『秘密(下)』ケイト・モートン/青木純子訳(創元推理文庫)★★★☆☆

『秘密(下)』ケイト・モートン/青木純子訳(創元推理文庫

 『The Secret Keeper』Kate Morton,2012年。

 ローレルは事件について弟のジェリーに相談するとともに、ヴィヴィアンについて調査を進めてゆきます。そうして明らかになるドリーの噓、ヴィヴィアンの半生、ドリーとジミーのその後の成り行き。

 作品を読み始めた当初は、すれ違いや誤解による悲劇なのだろうとばかり思っていましたが、まさか完全に思い込みと悪意によるものだったとは。そんなドリーを嘲笑うかのように、運命は転がってゆきます。それはもう絵に描いたようなお約束の展開に。

 そこからは相次ぐどんでん返し、という名のお約束の連続でした。お約束もこれだけつるべ打ちすれば、意外などんでん返しになるのだというのは新発見でした。

 自分を無視したヴィヴィアンに復讐するため、ジミーと協力して浮気の現場写真を捏造しようとするものの、ヴィヴィアンの浮気はドリーの思い込みだったことが判明。

 ヴィヴィアンとジミーが互いの人柄に触れて、いい感じに。

 しかしヴィヴィアンはジミーとドリーの浮気現場捏造計画を知ってしまう。

 ドリーとジミーに謝礼と称して大金を手渡し、ジミーとの別れを決意。

 これで丸く収まった――と思ったところで運命の悲劇が引き起こされます。

 ところがここで黒幕の巨悪みたいな出てきて興醒めでした。

 あまりにも都合のいい急展開だと思いつつも、空襲ですべてが無に帰し、かくてヴィヴィアンの最期もドリーとジミーが結ばれなかったわけも判明してひとまずすっきり。

 けれどまだ最後の秘密が残されていました。これもまたベタなのですが、大きすぎるがゆえに最後まで見えませんでした。

 読後の満足感こそあるものの、ちょっとひねりがありすぎて食傷気味でした。

 第二次世界大戦中、ローレルの母ドロシーは、ロンドンの裕福な婦人の屋敷に住み込むメイドだった。向かいに住む作家の美しい妻に憧れていた彼女には婚約者もいたが、ロンドン大空襲がすべてを変える。2011年、ローレルは死の近い母の過去を知りたいと思い始める。母になる前のドロシーの過去を。それがどんなものであったとしても……。翻訳ミステリー大賞・読者賞W受賞の傑作。(カバーあらすじ)

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 秘密(下) 

『秘密(上)』ケイト・モートン/青木純子訳(創元推理文庫)★★★★★

『秘密(上)』ケイト・モートン/青木純子訳(創元推理文庫

 『The Secret Keeper』Kate Morton,2012年。

 ケイト・モートンの第四作。

 一九六一年、弟ジェリーの誕生日の日、ボーイフレンドとの約束の時間を待っていた十六歳のローレルは、見知らぬ男が訪ねて来たのを目撃する。「やあ、ドロシー。ひさしぶりだね」と話しかけられた母親は、持っていたケーキナイフで男を刺し殺した。

 五十年後、余命幾ばくもない母親の見舞いに訪れたローレルは、妹のローズから、母親の持ち物である『ピーター・パン』の台本に「ヴィヴィアン」という女性からの献辞があったことを聞かされる。

 ヴィヴィアン――。かつて母親が殺した男ヘンリー・ジェンキンズの妻と同じ名前だ。いったい母とヴィヴィアンとヘンリー・ジェンキンズのあいだに何があったのか。ローレルは母親の若い頃のことを調べ始めた。物語を作りあげて語り聞かせるのが好きだったとはいえローレルが女優になるのも反対していた母親だ……。

 一九三八年。ドリーは夢を追う写真家のジミーを追うように、家族を捨ててロンドンに出た。二年後、老嬢レディ・グウェンドリンのメイドとなり、老婦人に気に入られるようになっていた。近所には小説家ジェンキンズ夫妻が住んでいて、国防婦人会で一緒になった妻のヴィヴィアンは美しさといい気品といいドリーの憧れだった。今もジミーを愛している。とはいえジミーはレディ・グウェンドリンやヴィヴィアンのような人間に紹介できるような相手ではない。だからドリーには計画があった。

