんだけど、合わないなりにも心に残るところもあったのでちょっと書き残しておこうと思います。不快な表現はしないつもりだけど、気になる人はこの後の感想は読まないほうがいいかも。あと、ちょっとネタバレ気味です。

 

 

 

 

 

 

 

先に心に残った部分について。お互いに嫌い合っている男女が、自分の感情や意思とは別のところにある絶対的な運命みたいなもので結びついてしまうんだけど、最後にほんのわずかな間でも心を許しあうという展開が印象的でした。嫌いあっていても人って変化していくよね、ってことがすごく自然に描かれていてここはじんわりと良かったな。

物語の大半がより大きな力やメタ的な視点を持つ存在による作為の連続なんだけど、作為の渦中にあることと、訪れるイベントごとに個人が持つ感情は別なんだよ、っていうことなのかも。こういう個人の物語に還元されるお話は好きなんだけど肝心のキャラがうまく掴めなくて、マラカイの子供の頃の愛情不足もビーの潔癖性なところもちょっと印象が薄くて、そこが変化していってもあまり情的な躍動に結びつかなかったんですよね。ラムファードの苦悩はすごくはっきりしていてこれはすごく良かった。

もう一つピンとこなかったのは、人類の様々な営為がまったく別の意思の作為の元に操られていた、っていうところ。世界遺産のあれもこれもそうなんだぜ、って笑うとこなのかもしれないけど、あんまり面白がれなかったな。これは単に他の本とかで類似のネタを読んでしまっているからかも。類似まではいかないけど、なんか既視感があったのは事実。でも水星編の、なんかひらひらした生物ハーモニウムとコミュニケーションをとるあたりはSFぽくて面白かったな。

まあ、ちょっといろいろ書いてしまったけどすごく合わなかったダメだったというわけでもなく、あまりない珍しい読後感だったので残しておきたかったんですよね。これ、またしばらく後に読んだら印象違うのかな、と思って。こういうの残しておけるからブログはいいよね。

 

三連休はくしゃみをしながらお家でえんじょい(最近読んだ本とか漫画とか)

またまた三連休ですね。

二月って普通に日にちが少ないのに三連休二回もあるの不思議。そして仕事の稼働日数も普通にあるの不思議。。(とおい目)

それはさておき、ゲームもクリアしたし三連休はおでかけでもしようかなと思ったんですが寒い!なんなんこの寒気。それにちょっと前からなぜかくしゃみと鼻水が止まらないんだけど、風邪なのかとうとう花粉症発症したのか分からなくて結局おうちで本やらゲームやらに費やすいつもどおりのお休みをえんじょいしてました。いやー風邪にしては特に体調悪くないんだよな。。やっぱり花粉症なのかなあ。

 

最近読んだ本とか

ようやく読み終わりました。カラマーゾフの兄弟5 エピローグ別巻

 

 

異様な盛り上がりの頂点でピタリと終わった交響曲のような4に続き、エピローグは静かな余韻を響かせながら短く終わり、とうとうこの物語の終端にたどり着きました。ほあー。

エピローグではカテリーナとミーチャの短い逢瀬の中にある、あり得たかもしれない関係の再確認のようなシーンが印象的でした。この二人は本当に単なる男女の中を超えた、自分自身の尊厳の根幹に関わる部分を握り合っているという抜き差しならない緊迫した関係がずっと描かれてきたんだけど、ここにきて仮初ではあるけど男女の関係に戻るんですよね。で、ずっと男女の関係であるグルーシェニカ(ミーチャの今カノ)に嫉妬されるんだけど、ここのグルーシェニカも嫉妬の醜い姿を晒しつつミーチャの逃亡を手助けできるのはカテリーナだと知っていて無理やり自分を納得させる、根性のあるところを見せたりと短いシーンの中に女性たちの葛藤や嫉妬、希望が詰まっていてすごく良かった。

