キャラクタードリヴンでのプロジェクトが今後加速する


キャラクタードリヴンという言葉がある。もともとは映画だとかの制作の現場で、ストーリーを主軸にして作品を作るのか、キャラクターを元にして作品を作るのかみたいなところで使われる言葉だ。キャラクターを重視すれば作品自体はキャラクターを引き立てるためだけの道具となり、ストーリーを重視したら(プロットドリヴン)キャラクターは作品のための記号となる。マンガはキャラクタードリヴンの性質が強く、それゆえに二次創作がされやすいし、小説や映画はプロットドリヴンの性質が強い。


南極点のピアピア動画 (ハヤカワ文庫JA)
野尻 抱介
早川書房
売り上げランキング: 23,253


このキャラクタードリヴンという言葉を全く別のシチュエーションで目にした。「南極点のピアピア動画」というニコ動をモデルにしたSF小説ライトノベルなのか?)があり、ニコ動だとか初音ミクだとかのサブカルチャーを取り入れつつも、SF小説としての出来がいいと評判だったため、電子書籍で読んでみた。内容は、ニコニコ技術部などのニコ動コミュニティが中心となって、ロケットやら宇宙エレベーターやらを作るみたいな話なのだが、それらのプロジェクトはすべて、初音ミク(作中では小隅レイ)を偶像崇拝する形で進めていくという「キャラクタードリヴン」のプロジェクトだったのだ。作中ではこのキャラクタードリヴンという考え方を最重要視しており、初音ミクを神輿に担ぐことでいろいろなプロジェクトが成功に導かれる事となる。


この偶像のもとに集まるコミュニティの熱量をコントロールするというのは今後非常に重要になってくるのではないだろうか。そのコミュニティには利害関係が存在せず、その偶像という共通のバックグラウンドがある。このオープンコラボレートとソーシャルメディアの時代、そういったつながりは強固で、大きな価値を持つ。その偶像自体が法律で国家でプラットフォームとなるだろう。ポップカルチャーを裏から操ろうと試みているbackplane社が提供しているlittlemonster.comなんか、完全にこれを狙っている。Lady Gagaを偶像として、その周囲のコミュニティの熱量をコントロールして新しい価値を生み出そうとしている。


おれはあまり詳しくはないのだけれど、エヴァンゲリオンはキャラクターを重要視し、それに伴って発生したコミュニティの熱量を巻き取る形でエコシステムを形成し、カルチャーとなったらしい。そのため、ストーリーの変更や設定の変更などは当たり前で、二次創作を認めながらエヴァンゲリオンを拡張していく。これもかなり直接的ではあるが、見事なキャラクタードリヴンのビジネスだと思う。



最近だとRovioがこの分野を支配しようとしている。次々とAngry Birds関連グッズとメディアミックスを発表し、キャラクターを基準とするコミュニティを着実に広げつつある。そして事実、Angry Birdsにあやかろうと様々なタイアップの話がきている。Angry Birdsはキャラクターがすでにプラットフォーム化している。この熱量がうまくコントロールできれば(もちろんやる気だろうが)彼らの目指しているDisney超えは実現すると考えている。


ゲームは漫画キャラなどと違い、ストーリーや思想があまり強くないため、キャラクタービジネスに昇華させるのに向いていると思う。量産されているカジュアルゲームの中から上手く、なにか魅力的なキャラクターができ、そのまわりにできたコミュニティの熱量をうまくコントロールし、カルチャーを作っていく。その過程の副産物が価値を生み出していく。


これは現代の宗教だと言っても過言ではないのかもしれないが、ソーシャルメディアによってこんな時代が確実にきている。

サービスのキャラクター化が今後加速する

キャラクターグッズというものが俺に刺さらないということもあり、キャラクタービジネスってものにイマイチ興味を持てなかった。ディズニーランドに行って「楽しいね!楽しいね!」ってお互い言い合って、必死に楽しさの自己暗示をかけようとしているのは辛かったし、リラックマグッズを持っていた大学の男友達は明らかに女ウケを狙って持っているとしか思えなかった。ただ今になって、俺の中でキャラクタービジネスがアツい。


今後のキャラクタービジネスに関する大きな流れとして、二つあると思う。
1. サービスのキャラクターマーケティング
2. キャラクターのプラットフォーム化
そして、これらを意識してサービス設計をしていく「キャラクタードリヴン」サービスが今後増えてくると考えている。