 少女が母親の殺人を目撃するという、衝撃的な場面から幕を開けます。なぜ殺したのか? しかも男とは知り合いであるらしい。衝撃に加えてそんな魅力的な謎まで付いて来ました。

 過去と現在が交互に語られるため、若き日のドロシーのことはだんだんとわかってきます。誰もが若い頃は反発し、歳を取ると変わってしまう、そんな当たり前ことが描かれているように思えます。けれどドロシーのそばにいるのはジミーです。ヴィヴィアン夫妻こそ登場しますが、ジェンキンスと確執が起こるようには思えません。二十年のあいだにいったい何があったのか、ジミーはいつの時点でドロシーの前から消えてしまうのか。

 それにしても勝気で上昇志向のドロシーは魅力的です。そりゃジミーもレディ・グウェンドリンも夢中になるはずです。それだけに、もともと娘たちにオリジナルの物語を語るというエピソードが書かれていたとはいえ、ここまで妄想癖があるという展開は思いもよらず、愕然としました。これではほとんどサイコパスではありませんか。

 1961年、少女ローレルは恐ろしい事件を目撃する。突然現われた見知らぬ男を母が刺殺したのだ。死亡した男は近隣に出没していた不審者だったため、母の正当防衛が認められた。男が母に「やあ、ドロシー、久しぶりだね」と言ったことをローレルは誰にも話さなかった。男は母を知っていた。母も男を知っていた。彼は誰だったのか? ケイト・モートンが再びあなたを迷宮に誘う。(カバーあらすじ)

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 秘密(上) 

『九月は謎×謎修学旅行で暗号解読 私立霧舎学園ミステリ白書』霧舎巧(講談社ノベルス)★★★☆☆

『九月は謎×謎修学旅行で暗号解読 私立霧舎学園ミステリ白書』霧舎巧講談社ノベルス

 霧舎学園シリーズ第六作。2005年9月刊行。

 タイトルに暗号解読とあるように、メインとなる謎は暗号による宝探し/人捜しですが、ほかにもアリバイ、叙述トリック、二人一役、偽の手がかり、探偵の競演、と盛り沢山です。

 ミステリマニアの犯人が計画したミステリマニアの探偵の存在を前提としたミステリマニア向けの小説ではあるのですが、一方で京都を舞台にヒロインが舞妓さんの恰好で駆けまわるという、二時間サスペンスみたいなところもありました。

 それでいて舞妓さんというのがただのキャラ萌え要素ではなく、今回もまた付録を用いて白塗りによる人物誤認が仕掛けられていました。

 京都修学旅行中にもかかわらず、学園の理事長→脇野経由で、理事長の叔父一族の住む倉崎六角屋敷に隠された「アステカの秘宝」を探すことになった棚彦と琴葉。執事の中民によると、どうやら宝物は銀の彫像の立つ中庭に隠されているらしい。そんなとき、倉崎家の次女・明日香がいなくなり、「お嬢様探しゲーム」と書かれたプリクラの貼られた紙が残されていた。紙の裏には「ヒントは本日午前あの部屋に」と書かれていた。部屋で見つかった京都市内の六枚の地図とプリクラに書かれた「1四銀」の文字から、次のヒントの場所を推理した。明日香が呼んでいた探偵「なるさん」と琴葉は失踪した明日香の行方を追うため屋敷を離れ、棚彦は屋敷に残ってアステカの秘宝探しを続ける。料理長の戸田山によれば、倉崎敬吾はすでに死んでおり、執事の中民が何か企んでいるらしい。三女の昨夜子が夢中歩行の最中にペガサスの角に串刺しにされた敬吾を目撃したというのだ。

 一方、横浜の学園に残っている三年生の保とのの子は、保の妄想にも近い推理力によって白レンガ棟の定礎の下から『倉崎財閥の秘宝』と題された原稿を見つけていた。「銀色に光り輝くペガサスの角に一人の男の死体が貫かれていた」という文章から始まっているその原稿の最後には、「1一香」と書かれていた。1階第一資料室に香山先生が監禁されているのではないか。果たして資料室には次のヒントが――。

 本書の目玉は何と言ってもミステリマニアの探偵を当て込んだ二重三重の暗号です。しかも探偵による推理を前提とした仕掛け――と思わせておいてさらに反転させて【みずからがその探偵になる】ことでその仕掛けを運任せではない確実なものにすると同時に、両シリーズを通した大仕掛け【※なるさん=鳴海雄一郎と誤読させる叙述トリック】にもなっていました。

