映画『海獣の子供』を観た

 映画館へ行くのはビックリするほど久しぶりで、去年の夏以来だった。東京で暮らしていたときは、映画の仕事をやっていたのもあり、日常的に映画館へ通っていた。仕事終わりに、休日に、映画館へ行かない週は無かった。

 映画館って、こんなに窮屈だったっけ、というのが一年ぶりに足を踏み入れた感想だった。窓がなくて、前の回の人々の匂いが残っていて、どこか息が苦しくなる。この一年、息がしやすい場所を選んできたのだった。

 

 アニメーション映画『海獣の子供』を観た。妻が原作を読んでいて、珍しく「映画館で観たい」と言ってきて、また、米津玄師さんが主題歌を歌っていて「映画館で聴いてみたい」と思った。でも、ぼくは予告すら観ていなくて、なんの情報も得ようとせず、タイトルもあやふやのまま観た。

 最初は、なんて変わった人間の描き方をしているのだろう、と思っていた。輪郭線や表情の描き方が、慣れない。でもそれは、のちのちに登場する、クジラや海や宇宙とともに描かれたときに、「この造形だからこそ」なのだと分かった。

 映画館で見るのが久しぶりだから、すぐ「一旦停止」を押したい衝動に駆られる。映画館のスクリーンのまま、絵を停めて、じっと見ていたいと思った。水族館での出会いのカット、クジラの体内のカット、渦巻きのカット、……停めて、観たいと心底思った。そこで、ウミ君はどんな手をしているのだろうか、ソラ君はどんな目をしているのだろうか、ルカの体内はどう反応していたのだろうか、つぶさに観たかった。

 

 ぼくは東京にいるとき、妻に連れられて様々な土地へ行った。ぼくの身体がビビッドに反応するのは、水の中だった。海へ入ると心がまともになる感じがした。温泉につかると視界が開ける感じがした。2年前の冬に岩手の湯治場へ行き、その足で妻と京都へ旅して、熊野そして伊勢と海際の土地を巡り、東京を出ることを決めた。海や温泉に誘われ、その土地土地での自分たちを信じて選択していった。移住しても、旅は続いている。

 映画『海獣の子供』は、海の中、身体の中、宇宙の中、と液体的な空間を浮遊する作品だ。潮の香りがし、耳には様々な液体的音色が残る。米津玄師さんの主題歌は、まさに、クジラのソングだった。今作でクジラは一番重要な存在で、彼女のために、登場人物も背景も造形されている。そして、音も。

 映画を観終えて、場内が明るくなり、隣にいた妻と手で「Good!」と伝えあい、外へ出た。旅先の金沢のイオンモールの外は、雨が上がって、空が青くなっていた。それは海の中にいるようだった。大きく息を吸って吐いて呼吸をし、作品を感じた。

 

 ブログを更新するのも久しぶりだ。誰に伝わるか分からない場所で書くことを、長らくしていなかった。でも、この作品は映画館で観るのがきっといい、それが誰かへ伝わればいいな、と思った。是非、映画館へ。


【6.7公開】 『海獣の子供』 予告2(『Children of the Sea』 Official trailer 2 )