無題

バトンが回る

〇〇バトンがはやっている、今回のはひどくて、1人が7人に回すルール。すごいな。でも、これ回ってこないとそれはそれで疎外感かんぱないんですよね。最初に考えた奴は悪魔だ。他人の回ってきたときの対応をついつい見てしまう自分の性格の悪さも自覚してしまうし。 仕事へのモチベーションがある部分では死ぬほどなくなってるので、自分の担当じゃない仕事に手をつっこうもうとしてしまう。なんなんだろうな。来週の自分、どうなってるんだろうな。

無題

送別会

友達が故郷が帰ることになった。めちゃめちゃ親しいわけじゃないけど、いつもだったら、きっと大勢で集まって送別会があったんだろうなと思う。彼女達の歌をインスタで聴いた。JPOPのカバーソング、いつもだったら「うまいなー、いいな」と感じるくらいだったろうけど、今はやたら胸に刺さって泣きそうになってしまった。画面越しでも姿を見て、声が聴けてよかった。またねのつもりでスタンプを連打してみた。

無題

今は非常時だ

ひどい状況に向かっているのは間違いと思っているのだけど、温度感の違いにいちいち落ち込んでしまう。「こんなときだからまちが元気になることを考えよう」いやいや、この仕事は1人でも多く生き残るために何をするかのフェイズじゃないの?ズレてる。配信でいろんな人の声や、ライブを観て気を紛らわしているようで、やっぱりライブに行きたいと思ってしまう。いつまで耐えれるのだろうか。

無題

積ん読が解消しないこと

こんなときは積ん読をもりもり読むぞーという気持ちではあるのだけど、実は全然読めていない。以外と仕事をちゃんとして、オンラインでボランティアに参加したり、SNSみてあーだこーどこを支援しようか考えていると、あっという間に1日が終わっている。SNS良くないよなと思いつつ、得たかった情報を見逃しすのが怖くて張り付いてしまう。良くない。けれども。

無題

数年ぶりにはてなダイアリーに帰ってきたこと

ツイッターはてなに連携させるサービスを昔使っていた(いつのまにか無くなったんですね)名残で、ある時期は日付とタイトルだけが残っており、ある時期はHTMLタグが見えている。ネットの虚無が現れていてグッとくる。ネットトマソンだ(今思いついた)。

心細い

たぶん、このコロナ禍で、自分の好きな場所や好きなものの全てが無事ではないだろうと思ってしまう(これはきっと現実)。クランドファンディングや、投げ銭やいつも以上の買い物なんかを出来るだけしてみてはいるものの、個人で全てに対して支援できるわけではない。誰かが書いていたけど、どこかを支援すること=「選別」をしていることにジリジリと疲弊していってしまう。お店や活動を続けることで、その人が消耗してしまうならば、早めに手放して、せめてあなた自身は無事でいてと祈る。しかできない。

無題

平民金子先生が、日記を書くことをすすめていたけど、こんな形でじわじわ増えるとはね。そんな私も、最近のコロナ関連のあれやこれや夜にもやもや考え込んで、寝つきが悪かったことろに、あの元SAKEROCKの人気者の動画に首相を名乗る男がフリーライドした動画で完全に頭を抱え込み、もやもやを抱えきれなくなってしまったので、自分の墓を暴いて日記を書いてみます。(多分数日で飽きる)正直、あれは右側の悪い冗談(コントなら高得点)感が強すぎて、左の人気者はなくても十分あれな感じなんだけど、複合されることで革命的な仕上がりですよね。たぶん、世間の98%くらいの人は数日すれば忘れる炎上案件の一つなんだけど、自分は根に持って覚えておこうと思います。