 明日香誘拐&香山誘拐事件の暗号は将棋の棋譜になぞらえた比較的単純で正統派の暗号で、暗号の場所探しよりも暗号の意図・目的に謎があります。特殊な知識が必要な暗号はフェアではないというメタな発言から、白レンガ棟の由来が伏線として生きてくるのは見事でした。それにしても、いくら探偵の存在を前提とした暗号であるとはいえ、保のこじつけ推理が当たってしまうのには、さすがに保の探偵としての力量が見くびられているようで可哀相でした。

 一方のアステカの秘宝探しの暗号は、彫像全体の配置をもとにした【十二辰刻】の推理にしても、暗号文の単語【六つ≠六つ時】を正しく読み直した赤い光の推理にしても、いずれもすっきり割り切れるきれいな解答で、偽の真相も本当の真相どちらも優れているのは珍しいと思います。これまでのシリーズにも関係者が作った小冊子〈霧舎学園ミステリ白書〉が何冊か出てくるため、『倉崎財閥の秘宝』もそうしたののの一冊なのだろうと思っていましたが、ペガサスの角に貫かれた死体を描くことで、犯人の正体を【被害者はサソリの彫像の真上にある自室から落ちたのではなく、ペガサスの彫像の真上の部屋に住む今日子に突き落とされたと】誤誘導する役割を担っていたとは思いも寄りませんでした。すべては探偵の推理のために用意されていたことになります。

 その『倉崎財閥の秘宝』にも描かれているためいかにも曰くありげな角のあるペガサスですが、【彫像に施されたいかにも思わせぶりな偽の手がかりの一つ】だったのにはすっかり騙されてしまいました。

 プリクラの仕掛けに目が行ってしまいますが、本書は登場人物表にも仕掛けが施されていました。単純に、脇役にはふりがなが振っていないだけだと思っていたのですが、なるほどこれも一種の【叙述トリック】ですね。冬美の妹というさり気ない描写(p.216)が効いていました。

 全体としては凝りに凝った仕掛けが施されていましたが、さすがに複雑すぎるきらいがあり、読み終えたときのカタルシスは乏しかったです。

 本書に登場する倉崎昨夜子とその家庭教師の毬生美貴は『推理は一日二時間まで』にも登場しています。

 ミステリネタでわからなかったものがいくつかありました。明日香井叶は、綾辻行人『殺人方程式』の主人公の刑事。キミサワ本社と葬送銀貨は、『金田一少年の事件簿』「仏蘭西銀貨殺人事件」。

 九月。霧舎学園2年生の二学期に入って最初のイベントは京都への修学旅行。琴葉と棚彦は学園理事長のさしがねにより、京都の六角屋敷で、ある秘宝を探す羽目に。手がかりは六枚の地図とプリクラ。プリクラに書かれた「1四銀」の暗号を解く鍵は?

 学園ラブコメディーと本格ミステリーの二重奏、「霧舎が書かずに誰が書く!」“霧舎学園シリーズ”。九月のテーマは暗号解読!(カバーあらすじ)

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九月は謎×謎修学旅行で暗号解読 私立霧舎学園ミステリ白書 

『ミステリマガジン』2024年5月号No.764【シャーロック・ホームズを演じる】

『ミステリマガジン』2024年5月号No.764【シャーロック・ホームズを演じる】

 毎度毎度のホームズ特集ですが、今回は変化球で来ました。

「ノサカラボ 野坂実氏メール・インタヴュー」
 朗読劇というニッチなホームズ。
 

「サー・ヘンリー・バスカヴィル殺人事件」エリザベス・エルウッド/日暮雅通(The Murder of Sir Henry Baskerville,Elizabeth Elwood,2023)★☆☆☆☆
 ――私は効果音に合わせて魔犬を撃った。サー・ヘンリー役のロジャーが野獣に噛みつかれたようによろめき、白目を剥いてステージの床に落下した。凶器は小道具室に保管されていたリヴォルヴァーだった。人目を気にせず現場に行けた可能性のある人物は四人しかいなかった。ロジャーはギャンブルによる多大な借金があった。

 ホームズ劇の最中に起きた殺人事件。基本的な捜査はバーカー警部補が行い、ホームズ役のグラドウィンは最後に安楽椅子探偵みたいにちょろっと切れるところを見せてあとはただの嫌な奴。
 