サービスのキャラクターマーケティング

これは昔からやられていたことなのだろうけど、今後はますます重要になってくる。LINEが登場したからだ。LINEはコミュニケーションの中心にキャラクターをもってきた。それもこれまでの絵文字のような抽象的なものではなく、バックグラウンドの存在するキャラクターを、抽象的でなければならないコミュニケーションサービスの中心に持ってきた。


これによって、LINEの上でマーケティングをしようとする企業がキャラクターを増産しているのがすごい面白い感じで大好きなのだけれど、企業が自社サービスをキャラクター化していくのは今後主流になるのではないかと考えている。


そもそも、サービスはだいたいが複雑だ。これを人々に伝えようとしても、本当に難しいことだろう。だとしたら、サービスとは切り離した、単純化した導線を用意するしかない。これまではキャッチーなバナー広告だとかTVCMだったのだろうけど、それが今後キャラクターになっていく。


キャラクターは、サービスと切り離して、気に入ってもらえる可能性がある。「ひこにゃん」を気に入った人の多くが彦根城を好きだとはあまり思えない。キャラクターはキャラクターで好きなのだ。知人の女性は「ポンタ」のクレジットカードを使っていた。「ローソンよく行くの?」と俺が聞くと、「いや、基本かわいいから使っているよ」と言っていた。これは彼女のローソンに対する最初の一歩だと考えている。サービスと切り離されて入るが、確実にポンタはローソンへの導線として存在している。


そしてそれらのキャラクターはLINEなどでコミュニケーションの手段となる。単純にコミュニケーションでキャラクターが使われるだけでも歩く広告塔となって、莫大な導線になると思われるが、それに加えて感情移入の効果があるだろう。コミュニケーションが発生するところには必ずファッションが発生するので、キャラクターがファッション化するということだ。つまり、キャラクターでアイデンティティを表現する人々がでてくる。その人は自分を表すキャラクターに感情移入するだろう。そしてそれはそのサービスのファンとなってくれる可能性が高くなる。


キャラクターはサービスにストーリーをもたらすし、それは差別化にもなる。人工皮革製を売るために作られたナウガモンスターは最たる例だと思うが、キャラクターの存在は複雑であるサービスとのフレンドリーなインターフェースとなる。ドロイド君やオクトキャットでサービスに感情移入している人も多いのではないのだろうか。


これらの事情から、キャラクターを据えるサービスが増えてくると考えている。キャラクターの存在がサービスを加速させる土壌が整いつつあり、従来から持っていたキャラクターのパワーが非常に大きくなってきている。


続いてキャラクターのプラットフォーム化とキャラクタードリヴンビジネスに関して書こうと思ったけど、眠いし、長くなったので明日書く。ちなみに僕の好きだったキャラクターはバイキンマンでした(なぜかバイキンマングッズを大量に持っていた)。おやすみなさい。

ものを買うのは面倒臭がらない方が良い

最近習慣化できてきたもののなかで、これは習慣化して良かったと思うのが「ものを買うことを面倒臭がらない」ということだ。


ものを買うことは本当に面倒くさい。自分の問題を認識し、それを解決するものを探し、自分の条件に合うものを取捨選択し、残ったものの中から評価をもとに自分にとってベストなものを決める。更にいうと、自分のキャッシュ・フローとターゲットの値動きも考慮に入れて最高のタイミングで「買う」という行為を実行しなければいけない。


僕は学生時代にすごく貧乏だったせいであまりモノを買うという習慣がなかった。基本的に贅沢品は買っていなかったし、自分のニーズに対して、ほとんどの場合「あきらめる」という選択をしてきた。そしていま、社会人二年目に入り、そこそこの給料をもらえるようになって、大抵のものを買うことができるという状況になってきている。その事実がひどく面倒くさい。


生活をしていて、不便だと感じることが多々あって、そしてそれを解決するために買うものも知っているのだけれど、それを買うというところに達するまでにものすごく時間がかかる。「支給品のキーボードがクズだし、健康に悪いから買い換えたいな」「でもそのコストを回収できるのか?」「日常的に使うものに投資をしないのは狂っているな」「HHKBかrealforcceをさわりに行かなければいけないけど、面倒くさい」「減価償却とか考えると、さっさと買ったほうがいいな」「そもそもデスクトップを今後も使うのか?」みたいな考えをうじうじとして半年だとかが平気で過ぎる。結果的に買ったら大満足でなぜ早く買わなかったのだろうと思ってしまう。


