『ブッダの言葉』を眺めながらもの思う。


気がつけばいつの間にか今日で4月も終わり、人によっては10連休以上のゴールデンウィークに突入しますね。
ここ数日急激に気温が上がり、うららかな春を通り越して既に初夏の気候となりつつあります。

特定の話題やテーマについて掘り下げて考える時間が乏しいので、気軽にブッダの言葉を借りながらつらつらと頭に思い浮かぶことを書き留めることとします。
中途半端なメモや断片的な知識の備忘録のような更新でもしようと思うのですが、短く手軽に更新するというブログの書き方に慣れていないせいなのか、ラフでアバウトな記事の作成がなかなか出来ないといった感じです。

知恵の手帖シリーズというとても薄い冊子があり、そのシリーズの『ブッダの言葉』(isbn:4314007397)から困苦なる人生を行き抜く指針となるようなものを幾つか引用し、私の簡単な感想を添えておこうと思います。

表題は、私が恣意的に気の趣くままにつけました。


克己―この世界に生を授けられし者の普遍的な目的

戦争で幾千万もの敵を倒した者と

自分自身に打ち勝った者とでは

自分自身に打ち勝った者こそが、

より偉大な勝利者である。

(中略)

真実のところ、悪は自分自身によって為されるのである。

人は自分自身によって穢れる。

だが、自分自身によって、悪を避けることもできるし、

真実のところ、人を清めるのも、自分自身なのである。

純粋であるか不純であるかは、その人にかかっていて、

他人を清めることなど、自分以外の誰にもできない

(中略)

どんな征服も憎しみを生む。敗れた者たちが、不幸に見舞われることになるからだ。

あらゆる勝ちや負けの考えを捨て去って、穏やかに生きる事のできる者だけが、いつまでも幸福にいられる。

この言葉の左側には、釈尊ゴータマ・シッダールタ)が誕生したルンビニ―の地、母親から産まれた釈尊の彫刻が付されている。
母の摩耶夫人から産まれた釈尊は、即座に立ち上がって七歩歩き『天上天下唯我独尊』と高らかに降誕宣言をしたという伝説が残っている。
『この天下に私ほど尊貴なものは存在しない』という宣言を、特別な人類救済の任を得た釈尊にのみ許された言葉と取るのは早計であろう。

この言葉を私は、歴史上初の自我意識の発露として受け止める。
そして、この言葉を躊躇なく発することの出来る人間は、克己を成し遂げたものであり、独尊であるが故に他者との相対的比較による優越を獲得する必要がそもそもない。
真の絶対的な自負や自尊の念に至る道は、他者との競合や闘争によって切り開かれるのではなく、ただ我一人、我が精神の実相と正対することによって得られる。
その具体的な道筋を説いたものが、仏法でいう八正道なのかもしれないとふと思った。

ちなみに、釈尊の名シッダールタとは、『目的を成就せし者』という意味が含意されている。
自我意識は、仏法では否定されるべき煩悩の源泉とも解釈され得るが、私は自我意識を滅却する方策による悟りの境地には真の救済も幸福もないと感じる。
それは無為なる生命の残滓に成り変わることと等価であり、欲求の執着に悩み苦しみながらも歓喜を得るところに人生の醍醐味がある。

生命を危機に陥れる苦行三昧は、釈迦を悟りへは導かず、ただ静謐な死の調べを彼の耳元へ柔らかに注ぎ込んだに過ぎなかった。
自分自身の生の責任と運命を毅然として受容せるところに、人間の清浄なる尊厳が屹立する。


形而上学的な対象としての苦悩や憂慮を捨象し、現実に生きること

もしも修行者が、正しい智慧によって、物事をあるがままに見るならば、過去についてこんな考えは持たないだろう。
『私は過去に存在していたのだろうか。それとも、存在しなかったのだろうか。私は過去において何者だったのだろうか』
彼は未来についてもこんな疑問は抱かないだろう。
『私は未来にもあるのだろうか。それともないのだろうか。私は未来において何者となるだろう。』
彼はまた、現在についても、こんな疑いはもたないだろう。
『私は存在しているのか、それとも、いないのか。私は何者であり、友情として、どこから来て、どこへ行くのか』と。
このような考えが彼に生じることはない。

私達は、現在、享受している生命の起源を受精以前に遡ることはできず、現在の生命が燃え尽きた後の未来を知ることはできない。
原理的に知り得ない誕生以前の生や死滅以後の生についてあれこれと思い煩う事に意味はない。
過去は記憶の想起の中にしか存在せず、未来は想像力が生み出す推測のイメージの域を超え出ることはない。
『今。ここ』から精力的に生きる事、過去の苦難や悲哀を引きずり過ぎない事、未来における不幸や絶望の予感に脅かされない事、極めて簡単な生き方に思えるが、記憶と想像に苛まれる人は現在を全力で生き抜く事がなかなか難しい。



因果応報と自業自得―憎悪と怨恨は復讐となって連鎖する

ある男が、他人の財産を奪って、目的を果たしたとする。
しかし、その男は別の男から、身ぐるみを剥がれてしまった。
そうすると、彼はまた他人の財産を奪うことになる。

悪の果実がまだ熟さないうちは、愚かな者はこう考える。
『今がチャンスだぞ。今こそ好機だ。』
ところが、その行為が果実をもたらす時、彼のために、あらゆるものが損なわれる。人を殺めた者は、次には自分が人から殺められ、勝利者には次の戦いの相手が現れ、人を侮辱した者は、いずれ自分が侮辱され、他人を迫害する者には心配事が絶えないだろう。

このように、行為は連鎖をなし、人の財産を奪う者は、次に自分が財産を奪われる。

倫理規範の根本は、同害復讐法に根拠づけられるような憎悪と復讐の連鎖を抑止するところにある。
孔子の語る『仁』の徳性も、血縁者への隣人愛をより遠方へと拡大していく過程において実現される。
その本質は『己の欲せざるところ人に施すことなかれ』だが、人間社会にある絶望的な貧困や凶暴な破壊衝動、利己的な繁栄への欲求が他者を虐げ、他者から収奪する行為へと人を駆り立てる。
相互的な権利の不可侵が実現されるには、公正としての社会正義が生まれながらの環境において整備されていなければならないが、それを達成する具体的政策についての論議は突き詰めることが難しい。



過ちを改めるに憚ることなかれ

他人の過ちを見つけるのは簡単だが、自分の過ちを見つけるのは難しい。
実際、私達は、穀物の粒をふるうようにして、他人の過ちは細かい笊にかける。
ところが、ずるい賭博者が都合の悪いサイコロの目が出そうになったらうまく誤魔化してしまうように、自分の過ちはそっと隠してしまおうとする。


苦難を消尽する果てしなき渡河の旅路

どうやって激流を渡るのですか?
どうやって海原を越えるのですか?
どうしたら苦しみは消え去るのですか?
そして、どうしたら穢れることなくいられるのですか?