「ミュージカル『憂国のモリアーティ』アクターズ・レヴュー 目撃者としてその場所で」江中みのり

「魔人モリアーティ アステロイドの秘密」井上雅彦

「ホームズを演じた役者たち 忠実、破壊、実験〜繰り返し観たい三人のホームズ」小山正
 グラナダ版ホームズを演じたジェレミー・ブレッド、『シャーロック』のベネディクト・カンバーバッチ、『エレメンタリー』のジョニー・リー・ミラーについて。
 

森見登美彦氏メール・インタヴュー」
 ヴィクトリア朝京都が舞台の新作『シャーロック・ホームズの凱旋』
 

『テトラとライカ』(1)宮木あや子
 

「『みんなで読む源氏物語』刊行記念 ミステリとしての『源氏物語』、『源氏物語』のミステリ」渡辺祐真×たられば
 さすがにミステリにこと寄せるのはこじつけが過ぎます。
 

「書評など」
『検察官の遺言』紫金陳。この作品云々よりも、「倒叙ミステリというキーワードで語られることの多い紫金陳」という一節に惹かれます。

 2023年11月号で紹介されていたポケミス70周年作品の一つ「ハビエル・セルカス『Terra Alta(漆黒の夜を超えて)』」がいつの間にか刊行されていました。『テラ・アルタの憎悪』

 『推理の時間です』法月綸太郎・方丈貴恵、我孫子武丸・他は、WHO/WHY/HOWをテーマにした「読者への挑戦」付きのアンソロジー。面白いのは「問題編」と「解答編」ではなく、他の収録作家による「推理編」も付いているところです。『毒入り火刑法廷』榊林銘は、『あと十五秒で死ぬ』作者による新作長篇。阿津川辰海『黄土館の殺人』はシリーズ最新作。『ファラオの密室』白川尚史は、第22回このミス大賞受賞作品。古代エジプトが舞台の本格ミステリで、探偵役はミイラ。設定とこのミスという情報からはキワモノっぽいのですが果たして如何に。
 

「迷宮解体新書(139) 加納朋子」村上貴史
 駒子シリーズ最新作にして「これで完結」の『1(ONE)』。20年ぶりだそうです。
 

「〈ミレニアム〉既刊六部作前作レヴュー」樹下堅二郎

「おやじの細腕新訳まくり(34)」

「ジェーン」ジェーン・ガスケル/田口俊樹訳(Jane,Jane Gaskell,1968)★★★☆☆
 ――わたしたちは同じ日に生まれた。ジェーンの世話をするあいだ、わたしは放ったらかしにされた。ジェーンは完璧に成長したが、わたしはそうではなかった。ジェーンはこの家の女王さまだった。冬にはジェーンが暖炉のまえを占領してとぐろを巻くので、わたしはその脇の狭いスペースしか与えてもらえなかった。両親がどうしてヘビなんか好きになったのかわからないけれど、その点を除くといたってノーマルな人たちだった。この世の現実について最初に教えてくれたのはジェレミーだ。隣家に間借りしている家の十歳の子供だった。十一歳になった。ジェレミーが連れ出してくれる約束をした翌日、家庭教師が父を説得し、わたしは寄宿学校に二年間入れられることになった。

 孤独な子どもと動物の組み合わせというと、良かれ悪しかれ子どもの支えとなっているイメージが強いのですが、この作品のヘビの場合は恐怖の対象であり抑圧の象徴――のように一見すると思われます。が、著者と同じジェーンという名を与えられているところからすると、このヘビこそが語り手の分身であり、なりたい自分でもあったようです。
 

「華文ミステリ招待席(14)」

「雪祀り」鶏丁《ジー・ディン》(孫沁文《スン・チンウェン》)/阿井幸作訳(雪祭,鸡丁(孙沁文),2012)★★★☆☆
 ――打ち捨てられた公園のフェンスの向こうで、バラバラに切断され茹でられた死体が発見された。手足は中央のあずま屋に、頭部と胸部と腹部は南北のフェンス際にちょうど正三角形になるような位置に置かれていた。周囲には雪が積もっていて、発見者の足跡しかない。王刑事が被害者の身許特定方法に頭を悩ませていると、その日の未明に夫が誘拐されたという女性からの通報があったことを知らされた。ビデオ通話で犯人に脅されていたようだ。DNAも一致し、被害者はその女性・夏青の夫・張延濤だと判明した。だが雪が止んだのは午前零時だというのに、犯人からのビデオ通話があったのは午前一時だという。では犯人は雪が止んだあとに、足跡を残さず遺体を公園内に運んだというのか? 捜査を進めるうち、被害者夫妻はもともと同じ大学の学生で、七年前にその大学で同じような事件が起きていたことがわかった。