全体を通して主役はやっぱり三兄弟と父親なんだけど、女性たちにもフォーカスした読み方をしても面白いかも。でもホフラコーワ夫人(金策に奔走するミーチャを自分の妄想で引っ張った挙句ブチギレさせた人)はずっとダメだった(笑)どのシーンでもイライラしたわ。

 

本の後半は作者の生涯と訳者の亀山さんによる解題。これはさすが翻訳者だけあってモチーフの読み解きも丁寧だし、作者ドストエフスキーの生涯と作品の結節点への言及もすごく面白かった。読んでる時に「アリョーシャってけっこういいカッコしいだな」とか「ミーチャは生きる力が強すぎていろんなものを引き寄せちゃうんだろうな」とか、ふっと思ったことが言語化されていて「そうそう!」って思いながら読みました。

一方で作中ずっとキャラが掴めなかった次男イワン、そして下男のスメルジャコフについてもページが割かれているのもうれしい。よく考えたら、この二人って愛称で(ドミートリーがミーチャ、アレクセイがアリョーシャみたいに)呼ばれないんですよね。地の文でも。そういう意味でこの物語の中では異質な存在感のある人たちなんだけど、解題で提示された解釈を手がかりに読むともう少し機微が理解できるかも。イワン、アリョーシャに胸糞エピソードをえんえん披露するただの冷笑系インテリってイメージしかなかったもんな。。

 

最近読んだ漫画とか

今年は漫画をいっぱい読むぞ計画の一環としてこれを読んでます。なんか漫画って意識しないと読まないんだよな。昔はすごく読んでたのに。

ゴールデンカムイ

とりあえず、1巻から4巻まで。4巻の終わりに連続殺人鬼を助けたところ。

初っ端からぐいぐいとストーリーに引き込んでいくキャラクターや物語構成が素晴らしいですね。わりと親切な展開で、大筋の謎は伏せたまま、細かな謎はポンポンと明らかになっていくテンポの良さは現代の漫画なのかなと思います。

あと、アイヌ文化の描き方がとても丁寧でそこだけ読んでるだけで楽しい。数年前にウポポイに行ったんだけど、そこで見かけたあれやこれが登場しててあーもう一回読んでから行きたい!って思うし、ずいぶん前だけど網走監獄の資料館にも行ったことあって、漫画中の恐らくモデルだと思うけど白石の肉声とか聞いた記憶あって、こっちももう一回行きたい。あと、ニシン番屋とかも去年の夏に江差に行って見てきたばっかりだ!なんかこういう外に開かれていくフィクションって好きなんですよね。

4巻までで良かった点をいくつか。まずは、杉元とアシリパさんの関係がいいなと思って。アシリパさんがアイヌ文化の説明をしながら杉元を案内するシーンがよく出てくるけど、読者に解説するという面もありつつ、アシリパさんは父親とこういう風に話しながら学んでいったのかなと思って、それを(多少若いかもしれないけど)父親あるいは兄のような年格好の杉元に説明することで自分の中の父親像と対話しているのかも。

杉元も身体的にも精神的にも大きな傷を抱えていて、多分この人は自分のためにはこうまで生には執着しないだろうな、というのが垣間見えてなんというか闇が深い。ただ、そんな彼でももし自分が死んでも忘れないでいてほしい、という一握の希望を持っている無垢さが印象的でした。

他にもいろいろキャラが出てきてなんかすごいことになっていくみたいだし、わりとえぐい描写もさらっと出てくるのでびっくりしながらも楽しみに続きを読んで行こうかな。

フィールドの風を感じながら進むゲーム体験(最近やったゲームとか)

あったかくなってきました。

ここんとこ運動不足すぎるので晩ご飯の前とか後にウォーキングをしているんですが、ずいぶん歩きやすくなりましたね。ちょっと前に雪降った日の翌日なんか、北の方でもなかなかやらない重装備(フリース+薄めダウン+登山用雨具)で挑んだりしてて、なんでこんなにムキになってるんだ、と歩きながらちょっと真顔になったりしてたのに。

