invitation

夏の話。

夕方に涼しい風が混じるようになり、台風の進路予測を伝えるニュースが流れるようになると、夏との別れを感じる。残暑はあくまで残暑であって、かけがえのない2013年8月の夏は、悲しいかな締めの挨拶に入ろうとしている。

季節は確かに繰り返すが、その度ひとは年をとってゆく。去年の夏も、一昨年の夏も、似たようなことを考えていた。僕はきっとずっと子どものままだし、子どものまま老けていくのだろう。

正夢

 おでかけの話。
 
 週末は昔なじみの友人達と出かけた。かつてはとても近く、いまはすこし離れている僕たちは、ときおりこうして集まって、かつてあった、いまもある繋がりがこれからも続くようにと、願掛けをするように騒いで笑う。

 ひねくれていて臆病な僕は、変わらないものなんてないのだからと、無理に刹那的になろうとして顔をそむけてしまうけれど、切実な約束は確かに力を持つことを知っている。来年はどこに行こうかな、なんてニコニコしながら考えている僕は、すこし前よりおめでたい人に近づいたのかもしれない。それはとてもおめでたいことだ。

神々LOOKS YOU

 なんでもない話。

 忘れられない瞬間は些細なものばかりだ。酔っ払った帰り道の電柱、朝の駅でしゃがみ込む女の人、揺れる歩道橋。理屈っぽい僕は記憶にすら理由を求めてしまうけれど、きっと脳みその中は想像以上に雑然としているのだろう。非合理は不愉快ながらも甘美だ。人間が動物だということは、時々思い出しておく必要がある。動物には動物の強固な真実があるし、意識と無意識は案外仲良く寄り添っている。
 
 
 
 
 
 

ストラトキャスターと星と君

 表現の話。

巧拙を問わず、あらゆる表現は開かれているべきだと思う。どれだけの人に届くか、という結果論の手前に、届けたい、という願いがない表現は、手慰み以外の何物でもない。語るからには覚悟を決める必要がある。こうして書き連ねるたどたどしい言葉も、いつかどこかの誰かに届くと信じて。

昨日は友だちのライブにいってきました。届いて欲しい、という思いが詰まった、素敵な歌だったと思います。

たのしいかった だいがくせい

 大学生活の話。

 長い長い大学生活が今日で(ほぼ)終わろうとしているにも関わらず、特に気持ちに波風が立つでもなく、なんだか呆気にとられています。とはいえ、今日という日が大なり小なり、なんらかの区切りであることは間違いなく、区切りは適切に区切られるべきだと僕は思うのです。そこで、なかなか起伏の激しく、かつ楽しいキャンパスライフを送ってきた身として、僕が考える「こんなことしたら大学生活が楽しくなるよ」を開陳したいと思います。そんなに素晴らしいものじゃありませんよ。いま大学生をやらかしている人、これから大学生をやらかそうと思っている人に向けて、少しだけ年上の僕から、ささやかなアドバイスです。煮るなり焼くなり、どうにでもしてください。

<全体のまとめ(のようなもの)>
 (1)自分を相対化しようね
 (2)価値判断の基準があると世界がクリアになるよ
こんな感じです。

 (1)共通点の少ない人と知り合いになろう
 思うに、高校というのは「似たもの同士の集まり」です。年齢・学力・生活圏、いろいろなものが似通った人たちが集団生活を送っているところです。もちろん、同じような環境を大学で作り上げるのも、さほど難しいことではありません。むしろ、けっこう簡単だと思います。
 似たもの同士で集まることには、たくさんメリットがあります。悩みも似ているだろうし、ライフステージを登るタイミングもシンクロします。なにより、「みんないっしょ」は、とても心地がよいものです。でも、似たもの同士で集まるのが常にベストかというと、そんなことはありません。僕も大学生になって初めて知ったのですが、世の中にはいろんな種類の人がけっこうたくさんいて、みんなバラバラのことを好き勝手に考えています。これまで自分が当たり前だと思っていたことを、まったく当たり前だと思っていない人もそこら中にいるのです。
 自分にとっての「ふつう」を問い直すというのは、とても重要な経験だと思います。多くの場合、人が「ふつう」だと思っていることは、環境/親の考え/友人からの同調圧力/その他もろもろ周囲の目、などなど、様々なものに影響を受けています。それらの影響を完全に排除することは不可能ですし、推奨もできませんが、「ああ、俺/私って、こんなことに影響をうけて、こんなふうに偏っているんだなぁ」ということを自覚するのはいいことです。自分の「ふつう」を絶対視してしまうと、なにかの拍子にそれが真正面から否定されたとき、心が叩き折れてしまうからです。そうならないためには、いろんな人、特に、自分と考えが全然違う人の「ふつう」を聞いて、咀嚼する必要があります。難しく言えば、自分を相対化しようね、ってことです。
 たくさん友だちを作る必要はありません。親しくなりたいと思える相手はそう多くはないでしょうし、無根拠に「友だちをいっぱいつくりたい」と思ったところで、繋がり中毒になって疲れ果てるのがオチです。そのかわり、いろんなサンプルと接触して、自分が人と比べてどう違うのかを確認してみたらいいと思います。派手に他人とぶつかって事故る前に、やわらかくコンタクトをとってみましょう。
 大学には、様々な出自を持った、いろんな世代の人がいます。同級生だったり、先輩だったり、後輩だったり、生協のおばちゃんだったり、教授だったり。大学生は基本的に暇ですから(暇というのは、「予定がない」ということではなく、「予定の優先順位を自分で決められる」ということです)、とりあえずたくさんの人とコミュニケーションを取る機会を作りましょう。コミュニケーションをしろ、と言われて、恥ずかしく思う気持ちもあるかもしれません。でも、恥ずかしがらなければならないほど真剣なコミュニケーションは滅多にありませんし、人は良くも悪くも他人に無関心です。そもそも、自分の「ふつう」を確かめるためのコミュニケーションですから、コミュニケーション自体が成功しようがしまいが、それがマイナスの経験になることはないのです。とにかく、いろんな人に自分の「ふつう」をぶつけて、それがいかに「ふつうじゃない」のかを確かめてみましょう。
 もちろん、大学の外に出てみるのもいいでしょう。アルバイトをしたり、趣味を始めたりして、さらに共通点が少ない人と知り合う、というのも有効な手立てです。縁遠いなと思っていた世界に、案外面白いものが転がっている、なんてことは人生あるあるだと思います。