これらの問いに、世尊は次の詩をもって答えられた。

信によって、激流を渡るのである。
努力によって、海原を越えるのである。
正しい認識によって、苦しみを消し去るのである。
そして、穢れを去るには、智慧によるのである。

敬虔な信仰心とは無縁の私ですが、早朝の陽射しを浴びながら釈尊の言葉に触れることもまた悦ばしきことです。
宗教教義としての仏法を離れても、世界を解釈する正しい認識や生を豊かに彩る智慧を集める営みの大切さ忘れずに日々の生活を楽しんでいければ良いと考えたりします。

反日デモに内在する中国共産党の危機:共産主義は何故、挫折せざるを得ないか。


中国や韓国で連日繰り広げられた反日デモの原因には、中国の共産党独裁体制に対する人民の不満や反発の鬱積、日本の国連安全保障理事国加入への反対、中国側の内政的観点による人民のガス抜きなど幾つかの要因を考える事が出来る。
中国政府の見解では、日本との歴史認識の差異が中国人民の反日感情を高揚させ、反日デモを過激化させたのであり、中国当局には一切の責任はないという事である。
しかし、中国政府が、日本の歴史認識に対する人民の愛国心に基づく怒りを思い知らせる為に、この反日デモを警察権力で強制的に鎮静化しなかったというよりは、沈静化できなかったという方が正しいように思う。

この反日デモを中国政府が主導したという見方は全く正しくないし、反日デモで暴徒化した民衆の破壊行動は、民衆が潜在的に孕んでいる政権転覆のエネルギーの片鱗を窺わせるものでもあり、現支配階級である共産党上層部の無意識的な不安や疑念を喚起するものだからである。
絶対的な政治権力は必然的に腐敗するし、既得権益の階層の新陳代謝がなければ権益から排除されている階層の不満や反発は抑圧され蓄積されていく。
中国共産党の現状は非常にアイロニカルなものであり、彼らが党名に掲げている共産主義の理念が表層的な欺瞞的理想に過ぎないことを歴史過程において自己証明する事になる予感を感じる。

そもそも、情報技術が発達してインターネットで世界の個別の情報がリンクされる現代において、政治的な独裁体制と経済的な自由化の相性は、非常に悪いものである。
現代の情報産業社会の中で経済を自由化すれば、市場やネットを通して無数の情報資源が飛び交うこととなり、国内の一党独裁体制維持の為の情報統制やイデオロギー統一は事実上不可能になる。
市場経済が近代化して、中国人民の生活水準が向上してくれば、必然的に浮かび上がってくるのは、先進民主主義国の市民社会をモデルとした市民意識である。
共産党の従属者としての人民から国家の主権者としての市民にアイデンティティの意識がシフトする転換期において、反日デモで表出した抑圧されたエネルギーが民主化の熱狂と欲望として中国共産党に叩きつけられることになるだろう。

日本とアジア諸国歴史認識の食い違いに基づく対立と歴史学の持つ本来的な性格について書こうと思ったが、中国共産党からの連想で共産主義が何故、挫折せざるを得ないのかについて略述しようと思う。

共産主義とは、プロレタリア革命によって実現の第一歩を踏み出すとされた政治的理想主義であり、本来、資本主義階級(支配者階級)に対する労働者階級(被支配者階級)の鬱積したルサンチマンを、暴力的な革命の原資として燃え上がらせ、既得権益階層を暴力で粛清あるいは放逐して、財や資本の分配をコペルニクス的に転換させるものである。
つまり、共産主義の理念は、原義に基づけば既得権益や独裁体制を破壊し、庶民や民衆の自治的な主権体制を構築し直し、自分自身の身体を使って疲労という苦役を得る労働者が主役となる社会を作ることにあった。
しかし、共産主義の理想と現実の落差から生まれた歴史的陥穽は、社会主義の実験的国家ソビエト連邦成立から日を待たずして明らかになった。

共産主義思想を構築したマルクスエンゲルスの致命的な誤謬は、人間の本性である利己主義や支配欲求を完全に見失っていたことだった、即ち、人間は本来的に完全平等な世界を願望しておらず、共産主義を信奉し革命に協力した民衆の大部分は、現在の貧困や支配から逃避する為にあるいは今まで自らを虐げ抑圧してきた階級を嫉妬や憎悪を元に抹殺する為に暴力と破壊による転換点を欲していただけだったのだ。
理念としての平等や支配者階級の廃絶は、現在の自らの社会的地位を向上させる為の方便に過ぎなかった、その証左として革命を遂行した指導者の多くは自らを神格化しあるいは絶対権力者としての地位や名誉を当然の報酬として受け取った。
レーニン毛沢東スターリン金日成カストロ、有名な共産主義を掲げたリーダーを思い浮かべるだけでも、特別な政治権力を自らに付与した指導者ばかりであり、労働者と全く同等の地位という建前を持っていても、実際には絶対的な権力と軍隊を掌握していたし、質素な庶民的生活水準に甘んじた人物は一人としていない。
そもそも、自らが支配的権力者でない事を役職名の改変によって欺瞞しようとする姿勢が、総書記、書記局長、国家主席といった肩書きを生むきっかけになっている。

共産主義マルクスエンゲルスが夢想した地上の楽園を生むイデオロギーから遠ざかり、既得権益を廃絶して平等な資源の分配を実現するはずの共産党自体が既得権益の集積場となり、新たな身分制を生み出し、階層的な支配構造を固定的なものとした。
マルクスの理想は、政治権力(国民国家)や経済制度(貨幣システム)からの人間の解放と自由の享受であったはずなのに、マルクスの信奉者達が起こした革命は、ソルジェニーツィンが述懐したように地上の楽園ではなく地上の監獄列島を創造したに過ぎなかった。
現在よりも豊かな生活水準をあらゆる人々が隈なく享受できる平等な社会、抑圧と支配のない完全な自由が保障された理想社会を作ろうという思想は、言論・思想・表現の自由がない暗黒の領土、現在の政治体制のイデオロギーに逆らうものを粛清する恐怖の監獄を地上に拡散するという皮肉な結果に至ったのである。

