ふたたびの「チーム研究生」ではじまるAKB48の2009年

「チーム研究生」が復活するらしい。複雑な思いがよぎった。
ファンとの関係も、研究生同士の関係も「仲良し会」になっている、なまぬるい研究生公演をかつて見た。目利きを自称する大人たちに先物取引ばりの青田買いをされ、勘違いの罠に溺れたことに気付かず、志が低いままファンあしらいばかり上手くなり、見守る層の幼さに甘えて成長が止まる。チームBと同じ轍を踏む危惧。行き着く先は容易に想像できるものだった。そのことを思い出したのだ。しかし、今回の「チーム研究生」は少し様子が違うようだ。研究生の公開オーディションが行なわれるたびに、新陳代謝が行なわれる可能性が高いという。「仲良し会」に一石を投じる「競争原理」が持ち込まれたのだ。
思えば、高城亜樹の電撃昇格は、各期生からひとり以上の昇格を出すという「ノルマ」に則ったものだとしても、いかんせん唐突すぎた。ただしこの措置は、キャリアを積んだベテラン研究生の尻と、大量に採られた7期新規研究生の心に火を点けるためのショック療法だったと考えれば、このタイミングも納得がいく。これで各期生から昇格は出た。昇格できなかった研究生は、何かが足りなかったのだと、はっきりアナウンスしたのである。
振り返れば、研究生の急場しのぎ的な重用は、あっという間に既成事実となり、現在までに、既存チームのあらゆるバランスに大きな歪みを与えてきた。その反省からか、K4thや、最新セットリストのA5thでは、休演者の代役に研究生を充てることを止め、各チームの正式メンバーが代役を務めることに変更された。これまでのことは以前も書いたことだが、さらに最近は進んで、チームの垣根を越え、器用なメンバーに代役を任せている状況になっている。
つまり、これからの研究生は、チーム研究生の公演をメインに活動し、他のチームへの出演は、「本当の緊急時」の全体曲の代役のみという可能性が高いということになる。だから、今回のオーディションで、正式メンバーになる器でないが、代役として需要があったものの、人気の伴わない研究生は淘汰の危機に晒されるだろう。だが、オーディションで結果を出して「チーム研究生」のメンバーになれば、休演者の代役という気まぐれな機会を待つまでもなく、晴れて恒常的なアピールの機会を約束される。これは、一部の研究生が抱いていたであろう、メディア出演で休演の多い人気主要メンバーの代役を勝ち取らない限り、昇格が果てしなく遠いという無力感からの解放を意味するのではないだろうか。そして、この「チーム研究生」は、降格・昇格を懸けたドラマがある限り、どのチームよりも大きな注目を常に集めるのは間違いない。あらゆる意味で大きなチャンスに恵まれることになるのだ。
もし、力が及ばなくても、菊地彩香の件が象徴するように、再挑戦が許されるAKB48のこと、それから先は、AKB48にこだわるか、次の道を目指すかは研究生自身の手に委ねられている。だから、あえて悔いを残しても構わない、その悔いが次の覚悟に繋がる場合もあるからだ。ただし、時間は決して立ち止まらない。そのことを肝に銘じて、すべての研究生が万全を持って臨むことを希望したい。

「研究生は正式メンバーの中で磨かれるのがベストだ」という持論は、代役出演に恵まれずにくすぶる研究生のためにやはり「チーム研究生」と、そのオーディションは必要なのだ、という認識に変わった。研究生のままキャリアを重ねる研究生が増えすぎたからだ。そして生まれた「新・チーム研究生」の正式チーム化は、現在チーム制を採るAKB48というシステムの屋台骨に、しばらくの安定をもたらすだろう。だが、何が起きるか分からないのがAKB48だ。チーム研究生公演は、SKE48が行なっているA1stか、やがてはじまるSKE2ndと同じセットリストになる可能性がある。となると、次の大きな展開も自ずと見えてこよう。B3rdの反動で、おそらく短期に終わるだろうB4thが終われば、ゆり・ばら組が控えているかもしれない。雨だった野音のリベンジもありそうだ。許容量超過となった劇場の抜本的刷新という話題も出ている頃かもしれない。ともあれ、2009年のAKB48も、目が離せない展開が続くことは間違いない。今年も存分に、彼女たちと共にAKB48の物語を楽しんでいきたい。

