誕生日に、被災地を見に行ったので写真を貼っていく
1日目は釜石〜陸前高田〜気仙沼まで
↑記事は瓦礫の撤去や土木工事介護ケアなどの求人情報や釜石の企業ニュース等
(゚д゚)ウマー
今回見てきた中で、パッと見た感じで一番被害が大きそうだなと感じたのは陸前高田でした。本当に何もなくなっている…。直に見ても信じられない。
2日目は塩釜松島〜石巻〜女川
松島は津波の被害も(比較的)少なかったということもあり観光の町として通常運転で賑わっていました。
松島といえば牡蠣。そして仙台も近いということで牛タン定食。美味し。
鯨の大和煮のモニュメントはテレビやネットで見た感じよりずっと大きかったです。こんなものが流されるくらい激しい津波の威力…。人間の力にはどうにも出来ないはずです。
大企業やコンビニなどは1年も経っているということですっかり綺麗に建物を直していましたが、街中の小さなお店や取り壊す事も出来ず荒地となった所に点在していました。写真には撮りませんでしたが、瓦礫の山は各所にあり、木造は木造、鉄は鉄、布は布…のように仕分けされていました。そして想像を絶する量です。あの瓦礫で小さな人口島くらいは作れるのではないか?というくらい。放射能残留等諸所の問題はあると思いますが、何とかあれらを上手く処理出来たらなと改めて感じました。
やはりネットやテレビで見るだけでは津波の凄惨さや町の様子、そして現地で頑張ってる人たちの雰囲気の感じ方というものは全然違いますね。被災地に行くまでカメラ持ってチャラチャラしてるのは良いんだろうか?と思っていましたが、被災地を巡るツアー等もありますので、やはり出向いて、地元でお金を使って、そうやって地味ながら復興のお手伝いが出来ればな…と。完全なる自己満足ではありますけど(;^ω^)
それにしてもこの2日間でかなりお金使っちゃったよ…orz いやはやしっかり経済をまわしてますねえorz
1年目に寄せて
もう1年なんですね。ほんっとに早かったなあ。
あまり2011年の夏の思い出がない私です。
岩手県では(おそらく被災県ではどこでも)とにもかくにも復興という言葉をあちこちで見ました。街中を歩けば、のぼりやポスターに「がんばろう東北」「がんばろう岩手」などの文字が未だ溢れています。
しかし、私自身がそうであるように、世間でも「復興」や「がんばろう」という言葉は形骸化され、被災県に住む人間ですら「復興はもういいだろう」と思う人も増えています。それは当然かもしれません。人間は飽きてしまう動物です。ボランティアもピークはGWの辺りまでと聞きました。
私も「ボランティアに行く」などと大きな口を叩いた割に、結局沿岸に行くことすらなく、1年を過ぎてしまいました。
沿岸に行かなかったのは、仕事が忙しいという事もありましたが、何もなくなった沿岸の町を見るのが怖いというのもありました。私がよく遊びに行っていた気仙沼、釜石、子どもの頃海水浴に行っていた宮古、陸前高田、石ノ森記念館に行くために2度程訪れた石巻…あの町々が皆破壊され尽くしているかと思うと辛くてしょうがありません。
今日は1年目ということで、テレビや各メディア(テレ東以外w)では軒並み震災の特集をしますので、これ以上何か語る必要もないと思われます。映像を見てあの時の事を思い出すのも、あえて辛い思いをしたくないので見ないというのも、人ぞれぞれです。
ただ、常に防災を意識して、天変地異はいつ起こってもおかしくないと言うことを心のどこかに留めておいて、そして家族や大事な人やご近所の人と、コミュニケーションをとって起きましょう。本当に。普段は一人で生きていけると思っていても、ああいう非常時に人と人のつながりというのを強く感じるものです。(つながりとか絆という言葉も、何だか陳腐な感じになってしまいましたが…)