人間の利己的な本性は、一度、獲得した権力や財力をなかなか手放そうとしない事にあり、幾ら既得権益の階級を排除しても、その排除を主導した指導者層とそれを取り巻く周縁のグループが新たな既得権益を貪りあって新しい権力と財力の階層構造を構築してしまう。
また、マルクスの人間解放の思想と貨幣廃絶の思想が見失っていたのは、人間の労働のモチベーションであり、マルクスの夢想した世界では、人間は自分の為ではなく他人の為に働くバカ正直といってもよい善人であり、社会改善の為には自分の権利も利益も無償で奉仕して惜しまない人物なのである。

『能力に応じて社会の為に働き、必要に応じて自己の為に受け取る』という人間観が現実的なものであれば、共産主義思想の実現に可能性の光明が差し込むかもしれないが、現実的な人間の大部分は『能力や成果に応じた報酬を当然のものとして要求し、必要以上に蓄積し独占する』のであって、他人よりも自分と自分の家族の幸福や繁栄を願う近しい者への愛の精神は、倫理的にも簡単には否定できないものである。
『私は、利己的な人間ではなく、社会や他人の為に滅私奉公できる人間である』と語る利他主義を根底におく倫理を実践する人物も社会には確かに存在するが、そういった人物が社会の多数派になることは未来永劫望むことが出来ない。

人間も生物の一種である以上、自己保存欲求や利己的な遺伝子が要請してくる遺伝子の保存欲求を完全に否定し切ることは不可能であり、市場経済が浸透した先進国に生きる人間は『自分の経済状況は、自分の行動が招いた自己責任の範疇に収まるものである』という経済に対する自己責任感が非常に強い。
だから、仕事をせずに路上生活をするホームレスに一日の給料の半分を上げようという博愛主義的な人は滅多にいないし、相当にお金に余裕があっても自分の自尊心を満足させる高額消費にお金を使うか、残りは貯金や投資に回してしまう。
また、自分の生活水準や経済状況には、自分の行動の選択による自己責任を負うという資本主義の原則を完全に否定して、政治権力が社会に存在する資源を全て回収して平等に分配するようにすると、他人からの寄付や施しによって自分は何もせずに生活をしようとする層が増大するだけでなく、真面目に労働する層が働けば働くだけ損をするという不公正な社会構造が生まれ、結局、誰も働かなくなり経済社会は機能不全に陥るだろう。

現実の国家体制である国民国家の枠組み、現実の経済体制である資本主義市場経済の枠組み、現実の人間観である自己保存欲求(自己の幸福の為に働く欲求)に規定される大部分の人間、これらは近代主義の強靭極まりないフレームワークであって、この枠組みは尋常な社会変動や技術革新では破壊されることはないし、現段階で考え得る最善の政治体制であり経済体制でもある。
『人間は基本的に自分を犠牲にしてまで他人の為に恒常的には働かない』……この厳然たる事実を覆す事はおそらくイデオロギーや政治制度では不可能ではないだろうか。
また、現状でこの自己責任にもつながる事実を覆す意味も価値も見出せない。
故に、現代社会において共産主義の理想は必然的に挫折せざるを得ない。また、暴力的革命への熱狂は、ニーチェの説く弱者の強者に対する怨恨であるルサンチマンが暴力の形態をとって憂さ晴らししているに過ぎないという事になるだろう。

ただ、マルクスの語った経済学の言説に面白いものが一つあり、そこから未来の想像を拡大することが出来ないでもない。

『下部構造(物質的基盤)が上部構造(精神的な形成物)を規定する』

即ち、経済的な生産状況と豊かさとしての下部構造が、法・政治・倫理・思想・哲学・芸術といった精神の創造物を規定していくという考えである。
そこから展開される夢想とは、遥か遠い将来において人間が自らの身体と頭脳による労働を義務としてではなく娯楽として楽しめるようになる時、つまり、ロボット工学や都市建設技術の進歩等により生活の為の労働から人間が切り離される時、労働にまつわる公正感や金銭にまつわる執着心が無意味なものとなり共産主義的な世界が実現できる可能性はあるかもしれない。
しかし、その安楽と倦怠が支配する世界に、現代の私達が希望する豊かさがあるかは分からないし、虚無を超克する生きる意味や価値がその世界に内在しているかも定かではない。

本居宣長を突き動かした“もの学びの力”と日本の国学の独自性


本居宣長(上) (新潮文庫)

本居宣長(上) (新潮文庫)



江戸時代の国学者本居宣長(1730-1801)は、伊勢(三重県飯高郡松阪(松阪市)の商家・小津家にて、この世に生を受ける。
故に、本居宣長は、医学と儒学を修養する為に京都遊学に赴くまで、姓は木綿問屋を営んでいた小津を名乗っていた。
小津家は、父の小津三四右衛門定利が存命の時には、江戸に支店を構えるまでに成長し、伊勢の国で最も羽振りが良く栄えた家系であった。
しかし、父が宣長が11歳の時に病死してからは、親戚にその遺産と商売を殆ど取られてしまい、宣長は自分の才覚と努力で生計を立てていかなければならなくなる。
そこで、学問によって身を立てるのが良いという母の勧めもあって医学を志し、京都に遊学するのである。
本居宣長は、23歳で京都遊学を果たすが、その時に師事したのは儒学の堀景山と医学の武川幸順である。

宣長自身は、やはり儒学を深く学び、日本古来の伝統を重んじた人だけに、生計の為の商売はするが、利潤拡大の為の商売には余り良い印象を抱いていなかったように思える。しかし、宣長は商家の生まれである事も影響してか、商売そのものの才能が貧しかったわけではなく、生業としていた医学ではそこそこの収益を上げていたようではある。
宣長という人は、潔癖禁欲の儒教の説くところの私心なき聖人君子ではない。現実的状況を悠々と受け容れて生きていく為の商いは進んで行うべきとするバランス感覚を持った学士である。
学問に精励する為には、生活基盤を確固としたものにしなければならないという当たり前の現実適応感覚に従って、まずは医業によって身を立てる事を考えたと言えよう。
医師としての宣長は、本居春庵(舜庵)と名乗っている。