昨日今日と、年末年始もフル稼働していた劇場は遅い正月休みに入った。その実、ステージを使った熱い戦いが繰り広げられているだろうが、「休館日」とされた劇場は、まるで嵐の前の静けさのように沈黙している。
AKB48の2009年を占う「チーム研究生」オーディションは、今日だ。

前田敦子の埋没と、チームAの「今」

チームAの「今」を色濃く映す存在として、個人的に、前田敦子を注目して久しい。先日の夜公演では、前田を中心に見た。当日の3公演目で疲れているということや、今年下四半期の立て込んだスケジュールが災いしていることは確かだろうが、ユニット曲では駆け出しの藤本沙羅にすべての点で見劣り、伸び盛りの藤江れいなをはじめとする研究生世代への交代が、一気に加速しそうな予感がよぎるパフォーマンスだった。メディア露出の多い前田を、AKB48全体のイメージと重ねて観る人はきっと多いだろう。輝きがまったく感じられない公演の前田を見て、「AKB48はこの程度か」と、一期一会の誰かが評価するとしたら、とても残念なことだ。
もともと、未来のスケジュール帳が埋まっていると安心するタイプと、息苦しくなるタイプに分けられるなら、前田は間違いなく後者だろう。AXライブが終わるまで息つく暇がない現在の状況に、単に溺れかけているのかもしれない。調子が悪いとき、あるいは、思い切れず迷っているときに垣間見える「憂いの前田」も捨てがたいが、『109』から『ひこうき雲』の流れで束の間にはしゃぐ姿を見ると、ノっているときの口角を上げた得意げな顔がまったく見られないのは、素直に寂しく思える。
ただしこれも、A4thリバイバル公演において、古株に囲まれていたときの藤江佐藤亜美菜の埋没ぶりと重なるようにも思える。単に研究生に囲まれて、気持ちが一歩引いているだけかもしれない。そのように、MCでは、相変わらず、受身の「思いつかない病」で大島麻衣に甘えていた。それも前田らしいといえば前田らしいのかもしれないが、物足りなさを覚えるのも確かだ。

その大島と板野友美は、生え抜きらしい説得力のある仕事ぶりで安心した。ノースリーブスの3人とモデルの2人が欠ける中で、大島の華やかさと、随所に見せるエンターテイメント性とプロ根性は圧倒的だ。ただひとつ哀れに感じるのは、MCで見せ場を作ろうとしているのは、その大島独りということ。孤独な時間をこなした後、MC後の暗転で、ひとりの客から叱咤の言葉を受けた大島は、その後の数曲を、ユニット時の明るさとは対照的な硬い表情で踊っていた。先日ラジオ番組をはじめた宮崎美穂北原里英の成長、そして絡みを期待されている藤江の頑張りが待たれる。佐藤由加理は、あいかわらず佐藤由加理以上でも以下でもないが、MCでは重要な役回りをしっかりと演じている。場面に頓着しない板野の天然ぶりが、A5thのセットリストに、軽やかな魔法をかけていることも見逃せない。