 〝中国のディクスン・カー〟2021年9月号掲載の「涙を載せた弾丸」に続いての二度目の掲載。同じく夏時&王刑事のシリーズです。人体をトリックの道具としか見ていないような潔さがありました。【七年前の事件でも検視した監察医の呉が】七年前の事件に言及しない時点で怪しさ満点なのですが、これは敢えてであって、犯人はわかってもトリックはわからないだろうという著者の自信の表れでしょうか。天気予報通りに雪が止むというご都合主義も、著者にとっては恐らく些末なことなのだと思われます。とは言え【証拠を隠したり捏造したりできる】のであれば、アリバイ作りもさして意味がないと思うのですが。【※ネタバレ 生きている状態で手足を切断し、雪が降っているあいだに手足だけをあずま屋に置き、その後に殺害。切断した頭部や胴体は雪が止んだあとにフェンス際に置いた。これにより殺害自体が雪が止む前だと誤認させられる。茹でたのは切断時間や殺害時間をわからなくするため。
 

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 ミステリマガジン 2024年5月号 

『平成怪奇小説傑作集2』東雅夫編(創元推理文庫)★★☆☆☆

『平成怪奇小説傑作集2』東雅夫編(創元推理文庫

 後半は『幽』やてのひら怪談作家が占めます。ということは怪談実話ブームもこの頃だったでしょうか。
 

「匂いの収集」小川洋子(1998)★★★★☆
 ――僕は彼女に髪をといてもらうのが好きだ。彼女が触れたとたん、素っ気なく退屈な髪が、特別な光によって祝福を受けたもののように見えてくる。「今日のチェンバロは、朝露に濡れたシダの匂いがする」初めて出会ったコンサートで、彼女はそんなふうに話し掛けてきた。何と答えていいか戸惑ったまま、僕はあいまいに微笑んだ。彼女は匂いの専門家だ。この世のあらゆる匂いを収集するのを趣味にしている。

 匂いという文章でも映像でも伝えるのが難しいものを、さらに収集するという難しい出来事に説得力を持たせる、独特の文章と世界観が印象的です。怪談としてはありきたりのオチなのにとてつもなく怖いのは、そうした独特の雰囲気で二人の幸せそうな様子が描かれているがゆえに、幸せのただ中にぽっかりと暗い穴が開くようだからでしょう。
 

「一文物語集(244~255)」飯田茂美(1998)★★★★☆
 ――244鳥葬のしきたりに反して族長を火葬にしてしまったため、もう何日ものあいだ、空から灰が降り続け、鳥たちは姿を見せない。245鐘一面にぎっしりと大きな蛙がへばりついていて、晩鐘を撞けずにいる。248薄暮の湿原をひとりで走っていると、遠くから全裸の自分がげらげらと笑いながら、こちらをめがけて突進してきた。249目覚めると、妻の仕業か、すべての髪の毛が一本ずつ、愛人の髪の毛と固く結び合わされている。

 怖さという点では245、248、249が際立っていました。245の生理的な気持ち悪さ。248の不条理な恐怖。249の「一本ずつ」という一言がより恐ろしさを増幅させています。
 

「空に浮かぶ棺」鈴木光司(1998)★★★☆☆
 ――長方形に切り取られた空を見上げているようだ。東京湾に面したビルの屋上……舞は次第に自分のいる場所を把握していった。突如、足の痛みに襲われた。啞然とした。足が見えないのだ。腹部がパンパンに膨らんでいる。どこから見ても臨月の腹だ。直感で理解した。ビデオテープを見てしまったからだ。大学の講師である高山竜司の死にビデオテープが絡んでいるらしいという話は聞いていた。

 『リング』シリーズの短篇。相変わらずこの人の考えるリアリティはピントがずれています。排卵日にビデオを見たから妊娠したと言われても、ギャグにしか思えません。ビデオ自体の怖さはまったく伝わって来ませんし。とはいえ『リング』よりは格段に文章が上手くなっていて、読むこと自体がしんどかったりはしませんでした。
 