小津という名字を捨てて、本居と改名した背景には諸々の思惑や事情があるだろうが、小津という姓に歴史的に浸透した商人アイデンティティから脱却して武士や学士としてのアイデンティティを本居姓に求めたと解釈することも出来る。
本居とは、宣長の祖先を遡っていくと、商家の小津家に分家する前の姓で武家の家柄であったようだ。
本居姓を名乗っていた祖先は、戦乱の時代に蒲生氏郷に仕えた猛勇を誇る武士であったという。

この学問技芸を余力にて修めるというのは、実は、論語に示された孔子の学問に対する姿勢にも通底するものでもある。
孔子は、『論語 学而編』にて以下のようにのたまっている。


子曰わく、
『弟子(ていし)入りては則ち孝、出ては則ち弟、謹みて信、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力有れば、則ち以て文を学べ。』

【拙訳】
孔子は、こうおっしゃられた。
『これから世に踏み出さんとする者たちよ、家庭にあっては親に孝行を尽くし、家庭から社会に出れば年長者に敬意を持ち、自らの身を謹んで信頼を得るに足る言行に努めなさい。差別する事なくあらゆる人々を愛して思いやり、仁徳を備えた士大夫に近づきなさい。そして、忠孝、孝悌、信義、仁徳の道を実践して、余力があるならば、そこで古典文芸を学び教養(知)を修得するのがよい。』

現代社会において、この儒教道徳を無批判に受け容れる必要は当然にないが、教養修得の学知や古典文献の考証学のみに没頭するのではなく、現実世界での人間関係や職責享受も同等以上に大切にする必要があるという孔子の意見にも耳を傾けるべきところはあるだろう。
特に、現代社会の学校制度では、実践や行動以上に論理的把握や体系的知識の獲得が重んぜられる風潮があり、そこに知的な完全主義的性格が伴うと、なかなか観念的理解から実践的行為への移行が速やかに行えないという難点がある。


当時の伊勢・松坂は、非常に商売が盛んな土地柄で手広く商いをする裕福な商家が数多くあるだけでなく、他国から経済的成功を夢見て伊勢に至る者や商売の取引きのために出入りする人たちで大いに賑わい栄えていた。

本居宣長は、伊勢松坂について『玉勝間』にて次のように記している。


国のにぎはゝしきことは、大御神(伊勢神宮)の宮にまうづる旅人、たゆることなく、ことに春夏の程は、いといとにぎはゝしき事、大方、天下に並びなし。土肥えて、稲いとよし、田なつ物も畑つ物も、大方、皆よし。
かくて松坂は、ことに良き里にて、里の広きことは、山田につぎたれど、富る家多く、江戸に店といふものを構へおきて、手代というものを、多くあらせて、商ひせさせて、主は、国にのみ居て、遊びをり、上辺はさしもあらで、うちうちは、いたく豊かに、奢りてわたる。

(中略)

他国の人おほく入り込む国なる故に、よからぬものも多く、盗なども多し。
人の心はよくもあらず、奢りてまこと少なし。

国学者としての名声が高まっても四畳半の書斎・鈴屋で読書し執筆し続けた宣長は、無論、贅沢華美や享楽遊興とは無縁の人間ではあるが、彼は学問と生活を特別に切り分けず、それらを渾然一体のものとして受容していたように思える。
つまり、生計の為に働くことを学問の障害と考えるような古代ギリシアの貴族主義的な学問の姿勢を宣長は生涯取らず、常識的な市井の国学者として過ごした。
実践と思索、労働と学問、娯楽と仕事、動態と静態は宣長にとって対立する融合し難き事態ではなく、それぞれの領域において自らに割り当てられた事柄を淡々とこなし、余力を持って自らの志向する学問的課題へ精力を傾注したと言える。

しかし、この余力というのは凡人通俗の理解するところの本領の残滓としての余力と受け取るのは誤りであって、本居宣長の人生全体が『物まなびの力』に覆われていたという前提を忘却すべきではないだろう。
宣長が、学問の道、古道研究の道を、人生の大道と捉えていたことは疑いないのであって、極端な比喩表現を用いれば、ユングの語る自己を超越した世界を普遍的に覆う『魂の領域』宣長にとっての『物まなびの力』なのであって、物まなびの力は宣長個人の内面世界に閉じ込められているものではないように思える。
宣長は、古道(古典文学に込められた日本の精神性)を極めんと刻苦勉励する一方で、『賢しらごと』を軽蔑し、発言することさえ憚られるとして遠ざけた。
宣長にとって、情報として知っているだけの知識や表層的な理解の集積は、さかしらごとであって物まなびの力に準拠するものではなかったのである。

更に言えば、宣長の知的好奇心とは、功利的なものでもなく実利的なものでもないのであって、自己の内面から自然に滾々と湧き上がってくる抑えがたき知の衝動として理解することが出来る。


己、いときなかりしほどより、書を読むことをなむ、よろづよりも面白く思いて読みける。さるは、はかばかしく師につきて、わざと学問すとにもあらず、何と心ざすこともなく、そのすぢとさだめたる方もなくて、ただ、からのやまとの、くさぐさの文をあるにまかせ、得るにまかせて、古き近きをもいはず、何くれと読みけるほどに、十七、八なりしほどより、歌よままほしく思ふ心いできて、詠みはじめけるを、それはた、師にしたがひて、学べるにもあらず、人に見することなどもせず、ただひとり、詠み出るばかりなりき、集どもも、古き近き、これかれと見て、かたのごとく、今の世のよみざまなりき 


本居宣長『玉勝間』より


古事記源氏物語など日本の古典文学の研究と日本民族の歴史的精神の発掘に生涯を捧げた本居宣長の本領が発揮されるのは、万葉集に表現される日本古来の精神性を学究した賀茂真淵との出会いがあってからのことである。
国学の師・賀茂真淵宣長が、松坂の旅籠・新上屋で初めて出会ったのは、1763年の事であり、宣長34歳、真淵67歳のことであった。

兼ねてから、賀茂真淵万葉集研究と枕詞研究の書『冠辞考』を読み、真淵の高名を慕っていた宣長は、真淵の門下となり、国学者としての地歩を一歩一歩固めていく事となる。
正に、新上屋における二人の邂逅は一期一会であり、年齢的制約によって真淵が断念せざるを得なかった古事記の研究が弟子の宣長へと継承されたことを意味する出来事でもあったと言えるのではないだろうか。

