従軍慰安婦の話を考えてみる

例の従軍慰安婦の問題。論争してるうちになにが論点なのかわかんなくなってる感じが、。理想的には当該国出身者ではなくてフランスとかのアナール派なんちゃらみたいな立場のひとが研究してくれたらいいのですけどね。辺境における中途半端な昔の出来事でしかもどういうコミットメント取っても誰かからは恨まれるような研究を政治的意図無くしてくれるような奇特なひとはあまりおらんでしょうけども。

従軍慰安婦」が軍隊に存在してたってのは名称はともかくさすがにその存在自体を否定するひとは(殆ど)いないとして、一般論として「風俗の歴史」とかセックス産業のありようとか考えたことがないひとが、単独でこれだけを論じるのもどうなんだろ? 昔のことだったら遊郭を舞台にした小説やら歴史本やら宮尾登美子あたりの小説をいっぺん読んでみたら・・なんて余計なところで言うたら炎上の危険ありますかね?

例の玉虫色の「直接または間接の強制」という文言が揉める一番の材料のひとつとなってる? そもそも今も昔も究極的には好き好んでセックス産業に従事する女性はそんなにはいない筈ですよね。今現在ものすごい量の需要と供給のあるアダルトビデオ(AV)女優にしたって実家がお金持ちであれば and/or 本人が高収入であれば出演するはずもなかったってひとが圧倒的多数でしょう? AVに出演するようになる力学=究極的には「お金」の問題を国家の不作為または暗黙のアシストもとい「強制」とこじつけられんこともない・・どうでしょう???

それで今のAVの代わりに昔は赤線があったようなもん? 当時は生活保護もないし「基本的人権」の最低水準も今より相当低かったので小作人・貧農で飢饉は続いて対地主などの債務が膨れ上がれば選択肢は非常に限られてました。っていうか今でも「福祉」ってのは先進国の一部でだけ実現している絵に描いた餅。貧困家庭出身の未成年を含む若い女性の実質上の「人身売買」が公然と行われていたからこその公娼制度。(それでも当時のアジアではまだマシな方だったかもしれんですが、、それを言っちゃお終いよだけど清朝末期とか李氏朝鮮末期の人民のそーいうのってどんな状況だったのよ?!)

日本中で貧困家庭出身の未成年含む若い女性を「債務奴隷」=「性奴隷」として引っ立ててくる人身売買構造が完成してたのだから、わざわざ官憲が出張って力づくで引っ立てて来る必然性は薄いし、少なくとも中枢から指揮系統を下ってそういう指示が出て師団・連隊のような単位で女性を誘拐して来たってことはなさそうに思えるし現にそういう文書は無い、っていうような大日本帝国の名誉に取っては骨を切らせて肉を断つような話が実情でないかと思います。

それにしたって当時の組織のルーズさってのは相当のもんだから軍隊末端で業者とツルんで小遣い稼ぎしたり役得目当てってのはあったと考えるのが自然。かりに悪事がばれても組織力学的にかばいあうっていうか、一般論として(e.g. 今の米軍@中東でも)交戦状態の軍隊での民政上の不祥事についての処分はかなり甘いですからねえ。現にインドネシアでの「白馬事件」なんてのが記録に残ってます。女と性交することを馬に乗ることと見立てて相手が占領地の白人女だから「白馬事件」って命名には「それぐらいはアリ」って当時のノリを感じます。