ものを持つというのは、それだけでコストになる。そして、そのコストを受け入れるだけの価値をもたらしてくれるのかどうかを判断しなければならない。それは自分にとってのベストであって欲しいし、なぜそれが自分にとってのベストであるのかの明確な理由がほしい。それ以外のものは持っているだけで自分の投資判断のミスを見せつけられているようでストレスになる。経験やデータは所有するコストが低いので、こういうものにはガンガン金を使っている。


これが今までのおれだったのだけれど、最近なるべく「ものは潔く買う」ということを実践している。理由はいくつかあるのだけれど、基本的に「おれの中で時間がの価値が金の価値を追い越した」からだ。


時間が貴重だ。昔はそうでもなかったのだけれど、いまだと金で時間を買わなければならないというのがわかる。これもおれが自分の人生をコントロールできるだけの能力がないせいなのだけれど。だから、おれは金を時間にかえることはするけれども、逆をしなくなった。その結果、なるべく時間をかけずに自分の幸福度を上げるという選択をするようになってきた。


ものは買わないと、それを経験できない。だから、買う前にその経験を探ろうとして時間を費やすことは本当に効率が悪い。ゆえに潔くものを買う。大抵の場合は幸福度があがる。


もちろん、衝動買いを繰り返すのではなく、ある程度の調査と判断はする。判断基準としては「時間を捻出してくれるもの」「健康を促進するもの」「なにか能力を向上させてくれるもの」「自分が高頻度に使う姿を想像できるもの」などはさっさと買っている。最近だと、歩きやすい靴、技術書、水筒、などを特にためらわずに買った。


今のところ、ものを買うことを面倒臭がらないというのがうまくいっていると思う。今後も続けて行きたい習慣だ。

インターネット上の出身地について

インターネット上には出身地が存在している。2ch出身だとかアメブロ出身だとか、それぞれの出身地にはカルチャーがあって、多くのユーザーは自分の出身地のカルチャーがすべてだと考えている。


彼らにはそれぞれに特性があり、例えば2ch出身者は「クズな行動を肯定する」「ミスを叩く」みたいな傾向がある気がするし、はてな出身だと「とにかく知識人ぶる」「英語を勉強する方法を勉強する」みたいな傾向があるのかもしれない。原発だとかヒッグス粒子だとか、なにか話題になるたびに前から知っていたふうのそれっぽいtweetしているのをtiwitterでみたりすると「一生懸命調べてつぶやいてるのかなー。はてな出身っぽいなー」とか思ってしまう。実際はよく知らないけど。


「住民」と書かずに「出身」と書いているのだから、当然、出身地に対する現住所が存在している。昔は、それこそmixiだとかの全盛期などは、住み分けられたユーザーたちの民族大移動が起こるだなんて、想像しづらかった。しかし、当たり前のように数年おきに乗り換えられるコミュニケーションプラットフォームの中で、いろいろな出身地からの新規ユーザーが摩擦を起こしていたりする。twitter上で「相互followしないのはマナー違反です」だとか「つぶやきすぎなので、もう少し頻度を落としてください」だとか言われて晒されていたのは、たぶんmixiかどっかの出身地のユーザーがカルチャーを引きずって起きていたことなのだろう。


初めて触れたインターネットコミュニティというのはその後のネット人生に大きく影響を与えている気がしていて、ニコ動か、小町か、デコログか、ネトゲか、そこで染み付いた考え方だとかはなかなか抜けないと思う。僕も「ネット上ではテキトウなことを言いまくって良い」みたいな考えがあって、平気でどうでも良い嘘を書いたりもしていたのだけれど、あれも「ネット上の情報は取得する側が勝手にフィルタリングすれば良い」「面白いものが正義だ」みたいな前提での、どこかで染み付いた勝手なカルチャーだと思う。


