ジョン・スラデック『チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク』

チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク (竹書房文庫)階級脱出劇を起点に置くために、まず階級自体が具体化される。


盲目の少女の行方がわからなくなり警官が聞き込みにやってくる。応対に出たロボットを警官は蔑称で呼ぶ。ロボットが留守を預かるその家の調度を物色するうちに警官は所得格差に苛立ち腹いせに花瓶を壊して退去する。


悪と人権が階級とともに具体化する。悪の抽出はロボットの殺人に懲悪の意味合いをもたらす。人権の欠如はロボットの立場を不安定にして、階級移動の過程に緊張と動機の切実さを与える。


多くの階級移動物と同様に開放のきっかけとなるのは才能である。ロボットは画才を利用して自立を試みる。家の人間たちは遠い世界に行かせまいと足を引っ張ってくる。ロボットに相手にされなくなった子どもたちは癇癪を起し絵を破損する。家事から解放されるべく自分の稼ぎで別のロボットを雇っても主人が許さない。いわく、君にやってもらいたい。人は立場の逆転に耐えられない。


本筋と並走するロボットの過去話は現代邦画のような虐待劇の見本市を呈する。人による虐使の遍歴を経たロボットが自立して”アメリカン・サイコ”をやれば懲悪感情は充足するが、行為の倫理的根拠はそれでも曖昧である。才能がある時点でロボットの課題は解消されている。人生の課題に直面しているのは足を引っ張る人々の方である。人間ではなく彼らをアンモラルにしてしまう悪のメカニズムが報復の対象となるべきだ。


ロボットの興味は悪の定義と抽出に向かう。話は自ずと人間社会の批評になり風刺になる。アシモフ回路を迂回させてロボットの殺人を可能にしたのは人と悪の分離であった。この論理は転倒して、殺人を続けるためにこそロボットは悪の検証を迫られ、殺人は人間を知るための実験になってくる。


ロボットは完璧な善人を見つけてきて「ヨブ作戦」を決行する。善人に様々な災厄を見舞い、善の耐久力を試してみる。実験は失敗に終わった。妻と職を失い罹病してホームレスになっても男は態度を崩さない。ロボットが出くわしたのは本物のサイコであった。男の善は他人に対する諦念に由来していた。


退役軍人の彼は実験の最後に軍歴を奪われる。男はやはり感応しない。軍歴など屁とも思っていない男にロボットはお株を奪われる。悪を検証する過程でロボットが行ってきた社会風刺は、男による軍歴の等閑視に気圧される。意識的でない分、反権力の批評精神はポエジーになり強度を増す。社会実験は施行者であるロボットに再帰して、ロボットの立場を相対化しようとする。


政界入りを目指すロボットに訓戒を垂れる選対幹部のリアリズムはロボットの社会批評を中和する。自分たちの滑稽な営みを自覚の上で政治を試みる彼女のリアリズムにロボットは感応してしまう。


選挙中にロボット所有の南米工場がトラブルを起こす。南米の失敗社会が風刺の俎上に乗るのだが、それはもはや風刺になっていない。風刺は事実の誇張である。南米の行政破綻は事実そのものであるから、戯れのネタにするのは風刺ではなく差別に近い。


結末で冒頭に戻る構成の再帰は理に適っている。盲目の少女の失踪で始まった物語は終盤で失踪の謎解きを試みる。ロボットがダイニングの壁を塗っていると少女がやって来てペンキの臭いに気づく。壁にさわらないようロボットは少女に懇願するが、彼女は意に介さない。


「どうでもいいわ。わたしには見えないから」


ロボットは激昂して少女を手にかける。


貧乏だから花瓶を割っていい。見えないから汚していい。ロボットが発見した悪とは弱さをモラルの資格と考える淪落であった。人を弱者に拘引する倫理観にロボットは激昂したのだった。しかもロボット自身がこの淪落にはまり込んでいた。ロボットだから人間を風刺できた。ロボットだから殺していい。少女の淪落はロボットを批評していた。自分は批評者ではなく、される側だった。これが何よりも耐え難い。


ロボットは公園で老人と日課のチェスをやる。何度対戦を重ねても老人に勝てないロボットには、チェスの攻略が知的な楽しみになっていたが、自分がイカサマのカモに過ぎなかったと知ったロボットはやはり逆上する。自分は人よりも高位な存在だと信じていた。ヨブ作戦や選挙の件は高位者の証である批評者の資格をロボットから剥奪していった。老人のイカサマに引っかかったロボットは、自分が単なる”ロボット”に過ぎなかったと知らされる。彼もまた立場の逆転に耐えられないのだった。