慰安婦が「高給だった」とか書いてるネットウヨ多いですけど、さすがにそれはどうかと? 現代でも一般論として「本番度」があがれば給料・報酬は増える、だけどハードな風俗に従事してる女性ってのはかなりの程度ヒモとかヤクザに搾取されてるって構図は多いのでないでしょうか。歌舞伎町の本番ありの風俗とか、それと都市伝説みたいな孤島の売春宿とか本当にあったとしたらかなりの確率で債務奴隷で本人にはあまりお金は渡らないような。現代だって「貧困」とか「過剰な欲望」という要素があったとしてもヤクザ系の要素が媒介しないと一応は一般家庭出身女性が売春まで辿り着かない気がするのと同様(AVのスカウトはもう少しカジュアルぽいですが)、昔の話ではそれこそ宮尾登美子の小説でも出てきますけど、女衒がブローカー的に貧困家庭からひとを買って、更に貧困者の情報弱者ぶりに付け込んで抜きまくっていたかと。生き残った女性が「やり手ババア」として搾取する側に回ったりも。結局のところセックス産業は今も昔も色々な搾取の構造あるわけです。言うまでも無いことですが戦時中の場合は軍票でお給金貰っていたとしたら結果的にあとで紙切れですね、そういう形で踏み倒す意図は無かったとしても。

諸悪の根源?:例の吉田某の証言はあたしも学校で習って「そんなことがあったんだ!」と素直に呆れたというかあれだったのですが、、押しも押されもせぬ「官憲による直接的強制」の唯一最強の証拠がその証言だけで且つ捏造と聞いて二度呆れました。かなりの程度で、この捏造のせいで何を議論してるかわからなくなってますわね。


まとめ:貧困家庭出身の未成年含む若い女性を「債務奴隷」=「性奴隷」として引っ立ててくる人身売買構造が時代の大前提でそうした公娼のなかでも「従軍慰安婦」ってのは相当底辺ではあったし搾取の構造は強かったし、軍隊=大口需要者として力学ってのもあったと思います。それでも殊更に陸軍省指揮系統を下っての直接の「慰安婦狩り」の有無というのであれば「無」ってことですかね=それが国際的にどの程度の意義があるのかはわかりませんが、。けだし「当時は人身売買が普通でした(キリッ)」=名誉という点で骨を切らせて肉を絶つ言い草ではある

田舎の不妊治療

精神科以外でも色々な科に、心因性障害っていうかメンヘラーの患者さんはかかってはります。

それでふと考えてみれば不妊治療で煮詰まってたらしき個人歴あるひと多いんですよね。っていうかそれが主因のメンヘラーさんってかなりの絶対数があるのではないかと。だから地方都市にありがちなイケてない不妊治療の罪悪はかなり大きいかも?と数年前より密かに思っております。

というのも田舎産婦人科医で救急やらからドロッポして、専ら不妊治療でシノごうってひとの「ひとが死ぬわけでもないし」という感じの愚鈍さが地方都市に住んでた経験から想像出来てしまうんですよねえ(田舎への偏見直出しですが) だいたい田舎医療一般の話として県立中央とか市立とかの一線の基幹病院からドロッポしてからのUPDATEのインセンティブが地方では構造的に弱いかと(大都市ならばある意味でむしろそこからが「勝負」ですw)

なお県立中央病院やら市立病院における専門内科レベルとかでの診療は、地方都市と大都市でそこまで致命的な差がないことが案外多いと思うのですよ。大都市の複雑な生態系を背景としたメイジャーな基幹病院勤務のドキュン専門医に引っ掛かるリスクってのはバカにならんのですが、これは地方ではむしろ低いですからね。(心臓血管外科などでは大学医局まるごと終わってることも時にはあると思うので注意が必要です)


勿論、基幹病院で不妊治療やってることもありますが、これはこれで問題。非特異的な救急に忙殺されながら一生懸命不妊治療をがんばるとか大丈夫でしょうか? 救急の合間にやってUPDATEとか出来るんでしょうか。片手間に間違った受精卵を戻したなんて事件が香川県だかで数年前あったのを覚えてるひとも多いでしょう。

具体的な、田舎で救急からおりたイケてない不妊治療施設がやってそうなこと:

