コワーキング・スペースについて

こないだ友人からはじめてこの言葉を聞いて、「なんじゃそれ?」となった。
色々調べてみると、今の自分にとってはかなり有意義そうな施設のよう。


本来は仕事をやっている人が、月何万とかで事務所を間借りして、一緒になった人を刺激し合う。そんなイメージだ。


しかしそれだけだと日本では少し馴染みがないので、全国にぽつぽつできているコワーキング・スペースはもう少し間口が広くなっている。


月3000〜5000(結構幅がある)円くらいで利用できて、大体はドリンク飲み放題。そこで各々が勉強したり、フリーランスの人は仕事したり。
趣味のことをやるのもokとなっているところが多い。
「月額制の喫茶店」という感じだが、喫茶店と違うのは、未知の人と会話できる可能性が非常に高いことだ。


さらにそこに集まるような人というのは、独立を目指していたり、あるいは趣味に情熱をもやしていたり、とにかく何かしら「燃えている」人が多いだろう。この情熱というのは、ベクトルが違っても刺激し合うものだと思うのでかなり面白い場所なのではないかと期待している。


仕事が一段落したタイミングで、一度最寄りのスペースに顔を出してみて、感触が良ければ会員登録をしようと思う。

こんなことあったんだ

このブログを遡っていって、そんな風に思った。


誰かとやり取りをしている自分。多量のエネルギーと時間を使って、何かを交換していた。
今となってはブログなんて、非効率なものだと思うけどあの頃はそれが好きだったんだろう。


どちらが正しいのか?なんてわからないし、より効率を求めるせせこましい生活を送っていることもわかっている。けれど、あと一息の所がまだ整わない感じ。惜しい所まではきている。


ここによく書いていた頃というのは、大学生だったり、休学してニート同然だったり、書店で働くアルバイトだったりした。
今は少ないながらボーナスをもらい、忙しい時は土曜日も出勤して働けるようになった。


過去の自分をここでみていると、社会的な能力は今の方が圧倒的にあるんだけど、何か今の自分が見落としていることが見えている。そんな風な文章を打っている自分が確かにいたようだと、考えさせられる。


当時は全然そんな風に思えなかったけど、何人かコメントで好意的なことを書いてくれたりして、今みるとすごいことだなと思う。なかなか難しいのだそれは。


何年か前にこのブログで知り合ったゆうた君とは秋葉原で会ったことがある。鶏肉料理を食べたり、メロンブックスを案内してもらったり。e-イヤフォンもいったかな、あとは秋葉原とんかつ屋さんをごちそうしてもらった。


いつの間にかツイッターでもみなくなって、彼は元気にしているのだろうか。



人生はほんと色んなことがある。


10歳年下の彼女ができることもあるし、仕事の都合で大阪に行くこともある。
残業が月100時間近くなることもあるし、顔面の形がかわるほどのパワハラを受けることもある(今の会社ではそんなことはありません)。


でもちょっとしたことじゃ動じなくなったな。だってもっと大変だった。
20代、もっときちんとした経験を積みたかった。それは少し後悔している。


でもまだここからでしょ、と思う。