それにしても、北原と研究生の高城亜樹を、巻き髪やかぶり物の有無だけでは足りないほど似せているのは、なぜだろうか。A6thの頃には北原の茶髪が解禁されて分かりやすくなるだろうが、眉の手入れを変えるだけで、現状でもちゃんと差別化が図れそうなものである。動きを見比べていて感じたが、もしも高城が、手近な成功例として近似の北原をトレースしているなら、いまのうちに考え直したほうがいいのかもしれない。欠けている部分補うなら、北原からではなく、むしろ中田ちさとから学ぶべきことが多いように思える。満面の笑顔が魅力的な北原だが、楽曲の序破急にあわせた表情の引き出しが少なすぎるのが難点だからだ。高いレベルにある北原にあえて注文するとすれば、体裁の取り繕えない部分を恥と思わずに、加減のバランスを崩して、もっと表に出していくべき。そのことだけだろう。
佐藤亜美菜は、積年の憑き物をA4R千秋楽で落としたかのような良い表情をしていた。研究生が多くいる中にあって、遠慮することがないのだろう。残った問題は弾けるときの思い切りのなさだけだ。ネタにするような太腿は、もう好事家に任せるしかない。
瓜屋茜は京劇の武旦を思わせる凛々しい動きが気持ちいい。横顔の造形が単純に好みで、横を向く振りのときはつい目で追ってしまう。近野莉菜小原春香に追いつきそうなくらいの好パフォーマンスを見せていた。お姫様を棄てきれない小原春香を、やがて追い抜くかもしれない。
大家志津香冨田麻友は、フリの大きさで目を引く。バックダンサーのツインホイールとして印象に残った。

「研究生公演」は「チームA公演」に名前が変えられただけで、現在も続けられている。まさに、高橋みなみが出演した研究生公演のような「研究生+豪華ゲスト公演」だと思えば、実質はまったく変わっていないとも言える。
だが、チームAメンバーは新しいA5セットリストで気分を変えられただろうし、昇格組の処遇は落ち着くところに落ち着いた。研究生は新しい勉強を「チームA」メンバーを観に来る場で学ぶことができるようになった。それで全て問題ないのではなかろうか。
メディア出演組が帰ってきて場数をこなし、胸を張れる「チームA+ゲスト研究生公演」になったとき、公演がどう変わっていくのかの興味も尽きない。個人的には、現在調子を落としている前田敦子の、そのときの「今」が、チームAの「今」とどう呼応しているかを観る楽しみもある。
人間は誰もが、もがきながら生きている。我々だってそうだし、前田をはじめとするメンバーだってそうだろう。だから、嘘偽りのない「今」を楽しみたい。その先の「未来」は、「今」を受け入れるところからはじまるのだから。

『大声ダイヤモンド』が輝くとき

2年連続紅白出場を目論んだ、AKB48運営による仕手戦が終わった。話題と物語に溢れた2008年のAKB48も、ようやく区切りがついたというところだろうか。

紅白出場へは、万人に馴染みのあるオリコンチャートの「順位と売上げ枚数」、それに各メディアに取り上げられる「話題性」の2つがセットになって、はじめて道が開けると言われている。
新しい形で挑戦した夏の配信シングルで、明るい道筋がつけられなかったせいだろうか、結果的にAKB48は、触れあうイベントを多用し、演歌のように泥臭く手売りをするという、メジャーレコードに籍を置きながらも、インディーズ時代に戻るかのようなプロモーションを繰り返すこととなった。これは、演歌やアニメに定評のあるキングレコードへの移籍がもたらした結果なのか、AKB48の目論見が先にあっての移籍なのかは知るすべもないが、届けたい層に確実に届けられるノウハウを持つレコード会社だけに、両者の思惑が共鳴したことは間違いない。しかし、ここで注目したいのは、CD売上げ初動に大きな影響力のあるアニメファンと密接な同社において、アニメとのタイアップを逃したことだろう。結果的に、AKB48メンバーが主演するテレビ東京系ドラマとのタイアップを得ることができたものの、その発表が不自然に遅かったことから、ドラマではなく、アニメとのタイアップをギリギリまで模索していたのではないかという憶測を立てている。確実に見込める積み増しを逃すという、悔恨の結果をもたらしたこのミステイクが、念願のオリコン初登場1位の可能性と、紅白へのさらなるアピールという、最大の機会を奪ってしまったように思えるのは気のせいだろうか。

だから、その前後の、移籍第一弾にふさわしい全国規模での販促活動と、度重なる握手会でのなり振り構わぬ販売、そして混乱が容易に予想された、新宿駅前のランドマークを使った大握手会という、危ない橋を上手く渡りきっても、残念ながら出場に繋げることはできなかった。「わざわざ」NHKホールをライブ会場に使って禊を果たし、翌月にJCBホールの大きな予定を立て続けに入れるという、上昇感と話題性を印象づけるための、数ヶ月の強行軍を行なっても、である。運営は今年の集大成を紅白で、という願いを叶えられず、戦いに破れたのだ。

