日垣 隆:知的ストレッチ入門―すいすい読める書けるアイデアが出る 大和書房

知的ストレッチ入門―すいすい読める書けるアイデアが出る

知的ストレッチ入門―すいすい読める書けるアイデアが出る



●レビュー内容(「BOOK」データベースより)

この本であなたの知的生産力は100倍になる。すぐに使える21世紀版知的生産の技術。


●目 次

序章 知的ストレッチとは / 第1章 読む―ストレッチ読書術 / 第2章 構える―ストレッチ書斎術 / 第3章 考える―ストレッチ検証術 / 第4章 創る―ストレッチ仕事術 / 第5章 書く―ストレッチ文章術 / 第6章 疑う―ストレッチ回避術 / 第7章 決める―ストレッチ決断術


●読書のポイント

この本は、環境問題を取り扱った本ではありません。知的生産術(具体的には執筆活動)の提案本です。ただ、この本の6章に環境問題について著書の辛辣な見解が載っていたのでここで紹介することにしました。

以下、本書からの引用です。

危機を煽る人々

かつて私は、ダイオキシンの問題を取り上げたことがあります。このとき最初に出版社から出されたオファーは要するにダイオキシンの危険を書いてくれというものでした。しかし、世間で言われていることを検証していくうちに、「これは違うのではないか」と思うようになりました。

(中略)

ダイオキシンに関してはメリットと思えるものは何一つない。それが明らかだったから、市民団体や環境派の人々にとっては、完璧な悪玉として槍玉にあげやすかった。そうならば、完全な悪玉だから、徹底的に退治すればいいという飛躍までは「あと一息」です。その結果、日本全国みな大型焼却炉にしてしまったという経緯があるのでした。

確かに、ダイオキシン問題というのは、環境行政とプラントメーカーの思惑が一致した出来レースとしいう見方をするととても合点がいくシナリオに見えてきますね。本当のところはどうなのかわかりませんが、ウクライナ共和国のユシチェンコ大統領が大量のダイオキシンを毒に盛られても死亡しなかったことは記憶に新しいとことです。どの程度の毒性が人体にあるのか正直まだ分かっていないことも多いようです。

マスコミにとって、世の中に警鐘を鳴らすことが使命だというテーゼで動いていますが、これが行き過ぎるとどんな局面でも「とりあえず危ないと言っておけ」ということになりかねない、と著者は指摘しています。危険を煽っておけば、どっちに転んでもマスコミは責任を問われることにならない。これがマスコミの思考回路(思考停止)の実態だと・・・

もうひとつ本書で指摘しいているポイントを紹介しましょう。

予防原則というリスク

リスクを評価するときには、狭い分野だけで考えるのではなく、様々なジャンルのことを総合して考える必要があります。学問の世界では化学は化学、医学は医学と分けて考えられていますが、現実では化学も医学も含めたところで、総合的にリスクについて考えなければ意味がありません。それに、行政に協力してリスクを評価する人というのは、だいたい工学系か物理系の人で、法律家の人はまず含まれていません。りすく・コミュニケーションについて考えている人は、犯罪のリスクについてはほとんど考えていない・・・

(中略)

ダイオキシンのような化学物質の場合には、リスクがあるという理由から総て排除する、ということで世論が一斉に動いた時期がありました。なぜ犯罪に関しては、予防拘禁などとんでもないと言いながら、化学物質に関しては大切だと言い切れるのか。・・・


とても考えさせられる問題だと思います。確かに、環境問題について、極端なまで厳密に追求するという姿勢がいまの世の中強すぎるように感じます。白か黒かをはっきりすることは確かに一面では重要ですが、一方でそれが国民にとって有益になっているのか、検証してみる必要があることも確かなのでは?

この本を読んで、もっと様々な専門家が集まって議論すべきだという思いを強くしました。

 藤倉 良:環境問題の杞憂  新潮新書

環境問題の杞憂 (新潮新書)

環境問題の杞憂 (新潮新書)



●レビュー内容(「BOOK」データベースより)

「環境」に関する話題については、日常生活や健康に身近なテーマとして関心が高い一方で、驚くべき誤解や非常識が世間一般にまかり通っています。一面的な悲観論に振り回されてストレスを溜めたり、不要な努力や出費を強いられたりするのは、なんともばからしい。地球環境から健康器具まで、中学・高校レベルの科学知識で冷静に捉え直してみれば―。以外にシンプルで「悪くない」環境問題の現実が見えてきます。