 (2)好きなことを見つけよう
 好きだというのは、そのことについて深く考えている、ということです。僕は、大学生のうちに「このことが好きだな」という物/人/事を、ひとつでも見つけられたらとても素晴らしいと思います。対象はなんでもかまいません。フットサル、バイト、合コン、恋愛、ラーメン二郎、読書、昼寝、ダンス、旅行、散歩、研究などなど。本当になんでもいいと思います。ポイントは「好きかどうか」のみです。それに手間と暇をかけられるか、そして、それについて考えることが苦にならないか、がキモです。好きなことが見つかったら、たくさん時間を使いましょう。
 なにかについて一生懸命考えると、ものの見え方が変わります。一生懸命考えている「好きなこと」が、それ以外のいろんなことの基準になるのです。たとえば、僕は読書が好きなのですが、映画も演劇も音楽も漫画もアニメも、すべて「お話として良いかどうか」が、良し悪しを判断する最初の基準になっています。つまり、様々な表現に、読書(本)という尺度をあてはめているのです。また、僕はテニスが好きなので、スポーツを見るとき「テニスでいうと、こんな状況なのかな」という認識の仕方をします。
 なにかを好きになって、「それ」について熱心に考えていると、「それ以外のもの」が「それ」に見えてくる。すなわち、理解しやすくなるのです。言い方を変えれば、「好きなこと」を作るのは「好きではないこと」を理解するためです。好き嫌いとは関係なく、理解をするのはたいせつなことです。理解さえしておけば、辛いことを回避したり、苦痛を和らげたりできるかもしれないからです。そして、なにかを理解するうえで、「好きなこと」があるのは、とても助けになります。

 

 よかったら参考にしてみてくださいな。そろそろラーメン屋さんが開くので、今日はこのへんで。


 

Kiss Of Life

 なんでもない話。

 とにかく寒い。あまりに寒いので、自分だけが太陽から差別されているのではないかとの疑念が頭をよぎったが、そんなミニマムな嫌がらせをあの大きな太陽がおこなうはずはない、と思い直した。僕がいままで経験してきた冬とは、一体なんだったんだろう。もしかしたら、2011年までのあれは、冬ではなく、夏の腐ったやつだったのかもしれない。今年初めて日本に冬がきたに違いない。僕たちはいま、冬童貞を失ったのだ。

 どれくらい僕が寒みを感じているかというと、それはまさしく筆舌に尽くしがたいほどだ。今日の夕方など、僕は凍えるあまり煙草の火を手袋に近づけすぎて、あちちとなってしまった。とてもあぶないところだった。

 それにしても、寒く静かな夜はついつい遅くまで起きてしまいますね。こんな夜には、こんな曲がいいのではないでしょうか。かすれた薄い声が、脳と頭蓋の隙間をなぞるようです。

 

祈れ呪うな

 環境の話。

 冬がいじめてくるので、一生懸命首をすくめている。おろしたてのマフラーはちくちくとする慣れないスーツも相まって、ひどく肩が凝る。最近は整体やらエステやらにお金をかける友人の話も聞くので、まぁそういうお年頃なんだろう。

 雨音にかき消されたハイハットをしゃんしゃんと口ずさみながら、来年について思いを馳せていた。楽しみ4割、不安が4割。前倒しの郷愁が2割。なんとまぁせっかちなことか。