こういう風に、いろいろな地方出身者が化学反応を起こしているいまの状況は凄い面白い。自分の知らないコミュニティの文化は興味深いし、そもそも、cookpadgreeだとかでどんな文化が形成されているのか、よく知らない。テクノロジーマッチョの巣窟だった頃のtwitterで、顔文字を使っていた人を始めてみたときに結構衝撃を受けた覚えがあるのだけれど、いろいろなカルチャーがどんどん摩擦熱を発生させれば良いと思う。面白いものが正義だ。

googleが自動運転自動車で狙っているもの

友人とgoogleの自動走行車に関して話していたんだけど、頭の髄までエンジニアの友人に俺の言いたかったことが伝わっていなかった気がするので、ここに書いておく。googleの自動走行車は決してエンジニアの趣味ではなく、googleが狙っている次のビッグビジネスだ。


googleが自動走行車を作ろうとしたきっかけがどのようなものだったかは知らない。創業者達の趣味だったのかもしれないし、google mapでデータを集める際にでてきたサブプロジェクトだったのかもしれないし、親友を交通事故でなくしただとかそういったストーリーが本当にあったのかもしれない。しかし、いまのgoogleはこのプロジェクトの大きな可能性に確実に気づいており、そして、その可能性を現実化することにリソースを割いているはずだ。


その可能性とは究極のO2Oモデルをつくることだ。googleはユーザーに欲しい情報を瞬時に与えることに特化してきた。ユーザーが求めている情報と合致する広告を出すことによって、巨額の金を得てきた。しかし、これまでのそれはオンラインの中だけの話だった。いま、急速にオンラインでの情報をデザインすることによってオフラインでの行動をコントロールすることへの関心が高まってきている。googleO2O戦略はこうだろう。ユーザーがオンラインでなにか情報にあたって、行きたい場所ができたときに、すぐにその場所までユーザーを連れて行く。


これの第一歩はgoogle mapだった。抜群に使いやすいmapで、ユーザーは行きたい場所の位置がわかるようになった。二手目はルート案内だ。ユーザーは初めての土地でも、行きたい場所さえ入力すれば、googleが細かく道順を教えてくれることになった。ストリートビューでの写真付きである。そして、今回、これを自動走行車が完成させようとしている。目的地さえ入力すれば、あとは自動的に車が連れて行ってくれる。そこに迷う余地は存在しない。


これが完成したとき、ビッグビジネスが見えてくる。googleはユーザーがリアルタイムで求めている情報を瞬時に推薦するシステムを作ろうとしている。google nowだ。これはおそらくtwitterが初期の頃から目指していたものなのだろうけれど、やはりというか、googleが作ってしまった。ここで、ランチを探しているユーザーに美味しいレストランを推薦する。目的地の場所と推定時間を算出し、「目的地までgoogle carで行く」のボタンをタップすると、自動走行車が来て、連れて行ってくれる。交通費は限りなく無料に近くなるだろう。すべては広告で賄うためだ。googleはこのシステムの完成を狙って自動運転自動車を展開してくるはずだ。google glassも同じ流れで展開されると考えている。


ここまで考えるとわかると思うが、googleは自動走行車の販売はしないはずだ。レンタル駐車場チェーンでも買収して、全世界にgoogle所有の自動走行車をばらまき、次世代タクシーとして展開する。値段は公共の交通機関よりも安く設定する。スマホで目的地を入力したら自動的にかかる時間と値段を算出し(無料に近くなると思うが)自動的にクレジットカードから引き落とされ、すぐに現在地をもとにして自動走行車がやってくる。車での移動という行為が限りなくシームレスになり、自動車を所有するよりも利便性を高めてくる。感覚としてはすべてのgoogle carをユーザーがシェアするという感じになるはずだ。これはgoogleにとって、ユーザーの移動情報を収集するということでもあるし、交通をプログラム可能にするということでもあるし、ひいてはユーザーの行動をデザインするということになる。


こうなってくると、虐殺されるのはタクシー業界だけではない。自動車メーカーもgoogleに殺される。もう自動車を買うという行為は、奇特な趣味となり、googleが世界の自動車製造を独占するようになるだろう。もちろんgoogleは自動車製造で利益を出す必要はなく、ユーザーを自動車で移動させることによって利益をだす。いまgoogleapplesamsungに対してnexusでやっていることと考え方は同じだ。


googleは本気でこの市場をとりに行っていると思うし、いまのところgoogle以外にこの市場を狙っているプレイヤーはいない。

Amazonがやってきて、電子書籍出版社がこの先生きのこるためには

非常に光栄なことに、昨日のエントリを読んでくれた(おそらくはblogos経由で)電子書籍出版社の方から、反応のメールをいただいた。そこで、昨日のエントリに加えて、僕が考えている電子書籍ビジネスの今後と、生存をかけた戦略に関して少し書いておきたい。