●目 次

まえがき
1 日本も捨てたものじゃない(日本は世界一健康に良い国である、日本はドイツ以上の環境大国である ほか)
2 健康不安に打ち勝つ(環境ホルモンとはなんだったのか、風呂場は路上より危険である ほか)
3 所詮は人が決めたこと(なぜフロンは禁止されたか、環境に関するふたつの基準 ほか)
4 暮らしやすい地球のために(地球は温暖化していない?、温暖化が寒冷化をもたらす? ほか)
5 環境の「常識」に惑わされない(江戸は環境都市ではなかった?、ディーゼル車vsガソリン車、合成洗剤vs石鹸 ほか)



●読書のポイント

環境問題に対してその危険性や深刻さを声高に訴え、世間の不安を煽るようなマスメディアの論調に対して待ったをかけた本です。著者は元環境庁のお役人さん。その後、大学の先生に転進された方ならではの本とお見受けしました。この本を読んで、やはり物事は多視点的に見ないといけないと感じました。

本書に示されているように、地球規模の環境はさておき、日本に限れば環境は以前よりずっと良くなっているというのは事実でしょう。なのに、健康や環境については悪いニュースばかりが目立ちます。その理由は何か?――マスメディアの影響が一番大きいと著者は指摘しています。

科学知識の乏しい記者が、表面的で「悪い話」を好んで不安を煽るように取り上げる。そして、「言いっぱなし」。ニュースを聞かされた市民は心配したままというのが現実だと。

確かに、ダイオキシン環境ホルモンの問題、シックハウス症候群の問題、神栖のヒ素汚染問題や青森・岩手、岐阜など各地で起きた産廃の不法投棄の問題、あるいは昨年大きな話題となったアスベストの問題など、いまではほとんどマスメディアには登場しません。だから問題が解決したかといえば、そうではありません。こうした問題への地道な取り組みがいまでも続いていることは確かなのですが。

ただ、こうした問題が実際にどれだけ人間の健康を脅かすリスクになっているのか、これはもう一度考える必要があるとも思います。本書に示されているように健康リスク(死亡リスク)だけを考えれば、環境問題よりもタバコの喫煙や入浴時のリスクの方がはるかに大きいのです。やみくもに環境問題の対策に莫大なコストをかけることが適切なのか、この本を読んで再考する必要性を感じました。もっといえばマクロにみた地球環境問題や資源循環型社会の形成に向けた施策のなかで将来に備えた国家的な予算を投入するのが未来の日本にとって望ましいのではないかという思うが過ぎりました。

本書の中で見つけた面白い話題をひとつ紹介しましょう。法律に定められた基準というのは、いずれも誰かが「えいやっ」で決めたものだというのです。道路交通法で定められた制限速度も、20歳未満の喫煙や飲酒の禁止も、そして環境基準や排出基準もみんな「えいやっ」だと・・・

もちろん、基本となるのは厳密な科学データですが、最後のところはいずれも誰かが「気合い」で決められたという話です。一度決まってしまえば、法律で定められた基準です。この基準以内におさまるよう涙ぐましい努力が企業に課されますが、その大元をたどれば「えいやっ」だというのは、なんだかとても不思議な感覚になりました。

というわけで、ニュースやマスコミの環境に対する煽り報道に疑問を持った方、環境問題が不安でたまらない方にこういう見方もあるという本としてオススメします。

 ローハスクラブ:日本をロハスに変える30の方法 ― BUSINESS LOHAS 講談社


日本をロハスに変える30の方法 ― BUSINESS LOHAS (講談社BIZ)

日本をロハスに変える30の方法 ― BUSINESS LOHAS (講談社BIZ)



●レビュー内容(「BOOK」データベースより)

本書はLOHASの概念、LOHASを好む人びとの特徴、現在、LOHAS層に愛されている「事業」「商品・サービス」「まちづくり」を展開している企業・団体のとりくみを紹介します。地球環境と人の健康に配慮しつつ、美しく恒久的なビジネスのヒントを見つけてください。


●目 次

第1章 LOHASってなんだろう? / 第2章 会社や社会をLOHASに変える30のポイント / 第3章 LOHAS層に愛される発想のヒント―企業・団体・自治体の事例 / 第4章 オピニオンリーダー95人に聞きました(あなたにとってLOHASとは?)