グノーシス心中」牧野修(1999)★★☆☆☆
 ――怪物。いずれマスコミは、十二歳の深澤千秋をそう名づけることになる。一年前までは神秘主義に心酔していた。その頃熱中していたのは死んだふりだった。痩せた男が声をかけてきた。「深澤千秋くんだね」「誰」「君と同じ霊的人間だ」「馬鹿みたい」「君は間違いなく〈独り子〉だ」。カグヤマはナイフを千秋に渡した。カグヤマは鉈を抜き身で持っていた。カグヤマがカラオケボックスの扉を開いた。四人の男女が一斉に彼らを見た。歌っていた少年が罵った。カグヤマは蠅を払うより素っ気なく、鉈を振るって少年の喉を掻き切った。

 どこまでも中二病に満ちているスプラッタです。「源平の時代」「エプロンドレスを着たジュリー・アンドリュース」等々の薄ら寒い譬喩も中二病らしさを補強していて、これはこれで作品の完成度を高めています。こういう事件を起こす人の、“俺って他人と違うんだ”感を描いていると思えばリアルなのでしょうか。
 

「水牛群」津原泰水(1999)★★★★☆
 ――この一週間で三時間も眠れず、五日も六日も固形物を口にしていない。蕎麦屋でビールを飲んで眠ってしまったらしい。伯爵が部屋に入ってきた。「お暇ですか」「お暇です。無職です」「出かけましょう。一種の都市伝説ですね、特定の晩、宿泊客が幸福を得られるという」。ホテルの料理屋でビールを飲んで伯爵を待った。「水牛になさいますか」どこかで会ったような男である。顔を向けたが男の姿はなく、代わりに板前姿の小男が笑っていた。「水牛のお客様で」「どうやって食うんだ」「うちで出してるのは尾鰭のとこだけですけどね。参りましょうか」「どこに」「湖ですけど」「あそこに水牛が?」

 猿渡を主人公にした幽明志怪シリーズの一篇。なぜなのかわからないままに恐怖と不眠と食欲不振に苦しめられている主人公の苦悩を読み進めていくと、水牛の尾鰭という突拍子もないものが飛び出してきて、あっさりと別の世界に引き込まれてしまいました。それでいながら決して荒唐無稽なわけではなく、不当な馘首であったり子ども時代の思い出であったりといった現実に根ざしていることが明らかになります。小説なんだから事実をそのまま書かないよ、と小説家の伯爵が話している通り、事実に基づく幻覚が小説として昇華された作品でもあるのでしょう。
 

「厠牡丹」福澤徹三(2000)★★☆☆☆
 ――「夜ひとりで厠にいるとき、牡丹の花の折れるところを想像してはいけません」。昼過ぎから読んだ本が面白くない。用足しに厠に立ったところで、不意に牡丹の話を思い出した。急に玄関の戸を叩く音がした。「早く開けろ。きょうは呑んでないんだ」「家をおまちがえでではないんですか」「自分の父親によくそんなことがいえるな」「あなたは父親じゃない。うちに金目のものはない、帰ってくれ」。作家になりたがっていたが才能のなかった父は、ある朝、庭に倒れて冷たくなっていた。

 印象的な書き出しですが、厠や牡丹である必然性がないように思います。そして他者=自分だったという、よくある形へと落ち着きます。
 

「海馬」川上弘美(2001)★★★☆☆
 ――海から上がって、もうずいぶんになる。主人は会社役員である。今の主人に私が譲り渡されたのは、三十年ほど前だったか。子供は四人いる。主人は帰りが遅い。前の主人は毎日家にいる職業だった。画家だったのである。画家の前の主人は大学教授で、その前は商人だった。海から出たのは、誘われたからだ。男は漁師だったが、魚を採ることより女を漁ることのほうが性にあっているような男だった。次の主人には輪をはめられ杭につながれた。

 著者が川上弘美なので当然怪奇小説ではなく幻想小説です。タイトルにこそ海馬とありますが、およそタツノオトシゴでもアシカでもセイウチでもありそうにありません。「殺到」と書かれているからには群体なのでしょうか。
 