  • まずは漫然とAIHを数回試みる(そんなもんで妊娠するくらいなら苦労せんし、こんなもんで数ヶ月浪費させるってことは、医者がクライアントのことについて「他人事」のように感じてる愚鈍な精神の持ち主であることを語っています)
  • 排卵誘発剤の無神経な使い方。卵巣の中にいくつもある卵子全てが同じクオリティではない。プライムクオリティの卵子を当該医院にて枯渇させるという取り返しのつかない犯罪行為(→焼け野原になった後で他所に行っても・・)
  • 採卵手技などがヘタ、ろくにUPDATEもしない・機会が無い(だいたい一般的にいって手技ってのは実地にやらんと習熟しないものだし、ロートル医者がハンズオンセミナーとかに参加して新しい方法とか上手く出来るはずもない。)

不妊治療は多かれ少なかれ良かれ悪しかれ確率の問題ではあります。イケてないところでも妊娠することがあるのがある意味で性質が悪い。そして個々人のクライアントにとっては妊娠すっるかどうかはall or nothing クリニックの成功率%の違いは最終的に他所ではallだったかもしれないのにそこではnothingを引くひとびとの数に変換されるわけです。

政治的にも程がある遺伝子の研究

最近までは遺伝子の研究なんてのは、純粋に科学的なものだと思っておったのですが、こんな政治的に剣呑な人類遺伝学の研究みたいなのもあるんですねえ:

東欧系ユダヤ人=ハザール起源説についての検証(?)

「ハザール」ってのは10世紀とかそんな大昔に中央アジアにあって歴史の彼方に消え去った国家で東ローマ帝国イスラム諸勢力のあいだで日和ってユダヤ教を国教としてたんですねえ。

ハザール国の人々のその後が謎なのを奇貨として(?)、また他方でイスラエルに落ち着いたりアメリカでのユダヤ人の主流の人々(アシュケナージユダヤ人)の外見はかなり白人ぽいって印象を持ってる人は多いと思いますが、それもあって彼らはもともとのユダヤ民族ではなくハザール人の子孫だという説があったりします。

日本人だと関係無いので、無責任に(本当だとしたら)そりゃあ面白いトリビアだと思ったりするもかもしれませんが、。
これすごーく微妙な学説で、かなり多くの立場の人にとっては「トンデモ」どころか「名誉毀損」「犯罪」扱い。海外で無神経に出すべきでは絶対にない話題の一つ。だって万が一にもハザール起源説が本当だとしたら「シオニズムってなんなの?」ってなりますし=どっかの馬の骨の白人が、セム族(神話的にはアブラハムの子孫)といつのまにか入れ替わってて「約束の地」を求め続けてきて一千年!なんてほんま洒落にならんわけです。(言うまでもないですが、他方でパレスチナ人に同情的な立場でハザール起源説を支持するひとびとも少なからずいます、。)


でこの論文:
"Jewish and Middle Eastern non-Jewish populations share a common pool of Y-chromosome biallelic haplotypes" M. F. Hammer, A. J. Redd, E. T. Wood, M. R. Bonner, H. Jarjanazi, T. Karafet, S. Santachiara-Benerecetti, A. Oppenheim, M. A. Jobling, T. Jenkins, H. Ostrer, and B. Bonné-Tamir
Proc Natl Acad Sci U S A. 2000 June 6; 97(12): 6769–6774.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC18733/ 

ユダヤ系のひとびとのY染色体を研究しました。その結果イスラエルに落ち着いたりアメリカでのユダヤ人の主流の多勢はちゃんとセム族由来であるのが裏付けられました、と。

これ・・・もし結果が逆だったらどうしたんだろうか?と考えるとかなりスリリングです。


そしてこれは上記の多勢は変わらないとはいえ、レビやってるひとの一部には高率にハザール人(??)系の血筋も混じってるかもって論文。Am.J.Hum.Genetに収載。

Multiple Origins of Ashkenazi Levites: Y Chromosome Evidence for Both Near Eastern and European Ancestries. Doron M. Behar, Mark G. Thomas, Karl Skorecki, Michael F. Hammer, Ekaterina Bulygina, Dror Rosengarten, Abigail L. Jones, Karen Held, Vivian Moses, David Goldstein, Neil Bradman, Michael E. Weale
Am. J. Hum. Genet. 73, 768–779.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1180600/?tool=pmcentrez