勿論、真淵と邂逅した時点での宣長も並々ならぬ深い教養と向学心を備えた人物であり、宣長の前半生における学問的態度に無視できない影響を与えたのは儒学の師である堀景山であった。
藤原惺窩の儒学の系統に属する堀景山は、荻生徂徠を敬仰し、朱子学の正統に捉われることのない自由闊達の気風を持った人物で、漢学だけでなく国学の素養も持っていたのである。

堀景山の柔軟性のある思索の薫陶を受けた本居宣長は、伝統的な学問通説の枠組みに束縛されることなく、創造的で刺激的な“ものまなびの道”へと邁進することとなる。
しかし、堀景山が荻生徂徠を尊敬した一方で、宣長は徂徠の儒学思想を中国回帰的な中華思想であり、日本の伝統文化や精神性の探究に通ずるものではないとして退け、国学の立場から漢学優位の立場を批判した。

宣長もののあはれの研究や体得の詳細について書くことが出来なかったが、今回の記事で言いたかったことは、本居宣長の学究精神としての思惑や意図のない“ものまなびの力”についてであった。
私は、孔子儒学を学ぶことにも面白味を感じるが、本居宣長の日本古来の神道の精神による儒学批判にも痛快なものを感じる。

儒教は、士大夫、聖人君子の踏み行うべき道徳規範を説き、天下国家を人徳と礼制によって治める王道を説くものであり、その為に自らの言動を正しくして修身を積まなければならないとする。
儒教思想において、人間と禽獣との差異は『仁義と礼楽を知る者と知らない者の差異』なのであるが、本居宣長はそういった儒教の道徳観によって人間を判断しようとする事は、本家中国では妥当かもしれないがここ日本においてはそれほど重要なことではないと語る。
宣長は、日本は自然の神道に人間存在の基盤をもち、『それ人の万物の霊たるや、天神地祇の寵霊に頼るの故をもってなるのみ』というように、人間が禽獣と異なる本性を備えるのは、自然世界の神々から生得的に道徳性を付与されているからだと反駁する。

また、市井の学者である宣長にとって天下国家を統治する為の聖人君子の王道は、必ずしも最優先事項とすべき道ではなかったとも言える。
高潔なる人格の陶冶や民衆を敬服させる徳性の修養といった大人(たいじん)の目的を欺瞞的に空想的に追い求めるのではなく、宣長は自らを小人と思い定めて現実的な事柄からまず実践し、『好み信じ楽しむ学び』を通して日本古来の精神や伝統を再現しようと考えたように思える。

何らかの外部的な目的の為に行う学びには、好み信じ楽しむ要素が欠如しがちであるが、内発的な動因に突き動かされる学びには、絶えず、好み信じ楽しむ軽妙風雅な心意気が込められている。

小林秀雄『本居宣長』

小林秀雄の文庫版『本居宣長』を暇を見つけて読みながら、日本の古典文学が様々な角度から照射する日本的精神の美しさや奥深さに心を揺り動かされています。
しかし、古典の文体を長らく読み込んでいない為、この本をすらすらと読み進めることはなかなか困難で、適当に読んでは大意を掴み損ねて、また前の文章に戻って読み直したりしています。

紫式部の『源氏物語』などは、10年以上目にしたことがないのですが、いつか再び夢幻と情愛が織り成す魅惑の宮廷文学の中に、日本的な情趣を直観的な“あはれ”として、理性以前の自然に溶け込む“ことわり(理)”として再発見したいと思います。
近代以降の分析的な心理学や理性と欲求を切り離す精神分析などとは位相の異なる心理世界の生活文脈に徹した直知的探求こそが源氏物語や和歌の世界の本義ではないかと感じます。

NHKの受信料支払い拒否の増大と公共放送に求められるべきもの

NHK:受信料拒否・保留74万7000件 3月末で――毎日新聞


NHKの橋本元一会長は7日会見し、3月末で受信料の支払い拒否・保留件数が74万7000件に達したと発表した。「悲観的に考えざるを得ず、収支の均衡を目指し、予算執行を厳しく制御するしかない」と依然厳しい状況であることを認め、徴収方法の見直しを含めた検討を始める考えを示した。

公共放送であるNHKの受信料の支払い拒否あるいは支払い保留件数の急速な増加が話題に上り始めたのは、NHKの一連の不祥事(プロデューサーの受信料着服・番組制作費横領や不明朗な財務報告など)が明らかになった時期や、朝日新聞の報道により、自民党安倍晋三幹事長代理と中川昭一氏がNHKの放送番組の内容に政治的介入をしたとの疑惑を持たれた時期と軌を一にしているように思う。

私はこの問題に対してそれほど強い関心を寄せていたわけではないが、当時のブログでの議論を散見したところでは、安倍晋三氏と中川昭一氏が、自らの歴史認識や政治信条にそぐわない番組に対して、直接的に、番組内容の修正変更や差し押さえを要請したという事ではないようである。
しかし、反自民党の立場にある人や政治的介入に対して厳しい人の、『間接的に、婉曲的な比喩表現やほのめかしを使用して、彼らが好ましくないと考える番組放送を牽制したのではないか』という疑念を完全に晴らす事は出来ないかもしれない。

しかし、HNKへの政治的介入の問題の本質は、安倍氏など政治家個々人の影響力云々ではなく、NHKの予算と事業計画の承認が国会審議と採決によって為される事にあるのではないかと思う。
政治家が、事前に番組内容について知りえたからこそ番組内容に対する何らかの意見や反応が生まれたのであり、何故、番組内容についてNHKの側が自主的に政権与党の政治家に説明する必要があるのかと考えると、国会における予算審議を問題なく通過させたいからという理由に行き着く。

安倍氏本人の弁を要約すれば、番組の説明を強要したものではなく、NHK側から自主的になされた説明に対し、『戦争問題に関して偏向せずに、客観中立な放送をして欲しい』という主旨の私見を述べたに過ぎないという事になるが、公共放送の客観性・中立性を与党側の政治家のみが判断するのは僭越であり、予算審議の実質的な権限を握る政権与党に配慮した政治的意図を孕んだ番組作りが行われる危険性があるというのが批判の大略であろう。