●読書のポイント

現在の消費者層として注目されているロハス層。ロハスとは、健康と環境の持続可能性を志向するライフスタイルのことで、日本人の約3割がこのロハスを志向する「ロハス層」だそうです。

ロハス」という言葉が急速に広がるなか、一過性の流行のひとつと思っている方も、本書を読むとかつて日本に定着していたライフスタイルの見直しが多いことに気がつくのでしょう。ロハスがこれほど急速に広がった背景に、この違和感のなさがあるのではないでしょうか。人の健康や地球環境に配慮したビジネスが、消費者に受け入れられる時代になってきたともいえるでしょう。ロハス層の消費傾向を意識し、この層にターゲットをしぼったマーケティングについて分かりやすく解説されています。

本書では、「ロハス層」の心をつかんだビジネスを展開している企業・団体の事例集が豊富に示されています。その成功のポイントがきちんとおさえてあるので、ビジネス書としてビジネスモデルを考える上で参考になります。また、消費者にとってはロハスを生活に取り入れるためのヒントがそこに示されています。

無農薬栽培に取り組む組合や素材や製造過程に徹底的にこだわる老舗のあられ屋さん、あるいはタオル業者さんなどの事例も紹介されていて、これもロハスかとそのイメージが大きく膨らみます。要するにどんなビジネスでもロハスを取り入れる要素があると本書を読んで妙に納得しました。

 橋本 典久:近所がうるさい! KKベストセラーズ

近所がうるさい!―騒音トラブルの恐怖 (ベスト新書)

近所がうるさい!―騒音トラブルの恐怖 (ベスト新書)



●レビュー内容(「BOOK」データベースより)

現在、近隣騒音に悩んでいる人にも、そうでない人にも、トラブルに巻き込まれた際の対処法と、本当の解決法を伝授。


●目 次

第1章 すべてはピアノ殺人事件から始まった / 第2章 騒音事件を引き起こす心理と生理 / 第3章 上階音が引き起こしたトラブルと事件 / 第4章 無残、近隣騒音訴訟と判決 / 第5章 騒音問題、古今東西 / 第6章 騒音トラブル・そして解決へ


●読書のポイント

この本を読むと、環境というのは発生元が同じでも受取り側の感受性によって大きく変わってしまうということがよくわかります。ある人にとっては心地よい音楽も、別の人にとっては雑音、騒音以外の何ものでもない。こんなギャップがきっかけとなり、殺人事件まで起きてしまうのですから・・・。

本書では、騒音トラブルの現況、発生事件の詳細、トラブルの心理と生理、事件の歴史、犯罪分析、騒音訴訟と裁判、法規制の現状、騒音に関する国際比較、問題解決のための提言、騒音文化論など、関連事項が網羅的に示されています。

ひとたび、音を「騒音」として受取ってしまったら最後、それからは「音(異物)=敵(騒音)」として認識されてしまい、もう気にしないでいることが難しくなってしまうというのです。そして、騒音の被害者だけでなく、注意を受けた加害者の方も「あの程度の音で文句を言いにきて」と、騒音トラブルはますますエスカレートしてしまうのです。これは、人間関係の本質を突いている話だなと感じました。音、匂い、セクハラ発言・・・人間関係のすれ違いは、実はこうしたちょっとしたすれ違いがエスカレートしてトラブルへと変質してしまうことがあるのではないでしょうか。結局、感情のバランスが崩れてしまわないような気遣いが必要ということでしょう。周囲への気遣いは何事も大切だと改めて感じさせてくれました。

もうひとつ面白いと思ったのは、もともと日本は騒音に対しておおらかな国民性をもちあわせているという指摘です。西洋人にはノイズとしか聞こえない虫の音に風流を感じてしまう日本人の感性は、素晴らしいというものです。

戦後、西洋化の波とともに、次第に敵対性の強い国民に変化してきているのではないだろうか。江戸時代などの昔の日本人は、遮音性などというものはほとんどないに等しい棟割り長屋に生活していたが、ここでは隣の音が聞こえるなどというのはごく当たり前のことであり、特に気になるものではなかったのである。だからこそ、そんな建物で暮らすことができ、それがかえって地域コミュニティ形成の利点にもなっていたのである。なんという素晴らしい素晴らしい社会であろうか。よく、江戸時代は資源や環境に関する循環型社会の原点であると言われるが、精神面でも良き日本人の原点ではなかったのか。

確かに日本人の西洋化の功罪は一考に価しそうです。

 箕輪 弥生:LOHASで行こう! ヴィレッジブックス(文庫)

LOHASで行こう! (ヴィレッジブックス+)

LOHASで行こう! (ヴィレッジブックス+)



●レビュー内容(「BOOK」データベースより)