ハザールってわけわからん国もユダヤ人でもないのにユダヤ教を国教にしたばかりに悠久の歴史のロマンって話には純粋にはならないのが面白いなあと思っております(やっぱり無責任な日本人の一人としての感想)

生産性やら付加価値やら

好むと好まざるとに関わらず、日本列島には1億2千万人も住んでるし、地球には70億人もひとが住んでます。

日本列島に住む1億2千万人のことを考えても、この人々がそこそこ食えるようにするには大変です。なんだかそーいうことが空気のようにように「あたりまえ」になってるひとが多すぎな気もしますが(S30年代以降これだけの水準で人々が食べられてるのは歴史上特記すべきことだと思いますよ)、江戸時代やそこまで遡らなくても戦前は実際に餓死するひとなんぼでもおったし、結局のところ食えないから朝鮮半島や中国大陸にちょっかいを出すという方向に走ったわけで。

とにかくなんでわからんですがWW2が終わって最近までは何故だか日本は比較的うまい位置に居たというかうまく立ち回っていた(USAの犬になった余禄?)わけだけど、21世紀になって「グローバリズム」とやらの再編成(リストラ)で雲行きがかなり怪しくなって「生産性が低い」部署は切り捨てみたいな・・


しかしながら普通に考えてみれば1億2千万人がみな「生産性が高い」とか「高い付加価値」を生み出すってのだったら、それだけで地球上の物欲や購買力を満たしきってしまうじゃん?という根本的な矛盾もありますよね。
それと直感的には地球の生産力は、再生産可能な部分は地球に注ぐ太陽エネルギーの総量に規定されつつ、過去の遺産を食い潰し(=石油やら)って感じ。

こりゃあ、どう考えても、生産性と所得・生活水準の低いコンパートメントにある程度の人数を押し込まないといけないのは自明。問題はその範囲がどれくらい(=無駄に贅沢な自動車や家電やスマホの買い替え需要 and/or 地球の遺産をどんだけのペースで食い潰すか、で大きく左右)、っていうか自分自身がそのコンパートメントに入るか?入らないか?っていうか自分だけが入らないで済む方法は?ってだけの話で。現にいままさに繰り広げられてるところの格差社会の勝ち組に残る・入る云々ってやつ。

蛇足だけど、このまま「米国の犬」であるか?、「中国と連携する」(→中国の傘下に入るってことに限りなく近いと思いますが)か?って話について:政治的に or 個人の価値観についての「自由」をどう思うかというのを別に置いても、どっちが生活水準的に合理的かは直感的には自明と思いますねえ。1億2千万人が食い続けるってことだけでも眩暈がしそうなのに、10億人がもっと良いものを食べたいと切実なわけでしょ〜う。相対的な「命の重さ」とかも普通にニュース見ててそういうことからの当然の帰結通りって感じだし。・・出来るだけコンパートメントを分けた方がいいと思う所以です。

若いお医者さんたちへ: 学位/大学院について

先日一年目のお医者さんたちに酒食をおごってたのですが、考えてみれば卒業年次的に一回り半も違うのよね。まして教授とかと比べると四半世紀も離れている。先立つ20-25年の生き方を、これから30年医者をやる子らに当てはめるのは慎重にせなあきませんよね。

複雑な話をしだすとキリがないのだけど、「大学に入局する?」「学位取る?」などの単純な議題:これについてもゼロ or マイナス成長時代となるともっとシビアに損得の天秤かけた方がいいかもしれません。・・・あたし自身は単純に大学院に行くのがデフォールトだから行ったわけですが。

「学位」「博士号」について、研究それ自体が楽しければ勿論それがいいのだけど、そうでなければ、名刺に「医学博士」と入れる見栄え vs. ベンツSクラスの現物(学費+収入減少4年+α合わせたらそれくらいのコスト)どっちがいいか?ってことになるわけです。加えて天秤のそれぞれに「大学院ってことでベッドフリーの自由さ」と「人事上のしがらみ」ってのが乗ります。