まず、これから電子書籍ビジネスで生き残ろうと考えたときに、最優先事項は「Amazonと殴り合いをしない」ということだ。GoogleだとかAppleだとか、そういうレベルだったら勝手にやれば良いと思うのだけれど、楽天sony紀伊国屋Amazonと殴り合いをして、正直勝てる気がしない。あのレベルのユーザー体験の電子書籍ストアを、数年かけてコンテンツを用意して、専用デバイスまで用意して、まさに満を持して攻め込んできたのだから、半年そこら頑張った楽天や、デバイス屋さんのsonyだとかが逃げ切るのも難しいと思う。2016年には世界市場規模7500億円くらいになるらしいので、二番手を狙っていく戦略はありなのかもしれないけれど、それすらもままならない電子書籍出版社が多いのではないのだろうか。では、Amazonと殴り合いをしない電子書籍ビジネスってどうすれば良いのか。


「将来的に電子コンテンツは定額課金モデルにうつっていくので、定額課金で漫画読み放題にすれば良いよ」って言うのは簡単なのだが、現実問題、小さな電子書籍出版社にそれが実現可能なのかっていうと、かなり疑問が残る。980円とかで「漫画を含む書籍読み放題というサービス」を始めることができるのならば、それは結構なのだけれども、権利がどうのこうの、電子化がどうのこうのともめている現時点で、サービスがなりたつほどのコンテンツを用意できるのか。そしてペイできるのか。


amazonkindle singlesなどのライトコンテンツを自家製しはじめていて、amazon primeで読み放題モデルを実験している中、書籍コンテンツをそのまま使っての定期購読は結構危険な気がする。前回のエントリでは、電子書籍バイスとストアを持っている楽天だったら、とにかくデバイスを広めることができれば、後からどうとでもペイできるので、ライトコンテンツをweb上からかき集めて、テキスト出力機としての位置がkoboで確立できた場合は、定額課金で有料コンテンツへのアクセス権を売る、ということを提案した。しかし、電子書籍バイスを持っていないほかの電子出版社がこれのまねをできるのだろうか。


これに近いことができるとすれば、ニコニコだろうと思う。メルマガをはじめ、電子書籍出版に乗り出した。クリエイターの土壌も持っている。ニコニコだったらライトコンテンツを定額課金で売り出すことは可能だろう。だが、これはもはやweb系のコンテンツビジネスになってくる。cakesみたいな、新しい定額課金コンテンツサービスも出てきたいま、「出版業界から時代に乗って電子書籍を始めました」みたいな電子書籍出版社だと厳しいかもしれない。


そういった電子書籍出版社に提案するとすれば「探すに特化した電子書籍ストア」である。電子書籍というサービスのステップは「電子書籍を探す」「電子書籍を買う」「電子書籍を読む」だ。「買う」でamazonのワンクリック購入を超えることは難しいだろう。「読む」で専門デバイスに加えて、iOSAndroidアプリを持っているkindlekoboに勝つのは難しいはずだ。そうなってくると「探す」に特化するのが活路なのではないだろうか。


確かにamazonの検索機能とリコメンド機能は優れている。しかし、本を探しているユーザーが「検索」「リコメンド」のみで意思決定をしているとは思えない。「探す特化型」として、一つの形がユーザーレビュー特化型だと思う。ブログやソーシャルメディアなどから、本に関するレビューをかきあつめてくる。amazonのコメント機能よりも、よりレビューに重きを置いたサイトデザインにする、などによってレビュー特化型の電子書籍ストアを作れば、ユーザーは本を「探すこと」をしにストアにおとずれるはずだ。


他にはキュレーションなどが考えられる。例えばCOW BOOKSのように本のセレクトショップを想像すれば良いのかもしれないが、電子書籍ストアでも、良い本の推薦に特化することができれば、「本を探す」部分を抑えられるはずだ。本というものは、推薦する人のセンスというものがかなり重要になってくるものだと思う。僕自身、本を購入するときは、人気ランキングよりも、もちろんamazonのリコメンドよりも、僕が信用をしている読書家のブログを参考にすることが多い。そういった本で、電子書籍ストアとしてのブランドを確立するのは、「探す特化型」として、ありだと思う。