この報道が、例え朝日新聞の勇み足の誤報であったとしても、国民に与えたNHKに対する印象は概して好ましいものではなく、これまで無批判に受信料を納めていた層にも『公共放送NHKの存在意義』を懐疑再考する者が増えてきた結果、受信料不払い層が拡大してきたのではないかと推察される。

私自身は、公共放送が完全に不要かと問われれば、国民全ての生活や安全に直結する必要不可欠な情報(国内政治状況・経済問題・世界情勢の変化・災害被害情報・戦争有事の緊急放送など)を正確に、出来るだけ客観公正を心がけながら行う為の公共放送の必要性は未だあるのではないかと思う。
しかし、現在、NHKで放送されている番組の全てを、半ば強制的に徴収される受信料で賄われる必要があるとは判じられないとも思う。

スポンサーからの広告収益に財政的に依存する為に、視聴率至上主義に陥り易い民間企業に全ての国内放送を委任する事には、やはり若干の懸念を拭い去れないという人も少なくはないのではないか。
私は普段それほどテレビを見ないのだが、時折、NHKの番組には、民間では視聴率が採れないだろうが、文化的教育的価値が高いと感ぜられる社会問題や政治情勢に関する報道番組や科学、歴史、語学などの教育番組、芸術や風俗文化などの教養番組が放送されている。
こういった放送を、娯楽番組のように大きな需要がないから全て切り捨てて良いとも思わないし、語学や教科科目の番組などは継続的に志学の精神を持って見ている人には、実際的なメリットをもたらすものでもある。

とはいえ、国民から受信料を一律に徴収する事そのものに対する反対や抵抗の気運が高まっている事実を謙虚に受け止め、公共放送の意義と役割を再検討する中で、『国民の利益と教養の向上に貢献する番組制作』を前提として不必要な放送番組を削減して予算規模を縮小し、不正な受信料の着服や流用の不祥事が再発しない万全の監査体制を構築するなど痛みを伴う努力と改革を全面的に推し進めていかなければならないだろう。

民間放送で十分に供給されていると思われる(巨額の制作費の掛かる大河ドラマなどを含む)娯楽番組は、民間のスカパーなどCSデジタル放送やCATVなどのようにスクランブル化して、一定の追加料金を課す方式を採用すれば、受信料負担に対する不公正感や不満も若干軽減できるのではないだろうか。
それと同時に、有料放送の視聴者層を拡大する為(現在のNHKの事業規模を維持する為)に、今まであまり考慮することのなかった視聴者の需要(契約)に基づく収入増加を真剣に考えて、『お金を払ってでも見たいと思う面白い番組制作』に全力を傾注するようになり、結果として視聴者が受ける恩恵や満足も大きくなるだろう。

私は、視聴者の番組選択による負担の多寡を認めるべきではないかと思うが、NHK自身の見解は、地上派とBSデジタル放送の一体化を成し遂げ、全国あまねく全ての番組を提供する事に公共放送としての意義や役割があるとするものであるようだ。

しかし、視聴者に対して『客観性の高い報道・教育教養などの公益性の強い番組(安価な一律負担の受信料負担)』と『それに追加する様々なバリエーションのある趣味や娯楽の番組(契約に基づくやや高価な受信料負担)』の選択の権利を与えることによって、NHKに対して一般の報道と教育の番組など必要不可欠な情報しか必要としない世帯(及び全くNHKを見ない世帯)は相対的に負担が少なくなり、高い制作費や出演料が掛かる番組でも面白ければ視聴したいと願う人には、市場原理が働くことにより、今まで以上に満足度とクオリティの高い番組が届けられるようになるのではないかと思う。

公共番組の本位としての譲れない本質的根幹と民間番組と競合すべき周縁的枝葉を区別し、国民の生活・安全・利益に直結する報道番組や教育番組など本質的根幹のみを国民の一律負担とすることで、現在よりも受信料の徴収率を上げることが出来るのではないだろうか。

日本の伝統と心情に根ざした“桜花の美”と“菊花の美”


気がつけば暦は四月へと時季を移し、つい一週間ほど前まで寒さを感じていた外気が緩やかに和らいできました。
眠っていた生命が萌ゆる春の柔らかく暖かな息吹を感じ、先日出ていた桜の開花宣言を受けて“日本人の美意識の象徴”としての桜に思いを馳せました。
桜は、菊と並んで日本の国花ですが、菊花から浸透してくるイメージと桜花から想起されるイメージはやはり質的に異なるものです。

私の主観的感覚ですが、菊花には、日本国の天皇を頂点とする太政官制の権威をまとった粛然とした美を感じ、桜花には、日本人の無常観やもののあはれの感興に根ざした刹那的な清浄な美を感じます。
菊は確かに美しく、凛然とした気品を感じる花なのですが、歴史を知る日本人にとって菊は桜とは異なるある種の政治性や権威性をまとった花であり、死者の霊魂を慰める仏式の供養とも密接に関係した花です。

現在では、菊花は皇室独占の花ではありませんが、江戸幕府徳川慶喜から朝廷・明治天皇へと大政奉還が為された翌年1868年には、太政官布告により菊花は日本国の最高権威である天皇家を象徴する花として定められ、天皇家専用の紋章として、他の家柄や民間組織が菊花を紋章として使用する事を禁止しました。
薩長連合を主軸とする尊皇派の新政府軍に恭順する事を潔しとしない会津藩庄内藩仙台藩米沢藩長岡藩・新撰組など旧幕府軍は、徳川幕府江戸城無血開城してから後も、新政府軍と局地戦を繰り広げました。

明治維新前後の時代に、新政府軍と旧幕府軍が戦火を交えた戊辰戦争において、王政復古を理想とする新政府軍が軍旗として掲げたのは、天皇を象徴する“菊の御紋”でした。
菊の御紋は、君子である天皇の政治権力の正当性の象徴であり、菊の御紋を掲げる軍隊と干戈を交えるという事は自ら賊軍である事を示す行為として解釈され、朝敵や謀反者という烙印を押されることへとつながります。
江戸時代の学問の主流であった儒教的道徳観では、忠義に基づく君臣の序列は絶対的なものですから、形式的にではあれ、臣下として一時的に国家統治の任命を受けている征夷大将軍が、主家である天皇家に弓矢を向ける事は反逆であり謀反に当たります。