「乞食《ほいと》柱」岩井志麻子(2001)★★☆☆☆
 ――明治の岡山の民家には、土間に一本だけ立った「乞食柱」と呼ばれる柱があった。乞食は入り口から三尺だけ、家の中に入ることを許された。数えで十六になった冬、サトは熱病に倒れた。サトは夢で見た蛇のことを婆やんに話した。「うちのサトはトウビョウ様のお使いになりました」。トウビョウ様とは広い地域で信仰された蛇の神様のことである。「男を知ったら拝む力は半分になるど。男のもんがっこに入ったら、蛇の頭が入ったんとおんなじことじゃ。抜けん」

 いかにも著者らしい土着と下半身の話。信仰の対象である蛇(の頭)=亀頭、乞食《ほいと》=女陰《ほと》とすることで、乞食に性的暴行を受けた話がきれいに繋がっていました。
 

「トカビの夜」朱川湊人(2003)★☆☆☆☆
 ――東京から大阪に来て移り住んだのは文化住宅だった。一番奥にはチュンジとチェンホという朝鮮人の兄弟が住んでいた。チュンジは私より二つ年上で直情型の性格だった。弟のチェンホはか細く、体に重大な障害があって外で走り回って遊ぶことが出来なかった。私が持っていた怪獣図鑑を貸したのが交流の始まりだった。チェンホは翌年の八月にこの世を去った。その数週間前、私は罪を犯していた。近所の子供たちと一緒になって、チェンホを差別し、いじめたのだ。

 著者の作品はどれも薄味のジェントル・ゴースト・ストーリーです。
 

「蛇と虹」恩田陸(2005)★★★☆☆
 ――ああ、ねえさん、血のような夕陽が沈むわ。あたしたち、あんな色、生涯で二度しか見ていない。可愛いいもうと、あんたはいったい何の話をしているの。冗談も休み休みお言い。あんたの目にはくすんだ紗の布がかかっているようね。あんたが言うのはいつのこと。ねえさんが撃った、あの黒い犬がまだ元気だったあの日ではないの。もしかして、ねえさんは別のものを撃とうとしていたのではないかしら。銃声なんか聞こえなかった。黒い犬なんか床に寝そべっていなかった。そうでしょう、可愛いいもうと。

 幻想や怪異に見えたものが視点や描写をずらしただけのごく当たり前の光景だったと考えれば、ポースト「大暗号」などの系譜でしょうか。前世と胎内で見た胎児の記憶。
 

「お狐様の話」浅田次郎(2006)★☆☆☆☆
 ――おじいちゃんの験力を頼って、お狐憑きがよくやってきた、と伯母は言った。その女の子はまるでフランス人形のようだった。少女は「かな」と名乗った。夕刻になると雉や狐ではない遠吠えが聞こえてきた。狗神が鳥獣の声を真似ているのだと教えられていた。森の中でその声を聞いた途端、香奈の相が変わり、嗄れた声で言った。「狗は嫌いじゃ」。お狐の仕業だった。

 狐憑きの話。
 

「水神」森見登美彦(2006)★★★☆☆
 ――これから語るのは祖父の通夜の日の出来事である。五年前のことになる。「今夜遅くに、芳蓮堂が来るそうだ。親父からの預かり物を持ってくる」孝二郎伯父が言った。芳蓮堂が持ってくる家宝に、私は少し興味を抱いた。晩酌をしながら待つことになった。「親父は水みたいにすいすい呑んでたなあ」と弘一郎伯父が言った。祖父は酒豪であった。樋口家の開祖は琵琶湖疏水のポンプの整備を手伝っていたようである。その開祖が掘り出した宝なのではないか。

 どこかしら人とは違う祖父が遺した宝物を巡る話ということもあって、どことなく『百鬼夜行抄』を連想しました。悪鬼や人の手によるものではない自然現象のような怪異はまさに神というタイトルに相応しいスケールでした。
 

「帰去来の井戸」光原百合(2006)★☆☆☆☆
 ――この春頃から伯母の体調は思わしくないようだ。由布は大学三年になって時間割にも余裕がでてきたところで、店の手伝いを引き受けた。開店時間にはまだ早いのだが、常連の一人、浜中がやってきた。「実はお別れの挨拶に来たんじゃ。茨城で所帯を持った息子が家を建てるけえ、そろそろ一緒に暮らさんかと言うとくれた」「常連の皆さんには何も言うてなかったんですね」「しんみりしちゃあたまらんけえの」

