景福宮は誰が燃やしたか

 ソウル観光に行った人はほぼ皆さん立ち寄る朝鮮の古宮景福宮。敷地内にはかつて朝鮮総督府があったくらい広い。暑い夏や土砂降りの雨の日に行った日には大変だ。
 現在のものは朝鮮王朝末期に興宣大院君(高宗の父親)が建てさせたもので、その前の建物は文禄の役(1592年)に当時の国王宣祖が逃げ出した後に民衆が放火して焼失した。このことは朝鮮王朝実録にも記されている。
 案内のガイドさんに豊臣秀吉の軍が燃やしたと言われることが時々あるが、事実ではないので気にしないようにしてたが、何気なく韓国のウィキペディアを見ると「1592年、宣祖が避難する時に難民が発生し、奴婢文書と略奪の跡をなくすために景福宮・昌徳宮・昌慶宮の宮廷を難民が燃やしたと伝えられる。現在、これが誤りである可能性もあるという議論が出てきている。(以下略)」として、この後にその根拠を説明している。どうしても日本のせいにしたいらしい。参考文献の一つが「従軍僧チェダクの『朝鮮日記』」というものらしい。ちょっと調べてみよう。

午前零時過ぎのソウルの地下鉄

お客さんはまばらだが、治安に不安が全くない。ちょっと小間物を片付けた跡があったりはしますが。
ちょっとファーストフードで軽い夕食を取るつもりが、梨泰院まで行って冷やし中華になってしまった。