また、プラットフォームが出てきたときに、ビジネスをする上で考えた方が良いことで「ターゲットをしぼったインターフェースを用意するとどうなるのか」というものがある。「女性向けのソーシャルブックマークアプリ」「ギャル向けのtwitterクライアント」と例をだせば、ピンとくるかもしれない。つまり、女性が「探す」のに特化した電子書籍ストアや、ご年配の方が「探す」のに特化した電子書籍ストアなどは一定のニーズがあるだろう。


以上がつらつらと僕の思考が向くままにまとめた文章だ。何か参考になれば幸いだ。

楽天koboがとるべき起死回生の一手

完全にネタになっているので言い出しにくいのだが、楽天koboのヘビーユーザーである。プラットフォームが楽天であるというリスクを気にしなければ、つまり、書籍を使い捨てコンテンツとして認識しているのであれば、現時点での電子書籍プラットフォーム最強はkoboであると考えている。


端末自体は問題ない。問題があったとすれば、立ち上がりのときセットアップと糞対応で、現在はファームアップデートされて、普通レベルになっている。僕が気に入っているのはクーポンで、ネット上のクーポンまとめサイトから拾ってきたクーポンコードを使えば、全書籍を安定して35%OFFで買うことができる。クーポンコードも、一定時間たてば同じものが使い回しできるという神仕様になっているため、やりたい放題だ。いつの間にかたまっていて、使い道がない楽天ポイントを使えば、感覚的にはほぼ無料で本を読んでいるという気になる。koboをたたいている人は、デバイスが好きだとか、新しいサービスが好きだとかで、おそらく本を読まない人なのではないのかと思う。


ただ、これは現時点での話であって、kindleがローンチすると話が変わってくる。kindleの方が書籍コンテンツが全体的に安いし、何よりも多少金払ってでも使いやすい方が良い。また、kindleにしかない読みたい本がいくつもあるのが決定打になっている。paperwhiteが届いたら、kindle独占コンテンツを読むためにしばらく使ってみるつもりであるが、もうkoboに戻ってこなくなるのではないのかという気はしている。


koboがいなかったら、海外では140$で品薄になるほど人気のkindleが8480円とかで売られることもなかっただろうし、洋書の価格も値上がり後にまた値下げしつつあることもなかったと思う。だが、amazonkindleストアを見る限り、コンテンツの値段といい、ラインナップといい、使い勝手といい、このままだとkoboは確実に死ぬと考えている。koboの活路はないのか。kobo電子書籍リーダーの立場を捨ててはどうだろうか。電子ペーパーサブディスプレイくらいの立ち居位置になるべきだ。


koboのサービスがamazonに負けているのは、もう明白だ。これをamazonに追いつけとリソースを割いても、リスクが高いだけで、元々弱小ベンチャーだったkoboが同じ戦略でamazonに追いつけるとは思えない。amazonと殴り合いをしようとしても負けるだけだ。なので、amazonとは全く違う路線を行くべきだ。


今後、すべての買い切り電子コンテンツプラットフォームは、定額課金でアクセスし放題という方向に流れていくと考えている。音楽ではspotify、動画ではhuluのように。そうなってきた場合、現在の書籍コンテンツは少し重すぎる。もっとライトな、それでいてブログよりも読み応えがあるようなコンテンツを大量に用意することが必要になってくる。メルマガや、雑誌の特集記事くらいだ。koboは、こちらに特化するべきだと考えている。


まぐまぐ」や「cakes」「ブロゴス」などのテキストファーム、「pocket」「Instapaper」などの後で読む系のサービス、「gunosy」などのキュレーションサービス、そういったところから導線を張りまくり、web上に「koboで読む」ボタンをばらまきまくって、電子ペーパーの読みやすさでテキスト出力機としての立場を確保する。そして、定額課金でアクセス権を売る(もちろん独自コンテンツを用意する必要があるが)。どさくさで電子書籍を買ってもらう。


そういった「電子ペーパーサブディスプレイ」の道を選ぶのがkoboの活路ではないだろうか。