 この人もジェントルな感じの話ばかりの印象です。
 

「六山の夜」綾辻行人(2006)★★☆☆☆
 ――八月十六日。今日はいわゆる「五山の送り火」の日だ。「よろしければ十六日、おいでになりますか。病院の屋上を開放しますので」一週間前、深泥丘病院の石倉医師からそんなお誘いを受けた。「このあたりから五山全部が見えるのは貴重ですね」。描かれる文字や図形は決まっている。「人」「永」「火」「目」「虫虫」。今年の送り火は六山で、六山めに描かれる文字はその年によっていろいろで決まっていないという。

 著者の怪談特有の「……」や「――」の多用や、京極堂の関口みたいなうじうじ妄想系の主人公には相変わらずついていけません。文体だけでなく結末までもが「……」です。
 

「歌舞伎」我妻俊樹(2007)★★★☆☆
 ――子供の頃、砂場で古い乾電池を拾ったことがある。砂に埋めて家に帰り、翌日掘り返そうとしたが見つからなかった。そういえば兄貴、昔公園で乾電池拾ったよねえ。帰省した折、弟が突然そんなことを言い出す。いつも持ち歩いてたじゃない、ポケットに入れて。私の記憶とは食い違う。弟によれば、こわれたラジオに私の乾電池を入れたときだけ息を吹き返したという。ロシアかどこか外国語の放送が日本の歌舞伎みたいに聞こえたというのだ。

 てのひら怪談。「いやな寒気だけを感じた」という結びの文章がぴったり来ます。記憶が食い違っていただけだったはずなのに、世界が歪んでしまったようなずれが生じていました。
 

「軍馬の帰還」勝山海百合(2007)★☆☆☆☆
 ――「まっこ、けえってきた」一緒に寝ている末の息子が体を起こし、「おらえのアオ、けってきたよな音する」と言った。馬は二年前に軍に徴用された。「そんなわけねえべ。まっと寝ろ」そう言った途端、離れの馬小屋で、前肢で柵を蹴る音がした。「アオ!」息子が馬小屋に駆け出した。それにしてもよく生きて……馬小屋はいつものように空だった。「さっきまでハ居だのに……」息子が小さく呟き、泣き出した。

 てのひら怪談。この時期、方言で書かれた作品をやたらと評価する流れがあって、食傷した記憶があります。実際、著者は方言に頼らずとも勝負できる作家なので、ほかの作品を収録すべきだったと思います。
 

「芙蓉蟹」田辺青蛙(2007)★☆☆☆☆
 ――芙蓉の花を蟹が食べている。美味いのかい? 蟹は私の問いには答えないで、ぷつん、ぷつん、と赤い鋏で花びらを口に運び消化している。旅のお方ですか? 花の間から籠一杯の蟹を手にした赤い毛足の猿が現れた。にやりと笑った猿の歯が、どうして血に濡れているのかばかり考えてしまう。

 てのひら怪談。芙蓉を食う蟹という組み合わせこそ非凡ですが、あとは猿蟹合戦と自分が食われるというよくある要素に終わっています。
 

「鳥とファフロッキーズ現象について」山白朝子(2007)★★★★☆
 ――屋根にひっかかっていたのは全身が黒色の巨大な鳥らしい。回復して飛べるようになるまで面倒を見ることにした。寝そべってテレビを見ていてチャンネルを変えたいときのことだ。鳥が嘴でリモコンをくわえ、つきだした。「……ありがとう」そんなことが何度もあった。三年が経過し、私が高校三年生になったとき、家に侵入した人物に拳銃で撃たれて父が死んだ。二月になると父の兄が家をおとずれた。遺産管理についてだった。私はこの人が嫌いだった。伯父が帰った翌朝、窓のそこから音が聞こえた。見覚えのある指輪を見て伯父の中指だと気づいた。黒い翼が月の上をよぎった。

 乙一の別名義。幻想小説のような雰囲気でありながら、最後はきっちりホラーに着地します。ミステリ要素もありました。黒い巨鳥の正体自体は不明なままなのですが、読み終えてからそのことに気づきました。謎の鳥という存在を凌駕するストーリーテリングということなのでしょう。かつて手当てまでして助けた鳥を、共存のためと言い訳して傷つける場面には胸が痛みます。恐らく鳥には裏切られたという感覚がなく、本能的な行動であるらしいところが却って痛ましい。

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