『春画先生』(2023)

冒頭から絵面が尋常ではない。カフェの真ん中で北香那が仁王立ちしている。後背の美術は過密で重く、濃緑のエプロンをまとった北の白シャツが合成のように浮いている。地震がある。揺れの中で微動だにしない内野聖陽に自ずと視線が導かれる。この誘導法は内野当人が歌麿の「秋の夕」を援用しながら解説する。歌麿は周縁の情報量を過密にして女の白肌を浮かせる。情報に陥没して自己を主張するのだ。


柄本佑は北をわかりやすい人だと評する。感情が抑止されず直に顔や挙措に出る。北は相当な奇人である。初めて訪れた内野邸から帰還し電話帳のような学術書を広げると、たまらず嬌声を上げながら転げまわる。これは異様である。


物語は心境変化に尺を取ったりしない。みな最初から人間ができ上っている。訪ねてきた北に対して内野は前置きなしに画集を広げ解説に入る。内野は見るからに奇人なので行為に違和感はない。北は直ちに内野の熱狂に呼応して、この人もそれなりの奇人だと受け手に信号を送る。この場面ではまだ知的な抑制が効いていたので、自室に戻った北がギャーっと転がると一寸何が起こったのかわからなくなる。中盤では内野の性癖を知って激昂した北によって自室のセットは被害を受ける。


内野の考察では情報の欠落が表現の要件であった。柄本の評では北は情報を出し過ぎる。心中がダダ洩れだと彼はいうが、発露も度が過ぎると却って意図をつかみかねる。内野と安達祐実の馴れ初めを聞く北。柄本の解説に一々激しく呼応して心中を露呈せずにはいられない。感情の基調は嘆じにある。嘆じの内容がよくわからない。内野の安達の仲を嫉妬するのだろう。しかし心境変化の過程を見せないから、嫉妬するほどの恋慕に実感がともなわず、内野達に悲恋を嘆じたのかと思いたくもなる。


信州への車中で内野がゾンビ話に興じる。北の顔が険しくなる。『さよならくちびる』(2019)の小松菜奈は北同様の荒れぶりだったが、その感情表出は発散型だった。成田凌と歩く小松は視線を忙しく移ろわせる。ムラっ気の小松とは対照的に、思い込みの激しい北は顔の重心に向かって感情を沈潜させていく。車中で何が彼女を険しくさせるのか。ゾンビに自分の境遇を重ねたのか。敬愛する内野の話を拝聴するに過ぎないのか。散歩の途中、所用で内野が去る。残された北の背後にカメラが寄っていく。表情は当然わからない。北は”決意”をしていたのだが、この時点では考えがわからない。


北がわからないのは正しい。奇人であるからわかる方がおかしい。話を観察する視点は北が担うので、わかりやすいからわからない奇妙な現象が生じる。次第に内野の視点が割り込むのは無理もない。内野のほうがよほど普通の人なのだ。


ふたりの力関係の変化は中盤のカフェで決定的となる。内野の心境変化はやはり説明されない。焦燥した内野の示す想いの重さは意外というほかない。受け手を丸め込むのは内野の握る鰹節である。物証の力に違和感がねじ伏せられる。構築的な審美感とヒューモアはウェス・アンダーソンに近いのかもしれない。


内野のナンパのつけ入る隙を作ったのは地震のもたらした動揺であった。内野宅を訪ねた北は門扉の前で逡巡する。後押ししたのはセキレイの声であった。これは『アステロイド・シティ』(2023)のオオミチバシリである。動物の恣意的な利用がアンダーソン節だ。


応接間のショットは冒頭のカフェから構図を援用している。正面に座卓があり、その向こうで内野の北が春画でハッスルする。ふたりの後背下手には本の詰まった書棚が見える。上手にも本が地べたに積まれている。量はそれほどでもない。レイアウト主義のショットであるからシンメトリーにしたくなるが、対照は破られている。本の量はふたりの知識量を反映するのか。イヤらしいのは中央奥に見えるテーブルランプである。ふたりの芝居に応じてあの卑猥な物体が見え隠れする。安達邸に向かう車に北が乗り込めば、路上をピンクの傘が転がっていく。これは悪乗りが過ぎるが、次第に侵食してきた内野の視点が事態をただの喜劇にしておかなくなる。悲恋のぼんやりとした予感があるのだ。安達(妹)の呪縛が効いている。何よりも内野の視点になればファウストカップルのあり得なさが生じる。当人もこの危惧を洩らす。北がいつか消えてしまいそうだと。北の方は終わりの予感を開国迫る江戸時代末期に比する。


事を内野の性癖に帰着させる俗化のオチは悲恋の迂遠な予感をぶち壊しにする。北も内野も安達の貫録に太刀打ちできない。


安達邸で北の感情はいよいよ制御不能になり、思考の内容がますますわからなくなる。安達の小水をとうぜん嫌がるのだが、飲みっぷりがヤケクソすぎてうれしそうに見えかねない。安達の愛撫にも嫌がっているのか体が勝手に反応するのか、解釈に困る顔をする。


剝きだされた感情のカオスは内野の悲恋感を我事とするプロセスでもある。敵意に呼応する内田の性癖に対して、従前のように素直に気持ちを吐露してしまえば、関係は続かなくなる。北には初めて放恣を抑制する動機が生じ、歌麿の白肌のように感情の意味が確定されるに至る。見出されるのが悲恋の予感である。