儒教では、基本的に、君子が徳を失って暴虐を尽くさない限りは、政治的支配を指示する天命は変わらないと説きます。原則として、下克上による実効支配というものを認めない有徳者の系譜や歴史的正当性に重きを置く政治思想です。
その為、現在は威勢を失っていても、かつて政治権力を握っていた一族や血縁が残っている場合には、その一族血縁を担いでその正当性を主張する勢力が現れる可能性は絶えずあります。
三国志で、愚直で温厚な蜀の劉備が人気を集めやすい理由の一つが、漢王朝の再興という大義名分に新興勢力である他の国よりも儒教的正当性を感じやすいという事があるでしょう。

自由主義世界に生きる私達は、旧態依然の社会情勢や既得権益の維持を一般に嫌う傾向がありますが、何故か歴史物語や貴族文化の世界に分け入ると、権力者の血の系譜に特別な価値や共感を感じたりする事があります。
伝統保守といった肯定的な感情であれ、差別思想といった否定的な感情であれ、血の系譜と政治権力との関係性に対して、人間は何らかの感情が湧き起こりやすい。
そういった血縁や一族を巡る感情の機微と喚起、政治権力の歴史的系譜への思いが、儒教思想の根幹である秩序志向や祖先崇拝の念と絡んでいるとは言えるでしょう。
私は、儒教の政治思想としての側面よりも倫理規範や徳性の概略の提示といった側面に面白さや魅力を感じますが、儒教は本来、個人の道徳修養を基にした天下・人民を治める政治思想としての趣きを強く持つ学問であることもまた確かなことです。

今でも、菊花は、国家権力を根拠に持つ警視庁の徽章として採用され、国政の大任を預かる国会議員の議員バッジのデザインとして使用されています。
更に、菊花は、宗教的権威に支えられた大寺社や有力な神社の紋章として採用されている例も多く、仏前に供えるのに最適な花とされていることからも、菊花はその取り扱いや社会的認知が、明らかに桜花とは異なっています。

桜が私的な美の光彩を放つ庶民の花であるとするならば、菊は公的な美の光彩を放つ貴族の花であると言う印象がありますが、どちらも見る人の心を揺らがせる日本の風土と歴史に根ざした風雅な気品と趣きのある美しい花です。

江戸時代の大儒であり国学者である本居宣長は、桜の花から感じられるもののあはれの情趣を楽しみ、桜の花を偏愛しました。
本居宣長は、桜の花の美を幾つも歌にし、随筆『玉勝間』の中でも桜を讃美する文章を書いています。


花は桜、桜は山桜の、葉あかくてりて、ほそきが、疎らに混じりて、花しげく咲きたるは 又たぐふべきものもなく、憂き世のものとも思はれず

『玉勝間』より


しき嶋の やまとごころを 人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花

めづらしき こまもろこしの 花よりも あかぬ色香は 桜なりけり

わするなよ わがおいらくの 春までも 若木の桜 植えし契を

我心 やすむまもなく つかはれて 春は桜の 奴なりけり

此花に なぞや心の まどふらむ われは桜の おやならなくに

桜花 ふかきいろとも 見えなくに 血潮に染める わが心かな

短き時に華やかに咲き誇り、さめざめと散りゆく桜の刹那の美、人間の生の無常な儚さとそれ故の価値を桜花に見出した古来からの日本の美意識は現代の私にも通底するものです。
しみじみとした情趣や感興を深く味わうこと、そういった風雅風流な花見を無心に楽しみたいと思った四月初めの一時でした。

『生命の救助と病気の治療』から『生命の選別と生死の判断』へと向かう医療:安楽と快適への流れ


自由主義社会の生命に関する倫理問題の多くは、出生前診断(マス・スクリーニング)や遺伝子治療、人工妊娠中絶、クローン人間産生、ES細胞の医療資源化など医療領域やバイオテクノロジーの領域で発生してくる。
生死に関わる問題や重篤な疾患の治療の機会を、経済力がある者がより良い医療サービスを受ける事ができるという市場経済原理に委任してはならないと考える人は未だに多いし、医業は神聖なものであり、患者の生命を預かる医師は特別に高い倫理観や良心を有する聖職者であるべきだと認識している人も少なからずいるかもしれない。

一方で、医療はサービス業の一つに過ぎず、医師と患者の非対称で不平等な関係を出来るだけ改善する為に、医学知識や病状説明、治療方針などの情報開示を積極的に丁寧に行っていくべきだという意見がある。
現在、マスメディアや医療関連の教養書などで強調されるこのスタンスでは、インフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)”“セカンド・オピニオン(担当医以外の医師の診断や意見を聴くこと)”を徹底することで、医療行為はますます患者にとって身近でメリットの大きなものとなっていくだろうと示唆されている。

ここで前面にせり出してきている対立点は、『医師の権威主義の容認と否定』の対立である。
一昔前まで、医師の社会的地位は現在より格段に高く、医師は同じ先生という呼称で呼ばれる他の職業とも一線を画する特別な職業であり、現在でも高齢者には、医師に対して無条件の尊敬と信頼を寄せ、自らの主体的判断を放棄したがる人が多く見られる。
こういった主体的判断の放棄の心理機制は、一神教の超越的存在者である神に帰依する心理が日常化したものと考える事もできるのではないだろうか。
この一神教的観念の典型である依存心(他力本願)から派生したものが、権威主義であり、全体主義ファシズム)であり、境界性人格障害(ボーダーライン)であり、実存的不安や孤独であると考える時、『自分の意志で、自分の判断で、自分の生きる人生を選択する恐怖や不安を回避したいと願う』私達人間の心の弱さや脆さが本性的なものであることが分かる。

反抗期にある若者やアイデンティティ拡散の混乱状態にある人はよく『自分は社会に引かれたレールに従って生きるのはごめんだ。自分の人生をどう生きるかは自分で決める』と強力な自我意識の発露や主体的意志の顕示をすることがあるが、本当はどれだけ上手く社会に適応して人並み以上の成功を獲得していようと、どれだけ個性的で魅力的な生を享受していようと、誰もが現在ある社会規範や経済構造の元に引かれたレールの上を無意識的に走っている事に違いはないのだ。
様々な職業や活動はあるだろうが、他者(企業)から金銭や給与を得るという事は、他者に必要とされる社会的役割を享受する事に他ならないからである。
そこでは、自己実現の追求や、本当の自分探しといった精神的な価値や独自性への欲求はひとまず脇に置かざるを得ない。
精神世界の深奥にある理想的な自己表象を、現実世界での社会生活で実感し、それを実際の行動や関係の中へ取り入れる事が必要なのかどうかも再考する余地があるだろうし、“本当の自分”という魅惑的なシニフィアンに過度に耽溺する事は逆に不自由さの度合いを強めてしまうかもしれない。