運動不足解消もあるけど、単に歩くの好きなんだよな。頭のなかで考えてることが歩くテンポで流れていくみたいで。

 

それはさておき。先月からずっとやっていたコレ、ようやくクリアしました。

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

 

ここでは感想だけ。

噂に違わぬ大ボリュームかつ内容の濃いボス戦、ダンジョン、仕掛けでした。めちゃくちゃ面白かった!総プレイ時間は125時間ほど。内訳はメインストーリーそっちのけでマップ解放したり、重要施設(ほこら)を探索したり、NPCの依頼で駆けずり回ったりとやりたいことに費やしたため。オープンワールドあるあるだわ。

特にこれが楽しかったというのをいくつか挙げておきます。

まずはマップ解放。各地にある塔の頂上まで登る必要があるんだけど、アサシンクリードシリーズをやってきた身としてはこれがめちゃくちゃ良かった。塔登るの大好きなんだよ!ほんと塔は見かけ次第登ってましたね。。単に登るだけでも大変だけど、塔の下に敵が拠点を築いていたり仕掛けがあったりしてなかなか一筋縄ではいかないんですよね。ステルスしたり仕掛けをどうにかしたりと試行錯誤の難易度のバランスも良かったです。

ボス戦も楽しかった。ゲームする割にアクション下手なんだけど、わりと中ボス戦のいくつかは下手ながらも楽しくできたかな。ゼルダ、武器はどんどん壊れるし弓矢は当然減っていくんだけど、最後ほんとに手持ちが尽きて一番弱い木の矢とかおたまで殴ったりした(笑)おたまで敗れる中ボス。。途中、いっさい攻撃を受付なくなるモードに移行したりするんだけど、その都度今までやってきた戦いのパターンを思い出しながら「これか?」とチャレンジするのが楽しかったな。ちなみにラスボス戦、あと一撃のところで攻撃を見切っての操作が必要で、ゲームやってて最高に楽しい瞬間でした。こんな切迫感、エルデンリング以来だよ。。

NPC依頼のクエストで一番時間がかかったけど楽しかったのは化石探索。3つの化石を探すんだけど、最後の1つがどうしても見つからなくてめちゃくちゃ探したし、ここだけで多分10時間くらいは費やしてる気がする。ちょっと頭おかしいくらいに没頭しててでも見つからなくて、さすがに攻略見ようかな。。と思ったけどなんとか自力で見つけました。大した報酬でもないしメインストーリーには全然関係ないんだけど、こういうのなんかハマるんだよな。

ちなみに基本攻略は見ないで進めたけど、2回だけ進行上分からないな?と思って調べました。1つはよくキャラの話を聞いていれば解決したやつでした。ちゃんと聞こう、人の話。

登場キャラで良かったのはゾーラ族の王子シドかな。やたらキメのポーズが多くてなんか変なキャラだけど、中ボス戦ではめちゃくちゃ頼もしかったし基本いい人(人?)だった。あと、ゼルダ姫がすごく頑張ってるのにあちこちほっつき歩いててなんかごめんね。。という感じでした。

そういや風景探しも良かったな。ああいうのずっと探しちゃうんだよ。いろいろイベントを進行させてなくて結局ノーヒントで全部探し出してしまった。。ゼルダ姫とのエピソードが垣間見えてすごく良かったな。

 

そういえば、ゼルダは初めてじゃないけどクリアしたのは初めてでした。テーマ曲も、仕掛けといた時の効果音もハートの器とかもそんなにやってないけどなんか知ってたもの。今回全編でピアノがメインの楽曲が多かったけど(これもすごく良かった)、フィールドを歩いている時の風の音とか虫の声とか鳥の鳴き声とかの環境音の方がメインだったのかも。タイトルがそうだし。

さて、次はティアーズ オブ ザ キングダム。だけど、ちょっと今はクリア後でお腹いっぱいだからもう少し後にしようかな。絶対面白いって分かったからね。