最近よく見たり聞いたりする言葉、「LOHAS」。セレブ?エコ?誰もがいろんなイメージを持っているけれど、「本当はどういうことなんだろう?」って思っている人も多いはず。「『へえ、こんなこともLOHASなの?』『まずは、こんなことから始めたらいいのかな』などと、まず気軽に試してみるきっかけになったらとてもうれしく思います。(「はじめに」より)」。今、大きな関心を集めるライフスタイルを、著者が自らの体験を通して紹介する、実践的入門書。


●目 次

プロローグ LOHASが私の生活を楽しく変えた! / 第1章 すぐ手軽に始められるLOHAS / 第2章 自分でつくってうれしいLOHAS / 第3章 自然の力を暮らしに役立てるLOHAS / 第4章 参加して楽しむLOHAS / 第5章 心とカラダに効くLOHAS / エピローグ どうして今「LOHAS」なの?


●読書のポイント

LOHASロハス)」という言葉が巷に浸透しはじめています。これまでの「環境」とか「循環型社会」という言葉では、なんとなく取っつきにくかった人もロハスならあまり違和感なくチェレンジできそうな・・・。そう、ロハスのコンセプトそのものが、あまり無理をせず自分のできるところから楽しく始めるライフスタイルなのですから。

本書もそうですが、こうしたアプローチはやはり女性の感性に合うのでしょう。身近な健康や食べ物、美容のなかで手軽に取り込むことができること、特別なことではないという敷居の低さがロハスの急速な広がりを後押ししているように見えます。

すぐ手軽に始められる(1章)、自分でつくってうれしい(2章)、自然の力を暮らしに役立てる(3章)、参加して楽しむ(4章)、心とカラダに効く(5章)――タイトルを見ただけでもすぐに試してみたくなるような入門書です。

ヨガをしたり、自然のものを食べたり、自分らしい生活がロハスの第一歩。私的には4章の雨水をもっと使おうと都市生活を癒す「屋上緑化」に多くのヒントを見つけました。とにかく気軽に読める本としてオススメです。

 高城 剛:ヤバいぜっ!デジタル日本―ハイブリッド・スタイルのススメ 集英社新書



●レビュー内容(「BOOK」データベースより)

ヤバいとはvery badとvary coolのWミーニング。世界各地を飛び回る著者が、情報最先端の事象を紹介しつつ日本人の知らない日本と日本人を論じる。世界から取り残されてしまったIT戦略をこのままにしていいのか?国家ブランド戦略をきちんと立てなくていいのか?日本が世界に広めたハイブリッド車のように、異なる要素を組み合わせて新しいスタイルを創ろう、それこそが日本人の得意分野で、世界から「クールでヤバい」と評価されるはずじゃないか?日本への憂慮と愛が溢れる、元気の出る本。今後10年間のデジタル社会の変化を予言する書でもある。


●目 次

第1章 ITとデジタルの終焉―インターネットの現在、過去、未来(ITとは、デジタルとは、何だったのか?/情報デブの正体/情報選択力 ほか)
第2章 ブランド「日本」―国家ブランディングとしてのコンテンツ戦略(世界の中の正しい日本/日本の音楽業界の失敗/2011年デジタル波問題 ほか)
第3章 ハイブリッド日本人の提案―スタイル・クリエイティブの時代(新しい日本の文化スタイルが、なぜ必要か?/日本におけるコンテンツ教育の今後/日本のクリエイターが育たない ほか)


●読書のポイント

夏休みにこの本を読みました。細かな内容は忘れてしまいましたが、日本の未来がITやデジタル一色になることはなく、デジタルとアナログが融合したハイブリッドな社会が到来するという未来指向にはなるほどそうかもしれないなと思いながら読みすすめました。
時代は、まったく新しいものではなく、また、古いものの完全否定でもなく、ハイブリッドな新しいスタイルを求めている。技術で言うならば「あわせる技術」がもっとも重要というメッセージに私の琴線が触れたようです。

タイトルにある「ヤバイ」は、世代によって使い方が異なる言葉。私の世代(40台)では「ヤバイ」といえば、「危ない」とか「良くない」とかいう意味で使いますが、もっと下の世代では「すごくいい」という意味でも使われるとか。私よりも上の方は、「ヤバイ」などと行く言葉は「やくざ」用語として敬遠してしまう人も多いでしょう。この「ヤバイ」という言葉をvery badとvary coolの2つの意味で使い分ける感性こそ、ハイブリッド社会の到来を予感させるキーワードとして引用しています。あなたは、このハイブリッド社会を受け入れることができるでしょうか?