そういった事に自覚的であるかないかの差異はあれ、人間は本質的に社会的な動物であり、社会や慣習や法規範の外部へと、超越的な場所へと抜け出て生を決定することは出来ないという事実が、他力本願的な宗教への回路をいつも開いている。

現実的世界にある『私』を超越した何かに縋りつきたい、頼りにしたい、保護されたいという宗教的観念が自分にはないというプラグマティストや市場原理主義者がいるかもしれないが、拝金主義や実利主義であっても、現実的な『私』を補強してくれる救済してくれる金銭・名誉・地位・人間関係といったものに依存せざるを得ないのではないか……自然世界にあるヒトから文明世界にある人間へと進化の発達段階を駆け上がった時に、権威や超越への憧憬や依存が必然的に私達の内面へと胚胎したと考える事も出来るだろう。

権威主義の根本は、非対称的な上下関係を何らかの社会的基準によって自分自身の側から進んで承認することにあり、権威主義を肯定する事によって心理的・実利的・社会的メリットを相互に享受することが出来るからこそ、社会にはその弊害が指摘されながらも権威主義は確固として存在するのである。
社会秩序や伝統文化を重視する保守主義者であれば、一定の社会的権威を必ず認める事になるし、社会成員の大多数の人は、社会機構内部の秩序を尊重していてもいなくても慣習的な権威構造に対して基本的に従順である。

そもそも、各種学問分野や技術領域が細分化し複雑化する近代社会では、専門家・資格保持者は非専門家・無資格者に対してある種の権威としての立ち位置を得る事になる。
知性化する近代社会の構造とは、純粋な知識保有量の多寡を競い合う構造ではなく、規定された枠組みの中での試験や資格審査をパスするか否かといった国・公共機関・法人の権威の承認の元で競い合う構造であり、既存の学校制度の中で学者という専門家のステイタスが保障される構造ともなっている。
そして、自己実現や個性の発揮を強調する専門学校や民間資格発行機関があるように、公と民が相互に権威を承認強化するシステムを形成している。

医療倫理の医師・患者の非対称関係の問題に立ち戻ると、“生命健康に関する重要な選択責任を回避する事による安心感”が最大の根拠として挙げられる。
実際、医師に対して無条件の信頼を向ける患者のほうが、精神的ストレスは軽減され、重大な手術前の不安や恐怖は緩和される傾向があり、プラセボ効果と同種の回復を確信する被暗示効果は高まります。

一般に、病理学や薬理機序の知的理解の深化は、自分の病状や治療に対する懐疑・疑念につながりやすいのですが、それらの知的理解にあまり積極的ではない人にとっては、専門家である医師や薬剤師の治療や指示は絶対的に確実で正しいものとして受け取られる為、言われた通りに服薬して手術を受ければ大丈夫という安心感や信頼感につながります。
医学は、そもそも薬剤の効果効能や病態の進行経過に関しての個体差が大きく、普遍的な一般理論を提示できるような純粋な自然科学領域の学問ではありませんから、あるレベル以上の問題になると確率論でしか語れなくなります。
悪性の進行癌が発見されても、何年生存率が何%であるという確率論で語られ、薬剤の服用を指示する場合にも一定期間服用後に副作用がどの程度出ているかなどの経過を個別に観察しなければならないことからも、医学は一般法則の適用という自然科学のような機械的なものではなく、経験的要素が多く介入し、同じ診断名が下された患者であっても治療法や処方薬が異なる事は普通です。
重篤あるいは慢性的な身体疾患、恒常的な精神障害に典型的ですが、通常の身体疾患であっても、『この手術や服薬さえ行えば、絶対に良くなる』という断定や保証は、通常、自然科学ではない医療行為では行うことが出来ない。

医学が自然科学でないという事は、論理的に単一の真偽を判断する事が難しい分野であるという事でもあり、医療行為における微妙な確率論的判断(複数の対処方法が考えられるケース)には、一定の権威性の存在が要請されていたと考える事もできる。
最近では、医学界の権威が引き起こした薬害エイズ事件フィブリノゲンによる薬害事件による肝炎感染、相次ぐ医師の医療過誤やわいせつ事件の報道などの影響もあって、医療業界全体の信頼は磐石なものではなくなってきているが、ヒトゲノムの解析と遺伝子工学の進歩に合わせて、生命・健康を保護し操作する職業として医師が独占的に業務を行える領域はますます広がっていく可能性がある。

止まる事を知らず日進月歩で進歩する医療技術や医学知識が突きつけてくる生命倫理問題は、今まで単純に『死を回避させ、病気を治療する仕事』であった医療が『生死を選択し、生命を選別する特殊な領域』へと踏み込もうとしている為に起こっている問題である。
現代医学の目標は、疾患や障害によって生じる苦痛・不快を駆逐するだけではなく、事前にマス・スクリーニングの遺伝子検査によって予測可能な疾患や障害を予防して排除するという地点に置かれようとしている。

おそらく限界を知らない人間の欲望が最終的に行き着く医学に対する究極的な要請は、『永遠の健康と若さを維持した生命』の創出なのかもしれない。
それが遠い未来に実現可能なのか否かは私などには知る由もないが、『生の有限性』という運命的な制約から人間が解放された時、そこには現在とは全く異なる倫理規範の体系が構築されることになるだろうし、生命の尊厳といった概念そのものが根底から揺らいでしまう事になるのではないかと思う。

神の死せる現代社会において、人間の安楽と快適の為に生命そのものを操作選別してはならないという無条件の禁忌や戒律は説得力を持ちにくい。
具体的根拠や切迫した危険性を明示せずに、『それは、自然の摂理に逆らうからしてはいけないことなのだ』という素朴な論拠に基づく先端生殖医療の批判は、『医療行為自体が自然の摂理に逆らう人為的行為である』という意見によって反駁できると考える人も多いだろう。

どこまで生命の誕生や死に人為的な介入をすることが出来るのかという生命にまつわる倫理判断を人間自身の理性と良心によって考えていかなければならないとするのが『バイオエシックス生命倫理学)』であり、生命科学の成果を無条件に医療利用することに一定の歯止めをかけるという意味合いもそこには込められている。