どうしてとても優しい  に辛いことばかり訪れるのかな。真面目に生きて、とても優しい人なのに。この世が嫌になるよ。肩代わり出来ればいいのに。どうすれば  を幸せに出来るのかな。悔しいよ。苦しいよ。
今日は七夕なのにね。何の欲もなくなった私だけど、  にもうこれ以上辛いことが訪れませんようにお願いするよ。こんな時、自分の力の無さが苦しい。自分がとても嫌になるよ。恵まれない現状。ちょうど一年くらい前にも同じことで悩んだのに。目の前真っ暗だ

とにかくライブで壊れたい。

バイト中年下の男の子に今年のさまそににスピリチュアライズドが出るって教えてもらった。やばいかなり行きたくなってきた。ジザメリも出るってまじですか。ああああああ!!!やっぱバンドってライブやってくれないとだめなのよ私。ツアーまわってくれなきゃ熱冷める。音楽が日常のBGMとしてしか機能しないのなら、こんなにつまらないことはないよ。スウェーデンのバンドとか好きだけどライブ見れないからそこまで入れ込めないし。最近飢餓感からV系のライブ行くようになってしまった。日本で面白みのあるのって今はV系くらいじゃないかと思ってしまう。V系って音楽そのものより、それに付随する文化を受け入れられるかどうかだと思うけど。昨日バイトの年下の女の子にロリ服屋さん連れて行ってもらったけど楽しかったなあ。私はフェミニストだしドールやらファンシーやらの世界観が好きだからロリには親しみすら感じるよ。いっぺんロリやってみたい。この年になって痛いけど、かわいいものは女性の特権だから思う存分公使していきたい。

一人

今日は「魔法にかけられて」観に行こうと思ってたけど、やめた。誰かと約束していれば急にやめたりしないのにな。でも一人で行動するのは平気。恋人とは休みが合わないから、月一回逢うか逢わないか。割と近くに住んでいるのに。さみしさを感じる事もなく、逢うのは年一回くらいでも私はきっと平気。織り姫と彦星みたいに、年一回でもいいかなあとたまに思う。いつか年を重ねて、本当のさみしさを知った時に傍にいれればそれでいいんだと思う。だから今逢えなくても大丈夫。ずっと遠くで繋がってるから。まあメールは毎日してしまうけど。多分私は、逢いたいと思う気持ちも所詮欲だと割り切っているから、持たないようにしている。触れたいだとかそういう気持ちを。

人の心の中が知りたい。もっと知りたい。自分の心をもっと知りたい。他人の心をもっともっと知りたい。ただ人の心を知りたい。生きる意味なんてそれだけ。

とっかえひっかえが嫌になるということ

出逢ったころ、あの人のことをなんて綺麗な人だろうと思った。心の中の純粋さが透けてみえるような、澄んだ眼をしていた。そのインパクトだけが私の中に重く沈んでいって、誰か新しい人に逢っても無意識にあの人との共通点を探していたり、あの人との違いを比べてしまったり、そういう見方しか出来なくなっていた。たとえあなたに出逢っても出逢わなくても、私は私なんだけど、面影はすごい影響力で私を支配するから時々疲れるよ。だからね、もう新しい誰かに心を開くことも苦痛で、これ以上増やそうなんて思わない。何度も何度も面影を追い続けるだけだから。経験を重ねるだけだから。恋愛が連鎖になってしまう。何回目?