しかし、今回の戦いも、ただ徒労に終わったわけではないだろう。秋葉原に通えない、全国各地の遠方ファンの「会いに行ける」希望を、久しぶりに叶えたはずだ。深夜帯とはいえ、NHK総合の歌番組へ久しぶりに送り込めたのも、ライトな音楽ファンへのアピールを兼ねつつ、先頃はじまった「オンデマンド」の開始とともに、地方ファンへ報う良い機会になっただろう。

大声ダイヤモンド』は、結果的に、大晦日で大きく輝くことはできなかった。だが、全国各地のローカルテレビやラジオ、イベント会場を通じて、さまざまな瞬間に、ファンとの新しい出会いを、あるいは待望の出会いという形で、ファンとメンバーそれぞれの思い出に残る、小さくとも幸せな輝きを放っていたはずだ。それは、「2年連続紅白出場」という、大きすぎる目標に向かったからこそ、輝いた結果といえるのかもしれない。
忘れてはならないのは、このような地道な積み重ねが、ファン層の拡大を呼び込むエネルギーになることだ。もっとも、70人とも100人とも言われるせっかくのメンバー数を活かすのは、こうして全国へ散る機会をもってほかにはない。圧倒的な数の強みを活かした積極的な活動を、さらに広げるべきだろう。

2009年の明けたその月に、今年と同じくAXライブの予定が組まれた。我々ファンを翻弄して飽きさせない「攻め」の姿勢が、大きすぎる「ドームライブ」を目標に据えることによって、さらなる輝きと広がりを増すように続くことを、来年も期待したい。

あの日のAチーム、明日のチームA

チームAの大江朝美駒谷仁美戸島花中西里菜成田梨紗ら5人の卒業が発表された。AKB48黎明期からの古参メンバーだ。
学校と同じく、三年間の在籍をめどに、もしくはハタチを目安に結果を出せなかった者が卒業、というのが、AKB48におけるひとつの見えないルールとして存在しているのかもしれない。決断までには各々の理由があるだろうが、選抜に縁のなかった者たちは、それぞれの目標を叶えるために、そろそろ次の進路を選ぶタイミングを計っていたのだろう。年長組の川崎希佐藤由加理は、同じように伸び悩んでいたように思えたが、グラビアで結果を出して踏みとどまったように見える。AKB48の看板を背負って、AKB48以外の場所で活動する、つまりAKB48とそのメンバー双方にとって有益な関係である限り、卒業はないと見てよさそうだ。

今回の卒業は、気心の知れた5人の仲良し組が、手を取り合って幸せな幕を引いたと言えるのかもしれない。思えば井上奈瑠の卒業は唐突すぎた。本人が選んだことなのだろうが、別れを惜しむファンを遠ざけるような卒業当日の発表。その裏には、ファンとの幸せな関係を築き上げられなかった無念さが、色濃く滲んでいるように思えてならない。謝恩会を開きたいという5人は、たとえAKB48の中で次のステップへ進めなくても、AKB48として、またアイドルとして、間違いなくファンに愛されていた存在だった。そういう意味で、幸せなキャリアを積めたと言っていいかもしれない。

集団としては、至極まっとうな細胞組織の代謝だが、AKB48劇場の距離感に慣れてしまうと、目の前から姿を消すという喪失感は、ファンにとってはかりしれない。しかし、魔女狩りのように、誰かのせいにして、この世の終わりのように騒ぎ立てるのは間違っている。世代交代を促す研究生の登場を、必要以上の喝采を持って迎えたのは、誰ならぬ我々ファンだからだ。「推しメン」などの言葉を使い、嬉々として特定の誰かを贔屓している以上は、その贔屓の結果が招いたこの結果を受け入れなければならない。ファンの総意が出した結論でもあるのだ。上記の5人にとって、AKB48という場所では、残念ながら自分の夢を推してくれる人と巡りあえなかった。このことが、すべてだろう。メンバーも、年功序列で厚遇するような世界に居ないことは、もとより理解しているはずだ。それでも一部の頑張っていた者へは、AKB48以外の場所で活動できるよう、事務所移籍という形で報いている。