普通に考えて二十代後半での「ベッドフリーの自由さ」というのはわりと大きな分銅です。ひとによってはこれだけでも大学院に行く価値がある(笑) ついでにこれだけが目的で学位を最初からはんば放棄して高額アルバイトしまくって30歳前常勤医より稼ぐ不届き者になることも可能。

なお言うまでも無く弱小医局に入ると「自由」という分銅は小さくなり、反対側に乗ってる「しがらみ」は重たくなります。大きいところだったらそれほど脱局したりあるいは医局に属してるのか曖昧に行動することが比較的簡単。ってことで合理的に考えて地方弱小大学の医局に義理人情で入るのは慎重な上にも慎重に(っていうかはっきり言うたら入ったらアカンわそんなとこ、笑。その場を抜けることへの恨み>>>>それまでの貢献、なことが非常にありがちだし)

ありがちな問題なのは大学院入って3-4年目くらいで鬱陶しくなって、学位用の研究らしきものも煮詰まってる場合。人間ってのは「損切り」出来ないもんだから、それであたら30歳過ぎのよい時期を暗く過ごす羽目になったり。一旦入った大学院を簡単に退学届けだせるような気合のひとだったらしなくてよい苦労ってのも世の中にはありますわね。

いずれにせよ「普通の臨床出来る」ってことは重要ですねえ。最悪なのが悪い時期に悪い場所の大学院に入ったばかりに臨床も研究も残念なゴクツブシになってしまって、結果的に「教育」とか「地域医療」とかで大学とかにしがみつかざるを得なくなるシナリオでしょう。

研究人生のためには

旧帝大医学部出身者の多くは一度くらいはNature, Cell, Science論文の飛び交う基礎医学の世界で華々しく活躍する自分の姿を想像したことがあると思います(地方大学では基礎医学の教官は大抵はやさぐれた単なるteacherなので想像しない)

私の学年やその前後でも実際に基礎研究の世界に進んだひともいますし、臨床畑でもかなりどっぷりと基礎医学教室に身を置いてたひとを入れるとむしろかなり大勢になります。で研究者として生きることを考えた場合のイの一番は「出発点」

具体的には自身も優秀な研究歴があり且つ「普通に会話が成立するひと」をボスに選ぶ必要があります。

ものすごくレアケースでは「鳶が鷹を産む」とか「木の股から生まれる」(青色ダイオードのひととか)がありますが、通常はぱっとしない研究歴で傍系や関連大学の教授でアガリになったところは質量とも「縮小再生産」のプロセスに入るわけです(とっととアポトーシスでもした方がよいのだけど、まあそんな教授も生きてるひとなのでメシを食う必要があります)

研究歴はわりと一見華やかに見えるひとで「普通に会話が成立」しないひと、キャッチボールでいつも暴投のひと、これは要注意です。世の中には突撃力だけってひとがいます。特攻かますのに運営能力は全く必要無いわけです。そういうひとが結果的に業績をあげて業績至上主義で選ばれて教授になる、そーいうとこに入るとかなりの確率で研究者人生を棒に振ります。ブラック零細企業的な煮詰まり感のなかで流行の「捏造」も生じやすくなる気もします。

他方で研究業績ってそこまでは華々しくないように思われるのに旧帝の教授とかになっていて普通に話も出来るってタイプもいはります。「突撃隊長」よりはこっちを選ぶ方がずっと予後良好ではあります。駅弁大学教授でこのタイプはまあ鼻にも引っ掛ける必要無いですがメイジャー大学でそんな教授は非常に有用なコネクションを幅広く持ってたりするし、そんなこだわらずに案外と籍だけそこに置いて優秀なラボに出向させてくれてまあまあ業績も出て気が付いたら若くして本学の教授になってはったなんてひとを何人か知ってます。