近況

二十歳を過ぎたくらいから、子供が欲しくて欲しくて堪らない。大好きな莨もやめた。もし私にたったひとつ望みがあるとすれば、世界で一番優しい母になりたい。子供の頃の記憶。私にとって母は、世界で一番優しい人。この世の誰よりも、優しくて美しい人。子供の時、自分の母が世界で一番美しいと思っていた。そして今も、母以上に美しい人は居ないと思う。欠点も優しさも、知れば知る程に私の中に刻み込まれていく。時々思う。いつだって娘は母の生き写しなんだろうなあと。そんなふうに命は連続していくのかなあと。
心臓の弱い友達がいて、「こないだ定期検診で、妊娠、出産出来るか微妙だって云われた。病気のことは彼氏も知ってるけど、今付き合ってる彼氏と結婚することになっても、向こうの親は嫌がるよね。そんなことを考えてたら鬱な妄想がどんどん広がって、眠れなかった。」と相談された。それはとても辛いだろうな、と思ってなんとか慰めの言葉を探すけれど、でもやっぱり何を云っても励みになんかならないだろうと思うし、せめて辛い時に傍に居てあげることくらいしか出来ないと思った。いくら出産は男女二人の問題だといっても、自分が生きて行くのに必要な薬で妊娠が出来ない体になる可能性があることや、もし体外受精をしても、育児をする体力があるかどうかもわからないことは、本人にとってものすごい欠落感だろうな。子供を作らない夫婦や、生みたくないという女性はたくさんいるけど、それも自分で選択するのでなければとても納得の出来ることではないだろうし、疎外感はどうしても埋めれるものではないと思う。悲しい思いをたくさんするんじゃないかと思うと、とても心配で自分の無力さにただ空しくなる。

近況

東京旅行は散々だった。精神状態が最悪で、終始発狂しそうなくらい苛ついていて、同行人と喧嘩別れした。何処に行ってもただ不快でしかなく、どんどん狂人になっていって我が侭を云いたい放題云って、最後には正気でいるのもままならなくて、叫んだり殴ったり暴れたりしたいのをじっと堪えているようなそんな状態で、ひどく疲れてしまった。定期的にカオスになる自分の精神状態が手に負えなくて、同時に激しい自己嫌悪、そしてど鬱へのいつものコースになだれ込む。こうなるともう死を匂わせるネガティブで暴力的な言葉が口癖になってしまい、「そういうことを云う所が嫌いだよ。」と告げられる。それは私には本当につらくて、「○○○(某rockバンド)のファンやってるんだから、ネガティブなことが口癖なのは当然だろう?」とかついつい主張をしたくなる。暗いだけで毛嫌いされて、気が狂ってるだけで毛嫌いされて、じゃあ好かれる自分を保てるのかっていったら、そんなに出来た人にはとてもなれそうにない。体に支障を来すくらい精神状態コントロール出来ない私なのに、それさえも否定されて、結局憎まれっ子になるしかないのか。誰にも相手にされないで生きて行くのは過酷すぎて、気付いたら涙が溢れ出してる。


美術館三つまわった。モネのやつが一番良くて、全部見るのにあと二時間は必要だった事と、自分の心がこんなに波立っていなければ、もっと良かった。モネが奥さんのカミーユを描いてる絵が好きで、見れて嬉しかった。あととても綺麗な雪景色の絵。一日中あの絵の前に立っていてもきっと飽きない。もっともっと見ていたかった。時間の許す限り。命の許す限り。本当に綺麗な色彩の作品が多くて、みとれてた。あんなに知的なのに、ちっとも偉ぶってなくて優しくて温かくて、品があって、なんてすごい絵を描く人なんだろう。色の選び方が好き。きっと本当に澄んだ世界を見ていたんだろうな。

近況

今から東京行ってきます。美術館に行きます。とったホテルが綺麗なところのようで楽しみ。環境を変えるということが心地よい。
母親に「子供の時、何処に連れて行ってもちっとも楽しそうじゃなかった。」と云われてしまうくらい、物事を楽しむことが出来ない私で、「観光とかイベントとか、そんなのちっとも興味が無い」という話を恋人にしたら呆れられた。有名スポットとか、まるで興味が無くて、退屈な人だなと自分でも思う。どこに行っても活き活きとニコニコして、新鮮な空気を取り入れて、みたいなのって無理だ…。でも旅行とかはけっして嫌いではなくて、じゃあ何の為に行くの?ってそれは、今居るここから抜け出してまったく知らないとこで生活を忘れたいから。そんなささやかな思いを、否定しなくてもいいのにね?って思うんだけどな。暗い人間は好かれないね。out of the way って言葉が好き。