いつか誰しも、居慣れた場所から次の場所へ旅立っていく。両親の元や、学校や、会社や、そしてAKB48から。誰の元にも平等に時は過ぎる。忘れてはならないのは、AKB48は、夢を叶える保証をしてくれる場ではないということだ。彼女らが自分の力で夢を叶えるための、ただのワンステップ、踏み台なのだ。
SKEの始動とともに、AKB48の歴史にひとつの区切りがついた。こうして、あの日の「Aチーム」ではなく、明日の「チームA」と変わっていくのだろう。しかし、彼女らが放っていた輝きは、我々ファンの記憶の中で、色褪せないはずだ。今は清濁と寂しさを飲み込んで、自らを省みながら、彼女らの決断の行方を見守りたい。

研究生公演のこれから

前回のエントリーのすぐあとに、A5thの初日が発表された。待望していた新セットリストを、まずは素直に歓迎したい。その後、A4thリバイバル公演の千秋楽も発表され、いよいよ現実味を帯びたカウントダウンがはじまった。

そこで気になるのが、そのチームAのメンバーが出演を兼ねる、研究生公演の行方である。真っ当に考えれば、A5thは、前田敦子を従来通り中心に据え、若手の北原里英宮崎美穂を両脇で育てるセットリストになるだろう。大島麻衣篠田麻里子らメディア選抜組は、華やかなオプションとして、数週間に一度、公演に花を添えるような形になるはずだ。

そのようなチームA公演が増えれば、メンバーが兼任している研究生A4th公演は相対的に減るだろう。そもそも、チーム研究生の出発点が、チームA公演メンバーの代役、アンダーとして準備されたものであるなら、チームA5thがはじまれば、A4thではなくA5thセットリストを熟達しなければならない。A4thセットリストは過去のものとされるはずだ。
だから、新し物好きと公言する人たちが、SKE48に興味が移るタイミングを見計らって、研究生公演は実質終了という可能性もある。客やメンバーが「慣れる」ことを嫌う秋元プロデューサーは、唐突に見えるこうした決断を、しばしば行なってきた。また、彼女たちの年齢は「可愛がられる」と「愛される」、虚と実、似て非なるものものを勘違いしやすい年頃ともいえる。自分自身に向けられた声援がどのようなものなのか、温室のような研究生公演ではない場所で、学んでいく時期に移ったという考え方もできよう。

今まで通り研究生公演が続けられるとしたら、藤江、北原、宮崎ら昇格組が、A5thをこなしながらA4thセットリストに出演できる場合や、彼女らの代役が見つかった場合だろう。ただし、前者は出られたとして月1回くらいだろうし、日に日に忘れる過去の公演を演じさせるのは酷なことだ。後者に至っては、率直に言って台頭が見えてきていない状況だ。もっとも、昇格組が決まったあとの、残された研究生の物語は始まったばかり。中西優香も含めた昇格組の存在を越えていくのに、多くの時間を必要とするはずだから、現段階で期待するのは筋違いというものだろう。だが、公演の穴を埋める絆創膏として、B3rdとB4thの過渡期まで、新しい研究生を迎えて強行して続けられるという見方もできる。しかしそれも、井上奈瑠の卒業などで立て直しが必要なチームBの状況を考えると、遠い未来の話ではない。いずれにせよ、それらすべての流れが研究生公演の終了を示唆しているようにも思える。

一連の研究生公演が、一時的な需要を埋めるための小さな隙間に咲いた徒花で終わるのか。それは、この過酷な時期を経て、何かを掴んだ研究生がどう成長に繋げていくか、あるいはその姿を将来見せるかにかかっている。