もう少し突っ込んでいれば、ハードとソフトの2極分化の時代は終わり、その融合が日本を飛躍させるという主張は傾聴に値するのではないでしょうか。この本を読んだことがきっかけとなり、最近ではダンボールにしまってあったカセットテープを引っ張り出して、ラジカセで聴いてみたり、その中で気に入った曲をipodにダウンロードしたり・・・。私なりのハイブリッド生活を楽しんでします。

 有田 正光・石村多門:ウンコに学べ!  ちくま新書

ウンコに学べ! (ちくま新書)

ウンコに学べ! (ちくま新書)



●レビュー内容(「BOOK」データベースより)

環境問題がさかんに叫ばれている。だが近代人は、ウンコからは遠ざかろうとしてきたのではなかろうか。そして目をそむけ、鼻をつまむように、語ることが忌避されている。しかし、それは身近なものであるがゆえ、やはりその行方が気になる。本書では、誰もが正面から見据えようとしないウンコを通して、現代科学から倫理までを語る。ヒステリックなエコロジーの書ではなく、抱腹絶倒なのに役に立つ、おもしろ科学読本。



●目 次

第1章 あなたのウンコはどこへ行くのか(海に捨てられるウンコ/カウボーイも英国紳士も海まで運ばず川に捨てた/下水処理の手品の真相)
第2章 水田―土と水とウンコのバラード(ペリーが驚いた世界一清潔な国/生きるとはウンコを食べることである)
第3章 ウンコの黄金時代と糞まみれの経済(日本のウンコの大河ドラマ/ウンコ処理と財政問題)
第4章 ウンコをしない自立とする連帯(エコノミーからエコロジーへ/陰翳礼賛
ウンコをひらない身体/学校でウンコができない子どもたち)
第5章 ウンコに学ぶ環境倫理(みんなのおかげでウンコができる/ウンコとは死ぬことと見つけたり/ウンコに親しむ環境教育)



●読書のポイント

環境問題といえば、すぐにゴミのことが思い浮かぶが、ゴミのことを考える前にまずウンコのことを考えたい。ゴミは人間が作ったものの残りかすだが、ウンコはあたなを、あなたのいのちを作ったものの残りかすである。ゴミは我慢すれば減らせるだろうが、ウンコはなかなか我慢できない。・・・・

いきなり、「ウンコ」、「ウンコ」の連発で度肝を抜かれる異色の環境本(うんちく本、笑)を紹介します。本屋(名古屋栄にある丸善)で、この本を見つけたとき、題名に目が点になり、思わず手が伸びて購入してしまいました。そして、出張帰りの新幹線の中で一気に読み通してしまいました。

著者の並々ならぬ「ウンコ」への情熱に感心し、ときにはひとり笑いをかみ締めながら読みました。表現方法は別として、内容的にはとても示唆に富んだ本だと思いました。ウンコの連呼で嫌気がさす人がいるかもしれませんが(そのぐらい頻繁に「ウンコ」という言葉が飛び交っています)、そこを除けば、「ウンコ」という側面からみた中身の濃いうんちくのある環境本です。

前半部分の下水処理の記述はわかりやすく、内容も多岐にわたり充実しています。緩速濾過やばっき、そして海洋投棄や水田の浄水機能など、技術的な解説はとても勉強になりました。

また、後半の部分では環境倫理について深い考察が随所でみられます。学校でウンコができない子どもたちが増えているといいます。そのことに関連して、「人間の自立とは、ウンコをしないようになることではない。一人でウンコができるようになることである」という主張には合点がいきます。そして、「何でも『水に流す』のでは、今後の日本は生きられない。社会の問題は、バクテリアも分解はしてくれないのである。人間がそれを分解する努力もせずに、難しい問題、厄介な問題、面倒くさい問題、考えたくない問題として、ウンコを流す要領で、見て見ぬ振りしながら次から次へと流しているだけでは、さまざまな難問がすぐ先の下流に、姥捨て山のように溜まっていくのである」という考察に思わず肯く自分を発見しました。

現代は、ゴミやウンコが目前から見えなくなるシステムが構築されています。そのシステムによって、こうした廃棄物の存在をついつい忘れてしまいがちです。そうした日常の中では環境倫理もなかなか芽生えないのではないでしょうか。

ウンコはいつもあなたに「俺はお前がひりだしたウンコなんだぞ」と人知れず語りかけているのである。その「声なき肥え」を聞き流すのでなく、耳を傾けるべくフンばらねばならない。つまり環境問題に向き合うことは、自らのウンコに向き合うことでなくてはならない。自分はしてはいない、自分は「ウンコたれ」ではない、と言い逃れることなどできない相談なのである。

含蓄深い言葉です。