あと最低限のドライさは必要です。とりわけ多い事態は大学院終了前後で指導教官がアガリみたいな地方大学教授になった場合のことです。付いて行ってあげないとあかんかなって普通に義理人情を持ってたら感じることは多いと思いますが、基礎医学分野であまり早期にそんな進路取るのは「殉死」と一緒、自ら生きながら埋葬されに行くようなものなので絶対に要領よく立ち回ることを考えねばなりません。小生の事例でも大学院途中で地方大学に付いていった基礎のひと→講師でくすぶり続け、華麗に乗り換えた臨床のひと→本学教授に若くして就任、、みたいになってて、まあそりゃあそうなるわなあって感じに思ってます。

医者の世界観@田舎大学周辺

そういえば最近後輩からメールがあって、その中で話題として某科元助教授のHP教えられました(身バレするのでここで晒せなくて残念) これがまた激しく頭悪そうな雰囲気。よくもこんなショボい業績ばっかし得意気に並べ立ててHP作れるよなあと呆れ返り。「井の中のカワズ」の一言では済ませたくないものを感じたのでエントリー立てました。

今までわりと我慢してましたが、某田舎○○県を去って一年経ったのでこの際はっきり言わせてもらいます:田舎県のボトム層の人材レベルの酷さはつくづくアリエナイ!あまつさえそんなんが本学助教授やったり国立病院の院長やったりすることもありえてサイテー!

どこにでも頭が残念なひとはいますけど、田舎になればなるほどその残念なひとらが大学とか国立病院とかアカデミックな気分に執着すんのが特徴と思いますね。内科学会の維持に75単位も必要なショボい総合なんちゃら専門医とかでドヤ顔でとぐろ巻いてるのとか。たかが助教授が極官の分際で2代続けてとある病院で院政しようとか何様のつもりか?みたいな話とか。っていうか傀儡になる人材がいるのがこれまたすごいわとか(普通は「職務権限」に目覚めて自立すんだけどねw)・・その手の人種のヴァリエーションだけは事欠かない。アカデミックぽくありさえすればミソもクソも一緒みたいな。

例えば、あたし自身は某政令都市に戻ってしまえば、ある意味では、学会活動なんかより、趣味人を気取るっていうか遊びのイケてる度の方が重要。飲み仲間も他業種の方が多いし。っていうか同業者でもアカデミック?なにそれ食えるの?みたいな飲み仲間多い。っていうか普通にたいていの人はクソみたいな研究って時間の無駄と当然に思ってますでしょ?

それが、田舎だと、社会経済的に医学部医学科以外の大学はFランク同然だし、とくに○○県には文系学部なんて存在しないも同然。「○○県で見れない映画の会」とかがんばってるのをみてもなんつーか「田舎の学問より、京の昼寝」ってのは言い得て妙だなあと。

そんなガラパゴス環境下での医者の世界観=カスもカスなりにアカデミックであることに執着してしまう&自分のレベルを相対化出来ない、そういった構造が激しくウザいですよねえ。でまた元は旧帝卒出身だったりするのに世界が学会活動で完結してるような教授がそーいうレベルとどんどん予定調和的になっていくのも激しく頭痛がするところでしたねえ。。

某大学教官として教壇のうえから学生に本当にいいたかったことは、、それだけを取っても卒後に本大学に残るってのはお勧めしませんねwって。
継ぐだけの経済的価値のある開業医院なり病院でもありゃあ別かもしれんですが(家がサラリーマンなのにそんなとこ残るのは情報弱者のばか者といえましょう)、、っていうか現実にそういうひとしか残らんから地元の国立病院とかもカスの吹き溜まりであることがまかり通るってことでもあるんでしょ? 本来ならば「医者の療養所」ならばそれはそれとして療養所なりのハウスキーピングがもっとなされるべきだし。

ほんま去ってしまったらアリエナイ場所だったなあ、とつくづく思います。「医師の(強制的)計画配置」・・・ヤメテクレーw