研究生公演の魅力のひとつは、自分の中の力をもっと引き出そうと懸命にもがく、手探りで自らの壁を越えようとするその姿だ。我々はその挑戦に心が打たれるのであり、また短期間で驚くほど変貌する、魔法のような姿を目の当たりにして、心が揺さぶられるのだ。
もしかしたら、これだけ多くのチャンスに恵まれるのは、研究生にとって、この「今」だけなのかもしれない。だから、自分自身という「今」を、懸命に舞台で表現してほしい。研究生には無限の未来がある。しかし、研究生でいられる時間はそう長くはないのだから。

何よりも新セットリストを待望する

もはや全員揃うことのないチームAは、チームと呼べなくなっている。AKB48の屋台骨がこのような状態では、AKB48そのもののあちこちに歪みや軋みが出るのも、さもありなん、という話だろう。そもそも、現状のチームA4thリバイバルが、研究生A4th公演と比べられる状況は、誰にとっても幸せな状況ではないはずだ。研究生の代役で何とか保たせているチームA公演と、追いつけ追い越せと、固定メンバーの強みを活かせる研究生公演では、明らかにチームAの分が悪い。事実、A4thリバイバルの反省からか、K4thは、代役をメンバー間で補う方法が採られた。研究生の代役乱発は、結果的にチームとしてのまとまりを欠き、チーム制の崩壊に繋がるという危惧からだろう。

ただし、現状でのチーム制解体は、誰も望んでいない結果をもたらす可能性がある。秋元プロデューサーが執心している「ゆり・ばら組制」の機は、チームK4th立ち上げのタイミングを見ても、おそらくまだ熟していないと考えているはずだ。しかし、どのチームにとっても、昇格組を含めた研究生の存在は、困ったことに、もはやチームのカンフル剤ではなくなっている。メンバーも我々も、良くも悪くも「慣れて」しまったのだ。昇格した研究生の中にも、正式メンバーになれたらゴールという、ある種の燃え尽き症候群を感じさせる者もいるし、研究生の身であったほうが「美味しかった」ことに気付いた弊害が出ている者もいる。これは予定外のことだろう。チームの正式メンバーと一介の研究生の境界が、一貫しない方針によってぼやけているせいだ。セットリストの途中で昇格した研究生が、そのセットリストでは中途半端な位置に追いやられるという構造的な問題も放置されている。さらには、チーム所属のメンバーが増えた研究生公演は、その看板を掲げるのに無理がでてきた、という指摘もできよう。研究生をやり繰りして何とかなるという段階は、すでに終わったのだ。

だから、何よりも新しいセットリストを待望したい。ホールコンサートより、イベントより、新しいセットリストを待望したい。チームBには浦野後の展望を描くB4th、そしてチームAには年長組の卒業後を見越したA5thを。AKB48の抱える全ての問題を洗い出し、次の刷新に繋げられるのは、新しいセットリストをおいてほかにはない。そもそもAKB48は、その繰り返しで成長を遂げてきたのではないだろうか。AKB48の核となる劇場公演は、セットリストを中心に回っている。AKB48という独楽を、セットリストを中心に据えて、もう一度回してほしいのだ。全てはそれで、また安定して回りはじめるはずだ。

終わりが見えないマラソンほど、しんどいものはない。チームAにとっては、先頭を切って走っていたはずなのに、リバイバル公演をやることによって、周回遅れを走っている気分になっているかもしれない。もちろん、運営側もその危惧は重々に理解しているだろう。ただ、複雑になった関係各所の調整に手間取っている、それだけのことなのだろう。それも、近づいてきた新曲のリリースが、何らかの区切りになるはずだ。
楽観すれば、そのころにはA5thがはじまっているかもしれない。しかし、新セットリストへの切り替えは、早ければ早いほど効果的だったはずだ。公演が息切れする前に、ゴールに導いてやるべきだったのだ。今の状況を見ると、夏休み公演を2回にしてでも、新学期の開始とともに、新セットリストに移行するなどの措置が必要だったのではないか、とすら感じてしまう。
だから今は、何よりも新しいセットリストを待望したい。強くそう思っている。